朴智星
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| 朴 智星 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | 酸素タンク | |
| カタカナ | パク・チソン | |
| ラテン文字 | PARK Ji Sung | |
| ハングル表記 | 박지성 | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1981年2月25日(28歳) | |
| 出身地 | ||
| 身長 | 175cm | |
| 体重 | 72kg | |
| 血液型 | O型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | MF/FW | |
| 背番号 | 13 | |
| 利き足 | 右足 | |
| 代表歴 | ||
| 出場 | 81 | |
| 得点 | 11 2009年6月17日現在 |
|
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
朴 智星(パク・チソン、1981年2月25日 - )は、韓国出身のサッカー選手。同国代表、プレミアリーグ・マンチェスター・ユナイテッド所属。中盤すべてのポジションとセカンドトップ、ウイングをこなせるユーティリティープレーヤー。Oxygen Tank(酸素タンク)と称される豊富な運動量に加え、衰えないスピードが持ち味。韓国代表ではキャプテンを務めている。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入りまで
首都のソウルで生まれ、水原市で育った。少年時代にサッカーを始めたものの韓国サッカーでは全くの無名選手で、朴自身も「高校時代はKリーグのドラフトにかかりませんでした」と回想している。
しかし、明知大學校在学中に、明知大の監督と知り合いの当時京都パープルサンガ総監督だった木村文治に見い出され、大学を休学し19歳で来日、京都に加入し、日本でプロデビューすることとなった。大阪経済法科大学にも入学するが中退。
[編集] 京都パープルサンガ時代
1シーズン目から中盤の控えとして出場機会があったが、京都がJ2に降格した2シーズン目から、その活躍ぶりは顕著になる。主にボランチのポジションで38試合に出場、3得点を挙げ、メキメキと頭角を現しだし同チームのJ1昇格に貢献。第82回天皇杯の決勝でも同点ゴールを決め逆転優勝に貢献。同時に韓国A代表でも徐々にレギュラーとしての地位を確立する。在籍中には大阪経済法科大学に入学し、日本語も流暢に話せるようになるまで学ぶなど、日本に溶け込む努力も見せた。
[編集] オランダ・PSV時代
翌年、元・韓国代表監督であったフース・ヒディンクの推薦を受け、エールディヴィジ・PSVアイントホーフェンに移籍した。
オランダでの3年間で2度のリーグ制覇を経験。特に3シーズン目は中心選手としてチームを牽引した。2005年のUEFAチャンピオンズリーグでは、前大会準優勝のモナコや強豪リヨンを連破してベスト4まで勝ち上がる。準決勝でセリエA・ACミランと激突。ミランのホーム、サンシーロで行われた1stLegでは、再三にわたりミランのDF陣を切り裂き、伊紙ガゼッタ・デロ・スポルトに「誰がこの鬼を止められるというのか」と賞賛された。PSVのホームに戻った2ndLegでは、鮮やかな先制ゴールを奪い、ミランに対しリードを奪うが、終了間際にマッシモ・アンブロジーニにゴールを決められ、アウェーゴール数の差により決勝進出はならなかった。
この活躍によりUEFAが発表した2005年のポジション別MVPのFW部門にアジア人としては初めて選ばれた(他に選ばれたのはアドリアーノ、エトー、ロナウジーニョ、シェフチェンコ[1])。
朴の活躍は、イングランド・プレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッドで監督を務めるアレックス・ファーガソンの目に留まり、マンチェスター・ユナイテッドに移籍した。
[編集] マンチェスター・ユナイテッド
2002年W杯のベスト4と、2005年UEFAチャンピオンズリーグのベスト4(PSV時代)という実績を持って入団したが、加入当初は、英国メディアの論調は厳しく、それまでプレミアリーグで成功を収めたアジア人選手がいなかったこと、多くのアジア人選手が、アジアのサッカーマーケット開拓の道具として獲得されていることなどから、朴も広告塔としての加入ではないかと懐疑の目が向けられた。また、彼の実力を評価した専門家も、マンチェスター・ユナイテッドというビッグクラブで出番機会は与えられるのか不安視していた。
しかし、周囲の喧騒をよそに05-06年シーズンの開幕戦で初出場・先発を果たし、攻守に献身的なプレースタイルと、質の高いフリーランニングで活躍した。最終的にプレミアリーグでは38試合中33試合に出場し、2得点7アシストを記録。中でもマンUのライバルであるアーセナル戦ではゴールを奪う活躍を見せた。
中盤から前のポジションであれば、センターフォワード以外はどこでもこなせる高い順応性、試合が終盤にさしかかっても落ちない運動量が大きく評価されている。しかし、2006-07シーズンは膝の怪我が相次ぎ、リーグ戦では5得点を挙げるも、わずかな出場に終わった。また、ひざの怪我は古傷を再び痛めたもので手術が必要となり、リハビリを含めれば1年、もしくはそれ以上の長期間にわたって出場ができないのではないかと危ぶまれていたが、2007年12月26日(現地時間)に行われた対サンダーランド戦で復帰した。
UEFAチャンピオンズリーグ 2008-09では、準決勝のアーセナル戦で先制ゴールを挙げるなど活躍、UEFAチャンピオンズリーグ決勝の舞台にアジア人プレイヤーとして初めてピッチに立った。
[編集] プレースタイル
豊富な運動量と抜群の戦術理解力が持ち味。左右両足を使える柔軟性、抜群のボディバランスと確固たる基礎技術、巧みなポジショニング、飛び出しの技術も持ち合わせている。また走力を生かした激しいプレスや対人ボール奪取力にも長けていて、スペースを消すのもパスをカットするのも非常に巧い。ダイナモ的存在としてチームを活性化出来るオールマイティなMFである。
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2000 | 京都 | 12 | J1 | 13 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 16 | 1 |
| 2001 | 京都 | 7 | J2 | 38 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | 40 | 3 |
| 2002 | 京都 | 7 | J1 | 25 | 7 | 0 | 0 | 4 | 1 | 29 | 8 |
| オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2002-03 | PSV | 7 | エールディヴィジ | 8 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | ||
| 2003-04 | PSV | 7 | エールディヴィジ | 28 | 6 | 1 | 0 | 29 | 6 | ||
| 2004-05 | PSV | 7 | エールディヴィジ | 28 | 7 | 3 | 2 | 31 | 9 | ||
| イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
| 2005-2006 | マンチェスターU | 13 | プレミアリーグ | 33 | 1 | 3 | 1 | 2 | 0 | 38 | 2 |
| 2006-2007 | マンチェスターU | 13 | プレミアリーグ | 14 | 5 | 0 | 0 | 5 | 0 | 19 | 5 |
| 2007-2008 | マンチェスターU | 13 | プレミアリーグ | 12 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 14 | 1 |
| 2008-2009 | マンチェスターU | 13 | プレミアリーグ | 21 | 2 | 1 | 0 | 2 | 1 | 23 | 2 |
| 通算 | 日本 | J1 | 38 | 8 | 2 | 0 | 5 | 1 | 45 | 9 | |
| 日本 | J2 | 38 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | 40 | 3 | ||
| オランダ | 64 | 13 | |||||||||
| イングランド | 79 | 9 | |||||||||
| 総通算 | 219 | 33 | |||||||||
| 国際大会個人成績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| UEFA | UEFA杯 | UEFA CL | ||||
| 2003-04 | PSV | 7 | 2 | 0 | 5 | 0 |
| 2004-05 | PSV | 7 | - | 11 | 1 | |
| 2005-06 | マンチェスターU | 13 | - | 6 | 0 | |
| 2006-07 | マンチェスターU | 13 | - | 1 | 0 | |
| 2007-08 | マンチェスターU | 13 | - | 4 | 0 | |
| 2008-09 | マンチェスターU | 13 | - | 7 | 1 | |
| 通算 | UEFA | 2 | 0 | 34 | 2 | |
[編集] エピソード
- 京都パープルサンガへ入団する決め手となったのは、当時京都に在籍していた三浦知良の存在による。
- 流暢な日本語を話す。外国人独特の訛りはなく、会話だけでは外国籍選手との判別は難しい。
- 京都パープルサンガ時代の同僚・松井大輔によれば、今でも日本語でお互いによく電話をしている。
- 先述の2002年W杯・ポルトガル戦後のミックスゾーンで日本人記者たちに祝福された際も日本語で「あのゴールはまぐれですよ!」と笑顔で語った、とのエピソードがある。
- 朴と親交が深い松井は、常々インタビューで朴について言及している。松井曰く、同じ歳の二人は自然とうまが合い、いつも二人でキック練習をしていたという。また、既に結婚していた松井の家に朴はよく遊びにいき、松井の夫人がキムチなどの食事を出していたという。
- 松井は朴を「2002年W杯の前後で人柄など全てが変わった」と評している。そのため自分自身も出てみたかったと語る。また一度も食事を奢ってくれなかったとも評している。
- TVゲームが好きで、休日はいつも家にこもってゲームをしている。
- 憧れの選手について聞かれると、いつも決まって、「いない」と答える。
- 朴は2007年に『信じるチカラ パク・チソン自伝』を在日コリアンライターの慎武宏の構成・監訳で出版したが、その中で朴の性格は「謙虚、寡黙、自己主張しない…。海外サッカーにおいては埋没しかねない典型的な日本人タイプ」と評されている[1]。
- PSVアイントホーフェン時代、1年目のシーズンに一時期不調に陥ったことがある。それは交際していた年上の女性と別れたことが原因の心理的スランプだとオランダ紙などで報道され、韓国紙でも「別れた原因はオランダと韓国の遠距離恋愛」などと報じられた。こうした報道に嫌気がさし、ますますふさぎこんだ。
- プレースタイルも全く違うが、地域のスターという意味で、英紙から「アジアのベッカムと呼ばれているようだが」と唐突な質問を受けた。その時に、「僕はベッカムの様にハンサムではないけれど、彼のポテンシャルに近づくことは出来る」と答えている。
- マンチェスター・ユナイテッドのチームメイトやファーガソン監督からは「Ji(ジー)」というニックネームで呼ばれ、親しまれている。
- 朴はW杯に2度出場し、韓国代表の中心選手として活躍しているが、オリンピックのサッカー競技には出場経験がない。
- 2004年に行われたアテネ五輪の時、23歳の朴はU-23韓国代表選手として同大会のサッカー競技において通常の出場資格を持っていた。前年に行われた同五輪最終予選でのインタビューで、U-23日本代表について聞かれると、「日本は最も注意しなければならない相手だ」と、日本へのライバル心を公表している。しかし、2004年に行われたアテネ五輪の本大会では,所属クラブのヒディンク監督が五輪出場を最後まで承諾せず、結局五輪出場はならなかった(ヒディンクは五輪前に開催されたA代表のアジア杯への出場は了承しており、五輪は国際AマッチではなくFIFAから選手招集に応じる義務も課されていないので、五輪よりは当然クラブを優先させるべきと考えた)。
- 2008年8月の北京五輪(同大会のサッカー競技)では韓国五輪代表監督の朴成華が「(27歳の)朴をオーバーエイジ枠の選手として北京五輪代表チームに招集したい」と発言。これに対し朴は大韓サッカー協会の鄭夢準会長と対談した際に「協会とチームが合意さえすれば、気持ち良く出場したい。(アテネ)五輪で成し遂げられなかった夢をかなえたい」と述べた[2]。しかし、一方でポジション争いの激しさを背景にクラブのキャンプへの早期合流の必要性にも言及し、世論はマンチェスター・ユナイテッドで朴の置かれている立場と体力的負担を理由にクラブ早期合流を望む意見が大勢を占めた。朴がヒザの不調により2008年6月のW杯南アフリカ大会の3次予選に欠場した事で、協会は朴の北京五輪参加を断念した。
- 韓国代表では2008年10月のUAE戦からキャプテンを務めている。試合前のバス移動で「必要以上に気負いこむことはない」としてBGMにロックを流しチームをリラックスさせようとするなど、リーダーシップを発揮している[2]。
[編集] タイトル
- 2001年 J2優勝
- 2002年 天皇杯優勝、Jリーグ優秀選手賞
- 2002年 W杯4位
- 2004-2005 エールディヴィジ優勝
- 2004-2005 エールディヴィジ ベストイレブン
- 2005年 アムステル杯優勝
- 2005年 アムステル杯MVP
- 2006-2007 プレミアリーグ優勝
- 2006年 フットボールリーグカップ優勝
- 2007年 コミュニティーシールド優勝
- 2007-2008 プレミアリーグ優勝
- 2007-2008 UEFAチャンピオンズリーグ優勝
- 2008年 コミュニティーシールド優勝
- 2008年 FIFA クラブワールドカップ優勝
- 2008-2009 フットボールリーグカップ優勝
- 2008-2009 プレミアリーグ優勝
[編集] 脚注
- ^ http://www.uefa.com/competitions/supercup/news/kind=1/newsid=323098.html
- ^ W杯最終予選B組総括「“チェンジ”したふたつのコリア」新たなリーダーの下生まれ変わった韓国
[編集] 外部リンク
| マンチェスター・ユナイテッドFC - 現所属メンバー |
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1 ファン・デル・サール | 2 ネヴィル | 3 エヴラ | 4 ハーグリーヴス | 5 ファーディナンド | 6 ブラウン | 8 アンデルソン | 9 ベルバトフ | 10 ルーニー | 11 ギグス | 12 フォスター | 13 朴智星 | 14 トシッチ | 15 ヴィディッチ | 16 キャリック | 17 ナニ | 18 スコールズ | 19 ウェルベック | 20 ファビオ | 21 ラファエウ | 22 オシェイ | 23 エヴァンズ | 24 フレッチャー | 26 マヌーチョ | 28 ギブソン | 29 クシュチャク | 33 ヒューソン | 34 ポセボン | 35 クレヴァリー | 39 チェスター | 40 アモス | 41 マケダ | - バレンシア | - オベルタン | - オーウェン 監督: ファーガソン |
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