ジュビロ磐田

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ジュビロ磐田
原語表記 ジュビロ磐田
愛称 ジュビロ
クラブカラー      サックスブルー[1]
創設年 1972年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン2
クラブライセンス J1
ホームタウン 静岡県磐田市[1]
ホームスタジアム
Yamahastafium05161.JPG
ヤマハスタジアム[1]
収容人数 15,165[1]
運営法人 株式会社ジュビロ[1]
代表者 高比良慶朗[1]
監督 ブラジルの旗 ペリクレス・シャムスカ
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社ジュビロ[1]
JUBILO CO.,LTD
種類 株式会社
市場情報 未上場
本社所在地 438-0025
静岡県磐田市新貝2500[1][2]
設立 1992年8月21日[2]
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営他
代表者 高比良慶朗[1]
資本金 6億7,900万円[2][3]
売上高 32億9,800万円 (2014年3月期)[3]
営業利益 6,500万円 (2014年3月期)[3]
経常利益 8,600万円 (2014年3月期)[3]
純利益 4,500万円 (2014年3月期)[3]
純資産 7億3,800万円 (2014年3月期)[3]
総資産 12億8,600万円 (2014年3月期)[3]
決算期 3月期
主要株主 ヤマハ発動機[2]
静岡新聞社[2]
静岡放送[2]
ヤマハ[2]
外部リンク 公式ウェブサイト
特記事項:2014年7月1日に株式会社ヤマハフットボールクラブより商号変更。
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ジュビロ磐田(ジュビロいわた、Júbilo Iwata)は、静岡県磐田市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。2005年4月よりジャパンラグビートップリーグ所属ヤマハ発動機ジュビロとチーム愛称を共有。

概要[編集]

1972年創部ヤマハ発動機サッカー部が前身[1]。1993年Jリーグ準会員[1]1994年Jリーグ正会員となった[1]。運営会社は株式会社ヤマハフットボールクラブ[1]ヤマハ発動機等、出資[2]。チーム名「ジュビロ」はポルトガル語(Júbilo)・イタリア語(Giubilo)で「歓喜」を意味する[1]

ホームスタジアムはヤマハスタジアム[1]だが、静岡県小笠山総合運動公園スタジアム(エコパスタジアム)でも不定期でホームゲームを開催。練習場はヤマハ大久保グラウンド[1]、隣接する磐田スポーツ交流の里・ゆめりあを使用(詳細は#スタジアム・練習場)。

女子サッカークラブ「ジュビロ磐田レディース」(静岡県西部リーグ)、フットサルクラブ「DELIZIA磐田(ジュビロ磐田フットサルクラブより改称)」を有する。

JリーグMVPを4人、得点王を5人輩出しており、2013年シーズン終了時点でいずれもJリーグ最多記録(MVPドゥンガ(1997年)、中山雅史(1998年)、藤田俊哉(2001年)、高原直泰(2002年)、得点王中山雅史(1998年・2000年)、高原直泰(2002年)、前田遼一(2009年・2010年)。

歴史[編集]

1990年代[編集]

1972年創部ヤマハ発動機サッカー部が前身、日本サッカーリーグ(JSL)1部優勝1回、天皇杯優勝1回等の実績。1992年Jリーグ準会員承認され、1993年のJFL1部準優勝、1994年よりJリーグ正会員。

1994年、元日本代表監督ハンス・オフト監督就任。オランダ代表ファネンブルグ、元イタリア代表サルヴァトーレ・スキラッチブラジル代表でキャプテンを務めたドゥンガなど外国人選手を補強。 1994年に藤田俊哉田中誠奥大介、1995年に名波浩福西崇史が、1996年には服部年宏が加入、実業団時代からのメンバー中山雅史鈴木秀人らがレギュラー定着。 固定化されたメンバーは次第に高度なチーム連携を実現。

1997年
  • 2ndステージ初優勝。
  • チャンピオンシップ、1stステージ優勝鹿島を破り、初の年間王者獲得(桑原隆監督代行の下で優勝。監督代行で優勝したのはこの年のジュビロだけ)。
  • ドゥンガがMVP獲得。
  • ドゥンガと共に大神友明、名波、中山がベストイレブン選出。
1998年
  • 1stステージ優勝。2ndステージ2位、Jリーグチャンピオンシップ、鹿島に敗戦。ナビスコ杯優勝。
  • ジュビロはこの年、今なお破られていない数々のJリーグ記録を打ち立てる。セレッソ大阪戦での9得点、シーズン34試合で107得点、得失点+64は、2013年シーズン終了時点でいずれもJリーグ最多記録。
  • 中山27試合出場36得点(現在リーグ戦最多得点記録)記録。MVP、得点王などのタイトル獲得。
  • 1998 FIFAワールドカップ日本代表として中山と名波と服部、ブラジル代表キャプテンとしてドゥンガが出場。
  • 中山、名波、ドゥンガ、奥、ベストイレブン選出。
  • シーズン終了後、ドゥンガが退団。
1999年
  • 1stステージ優勝、チャンピオンシップ、2ndステージ優勝清水を破り2度目の王者.
  • 1stステージ終了後名波浩イタリアACヴェネツィア移籍。
  • 福西、初のベストイレブン選出。
  • Jクラブ史上初となるアジアクラブ選手権(現ACL)を制し、アジアチャンピオンになる。(Jリーグ誕生前に読売クラブが優勝経験有り)

2000年代[編集]

2000年 - 2005年[編集]

2000年
  • FUJI XEROX SUPER CUP初優勝。
  • 9月、名波がイタリアから復帰。
  • 年間順位4位。年間勝点数はに次ぐ2位。
  • 中山、2回目の得点王獲得(29試合20得点)、ベストイレブン選出。
2001年
2001年ナビスコカップ決勝時のコレオグラフィー
  • 1stステージ優勝。2ndステージ2位。チャンピオンシップは鹿島に延長の末、敗戦。
  • ナビスコ杯準優勝、天皇杯ベスト8。
  • 藤田がMVP獲得。
  • ヴァンズワム、大岩、藤田、福西、服部、ベストイレブン選出。

[4]、「世界と戦う」ために名波を中心としたいわゆる「N-BOX」を採用。同年の同選手権は運営面の問題で開催不能となる。

2002年
2003年
2003年開幕戦。発煙筒の演出があった。
  • 成岡翔大井健太郎菊地直哉などが加入。
  • 8月、藤田がオランダFCユトレヒトへレンタル移籍(年明けに復帰)。
  • 1stステージ、横浜FMに勝点1及ばず2位。
  • 2ndステージ、14節の時点で首位に立つが、最終節の横浜FM戦、アディショナルタイムに決勝点を決められて優勝を逃す(ステージ順位2位)。
  • ゼロックス杯および天皇杯優勝。
  • 福西がベストイレブン選出。
2004年
  • 1stステージ2位。2ndステージ13位。
  • ゼロックス杯優勝。
2005年

2006年 - 2009年[編集]

2006年
2007年
クラブスローガン :「VAMOS CONTIGO
  • 2月、福西崇史FC東京、服部が東京V移籍、名波がセレッソ大阪レンタル移籍。
  • 6月、菊地直哉が県条例違反(淫行)容疑で逮捕。起訴猶予となった6月29日にクラブは菊池と契約解除。
  • 9月2日、成績不振を理由にアジウソンおよびコーチ辞任。後任としてトップチームコーチ兼サテライトチーム監督内山篤就任。
  • 磐田および札幌元監督柳下正明ヘッドコーチ就任。
  • 年間成績9位。
2008年
クラブスローガン :「Hungrrrrry!

レンタル移籍の河村崇大、名波が復帰。

  • 入れ替え戦終了後、オフト監督退任。名波浩現役引退。
  • 馬淵が成績不振と大幅減収の責任をとり社長退任、後任にヤマハモーター台湾社長吉野博行、12月25日付けで就任。
2009年
クラブスローガン :「SPEEDY ACTION 2009
  • 磐田元監督、内田、オフト両体制下ヘッドコーチを1年半務めた柳下正明監督就任。
  • 河村崇大東京V森下俊京都田中誠福岡へ完全移籍。松井謙弥が京都へ期限付き移籍。那須大亮を東京Vから獲得、ユースから2人昇格。
  • 3月7日の開幕戦は、J1初昇格山形に2-6、史上ワースト記録となる失点で敗戦。第2節はG大阪に1-4で敗戦。
  • 4月1日付け、強化部長代理に服部健二就任。
  • 現役の韓国代表イ・グノを獲得。イは初出場となった第6節の清水戦で2得点を挙げ、次節の京都戦で1ゴール2アシストを決めた。イは一度クラブを離れたが夏場に復帰、シーズン通算11得点。
  • 7月、押谷祐樹FC岐阜へと期限付移籍。
  • シーズン成績は11位。
  • 前田遼一が高原以来7年ぶりの日本人得点王受賞(34試合20得点)、自身初となるベストイレブン受賞。

2010年代[編集]

2010年
クラブスローガン :「EVOLUTION 2010
2010年ナビスコカップ決勝時のコレオグラフィー
2011年
クラブスローガン :「ROAD TO CHAMPION 2011
2012年
クラブスローガン :「原点開起 ROAD TO CHAMPION 2012
2013年
クラブスローガン :「原点開起 ROAD TO CHAMPION 2013
2014年
クラブスローガン :「勝!!!

成績[編集]

開幕戦成績[編集]

年度 月日 会場 ホーム 得点 アウェイ 観客数
1994年 3月12日 J カシマ 鹿島 1-0 磐田 13,990
1995年 3月18日 市原臨海 市原 1-0 磐田 13,637
1996年 3月16日 ヤマハ 磐田 3-0 福岡 13,439
1997年 3月12日 ヤマハ 磐田 2-1 広島 9,545
1998年 3月21日 ヤマハ 磐田 2-0 京都 15,574
1999年 3月6日 J1 ヤマハ 磐田 3-1 神戸 13,349
2000年 3月11日 ヤマハ 磐田 0-1 14,056
2001年 3月10日 ヤマハ 磐田 4-1 市原 15,246
2002年 3月2日 エコパ 磐田 2-0 名古屋 29,763
2003年 3月21日 エコパ 磐田 2-4 横浜FM 32,930
2004年 3月13日 ヤマハ 磐田 2-0 東京V 15,088
2005年 3月5日 日産ス 横浜FM 0-1 磐田 41,868
2006年 3月5日 エコパ 磐田 1-1 福岡 28,564
2007年 3月4日 4-0 磐田 10,960
2008年 3月9日 2-0 磐田 11,210
2009年 3月7日 ヤマハ 磐田 2-6 山形 12,141
2010年 3月6日 ヤマハ 磐田 0-1 仙台 10,440
2011年 3月5日 中銀スタ 甲府 0-1 磐田 15,040
2012年 3月10日 札幌ド 札幌 0-0 磐田 25,353
2013年 3月2日 豊田 名古屋 1-1 磐田 21,748
2014年 3月2日 J2 ヤマハ 磐田 0-1 札幌 11,730

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

表彰[編集]

個人記録[編集]

J1リーグ戦通算出場記録[編集]

  • 300試合出場
    • 鈴木秀人 328試合 引退
    • 駒野友一 327試合 継続中
    • 名波浩 314試合 引退
  • 250試合出場
    • 前田遼一 293試合 継続中
  • 200試合出場
    • 森下仁志 202試合 引退
  • 150試合出場
    • 阿部吉朗 180試合 継続中
    • 伊野波雅彦 166試合 継続中
    • 佐藤洋平 164試合 引退
    • 藤田義明 152試合 継続中
  • 100試合出場
    • 菅沼実 145試合 継続中
    • 山本康裕 115試合 継続中
    • 松岡亮輔 103試合 継続中

※2013年1月24日現在(2012年シーズン終了まで)。他チームでの出場も含む。 ※現在磐田に所属中、引退時に磐田に所属していた選手のみ記載。

リーグ戦通算最多得点[編集]

  • 中山雅史 157得点

リーグ戦記録ゴール[編集]

  • 6000得点目 鈴木秀人 【1999年2nd第12節(11月7日)・広島戦】

リーグ戦通算GK最小防御率[編集]

  • ヴァン・ズワム 0.89点

ハットトリック[編集]

Jリーグ ディビジョン1[編集]

  • 5得点
    • 中山雅史【1998年1st第6節(4月15日)・C大阪戦】
  • 4得点
    • 中山雅史【1998年1st第7節(4月18日)・広島戦】
    • 中山雅史【1998年1st第8節(4月25日)・福岡戦】
    • 高原直泰【2002年2nd第5節(9月22日)・FC東京戦】
  • 3得点
    • スキラッチ【1995年サントリー第20節(6月28日)・柏戦】
    • スキラッチ【1996年第14節(5月15日)・平塚戦】
    • 中山雅史【1997年2nd第13節(9月20日)・V川崎戦】
    • 中山雅史【1998年1st第9節(4月29日)・札幌戦】
    • 奥大介【1998年2nd第8節(9月26日)・市原戦】
    • 高原直泰【1998年2nd第8節(9月26日)・市原戦】
    • 中山雅史【1998年2nd第9節(10月3日)・横浜F戦】
    • 藤田俊哉【2000年1st第10節(5月3日)・川崎戦】
    • 中山雅史【2000年2nd第14節(11月23日)・広島戦】
    • 清水範久【2001年2nd第9節(10月17日)・FC東京戦】
    • 高原直泰【2002年1st第14節(8月10日)・仙台戦】
    • 前田遼一【2005年第15節(7月9日)・C大阪戦】
    • 前田遼一【2008年第28節(10月5日 ・札幌戦】
    • 前田遼一【2009年第30節(10月25日) ・名古屋戦】

エピソード[編集]

清水FC(エスパルス)との統合計画[編集]

  • Jリーグ加盟に際し、ヤマハサッカー部も当初は初年度からの加盟を目指した。清水市(現・静岡市)からも市民組織のクラブチーム・清水FC(エスパルスの母体)が結成され、Jリーグ加盟を目標に立てていた。
  • 全国大会の出場歴が全くなく、資金や選手補強などの面で劣る清水FCに対し日本サッカー協会のプロ化検討会は経営資金力強化、並びに当時は静岡県に複数のチームを加盟するのは時期尚早ということでヤマハサッカー部とのチーム統合を提案、ヤマハは単独クラブでのJリーグ参加を目指すとして拒否。
  • ヤマハ自体もプロチーム設立へ向けた法人化の手続きや、ホームスタジアムの整備などの準備面で清水に遅れをとり、初年度参加メンバーから落選。ヤマハはこの後1992年に地元企業やマスコミ団体などとの協力によりプロ化を念頭に置いた「株式会社ヤマハフットボールクラブ」を設立、1993年ジャパンフットボールリーグからJリーグ昇格の権利(2位以内)が与えられる準会員制度の適用第1号(他日立柏レイソルフジタ湘南ベルマーレ)となり、その年のリーグで準優勝してJリーグ昇格を決めた。

スタジアム・練習場[編集]

ホームスタジアム[編集]

ホームスタジアムはヤマハスタジアムであるが、静岡県小笠山総合運動公園スタジアム(エコパ)でも不定期にホームゲームを開催する。なお、過去に浜北市(現:浜松市)で計画された複合スタジアムについては浜北市#複合スタジアム構想を参照のこと。

大久保グラウンド[編集]

ジュビロのトップチームの練習会場である大久保グラウンドは、元々はヤマハ発動機野球部(現在はクラブチーム登録)の本拠地として使用された野球場だった。その後、ジュビロがJリーグに加盟したのと同時期に野球部がここから撤退し、事実上のジュビロ専用グラウンドとして使用されるようになった。その野球場時代の名残りからベンチルームの一部が残されている。バックスクリーンも長くマスコットとロゴマークが貼り付けられて残されていたが、今は撤去されている。また、現在はグラウンドに併設する形でクラブハウスが建っている(このグラウンドの北側にもう一面芝のグラウンドが作られている。こちらはラグビーチームのヤマハ発動機ジュビロが使用している。)。

なお、ジュビロはこのほか、ヤマハスタジアムに近い安久路(あくろ)公園の多目的球技場も練習場として使っており、こちらは主に少年チーム(ジュニアユース・ジュニアチーム)の練習や試合に使用されている。

ユニフォーム[編集]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 水色[1] [1] 水色[1]
FP(2nd) [1] [1] [1]
GK(1st)
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

チームカラー[編集]

  •     サックスブルー[1]
    • Jリーグ昇格以前の1stユニフォームは、濃い青色の上下に赤をアクセントとして使用、2ndユニフォームは白に赤と青のライン。
    • 2003年、クラブ創立10周年を記念して全身紺色(ヤマハ時代のものよりも更に濃い青色)の3rdユニフォームが用意され、ホームの清水戦で着用。
    • 2005年、レアル・マドリード及びバイエルン・ミュンヘンとの親善試合等で全身紺色(サックスブルーがアクセントとして使用されている)を着用。
    • 2006年からは練習試合用としてその年のリーグ戦のユニフォームを紺色にしたものが用意されている。
    • 背番号下のネームはオ段の伸びる音「H」が表記されている(ネーム導入後に在籍していた選手では大井健太郎OHI太田吉彰OHTA)。
    • エンブレム上(2011年までは襟後ろ)の3つの星(★)は3度のJ1年間優勝を表している。

ユニフォームスポンサー[編集]

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
ヤマハ発動機 YAMAHA 1993年、
2009年-
1997年-2008年までは袖、
2007年-2008年まではパンツ
背中 サーラグループ SALA 2011年- 2009年-2010年までは袖およびパンツ
浜松ホトニクス HAMAMATSU 2012年-
パンツ 静岡新聞社 静岡新聞 2014年-
  • 練習着 ヤマハ発動機 (YAMAHA)

AFCチャンピオンズリーグなどの国際試合では、規定によりスポンサーロゴ表示は1社のみとなることから、ヤマハ発動機(YAMAHA) のみの表示となる。

ユニフォームサプライの遍歴[編集]

  • 1994年 - 1996年: リーグ戦はミズノ、カップ戦はプーマ
  • 1997年 - 現在: プーマ

歴代ユニフォームスポンサー年表[編集]

年度 背中 パンツ サプライヤー
1993 YAMAHA PUMA
1994 Nestle Buitoni KitKat Mizuno/PUMA
1995
1996 KitKat
1997 Buitoni YAMAHA PUMA
1998 KINCHO
1999
2000
2001
2002 –/VW
2003 VW
2004
2005
2006 飯田産業 Nestle KitKat
2007 Nestle MILO YAMAHA
2008 joinvest ジョインベスト証券
2009 YAMAHA ARTNER SALA SALA
2010 銀座deフットサル
2011 SALA 百年住宅 アートネイチャー
2012 HAMAMATSU -/KONDO LEASE
2013 チェンジ
2014 静岡新聞

スポンサー[編集]

その他クラブ情報[編集]

ロゴマーク[編集]

静岡県鳥のサンコウチョウと「三つの光」=「月・日・星」、サッカーボールを表している。

クラブエンブレム[編集]

ロゴマーク、チーム名、ホームタウン磐田市を流れる天竜川と静岡県内の大河、大井川安倍川富士川を象徴する上下の青い帯が描かれている。

マスコットキャラクター[編集]

モチーフは静岡県の県鳥、サンコウチョウ[1]

ジュビロくん
1993年11月16日生まれ。磐田市出身。身長182センチ、体重78キロ。
ジュビィちゃん
2003年3月21日生まれ。浜松市出身。身長163センチ、体重52キロ。ジュビロくんのガールフレンド。結婚はしていない。

シーズンシート[編集]

シーズンシートは「コルテアズー(Corte Azul)」というネーミングがある。ポルトガル語で「水色の宮廷」の意味[7]

特別招待事業「磐田市小学生一斉観戦授業」[編集]

磐田市の地域社会への貢献の一環として、ジュビロでは選手の磐田市内全小学校への訪問事業を展開しているほか、毎年5月を基本として「磐田市民デー」を開催。この日、バックスタンドのフリーゾーンアウェー(一部除く)を貸切にして、地元の小学生5-6年生とその保護者を招き「磐田市小学生一斉観戦授業」を行っている。

ジュビロの試合観戦をすることにより、チームへの愛着はもとより、磐田市をふるさととして誇りに想う気持ちを共有し、将来にわたって磐田市を愛する気持ちを持続させることを目的として2011年より始めている。該当試合はフリーゾーンアウェイ席の販売を行わないほか、フリーゾーンホーム席の一部も招待客専用となる。[8][9]

オフィシャルテーマソング[編集]

1994年に発売されたDR(デ・レーテ)が歌っている「ジュビロ・オレ!」がジュビロ磐田のオフィシャルテーマソングになっている。

2013年8月3日に榛葉樹人が歌うクラブアンセム「フォッツァ ジュビロ! 〜歓喜への讃歌〜」が発表された。アンセムはホームゲームの選手入場時や勝利後にスタジアムで流れる[10]

シーズンソング[編集]

また、オフィシャルテーマソングの他にシーズンソングがあり、スタジアムやジュビロTV内などで流れている。

年度
タイトル
アーティスト
2011 ハレルヤ!!!!!!![11] ソナーポケット
2012 必死マン[12] シクラメン
2013 キミサンバ[13] GOLD RUSH
2014 ウィーアーワン[14] シクラメン

ジュビロTV[編集]

2011年より、クラブの企画・制作・撮影によるオリジナル番組『ジュビロTV』を開始。スタジアムのビジョンで上映される『ジュビロTV〜stadium channel〜』、SBSテレビ(静岡放送)で放送される『ジュビロTV〜SBS channel〜』、スカパー!で放送される『ジュビロTV PLUS』の3種類がある。また、2012年春からスマートフォンで視聴できる「ジュビロTVモバイル(会員登録必要)」がスタートした。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]