ジュビロ磐田
| ジュビロ磐田 | |
|---|---|
| 原語表記 | ジュビロ磐田 |
| 愛称 | ジュビロ |
| クラブカラー | サックスブルー[1] |
| 創設年 | 1972年 |
| 所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
| 所属ディビジョン | Jリーグ ディビジョン1 |
| クラブライセンス | J1・J2 |
| ホームタウン | 静岡県磐田市[1] |
| ホームスタジアム | ヤマハスタジアム[1] |
| 収容人数 | 16,893 |
| 運営法人 | 株式会社ヤマハフットボールクラブ |
| 代表者 | 吉野博行[1] |
| 監督 | |
| 公式サイト | 公式サイト |
| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 〒438-0025[1] 静岡県磐田市新貝2500[1] |
| 設立 | 1992年8月21日 |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | サッカークラブの運営他 |
| 代表者 | 吉野博行[1] |
| 資本金 | 6億7,900万円[2] |
| 売上高 | 31億5,100万円 (2012年3月期)[2] |
| 経常利益 | 2億5,100万円 (2012年3月期)[2] |
| 営業利益 | 2億3,200万円 (2012年3月期)[2] |
| 純利益 | 1億8,600万円 (2012年3月期)[2] |
| 純資産 | 5億2,300万円 (2012年3月期)[2] |
| 総資産 | 11億8,200万円 (2012年3月期)[2] |
| 決算期 | 3月期 |
| 主要株主 | ヤマハ発動機、ヤマハ他 |
| 外部リンク | http://www.jubilo-iwata.co.jp |
ジュビロ磐田(ジュビロいわた、Júbilo Iwata)は、日本の静岡県磐田市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。また、2005年4月よりジャパンラグビートップリーグに所属するヤマハ発動機ジュビロとチーム愛称を共有している。
目次 |
概要 [編集]
詳細は「ヤマハ発動機サッカー部」を参照
1972年創部のヤマハ発動機サッカー部を前身とする[1]。1994年にJリーグに正式加盟[1]。正式社名は「株式会社ヤマハフットボールクラブ」で[1]、母体となったヤマハ発動機など地元磐田市周辺企業が出資して設立された。チーム名の「ジュビロ」はポルトガル語(Júbilo)・イタリア語(Giubilo)で「歓喜」を意味する[1]。
ホームスタジアムは磐田市にあるヤマハスタジアムであり[1]、他に近接地の袋井市にある静岡県小笠山総合運動公園スタジアム(エコパスタジアム)を準本拠地とし、清水との静岡ダービーや浦和との対戦などで使用する。ホームタウンは磐田市[1]であり、近隣の浜松市、袋井市、掛川市などでもホームタウン活動を行っている。なお、試合開催時のシャトルバスは磐田駅と浜松駅から運行している。
通常の練習は同市内にあるヤマハ大久保グラウンドと[1]、隣接する磐田スポーツ交流の里・ゆめりあを使用している。また、女子サッカークラブとして「ジュビロ磐田レディース」(静岡県西部リーグ)、フットサルクラブとして「DELIZIA磐田(ジュビロ磐田フットサルクラブより改称)」を有する。
リーグ通算の勝利数、勝率ともに鹿島に次ぐ2位、ステージ優勝6回。また、アジアクラブ選手権でも3年連続で決勝進出を果たした実績を有する。
JリーグのMVPを4人輩出しており[3]、これは2012年シーズン終了時点でJリーグ最多の記録である。また、2012年シーズン終了時点で得点王を獲得した日本人は6人いるが、そのうち半分の3人はジュビロ磐田の選手である[4]。
歴史 [編集]
1990年代 [編集]
1993年のJFL1部で準優勝。昇格初年度の1994年のJリーグは12チーム中8位。 元日本代表監督のハンス・オフトを迎え、オランダ代表ファネンブルグ、元イタリア代表サルヴァトーレ・スキラッチ、ブラジル代表でキャプテンを務めたドゥンガなど大物外国人選手を相次いで補強し、同時に日本人選手の育成にかかった。 1994年に藤田俊哉・田中誠・奥大介、1995年に名波浩・福西崇史が、1996年には服部年宏が入団し、実業団時代からのメンバーである中山雅史・鈴木秀人らとレギュラーを確保していった。 固定化されたメンバーは次第に高度なチーム連携を実現し、黄金時代への布石となっていった。
- 2ndステージで初優勝。
- チャンピオンシップでは、この年のリーグ戦、ナビスコカップを通じて4連敗中だった(しかも直前のナビスコカップ決勝第2戦では1-5の完敗)鹿島を破り初の年間王者に輝いた。
- ドゥンガがMVPを獲得。
- また、ドゥンガと共に大神友明、名波、中山がベストイレブンに選出された。
- 1stステージで優勝。2ndステージは2位、ナビスコ杯は優勝。Jリーグチャンピオンシップは鹿島に敗れた。
- 中山が27試合出場で36得点(現在でもリーグ戦の最多得点記録)を記録し、MVP、得点王などの主要タイトルを総なめにした。
- この年のチーム全体で記録したリーグ戦107得点(1試合平均3.15点)、得失点差プラス68は現在も破られていない。
- 1998 FIFAワールドカップ日本代表として中山、名波、服部が出場し、ドゥンガがブラジル代表のキャプテンとして出場した。
- 中山、名波、ドゥンガ、奥がベストイレブンに選出された。
- この年限りでドゥンガが退団。
- 1stステージの優勝によりチャンピオンシップに出場し、清水を破り2度目の王者に輝いた.
- 上記の成績を残したものの、2ndステージは12位に終わっており、中山らは「年間を通して安定した戦いをしたのは清水だ」と語っている。
- なお、1stステージ後に名波浩がイタリア・セリエA、ACヴェネツィアへ移籍した。
- 福西が初のベストイレブンに選出。
2000年代 [編集]
2000年~2005年 [編集]
- ステージ優勝はなかったものの、FUJI XEROX SUPER CUPで初優勝。
- 9月に名波がイタリアから復帰。
- 年間順位は4位。年間勝ち点数は柏に次ぐ2位。
- 中山が2回目の得点王を獲得し(29試合20得点)、ベストイレブンに選出。
- 開幕8連勝の勢いで1stステージ優勝。2ndステージは鹿島に次いで2位。
- チャンピオンシップは鹿島に延長の末、敗退。
- ナビスコ杯は準優勝、天皇杯はベスト8。圧倒的な年間成績(26勝3敗1分)にも関わらず無冠のシーズンだった。
- 藤田がMVPを獲得。
- ヴァンズワム、大岩、藤田、福西、服部の5人がベストイレブンに選出された。
- Jリーグ史上初のリーグ戦前後期優勝を達成。
- 年間成績は昨年と全く同じだった(26勝3敗1分)。ただし、この年は市原だけには勝てなかった(リーグ戦1分1敗、天皇杯1敗)。
- 高原が得点王(27試合26得点)とMVPを獲得。シーズン終了後、高原はドイツ・ブンデスリーガのハンブルガーSVへ移籍した。
- 2002 FIFAワールドカップ日本代表に服部、福西、中山が選ばれ、出場した。
- ベストイレブンには1994年のV川崎に並ぶ同一チームからは史上最多タイの7人(田中、鈴木、名波、福西、藤田、中山、高原)が選ばれた。
- 前年に続いて採用された「N-BOX」は当時アジア最高と呼ばれた中盤での構成力[誰によって?]を大きく引き出し、磐田は2001年同様に2002年もJリーグの年間総合順位で2位に勝点15以上の差をつけ、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)の前身であるアジアクラブ選手権でも3年連続決勝進出を果たした。
- 成岡翔、大井健太郎、菊地直哉といった静岡県内の有望な高校生が入団。
- この年の後半に藤田がオランダのFCユトレヒトへレンタル移籍した(年明けに復帰)。
- 1stステージは横浜FMに勝ち点1及ばず2位。
- 2ndステージは14節の時点で首位に立ち、横浜FMとの最終戦を迎えた。
- 磐田は引き分けでも優勝が決まる状況だったが、1-1で迎えた後半ロスタイムに久保竜彦に劇的な決勝点を決められて敗れる。
- 得失点差で横浜FMが2ndステージ優勝。なお、磐田は年間成績で勝ち点1差の2位であった。
- ゼロックススーパーカップと天皇杯で優勝。
- ベストイレブンに福西が選ばれた。
- 1stステージは横浜FMに次ぐ勝ち点2差の2位。2ndステージは13位。
- 95年以来選出され続けてきたベストイレブンに一人も選出されなかった。
- ゼロックススーパーカップは2年連続で制した。
- 監督にアテネ五輪U-23日本代表元監督の山本昌邦が就任。市原から村井慎二と茶野隆行、デンマークリーグ・ノアシェランから日本代表GKの川口能活、京都から元韓国代表崔龍洙などを獲得した。
- 4月1日、ホームタウンの旧磐田市が周辺4町村と新設合併(名称は磐田市のまま)。
- 6月、出場機会が減っていた藤田が名古屋へ移籍。
- 成績はシーズン年間6位。
- カレン・ロバートがチーム初となる新人王を獲得。
2006年~2009年 [編集]
- 2006 FIFAワールドカップによる中断までの順位は暫定11位(G大阪はACLに参加した関係で消化試合数が1試合少ない)と低迷した。
- 更にナビスコ杯準々決勝で敗退(6月8日)した直後に2004年2ndステージ途中から2007年までの3年契約を結んでいた山本昌邦が監督を辞任。
- 後任には磐田黄金時代に選手として所属したアジウソンをコーチ陣と共に招聘。
- アジウソンの采配は日本では通用しない、と名波などに酷評されたものの(例えば、守備時にはボランチをリベロの位置まで下げてプレーさせるというものなど)、結果としては浦和、G大阪、川崎の上位3チームを撃破するなどして、5位。
- 川口がチーム4年ぶりとなるベストイレブンを受賞。
- 2006 FIFAワールドカップ日本代表として川口、福西が出場した。
- 2月、MF福西崇史がFC東京、服部、名波が東京Vへ移籍(名波はレンタル移籍)するなど、N-boxを構成したメンバーは全員チームを去った。
- 6月に菊地直哉が県の条例違反(淫行)容疑で逮捕(後に起訴猶予)、解雇された。
- 9月2日、成績不振を理由にアジウソンがコーチ陣と共に辞任。後任としてトップチームコーチ兼サテライトチーム監督である内山篤が昇格した。
- 磐田および札幌元監督の柳下正明がヘッドコーチに就任した。
- チームは若返り策を進めるが、年間成績は過去最低の9位で終えた。
- 再建を目指すべく積極的に選手補強を行い、広島から日本代表の駒野友一を、仙台から萬代宏樹を完全移籍で獲得。更にレンタル移籍をしていた河村崇大と名波を復帰させ、'02年のリーグ完全制覇以来となるリーグ優勝を目指した。
- 3月31日を以て、右近弘が任期を1年残して社長を退任。4月1日付で前ヤマハモーターパワープロダクツ社長の馬淵喜勇が社長に就任。
- しかし選手補強の効果も小さく、開幕から成績が低迷した。
- 9月1日、ハンス・オフトが監督に就任。オフトによる守備的サッカーにより一時は成績が上向いたものの全体的な調子は上がらず、最終節は大宮に0-1で敗れ、勝ち点で17位東京Vと並ぶ。得失点差で東京Vを上回っていた為にJ2への自動降格は免れたものの、J1・J2入れ替え戦へと回ることとなった。
- J2で3位の仙台と行われたJ1・J2入れ替え戦は第1戦のアウェーで1-1と引き分け、第2戦のホームゲームで2-1で勝利。松浦拓弥が全得点を挙げる活躍を見せたことで戦績を1勝1分(合計スコア:3-2)とし、J1残留を決めた。なお、入れ替え戦でのJ1所属チームの残留は2004年の柏以来4年ぶり。
「2008年J1最終節」も参照
「J1・J2入れ替え戦」も参照
- 入れ替え戦終了後、オフトが監督を退任。
- 馬淵社長が成績不振と大幅減収の責任をとり退任し、後任にヤマハモーター台湾社長の吉野博行が12月25日付けで就任。
- 名波浩がこの年限りで現役を引退。
- 2003年に監督を務め、内田、オフト両体制下でヘッドコーチを1年半務めた柳下正明が監督に就任。
- 河村崇大が東京V、森下俊が京都、田中誠が福岡へ完全移籍し、松井謙弥が京都へ期限付き移籍。
- 那須大亮を東京Vから獲得し、ユースからは2人が昇格した。
- 3月7日の開幕戦は、J1初昇格となった山形に2-6と言うチーム史上ワースト記録となる失点で敗戦。更に第2節ではG大阪に1-4でまたしても大量失点で敗戦。
- そのような危機的状況を打破する為、現役の韓国代表で欧州移籍を模索していて所属先が未定だったイ・グノを千葉など他クラブとの競合の末獲得した。イ・グノはデビュー戦となった第6節清水戦で2得点、次節の京都戦で1ゴール2アシストとチームの全得点に絡む活躍でシーズン初勝利、連勝に貢献。イ・グノは一度クラブを離れたが夏場には復帰し、最終的にシーズン通算で11得点を挙げた。
- 7月、押谷祐樹がFC岐阜へと期限付き移籍をした。
- 8月以降のゲームでは勝ったり負けたりが続きシーズン11位で終えたが、前田遼一が高原以来7年ぶりの日本人得点王を受賞する(34試合20得点)。
- 前田が自身初、クラブでは3年ぶりとなるベストイレブンを受賞。
- 11月、クラブは20年間所属しクラブの象徴でもあった中山雅史とJ加入時から所属していた鈴木秀人と来季の契約を更新しない事を発表した。
2010年代 [編集]
- 長年チームを支えた鈴木秀人が引退、中山雅史が札幌に完全移籍。
- 茶野隆行と村井慎二が古巣の千葉、萬代宏樹が鳥栖、前年京都へ期限付き移籍していた松井謙弥がC大阪へそれぞれ完全移籍。
- パク・チュホを鹿島から、イ・カンジンを釜山から、荒田智之を水戸から完全移籍で獲得した。
- 2010 FIFAワールドカップ日本代表に川口、駒野が選出され、駒野は全4試合にフル出場した。
- シーズン途中、イ・グノがG大阪、カレン・ロバートが熊本へと完全移籍した。
- 菅沼実と古賀正紘の両名を柏から期限付き移籍で獲得。
- ナビスコカップでは決勝で広島を延長戦の末5-3で破り、7年振りにタイトルを獲得した(ナビスコカップは12年ぶり)。最優秀選手には2ゴール1アシストを記録した前田遼一が選出された。
- 第17節終了時点で15位と序盤は低迷したが、川口が怪我から復帰した後半戦は第22節から第29節まで負けなしと好調に転じ、第32節では3連覇中の鹿島をアウェーで8年ぶりに破るなど7勝4敗6分と健闘した。しかし、最終節ではセレッソ大阪に2-6で惨敗。また引き分けも多く最終的には前年と同じ11位に留まった。
- 前田が17得点を挙げ、2000年の中山雅史以来となる通算2度目、そして史上初の2年連続のJリーグ得点王を獲得した(名古屋のケネディと同時受賞)。更に前田は2年連続2度目のベストイレブンに選ばれた。
- 12月5日、犬塚友輔との契約満了(後に甲府へ移籍)、大畑拓也の順天堂大学進学を発表した。
- 成岡翔が福岡、上田康太が大宮へと完全移籍。
- 松浦拓弥が福岡、大井健太郎が湘南へと期限付き移籍。
- 藤田義明を大分から完全移籍で、植村慶を湘南から期限付き移籍で獲得。
- 新人として小林裕紀と山田大記が明治大学から、金園英学が関西大学から入団。
- シーズン途中、開幕からスタメンに定着していたパク・チュホがFCバーゼルへと完全移籍。
- 7月29日、ブラジルの強豪サンパウロFCからブラジル人MFロドリゴ・ソウトを完全移籍で獲得。
- 8月3日、スルガ銀行チャンピオンシップ2011に出場。アルゼンチンのインデペンディエンテに2-2(PK 4-2)で勝利。国際大会優勝は12年ぶり。
- 開幕戦を6年ぶりに勝利し、リーグ戦は最高で5位まで浮上したが、最終的には8位でシーズンを終えた。
- 連覇を狙ったナビスコカップはベスト8、天皇杯は3回戦で敗退した。
- 大卒新人トリオが活躍し、金園と山田は翌年日本代表候補に選出された。
- シーズン終了後、柳下が監督を退任。
- 前年までコーチだった森下仁志が新監督に就任。
- ジウシーニョがコリンチャンス、本田慎之介がタイのブリーラム、イ・カンジンが韓国の全北現代、船谷圭祐が鳥栖、加賀健一がFC東京、那須大亮が柏、古賀正紘が福岡、さらに最古参選手であった西紀寛が東京Vへ、そして前年湘南に期限付き移籍をしていた大井健太郎は新潟へとそれぞれ完全移籍。岡田隆、荒田智之が福岡、千葉へと期限付き移籍。
- 千代反田充を名古屋から、阿部吉朗を湘南から、松岡亮輔を神戸から、チョ・ビョングクを仙台からそれぞれ完全移籍で獲得し、宮崎智彦を鹿島から、菅沼駿哉をG大阪から期限付き移籍で獲得。押谷祐樹、松浦拓弥がレンタル先の岐阜、福岡から復帰。
- 新人としてペク・ソンドンが韓国の延世大学から、櫻内渚が関西大学から、木下高彰が浜松開誠館高校からそれぞれ入団。
- 7月9日には韓国代表経験のあるハン・サンウンを韓国の城南一和天馬から完全移籍で、同24日には小林祐希を東京Vから期限付き移籍で獲得。
- リーグ戦の前半は好調で、最高で2位まで浮上するなど、途中までは上位争いをしていたが、後半戦に入ると徐々に調子を落とし、26節から33節にかけて8試合勝利なしなどが続いたことが響き、最終的には12位と昨年を下回る結果となってしまった。
- ナビスコカップはグループリーグ予選で、C大阪、仙台と同じく勝ち点12をあげて上位3つが並んだが、得失点差で3位となり、3年振りにグループリーグ敗退。
- 天皇杯は4回戦にて鹿島に敗れた。
- 黄誠秀が群馬、千代反田充が徳島、荒田智之が岡山、ハン・サンウンが韓国の蔚山現代FC、ロドリゴ・ソウトがブラジル1部のナウチコへそれぞれ完全移籍。竹重安希彦が新潟、押谷祐樹が岡山へそれぞれ期限付き移籍となり、岡田隆の移籍期限が延長となった。
- 前年度まで期限付き移籍で加入していた植村慶、菅沼駿哉、宮崎智彦、小林祐希の4人と新たに神戸から伊野波雅彦を完全移籍で獲得し、京都からチョン・ウヨンが期限付き移籍で加入した。
- 新人としては前年度まで磐田ユースに所属し、2種登録となっていた牲川歩見と関西大学から田中裕人が入団した。
- 開幕から9試合を終えて、17位と成績が振るわなかったことから、森下仁志監督の退任が発表され、長澤徹ヘッドコーチが暫定的に監督に就任した[7][8]。
- 5月19日、暫定的に指揮を執っていた、長澤徹はヘッドコーチに戻り、関塚隆が監督に就任する[9]。
成績 [編集]
詳細は「ジュビロ磐田の年度別成績一覧」を参照
Jリーグ開幕戦成績 [編集]
| 年度 | 月日 | 会場 | ホーム | 得点 | アウェイ | 観客数 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1994年 | 3月12日 | J | カシマ | 鹿島 | 1-0 | 磐田 | 13,990 |
| 1995年 | 3月18日 | 市原臨海 | 市原 | 1-0 | 磐田 | 13,637 | |
| 1996年 | 3月16日 | ヤマハ | 磐田 | 3-0 | 福岡 | 13,439 | |
| 1997年 | 3月12日 | ヤマハ | 磐田 | 2-1 | 広島 | 9,545 | |
| 1998年 | 3月21日 | ヤマハ | 磐田 | 2-0 | 京都 | 15,574 | |
| 1999年 | 3月6日 | J1 | ヤマハ | 磐田 | 3-1 | 神戸 | 13,349 |
| 2000年 | 3月11日 | ヤマハ | 磐田 | 0-1 | 柏 | 14,056 | |
| 2001年 | 3月10日 | ヤマハ | 磐田 | 4-1 | 市原 | 15,246 | |
| 2002年 | 3月2日 | エコパ | 磐田 | 2-0 | 名古屋 | 29,763 | |
| 2003年 | 3月21日 | エコパ | 磐田 | 2-4 | 横浜FM | 32,930 | |
| 2004年 | 3月13日 | ヤマハ | 磐田 | 2-0 | 東京V | 15,088 | |
| 2005年 | 3月5日 | 日産ス | 横浜FM | 0-1 | 磐田 | 41,868 | |
| 2006年 | 3月5日 | エコパ | 磐田 | 1-1 | 福岡 | 28,564 | |
| 2007年 | 3月4日 | 日立柏 | 柏 | 4-0 | 磐田 | 10,960 | |
| 2008年 | 3月9日 | 日立柏 | 柏 | 2-0 | 磐田 | 11,210 | |
| 2009年 | 3月7日 | ヤマハ | 磐田 | 2-6 | 山形 | 12,141 | |
| 2010年 | 3月6日 | ヤマハ | 磐田 | 0-1 | 仙台 | 10,440 | |
| 2011年 | 3月5日 | 中銀スタ | 甲府 | 0-1 | 磐田 | 15,040 | |
| 2012年 | 3月10日 | 札幌ドーム | 札幌 | 0-0 | 磐田 | 25,353 | |
| 2013年 | 3月2日 | 豊田 | 名古屋 | 1-1 | 磐田 | 21,748 | |
タイトル [編集]
国内タイトル [編集]
- Jリーグ ディビジョン1
- 天皇杯:1回
- リーグカップ:2回
- スーパーカップ:3回
- 2000, 2003, 2004
国際タイトル [編集]
- アジアクラブ選手権:1回
- アジアスーパーカップ:1回
- 1999
- スルガ銀行チャンピオンシップ:1回
表彰 [編集]
- JリーグMVP
- 1996年: 名波浩
- 1997年: 大神友明、ドゥンガ、名波浩、中山雅史
- 1998年: 田中誠、奥大介、ドゥンガ、名波浩、藤田俊哉、中山雅史
- 1999年: 福西崇史
- 2000年: 中山雅史
- 2001年: ヴァンズワム、大岩剛、服部年宏、福西崇史、藤田俊哉
- 2002年: 鈴木秀人、田中誠、名波浩、福西崇史、藤田俊哉、高原直泰、中山雅史
- 2003年: 福西崇史
- 2006年: 川口能活
- 2009年: 前田遼一
- 2010年: 前田遼一
- 2012年: 駒野友一
- Jリーグ得点王
- Jリーグ新人王
- Jリーグフェアプレー賞
- フェアプレー賞/高円宮杯:1回
- 2008年: 川口能活
個人記録 [編集]
J1リーグ戦通算出場記録 [編集]
- 400試合出場
- 川口能活 400試合 継続中
- 300試合出場
- 鈴木秀人 328試合 引退
- 駒野友一 327試合 継続中
- 名波浩 314試合 引退
- 250試合出場
- 前田遼一 293試合 継続中
- 200試合出場
- 金沢浄 221試合 継続中
- 森下仁志 202試合 引退
- 150試合出場
- 阿部吉朗 180試合 継続中
- 伊野波雅彦 166試合 継続中
- 佐藤洋平 164試合 引退
- 藤田義明 152試合 継続中
- 100試合出場
- 菅沼実 145試合 継続中
- 山本康裕 115試合 継続中
- 松岡亮輔 103試合 継続中
※2013年1月24日現在(2012年シーズン終了まで)。他チームでの出場も含む。 ※現在磐田に所属中、もしくは、引退時に磐田に所属していた選手のみ記載。
リーグ戦通算最多得点 [編集]
- 中山雅史 157得点
リーグ戦記録ゴール [編集]
- 6000得点目 鈴木秀人 【1999年2nd第12節(11月7日)・広島戦】
リーグ戦通算GK最小防御率 [編集]
- ヴァン・ズワム 0.89点
ハットトリック [編集]
- 5得点
- 中山雅史【1998年1st第6節(4月15日)・C大阪戦】
- 4得点
- 中山雅史【1998年1st第7節(4月18日)・広島戦】
- 中山雅史【1998年1st第8節(4月25日)・福岡戦】
- 高原直泰【2002年2nd第5節(9月22日)・FC東京戦】
- 3得点
- スキラッチ【1995年サントリー第20節(6月28日)・柏戦】
- スキラッチ【1996年第14節(5月15日)・平塚戦】
- 中山雅史【1997年2nd第13節(9月20日)・V川崎戦】
- 中山雅史【1998年1st第9節(4月29日)・札幌戦】
- 奥大介【1998年2nd第8節(9月26日)・市原戦】
- 高原直泰【1998年2nd第8節(9月26日)・市原戦】
- 中山雅史【1998年2nd第9節(10月3日)・横浜F戦】
- 藤田俊哉【2000年1st第10節(5月3日)・川崎戦】
- 中山雅史【2000年2nd第14節(11月23日)・広島戦】
- 清水範久【2001年2nd第9節(10月17日)・FC東京戦】
- 高原直泰【2002年1st第14節(8月10日)・仙台戦】
- 前田遼一【2005年第15節(7月9日)・C大阪戦】
- 前田遼一【2008年第28節(10月5日 ・札幌戦】
- 前田遼一【2009年第30節(10月25日) ・名古屋戦】
エピソード [編集]
清水FC(エスパルス)との統合計画 [編集]
- Jリーグ加盟に際して、ヤマハサッカー部も当初は初年度からの加盟を目指そうとした。しかし、清水市(現・静岡市)からも市民組織のクラブチーム・清水FC(エスパルスの母体)が結成され、Jリーグ加盟を目標に立てていた。
- だが全国大会の出場歴が全くなく、資金や選手補強などの面で劣る清水FCに対し日本サッカー協会のプロ化検討会は経営資金力強化、並びに当時は静岡県に複数のチームを加盟するのは時期尚早ということでヤマハサッカー部とのチーム統合を提案するが、ヤマハはあくまでも単独チームでのJリーグ参加を目指すとしてこれを拒否。
- またヤマハ自体もプロチーム設立へ向けた法人化の手続きや、ホームスタジアムの整備などの準備面で清水に遅れをとったのが災いし、結局初年度参加メンバーから落選することになる。ヤマハはこの後1992年に地元企業やマスコミ団体などとの協力によりプロ化を念頭に置いた「株式会社ヤマハフットボールクラブ」を設立し、1993年にジャパンフットボールリーグからJリーグ昇格の権利(2位以内)が与えられる準会員制度の適用第1号(他日立→柏レイソル、フジタ→湘南ベルマーレ)となり、その年のリーグで準優勝してJリーグ昇格を決めた。
代行監督で日本一 [編集]
磐田の基礎を固めたハンス・オフトは1996年シーズンを持って勇退。 彼は育成型監督であり、目の前の状況に対応する方法は持ち合わせていなかった。またオランダ人特有のパスを流麗に廻すサッカーを志向するが、フィニッシュのアイディアに乏しく、規律に拘るあまりチャレンジを避ける攻撃に、周囲が行き詰まりを感じていた。オフト自身もこの点をよく承知しており「今度は南米の監督を招請した方がよいと思う」とのアドバイスを残していった為、フロントはブラジルの名門・グレミオを南米王者に導いたルイス・フェリペ・スコラーリを監督として招聘した。
ブラジル南部では華やかなサッカーよりも激しいフィジカルコンタクトを厭わない、アルゼンチン的なサッカーの流れがあり、それがフェリペ・スコラーリのサッカーの下地である。直前に監督をしていたグレミオも強固でアグレッシブな守備と、そこからのスピードを生かしたカウンター攻撃のチームだった。そうしたエッセンスを磐田に持ち込み、オフトが構築したパスサッカーの遺産の上に、攻撃の際のチャレンジ・玉際の強さ・激しさ・狡猾さ等を新たに植え付け新しいチームを作りつつあった。しかし、1stステージの第11節終了後の5月下旬、パルメイラスからのオファーを受けて退任。内部での衝突もあったと言われている。
そこで、新監督が見つかるまでの指揮官として、前年(1996年)にチームの強化アドバイザーに就任、フェリペの下ではヘッドコーチ格を務めていた桑原隆を起用することにした。しかし、桑原は当時正式な監督として登録するのに必要な公認S級指導者ライセンスを保持していなかった為、代行監督という形で指揮を執ることになった。桑原代行監督は、U-20日本代表チーム監督から復帰した山本昌邦をヘッドコーチに迎え、「フェリペの守備・オフトの中盤・桑原の前線」(桑原談)の3つをミックスしたチームを作り上げ、2ndステージで待望の初タイトルを獲得。チャンピオンシップでも中山雅史の3ゴールを挙げる活躍で鹿島を下し、見事Jリーグの頂点に登りつめ、ジュビロ黄金時代をスタートさせた。
桑原は翌1998年にS級ライセンスを取得。1999年、2004年にそれぞれ1シーズンずつ正式な監督として登録された。
大久保グラウンド [編集]
ジュビロのトップチームの練習会場である大久保グラウンドは、元々はヤマハ発動機野球部(現在はクラブチーム登録)の本拠地として使用された野球場だった。その後、ジュビロがJリーグに加盟したのと同時期に野球部がここから撤退し、事実上のジュビロ専用グラウンドとして使用されるようになった。その野球場時代の名残りからベンチルームの一部が残されている。バックスクリーンも長くマスコットとロゴマークが貼り付けられて残されていたが、今は撤去されている。また、現在はグラウンドに併設する形でクラブハウスが建っている(このグラウンドの北側にもう一面芝のグラウンドが作られている。こちらはラグビーチームのヤマハ発動機ジュビロが使用している。)。
クラブハウスが出来る前は1塁ベンチでトップ選手が着替えを行っていたと言われている。[要出典]現在もチームとA契約(出場規定の450分に達している選手)を結んでいない選手は1塁ベンチ横の小部屋で着替えを行っている。
なお、ジュビロはこのほか、ヤマハスタジアムに近い安久路(あくろ)公園の多目的球技場も練習場として使っており、こちらは主に少年チーム(ジュニアユース・ジュニアチーム)の練習や試合に使用されている。
新スタジアム構想 [編集]
ヤマハ発動機東山総合グラウンドを増築・改修したヤマハスタジアムがホームスタジアムであるが、1993年頃は静岡県浜北市(現在は浜松市浜北区)との広域ホームタウン化計画を持っていた。
静岡県西部ではヤマハスタジアムの他にHonda FCの都田グラウンドや静岡県遠州灘海浜公園球技場が全国規模のサッカーリーグで使用されていたが、ヤマハスタジアム以外はJリーグ規格(15,000人以上収容)のスタジアムではなく、また施設の用地スペースや遠州灘海浜公園の場合は周囲がアカウミガメの産卵地であることから夜間照明設備を設置することができないなどの理由でJリーグ規格に造り替えることが困難だった。また、ヤマハスタジアム自体も周辺にヤマハ発動機の本社工場オフィスや福利厚生施設などがある為、スタンド増築(現在は16,893人収容)にも限界があった。
そこで、旧浜北市に3-5万人収容規模のサッカー専用スタジアムとアリーナ(体育館)、商業施設を兼ね備えた本格的な複合施設を建設し、それをジュビロのホームスタジアムの一つに加える計画を持っていた。またこれと時を同じくして、ジュビロのホームタウンである磐田市でも3万人収容規模の新スタジアム建設計画が持ち上がっていた。
ところがその後の長期不況により行政の予算が制限されたことや、2002 FIFAワールドカップで使用するスタジアムとして、磐田市に隣接する袋井市と掛川市の市境にエコパスタジアムが建設されたことなどもあって、その計画は頓挫してしまった(この件についてはNHK総合テレビ・クローズアップ現代など数多くのテレビ番組でも取り上げられた)。
なお、ジュビロでは2012年シーズン終了後から2013年夏ごろをめどにヤマハスタジアムの増築・改修を予定している。
ユニフォーム [編集]
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チームカラー [編集]
- チームカラーは サックスブルー[1]。
- Jリーグ昇格以前の1stユニフォームは、濃い青色の上下に赤をアクセントとして使用、2ndユニフォームは白に赤と青のライン。当時Jリーグに昇格した時に「青い(特に濃い青)ユニフォームを使っているチームが多いので、別の色にして欲しい」とJリーグ側からの依頼があったために、同じ青色ではあるが濃い青色からサックスブルー(天竜川をイメージするとして)に変更したという。[要出典]
- 後述するように1997年からユニフォームがプーマの1社供給になってからは、紺色を組み合わせたパターンを採用したものも多い。これは元来の色というよりも初代監督のオフトが「薄すぎるとあまり強そうに見えない。アクセントとして黒や紺を配したほうがいいのでは」と指摘したことによるものとされる。[要出典]なお、現在のユニフォームは初期のユニフォームよりも素材の関係もあってかサックスブルー自体もやや濃くなっている。
- 上記の事もあり、2003年にはクラブ創立10周年を記念して全身紺色(ヤマハ時代のものよりも更に濃い青色)の3rdユニフォームが用意され、ホームの清水戦でのみ着用された。また2005年にレアル・マドリード及びバイエルン・ミュンヘンとの親善試合等で同様に全身紺色(サックスブルーがアクセントとして使用されている)を使用し、2006年からは練習試合用のユニとしてその年のリーグ戦のユニフォームを紺色にしたものが用意されている。
- 背番号下のネームは、Jチームでは珍しくオ段の伸びる音「H」が表記されている(ネーム導入後に在籍していた選手では大井健太郎→OHI、太田吉彰→OHTA)。
- エンブレム上(2011年までは襟後ろ)に星が3つついている。これは年間優勝の回数を表す。
ユニフォームスポンサー [編集]
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 胸 | ヤマハ発動機 | YAMAHA | 1993年、 2009年〜 |
1997年〜2008年までは袖、 2007年〜2008年まではパンツ |
| 背中 | サーラグループ | SALA | 2011年〜 | 2009年〜2010年までは袖およびパンツ |
| 袖 | 浜松ホトニクス | HAMAMATSU | 2012年〜 | |
| パンツ | チェンジ | チェンジ | 2013年〜 |
- 練習着 ヤマハ発動機 (YAMAHA)
AFCチャンピオンズリーグなどの国際試合では、規定によりスポンサーロゴ表示は1社のみとなることから、ヤマハ発動機(YAMAHA) のみの表示となる。
ユニフォームサプライの遍歴 [編集]
歴代ユニフォームスポンサー年表 [編集]
| 年度 | 胸 | 袖 | 背中 | パンツ | サプライヤー |
| 1993 | YAMAHA | – | – | – | PUMA |
| 1994 | Nestle | KitKat | Buitoni | Mizuno/PUMA | |
| 1995 | |||||
| 1996 | – | KitKat | |||
| 1997 | YAMAHA | Buitoni | PUMA | ||
| 1998 | KINCHO | ||||
| 1999 | |||||
| 2000 | |||||
| 2001 | |||||
| 2002 | –/VW | ||||
| 2003 | VW | ||||
| 2004 | |||||
| 2005 | |||||
| 2006 | 飯田産業 | Nestle KitKat | – | ||
| 2007 | Nestle MILO | YAMAHA | |||
| 2008 | joinvest ジョインベスト証券 | ||||
| 2009 | YAMAHA | SALA | ARTNER | SALA | |
| 2010 | 銀座deフットサル | ||||
| 2011 | 百年住宅 | SALA | アートネイチャー | ||
| 2012 | HAMAMATSU | -/KONDO LEASE | |||
| 2013 | チェンジ |
スポンサー [編集]
スポンサーについては、スポンサー一覧を参照
歴代監督 [編集]
| 長澤和明 | 1991-1993 | |
| ハンス・オフト | 1994-1996 | |
| ルイス・フェリペ・スコラーリ | 1997.2-1997.5 | |
| 桑原隆 | 1997.6-1997.12 (監督代行) | |
| バウミール | 1998 | |
| 桑原隆 | 1999 | |
| ハジェヴスキー | 2000.2-2000.9 | |
| 鈴木政一 | 2000.10-2002 | |
| 柳下正明 | 2003 | |
| 桑原隆 | 2004.2-2004.9 | |
| 鈴木政一 | 2004.9-2004.11 | |
| 山本昌邦 | 2004.11-2006.6 | |
| アジウソン | 2006.6-2007.9 | |
| 内山篤 | 2007.9-2008.8 | |
| ハンス・オフト | 2008.9-2008.12 | |
| 柳下正明 | 2009-2011 | |
| 森下仁志 | 2012-2013 | |
| 長澤徹 | 2013 (監督代行) | |
| 関塚隆 | 2013- |
チームスローガン [編集]
| 年度 | スローガン |
| 2007 | VAMOS CONTIGO |
| 2008 | Hungrrrrry! |
| 2009 | SPEEDY ACTION 2009 |
| 2010 | EVOLUTION 2010 |
| 2011 | ROAD TO CHAMPION 2011 |
| 2012 | 原点開起 ROAD TO CHAMPION 2012 |
| 2013 | 原点開起 ROAD TO CHAMPION 2013 |
ダービーマッチ [編集]
清水エスパルスとの対戦。
詳細は「静岡ダービー」を参照
その他クラブ情報 [編集]
ロゴマーク [編集]
「ツキ・ヒ・ホシ・ホイホイホイ」と鳴くことから「三つの光の鳥」=「三光鳥」と名づけられた静岡県鳥のサンコウチョウと「三つの光」=「月・日・星」、サッカーボール。
クラブエンブレム [編集]
ロゴマーク、チーム名、ホームタウン磐田市を流れる天竜川と静岡県内の大河、大井川、安倍川、富士川を象徴する上下の青い帯が描かれている。
マスコットキャラクター [編集]
- ジュビロくん
- 1993年11月16日生まれ。磐田市出身。身長182センチ、体重78キロ。
- ジュビィちゃん
- 2003年3月21日生まれ。浜松市出身。身長163センチ、体重52キロ。ジュビロくんのガールフレンド。結婚はしていない。
シーズンシート [編集]
ヤマハスタジアムにおけるシーズンシート(年間予約席)は「コルテアズー(Corte Azul)」というネーミングがある。ポルトガル語で「水色の宮廷」の意味。
特別招待事業「磐田市小学生一斉観戦授業」 [編集]
ホームタウン・磐田市の地域社会への貢献の一環として、ジュビロでは選手の磐田市内全小学校への訪問事業を展開しているほか、毎年5月を基本として「磐田市民デー」を開催。この日、バックスタンドのフリーゾーンアウェー(一部除く)を貸切にして、地元の小学生5-6年生とその保護者を招き「磐田市小学生一斉観戦授業」と銘打った公開授業会を行っている。(いわゆる「貸切興行」であるが、それ以外のゾーンは一般発売されており、完全な貸切ではない)
ジュビロ磐田の試合観戦をすることにより、チームへの愛着はもとより、磐田市をふるさととして誇りに想う気持ちを共有し、将来にわたって磐田市を愛する気持ちを持続させることを目的として2011年より始めている。該当試合はフリーゾーンアウェイ席の販売を行わないほか、フリーゾーンホーム席の一部も招待客専用となる。[10][11]
ジュビロTV [編集]
2011年より、クラブの企画・制作・撮影によるオリジナル番組「ジュビロTV」を開始。スタジアムのビジョンで放送される「ジュビロTV~stadium channel~」、静岡放送で放送される「ジュビロTV~SBS channel~」、スカパー!で放送される「ジュビロTV PLUS」の3種類がある。また、2012年春からスマートフォンで視聴できる「ジュビロTVモバイル(会員登録必要)」がスタートした。
脚注 [編集]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s クラブガイド:ジュビロ磐田 Jリーグ公式サイト
- ^ a b c d e f g 2011年度Jクラブ情報開示 資料 (PDF) Jリーグ公式サイト
- ^ ドゥンガ(1997年)、中山雅史(1998年)、藤田俊哉(2001年)、高原直泰(2002年)
- ^ 中山雅史(1998年・2000年)、高原直泰(2002年)、前田遼一(2009年・2010年)。ジュビロ磐田に在籍していない日本人選手で得点王になったのは、福田正博(浦和)、三浦知良(V川崎)、佐藤寿人(広島)のみ。
- ^ 同大会のグループリーグでは、「銀河系軍団」の名を馳せUEFAチャンピオンズリーグを1999-2000年シーズンに優勝していたレアル・マドリード(スペイン)と初戦で対戦し、続いてロサンゼルス・ギャラクシー(CONCACAFチャンピオンズリーグ2000年シーズン優勝、アメリカ合衆国)やアクラ・ハーツ・オブ・オーク(CAFチャンピオンズリーグ2000年シーズン優勝、ガーナ)との対戦が予定されていた。
- ^ 同選手権は2006年にFIFAクラブワールドカップへと改組され、日本からは今まで浦和レッズ・ガンバ大阪・柏レイソルの3チームが出場しているが、本来は磐田が初の出場チームとなるはずだった。
- ^ チーム 森下仁志監督 退任のお知らせ ジュビロ磐田 公式サイト (2013年5月4日)
- ^ 磐田 森下監督退任を発表 17位低迷…長澤コーチが暫定指揮 スポニチアネックス 2013.5.4付ニュース
- ^ 関塚隆監督就任について ジュビロ磐田 公式サイト 2013年5月19日付
- ^ http://www.jubilo-iwata.co.jp/newslist/detail/?nw_seq=2632
- ^ http://www.jubilo-iwata.co.jp/newslist/detail/?nw_seq=2588
関連項目 [編集]
- ジュビロ磐田の選手一覧
- 静岡ダービー
- 東海チャンピオンシップ
- ヤマハ発動機ジュビロ
- 静岡産業大学サッカー部 (ジュビロと技術提携を結んでいる)
- 静産大磐田ボニータ(磐田市に本拠地を置く女子サッカークラブチーム)
- アスルクラロ沼津 (ジュニアユース「ACNジュビロ沼津」と提携中)
- Ole Ole Jubilo (K-MIXで、ジュビロ磐田を応援するラジオ番組)
- SBSビッグナイター (SBSラジオで、ホームゲームの一部をラジオ中継)
- 浜松エフエム放送 (浜松市のコミュニティFMで、ホーム&アウェイ全試合を生中継)
- 杉山直 (ジュビロ磐田のスタジアムDJ)
外部リンク [編集]
- 公式ウェブサイト (携帯)
- ジュビロ磐田 - Facebook
- ジュビロ磐田 (Jubiloiwata_YFC) - Twitter
- ジュビロ磐田 公式動画サイト - 公式YouTubeチャンネル
- ジュビロショップ(jubilo_shop) - Facebook
- 静岡新聞SBS
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