亀岡市

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かめおかし
亀岡市
Hozu river rafting01.jpg
Flag of Kameoka, Kyoto.svg
亀岡市旗
Kameoka Kyoto chapter.JPG
亀岡市章
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
団体コード 26206-4
面積 224.90km²
総人口 92,079
推計人口、2011年12月1日)
人口密度 409人/km²
隣接自治体 京都府:京都市南丹市
大阪府:能勢町豊能町茨木市高槻市
市の木 サクラ
市の花 ツツジ
亀岡市役所
所在地 〒621-8501
京都府亀岡市安町野々神8番地
市役所風景
外部リンク 亀岡市

亀岡市位置図(京都府)

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村
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亀岡市(かめおかし)は、京都府の中西部に位置するである。

目次

[編集] 概説

旧名は亀山。亀岡市は旧丹波国の最南端に位置し、山城国摂津国の境目となる。旧丹波国の中では人口は最多であり、旧丹波国内の中心都市であった。戦国時代末期に明智光秀丹波亀山城城下町を築いたことが近代亀岡の礎となった。しかし、現在では京都大阪衛星都市の側面を持つようになった。なお、南丹市船井郡京丹波町と併せて口丹波口丹南丹と称することもある。

[編集] 地理

亀岡市は、亀岡盆地及び周辺山地を中心に位置している。亀岡盆地のほぼ中央を大堰川・保津川(桂川)が流れる。周辺山地には丹波高地等が亀岡市域に迫り出しており、山間部には東別院町・本梅町・畑野町等の地区があり、桂川水系ではない。

亀岡盆地は太古は大きな湖であり、風が吹くと美しい丹色の波が立ったところから、このあたりを丹のうみ・丹波と呼ぶようになったとされており、出雲神話で有名な大国主命が亀岡と嵐山の間にある渓谷を切り開いて水を流し土地を干拓して、切り開いた渓谷を妻神「三穂津姫命」の名前にちなみ保津川保津峡と名付けたという伝説も残っており、出雲大神宮(千歳町)の祭神となっている[1]。湖だったことを示す地層も明らかになっている[2][3]

桂川を大堰川と呼ぶ名称は、渡来人である秦氏がつくった農業用の「堰」に由来する。徒然草(第五十一段)では「大井川」となっており、大井町にある大井神社に由来する。また、保津町請田から京都市嵐山までは保津川と呼び慣わしている。その他、流域によって大川、千歳川などの名称で呼ばれている[4]

馬路・千歳・河原林・旭の各町がある大堰川(保津川)左岸は総称して川東と呼ばれ、愛宕山系の扇状地であり、同山系を水源とする七谷川三俣川は高低差が激しく、よく氾濫したという。

気候は内陸性気候。気象台区分としては、亀岡市域を京都市・山城地域の京都府南部に含んでいる。しかし、晩秋から早春にかけて亀岡盆地名物の深い(「霧の都 亀岡」とも言われる所以)が発生しており、この季節に京都市内から保津峡や老ノ坂峠を経て市内へ入ると景色が一変する。霧の規模は全国的に有名で、最大、正午過ぎまで晴れないことも多い。衛星写真では亀岡市全体が霧の影響で白く写ることもある。自動車のフォグランプを必要と感じることが多いため、その装着率が高い。[要出典]

濃霧の中を走る嵯峨野線列車(馬堀駅)


亀岡市街地は保津川(大堰川)より低地であるうえに、保津峡でせき止められることにより逆流を原因とする水害が多発していた。この洪水は日吉ダムの開設により一応は解決しているものの、遊水池となっていたJR嵯峨野線と保津川(大堰川)の間には殆ど建築物がない。しかし、嵯峨野線複線化と併せて新たな都市開発の構想がある。

大都市に隣接しながらも、水田生態系が豊富に残されており、アユモドキ(国の天然記念物)やオオサンショウウオ(特別天然記念物)、ホトケドジョウが観察されているが都市開発による減少が心配されている。中でも、アユモドキは環境省レッドデータブックで絶滅危惧IA類、京都府レッドデータブックで絶滅寸前種となっている。

[編集] 歴史

古代には馬路町・千歳町出雲等の大堰川(保津川)左岸の川東に古墳が多く見られ大豪族がいた地域と見られており、千歳町国分地区に国分寺が置かれている。日本書紀には、6世紀の初め、皇位継承者の途絶えた朝廷が、天皇の血筋にあった倭彦王を迎えようとしたと記されています。丹波の桑田郡、つまり現在の亀岡にいた倭彦王は、迎えの兵に驚いて逃亡したため、その後、朝廷は、越前から継体天皇を迎えたとされています。継体天皇元年に初めて神殿が建立された愛宕神社出雲大神宮立命館大学創立者の中川小十郎の子息である有名な彫刻家流政之氏のくぐりほていがある養仙寺もあるなど歴史的に古い地域である。諸説あるが、大堰川右岸の千代川町に丹波国府が置かれたとも言われている。京都との国境の大枝には酒呑童子が居たと言われ、源頼光によって討伐されたという伝説がある。この伝説のためか、湯の花温泉入り口には鬼の立像がある。

薭田野町・曽我部町に佐伯神社穴太寺神蔵寺など由緒ある重要な寺社も多い。亀岡地域の伝統を物語るものだろう。

現在の亀岡市街地から篠町にかかる地域は4世紀ころまでは湖沼地だったらしいが、秦氏の大堰川(保津川)治水工事などにより利用可能な土地となると、桑田神社屯倉が建立されたりして人の移住が見られた。市街中央部から稗田野地区まで広範囲に条里制が敷かれたようだ。

78世紀ころには山陰道国府を結ぶ山陰道が設けられ、また現在の京都市右京区京北地域にあたる弓削郷・山国郷などの木材が桂川に乗って京都へ運ばれるようになると、亀岡周辺は保津峡直前の船待ち場として発展した。愛宕山の登山口に位置している長谷付近は、戦前までは参拝客でにぎわったと言う。京都・山城から山陰へは当市域が入り口に当たるため、山城との境に当たる老の坂峠・王子宿には多くの宿場が立ち並んだ。また土地の私有が可能になると、小川荘や桑田荘・矢田荘および加舎荘などの荘園が開発された。

平安時代中期には吉冨荘とともに亀岡市域は源氏の領地であったと考えられる。以仁王に従った摂津源氏源頼政の墓がつつじヶ丘地区にある。また篠町には足利尊氏の挙兵の地となった篠村八幡宮があるなど当市域は鎌倉南北朝時代を通じて源氏の一拠点となった。石門心学石田梅岩、画家・円山応挙、医者・山脇東洋も亀岡市域の出身者である。また、摂津国福原一ノ谷に向かう途中に通過した源義経那須与一などのほかに安倍晴明文覚一遍蓮如、明智光秀、小早川秀秋角倉了以を始めとして亀岡にゆかりのある著名人は多い。

安土桃山時代に入って明智光秀が丹波統治のため古世地区に丹波亀山城を築き城下町を形成したことによって、亀岡は近代的な発展を遂げる。明智滅亡後も豊臣徳川政権下において丹波亀山城には羽柴秀勝(於次、信長四男)、豊臣秀勝(小吉、秀吉の甥)、小早川秀秋、前田玄以岡部長盛ら信任ある人間が配置されるなど京都の西北の入り口として重要視され続けた。亀山藩主は代々老中寺社奉行京都所司代大坂城代等の要職を務めたために出費は大きなものであったようだ。このため、たびたび重税が課せられ、亀山藩支配下の村々はみな疲弊したという。

角倉了以の保津川開削以後、桂川の輸送力が強化されると、丹波と京都の中継地点として亀岡市域内の宇津根・馬路・保津・山本が栄えた。桂川水運は大正時代まで連綿と続いた。また、京街道山陰街道および摂丹街道の分岐点が城下の追分に設けられて発展した。

明治2年三重県亀山市と混同するので、亀山から亀岡へと改称される。明治4年廃藩置県で亀岡県。同年に京都府所属となる。1899年、京都鉄道が園部まで開通、この時に亀岡駅ができた。宗教法人大本本部が亀山城跡に置かれている。

[編集] 旧西別院村 牧・寺田両地区の分離

西別院村には、ほぼ中心にそびえる鴻応山(こうのやま)を取り巻く形で、八地区が存在した。特に、牧、寺田、神地地区は背後に鴻応山を控え、これら三地区とその他地区との境界は、概ね大阪府と京都府の分水嶺をなしていた。江戸時代においては、牧地区は幕府領、その他は高槻藩の管轄下にあった。

牧・寺田両地区は亀岡市の中心から約15km以上も離れている一方、大阪府豊能郡東能勢村役場からは約3km程度と近距離であり、電信の管轄も、牧・寺田両地区のみ東能勢局だった。さらに、小中高等学校も東能勢村からの方が近く、地区内の場所によっては授業中の唱歌や体操の声さえ聞こえる状況だった。

南桑田郡内18町村合併構想を受け、村内地区ごとに意向を打診したところ、ほとんどの地区は亀岡市への合併参加を希望したが、牧、寺田、神地地区は大阪府への分村を希望した。郡内他町村の合併に向けた動きが活発化する中で、西別院村としての早急な態度統一が求められたため、これら三地区では合併後に分離協議することを条件に、まず一旦亀岡市への合併参加を了解した。

こうして1955年、西別院村全域は亀岡市西別院町となった。しかし、条件に設けた分離協議に進展が見られなかったことから、三地区住民からの亀岡市長や自治庁への要望活動が活発化し、さらに政治結社の結成まで行われた。一方、西別院町の他地区住民は、農協の弱体化や町内学校の存廃に及ぶとして、三地区の分離運動には批判的だった。

こうした中、神地地区では住民の分離運動が萎縮化し、最終的に分離断念を決定。一方、牧・寺田両地区住民の気運は衰えず、国が設置する新市町村建設促進中央審議会による町村合併調整委員の調停に持ち込まれた。数度の委員会開催を経て、東能勢村への編入調停が成立した。大阪府、東能勢村の両自治体も受け入れを了承し、1958年に府境を越えた越境合併がなされることとなった[5]

[編集] 年表

[編集] 人口

  • 人口は京都市、宇治市に次ぐ数であり、京都府第3の都市である。
  • 平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、1.68%減の92,416人であり、増減率は府下26市町村中10位、36行政区域中18位。
Demography26206.svg
亀岡市と全国の年齢別人口分布(2005年) 亀岡市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 亀岡市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
亀岡市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 47,151人
1975年 58,184人
1980年 69,410人
1985年 76,207人
1990年 85,283人
1995年 92,398人
2000年 94,555人
2005年 93,996人
2010年 92,416人
総務省統計局 / 国勢調査

[編集] 行政

[編集] 経済

[編集] 立地企業

[編集] 金融

[編集] 製造

[編集] 小売

[編集] 農林水産業

丹波松茸、丹波黒豆馬路大納言小豆、丹波みず菜千枚漬に重宝される篠大根かぶら)や、丹波山の芋等の京野菜や、亀岡牛丹波地鶏などが名高い。丹波黒豆などは漫画『美味しんぼ』などで紹介された。 これらの質の高い農産物が京都の一流料亭やレストランの台所をにぎわしている。

特に、古くから丹波松茸は名高い。近年では、テレビ東京系「元祖!でぶや」などで紹介されている。日本で唯一、ハバネロトウガラシの一種)の商業水準の生産が行われており、名産品として認知されつつある。

馬路大納言小豆は、高級品の丹波大納言小豆の中でも最高級品であり、馬路町でしか生産できない。隣接の河原林、千歳などの各町で種を蒔いても普通の丹波大納言小豆になる。讀賣テレビ放送どっちの料理ショー』などで紹介されたことがある[7]。京都府産丹波黒豆の愛称「紫ずきん」は荒巻禎一京都府知事(当時)が名付けた。

近年は、JA京都として南は亀岡から丹波地方の市町村を含み京丹後市までを含む京都府中・北部を一括する農業協同組合へと組織改革を行い、いままで以上に横の連携のとれた農業へと移行している。亀岡は、その本部であり中心的な役割を持っている。現在、京野菜の殆どがJA京都の産物である。

主要幹線道路沿いに多数の農産物農産加工品直売所がある。更に、近年流行の、地元の産物を使った卵かけご飯の専門店や他の産物を使ったレストランも存在する。国道372号・477号線沿い・湯の花温泉周辺幹線道路は新鮮な農産物目当ての観光者が多く、季節によっては直ちに完売することがある。また、観光農園やききょうの里、ひまわり園等の花畑も多数あり、農業と観光産業が結びつきつつある。

[編集] 観光業

大都市近郊にあって都市的な利便性を有しながら、保津峡等の豊かな自然を併せつつ、さらに出雲大神宮、丹波亀山城(大本本部)等といった歴史的な観光資源がたくさんあるものの、湯の花温泉を除けば宿泊施設が少ない。保津川下りトロッコ列車は京都とりわけ嵯峨嵐山観光の一環と位置付けられることが多かったが、近年、春や秋の観光シーズンには京都市内の大混雑から離れ、亀岡へ観光目当てで来る人々も多くなった。

[編集] 姉妹都市・提携都市

[編集] 地域

[編集] 健康・医療

亀岡市内には亀岡市立病院を含めて総合病院が4つあり、他に亀岡市が南丹市八木町にある公立南丹病院を運営する一部事務組合に参加している。しかし、1970年代から90年代にかけての人口急増に十分に対応できたものではなく、歯科医を除く医師は市民908人に1人(2002年)、病院病床数は市民153人に1床(2003年)であり、京都市などの医療機関の診療を受ける市民も多い。

[編集] 子育て

保育所 - 公立8か所、私立9か所

[編集] 郊外のニュータウン

亀岡市郊外には建築基準無指定地域が広がっていたことから、1980年代以降大阪府との府境付近に、民間業者によるニュータウン開発が行われた。これらは、大阪方面へ通勤・通学する人のニーズに応えることを目的として、できるだけ大阪府に近い、安価かつ造成可能な場所に開発されたものである。 しかし、こうして開発されたニュータウンは、市中心部から遠く離れた山間部に位置しており、周辺の道路整備が十分になされていない。そのため、バス路線からも大きく外れており、利用するためには自動車のすれ違いも難しい狭隘な山道を通り抜けなければならない。冬季には積雪のため移動自体が困難になる上、学校、病院などの生活施設が住宅地近くに存在しないことから、市による早急なインフラ整備が待たれる状況にある。

  • 茨木台 東別院町鎌倉見立 193世帯 529人[9]
  • 北摂ローズタウン 東別院町湯谷 49世帯 126人[9]
  • 北摂バードタウン 西別院町大堂 72世帯 201人[9]

[編集] その他

2007年、亀岡市は世界で132番目、日本の都市としては初めてWHOセーフコミュニティに認証されている。

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[編集] 教育

[編集] 大学

[編集] 高等学校

[編集] 中学校

  • 亀岡市立亀岡中学校
  • 亀岡市立詳徳中学校
  • 亀岡市立東輝中学校
  • 亀岡市立育親中学校
  • 亀岡市立別院中学校

[編集] 小学校

  • 亀岡市立千代川小学校
  • 亀岡市立つつじヶ丘小学校
  • 亀岡市立詳徳小学校
  • 亀岡市立西別院小学校
  • 亀岡市立畑野小学校
  • 亀岡市立薭田野小学校
  • 亀岡市立東別院小学校
  • 亀岡市立保津小学校
  • 亀岡市立本梅小学校
  • 亀岡市立南つつじヶ丘小学校
  • 亀岡市立安詳小学校
  • 亀岡市立吉川小学校

[編集] 特別支援学校

[編集] 隣接している自治体・行政区

京都府

大阪府

[編集] 交通・通信

[編集] 鉄道路線

[編集] バス

亀岡市コミュニティバス(京阪京都交通に委託)

[編集] 道路

[編集] 高速自動車国道

  • 市内は路線なし

[編集] 一般国道有料道路

[編集] 一般国道

[編集] 主要府道

[編集] 一般府道

[編集] 放送

[編集] 郵便番号

全域が上3桁「621」で、亀岡郵便局の管轄である。2007年に、亀岡郵便局(621-00・01)と本梅郵便局(621-02)に分割された。

[編集] 市外局番

大半は「0771」だが、篠町老ノ坂は「075」である。

[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

神尾山城の階段状曲輪跡

[編集] 出身有名人

[編集] 亀岡市にゆかりのある人物

京都市、大阪府に隣接していることもあり、亀岡市在住の(もしくは在住していた)著名な学者や文化人、俳優などは少なくない。

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[編集] 映画の街

京都市に隣接している立地条件から時代劇を中心としたロケーション撮影[10]が市内各地で行われている。また、かつては日本電波映画日本電波映画第二撮影所があった。このように、映画との関わりが深い街であるが、市内には映画館がない。

東本梅町の大内の大日堂前では水戸黄門などの東海道、馬路町の月読橋や河原林町の宇津根橋、保津町の保津橋は、大井川利根川渡しのシーンに利用される。他にも保津峡桂林寺(本梅町)、出雲大神宮などの社寺でも撮影が行われる。篠町の篠村八幡宮では『座頭市』シリーズの撮影がたびたび行われ、千歳町の丹波国分寺跡では山田洋次監督の『隠し剣 鬼の爪』の撮影でオープン・セットが組まれ、同映画の日本アカデミー賞美術賞授賞に大きく貢献した。

映画俳優中村玉緒は、子どもたちに古里を作るために、同じく映画俳優の夫・勝新太郎と「亀岡にお墓を建てて、ふたりで戻ってこよう」と話をしていたという[11]丹波哲郎も何度もロケで亀岡を訪れ、先祖である丹波康頼の墓所がある金輪寺を訪ねたことがある[12]

近年、亀岡を舞台に盲導犬と人との交流を描いた映画『クイール』が製作された。数々のロケーション撮影が行なわれたが、『太平記』や本能寺の変などを除くと亀岡が舞台となるのは異例のことであった。

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[編集] 撮影された映画・テレビ番組

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[編集] 京都の隣の小京都

一部の旅行ガイドブックで小京都と紹介されたことがある。明智光秀が築いた城下町町屋が現在も数多く保存されている。また、口丹波の祇園祭と呼ばれる亀岡祭もある。しかし、亀岡市内観光が京都観光の一部となっていることが多いためか定着しなかった。

現在、滋賀県大津市とともに、全国京都会議事務局の京都市観光協会から全国京都会議への加盟の誘いを受けており、両市とも加盟の方向で進めている[13]。 

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

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  1. ^ 丹波國一之宮出雲大神宮
  2. ^ 亀岡の自然—近畿農政局国営亀岡農地再編整備事業
  3. ^ 保津川のあらまし—保津川開削400周年記念事業実行委員会
  4. ^ 上田正昭(監修)『かめおか・ふるさと検定テキストブック ゆっくり じっくり 探そう かめおかの歩きかた』かめおか・ふるさと検定委員会/亀岡商工会議所,2008年。亀岡の自然—近畿農政局国営亀岡農地再編整備事業保津川のあらまし—保津川開削400周年記念事業実行委員会
  5. ^ 京都府市町村合併史(昭和43年3月京都府発行)
  6. ^ 楽々荘にまつわる物語
  7. ^ ながいし米穀店
  8. ^ 姉妹都市・友好都市” (日本語・英語). 亀岡市. 2008年8月20日閲覧。
  9. ^ a b c 2005年 国勢調査
  10. ^ みなもと太郎『挑戦者たち』少年画報社,2004年、福本清三小田豊二『どこかで誰かが見ていてくれる』集英社,2003年など
  11. ^ 朝日新聞京都、2007年12月26日
  12. ^ 京都新聞、2003年4月27日
  13. ^ きょうの小:大津、亀岡…なぜ今「小京都」に? 観光浮揚へ、広域連携毎日新聞 2011年5月27日
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