絵師

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絵師(えし)とは、

  1. 浮世絵原画を描くことを職業とする人間のこと。
  2. 日本画の描き手の画家のこと。画師、畫師とも書く。
  3. 1990年代末ごろから使われるようになった用法で、主に日本の漫画アニメゲーム風の範疇に入る絵を描く画家・イラストレーターのこと。

日本画・浮世絵の描き手としての「絵師」[編集]

日本書紀』には、崇峻天皇元年(588年)条に、「画工白加(えたくみ はくか)」の名や推古天皇12年(604年)条の「黄書画師(きふみのえかき)」、「山城画師(やましろえかき)」の記事がある。また、「聖徳太子伝暦」ではこの他に、簀秦(すはた)画師、河内(かわち)画師、(なら)画師の記述がある。[1][2]この時代(6世紀末から8世紀にかけて)の画師は寺院壁画や石室内壁画など、宗教壁画としての絵仏師が活動しており、遺物として壁画の破片も出土している(一例としては、法隆寺若草伽藍跡)。

律令制の下で画工司が設置されて、画師などが配置されて宮中で用いる絵画などの作成を行った。画工司は平安時代初期に廃止されたが、程なく蔵人所支配下の画所と呼ばれる令外の機関として復活して再び画師が配置された。

江戸期以前の日本には芸術家としての「画家」という概念が無く、絵画の専門家は絵を描く技能に長けた技能者あるいはその仕事をする職人と見なされていた。技能に長けた者を意味する「師」という字が用いられるのもそれ故である。

浮世絵は版画の技法で複数の職人により原画から版が作られ多くの数が刷られるものである。そのため絵師は現代でいう所のアニメーションやゲームの原画家のような側面も持ち合わせていた。元の絵を描く人を絵師、それを版画に彫る人を彫師、紙に刷る人を刷師といった。

江戸期の絵師は「御用絵師」と「町絵師」に分かれており、御用絵師では狩野派土佐派、町絵師では円山派四条派が有名であった。

なお、日本がや浮世絵等以外で実用的な国絵図や村絵図など絵図類の作者については絵図師と呼ばれる。

現代のサブカルチャーにおける「絵師」[編集]

近年、サブカルチャーの世界において、主にアマチュアでイラストを描いている者も「絵師」と呼ばれていることがある。主にインターネット上で、作品を鑑賞する側から敬称の1つとして使われる言葉であり、先述の日本画家などと同じく「技能に長けた者を意味する『師』」が用いられていることからもその側面をうかがい知ることができる。よって絵師自身が「絵師」と名乗ることはほとんどなく、「絵描き」「絵師の中の人」などと自らを呼んでいることが多い。ネット上では「イラストレーター」という長い語より「絵師」と2文字で済む語の方が手軽というのも普及した一因といえる。

漫画、アニメ、ゲームなどにおいて、イラスト(グラフィック)は時にシナリオなどよりも重要視される要素である。そのため美麗な絵を描く漫画家やアニメ・ゲームの原画家は「画家」としての固有のファンも獲得するようになり、彼らの描く1点もののイラストやイラスト集の書籍が大量に流通するようになった。

また、趣味同人活動の一環として漫画などの二次創作物やオリジナルのイラストを描いて公開している者も多数存在する。ネットが普及すると、彼らは作品をウェブサイトなどで非常に簡易な手順で全世界に向けて公開できるようになった。そのため、アマチュアでありながらネット上で多数のファンを獲得し、その実力を買われてゲーム原画師や漫画家、イラストレーターとして採用される、逆転現象といえる事例も多く発生した。

時代的に彼らの制作活動は従来的な「画家」のそれとは異質なものとなった。すなわち、彼らの作品は従来の画家の作品とは異なり、紙や画布ではなくコンピュータグラフィックスが一次テクスト(最も原初的なテクスト)であるため、オリジナルの現物は存在せず、オリジナルと全く同じものを無数に複製することが出来、それが(時に本人の意思と無関係に)ネット上で流通しているのである。加えて彼らの、作品に対する価値観は従前の芸術性や商業性ではなく、いわゆる「おたく」文化という共通のサブカルチャーによるものを背景に持っており、ハイカルチャーとしてのアートの業界とは無縁の存在であった(よって村上隆は「絵師」として認知されていない)。こうした人たちを指す言葉として、「絵師(萌え絵師)」が広く用いられるようになった。また、「イラストレーター」は職種名として、およびイラストを描くことを職業としているプロに用いられる場合がほとんどであるが、「絵師」はプロ・アマ問わず俗称として呼ばれる。

関連項目[編集]

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