近藤正臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

こんどう まさおみ
近藤 正臣
本名 川口 正臣(かわぐち まさおみ)
生年月日 1942年2月15日(67歳)
出生地 Flag of Japan.svg 日本 京都府京都市東山区
(現・山科区
国籍 Flag of Japan.svg 日本
民族 日本人
血液型 O型
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ映画
活動期間 1960年代中期 -
主な作品
『地の果てまで』等

近藤 正臣(こんどう まさおみ、1942年2月15日 - )は俳優。本名は川口 正臣星野事務所所属。

目次

[編集] 来歴・人物

京都市東山区(現在の山科区域)に生まれる。京都府立洛東高等学校に入学。演劇部に所属し、ボクシングも習っていた。高校演劇コンクールでは、銀賞を受賞している。

高校を卒業し、生家の小料理店を継ぐために老舗「吉兆」で板前修行をするが「聞きしに勝る厳しさ」(本人談)で3ヶ月で辞め、アングラ劇団「ドラマ工房」を作り活動する。

京都の松竹でエキストラをしていた20歳のころ、助監督たちに大船へ誘われ単身上京。東京でエキストラをしていた1965年、新橋の喫茶店で、知り合いと打ち合わせをしていた現在の星野事務所代表と初めて会い、簡単な紹介を受ける。

それから1年近くのち、『「エロ事師たち」より~人類学入門』の坂本スミ子の息子役を見つけられずにいた今村昌平に、「関西弁ができて、なんか気が弱そうで、妙な色気がある。そんな若者いないかな」と相談を受けた星野が、近藤を思い出し、京都に戻っていた近藤にすぐに連絡をとり、今村に会わせたのがデビューのきっかけとなる。

既に映画はクランクインに入っていた。今村は、会ったその夜に「あの子を探していたんだよ」と、礼を言ったという。

(のちに、山本晋也が『カンゾー先生』を撮影中の今村に、昼食を共にしながら当時の近藤の話を聞いたところ、「うん、京都であんな良いのが“めっかる”とは思わなかった」という答えが返ってきたそうである。)ラジオ『わが人生に乾杯!』

続いて中島貞夫監督昇進第一回作品『893愚連隊』の軟派なヤクザ役に抜擢。中島はこの映画で京都映画祭監督新人賞を受賞。「近藤正臣という役者に助けられて受賞できた」とコメントしている。この映画のアフレコが深夜まで及んだ時、近藤がソワソワし始めたので何事かと聞くと、「僕、明日新婚旅行なんです。汽車に間に合いますやろか」と答えたのだそうで、「純情だったなあ。近藤くん」と中島は述懐している。(『映像のスリット わが映画人生』芸そう堂)

その後、東映京都などで仁侠映画や時代劇の端役が続き、ごく一部の熱心な映画ファンには鮮烈な印象を残していたものの、まだ全くの端役どまりだった。(この時期、まだ日当の仕事をしていたそうである)

1970年、大河ドラマ『樅の木は残った』の端役が決まり、NHKのプロデューサーに上京を勧められていた頃、『柔道一直線』の主人公のライバル・結城真吾役が決まり、再び上京し出演したこのドラマで、1971年、一気に人気に火がつくことになる。

以後は『冬の雲』『春の嵐』『地の果てまで』と立て続けに出演。人気を決定づける。1973年には大河ドラマ『国盗り物語』で後半の中心人物・明智光秀役を演じる。

映画でも1975年増村保造監督の『動脈列島』で新幹線の運転を妨害しようとする青年医師を演じる(追う警視庁のキャリアが田宮二郎)。『神津恭介シリーズ』などドラマ・舞台で多方面に活躍。またCMなどでコミカルなところも見せ、帝国劇場で上演の『ラ・カージュ・オ・フォール』では主人公のドラァグクイーン・ザザ役で妖艶な女装姿を見せた。

関西弁を話す非常に愛嬌のある性格であり、そのキャラクターから、バラエティ番組にも多く出演し、1985年 - 1987年には朝日放送テレビ朝日系)『クイズなんでも一番館』の司会を務めたり、金鳥「キンチョウリキッド」のCMで、タヌキの被り物をしたシリーズで長らく出演。

トーク番組などでは、とぼけたところも見せ、旧知の仲である水谷八重子(良重)は「非常にシャイで、それを人に知られるのが恥ずかしいのね。タヌキのCMは皆さん驚かれたようだけど、私たちはみな、お茶目な面を知っていたから“あ、やったな”って思いましたよ」と話している。これを本人に言わせれば「カッコいいのもタヌキになってヒョーキンなのも、どっちも“嘘”なワケ。僕にとっては同じことなんです」だそうである。(『婦人公論』1992年12月)

青春時代に憧れた俳優はジェームス・ディーン。彼の仕草などを随分研究したという。

森繁久彌が亡くなった時「『社長シリーズ』よりも、あの人が若い時にやった『次郎長三国志』の森の石松が、大好きだった」と、あまり他人の映画の話を多くはしない近藤が、熱っぽく話している。(「わが人生に乾杯」)

中学時代からエルヴィス・プレスリーのファン。思い出の一曲をラジオ番組で聞かれ「ハートブレイク・ホテル」を挙げている。なお、「わがいとしのオールディーズ」(NHKラジオ第1放送2007年)に出演した時は、ラストにちあきなおみを選曲している。

趣味は、釣り1983年日曜劇場『岐れ路』(脚本・金子成人)のロケで、初めて訪れた岐阜・郡上八幡の自然に魅せられたのがきっかけで、同郷の天野礼子らと共に自然保護運動に参加していることでも知られている。海をこよなく愛し、スクーバダイビングの経験も豊富である。

アルコール飲料は本人曰く「全くダメ」。好きな食べ物はお茶漬け、カニ。嫌いな食べ物はチーズ

若い頃から落語が好きで、2009年に古典落語界では初めて文化勲章を受章した桂米朝とは古くから親交がある。まだ京都に居た青年時代、小さな座敷で開かれていた寄席をよく見に来ていたことを、米朝はよく覚えている。

父方の叔父に人間国宝で染付けの大家・近藤悠三(1902年 - 1985年)がいる。悠三の次男であり、同じく陶芸家として京都で活動するいとこ近藤闊(ひろし・正しくは借字・1936年 - )とは歳も近く、深刻ぶらない性質がよく似通っており気も合うようで、一緒に招かれることもあるトークイベントなどでは弥次喜多ぶりを発揮している。

京都・清水寺の境内にあり、スズメの焼き鳥を出すことで有名な茶店「舌切り茶屋」は、親類が営んでいる。店名の「舌切り」は、正臣の曽祖父で清水寺の寺侍だった近藤正慎1816年 - 1858年)が、西郷隆盛をかくまっていた月照(1813年 - 1858年)の逃亡を助けたかどで捕らえられ、自白を迫られ拷問された挙句、獄の壁に頭を打ち付けて舌を噛み切って自害した(安政の大獄)、その壮絶な最期から由来している。

近藤は、正慎についてのトークイベントで、闊と顔を見合わせ「近藤家って変わってるよなあ」と呟いて、笑いを誘った。

[編集] エピソード

  • それにしてもカッコいい役が多かったですねと話が出た際に「無名の頃、周りはみな二世俳優や既にスターの人ばかり。普通に芝居したってとても勝負でけへん。覚えても貰えない。キザな二枚目なんて誰もやりたくないに決まっているけど、でも続けていけば、それが自分の“売り”になる。それに気づいた」と、1987年頃の番組で話している。
  • 日本尊厳死協会の正会員。「身体中に管(くだ)を繋がれて死ぬのを待つなんて嫌だよ」という考え方は、ドラマ『暖流』(2007年)の中の台詞に生かされており、肺がんを宣告されながらも、一人になった時に静かにタバコに火をつける場面は、本人の提案だという。
  • 高校時代、生徒会の副会長を務めている。本人曰く「先輩に誘われて60年安保デモに参加したりしていたので、反体制派の教師たちに見込まれて、あおられた」(『週刊文春』2001年10月25日
  • 高校時代の演劇コンクールで銀賞を受賞した折、審査員の教諭から「金賞には届かなかったが、中に一人、金メダルにも値する演技者がいた。あの目の力強さは、本当に素晴らしかった」と絶賛された経験を、50年経った今でも忘れておらず、「人間てやっぱり、褒められた事は嬉しく覚えているんですよね」と話している。(「ここはふるさと 旅するラジオ2008年11月4日NHKラジオ第1放送)
  • 水谷八重子が話しているが、博多座開場年の『博多のぼせ者(もん)』(1999年・作/金子成人)のとき、「前の幕で死んでるんだから僕はカーテンコールには出ないよ」と言ったというエピソードには、役者の美意識を非常に重んじる面がうかがえる(もっともこの時は、何も知らない観客の拍手がいつまでも止まず、結局、シャワーを終えた後のビショビショ頭とガウン姿で挨拶に立ち、会場は余計に沸いてしまったとのこと)。
  • 「神津シリーズ」の役作りのために、猛特訓したカード手品の腕前は、プロ級。NHKの生放送(スタジオパーク)に出演した際、アナウンサー2人の目の前で鮮やかにやって見せ、スタジオを驚かせた。 『必殺剣劇人』でもカードをカルタに持ちかえて、片手シャッフル(2組に分けたカードを片手だけで、滝のように滑り落としながら組み合わせる技)を披露している。(この技は、非常に長時間の訓練を必要とする技と、マジック愛好者も認めている。) ドラマ等で広く一般に、マジックを広めた功績で、日本奇術師協会から表彰されてもいる。なお、テレビで種明かしを見せてしまう昨今の風潮には、苦言を呈している。
  • 1960年代、すでに唐十郎の紅テント公演を観ていたくらいで、観る方でも生粋の演劇好き。状況劇場の流れを汲む新宿梁山泊劇団桟敷童子の公演も以前から足を運んでおり、2008年に桟敷童子が初めて大劇場(明治座)に出演したのも、近藤の紹介によるものである。
  • 本人は「いつも直感で役作りをしている」と話すことが多いが、舞台共演の多い浅丘ルリ子は「この人は、実在の人物を演じる時はちゃんとその人物を調べているし、いろいろな本をすごく沢山読んでいる」と隠れた勉強家ぶりを明かしている。浅丘はまた「85年に初めて会うまでは、あまり良い印象を持っていなかった。会ってみたら全然違った。人は見かけだけで判断しちゃいけないなと思った」と話している。(『恋ぶみ屋一葉』パンフレット2008)
  • 『出島』(2000年)が初舞台だった山本太郎は「近藤さんは、僕がいなせに見えるよう、不自然な動きがあると教えてくれた。本番の立ち回りでも舞い上がってしまっている僕に、ベストタイミングを目で合図して教えてくれた。“自分さえ良ければ”的な発想が少しも見えない純粋で真摯な芝居好きの人たちに出会えて、幸運だった」と話している。(「出島」パンフレット)
  • 「僕は、人間は生きているうちの付きあいが全てだと思っているから、葬式は遠慮させてもらっている」と1990年代の雑誌で話している。しかし2006年5月、『ラ・カージュ・オ・フォール』の再演までコンビを組んだ岡田真澄が亡くなった時は、告別式にも出席し、それまで殆ど受けなかったTVの追悼番組の取材をも受け、丁寧に応じている。
  • 仮面ライダー』の初期企画「十字仮面」で、毎日放送側は主人公・本郷猛役に決定していた。番組宣伝用のポートレートなども作成されたが、製作日程が合わず藤岡弘に変更された。
  • 片岡鶴太郎オレたちひょうきん族などで「こんどーーーですっ」と物真似し出してから、近藤自身がそういう言い方をしているような印象を持たれ出したが、本人は痛快!明石家電視台でのゲストコーナーで「そんな風に喋ったことはない」と語っている。
  • 大道芸人ギリヤーク尼ヶ崎と懇意で、近藤が彼に贈ったは、毎回の大道芸の際に立てられるのが恒例。
  • 柔道一直線のころには既に結婚しており、長女が誕生していた。その長女は後にタレントとして活動していたこともある。
  • 孫に「おじいちゃん」と言われるのを嫌い「おみさん」と言わせている。
  • モットーは「歩くのが遅いやつと食べるのが遅いやつは、仕事ができない」。

[編集] 出演作品

[編集] 舞台

「舞台はやり直しができない。そこが好き。」と話し、ほぼ毎年複数の長期公演に立つ。

1973年に『人生劇場』青成瓢吉役で初舞台。和もの、洋ものを問わず出演作品は数十本を越える。

蜷川幸雄作品では『にごり江』(1985年)、『仮名手本忠臣蔵』(1988年)、『七人みさき』(1991年・作/秋元松代)、『カルメンと呼ばれた女』(1997年)がある。中でも『仮名手本忠臣蔵』は新神戸オリエンタル劇場のこけら落しで上演され、3ヶ月という超ロングランを座長として務め上げた。(成田三樹夫が共演。1991年の再演には太地喜和子が参加している)

1995年には音楽座ミュージカルに初めて招かれ、『アイ・ラブ・坊ちゃん・95』で神経症ぎみの夏目漱石を演じる。初めて近藤の舞台に触れたミュージカルファンからも「空気の密度が濃かった」という声が出るなど、好評を得た。(『月刊ミュージカル』読者評)

1998年には、音楽座が世界で初めてミュージカル化権を獲得した『リトル・プリンス』(平成5年度文化庁芸術祭賞受賞)の再演・『星の王子さま`98』で、飛行士役を好演。若い役者にはない、人生に疲れた飛行士の悲哀を表現して、好評を得た。

1999年には扉座に招かれ『アゲイン~怪人二十面相の優しい夜』で初めて小劇場の舞台に客演し、「大好きで、子供の頃からの夢だった」という怪人二十面相を、息子ほどの年の役者たちに混じって大熱演する。 これは扉座初の全国ツアーとなり、地方からはツアーバスも出るほどの大盛況。脚本を変え、2003年まで2度再演される。神戸での千秋楽ではステージ上で団員から感謝状が授与された。近藤出演の映画『新宿少年探偵団』(1998年)には、扉座の団員の多くが端役で顔を覗かせている。

2005年には『劇場の神様』で同じく子供時代の活劇ヒーロー・丹下左膳を演じ、左手一本で見事な立ち回りをこなしている。

2009年には6年ぶりに扉座に参加し、「ほぼ実話に近い話です」と近藤が言う『サツキマスの物語』が、短期間だが紀伊国屋サザンシアターほかで上演された。出演俳優の一人は「役者仲間が、こんなにも全員、目を泣き腫らして楽屋を訪ねてくれた芝居は、他になかった」とブログで書いている。

『仮名手本忠臣蔵』(東宝ビデオ)、『アゲイン』(扉座)、『劇場の神様~極付丹下左膳』(ネルケプランニング)の3本が、映像化され市販されている。

その他の主な出演作品(再演を除く)

  • 『やけたトタン屋根の猫』(1975年、劇団青俳と共演・演出/木村功)
  • 『薄墨の桜』(1977年)
  • 『ラ・カージュ・オ・フォール』、『雪国』(1985年)
  • 『五稜郭恋歌』、『新・四谷怪談』、『流浪伝説』(1990年、作/斎藤憐)
  • 『けむり太平記』、『恋紅』(1994年)
  • 『天井桟敷の人々』(1995年)
  • 『夢舞台貞奴』、『喜劇・帝國こころの妻』(1996年、演出/金盾進)
  • 『夢ごころ』、『西太后』(1997年)
  • 朗読ドラマ『ジョルジュ-ショパンとジョルジュ・サンド』、『ダブル・アクト』(1999年)
  • 『花たち女たち』、『あげまん』、『鏡花幻想』、『出島』(2000年、脚本/中島かずき)
  • 『智恵子飛ぶ』(2001年)
  • 『港町十三番地』、『鹿鳴館』(山田和也)、『三人吉三東青春』(松村武)、『被告人』(2003年)
  • 『暗い日曜日』(2004年)
  • 『劇場の神様』、『好色一代女』(2005年、斉藤雅文/山田和也)
  • 『長崎ぶらぶら節』(2006年)
  • 『奇想天外』(東憲司)、『恋ぶみ屋一葉』(2008年、斉藤雅文)
  • サツキマスの物語』(2009年)

ほか多数。

[編集] 映画

1960年代には東映任侠ものを中心に出演。鶴田浩二若山富三郎池部良といった大スターの中で全く物怖じすることなく、若さと力強さがほとばしるような生き生きとした演技を、随所に見せている。

たったワンシーンの出演のものなどもあるが、そのワンシーンに賭ける演技の集中力たるや凄まじく、瞠目せざるを得ない。

『懲役十八年』では、若山に激しい拷問を受け水まで浴びせられる、それでも最後に「へへっ」と不敵に笑う若い囚人を大熱演しており、当時の熱心な映画ファンたちの語り草になっている。山本晋也が「武闘派じゃない人がああやって笑うから、凄みが出て怖いんだよね。それで覚えてんの」と言った時、「よく覚えてますね。嬉しいなあ……」と感激した様子で答えている。

ちなみにこのシーンの若山は「あの人、ホントにやるんだもん。」だったそうで、「監督が加藤泰さんだからカットがかからなくて、防火用水の水をぶっかけられて、ずーっと殴られ蹴られて俺、本当に死ぬんじゃないかと思った」と述懐している。(『わが人生に乾杯』)

1970年代に入るとテレビドラマや主演映画で、同じような役柄ばかり続くことが一部では揶揄されもしたが、左翼運動にのめり込んでゆく肺病やみの長男を演じた『流れの譜』や、討ち入りに参加できず落ちこぼれてゆく武士を演じた『赤穂城断絶』、子を想う老親の深い哀しみを深作欣二が見事に映しとった『忠臣蔵外伝』など、むしろ脇にまわった時の作品に、力強く、印象に強く残るものが多いと、評論家筋にも高い評価を受けている。 深作は「『赤穂城断絶』のとき僕は、主人公より近藤正臣の落ちこぼれの武士のほうが撮るのに気合が入っちゃって」と、のちのインタビューで話している。(『映画監督 深作欣二』ワイズ出版)

2006年には、ドキュメンタリー制作が多いシグロが手がけた、山本草介第一回監督作品『もんしぇん』に出演。舞台『星の王子さま'98』のアンダースタディだった玉井夕海の念願だった映画で、たびたび相談を受け、是非にと乞われて引き受けた出演だった。1990年代以降、映画では極端な老け役などが多かったが、ここでは全くのノーメイクで、ほぼ初めてと言ってもよい等身大の普通の男を、けれん味を一切排除した演技で、淡々と演じている。天草オールロケの幻想的なストーリーで、単館上映ながら静かな感動を呼んだ。

近藤は、東京から乗り継いで5時間半かかるロケ地まで付き人もなしに一人でやって来て、他の俳優と一緒に普通の民宿で、合宿したそうである。

全出演作品(なお、これ以前に数本のエキストラ出演がある)

  • 『エロ事師たちより~人類学入門』(以下監督名/今村昌平)(1966年)
  • 『893愚連隊』(中島貞夫)(1966年)
  • 『懲役十八年』(加藤泰)、『十一人の侍』(工藤栄一)、『男の勝負・関東嵐』(山下耕作)、『兄弟仁義 続・関東三兄弟』(山下耕作)、『兄弟仁義 関東命知らず』(山下耕作)、『兄弟仁義 関東兄貴分』(中島貞夫)(1967年)
  • 『妖艶毒婦伝・人斬りお勝』(中川信夫)、『日本暗殺秘録』(中島貞夫)、『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(石井輝男)(1969年)
  • 『柔の星』(山田達雄)(1970年)
  • 『花心中』(斉藤耕一)(1973年)
  • 『鬼輪番』(坪島孝)、『流れの譜 第一部動乱 第二部夜明け』(貞永方久)、『狼よ落日を斬れ 風雲篇・激情篇・怒濤篇』(三隅研二)(1974年)
  • 動脈列島』(増村保造)(1975年)
  • 『超高層ホテル殺人事件』(貞永方久)(1976年)
  • 赤穂城断絶』(深作欣二)(1978年)
  • 『衝動殺人・息子よ』(木下恵介)(1979年)
  • 『夏服のイブ』(西村潔)(1984年)
  • 忠臣蔵外伝 四谷怪談』(深作欣二)(1994年)
  • 『新宿少年探偵団』(淵井正文)(1998年)
  • 許されざる者』(三池崇史)(2003年)
  • 妖怪大戦争』(三池崇史)(2005年、猩猩 役)
  • 『もんしぇん』(Webシネマ/山本草介)(2006年)
  • TAJOMARU』(中野裕之)(2009年)

[編集] テレビドラマ

2007年NHK土曜スタジオパーク』出演の時『国盗り物語』(1973年)の思い出を聞かれ、「いろんな人がやってきた明智光秀の、それまでのイメージを変えたいなと思った」と多くを語らなかったが、初めての大役で猛烈なプレッシャーの中、努力を積んでいたことを言外ににじませた。

しかし当時の雑誌には、男性取材記者が、近藤が特有の冗談で「明智光秀って明智小五郎の先祖かなと思っていた」と発言したのをそのまま記事にするなど、当時の彼をとりまくマスコミの容赦の無さが伺える。

特に1970年代には「幸運だけでデビューできた」といった、あまり根拠の感じられない記事が非常に目立ち、急激に売れて2年で大役を射止めた役者を取り巻く当時の状況が伺える。

活気あるキャストが集結し、数字以上に人気を集めたこの大河ドラマは、最終回、雨中を無残に追われ、やがて討たれる運命にある光秀の「……運ではない。敗けるべくして敗けた戦かもしれん。……だが、ほかにどんな道があったのか。わしがわしらしく生きる、どんな道が……」という、内なる長い独白でクライマックスへとつながり、最期まで生と平和の世を望み続けた光秀の振り絞る声で、幕を下ろす。(脚本:大野靖子

山本晋也が「俺、黄金の日日の三成が好きだったなあ」と話した時にも、「あ、そうなんですか。僕は『国盗り物語』のほうが思い入れが強いんですけど……」と答えている。(『わが人生に乾杯』)

(余談なのだが、クイズバラエティー「Qさま!!」2008年1月28日の放送で「“明智光秀”を表す言葉を漢字一文字で表現し、仲間に連想させなさい」という問題が出たことがある。他のメンバーがみな「能」や「織」ばかりを書き連ねた中、解答者の一人だったデーモン閣下は、『近』の一文字を書いている)

ちなみに国盗り物語からおよそ20年後に『豊臣秀吉 天下を獲る!』(1995年テレビ東京)で再び明智光秀役に挑戦し、織田信長の苛烈な政策のために次第にノイローゼになっていくなど、大河の明智とは異なるキャラクターを演じている。

1978年の大河ドラマ『黄金の日日』は、川谷拓三・根津甚八・唐十郎・李礼仙などの個性の強い役者が顔を揃えたことでも知られ、俳優同士の見応えある演技合戦も楽しめる。物語終盤、千利休(鶴田浩二)を逃がしたいが秀吉(緒形拳)の命に逆らえず、苦渋の決断を下す三成(近藤)の場面は、名作の呼び声高い本作の中でも記憶に残るシーンの一つと言える。

1972年木下惠介人間の歌シリーズ地の果てまで』(TBS/原作・クローニン)は、終身犯として牢獄につながれた父親を取り戻すため、青春の全てを投げ打つ青年の物語。ギャラクシー賞受賞の名作で、『春の嵐』『あの橋の畔で』に続いてまだ3本目の、主役を任されたシリアスドラマだった。3ヶ月に及んだ撮影が終わり、その打ち上げの時、近藤が感極まって号泣してしまったことを、母親役だった奈良岡朋子が明かしている。「一つのものに賭ける役者根性には、頭がさがる」と奈良岡は記している。(『婦人公論』1972年12月)

1990年代からは、それまでとはガラッと変わって悪役や個性的な役も非常に多くなり、様々な新しい役柄に意欲を見せている。その理由の一端がうかがえる、本人のこんな言葉がある。

「役者には、いい時期というものがある。僕はそんな時期を、『ニヒルな二枚目役』ばかりやって、過ごしてしまった。」(『怪人二十面相の優しい夜』再演時のインタビュー「毎日新聞」2001年4月25日

2009年のNHK土曜ドラマ再生の町』の市議会議長は、久々の本格的な憎まれ役と言えるが、意欲的に取り組んだその迫力ある悪役ぶりが好評を博した。このドラマで、主役の筒井道隆と南果歩が「土曜スタパ」に出た時、トーク番組が苦手な筒井が「印象に残った共演者は?」と聞かれ、「皆さん残ったけど」と前置きして近藤の名を挙げた。理由を「最初はセリフを全然ちゃんと喋らないんだけど、繰り返す内に、役に近づいていくっていうか……」と、朴とつな人柄がうかがえる口調で、とつとつと話した。「酒にめちゃくちゃ強くて、とても明るい人!」と近藤に評された南果歩が隣から、「お客さん(エキストラ)を、取り込んじゃうのよネ」と、筒井に助け舟を出した。

放送中のNHK大河ドラマ龍馬伝』では、酒が一滴も飲めない近藤が、司馬遼太郎が『酔って候』の主人公に据え“鯨海酔候”と謳われた酒豪の土佐藩主・山内容堂を演じている。なお、現存する容堂の写真はいずれも黒髪だが、近藤が演じる容堂は白髪である。

出演ドラマは膨大な数に上るため、ほぼ網羅されている「テレビドラマデータベース」で検索した方がより判り易い。

主な出演作 (ゲスト出演等を除く)

[編集] バラエティ番組 ほか

[編集] CM

[編集] ラジオ

「ラジオはとても好き」(2007年『土曜スタパ』)なのだそうで、オーディオドラマ出演も多い。スポーツ選手をゲストに招く番組のパーソナリティを、TBSラジオで務めていたこともある。

  • 『赤い月』(NHK-FM 2002)
  • 『カーン』(NHK-FM 2003)我が強くシニカルな野良犬が、ハンディを持つ少年と出会うファンタジー。近藤は犬の役。
  • 『ラヂオ』(ラジオドラマ)
  • 『わがいとしのオールディズ』(2007年2月)
  • わが人生に乾杯! (2009年11月12日 NHKラジオ第1放送) - 京都で育ったこと、戦後のこと、生家の小料理屋を継ぐため吉兆で修行するが挫折したこと、役者になったこと、三島由紀夫との縁、映画やドラマ、舞台のこと、趣味の釣りや自然の中での営み、京都の景観などについて語った。聞き手・山本晋也、城之内早苗。

[編集] 朗読・ナレーション

  • 『土と風と空と 野口雨情童謡集より』(ビデオ制作・ハゴロモ)SL列車などの古き良き日本の風景に、雨情の童謡と近藤の語りが重なる。
  • 『原典・平家物語』第7巻「維盛都落」、第10巻「維盛出家」「維盛入水」(DVD・ハゴロモ)

[編集] 関連項目

[編集] 関連リンク