佐藤勇人
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| 名前 | ||||
| 愛称 | ユウト | |||
| カタカナ | サトウ ユウト | |||
| ラテン文字 | SATO Yuto | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1982年3月12日(29歳) | |||
| 出身地 | 埼玉県春日部市 | |||
| 身長 | 170cm | |||
| 体重 | 67kg | |||
| 選手情報 | ||||
| 在籍チーム | ジェフユナイテッド市原・千葉 | |||
| ポジション | MF | |||
| 背番号 | 7 | |||
| 利き足 | 右足 | |||
| 代表歴 | ||||
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佐藤 勇人(さとう ゆうと、1982年3月12日 - )は、埼玉県春日部市出身でジェフユナイテッド市原・千葉所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
日本代表フォワードの佐藤寿人は双子の弟であり、森崎和幸・森崎浩司兄弟と共にJリーグ史上初の双子選手。
目次 |
[編集] 来歴・アラカルト
埼玉県春日部市出身であるが、中学進学を機に兄弟揃ってジェフユナイテッド・Jr.ユースに入団するために、家族で千葉県八千代市に引っ越してきた。なお、両親は自営業であったので、埼玉にあった店を畳んで来たというエピソードを持つ。
生真面目な性格の弟・寿人に対し勇人は自由奔放な性格であった。それが災いしてかジェフユナイテッド・ユース時代に遊びたいからと言う理由で2度クラブを辞めたと言うエピソードを持っている。しかし当時からその才能は高く評価され、国体少年の千葉選抜に請われ参加。現名古屋グランパスの田中マルクス闘莉王(当時トゥーリオ)とドイスボランチを組んだ。準決勝で大黒将志のいた大阪府選抜を2-0、決勝で静岡選抜を5-0と圧倒し優勝。サッカーから一時離れたせいか、ジェフでのトップ出場は弟より遅い。
ジュニアユースから同期の阿部勇樹とコンビでジェフのドイスボランチを組んでいたこともあった。春日部出身ながらもユース育ちで中学生から八千代に住んでいることもあって実質的に地元出身の選手と見なされている。この地元出身で、ジュニアユースから育てた選手2人がボランチでコンビを組んでいることはジェフサポーターにとってアイデンティティーの一つになっていた。
弟の寿人もジェフでプレーした期間が長かったこと、2人で試合に出ていた時期もあったこと、ジェフの外に出た寿人がかなりの活躍をしていること、「佐藤」と言う姓がありふれていることからサポーターは専ら下の名前で「勇人」と呼ぶ。本人もこのことを承知していて、Jリーグ及びクラブに対して下の名前で登録したい旨を表明していたが、2007年から勇人はYUTO、弟の寿人も(サンフレッチェはこの年からユニフォームへの選手名標記を始めた)HISATOと表記されるようになった。
2008年1月5日、モデルの松本ステファニーと入籍。
2006年8月16日、アジアカップ予選イエメン戦(新潟スタジアム)において、勇人が後半26分にガンバ大阪の遠藤保仁と交代出場し、後半44分には弟の寿人が浦和レッズの田中達也と交代出場したことから、日本サッカー史上初となる「双子選手の国際Aマッチ同時出場」が実現した。
2007年シーズンより、キャプテンだった阿部勇樹が移籍したこともあって、彼に代わってキャプテンに任命された。
2007年シーズン終了後、京都サンガF.C.へ移籍。実家で寿人に移籍の件を相談すると「オレらを落としたクラブに行くのか」と皮肉で返されたらしい(寿人所属のサンフレッチェはJ1・J2入れ替え戦でサンガに敗れJ2降格。ちなみに勇人は第2戦において、サンフレッチェを応援する為に広島ビッグアーチまで足を運んでいる)。しかし、移籍の経験が豊富な寿人のアドバイスは参考になったと本人もしばしば述べている。(ちなみに、寿人がサンフレッチェに残留を宣言した際、勇人は一時反対していたという。)
2008年シーズンのサンガは当初「エブリバディ・キャプテン」という方針の下、チームとしてのキャプテンを決めていなかったが、6月に行われた鹿児島キャンプにおいて、選手間の話し合いにより勇人がキャプテンに任命された。
2009年9月19日の磐田戦でDF金沢浄との接触で負傷。下顎骨骨折(全治3週間)と診断される。
2009年12月14日付で京都との契約満了により同クラブを退団。
2010年1月17日にジェフユナイテッド千葉への加入が発表され、3年ぶりの古巣復帰となった。2010年シーズンは全試合フル出場を達成。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- 1988年 - 1993年 大増サンライズFC(春日部市立立野小学校)
- 1994年 - 1996年 ジェフユナイテッド市原ジュニアユース(八千代市立高津中学校)
- 1997年 - 1999年 ジェフユナイテッド市原ユース(千葉県立船橋古和釜高等学校)
プロ経歴
- 2000年 - 2007年 ジェフユナイテッド市原 / ジェフユナイテッド市原・千葉
- 2008年 - 2009年 京都サンガF.C.
- 2010年 - 現在 ジェフユナイテッド市原・千葉
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2000 | 市原 | 29 | J1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
| 2001 | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | ||
| 2002 | 14 | 13 | 0 | 6 | 0 | 3 | 0 | 22 | 0 | ||
| 2003 | 28 | 4 | 3 | 0 | 3 | 1 | 34 | 5 | |||
| 2004 | 7 | 29 | 7 | 5 | 1 | 1 | 0 | 35 | 8 | ||
| 2005 | 千葉 | 34 | 8 | 11 | 0 | 1 | 0 | 46 | 8 | ||
| 2006 | 26 | 4 | 10 | 2 | 1 | 0 | 37 | 6 | |||
| 2007 | 27 | 3 | 5 | 1 | 0 | 0 | 32 | 4 | |||
| 2008 | 京都 | 14 | 34 | 3 | 6 | 1 | 1 | 0 | 41 | 4 | |
| 2009 | 7 | 28 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 33 | 1 | ||
| 2010 | 千葉 | J2 | 36 | 5 | - | 1 | 0 | 37 | 5 | ||
| 2011 | 36 | 1 | - | 2 | 0 | 38 | 1 | ||||
| 2012 | - | ||||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 220 | 29 | 53 | 6 | 13 | 1 | 286 | 36 | |
| 日本 | J2 | 72 | 6 | - | 3 | 0 | 75 | 6 | |||
| 総通算 | 292 | 35 | 53 | 6 | 16 | 1 | 361 | 42 | |||
その他の国際公式戦
- 2006年
- A3チャンピオンズカップ 2試合0得点
[編集] 代表歴
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 1試合 0得点(2006)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
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| 年 | 出場 | 得点 |
| 2006 | 1 | 0 |
| 通算 | 1 | 0 |
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