坂田大輔
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| 坂田 大輔 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | サカティ、サンキュー | |
| カタカナ | サカタ ダイスケ | |
| ラテン文字 | SAKATA Daisuke | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1983年1月16日(26歳) | |
| 出身地 | 神奈川県 | |
| 身長 | 174cm | |
| 体重 | 70kg | |
| 血液型 | O型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 横浜F・マリノス | |
| ポジション | FW | |
| 背番号 | 11 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2001- | 横浜F・マリノス | 200 (39) |
| 代表歴 | ||
| 2006 | 1 (0) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2009年4月4日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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坂田 大輔(さかた だいすけ、1983年1月16日 - )は神奈川県横浜市港南区出身で横浜F・マリノス所属のサッカー選手。ポジションはフォワード。
目次 |
[編集] 来歴
横浜フリューゲルスのユースに所属していたが、フリューゲルスが横浜マリノスと合併したことに伴い、横浜F・マリノスユースに所属することとなった。坂田は後年「合併のニュースを聞いた時はサッカーを辞めようかと思いました」と回想している。
2001年にユースからトップチームに昇格し、同年6月16日FC東京戦(横浜国際)でJリーグ初出場。同8月18日柏レイソル戦(柏の葉)でJリーグ初ゴールを記録。
FIFAワールドユース2003UAEでは4得点を挙げ、Silver Shoe(得点王)に輝いた。
坂田にまつわる逸話として、2002年AFCユース選手権(カタール)の時に大熊清監督から送られた「サンキュー坂田! サンキューな」がある(愛称の由来にもなっている)。
2006年8月9日トリニダード・トバゴ戦にてA代表初選出。
[編集] プレースタイル
- 基本的なポジションとしてポストプレイヤータイプのFWと2トップを組ませた場合が最も力を発揮するタイプである。
- スペースへの飛び出しだけでなく、相手DFがボールを持っている時のチェイシングにも定評がある。
- 一応右利きらしいが、左利き説も流れる程、左足でもシュートをよく決めている。身長の割にはハイボールへの競り合いも強い。
- トラップに難がある事と、コンスタントに得点を重ねられない事が欠点である。
- 快足を飛ばして前線を駆け回るタイプの選手であるが、2007年シーズン序盤で横浜F・マリノスが採用していた「3トップ」の布陣でウイングに置いてみたところ、「どうやって動けば良いのか分からない」と困惑してしまったように、ウイング向きではないが、この年の5月頃からチームがポジションチェンジを繰り返すハードワークに重きを置いた戦術に変更してからは、サイドに流れた際の動きなどプレーに幅広さが出て、自身2度目となる2桁得点と、初のリーグ戦全試合出場を果たした。なお、この年のF・マリノスでのリーグ戦全試合出場は坂田一人だけである。
- 特定のチームと相性が良くなる傾向があり、一時期は「柏キラー」と呼ばれ(前述の通り、リーグ戦初ゴールの相手も柏である)、ジェフユナイテッド市原・千葉とも相性が良い。
- シーズン後半になると調子を上げる傾向があり、自身初のシーズン2桁得点を記録した2004年シーズンも、1stステージでは3点にとどまったものの、2ndステージでは7点を取っている。
[編集] エピソード
- 元大宮アルディージャの小林大悟とかなり仲が良く、アジアユース2002における坂田のゴールパフォーマンスを2人で考案したり、共に初参加となったA代表の合宿では昼間一緒に過ごすなどのエピソードがある[1]。
- 見た目が遊び人系であるため。浮ついたイメージ(趣味がパチスロというのも影響している)を受け易いが、実際は「オフの時でもサッカーの話しかして来ない」とチームメートから言われる程、サッカーに真摯に取り組んでいる。
- 新人の頃、当時先輩でありチームメートであった中村俊輔から「あいつはできるヤツ」と評価されていた。また同じくチームメートであった奥大介や横浜クラブのファンからもかなり好かれているらしい[2]。
- 京都の老舗呉服店石勘[1]の男性向け企画「Men's J-mode」のイメージキャラクターを務めている。
- 中村俊輔らとやっている「GUAPO」のブログでは文才を発揮して人気を呼んでいる。ただし更新頻度は少ない。
- 釣りも趣味。後輩である狩野健太とともに番組にも出演している。
- 2009年2月17日、女優・タレントの福岡サヤカと入籍した。
- 2008-2009年オフにヴィッセル神戸からオファーが来たが、横浜FMに残留した。直後に行われたファン感謝祭で栗原勇蔵とともに鼠先輩のモノマネをしたが、その時栗原に「最近西の港町に移籍しようとした人がいたんスよね」とネタにされた。当の坂田は焦っていたが、このネタは中澤佑二と山瀬功治にそれぞれのブログで絶賛されていた。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2001 | 横浜FM | 29 | J1 | 11 | 2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 16 | 2 |
| 2002 | 横浜FM | 29 | J1 | 19 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 21 | 2 |
| 2003 | 横浜FM | 18 | J1 | 25 | 6 | 6 | 1 | 1 | 0 | 32 | 7 |
| 2004 | 横浜FM | 11 | J1 | 28 | 10 | 5 | 1 | 1 | 1 | 34 | 12 |
| 2005 | 横浜FM | 11 | J1 | 29 | 5 | 4 | 1 | 2 | 0 | 35 | 6 |
| 2006 | 横浜FM | 11 | J1 | 19 | 4 | 2 | 0 | 3 | 2 | 24 | 6 |
| 2007 | 横浜FM | 11 | J1 | 34 | 10 | 9 | 3 | 2 | 2 | 45 | 15 |
| 2008 | 横浜FM | 11 | J1 | 32 | 1 | 7 | 1 | 3 | 0 | 42 | 2 |
| 2009 | 横浜FM | 11 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 200 | 39 | 38 | 7 | 14 | 6 | 254 | 52 | |
| 総通算 | 200 | 39 | 38 | 7 | 14 | 6 | 254 | 52 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2004 | 横浜FM | 11 | 4 | 1 |
| 2005 | 横浜FM | 11 | 2 | 1 |
| 通算 | AFC | 6 | 2 | |
[編集] 経歴
- 2001年6月16日 - プロ初出場(Jリーグ) - FC東京戦(横浜国際総合競技場)
- 2001年8月18日 - プロ初得点(Jリーグ) - 柏レイソル戦(柏の葉公園総合競技場)
- 2006年8月9日 - A代表初出場(キリンチャレンジカップ) - トリニダード・トバゴ代表戦(国立競技場)
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- U-20サッカー日本代表
- 2002年 AFCユース選手権2002(準優勝)
- 2003年 トゥーロン国際大会
- 2003年 2003 FIFAワールドユース選手権(ベスト8)
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 1試合 0得点(2006)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2006 | 1 | 0 |
| 通算 | 1 | 0 |
[編集] 獲得タイトル
- 2000年 日本クラブユース選手権 MVP
- 2003年 2003 FIFAワールドユース選手権 Silver Shoe
- 2007年 Jリーグ フェアプレー個人賞
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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