菊地直哉
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| 菊地 直哉 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | キク | |
| カタカナ | キクチ ナオヤ | |
| ラテン文字 | KIKUCHI Naoya | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1984年11月24日(24歳) | |
| 出身地 | 静岡県静岡市清水区 | |
| 身長 | 181cm | |
| 体重 | 77kg | |
| 血液型 | AB型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | MF/DF | |
| 背番号 | 27 | |
| 利き足 | 右足 | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
菊地直哉(きくち なおや、1984年11月24日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身のサッカー選手である。ドイツ・ブンデスリーガ3部、FCカールツァイス・イェーナ所属。
目次 |
[編集] 略歴
小学1年の時からサッカーを始める。各年代の日本代表を経験。世界大会での活躍はヨーロッパのクラブでも評価を得ていた。高校卒業時は、オランダのエールディヴィジに所属するフェイエノールトの練習に参加し入団目前までこぎつけたが、金銭面などで折り合わず入団を断念した。当時、高校卒業後にJリーグを経由せず直接日本国外のクラブへ入団するケースはほとんどなく話題を集めた。
フェイエノールト入りを断念後に、ジュビロ磐田へ入団。プロ1年目からトップチームでの公式戦に出場し活躍した。
しかし、2005年には出場時間が減り、出場機会を求めてアルビレックス新潟へとレンタル移籍。新潟ではレギュラーとして活躍、経験を得て磐田に復帰。 だが、自身の起こした不祥事(詳細はウィキニュースで)により2007年6月29日にジュビロ磐田を解雇され、日本サッカー協会からは1年間の選手登録停止の処分を受けた。 その後プレー機会を求め渡独。2008年1月27日、ドイツ・ブンデスリーガ3部(移籍当時2部)、FCカールツァイス・イェーナと正式に契約を交わした。 2009年6月、イェーナとの契約が満了し移籍金がかからないということもあり、獲得にドイツ1部リーグのビーレフェルト、シャルケ04が興味を示していると報道された。 また、ドイツの滞在許可証の申請には1部か2部への移籍が不可欠となっている。
なお、シャルケの公式ホームページ上では「菊地のプレー次第では、マガト監督が彼をチームに加える可能性もありうる」と紹介されており、移籍の可能性もありうる。
[編集] プレースタイル
判断力の速さ、パスの精度に優れる。最終ラインやボランチなど主にディフェンシブなポジションでの起用が多いが、高校時代はトップ下やサイドバックの経験もあり、攻撃的なポジションも含めてゴールキーパー以外なら(退場者が出てゴールキーパーとしてプレー時間もある(逸話2参照))どのポジションもこなせるユーティリティなプレイヤーである。
自身では子供の頃から、ポジションよりも「チームの中心」としてプレーすることにこだわっていた、と語る。また自身の課題として、ボールを落ち着かせたり溜めを作る動きを挙げている。
[編集] 逸話
- チームメートからの愛称の1つに、髪が逆立ちやすいことを理由に付いた「ウニ」というものがある。
- アルビレックス新潟に期限付き移籍中の2005年第26節川崎フロンターレ戦において、ゴールキーパーの野澤洋輔がレッドカードにより一発退場した時、既に交代枠を使い切ってしまってた事により、一度だけゴールキーパーを務めた事もある。
- 新潟に遊びに来たとき知り合いとボウリングに行き、自らピンの着ぐるみを着て登場した。
[編集] 所属クラブ
- 1997年 - 2000年 清水エスパルスジュニアユース
- 2000年 - 2003年 清水商業高校サッカー部(2000年に強化指定選手として清水エスパルスに登録。)
- 2003年 - 2005年 ジュビロ磐田

- 2005年 アルビレックス新潟(期限付き移籍)

- 2006年 - 2007年6月 ジュビロ磐田

- 2008年 - 現 在 FCカールツァイス・イェーナ

[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2000 | 清水商高 | - | - | - | 1 | 1 | 1 | 1 | |||
| 2003 | 磐田 | 27 | J1 | 7 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 12 | 0 |
| 2004 | 磐田 | 27 | J1 | 18 | 1 | 5 | 0 | 5 | 0 | 28 | 1 |
| 2005 | 磐田 | 27 | J1 | 9 | 0 | 1 | 1 | - | 10 | 1 | |
| 新潟 | 36 | J1 | 15 | 1 | - | 2 | 0 | 17 | 1 | ||
| 2006 | 磐田 | 8 | J1 | 32 | 4 | 8 | 0 | 3 | 0 | 43 | 4 |
| 2007 | 磐田 | 8 | J1 | 13 | 1 | 4 | 0 | - | 17 | 1 | |
| ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
| 2007-08 | イェーナ | 29 | ブンデス2部 | 3 | 0 | - | 1 | 0 | 4 | 0 | |
| 2008-09 | イェーナ | 27 | ブンデス3部 | 17 | 0 | - | 1 | 0 | 18 | 0 | |
| 通算 | 日本 | J1 | 94 | 7 | 20 | 1 | 13 | 0 | 127 | 8 | |
| 日本 | 他 | - | - | 1 | 1 | 1 | 1 | ||||
| ドイツ | ブンデス2部 | 3 | 0 | - | 1 | 0 | 4 | 0 | |||
| ドイツ | ブンデス3部 | 17 | 0 | - | 1 | 0 | 18 | 0 | |||
| 総通算 | 114 | 7 | 20 | 1 | 16 | 1 | 150 | 9 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2004 | 磐田 | 27 | 2 | 0 |
| 2005 | 磐田 | 27 | 4 | 0 |
| 通算 | AFC | 6 | 0 | |
- 強化指定選手としての公式戦出場はなし
[編集] 経歴
- 2003年8月16日 - プロデビュー(Jリーグ) - 浦和レッズ戦(埼玉スタジアム2002)
- 2004年9月26日 - プロ初ゴール(Jリーグ) - ヴィッセル神戸戦(神戸ウイングスタジアム)
[編集] 出場大会
- 2000年 U-17アジアユース
- 2001年 U-17世界選手権(グループリーグ敗退)
- 2002年 U-20アジアユース(準優勝)
- 2003年 ワールドユース(ベスト8)
- 2004年 アテネオリンピック(グループリーグ敗退)
[編集] 代表歴
- U-16 - U-20 日本代表
- アテネオリンピック 日本代表
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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