川島永嗣

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川島 永嗣
名前
カタカナ カワシマ エイジ
ラテン文字 KAWASHIMA Eiji
基本情報
国籍 日本
生年月日 1983年3月20日(26歳)
出身地 埼玉県
身長 185cm
体重 80kg
血液型 O型
選手情報
在籍チーム 川崎フロンターレ
ポジション GK
背番号 1
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
2001-2003
2004-2006
2007-現 在
大宮アルディージャ
名古屋グランパスエイト
川崎フロンターレ
45 (0)
36 (0)
68 (0)
代表歴2
2007- 日本 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月6日現在。
2. 2009年1月28日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

川島 永嗣(かわしま えいじ、1983年3月20日 - )は、日本プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパーJリーグディビジョン1 (J1)川崎フロンターレ所属。埼玉県与野市(現さいたま市中央区)出身。

10代の頃から各カテゴリーの日本代表を経験し、2007年からはA代表候補にも名を連ねる。

目次

[編集] 来歴

少年時代は地元の与野八幡サッカースポーツ少年団で基礎を学ぶ。当時からゴールキーパー志望だったという。与野西中学校時代は埼玉県選抜に選ばれ、ドイツオランダへ遠征を行った経験がある。その後埼玉県立浦和東高等学校へ進学し、3年の間に選手権国体高校総体と高校サッカー3大全国大会すべてに出場した。

高校卒業後、大宮アルディージャに入団。大宮時代、イタリアセリエAのクラブへ留学し、若手選手たちが出場する「ヴィニョーラ・トーナメント」に参加。チームは優勝を果たし、川島自身はベストゴールキーパーに選出された。この活躍を見たACパルマから移籍の打診があったが、この時は大宮側が断った。

2002年AFCユース選手権を戦うU-19日本代表に選出され、不動のレギュラーとして活躍。特に準決勝のウズベキスタン戦ではPK戦で2本止めるなど、獅子奮迅の活躍を見せた。2003年12月に行われたFIFAワールドユース選手権でも、イングランド戦、エジプト戦で数々のスーパーセーブを見せ、チームのベスト8進出に貢献した。この時の活躍はサッカー解説者のセルジオ越後、ジャーナリストの金子達仁といった辛口の論客たちをして「GKに関しては次世代のタレントは見つかった。川島君の存在は光でした」「川口能活以来じゃないの? ここまでGKがクローズアップされたのは」と言わしめた。

2004年、複数舞い込んだ移籍話の中から、あえて日本代表の楢崎正剛がいる名古屋グランパスエイトに移籍。しかしキャリアの円熟期にあった楢崎の牙城は堅く、控えに甘んじる日々が続き、結果的にアテネオリンピックの代表メンバーからは外れた。2005年には、セリエAのウディネーゼが、先のワールドユース選手権で注目していたという川島の獲得に乗り出したが、名古屋や本人はこれを断り、破談となった。

名古屋移籍後はカップ戦など出場機会が限られていたが、2006年セフ・フェルホーセン新監督のもと新たなスタートを切った名古屋において、2005年シーズン終盤に負傷した楢崎に代わって先発出場。楢崎が復帰した後も熾烈なレギュラー争いを続けた。このシーズンは結果的にリーグ戦10試合、Jリーグカップ4試合に出場。正GKの座は奪えなかったものの、その能力の高さを改めてアピールした。

2006年オフ、2007年シーズンにAFCチャンピオンズリーグ出場を控えている川崎フロンターレから獲得のラブコールを受け、当時の川崎のクラブ史上最高額となる1億5000万円の移籍金で完全移籍した。シーズン開幕から正GKとして全試合フル出場を続け、それまで川崎の弱点と見られていたポジションを補って余りある活躍を見せた。また移籍直後の2007年2月14日には、川口、山岸範宏林彰洋らと共にA代表候補合宿に初招集され、3月19日にはペルー戦以降ベンチ入りし、アジアカップ2007でもメンバーに選ばれた。

2008年2月17日東アジアサッカー選手権・対北朝鮮戦でA代表デビューを果たした。しかし、川崎のチームメイトである鄭大世にゴールを決められる複雑なデビューとなった。

[編集] 人物像

  • キックの威力はJリーグ屈指で、ゴールキック時のボールはハーフウェイラインを軽々と超え、パントキックは時に相手陣のペナルティーエリア付近まで達する。
  • インタビュー等の発言では優しく謙虚な印象を受けるが、試合中ピンチを招くような味方の怠慢なプレーに対して激昂する熱い一面もある。
  • 将来海外でプレーするための下準備として、日々英語イタリア語などを勉強している。セリエAのクラブからオファーが舞い込むなど、実現もそう遠い先の話ではないと思われるが、まずは日本で経験を積んでからと慎重な姿勢をとっている。2008年にFIFA公認選手代理人清岡哲朗と契約した。
  • 2006年末、怪我のリハビリも兼ねて練習試合に何度かフォワードとして出場したが、4試合で3ゴール1アシストを決め、周囲を驚かせた。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2001 大宮 22 J2 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 大宮 21 J2 8 0 - 4 0 12 0
2003 大宮 21 J2 33 0 - 0 0 33 0
2004 名古屋 22 J1 4 0 8 0 0 0 12 0
2005 名古屋 22 J1 3 0 6 0 1 0 10 0
2006 名古屋 22 J1 10 0 4 0 0 0 14 0
2007 川崎 1 J1 34 0 3 0 4 0 41 0
2008 川崎 1 J1 34 0 1 0 1 0 36 0
2009 川崎 1 J1
通算 日本 J1 85 0 22 0 6 0 113 0
日本 J2 41 0 0 0 4 0 45 0
総通算 126 0 22 0 10 0 158 0
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2007 川崎 1 7 0
2009 川崎 1
通算 AFC 7 0

[編集] 経歴

[編集] 代表歴


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2008 1 0
2009 2 0
通算 3 0

[編集] 受賞歴

[編集] 外部リンク

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