内田篤人
|
|||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | |||||||
| 愛称 | アツト、うっちー、あっちゃん、ウッシー[1] | ||||||
| カタカナ | ウチダ アツト | ||||||
| ラテン文字 | Uchida Atsuto | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1988年3月27日(23歳) | ||||||
| 出身地 | 静岡県田方郡函南町 | ||||||
| 身長 | 176cm | ||||||
| 体重 | 67kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | |||||||
| ポジション | DF(SB) / MF(WB) | ||||||
| 背番号 | 22 | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
|
|||||||
| 代表歴 2 | |||||||
|
|||||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2012年1月21日現在。 2. 2011年11月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
|||||||
| ノートでこのテンプレートの色について意見を募集しています。 | |||||||
内田 篤人(うちだ あつと、1988年3月27日 - )は、静岡県田方郡函南町出身のプロサッカー選手。ブンデスリーガ・シャルケ04所属。ポジションはDF(右サイドバック)。日本代表。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 生い立ち
スポーツ一家に育つ。父は体育教師で、学生時代はバスケットボールをプレー。母は陸上短距離走経験者で、姉と妹も陸上の選手であった。自身も50メートルは6秒を切る俊足の持ち主である。函南中学校時代は目立った活躍をしていなかったが、高校入学にあたり静岡県中部地区の強豪校を志望し、将来の大学進学も視野に入れて進学校でもある清水東高等学校に入学した。高校へは自宅から1時間半ほどかけて通学していた。
高校の同級生には多々良敦斗、2学年上には菊岡拓朗や荒田智之がいる。卒業に際しては6-7クラブから興味を示されたが、2006年に鹿島アントラーズへ入団した。
[編集] 鹿島アントラーズ
2006年から監督に就任したパウロ・アウトゥオリに高く評価され、Jリーグ開幕戦(対広島)でクラブ史上初となる高卒ルーキーでのスタメン出場を果たし、ドリブルから先制点となるPKを獲得。続く第4節甲府戦では、ドリブル突破からの先制点でクラブ史上最年少得点を記録し、2点目もアシストした。なお、17歳11か月22日でのプロ初得点は、当時の記録である18歳1か月15日を上回り高卒ルーキーの史上最年少得点記録であった。また、同年のJリーグオールスターサッカーではDF最多得票で史上最年少出場を果たしている。
2007年に名良橋晃から指名され背番号2を引き継いだ。2008年には自身初のJリーグベストイレブンに選出されるなど評価を高め、同年のシーズンオフには鹿島と4年半の長期契約を結んだ[2]。2009年、鹿島は史上初のJリーグ3連覇を達成し、内田自身も2年連続でJリーグベストイレブンに選出された。
[編集] シャルケ04
2010年7月1日に移籍金推定1億5000万円でドイツ・ブンデスリーガのシャルケ04へ3年契約で完全移籍した[3]。代理人は長谷部誠、香川真司らと同じトーマス・クロート。移籍当初は代表戦での負傷もあり低調な滑り出しとなったが、秋には右サイドバックのレギュラーに定着した。11月24日のUEFAチャンピオンズリーグ(CL)グループステージ第5節オリンピック・リヨン戦では、クラース・ヤン・フンテラールへ相手DF3人を鋭く抜きながらの正確なアーリークロスを上げCL初アシストを記録し、B組1位通過での決勝トーナメント進出に貢献。CL決勝トーナメント1回戦でバレンシアCFを破ると、準々決勝では長友佑都が所属するインテルとの対戦しCL初の日本人対決を実現させた[4]。シャルケは両試合とも前年度王者に対して2-5、2-1で圧勝し、内田は『EURO SPORT』が選ぶCL準々決勝第1戦のベストイレブンに選出された。準決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦では敗れたものの、CLベスト4という記録はクラブ史上、また日本人としても初めてのことであった[5]。なお、内田はグループリーグのハポエル・テルアビブ戦(ホーム)以降10試合連続でのフル出場を果たしている。5月21日にはDFBポカール決勝のMSVデュイスブルク戦に途中出場し、移籍後初タイトルを獲得した。
[編集] 日本代表
[編集] ユース代表
2004年にAFC U-16選手権に向けて日本サッカー協会が主催した早生まれの選手を対象としたセレクションで披露したスピードが関係者の目に留まり、2006年にU-16代表に招集され、豊田国際ユースサッカー大会とAFCユース選手権に出場。この時は右サイドハーフとしてプレーしていたが、その後清水東高校でそのスピードを生かすためにサイドバックにコンバートされた。2007年7月のFIFA U-20ワールドカップでは右サイドバックとして全4試合にフル出場した。その後U-21代表への招集を経て、2008年8月には北京オリンピックに出場している。
[編集] A代表
2007年4月にA代表候補の合宿に初招集され、2008年1月26日のキリンチャレンジカップのチリ戦でA代表デビューした。19歳305日でのデビューはJリーグ発足後では市川大祐、小野伸二、梅崎司に次いで4番目の若さであった。同年2月6日にはJリーグ発足後10代の選手としては初めてワールドカップ・アジア3次予選のタイ戦にスタメンフル出場を果たし、6月22日には同3次予選最終戦のバーレーン戦で代表初得点を決めた。20歳87日での得点はワールドカップ予選における日本代表の最年少得点である。2010年6月の2010 FIFAワールドカップの日本代表メンバーにも選出されたが、本大会直前に岡田武史監督が守備を重視する戦術に転換したため、右サイドバックのポジションを守備の評価の高い今野泰幸、今野の負傷後には攻守にバランスのある駒野友一に奪われ、本戦出場は叶わなかった。アルベルト・ザッケローニ監督就任後は再びレギュラーに返り咲いている。
[編集] プレースタイル
スピードと高い技術を併せ持った攻撃的サイドバック。スピードを生かしたオーバーラップで右サイドを駆け上がり、精度の高い良質のクロスを前線へ供給する。運動量も豊富で敏捷性に優れ、ボールの置き方、視野の確保が上手い。一方で守備、フィジカル面に多少の不安を残しているが、ドイツに渡って改善されつつあり、シャルケに移籍してからは積極的にフィジカルトレーニングを行っている。元々は主に右サイドハーフや攻撃的MFのポジションでプレーしていたが高校3年に上がる春に右サイドバックへコンバートされた[6][7][8][9][10]。
シャルケ移籍3カ月後には「相手はデカイけど、タイミングさえあえば、(懐に)入れる。そこら辺のすばしっこさはオレの方があるので。それに、(相手に)ぶつかられても、それがボール持っているときでも、なかなか体勢が崩れなくなってきた」と自己分析した[10]。
[編集] エピソード
- 元日本代表監督の岡田武史からは「サイドの選手はボールを受け取ると、前から相手がプレスしてくるためボールを取られるのを恐れ、自分の横にボールを置いて攻撃を組み立てる。しかし彼は自分の前にボールを置けるため即座に攻撃に移れる。なかなかできることではない」と言わしめ、高評価を得ている。
- 普段サッカーを見るほうではなく、ドイツに移籍する前も海外サッカーにまったく興味がなかったため、海外の有名選手もほとんど知らないことが多い。(例: シャルケで初めて練習をした際、「上手い人がいるな〜と思ってたら、その人がラウル・ゴンサレスだった」、「リベリ(フランク・リベリー)ってドイツ人だと思ってた」[11]、CL準決勝を前に、「ギグス(ライアン・ギグス)ってどっち利き?」[12]など、周囲に呆れられるような発言を残している)
- アルコールが苦手で、ブンデスリーガ開幕前に開かれた壮行会にて選手もビールで乾杯する中、内田はバナナジュースを飲んでいた。またDFBポカールでのフランクフルト戦終了後、主力4選手がディスコでの夜遊びを目撃された問題について、記者に伝えられるまで内田は知らず「僕は第1便で帰りました。ビール飲めないですから」と語っていた[13]。
- 与えられた休暇を早く切り上げてドイツに戻り、練習に参加する姿勢をフェリックス・マガト監督から「こういう選手がチームにいるのは、本当に嬉しいことだ」と高く評価された[14]。
- シャルケのチームメイトやサポーターからは「ウシ」または「ウ(ッ)シー」と呼ばれている[15]。本来、標準ドイツ語では[chi]は「ヒ」と発音されるが、シャルケ04の本拠ノルトライン=ヴェストファーレン州をはじめとする地域で話される低ザクセン方言(または低ザクセン語)では、境界を接するフランス語同様に「シ」と発音される。なお、ドイツ語圏において「ウシー(Uschi)」は女性名である「ウルスラ」の愛称のひとつでもある。
- チームメイトのクリストフ・メッツェルダーは内田を「いい選手であるばかりでなく、人間としてもすばらしい」と好評価。そんな内田にメッツェルダーが望むことがあるとしたら、それは「もう少し自分を表現して欲しいことかな。まだ若い選手だからね」とコメントを残している[16]。
- チームメイトの元スペイン代表ラウル・ゴンサレスと同じ教室でドイツ語を習っているが、まだ堪能ではない。監督が話した戦術で理解できない箇所は遠征で同部屋であるベネディクト・ヘーヴェデスが助けてくれるという。
- 2011年2月26日の1.FCニュルンベルク戦にて、「内田篤人シャルケ04公式応援ツアー」参加者が応援に駆け付け、95人のうち女性が90人という人気ぶりに、同僚からは「日本のベッカム」と冷やかされたという[17]。また、その女性人気から「チームでオレが日本でモデルをやっていたという誤情報が流れている」と苦笑した[18]。
- 2011年3月12日、ブンデスリーガ第26節・アイントラハト・フランクフルト戦勝利後、「日本の皆へ。少しでも多くの命が救われますように。共に生きよう!」と書かれたシャツを着て、前日に日本で起きた東北地方太平洋沖地震の被災地に向けメッセージを送った[19]。
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴
- - 1999年 函南SSS
- 2000年 - 2002年 函南町立函南中学校
- 2003年 - 2005年 清水東高校
- プロ経歴
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2006 | 鹿島 | 20 | J1 | 28 | 2 | 10 | 0 | 3 | 0 | 41 | 2 |
| 2007 | 2 | 31 | 0 | 8 | 0 | 5 | 1 | 44 | 1 | ||
| 2008 | 25 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 27 | 1 | |||
| 2009 | 31 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 35 | 0 | |||
| 2010 | 9 | 0 | - | - | 9 | 0 | |||||
| ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
| 2010-11 | シャルケ | 22 | ブンデス1部 | 26 | 0 | - | 5 | 0 | 31 | 0 | |
| 2011-12 | 6 | 0 | - | 0 | 0 | 6 | 0 | ||||
| 通算 | 日本 | J1 | 124 | 3 | 21 | 0 | 11 | 1 | 156 | 4 | |
| ドイツ | ブンデス1部 | 32 | 0 | - | 5 | 0 | 37 | 0 | |||
| 総通算 | 156 | 3 | 21 | 0 | 16 | 1 | 193 | 4 | |||
その他の公式戦
- 2008年
- Jリーグスーパーカップ 1試合0得点
- 2009年
- Jリーグスーパーカップ 1試合0得点
- 2010年
- Jリーグスーパーカップ 1試合0得点
- DFBスーパーカップ 1試合0得点
| 国際大会個人成績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | - | ||||
| 2008 | 鹿島 | 2 | 6 | 0 | - | |
| 2009 | 7 | 1 | ||||
| 2010 | 7 | 1 | ||||
| UEFA | UEFA EL | UEFA CL | ||||
| 2010-11 | シャルケ | 22 | - | 11 | 0 | |
| 2011-12 | 5 | 0 | - | |||
| 通算 | AFC | 20 | 2 | - | ||
| 通算 | UEFA | 5 | 0 | 11 | 0 | |
その他の国際公式戦
- 2011年
- UEFAヨーロッパリーグ 2011-12 予選プレーオフ 2試合0得点
[編集] 経歴
- Jリーグ初出場 - 2006年3月5日 J1 第1節 vsサンフレッチェ広島 (広島ビッグアーチ)
- Jリーグ初得点 - 2006年3月21日 J1 第4節 vsヴァンフォーレ甲府 (カシマサッカースタジアム)
- A代表初出場 - 2008年1月26日 キリンチャレンジカップ vsチリ (国立競技場)
- A代表初得点 - 2008年6月22日 2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 vsバーレーン (埼玉スタジアム)
- ブンデスリーガ初出場 - 2010年8月21日 第1節 vsハンブルガーSV (AOLアレーナ)
[編集] タイトル
[編集] クラブ
鹿島アントラーズ
- Jリーグ:2007年、2008年、2009年
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:2007年
- FUJI XEROX SUPER CUP:2009年、2010年
シャルケ04
- DFBポカール:2010-11
- DFBスーパーカップ:2011
[編集] 代表
[編集] 個人
Jリーグベストイレブン:2008年、2009年
[編集] 代表歴
- U-18、U-19、U-20日本代表
- AFCユース選手権2006 (2位)
- 2007 FIFA U-20ワールドカップ (ベスト16)
- U-22、U-23日本代表
- アジア男子サッカー2008 最終予選 (北京オリンピック2008最終予選)
- 北京オリンピック (予選敗退)
- 日本代表
- 東アジアサッカー選手権2008 (2位)
- 東アジアサッカー選手権2010 (3位)
- 2010 FIFAワールドカップ (ベスト16)
- AFCアジアカップ2011 (優勝)
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 45試合 1得点 (2008年 - )
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2008 | 14 | 1 |
| 2009 | 13 | 0 |
| 2010 | 7 | 0 |
| 2011 | 11 | 0 |
| 通算 | 45 | 1 |
[編集] ゴール
| # | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2008年6月22日 | 日本 | ○1-0 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選 |
[編集] 出演
[編集] CM
[編集] イメージキャラクター
- 常陽銀行(2007年 - 2010年)
- コーセー「adidas skin protection」 (2010年)
- 第90回全国高等学校サッカー選手権大会応援リーダー(2011年)
[編集] 関連作品
[編集] 書籍
- 『僕は自分が見たことしか信じない(幻冬舎、2011年、ISBN 9784344021075)
[編集] DVD
- ATSUTO UCHIDA LIKE A ROLLING STONE(2010年)
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ “シャルケ・内田、奥寺氏以来、33年ぶりの日本人ドイツ杯王手!”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2011年3月4日) 2011年3月4日閲覧。
- ^ 鹿島内田に異例の長期4年半契約 日刊スポーツ 2008年12月31日
- ^ WM-Teilnehmer Atsuto Uchida wechselt zu den Knappen シャルケ04公式サイト 2010年6月13日
- ^ [1]スポーツニッポン 2011年4月7日
- ^ シャルケ内田日本人初4強/欧州CL 日刊スポーツ 2011年4月15日
- ^ 【ドイツ】日本人初のCL4強へ!内田篤人が見せた守備面での成長 web Sportiva(2011年4月15日)
- ^ 【ドイツ】リーグ戦スタメン落ちが続く内田篤人の変化と復活のきざし web Sportiva(2011年8月23日)
- ^ 内田 篤人 nikkansports.com
- ^ 内田篤人と長友佑都。幾重もの偶然に導かれた直接対決 Spurts Times×論スポ(2011年4月15日)
- ^ a b スタメン定着&ベストイレブン!内田篤人が語る「成長の証」。 Number Web(2010年11月20日)
- ^ すぽると 2011年6月20放送分
- ^ 家長もあきれた 内田、CL準決勝前に「ギグスはどっち利き?」 スポニチ 2011年7月31日
- ^ 同僚の夜遊び報道に内田は…… サッカーキング 2010年10月28日
- ^ 統率された組織を作るには、日本人の「3要素」が不可欠。 Number Web 2010年11月10日
- ^ 内田、バイエルン斬り…リベリ完封に「ウッシー」コール スポーツ報知 2010年12月5日
- ^ 決勝Tでさらなる高みを目指す内田 UEFA.com 2010年12月8日
- ^ 「日本のベッカム」内田 決定的クロスも… スポーツニッポン 2011年2月28日
- ^ 内田5試合連続でフル出場、ドローも貢献 サンケイスポーツ 2011年2月28日
- ^ 内田篤人が日本へ向けてメッセージ「少しでも多くの命が救われますように」 SOCCER KING 2011年3月13日、同日閲覧
[編集] 外部リンク
- シャルケ04公式プロフィール
- 所属マネジメント事務所「SARCLE」
- 代理人:トーマス・クロート日本公式サイト
- FIFA Player Statistics: Atsuto Uchida(English)
- Transfermarkt.de: Atsuto Uchida(German)
|
|
|---|
|
1 フェールマン | 2 サーペイ | 3 エスクデロ | 4 ヘーヴェデス | 6 ホーグラント | 7 ラウル | 8 マリカ | 10 ホルトビー | 11 バウムヨハン | 12 ヘーガー | 13 ジョーンズ | 14 パパドプーロス | 16 モラヴェク | 17 ファルファン | 18 フラド | 20 プッキ | 21 メッツェルダー | 22 内田 | 23 フックス | 24 クルゲ | 25 フンテラール | 26 ヴィーゲル | 28 モリッツ | 30 ケニア | 31 ドラクスラー | 32 マティプ | 33 ショーバー | 34 ヒルデブラント | 36 ウンナーシュタル 監督: ステフェンス |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||