デヴィ・スカルノ

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デヴィ・スカルノ
生誕 1940年2月6日(71歳)
日本の旗 日本東京府東京市麻布区霞町
別名 デヴィ夫人、根本 七保子
職業 インドネシア大統領夫人
アースエイドソサエティ総裁
配偶者 スカルノ大統領
公式サイト
dewisukarno.co.jp
補足
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デヴィ・スカルノDewi Sukarno1940年2月6日 - )は、日本生まれでインドネシア国籍の文化人タレントコメンテーターインドネシアスカルノ元大統領第3夫人[1]NPO法人アースエイドソサエティ総裁。株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役。本名・インドネシア名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノRatna Sari Dewi Sukarno)、旧名・日本名:根本 七保子(ねもと なおこ)[1]、通称はデヴィ夫人

スカルノ大統領との間に生まれた一人娘・カリナは、2005年11月26日にオランダで米系大手金融機関シティバンクの欧州・中近東・アフリカ地区CEOフレデリック・シーガスと挙式している[2]

目次

[編集] 来歴

[編集] 幼少期

東京市麻布区霞町(現・東京都港区西麻布)出身。父は霞町界隈の大工であり、弟が一人いた。

[編集] 女優時代

15才だった1955年新東宝制作の映画『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』(主演:左幸子香川京子池内淳子)にエキストラ出演したことがある。映像は現存し(モノクロ映画)、近年でもテレビ番組で出演シーンが紹介されたことがある。引きで撮られているが、本屋で立ち読みをしている制服姿の女子学生役で、セリフはないが姿が確認できる。貧しい家計を楽にするため東京都立三田高等学校定時制部を中退後、赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働く。

1959年、19歳のときに、インドネシアへの日本政府の開発援助に伴い「東日貿易の秘書」として、スカルノ大統領のもとに送り込まれた[1]。この一件に当時「昭和フィクサー」と呼ばれた児玉誉士夫が関わっていたとされる。

[編集] 大統領夫人

スカルノ

当時の日本外交や資金援助の取り付け等をスカルノ大統領は非常に重要視していた。インドネシアに渡って数年は愛人の一人であったが、語学などの熱心な勉強態度が認められ、1962年にスカルノと正式に結婚。4人の夫人の内の第3夫人になる。スカルノとの結婚以降は、インドネシアへの経済援助(ODA)や、日本への資源輸出などに積極的に関わった。当時の池田勇人首相とスカルノをつなぐ仲介役を務めたという[3][4]

しかし、同時期に実弟の八曾男が自殺し、それを伝え聞いた彼女は「何時までも心を離れない悲しいトラウマになっている」と告白し、後にジャカルタの宮殿の一つに実弟の名をつけた。この宮殿はのちに接収され軍事博物館になっている。

[編集] スカルノ失脚

しかし3年後の1965年9月30日に起きた軍事クーデター、いわゆる9月30日事件でスカルノが失脚。代わってスハルトが大統領となった。デヴィ夫人はインドネシアの日本大使館亡命を希望したが、国際的立場上の理由で断念。スカルノ大統領の第二夫人を除く夫人は皆、大統領のもとを離れ逃げ切った。


スカルノと来日した時には、大映スターであった本郷功次郎とのロマンスが発覚。それをスカルノが止めたというエピソードがある。スカルノの他界後には度々、来日。当時の津川雅彦とのロマンスは有名で週刊誌のインタビューにおいても、恋人同士であることを堂々と告白。「津川さんの素敵なところは臭い台詞でも平気で女性を褒めることが出来る、日本人離れしている点」といった趣旨発言をしてもいたが、その恋も長続きはしなかった。

[編集] スカルノ死後

スカルノ大統領はクーデターを予期し、以前よりインドネシアからスイスへ巨額の資金を確保していたとささやかれるものの、1970年のスカルノ死去時にスカルノ家、ならびにインドネシア政府から財産の相続の権利や子供のスカルノ一族としての地位などを喪失し、第三夫人としての資産は与えられなかったという噂があるが、実際には死去時に遺産が与えられたという説もある。いずれにしてもその後のインドネシア政府の方針により、第三夫人としての遺産分与が行われた。

東洋の真珠』、社交界の華とも呼ばれたというその美貌と教養で多くの要人らを魅了し交友をもったという。1980年には、インドネシアへ戻り石油関連事業を興した。しかし、実際にはスカルノ体制によるインドネシアの世界的な孤立により、夫人としての外交的立場を失っていたという。また、日本政府や日本の企業財閥側もクーデターで失脚したスカルノのデヴィ夫人を擁護することはなかったとされる。

1991年にアメリカのニューヨークへと移住。ここからインドネシアの第一線から退き、その後の政変や第一夫人・第二夫人を中心とした政治の動乱には巻き込まれることもなく、日本に帰国し現在に至っている。

1992年1月2日にアメリカ合衆国のスキー・リゾート地、コロラド州アスペンで、セルヒオ・オスメニャ第四代フィリピン大統領の孫娘のMinnie Osmenaをワイングラスでけがをさせて傷害罪で逮捕され、禁固60日の実刑判決が出て、34日間収監される[1]。動機は、数ヶ月前スペインのイビサ島でのパーティに於いて、Minnie Osmenaが「フィリピン副大統領になる意志がある」と発表し、デヴィ夫人が吹き出したことから2人の関係が悪化したため。後に「刑務所での生活は学生寮のようで楽しかった」と語った[1]

[編集] 芸能活動

2000年に、デヴィ夫人が有名人の批評等を書いた著書『デヴィのチョット一言よろしいかしら?』を出版した際、音楽プロデューサーの酒井政利がワイドショーでこの本を痛烈に批判したが、これを知ったデヴィ夫人は感情を害し、その結果舌戦を展開した。

2006年10月26日クイズ$ミリオネア」に2度目の出場をし、1000万円を獲得した。 初の「クイズ番組優勝&1000万円獲得」だった。一般挑戦者の出場廃止後、リニューアル第1号のミリオネアがデヴィ夫人である。

浮世離れした人生を送っていたこともあり、「料理が苦手」というキャラクターを生かしたタレント活動の一環としてゲスト出演したテレビ番組「愛のエプロン」では、鮭のムニエルを作りジャッジマン達を絶句させ、またデヴィ自身もそれを食べて「不味い」と言ったこともあった。他にも庶民の味として知られるカツカレーを一度も食べたことがなかったことや、包丁を自ら握るのも半世紀ぶりならば、揚げ物や焼き物を作るのも初めてだと言うことを告白した。だが負けることが何よりも嫌いなこともあり、2005年になってから服部栄養専門学校に通い始め、自身の料理の腕を磨き始めたことも「愛のエプロン」内で紹介された(その甲斐あって一度は優勝している)。

2006年に生まれて初めて作ったぶり大根が高評価で、100点満点中92点の高得点を叩き出した。

2007年9月4日放送の「笑っていいとも!」にて「中居君には倖田來未という相手がいる」と発言し、話題となった。後日取材に対し「私は精神・金銭面で独立している。だからテレビに出られなくなっても大丈夫」と答えた。このスタンスが自由奔放な振る舞いにつながっているようである[5]

[編集] 思想

デヴィ・スカルノの思想については、その多くが自身のウェブサイト内「デヴィ スカルノの独り言」に記されている[6]

日本は2,000年以上天皇を中心としての政治・経済・文化があり、皇室を否定することは日本民族であることを否定するのと同義であるとしている。

[編集] 大東亜戦争(太平洋戦争)と戦後

大東亜戦争太平洋戦争)を肯定する立場ではないが、当時の世情として資源の乏しい日本が対外進出を行うのは当然であり、A級戦犯についても私利私欲で戦争を行ったのではない、としている。日本人は一度の敗戦で精神が打ちのめされ、戦争の罪悪感から抜けきれず、日本人としての尊厳を失っていることが残念であるとしている、戦争そのものはキリストの降誕以前から2009年を迎えようとしている現在においても繰り返され、人類の歴史そのものであるから、たった一度の敗戦で精神を失うことはない、としている。

[編集] 靖国神社

靖国神社問題における戦死者・戦没者慰霊の問題については、夫のスカルノ大統領も靖国神社に参拝しており、祖国と家族のために亡くなった人を慰霊するのは当然であるとしている。A級戦犯の問題についても、A級戦犯は東京裁判で処刑され、罪があるとしてもそれを既に償っているとして、慰霊に賛成の立場を取っている。日本の全学生は、一度は遊就館に訪れ、自身が日本人であることを自覚し、世界の中で日本がどうあるべきか認識してほしい、と述べている。また、小泉純一郎については、不戦の誓いのもとに靖国神社参拝を行っており、戦後最も傑出した政治家であるとしている。

[編集] 憲法9条と本土防衛

憲法改正論議については、憲法は時代ごとの必要性で改正すべきであるとしている。毎年4兆円をアメリカ合衆国の軍事基地維持費として支払うよりも、アメリカ軍からノウハウを受け継ぎ、日本も防衛軍を作って自国を守るべきであるとしている。

[編集] 人物

インドネシアの故スカルノ大統領元夫人(4人の夫人のうちの第3夫人にあたる)。現在の本名であるラトナ・サリ・デヴィ・スカルノは、同大統領から命名された名前で、名前の由来はサンスクリット語で「宝石の聖なる女神」という意味である。インドネシア語(マレー語)・仏語・英語に堪能である。

「デヴィ夫人」の愛称で日本のワイドショーやバラエティ番組に出演している。芸能活動以外には、主催チャリティパーティの慈善活動を行っている。大統領夫人時代に親交があった北朝鮮拉致問題餓死問題にも活動。日本の拉致被害者援助や120トンの米支援を行っている。

[編集] パーティ

また国際的な基盤をいかして、日本国外においても自身が会長を務めるイブラ音楽財団(音楽団体。イブラ・グランドプライズを開催し、慈善活動も行っている)などを通じて講演や文化活動など各種交流にいそしんでいる。チャリティーパーティを催すことがライフワークで、東ローマ皇帝の末裔を自称するアンリ・コンスタンティン・パレオロゴを招いて開催される「ビザンチン皇室慈善舞踏晩餐会」には毎年500名あまりの芸能人や在京の各国大使などが出席する。2005年には小池百合子環境大臣が主賓として招かれた。

[編集] 北朝鮮との関係

北朝鮮とは夫のスカルノを通して親交があり、金日成花の命名式にはスカルノと共に北朝鮮で行われた式典に同席している。この事もあり北朝鮮擁護の立場を明確に示している。朝鮮総連主催の式典にも出席を重ねている。北朝鮮による日本人拉致事件や人工衛星のテスト問題で北朝鮮を理解する立場からの発言をし、国交正常化実現を訴えており、朝鮮総聯の中央機関紙である朝鮮新報から、同国に対するその姿勢を高く評価されている。

また、日本の拉致被害者家族に対しても、拉致被害者を北朝鮮へ返還することを促す内容の手紙を送ったとされている。「ミサイルが七発飛んできたからといって、何を慌てているのでしょう」「偽札や覚醒剤を作っているからといって北朝鮮を非難するのはやめたほうがいい」と主張している。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献・出典

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  1. ^ a b c d e Mydans, Seth (1998年2月17日). “Jakarta Journal; Weighty Past Pins the Wings of a Social Butterfly” (英語). ニューヨークタイムス (ニューヨークタイムス). http://www.nytimes.com/1998/02/17/world/jakarta-journal-weighty-past-pins-the-wings-of-a-social-butterfly.html?scp=3&sq=Dewi%20Sukarno%E3%80%80aspen&st=cse 2010年12月21日閲覧。 
  2. ^ デヴィ夫人の娘カリナさん蘭で豪華挙式 日刊スポーツ 2005年12月01日
  3. ^ 【外交文書公開】デヴィ夫人首脳外交に一役 池田首相の伝言取り次ぐ
  4. ^ 池田総理大臣の西太平洋諸国訪問の再の各国政府との共同声明
  5. ^ http://www.cyzo.com/2007/10/post_74.html
  6. ^ デヴィ・スカルノ「デヴィスカルノの独り言デヴィ夫人のホームページ2005年

[編集] 外部リンク

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