イメルダ・マルコス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
イメルダ・マルコス

イメルダ・マルコスImelda Romuáldez Marcos1929年7月2日 - )は、フィリピン共和国の政治家。第10代大統領フェルディナンド・マルコス夫人。下院議員。新社会運動英語版党首。マニラ首都圏知事、環境住居大臣を務めた。鋼の蝶(Steel Butterfly)[1]または鉄の蝶(Iron Butterfly)という呼称がある[2]

略歴[編集]

生い立ち[編集]

1929年、弁護士ヴィセンテ・ロムアルデスと後妻レミディオスの長女としてアメリカ植民地であったフィリピンのマニラで生まれる[注 1]。イメルダには腹違いの兄姉が5人おり[4]、その後 弟と妹が5人できた[5]。1歳違いの弟にココイ・ロムアルデス英語版がいる[6]

1938年、8歳のイメルダは母レミディオスを肺炎で失い、同じころ、父ヴィセンテの弁護士の仕事も減少した。ヴィセンテは生活上の困難のため出身地レイテ島タクロバンに家族と帰り、イメルダは思春期をタクロバンで過ごすこととなった。生活は厳しくイメルダは母の形見の装飾品を売って家計の足しにしていた。1938年から1948年の高校卒業まではタクロバンのホーリー・インファント学院で英語を学び[7][8]1944年アメリカ軍がレイテ島に上陸した時はダグラス・マッカーサーの前でフィリピン解放を祝った歌を披露した[9]1951年セントポール大学英語版教育学学士号を得て卒業し[6][10][11]、地元の中国人学校の教員を勤めていた[12]第二次世界大戦後の1946年にフィリピンは独立している。

青年期[編集]

1952年にイメルダは従姉の勧めで従兄の家に同居することになりマニラへ戻った[13]。マニラに来てからは音楽店の歌手として働いていたが父の反対に遭い[14][15]1954年までフィリピン中央銀行の秘書として働いていた[2]。また、サント・トーマス大学英語版声楽を学び、フィリピン女子大学英語版音楽芸術学部の聴講生として勤務の傍らの時間を縫って通っていた[16]。この頃には美人コンテストに相次いで出場し、「タクロバンの薔薇」、「ミス・レイテ」、「ミス・フィリピン」のタイトルを獲得している。1953年にはマニラ・クロニクル英語版が出版する雑誌「ジス・ウィーク」のバレンタイン特集号で表紙を飾ることとなった[17]

同年3月「ミス・マニラ・コンテスト」に出場したが次点と発表された。しかし、票の集計には市長の代理人が立ち会っておらず、イメルダは票集計の不正が行われたものとしてアーセニオ・ラクソン英語版マニラ市長に異議を申し立てた。ラクソン市長もイメルダの抗議は合理性があると考え、コンテストの優勝者はイメルダであると発表したが判定は覆らず、市長の配慮から創設された「マニラのミューズ」の称号をイメルダに授与した[10][18]。この騒動はイメルダの写真付きで新聞に取り上げられ、後に伴侶となるフェルディナンド・マルコスはこの記事で初めてイメルダを知ることとなった[19]

1954年4月、マニラにおいてイメルダとフェルディナンドは出会った[20]。イメルダを見初めたフェルディナンドは執拗にイメルダに迫り、根負けしたイメルダは結婚契約書にサインした。それは2人が出会ってから僅か11日後の出来事だった[21]。同年5月1日にフェルディナンドとイメルダは結婚した。フェルディナンドは当時史上最年少で下院議員となった注目される政治家で、結婚式立会人ラモン・マグサイサイ大統領フィリピン国民党英語版フィリピン自由党英語版の代議士が務める政治色が強いものであった[22]

この結婚によりイメルダは政治家の妻としての役割をフェルディナンドに求められた。政治とはこれまで無縁であったイメルダにとって、このことは相当な重圧となり偏頭痛となってイメルダを襲った。イメルダは治療のために米国の精神科へ赴き診察を受けている。この結果、イメルダの症状は少しずつ改善に向かい1960年頃には模範的な政治家の妻となる決意を固めることができた[23]。フェルディナンドが各地の遊説にイメルダを同伴するようになったのもこの頃からである[24]。イメルダは1964年の大統領候補指名獲得のための国民党大会および、翌年の大統領選で国中の政治家を訪れフェルディナンドが大統領となるのに助力した[6]。訪れた自治体は1200か所に及び、そこでは応援演説や歌を歌いフェルディナンドに対する支持を募っている。フェルディナンドはこの彼女の貢献に対して「彼女は少なくとも100万票を稼いでくれた」と述べ、政治家の妻としてイメルダが果たした役割を労った[25]

イメルダはフェルディナンドとの間に長女アイミー英語版長男フェルディナンド・マルコス2世英語版、次女アイリーン英語版の3人の子を儲けた。

大統領夫人[編集]

右からイメルダ夫人、アメリカのリンドン・B・ジョンソン大統領、マルコス大統領、ジョンソン夫人
マルコス大統領とイメルダ夫人、中央はアメリカのロナルド・レーガン大統領

1965年12月、大統領選挙で勝利したフェルディナンドの大統領就任に伴い大統領夫人となった。ファーストレディとなった彼女のファッションジャクリーヌ・ケネディと対比された[10]1966年昭和41年)9月、マルコス大統領とともに訪日し昭和天皇香淳皇后国賓として歓待された[26]。イメルダは多年にわたり植民地であったフィリピンでは自国の文化が衰退していると考え[9]マニラ文化センター英語版の創設に邁進し、同センターは1969年に開設された[27]。また、前任者のエヴァ・マカパガル英語版大統領夫人が推進していたリサール公園英語版の整備拡充を引き継ぎ完了させている[28]1971年に「水素爆弾の父」として知られている物理学者エドワード・テラーがフィリピンを訪問しイメルダと会談した。その際に重水素の開発をテラーから促されて以来、フィリピン近海からの重水素の採取に取り組んでいる[14][29]1972年12月7日、マニラでの全国美化清掃運動表彰式の最中に刃物を持った暴漢に襲撃され両手を負傷した。その瞬間は、犯人がその場で警察に射殺される様子も含めて一部始終がテレビの報道で生中継されていた。イメルダはこの負傷で75針を縫う手術を受けている[30]

1970年代、イメルダは特命全権大使に任命され、アメリカ、中国ソ連リビアユーゴスラビアイラクキューバなどの世界各国を訪問した。イメルダと会談した各国首脳はリンドン・ジョンソンリチャード・ニクソン毛沢東ムアンマル・カダフィヨシップ・チトーサダム・フセインフィデル・カストロなどがいる[2][7]。中でもカダフィとは親密であった[31]。外交実績としては中国やソ連との国交樹立交渉、モロ民族解放戦線への武器供給停止交渉などがある[32]1975年11月にはマニラ市など周辺4市13町を併合したマニラ首都圏知事(初代)に任命され、1978年6月には環境住居相に就任している。いずれも亡命時まで在職し[33]、タンゴナンの地熱発電所サン・ファニーコ橋迎賓館ココナッツ・パレス英語版などなどを作りインフラ整備を積極的に推し進めた[34][35][36][37]。加えて、社会福祉事業や低家賃住宅建設、外国人観光客の誘致を目的としたホテル建設、国際映画祭並びに国際美人コンテストの誘致、都市美化運動としてマニラ最大のスラム街であるトンド地区の整備並びに住民の移住なども行っている[38]。1978年に新社会運動英語版を結成し同党首となり[6]、同年4月の暫定国民議会選挙にマニラから出馬してトップ当選を果たした。1978年から1984年まで暫定国会議員を務めている[39]。マルコス大統領に批判的だったニノイ・アキノが病気の時に援助し、1980年にニノイが米国へ亡命する際には資金提供を行っている[40]

失脚[編集]

1983年8月31日、ニノイが帰国の際に暗殺されるとマルコス大統領は、真相解明のためにイメルダを含めた容疑者を調査する大統領令を発令するが[41]、イメルダの関与は認められなかった[42]。しかし、この事件により反マルコス運動によるデモや暴動が活発化し、ニノイの未亡人コラソン・アキノに対する国民の支持が増加することとなった。

1986年に発生した「人民革命」でマラカニアン宮殿を追われたフェルディナンドとともにハワイに亡命した。マルコス一家はフィリピン国内のラオアグに行くことで米側と合意していたが、果たされなかった。このことに対しイメルダは後年、「私たちは米軍機で誘拐された。」と述べ、また「マルコスは同盟国に裏切られて潰された。」とも述べている[43]。彼女が退去した後のマラカニアン宮殿には、1060足の靴、15着のミンクコート、508着のガウン、888個のハンドバッグが残されていた[44]。この様子はマスコミによって印象的に取り上げられ、イメルダの浪費癖に対する批判の声が高まった。これに対してイメルダは、「貧しい者のための希望の星であることが私の義務だった。」と述べるとともに、「夫は、のトレーダーだった。1949年の政界入りしたとき、彼は山ほどの金を持っていた。1950年代後期には、マルコスは7500トンの金の個人財産を持っていた。」と述べて横領で購入したものでは無く、フェルディナンドの財産で購入したと主張している[29]

なお亡命先のハワイにてマラカニアン宮殿に残してきた大量の豪華な靴が無いことを嘆いた事が報道されると「同情」した人々により「善意」で片方だけの靴や サイズが不揃いで履けない靴や古ぼけて汚れた靴が主にアメリカ本土より大量に亡命先に届けられた。この「善意」に対するイメルダ自身のコメントは無かった[要出典]

1988年10月21日、マルコス夫妻は1億ドル以上をフィリピン政府から盗み取ったとして、恐喝及び横領罪で米国に起訴されたが[45]1990年7月3日に請求は棄却された[46]。この期間内の1989年12月にハワイで夫の死を看取っている。

帰国後[編集]

1991年11月4日にフィリピン政府からの許可を受けて帰国を果たしたものの[33][47][48][49]、翌日に脱税贈収賄容疑逮捕された。イメルダは6400ドルの保釈金を支払い釈放された[33]1992年大統領選に出馬するも落選した[33]1993年9月、控訴裁判所から横領罪による懲役刑(刑期18年-24年)及び、被選挙権永久はく奪の有罪判決を受けるが[50]、上訴の末1998年10月フィリピン最高裁において無罪判決が言い渡された[51][52]1995年にはレイテ島で下院議員に立候補して当選し、国政に復帰した[33]1998年に大統領選挙に再度出馬するが、中途で撤退している[33]2000年12月、脳溢血により倒れるも手術を受けて一命を取り留めた[53]

2001年10月、マルコス一家の預金を海外口座に集中させているのは、不正蓄財に当たるとして逮捕収監され2400ドルの保釈金を支払った[54][55]2009年7月、80歳になったイメルダは盛大な誕生日パーティーをソフィテルフィリピンプラザで開いた。ルイス・シンソン劉建超特命全権大使、デヴィ・スカルノら総勢1000人以上が参加した。そこでは結腸癌であることを公表し闘病中だったコラソン・アキノ元大統領の回復を祈って黙祷が捧げられている[56]。同年12月には再び下院議員に立候補を表明し[57]2010年5月の選挙で当選した。同時に下院議員で北イロコス州知事選挙に立候補した娘のアイミー・マルコス英語版北イロコス州知事で上院議員に立候補した息子のフェルディナンド・マルコス・ジュニア英語版も同じく当選している[58]。イメルダはミレニアム開発目標下院特別委員会の議長に就任し、幼児死亡率の削減に取り組んでいる[59][60]

2011年4月、元国家食物局英語版大臣タンチャンコの起訴から免れるための讒言により、控訴裁判所から28万ドルを返還する命令が発せられる[61]2013年5月、北イロコス州下院議員に再選された[62]。同年11月には幼少期を過ごした家にフィリピン史上最大規模となる台風30号が来襲し被害を受けた[63]。イメルダは糖尿病のためマニラの病床におり そこを離れることはできなかったが、深刻な被害を受けたワライ族英語版に対して入院先から激励の言葉を著した[64]2014年1月、入院中のグロリア・アロヨ元大統領を見舞い、当局の対応を批判している[65]

その他[編集]

ビートルズとのかかわり[編集]

1966年コンサートツアーで入国中のビートルズを招いてのイメルダ主催の朝食レセプションがマラカニアン宮殿で催されることとなった。これは日本公演中に既に打診していたが、ビートルズマネージャーブライアン・エプスタインはメンバーに知らせずに断った。フィリピンの現地プロモーターもまた、断られたことをイメルダに伝えなかった。開催当日の7月4日、現地プロモーターは開始寸前まで交渉したが、エプスタインが首を縦に振ることは無く、ビートルズが訪れることは無かった[66]

翌日の新聞では「ビートルズ、大統領一家を侮辱!」と大々的に報じられ、TVではイメルダの「ビートルズが約束を破ったために会えるのを楽しみにしていた子供たちが可哀想だ。裏切られた。」と憤慨する様子が放映されていた。これにより、フィリピン国内にビートルズに対する反感が瞬く間に拡大した。

帰国の際にビートルズは空港で民衆から殴る・蹴るの暴行を受け、帰りの飛行機にはなかなか離陸許可が下りず、結局コンサートの収入すべてがその場で課税対象とされてようやく許可が下りたという顛末がある[67]。この件に関してポール・マッカートニーは、マルコス大統領失脚後に「隠された真相が明らかになった」と自分達の無実を証明できたことに安堵の意を示した。ジョージ・ハリスンは、「次にフィリピンへ行く時は、原爆を落としに行く時だ」と怒りを露わにし、ジョン・レノンも「あんなイカれた国には2度と行くもんか」と発言した。

映画「イメルダ」[編集]

2003年、フィリピンにて製作。日本では、2009年9月12日ポレポレ東中野にて公開。上映時間103分。

20年間もの間フィリピン共和国のファーストレディとして政治を操り、贅の限りをつくしたイメルダ夫人が、自らの人生を語ることに承諾した初めてのドキュメンタリー[注 2]。権力を手にするまでの努力の日々、権力を行使した栄光の日々、そして訪れた失意の日々を本人の語りと息子や友人・米国高官たちによるコメントで迫る。さらにイメルダ暗殺未遂事件やカダフィ大佐との会談の様子など貴重な映像を通じて彼女が歩んできた人生を知ると同時に、観る者は彼女の内面にまで踏み込んだ実像を知ることになる。

第20回サンダンス映画祭 ドキュメンタリー部門 最優秀撮影賞受賞

  • ジャンル:ドキュメンタリー
  • 監督/プロデューサー:ラモーナ・ディアス
  • 撮影:フェルネ・パールステイン

キャスト[編集]

  • イメルダ・マルコス

外部リンク[編集]

「ヒア・ライズ・ラヴ」[編集]

2010年4月、デヴィッド・バーンファットボーイ・スリムによる 彼女のこれまでの人生を主題としたコンセプト・アルバムヒア・ライズ・ラヴ英語版」が発売された[69] [70]。この「ヒア・ライズ・ラヴ」という題名はイメルダが自身の墓碑に刻む銘文から引用されている[1]。 2013年にはニューヨークザ・パブリック・シアター英語版においてヒア・ライズ・ラヴのミュージカルも上演され、好評を博した。2014年には再演もされている[71][72][73]。このミュージカルは2014年のオフ・ブロードウェイを対象としたルシル・ローテル賞英語版のうち5部門の賞を獲得している[73][74]

靴収集[編集]

前述の失脚時に発見された靴のコレクションは、最終的に3,000足前後になった。このうち1,000足余りは、イメルダ・マルコスが2001年に開館したマリキナ市の靴博物館に寄贈し、多くが展示されている[75]。2014年に行われた85歳のバースディ・パーティーでは、特製の靴をかたどったケーキが披露されており、靴コレクションに関しては身内など周囲も寛大であることが示されている[76]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 母のレミディオスがメイドであった、もしくは違法にイメルダを出産したというのは誤りである[3]
  2. ^ ただし、イメルダは映画製作者のラモーナ・ディアスに対してスタンフォード大学の修士論文としての使用を許可したものであり、商用な映画への使用を許可したものでは無いとして地裁に上映中止を求めている[68]

出典[編集]

  1. ^ a b Michael Schulman (2013-5-13). “STOMPING GROUNDS BLING RING”. The New Yorker (Condé Nas). http://www.newyorker.com/talk/2013/05/13/130513ta_talk_schulman 2014年1月29日閲覧。. 
  2. ^ a b c Roy Rowan (1976-5-29). “Orchid or Iron Butterfly, Imelda Marcos Is a Prime Mover in Manila”. People (Time Inc.) 5 (12). ISSN 00937673. http://www.people.com/people/archive/article/0,,20066297,00.html 2014年1月24日閲覧。. 
  3. ^ Remedios T. Romualdez” (English). Omnilexica. 2014年2月1日閲覧。
  4. ^ ペドロサ(1986年)66頁
  5. ^ ペドロサ(1986年)86頁-97頁
  6. ^ a b c d Imelda Marcos Biography” (English). The Famous People. 2014年1月26日閲覧。
  7. ^ a b Imelda Marcos biography” (English). Bio.com. 2014年1月24日閲覧。
  8. ^ ペドロサ(1986年)107頁
  9. ^ a b Imelda Marcos (2010年) (English,Tagalog,日本語字幕). イメルダ 美貌と権力を手にした「女帝」の生涯 (DVD). ユナイテッドエンタテイメント. 
  10. ^ a b c Carol Ramoran (2013年9月22日). “Imelda Marcos: Style icon,for better and worse” (English). Rappler. http://www.rappler.com/life-and-style/fashion/39154-imelda-marcos-style-icon 2014年1月24日閲覧。 
  11. ^ ペドロサ(1986年)119頁
  12. ^ ペドロサ(1986年)128頁
  13. ^ ペドロサ(1986年)124-134頁
  14. ^ a b Norman Pearlstine (2013年10月24日). “Imelda Marcos Has an $829 Billion Idea” (English). Bloomberg Businessweek. http://www.businessweek.com/articles/2013-10-24/imelda-marcos-backs-deuterium-off-philippines-for-clean-energy 2014年1月26日閲覧。 
  15. ^ ペドロサ(1986年)141頁
  16. ^ ペドロサ(1986年)146頁
  17. ^ ペドロサ(1986年)151頁
  18. ^ ペドロサ(1986年)160-165頁
  19. ^ ペドロサ(1986年)177頁
  20. ^ ペドロサ(1986年)189頁
  21. ^ ペドロサ(1986年)189頁
  22. ^ ペドロサ(1986年)200頁
  23. ^ ペドロサ(1986年)222.223頁
  24. ^ ペドロサ(1986年)230頁
  25. ^ ペドロサ(1986年)14頁
  26. ^ Stars and Stripes archives (1966年9月30日). “Marcos arrives for Japan visit” (English). Stars and Stripes. http://www.stripes.com/news/marcos-arrives-for-japan-visit-1.18414 2014年1月29日閲覧。 
  27. ^ Ambeth R. Ocampo (2011年8月25日). “Looking Back‘Sanctuary of the Filipino Soul’” (English). Philippine Daily Inquirer. http://opinion.inquirer.net/10643/%E2%80%98sanctuary-of-the-filipino-soul%E2%80%99 2014年1月26日閲覧。 
  28. ^ ペドロサ(1986年)15頁
  29. ^ a b “The weird world of Imelda Marcos” (English). The Independent. (2006年2月25日). http://www.independent.co.uk/news/world/asia/the-weird-world-of-imelda-marcos-347541.html 2014年1月26日閲覧。 
  30. ^ Mrs. Marcos / Assassination Attempt” (English). Television News Archive. Vanderbilt University. 2014年1月25日閲覧。
  31. ^ Grace Gaddi (2013年7月8日). “Get to know former First Lady Imelda Marcos on Powerhouse” (English). GMA News TV. 2014年1月24日閲覧。
  32. ^ ペドロサ(1986年)266頁
  33. ^ a b c d e f CNN Library (2013年1月24日). “Imelda Marcos Fast Facts” (English). CNN. http://edition.cnn.com/2013/01/24/world/asia/imelda-marcos-fast-facts/ 2014年1月26日閲覧。 
  34. ^ Coconut Palace Manila, come and judge for yourself!” (English). Philippines Travel Guide. 2014年1月29日閲覧。
  35. ^ “Tracking Tacloban’s Treasures (1)” (English). ThingsAsian. (2009年4月29日). http://www.thingsasian.com/stories-photos/36089 2014年1月29日閲覧。 
  36. ^ E.W. Smith (1977-1). “Title:An Example of Rapid Utilization of Geothermal Energy” (English) (PDF). 1979 Session:The Tongonan Geothermal Resource. https://pangea.stanford.edu/ERE/pdf/IGAstandard/NZGW/1979/Smith.pdf 2014年1月29日閲覧。 
  37. ^ “Tacloban mourns the loss of former Ambassador, Leyte Gov. Benjamin “Kokoy” Romualdez” (English). tacloban.gov.ph. (2012年2月29日). http://tacloban.gov.ph/?p=2884 2014年1月29日閲覧。 
  38. ^ ペドロサ(1986年)265,266頁
  39. ^ ペドロサ(1986年)265頁
  40. ^ “Imelda Marcos Talkasia Transcrip” (Englisg). CNN. (2007年1月24日). http://edition.cnn.com/2007/WORLD/asiapcf/01/19/talkasia.marcos.script/index.html 2014年1月26日閲覧。 
  41. ^ PRESIDENTIAL DECREE NO. 1886” (English). VIRTUAL LAW LIBRARY. CHAN ROBLES. 2014年1月26日閲覧。
  42. ^ The investigation of the assasination of Benigno Aquino (PDF)”. Sandiganbayan ruling. Special division court. 2013年1月26日閲覧。
  43. ^ 千野境子 (2011年10月). “独裁者、その最後の時 パート2 ハワイのイメルダ・マルコス夫人”. 日本記者クラブ. 2014年1月26日閲覧。
  44. ^ “Investigations: Imeldarabilia: A Final Count” (English). Time. (1987年2月23日). http://content.time.com/time/magazine/article/0,9171,963620,00.html 2014年1月16日閲覧。 
  45. ^ Arnold H. Lubasch (1988年10月22日). “MARCOS AND WIFE, 8 OTHERS CHARGED BY U.S. WITH FRAUD” (English). The New York Times. http://www.nytimes.com/1988/10/22/world/marcos-and-wife-8-others-charged-by-us-with-fraud.html 2014年1月26日閲覧。 
  46. ^ Craig Wolff (1990年7月3日). “The Marcos Verdict; Marcos Is Cleared of All Charges In Racketeering and Fraud Case” (English). The New York Times. http://www.nytimes.com/1990/07/03/nyregion/marcos-verdict-marcos-cleared-all-charges-racketeering-fraud-case.html 2014年1月26日閲覧。 
  47. ^ “The day in numbers: $100” (English). CNN. (2006年12月7日). http://edition.cnn.com/2006/WORLD/europe/11/07/day.numbers/index.html 2014年1月26日閲覧。 
  48. ^ “Imelda Marcos comes into fashion” (English). BBC. (2006年12月7日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6123228.stm 2014年1月26日閲覧。 
  49. ^ “イメルダ夫人に無罪 比、国外への違法送金”. 共同通信. (2008年3月10日). http://www.47news.jp/CN/200803/CN2008031001000843.html 2014年1月26日閲覧。 
  50. ^ “MARCOS CONVICTED OF GRAFT IN MANILA” (English). New York Times. (1993年9月24日). http://www.nytimes.com/1993/09/24/world/marcos-convicted-of-graft-in-manila.html 2014年1月27日閲覧。 
  51. ^ Sol Jose Vanz (1998年10月14日). “NO APOLOGY, IT WAS A GODLY ACT -- IMELDA” (English). PHILIPPINE HEADLINE NEWS ONLINE. http://www.newsflash.org/199810/hl/hl000982.htm 2014年1月27日閲覧。 
  52. ^ “Top Court Voids Imelda Marcos's Conviction” (English). New York Times. (1998年10月7日). http://www.nytimes.com/1998/10/07/world/top-court-voids-imelda-marcos-s-conviction.html 2014年1月27日閲覧。 
  53. ^ “Homage to Imelda's shoes” (English). BBC. (2001年2月16日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/1173911.stm 2014年1月26日閲覧。 
  54. ^ “Philippine court orders arrest of Imelda Marcos” (English). The Guardian. (2001年10月16日). http://www.theguardian.com/world/2001/oct/16/philippines 2014年1月27日閲覧。 
  55. ^ Vivienne Khoo (2008年12月15日). “Malice in Wonderland: The Imelda Marcos Story” (English). the asia mag. 2014年1月27日閲覧。
  56. ^ Larry Leviste (2009年7月4日). “Imelda Marcos: The best and worst life” (English). INQUIRER. オリジナル2009年8月19日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20090819114316/http://newsinfo.inquirer.net/inquirerheadlines/nation/view/20090704-213801/Imelda-Marcos-The-best-and-worst-life 2014年1月28日閲覧。 
  57. ^ “イメルダ夫人、来年の議員選に立候補表明 フィリピン”. AFPBB News. AFP. (2009年12月2日). http://www.afpbb.com/articles/-/2670433?pid=4985553 2014年5月11日閲覧。 
  58. ^ “イメルダ夫人当選、娘・息子も当確…比の選挙”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2010年5月12日). オリジナル2010年5月13日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100513160148/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100512-OYT1T00121.htm 2010年5月12日閲覧。 
  59. ^ “Private sector needed to achieve MDGs – Imelda” (English). abs-cbnNEWS.com. (2011年6月30日). http://www.abs-cbnnews.com/nation/regions/06/30/11/private-sector-needed-achieve-mdgs-%E2%80%93-imelda 2014年1月27日閲覧。 
  60. ^ Lynda Jumilla (2010年9月21日). “Imelda Marcos gives up on UN MDG summit” (English). ABS-CBN News. http://www.abs-cbnnews.com/nation/09/20/10/imelda-marcos-gives-un-mdg-summit 2014年1月27日閲覧。 
  61. ^ “Philippine court orders Imelda Marcos to repay funds” (English). Philippine News. (2011年4月11日). http://www.philippinenews.com/top-stories/1542-philippine-court-orders-imelda-marcos-to-repay-funds.html 2014年1月27日閲覧。 
  62. ^ 鈴木有理佳 (2013年5月). “フィリピン中間選挙の概要”. 日本貿易振興機構. 2014年1月28日閲覧。
  63. ^ “「イメルダ御殿」崩壊 ドレス放置・靴散乱 フィリピン台風3週間”. 朝日新聞. (2013年11月29日). http://www.asahi.com/articles/TKY201311280708.html 2014年1月28日閲覧。 
  64. ^ Miriam Grace A. Go (2013年11月15日). “Imelda Marcos to Warays: Don't lose hope” (English). Rappler. http://www.rappler.com/move-ph/issues/disasters/typhoon-yolanda/43808-imelda-marcos-leyte-hope-yolanda-haiyan 2014年5月20日閲覧。 
  65. ^ “Imelda visits GMA, says admin’s treatment ‘cruel'” (English). Rappler. (2014年1月22日). http://www.rappler.com/nation/48640-imelda-marcos-visits-gloria-arroyo-veterans 2014年1月28日閲覧。 
  66. ^ マッカートニー・ほか著 『The Beatlesアンソロジー』 斎藤早苗、ザ・ビートルズ・クラブ訳、リットーミュージック2000年10月5日、219頁。ISBN 4845605228
  67. ^ Bobby Ng (1966年7月6日). “Beatles booed as they leave” (English). The Manila Times 
  68. ^ “Imelda hits out at documentary” (English). AP. The Sydney Morning Herald. (2004年6月16日). http://www.smh.com.au/articles/2004/06/16/1087244969186.html?from=storyrhs 2014年5月20日閲覧。 
  69. ^ HERE LIES LOVE / ヒア・ライズ・ラヴ”. Warner Music Japan. 2014年1月27日閲覧。
  70. ^ Douglas Wolk (2010年4月10日). “The Imelda Marcos Story — As Told by David Byrne” (English). TIME. http://content.time.com/time/arts/article/0,8599,1981028,00.html#ixzz2rZpmAJPE 2014年1月27日閲覧。 
  71. ^ David Byrne's "Here Lies Love" to Premiere at NYC's Public Theater in April 2013” (English). Nonesuch Records (2012年4月9日). 2014年1月27日閲覧。
  72. ^ BWW News Desk (2014年1月21日). “HERE LIES LOVE to Return to the Public's LuEsther Theatre in March 2014” (English). Broadway World.com. Wisdom Digital Media. 2014年1月27日閲覧。
  73. ^ a b “Imelda Marcos musical Here Lies Love set for London stage” (English). BBC. (2014年5月6日). http://www.bbc.com/news/entertainment-arts-27291465 2014年5月11日閲覧。 
  74. ^ “2014 Nominees” (English) (プレスリリース), The Lucille Lortel Awards, (2014年5月4日), http://www.lortelaward.com/2014nominees.htm 2014年5月11日閲覧。 
  75. ^ “イメルダ夫人の栄華の跡”. まにら新聞. (2004年10月31日). http://www.manila-shimbun.com/series/sights/series144624.html 2014年7月6日閲覧。 
  76. ^ “フィリピンのイメルダ夫人に「靴ケーキ」、85歳の誕生日祝う”. ロイター (ロイター通信社). (2014年7月3日). http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPKBN0F80KN20140703 2014年7月6日閲覧。 

参考文献[編集]

  • カルメン・ナバロ・ペドロサ 『実録イメルダ・マルコス : フィリピン大統領夫人の知られざる過去』 氷川野拓訳、めこん1986年4月(原著1969年)、初版。全国書誌番号:86056655

関連項目[編集]

外部リンク[編集]