マハラジャ (ディスコ)

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マハラジャ (MAHARAJA) は、1980年代-1990年代に日本全国に展開した高級ディスコチェーン。1980年代後半のバブル経済期に高級ディスコブームを築いた元祖である。「キング・オブ・ディスコ」や「ディスコの代名詞」と言われ、数々の伝説を残した人気店。2010年11月1日から東京都港区六本木に『マハラジャ六本木』として復活した。

目次

[編集] 概要

[編集] 社会的現象

全国でレストラン『しゃぶ禅』、カラオケパブ『2001年』『3001年』、絨毯バーやライブハウスの『最後の20セント』やその他多くのサパークラブ等、ナイトレジャー店舗を展開していた日本レヂャー開発(NOVA21グループ)が、1982年8月大阪ミナミに1号店をオープンして以降、北は札幌から南は九州・沖縄まで日本全国に展開した高級ディスコチェーン。

1984年12月に7店目の店舗として東京都港区の麻布十番にオープンした、事実上の旗艦店舗となる『マハラジャ麻布十番店』が社会的現象と呼ばれるほどの人気を博し、その後最盛期には全国に数十店舗を展開。そして1989年5月にはハワイのホノルルにも店舗をオープンした。

これまでのディスコの概念を打ち破った大理石を使用した絢爛豪華な内装、コンサートホール並みの音響効果に特殊照明、ホテルマン並みのきめ細やかな接客、高級レストラン並の本格的な料理、そしてガラス張りのVIPルームの登場と、芸能人ご用達が評判を呼び、折からのバブル景気とともにディスコブームを作り上げた。

[編集] ドレスコードと「お立ち台」

また、その後多くのディスコやクラブで取り入れられた『服装チェック(ドレスコード)』や『お立ち台』の元祖である。尚『お立ち台』については六本木スクエアビル3Fの『ギゼ』が元祖という説もあるが、その頃はまだ『お立ち台』と呼ばれておらず、それは高さも無く女性一人ほどしか乗れない小さな台だった。本格的な専用台として大々的に広げたのはマハラジャが最初である。

また「黒服」と呼ばれる役職を持つ店員もマハラジャから生まれた。これは従業員が階級別に色分けされた制服を着、役職はタキシード(黒服)を着ていたことから呼ばれるようになる。さらに現在もカラオケ店やレストランで人気のハニートースト(はちみつトースト)もマハラジャから生まれた。

[編集] 成田社長

『マハラジャ麻布十番店』等、東京地区のマハラジャを運営する「エヌ・エンタープライズ」社長の成田勝が、全国のマハラジャ・チェーンのイメージリーダーとなり、1986年には歌手としてメジャーデビューも果たした。

イタリアのユーロビートの雄、マイケル・フォーチュナティの大ヒット曲『INTO THE NIGHT』『GIVE ME UP』やデッド・オア・アライヴの大ヒット曲『TURN AROUND AND COUNT 2 TEN』などをカバーし、オリコンでも30位台に入るなどヒットした他、マハラジャ系列のディスコでプレイされ盛り上がった。

また、その後も『東京マハラジャウェスト』、『東京マハラジャイースト』、『青山キング&クイーン』、『川崎キング&クイーン』、『エデンロック・トーキョーベイ』、『ロイヤルトン・トーキョーベイ』などの人気系列ディスコを次々にオープンし、1980年代のディスコブームを象徴するカリスマ人物といわれた。なお、現在は元『東京マハラジャイースト』の場所にあるレストランバー『プレゴ』や元『東京マハラジャウエスト』の場所にあるカラオケ・ダイニングレストラン『六本木しゃらら亭』などを経営している他、各種アドバイザーとして活躍している。

[編集] 伝説の終焉

バブル崩壊が始まった1990年からはディスコブームが終焉しマハラジャの人気も下火になったが、1991年にオープンしたジュリアナ東京のブームに便乗し地方店は再人気がでる。しかしディスコブームが去った後も数店が営業を続けていたが、1997年9月には麻布十番店が閉店。1998年4月には『最後のマハラジャ』と呼ばれた『マハラジャ横濱店』も閉店。皮肉にも第3次パラパラブームを目前としての閉店である。これらをもって『伝説』とまで言われた高級ディスコチェーン・マハラジャは約15年の歴史に幕を閉じた。

[編集] 伝説の復活

その後2003年8月には六本木に『マハラジャ東京』が復活オープンしたものの、2005年1月に一旦閉店。同年5月からは改装し『六本木キング&クイーン』として再オープンした。2007年12月には中洲に『マハラジャ福岡』が復活オープンしたが、2009年8月15日の営業を持って一時休店。しかし事実上の閉店と思われる。 2010年7月『六本木キング&クイーン』が閉店。その後『マハラジャ』の商標を大原俊弘が取得し、 2010年11月2日、オーナー大原俊弘のもと『六本木キング&クイーン』と同じ場所に『マハラジャ六本木』としてグランドオープンし、現在も営業中である。 実質運営は日本都市プロダクション株式会社が行っている。

[編集] 全国マハラジャ全67店

  • 『マハラジャ』…インド王族の称号から連想される通り、インド王宮を思わせるゴールドを基調とした豪華絢爛な内装。ダンスフロアにある真鍮製の象牙がトレードマーク。
    • 札幌店・函館店・仙台店・郡山店・麻布十番店・<'03年東京店>・<<'10年六本木店>>・横浜店・新潟店・<富山店>・<金沢店>・長野店・<白馬店>・浜松店・<岡崎店>・名古屋店・<岐阜店>・京都四條店・祇園店・大阪店・梅田店・マルビル店・<和歌山店>・神戸店・岡山店・福山店・広島店・<徳山店>・<徳島店>・松山店・博多店・<<'07年福岡店>>・長崎店・熊本店・鹿児島店・沖縄店・ホノルル店
  • 『マハラジャウエスト』…マハラジャよりカジュアルな店舗。
    • 六本木店・横浜店・金沢店・名古屋店・大阪店
  • 『マハラジャイースト』…マハラジャよりカジュアルな店舗。
    • 麻布十番店・名古屋店
  • 『マハラジャクラブ』…マハラジャよりカジュアルな店舗。
    • 京都店
  • 『マハラジャジュニア』…マハラジャよりカジュアルな店舗。
    • 渋谷店
  • 『マハラジャバー』…マハラジャよりカジュアルな店舗。
    • 名古屋店・大阪店・岡山店
  • 『MAHARAJA SALOON キング&クイーン』…マハラジャのインド王宮に対しヨーロッパのヴェルサイユ宮殿を思わせる豪華絢爛な内装でマハラジャのグレードアップ店舗。
    • 仙台店・青山店・<<'05年六本木店>>・川崎店・金沢店・前橋店・長野店・静岡店・<豊橋店>・名古屋店・<四日市店>・大阪店・神戸店・広島店
  • 『MAHARAJA PRODUCE ロイヤルトン TOKYO BAY』…シルバー色を基調とした近未来型ニューヨークテイスト店舗。
    • 浦安店
  • 『MAHARAJA SALOON パシャ』…店名は違い内装はエデンロックと同じ店舗。
    • 札幌店
  • 『MAHARAJA SALOON サハラ』…高度文明が滅び廃墟した惑星がコンセプトの店舗。
    • 宇都宮店

※上記 <○○店> はFC(フランチャイズ)店

※上記<<○○店>>はNOVA21グループの運営ではない

[編集] マハラジャ麻布十番店

[編集] 陸の孤島

日本全国はおろか海外にまで広がったマハラジャの代表的存在であった『マハラジャ麻布十番店』は、当時まだ地下鉄の駅が開業しておらず、一番近い日比谷線六本木駅からでさえ徒歩10分以上かかるなど「陸の孤島」とされ呼ばれた港区 東京都港区麻布十番1-3-9 TBC麻布1F,2F に1984年12月にオープンした。

なお、同店は『ダンスホール』として風営法の適用を受けるために午前0時で閉店するため、隣接した建物に、『レストラン』として風営法の適用を受けず午前0時以降もオープンできる、『マハラジャイースト』が設けられていた。

[編集] 成功

同店はその立地条件を逆手に取り、六本木の多くのディスコのように郊外から電車で来店するようなボリューム層ではなく、自家用車での来店、もしくは港区内など近所に住みタクシーで来店するような比較的裕福な層をターゲットとし、さらにをドレスコードの強化や男性同士の入店を断るなど客の選別を行うことで、客層を一定以上のレベルに保つことに成功した。

さらにきらびやかな制服を着用した従業員に徹底的な顧客対応訓練を施すことで、顧客満足度を上げリピーターを増やす事にも成功した。その他、動員力のある裕福な大学生および大学のイベント系サークル向けに割引カード「カレッジカード」を発行し、金曜の夜は「金マハ」という大学生中心の動員がされた。また土曜日や日曜日の午後には、これらのイベント系サークルが開催する貸し切りパーティーも頻繁に開催された。

[編集] 店内

[編集] 1階

1階はエントランスとレストランコーナーになっており、レストランコーナーではパスタピラフなど他のディスコでも提供されるメニューの他に、寿司職人が握りたての寿司を提供する他、「はちみつトースト」やパフェなどをはじめとするデザートも提供するなど、本格的な食事を提供していた。なお、エントランス脇には、トミタ夢工場が輸入代理店となっていたハルトゲBMWの最新車種が展示され、高級感の演出に一役買っていた。

[編集] 2階

2階には真鍮製の象牙がエントランスにあしらわれたダンスフロアとDJブース、バーカウンターとVIPルーム、一般客用の座席があり、ダンスフロアを大理石で仕上げた上に、DJブース脇にはモニターを設置し、ところどころに真鍮の飾りを施して高級感を演出した。またトイレの掃除も頻繁に行われ清潔さを保っていた。

[編集] 閉店

開店から約13年を経た1997年9月に閉店し、その後跡地にはワインバーがオープンしたが2004年に閉店した。その後、USEN宇野康秀が高級会員制社交クラブの「THE HOTEL JUBAN」を開店させたが、USENの経営状況の悪化もあり2009年に閉店し、現在はレストラン「MANCY'S TOKYO」となっている。ちなみに、1980年代後半に閉店した『マハラジャイースト』の跡地は系列店のレストラン・バー『プレゴ』となって、現在も営業している。

[編集] 命名者

マハラジャという店名の命名者は、経営母体の日本レヂャー開発(NOVA21グループ)の社長菅野諒の友人でスカルノインドネシア大統領夫人のデヴィ・スカルノ(通称デヴィ夫人)である。

[編集] 関連商品

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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