ジュリアナ東京
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ジュリアナ東京(ジュリアナとうきょう、営業期間: 1991年5月15日 - 1994年8月31日)は、東京都港区芝浦1丁目13-10に存在したディスコである。
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[編集] 概要
総合商社・日商岩井(当時)とイギリスのレジャー企業・ウェンブリーの共同出資により経営されていた大型ディスコ。正式名称は「JULIANA'S TOKYO British discotheque in 芝浦」。総面積は1200m²、最大で2,000人を収容できる規模だった[1]。ワンレン・ボディコンの女性が集まり人気となったが、1994年8月31日に閉店した。
ダンスホールの両脇に設置された通称「お立ち台」と呼ばれるステージが有名だが、後に撤去され「クリスタルサイドステージ」と名前を変え、高さも面積も縮小して再登場した。またダンスフロアを挟んでDJブースの向かい側の雛壇(ステージ)もあった。
所在地だった港区芝浦~海岸地区は、バブル期にはウォーターフロントと呼ばれ、港湾設備や倉庫を改造した「芝浦ゴールド」(東京都港区海岸3丁目1-5)や「オーバー」といった有名ディスコが存在し、1980年代のディスコ・ムーブメントの発信地として脚光を浴びていた地域である。今日、実際にはバブル景気の最終末期からバブル崩壊後の風俗であったジュリアナ東京の映像が「バブル景気を象徴する光景」として紹介されてしまうことがあるのは、それらとの混同もあろう。「バブル時代はボディコンで踊り狂い」は、ディスコ・マハラジャに代表される六本木ディスコでの第一次ユーロ(パラパラ)ブーム期(1980年代後半)を指すのがふさわしい。ボディコン姿の女性たちが最寄り駅であるJR田町駅からジュリアナ東京まで徒歩で赴く、という光景も極めて庶民的・ポストバブル的であった。「ボディコン」自体も、バブル期のそれが所謂「DCブランド」製であったのに対して、よりカジュアルなもの、もしくは手作りの非常に過激なものであった。
実際、ジュリアナ開店時のコンセプトは、「普通のOLが上品な夜を過ごせる英国資本のコンサバティブディスコ」という内容である。これは、バブル絶頂期、時代の最先端であり、一見客には極めて入りづらかった「芝浦ゴールド」(1989年開店)へのアンチテーゼとして立案された。
しかし、バブル終末期の大衆的若年女性層であったOLは、既に時代の最先端より半歩遅れていた「ボディコン・イケイケ」の路線に拡大再生産を施したものを「時代の最先端」と誤解していた。そのため、敷居の低かったジュリアナは、OLの妄想する「最先端」を具現化する場所となり、往年のバブル絶頂期をデフォルメしたようなディスコになってしまった。 なお、1991年当時、最先端のディスコでは、思いのままに激しく腰をくねらせるバブル時代のダンスとは異なり、振り付けがきまっていて、あまり身体を動かさず、クールな印象を与える現代風のパラパラがブームの萌芽となりつつあった。
[編集] 選曲の傾向
ジュリアナで当時流れていた曲の傾向は以下の通り。尚、各区分には明確な年代境界があるわけではなく、ここでは便宜上そのように表記している。
- 絶頂期 (1991年冬頃から1992年頃) - ハードコアテクノ
- T99の"アナスタシア"が受けた事により、それ以降はテクノがメインとなる。選曲傾向は初期のハードコアテクノが多く、現在ではオールドスクールへ分類されるもの。中でも、ジュリアナで好まれていたのは、無機質なリズムへオーケストラ・ヒットを乗せ、ゴスペル歌手のサンプリング(特に絶叫に近いもの)を被せた典型的なレイブサウンドが多かった。当時、洋楽邦楽問わず乱造されたような、間奏部分にとりあえずラップを挿入した曲も比較的多い。当時、日本ではこの系統のジャンルにあたる名称が無かったため、エイベックスではフリーペーパー「ビートフリーク」などで「発狂テクノ」または「デステクノ」などと呼称していた事もある。
- 安定期 (1993年以降) - ハイパーテクノ
- 絶頂期に好んで流されていた曲調を、更にユーロビート風に傾斜させたもの。甲高くて早口の女性ヴォーカルのものが多い。強いて言えばハッピーハードコアに分類されるが、ジュリアナで好まれていたものは、中でも日本向けを強く意識した曲が多く、更に言えばハイパーテクノというジャンル名称そのものが日本でしか使われていない。
絶頂期以降の選曲はエイベックスからジュリアナのCD(コンピレーション・アルバム)が発売されていた。マスメディアの報道により広く知られるようになった時期には、まだテクノというジャンルそのものが日本に浸透していなかったために、良い意味でも悪い意味でもテクノを有名にしたと言える。このため、クラブカルチャーを土台として発行していた音楽雑誌やミニコミ誌、またはそれを取り巻くリスナーには、ジュリアナの有名化に当初は困惑の色が濃かったが、次第にそれにも慣れてジュリアナで流れているような曲はテクノと別物として扱うようになっていった。現在でも、ジュリアナで流れていた曲調(絶頂期以降)は、敢えて一つのジャンルとしてカテゴライズされる場合があり、「ジュリテク」「ジュリアナ系」「レイヴサウンド」「ジュリアナサウンド」と呼ばれ、中には「ジュリアナみたい」などと曖昧に呼ばれる場合もある。
現在では「ジュリアナサウンド=商業的なダンス音楽」のような図式が形成されているが、ジュリアナの初期にはアンダーグラウンドな曲もある程度選曲されていた。しかし、客受けなどの理由により後に淘汰され、現在のような図式が形成したといえる。ちなみに上記の事象からハイテクサウンドの印象が強いジュリアナ東京であるものの、意外にもユーロビートは一切かかっていなかった。
[編集] 閉店
閉店の理由は客足の減少による経営不振。マスメディアの報道と、一大ブームにおける avex の 『JULIANA'S TOKYO』シリーズの CD 売り上げ増加に伴い、付録についている無料入場券でのディスコ初心者の入場者が多数を占めた。これまでとは違った客層が増えたことによって、純粋なダンスフリークやリスナー、上客であったモデルや常連などは足が遠のいた上、一見の初心者がリピートしないことにより、次第に収益が悪化していった。
ディスコは興味本位ではなく「ダンスが好きだ」、「曲が好きだ」、「知り合いと騒ぎたい」、「雰囲気が好きだ」、「目立ちたい」等、遊びなれた自分なりにポリシーを持った人間の集まる場所であったのに対し、単に「肌を露出した女性が多い」かのような報道により、下心を抱いた男性や、勘違いした地方出身の女性などが集まって雰囲気が壊れ、荒廃していった。
ジュリアナの過渡期においても様々な利権が絡み合い、最終的に東雲レクリエーションとマリブグランプリが経営に携わる。
現在閉店後のジュリアナ東京跡地には、総合スポーツセレクトショップ「ASR芝浦」がディスコ時代の建物を一部小変更し現在も営業している。
[編集] 流行
[編集] 「ジュリ扇(せん)」
VIPルームの顧客にのみ配られた紫色のロゴ入り扇子を、女性客が持ったままお立ち台で踊ったのを真似たのが始まりとされるが、その後羽根つき扇子が導入されパワーアップして行った。「ロゴ入り扇子」や「羽根つき扇子(羽根扇やジュリ扇)とボディコンでハードコア・テクノやパラパラにのって同じ踊りを踊る」というスタイルは地方の新興ディスコにも波及し、「盆踊りが現代に復活した」とも言われた。
なお、ジュリアナ東京以前のディスコにおいては、熱気やスモークマシーンによる煙に耐えかねた者が飲食用の紙皿を団扇代わりにして扇いでいたのが、ダンスフロアにおいて扇子を振り回すようになったことの起源だという説があるが、1986年京都のマハラジャ祇園店で舞妓が扇子を振り回しお立ち台で踊っていたのが元祖の有力説である。
[編集] 「ゲッターズ」
マハラジャやジュリアナ東京などに出現する、都内のアソビ系サークルの大学生や若手ビジネスマンを中心とするナンパ集団「ゲッターズ」が一部で有名になった。
[編集] 演出
主なDJに、ジョン・ロビンソン、3Dら。また、三波春夫がライブを開催するなど、型破りな演出でも話題を呼んだ。また1994年には2アンリミテッドを招き、東京ドームでavex raveを開催した(avex raveは1993年が最初であり、半券を持ってくれば当日はジュリアナが入場無料になった)。
[編集] 主な顧客
ジュリアナによく遊びに来ていた有名人としては、明石家さんま、三浦知良、田中康夫、徳大寺有恒、志茂田景樹、武田修宏など。また、AV女優やレースクイーンなどが集まることでも有名であった。
[編集] 関連作品
ここでは、作品内容がジュリアナ東京と関連し、かつ作品名にジュリアナ東京の店名が含まれているものを挙げた。他にも、アナログレコードやDJミックステープの存在が幾つか知られている。
[編集] アルバム
- JULIANA'S TOKYO TECHNO RAVE PARTY (1992年2月21日、AVCD-11025)
- JULIANA'S TOKYO VOL.2 BALEARIC BEATS PARTY (1992年6月21日、AVCD-11045)
- JULIANA'S TOKYO VOL.3 RAVE NRG FOR THE FUTURE (1992年10月21日、AVCD-11065)
- JULIANA'S TOKYO VOL.4 TRANCE RAVE PARTY (1993年2月25日、AVCD-11101)
- JULIANA'S TOKYO VOL.5 (1993年5月21日、AVCD-11116)
- JULIANA'S TOKYO VOL.6 "THIS IS THE REAL JULIANA'S TOKYO" (1993年8月21日、AVCD-11133)
- JULIANA'S TOKYO VOL.7 RAVE REVOLUTION (1993年11月10日、AVCD-11154)
- JULIANA'S TOKYO VOL.8 RAVE GENERATION (1994年2月21日、AVCD-11185)
- JULIANA'S TOKYO VOL.9 3rd ANNIVERSARY (1994年5月21日、AVCD-11205))
- JULIANA'S TOKYO DJ'S SPECIAL SELECTION (2枚組)(1994年8月10日、AVCD-11216)
- JULIANA'S TOKYO LEGEND (4枚組)(1994年12月16日、AVCD-11272)
- THE BEST OF JULIANA'S TOKYO 1992 (2枚組)(1992年12月10日、AVCD-11080)
- THE BEST OF JULIANA'S TOKYO 1993 (2枚組)(1993年12月10日、AVCD-11163)
- JOHN ROBINSON FROM JULIANA'S TOKYO (1993年2月5日、AVCD-11075)
- DISCO 90'S presents THE BEST OF JULIANA'S TOKYO (2004年8月25日、AVCD-17494)
- JULIANA'S DJ MEGAMIX POWER PLAY '91~'92 (1992年9月30日、TOCP-7409)
- MEGA RAVE PASSION & GUN from JULIANA'S TOKYO VOL.1 (1993年4月21日、TECX-30480)
- MEGA RAVE PASSION & GUN from JULIANA'S TOKYO VOL.2 (1993年6月21日、TECX-30519)
- THE BEST OF MEGA RAVE PASSION & GUN from JULIANA'S TOKYO (1993年12月16日、TECX-32640)
- JULIANA'S GLOBAL DANCE NETWORK-THE CHRISTMAS COLLECTION (1993年11月21日、TECX-30659)
[編集] ビデオ
- JULIANA'S TOKYO VIRTUAL RAVE-NRG (1993年2月25日、AVVD-90004)

