ジュリアナ東京

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ジュリアナ東京(ジュリアナとうきょう)は、かつて東京都港区芝浦に存在したディスコである。

目次

[編集] 概要

ジュリアナ東京はバブル崩壊期の1991年5月15日に総合商社・日商岩井(当時)とイギリスのレジャー企業・ウェンブリーの共同出資により設立された。正式名称は「JULIANA'S TOKYO British discotheque in 芝浦」。所在地は東京都港区芝浦1-13-10。総面積は1200m²で、最大3,000人以上を収容できる規模だった[1]ワンレンボディコンの女性が集まり人気を集めた。

ジュリアナ東京に関して象徴的に語られることが多いのが、通称「お立ち台」と呼ばれた、ダンスホールの両脇に設置された高さ130cm程のステージである。ボディコン姿の女性がジュリ扇と呼ばれる羽付き扇子を振り回して踊る姿は、今日のバブル時代の特集でも頻繁に取り上げられる。ボディコン姿の女性たちが最寄り駅であるJR田町駅からジュリアナ東京まで徒歩で赴くという光景が見受けられ、ボディコン自体も、素材の質感がエナメル質・露出の多いもの、もしくは水着など過激なものまで存在した。

また、ダンスフロアを挟んでDJブースの向かい側に通称、雛壇(ステージ)も存在した。当時は珍しかったボディソニックの音響設備やレーザー・スモーク・モニター等を取り入れ、ダンスフロアには巨大なシャンデリアを設置するなど、ジュリアナ東京は大きな空間を最大限に活用した最先端のディスコであった。

所在地だった港区芝浦~海岸地区は、バブル期にはウォーターフロントと呼ばれ、港湾設備や倉庫を改造した「芝浦ゴールド」(港区海岸)や「オーバー2218」といった有名ディスコが存在し、1980年代後半のディスコ・ムーブメントの発信地として脚光を浴びていた地域だった。今日、ジュリアナ東京の映像が「バブル景気を象徴する光景」として紹介されることが多いが、実際にはバブルがはじけた後の光景[2]であり、軒並みレジャー産業が苦戦する中、この成功は当時は奇跡的とまで言われた。

ジュリアナ東京開店時のコンセプトは、「普通のOLが上品な夜を過ごせる英国資本のコンサバティブディスコ」という内容であった。これは、バブル期の時代の最先端であり、一見客には極めて入りづらかった「芝浦ゴールド」(1989年開店)へのアンチテーゼとして立案された。しかし、お立ち台がマスコミに大々的に取り上げられるにつれ、次第に「ボディコン・イケイケ」路線色に近づいていった。ジュリアナ熱とともに次第に衣装が過激になっていくにつれ、その光景を目当てに入場する男性客も増えていき、ついには警察の指導が入り1993年11月にお立ち台は撤去された。後に「クリスタルサイドステージ」と名前を変え、高さも面積も縮小してお立ち台が復活したが、この一連の騒動で失った客足を取り戻すことは出来ず、様々な伝説を残しつつ1994年8月31日にジュリアナ東京は閉店した。

[編集] 選曲の傾向

ジュリアナで当時流れていた曲の傾向は以下の通り。尚、各区分には明確な年代境界があるわけではなく、ここでは便宜上そのように表記している。

黎明期 (オープンから1991年秋頃) - イタロハウス
イタロハウスを中心としてはいたが、どちらかと言えばオールジャンルな傾向があった。
絶頂期 (1991年冬頃から1992年頃) - ハードコアテクノ
T99の"アナスタシア"が受けた事により、それ以降はテクノがメインとなる。選曲傾向は初期のハードコアテクノが多く、現在ではオールドスクール・ヒップホップへ分類されるもの。中でも、ジュリアナで好まれていたのは、無機質なリズムへオーケストラ・ヒットを乗せ、ゴスペル歌手のサンプリング(特に絶叫に近いもの)を被せた典型的なレイブサウンドが多かった。当時、洋楽邦楽問わず乱造されたような、間奏部分にとりあえずラップを挿入した曲も比較的多い。当時、日本ではこの系統のジャンルにあたる名称が無かったため、エイベックスではフリーペーパー「ビートフリーク」などで「発狂テクノ」または「デステクノ」などと呼称していた事もある。
安定期 (1993年以降) - ハイパーテクノ
絶頂期に好んで流されていた曲調を、更にユーロビート風に傾斜させたもの。甲高くて早口の女性ヴォーカルのものが多い。強いて言えばハッピーハードコアに分類されるが、ジュリアナで好まれていたものは、中でも日本向けを強く意識した曲が多く、更に言えばハイパーテクノというジャンル名称そのものが日本でしか使われていない。オープニング・パラパラ箱でいうスロータイムにあたる時間帯はハウスが掛かっていた。

絶頂期以降の選曲はエイベックスからジュリアナのCD(コンピレーション・アルバム)が発売されていた。マスメディアの報道により広く知られるようになった時期には、まだテクノというジャンルそのものが日本に浸透していなかったために、良い意味でも悪い意味でもテクノを有名にしたと言える。このため、クラブカルチャーを土台として発行していた音楽雑誌やミニコミ誌、またはそれを取り巻くリスナーには、ジュリアナの有名化に当初は困惑の色が濃かったが、次第にそれにも慣れてジュリアナで流れているような曲はテクノと別物として扱うようになっていった。現在でも、ジュリアナで流れていた曲調(絶頂期以降)は、敢えて一つのジャンルとしてカテゴライズされる場合があり、「ジュリテク」「ジュリアナ系」「レイヴサウンド」「ジュリアナサウンド」と呼ばれ、中には「ジュリアナみたい」などと曖昧に呼ばれる場合もある。

現在では「ジュリアナサウンド=商業的なダンス音楽」のような図式が形成されているが、ジュリアナの初期にはアンダーグラウンドな曲もある程度選曲されていた。しかし、客受けなどの理由により後に淘汰され、現在のような図式が形成したといえる。ちなみに上記の事象からハイテクサウンドの印象が強いジュリアナ東京であるものの、意外にもユーロビートは一切かかっていなかった。また、non-vocal曲または、English numberしかplayされず、邦楽では唯一TRFの『Going 2 Dance』が掛かるのみであった。ハイパーテクノ・ジュリアナテクノという呼び名はジュリアナが創造した新しい音楽ジャンルとも言えるだろう。

[編集] 閉店に際して

1994年に閉店を発表した際、マスコミ向けには「ディスコシーンに置ける役割は充分果たした上での栄誉ある撤退」とし、ジュリアナサウンド・音楽シーン・ファッション・ブームの創造を広く世間に認知させたジュリアナの威光が地に落ちる前の勇気ある撤退と表向きではされた。

しかし、実際には客足の落ち込みによる経営不振が閉店の一番の要因であった。マスメディアの偏見報道のみならず一大ブームにおけるエイベックスの『JULIANA'S TOKYO』シリーズのCD売り上げ増加に伴い、付録についている無料入場券でのディスコ初心者の入場者が次第に多数を占めるようになった。それまでと違いミーハーな客層が増えたことによって、純粋なダンスフリークやリスナー、上客であったモデルや常連などは足が遠のいた上、一見の初心者がリピートしないことにより、次第に収益が悪化していった。

さらに、ディスコは興味本位ではなく「ダンスが好きだ」、「曲が好きだ」、「知り合いと騒ぎたい」、「雰囲気が好きだ」、「目立ちたい」等、遊び慣れた人が自分なりにポリシーを持った人間の集まる場所であったのに対し、単に「肌を露出した女性が多い」といった一面的な報道により、下心を抱いた男性や、勘違いした地方出身の女性が集まってきて雰囲気が壊れ、荒廃していった。1994年に入ってからは、女性の露出度の高さに対し度々警察の指導・捜査が入り、臨時休店・休業が増加したことも経営に悪影響を与えた。

営業最終日は無料開放となり、閉店を惜しむファンが全国から詰め掛けた。数千人収容できるホールにも入りきらず、入場待ち列が田町駅まで続くほどで、翌日昼過ぎまでアンコールの声が続いた。

閉店後のジュリアナ東京跡地には、総合スポーツセレクトショップ「ASR芝浦」がディスコ時代の建物を一部小変更し営業していたが、2011年1月5日に閉店した。

さらに同じビルにあった東京ポートボウル東日本大震災の影響(と言われていたが、設備に大きな影響はなく経営上の問題であったと言われている)で2011年3月19日から休業し、そのまま4月30日付で営業終了となったものの、経営母体が代わり2011年7月28日から営業が再開された。

[編集] 流行

[編集] 「ジュリ扇(せん)」

VIPルームの顧客にのみ配られた紫色のロゴ入り扇子を、女性客が持ったままお立ち台で踊ったのを真似たのが始まりとされるが、その後羽根つき扇子が導入されパワーアップして行った。「ロゴ入り扇子」や「羽根つき扇子羽根扇ジュリ扇[3])とボディコンでハードコア・テクノやパラパラに乗って同じ踊りを踊る」というスタイルは地方の新興ディスコにも波及し、「盆踊りが現代に復活した」とも言われた。

[編集] 「ゲッターズ」

マハラジャやジュリアナ東京などに出現する、都内のアソビ系サークル大学生や若手ビジネスマンを中心とするナンパ集団「ゲッターズ」が一部で有名になった。実際は、ジュリアナから田町の駅まで徒歩で帰る女性を道路沿いに駐車した車から「送ってあげるよ」「どこまで帰るの?」等と声を掛けナンパする者達のことをゲッターズと呼んでいた。

[編集] コギャル

一般的に使われるようになるのは1990年代半ばだが、この頃から既にコギャルという言葉はディスコでは使われていた。コギャルの説明にある、「ディスコが起源」は正しいが、意味合いは格好ギャルではなく、子ギャルである。童顔のギャルのことをコギャルと呼ぶのであり、高校生か否かは問わない。20歳以上のOLでも童顔ならばコギャルと呼んでいた。

[編集] 演出

主なDJに、ジョン・ロビンソン3D(DAVID "3D" WARD) ら。また、三波春夫がライブを開催するなど、型破りな演出でも話題を呼んだ。また1994年には2アンリミテッドを招き、東京ドームでavex raveを開催した(avex raveは1993年が最初であり、半券を持ってくれば当日はジュリアナが入場無料になった)。また荒木師匠(荒木久美子)はジュリ扇でのお立ち台ダンスが有名となりディスコクイーン(お立ち台の女王)となった。

[編集] 主な顧客

ジュリアナによく遊びに来ていた有名人としては、明石家さんま三浦知良田中康夫武田修宏ラモス瑠偉だいもん孝之徳大寺有恒志茂田景樹、など。また、AV女優レースクイーンなどが集まることでも有名であった。

[編集] 関連作品

ここでは、作品内容がジュリアナ東京と関連し、かつ作品名にジュリアナ東京の店名が含まれているものを挙げた。他にも、アナログレコードやDJミックステープの存在が幾つか知られている。

[編集] アルバム

エイベックス

  • JULIANA'S TOKYO TECHNO RAVE PARTY (1992年2月21日、AVCD-11025)
  • JULIANA'S TOKYO VOL.2 BALEARIC BEATS PARTY (1992年6月21日、AVCD-11045)
  • JULIANA'S TOKYO VOL.3 RAVE NRG FOR THE FUTURE (1992年10月21日、AVCD-11065)
  • JULIANA'S TOKYO VOL.4 TRANCE RAVE PARTY (1993年2月25日、AVCD-11101)
  • JULIANA'S TOKYO VOL.5 (1993年5月21日、AVCD-11116)
  • JULIANA'S TOKYO VOL.6 "THIS IS THE REAL JULIANA'S TOKYO" (1993年8月21日、AVCD-11133)
  • JULIANA'S TOKYO VOL.7 RAVE REVOLUTION (1993年11月10日、AVCD-11154)
  • JULIANA'S TOKYO VOL.8 RAVE GENERATION (1994年2月21日、AVCD-11185)
  • JULIANA'S TOKYO VOL.9 3rd ANNIVERSARY (1994年5月21日、AVCD-11205))
  • JULIANA'S TOKYO DJ'S SPECIAL SELECTION (2枚組)(1994年8月10日、AVCD-11216)
  • JULIANA'S TOKYO LEGEND (4枚組)(1994年12月16日、AVCD-11272)
  • THE BEST OF JULIANA'S TOKYO 1992 (2枚組)(1992年12月10日、AVCD-11080)
  • THE BEST OF JULIANA'S TOKYO 1993 (2枚組)(1993年12月10日、AVCD-11163)
  • JOHN ROBINSON FROM JULIANA'S TOKYO (1993年2月5日、AVCD-11075)
  • DISCO 90'S presents THE BEST OF JULIANA'S TOKYO (2004年8月25日、AVCD-17494)
  • CLUB LEGEND 20th presents JULIANA'S TOKYO -THE BEST 20- (2008年8月13日、AVCD-23640)

東芝EMI

  • JULIANA'S DJ MEGAMIX POWER PLAY '91~'92 (1992年9月30日、TOCP-7409)

テイチク

  • MEGA RAVE PASSION & GUN from JULIANA'S TOKYO VOL.1 (1993年4月21日、TECX-30480)
  • MEGA RAVE PASSION & GUN from JULIANA'S TOKYO VOL.2 (1993年6月21日、TECX-30519)
  • THE BEST OF MEGA RAVE PASSION & GUN from JULIANA'S TOKYO (1993年12月16日、TECX-32640)
  • JULIANA'S GLOBAL DANCE NETWORK-THE CHRISTMAS COLLECTION (1993年11月21日、TECX-30659)

[編集] ビデオ

エイベックス

  • JULIANA'S TOKYO VIRTUAL RAVE-NRG (1993年2月25日、AVVD-90004)

[編集] 脚注

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  1. ^ http://trendy.nikkei.co.jp/hit/1991/05.aspx
  2. ^ 折口雅博『プロ経営者の条件』p45(2005年徳間書店
  3. ^ もともとは玩具メーカーが「フェザー・ファン」という名称で、王侯貴族風の仮装グッズとして作ったものであった。

[編集] 関連項目

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