カイリー・ミノーグ

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カイリー・ミノーグ
Kylie Minogue 2 (2009).jpg
基本情報
出生名 Kylie Ann Minogue
出生 1968年5月28日(44歳)
出身地 オーストラリアの旗 オーストラリア, メルボルン
ジャンル Pop, dance-pop, electropop, europop
職業 シンガーソングライター
活動期間 1987 – 現在 (歌手)
1979 – 現在 (女優)
レーベル Mushroom, 1987 – 現在
Geffen (US), 1988 – 1989
PWL, 1987 – 1992
Deconstruction, 1993 – 1998
Parlophone, 1999 – 現在
EMI, 1999 – 現在
Capitol, 2002 – 現在
公式サイト Kylie.com
2011年
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2011年
2011年


カイリー・アン・ミノーグ OBEKylie Ann Minogue, OBE, 1968年5月28日 - )は、オーストラリアビクトリア州メルボルン生まれのシンガーソングライター女優である。2012年現在はイギリスに住所を移し、同国を主な活動拠点としている。身長153cm[1]。2012年には歌手デビュー25周年を迎えた。妹のダニー・ミノーグもポップ歌手である。

目次

人物 [編集]

1987年に歌手デビュー後、母国オーストラリアやイギリスを中心に大ヒットを数多く飛ばす。一時期は「低迷期」と呼ばれる時期もあったが2000年代に入って復活。2001年に発表された「フィーヴァー」が大成功して以降はその歌唱力と美術センスのコラボレーションや、コンサートでのカイリーの「腰振り」にも話題が集まるようになった。日本では1980年代に発表された「ラッキー・ラヴ」や「ロコモーション」、Winkがカバーして大ヒットを記録、カイリー・ヴァージョンも日本の洋楽シングルチャートで7週連続1位を記録した「愛が止まらない 〜ターン・イット・イントゥ・ラヴ〜」などが有名。また世界的に大ヒットした「熱く胸を焦がして(2001年)」や「スピニング・アラウンド(2000年)」、「ワウ(2008年)」、「オール・ザ・ラヴァーズ(2010年)」なども代表曲として挙げられる。また歌手活動と平行して、女優活動や香水などのプロデュースも行っている。

来歴 [編集]

1968-1992:誕生からPWL時代 [編集]

1968年5月28日、オーストラリアメルボルンで生まれた。父親はアイルランド系、母親はウェールズ系。

1980年、オーストラリアのTV番組『スカイウェイズ』に子役として出演した。

1986年2月24日から、オーストラリアの人気ドラマ『ネイバーズ』にシャーリーンの役で出演した。この番組には恋人役としてジェイソン・ドノヴァンが出演、二人は実際に恋仲になり1989年の「エスぺシャリー・フォー・ユー」(全英1位)ではデュエットを披露していたが破局。しかしその後も関係は良好でジェイソンが2007年にITVで行われたカイリーのTVスペシャルに出演したり、ジェイソンがBBCのダンス番組「ストリクトリー・カム・ダンシング」に出演した際にはカイリーがビデオメッセージを送っている[2]

1987年3月、オーストラリアの『ロギー・アワード』銀賞を獲得した。

同年7月、オーストラリアのマッシュルームレコードから、リトル・エヴァ(Little Eva)のカバー曲「ロコモーション」でデビューした。カイリーのカバー曲は、ビルボード(Billboard)誌の週間チャートにおいて1988年11月12日付で最高位の第3位まで上昇した。1988年年間チャートでは第51位だった。ビルボード誌の集計では2012年現在までにおけるカイリー・ミノーグ最大のチャートヒットである。

1988年1月、イギリスとオーストラリアで、セカンドシングル(”世界デビュー曲”と呼ばれることも多い)「ラッキー・ラヴ」を発売し全英1位を獲得。「ラッキー・ラヴ」は、イギリスの「ユーロビート」のヒットメーカーチームであるストック・エイトキン・ウォーターマン(Stock-Aitken-Waterman)のプロデュースで、発売したレコード会社も彼らのレーベルPWLである。同年7月にはデビューアルバム『ラッキー・ラヴ』を発表、アルバムからは「恋は急がず」、「涙色の雨(ジュ・ヌ・セ・パ・プークワ)」などヒットを連発。また日本ではヘイゼル・ディーン(Hazell Dean)のカバー曲「愛が止まらない 〜ターン・イット・イントゥ・ラヴ〜」がデビューアルバムから独自にシングルカットされ、当時絶大な人気を誇っていたアイドルWinkがカバーした相乗効果もあり大ヒットした。

1989年、2ndアルバム『エンジョイ・ユアセルフ』を発表、アルバムは2作連続の全英1位を獲得し先行シングルの「いつわりのハート」も全英1位を獲得する。

1990年、3rdアルバム『リズム・オブ・ラヴ』を発表、このアルバムは今でもファンからの人気が高い作品の一つとして知られておりツアーでも必ずシングル曲が1~2曲は歌われる。

また、1989年から1991年にかけてカイリーは世界的ロックバンドであるINXSのボーカル、マイケル・ハッチェンスと交際するが破局する。

1991年には4thアルバム『あなたも、M?』を、1992年には初のベストアルバムである『グレイテスト・ヒッツ』(全英1位)を発表する。この『グレイテスト・ヒッツ』を最後にカイリーはデコンストラクションへと移籍する。

1994-1998:デコンストラクション時代 [編集]

1990年代以降、アイドル路線から歌唱力に比重を置いたプロモーションに変更したが、人気は逆に低迷してしまう。この間にアメリカ映画ストリートファイター』(1994年)にキャミィ役で出演する。

1994年、5thアルバムとなる『カイリー・ミノーグ』を発表。アルバム名に自分の名前を冠したこの作品はカイリーの再デビューとでもいうべき、記念碑的な作品となる。このアルバムには全英で2位、オーストラリアでナンバーワンに輝いた「コンファイド・イン・ミー」が収録されている。

1997年、元交際相手であったマイケル・ハッチェンスが自殺、とっくの前に破局していたとはいえ、その後もよき友達として関係を続けていたカイリーにとっては大きなショックであった。

同年にはデコンストラクションでの第二作目となる『インポッシブル・プリンセス』を発表した。この作品はインディーロックなどを盛り込んだ野心的な作品となった。しかしダイアナ元皇太子妃の死去に伴うタイトル変更やダークな作風のためか、売り上げは伸び悩んだ。そしてカイリーは再度移籍することになる。

1999-2005:パーロフォンへの移籍と『フィーヴァー』の大成功 [編集]

1999年、EMI傘下のパーロフォンに移籍。自身のアルバム発表に先駆け、同じくパーロフォン所属のペット・ショップ・ボーイズの楽曲"In Denial"(アルバム『ナイトライフ』収録)にゲスト参加する。

2000年、移籍後初のアルバム『ライト・イヤーズ』を発表。リードシングル「スピニング・アラウンド」が10年ぶりに全英シングルチャートで1位を獲得し劇的な復活を遂げ、「オン・ア・ナイト・ライク・ディス」(全英2位)やロビー・ウィリアムズとの「キッズ」(全英2位)など後続のシングルカットも次々ヒットして第2の黄金期を創出する。1990年代はピンナップガールのような露出の仕方で知名度を保っていたが、この作品群をきっかけに音楽活動の主体となっていたイギリス内でセックスシンボルの地位を確立。また、「スピニング・アラウンド」のミュージック・ビデオで見せたゴールドのホットパンツや、同年オーストラリアで開催されたシドニーオリンピックの閉会式での歌唱も話題となった。

追い風に乗ったカイリーは2001年にアルバム『フィーヴァー』を発表。リードシングル「熱く胸を焦がして」は全英1位に輝いたのみならず世界中でナンバーワンを獲得、約100万枚と彼女のキャリア史上最大のセールスを挙げた。この曲は2002年に入ってアメリカでも大ヒット(ビルボードでは最高7位、ダンスチャートでは初の1位に輝いた)。さらに「フィーヴァー」は全英アルバムチャートで9年ぶりのナンバーワンを獲得、全米でも3位(カイリーのアルバムがTOP10に入るのはこれが初である)を獲得するなどデビュー当時を上回る人気を獲得した。このアルバムからは他にも「イン・ユア・アイズ」(全英3位、豪州1位)、「ラヴ・アット・ファースト・サイト」(全英2位、全米ダンスチャート1位)などのヒットも生まれた。

同年、同じオーストラリア出身のバズ・ラーマン監督の『ムーラン・ルージュ』にアブサン妖精 "The Green Fairy" として登場。『サウンド・オブ・ミュージック』を歌った。

2003年、9枚目のアルバム『ボディ・ランゲージ』を発表。先行シングル「スロウ」は全英1位を獲得。

2004年、『フィーヴァー』から最後のシングルとしてカットされていた「カム・イントゥ・マイ・ワールド」でグラミー賞 "Best Dance Recording" を獲得。

この年には自身のキャリアを総括したベスト・アルバム『コンプリート・ベスト』を発売、新曲として「アイ・ビリーヴ・イン・ユー」(全英2位、全米ダンスチャート3位)「ギヴィング・ユー・アップ」が収録された。

2005-2009:乳癌克服からキャリア初の北米ツアー [編集]

2005年3月から「ショーガール:ザ・グレイテスト・ヒッツ・ツアー」を開始。

2005年5月、ツアーの最中に乳癌が発覚し、地元メルボルンでの闘病生活を強いられたものの、早期発見が幸いし、半月ほどで治療に成功した。退院後は、ガンとの闘病生活を送る子供たちを見舞うために病院を訪れるなどの活動を行った。術後の体調は良好である。

2006年11月、シドニーを皮切りに「ショーガール:ホームカミング・ツアー」とタイトルを変更, 全衣装や一部曲目なども変更してツアー再開。2007年1月23日に終了。全公演完全ソールドアウト。

2007年11月には、10枚目のアルバムとなる『X』発売、6ヵ国で1位を記録。

2007年12月 イギリスのエリザベス2世女王より、大英帝国勲章(OBE)を授与されることが決まる。

2007年12月に10年ぶりの来日。アルバムと香水のプロモーション、そして日本テレビ系『Music Lovers』でのゲストライブ、番組内では「熱く胸を焦がして」、「ラッキー・ラヴ」、「2・ハーツ」を歌った。

2008年2月に、『SMAP×SMAP』にゲスト出演。同年4月には、アメリカでアルバム『X』が発売、USでのリードシングルには独自に「オール・アイ・シー」が選ばれ、「This Is Why I'm Hot」の大ヒットで知られるラッパーのMIMSが参加したリミックスが正式に作られる。

2008年5月 フランス・パリを皮切りに「KYLIEX2008」ツアーが開始される。

2008年7月 英国・バッキンガム宮殿にて、大英帝国勲章(OBE)を正式に授与される。

2009年9月、キャリア初の北米ツアー『For You, For Me Tour』を開始しツアーは大成功に終わる。

2010-現在:『アフロディーテ』から歌手デビュー25周年 [編集]

2010年7月 最新アルバム『アフロディーテ』を、2010年6月30日、世界に先駆けた日本先行リリース(EMI Music Japan)を筆頭に、主に7月初旬に全14ヵ国で相次いでリリースした。このアルバムは全英でナンバーワン、20ヵ国でTOP10を記録した。全米でもTOP20を記録。

また、このアルバムからカットされたシングル(「オール・ザ・ラヴァーズ」「ゲット・アウタ・マイ・ウェイ」「ベター・ザン・トゥディ」「ハンズ・アップ(愛を感じて)」)全てが全米ダンスチャートでナンバーワンを獲得した。これは彼女のキャリアの中では初めての事である。(全米ダンスチャート1位は過去に「熱く胸を焦がして」「ラブ・アット・ファースト・サイト」「スロウ」で獲得している)。

さらに、「アフロディーテ」が全英で1位を獲得したことでカイリーはイギリスのチャートで4世代(80年代、90年代、00年代、10年代)それぞれで1位を獲得した初の女性ソロアーティストとなった[3]

また、全米クラブ・チャートにて同じ週に『アフロディーテ』からシングル・カットされた3枚目のシングル「ベター・ザン・トゥディ」が1位、カイリーがフィーチャリングされたタイオ・クルーズの「ハイアー」が3位を記録したことから、カイリーは全米クラブ・チャートで初の2つのシングルをTOP3に送り込んだ女性ソロアーティストにもなった[4]

2011年2月から「アフロディーテ・レ・フォリ・ツアー」(一部地域では「アフロディーテ・ツアー」)をスタートさせる。このツアーは全英を含むヨーロッパ、北米、アジアやアフリカなどを廻り全77公演が行われた。このツアーでは 1991年の「リズム・オブ・ラヴ・ツアー」以来20年ぶりの来日コンサートが実現し4月23日と24日に 幕張メッセ、25日に 大阪城ホールで公演を行った。

来日前の 3月11日東日本大震災が発生し多くのアーティストが来日公演を取りやめる中、予定通り公演が執り行われた。また、4月25日には VERBALとともに東日本大震災支援のための楽曲、「ウィー・アー・ワン」が発表された。この楽曲はYoutubeにて視聴、そして寄付が可能である[5]

同年、11月27日には彼女のこれまでのキャリアを称えてARIAHall Of Fame入りを果たした。

2012年にはデビュー25周年を迎えそれを記念して「K25」が発足、これはツイッターのハッシュタグを用いたツイートによりサプライズな動画が見られる企画である。1月25日には第一弾としてアビイ・ロード・スタジオで行われたオーケストラ・セッションから「ファイナー・フィーリングス」の映像が公開された[6](この映像は現地時間1月25日の午後7時から#K25fansのツイートが25000件に達したら公開というもので開始から約1時間半後に25000件に達した)。

3月18日からはアンタイ・ツアーを開始、このツアーはB面や未発表曲、アルバム曲を中心としたコアなファン向けのセットリストとなっており、比較的小規模な会場で行われている。オーストラリアでの公演は15分近くでソールドアウト[7]。また、イギリスでの公演も販売から10分近くでソールドアウトになっている[8]

5月25日、配信限定でニューシングル『タイムボム』が発表された、この曲は"K25"の一環としてリリースされた新曲で世界同時配信から4分でツイッターのワールドワイド・トレンド・トピックで1位になるなど話題を呼んだ[9]

10月24日、過去のヒット曲をアビイ・ロード・スタジオでフルオーケストラとともに再録音した『女神(アフロディーテ)のすべて 〜アビイ・ロード・セッションズ〜』が日本先行で発売された。[10]

ディスコグラフィ [編集]

チャート漢字表記一覧:イギリス(英),オーストラリア(豪),全米(米),日本(日),フランス(仏),ドイツ(独),アイルランド(愛),カナダ(加),オーストリア(墺),イタリア(伊),スペイン(西),オランダ(蘭),ベルギー(白),スウェーデン(瑞),ロシア(露),デンマーク(丁),フィンランド(芬),ハンガリー(洪),台湾(台)

オリジナル・アルバム [編集]

コンピレーション・アルバム (一部) [編集]

シングル [編集]

- 1987年

- 1988年

- 1989年

- 1990年

- 1991年

- 1992年

- 1994年

- 1995年

- 1997年

- 1998年

- 2000年

- 2001年

- 2002年

- 2003年

  • スロウ」(英1,豪1,西1,丁1,伊6,加6,独8,蘭8,露20,洪4,米91位)(米CLUB 1位)

- 2004年

- 2005年

- 2007年

- 2008年

- 2010年

- 2011年

- 2012年

コラボレーション・シングル [編集]

- 1988年

- 1989年

- 1991年

- 1995年

- 1998年

- 2000年

- 2005年

- 2008年

- 2010年

- 2011年

DVD [編集]

Blu-ray [編集]

受賞 [編集]

  • Brit Awards Best International Female Artist in 2001
  • Grammy Award For Best Dance Recording in 2004
  • Brit Awards International Female Solo Artist in 2008

日本公演 [編集]

10月2日 名古屋レインボーホール、6日 東京ドーム、7日,8日 大阪城ホール
3月3日:東京ベイNKホール 3月6日:横浜アリーナ、3月8日:名古屋市公会堂、3月10日:神戸ワールド記念ホール
4月23日・24日 幕張メッセイベントホール、25日 大阪城ホール

参考文献 [編集]

外部リンク [編集]