野際陽子

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のぎわ ようこ
野際 陽子
野際 陽子
レディースアートネイチャーHP(2010年9月1日)
本名 同じ
生年月日 1936年1月24日(77歳)
出生地 富山県富山市
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
身長 163cm
血液型 A型
職業 女優フリーアナウンサー声優
タレントナレーター司会者
ジャンル テレビドラマ映画トーク番組
活動期間 1958年 -
活動内容 1958年:NHK入局
1962年:NHK退局
1962年:司会業開始
1963年:女優デビュー
1968年:『キイハンター
1992年
ずっとあなたが好きだった
2000年:『TRICK
配偶者 千葉真一1972年 - 1994年
家族 長女(真瀬樹里
公式サイト 所属事務所プロフィール
主な作品
テレビドラマ
キイハンター』/『ダブル・キッチン
ずっとあなたが好きだった』/『TRICK

野際 陽子(のぎわ ようこ、1936年1月24日 - )は、日本女優フリーアナウンサータレント声優ナレーター司会者。元NHKアナウンサー身長163cm血液型A型[1]。特技は英語フランス語[1]ラヴァンス所属。

目次

人物・来歴 [編集]

富山県富山市に生まれ、3歳から東京都杉並区天沼で育った[2]区立杉並第五小学校2008年平成20年)2月23日閉校)、立教女学院中学校・高等学校立教大学文学部英米文学科卒業。大学時代はESSの英語劇セクションと劇団テアトルジュンヌに所属し、数々の作品に出演[2]。テアトルジュンヌの1年先輩には東海林のり子が、大学の同級生には長嶋茂雄がおり、在学中にはミス立教や日米対抗大学アメリカンフットボールの応援団のクイーンなどに選ばれた[3]

大学卒業後、1958年(昭和33年)にNHKにアナウンサーとして入局し、3か月の研修後に名古屋放送局に赴任[2]。天気・婦人番組を担当。1960年(昭和35年)にNHK東京放送局に赴任。テレビ『おはようみなさん』の司会を週1回担当。以降の2年間は週3本のレギュラー番組を担当した[4]。名古屋赴任時に独身寮の野際の部屋に折悪しく給料日に強盗が入り、ナイフを突きつけられ金銭を要求された経緯を『徹子の部屋』、『いつみても波瀾万丈』、『ボクらの時代』出演時に語っている[5][6]

1962年昭和37年)3月にNHK退職後、企画を説明する係として広告代理店へ転職。しかし出番が来ないまま3か月が経ち、給料だけ貰うのは忍びないと気兼ねしていると、15分の生放送番組である『女性専科』(TBS)の司会者を担うこととなった。1963年(昭和38年)にテレビドラマ悲の器』で既に女優デビューしていたことから、『女性専科』以降は女優活動が中心となった。1964年(昭和39年)には、東京都現代美術館で開催された現代美術展に出展する絵のために、画家伊東深水のモデルとして起用された。

1966年昭和41年)2月にかねてから念願であったパリへ留学。ソルボンヌ大学で古典仏文学の授業を受けながら、アリアンスフランセーズにも通い、悠々自適な1年を過ごした。翌年帰国後『女性専科』に復帰し、パリで培ったファッションセンスを活かした[4]。1967年にはパリからの帰国時に着用していた、まだ日本では珍しかったフランス製のミニスカートが話題になった。このことから日本人で初めてミニスカートを穿いた女性であるとも言われている[7]

1968年(昭和43年)にテレビドラマ『キイハンター』がスタートし、5年間放映され、視聴率30%以上を記録し一世を風靡した。ディレクターにどうしても歌わせて欲しいと直談判して[7]、主題歌の『非情のライセンス』も歌った。1972年(昭和47年)には共演の千葉真一と結婚。1975年(昭和50年)に真瀬樹里を出産。38歳11か月での初産は当時の芸能人の高齢出産最高齢記録だった。

1992年平成4年)、テレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』で息子・冬彦(佐野史郎)を溺愛する強かな姑役を演じ、以降はこれまでの母親役のほかに姑役が加わった。1994年(平成6年)にアメリカ行きを切望した千葉と[8]、日本に居たい野際の意志不一致から離婚し[8]、別れる千葉と一緒に記者会見を開いた。

近年はテレビドラマやCMで結髪に着物を着て登場することが多く、着物の似合う女優として挙げられている。

2011年平成23年)3月の原発事故を受け、「原発からでた放射能を無害にする技術ができない限り、原発はありえない」と反原発のスタンスであることをインタビューで語っている[9]

人物 [編集]

家族仲が良く実家の家族とよくバーベキューを楽しみ[10]、還暦を迎えたのを機に「脱いでみようか」というタイトルのエッセイを出版している。本人曰く「還暦を機に心の中を少し脱いでみようか」との意味でこのタイトルに落ち着いた[11]。1996年10月5日のオールスター感謝祭'96秋では、50問234.30で史上最年長60歳で優勝した[12]

多趣味であり、独身時代から勉強していた語学に加え、結婚後も子供と一緒にアイスダンスピアノなどを習っていた事がある[10]。近年は雑誌の取材で玉村豊男のアトリエを訪れた事がきっかけで水彩画を描いている[13]。健康おたくを自称するくらい健康には気を使っており、自分で考案したり人に聞いたりした健康ドリンクを長年飲み続け[10]、「老いは股関節から来る」と主治医に聞いてからストレッチを続け、180度開脚できるようになった[13]

テレビドラマ『キイハンター』や『鬼平犯科帳』などで共演した丹波哲郎から妹のように可愛がられ[14]、所属しているラヴァンスも丹波が設立した「丹波プロダクション」が元である。佐野史郎はドラマ『ずっとあなたが好きだった』で野際と共演していた時に、丹波から「陽子をヨロシク!」と声をかけられている[14]。『ずっとあなたが好きだった』の後も『ダブル・キッチン』など着物を着た姑役が続くが、「私の後(の姑役)は、浅野ゆう子さんにでもお願いしようかしらね」と語り、浅野とも交流が続いている。

夫婦役では『ダブル・キッチン』以降伊東四朗との共演が多く、伊東は「野際さんは本当にお若いし努力家で素晴らしい人」と評している。橋爪功とは映画『善人の条件』、ドラマ『ずっとあなたが好きだった』『スウィート・ホーム『京都迷宮案内』『新・京都迷宮案内』(無印から9シリーズ連続共演)『笑う三人姉妹』、『告発〜国選弁護人』などで共演している。黒柳徹子とはNHKアナウンサー時代から50年以上の親交がある。そのため『徹子の部屋』の常連出演者であり、2000年代以降は番組の節目や特別番組などに招かれている。

主な出演作 [編集]

テレビドラマ [編集]

NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
テレビ朝日
テレビ東京

映画 [編集]

舞台 [編集]

  • 山城新伍芸能生活30周年記念『泣き笑いキネマの夢・チャンバラ物語』

バラエティー・教養番組 [編集]

吹き替え [編集]

ラジオ [編集]

CM [編集]

歌・著書 [編集]

脚注 [編集]

  1. ^ a b 野際陽子 - プロフィール” (日本語). YAHOO! 人物名鑑. 日本タレント名鑑. 2011年8月26日閲覧。
  2. ^ a b c 自著 「脱いでみようか」
  3. ^ 立教未来計画 校友メッセージ
  4. ^ a b 「近代映画」 近代映画社、1970年1月号、152頁。
  5. ^ 1980年出演の徹子の部屋
  6. ^ 2012年4月8日出演のフジテレビ・ボクらの時代
  7. ^ a b 「女優が語る私の人生」 ラジオ深夜便、2010年8月7日放送分。
  8. ^ a b 千葉真一 『千葉真一 改め 和千永倫道』 山と渓谷社2008年、113 - 114頁。ISBN 4635340228
  9. ^ 革新懇ニュース 2011年9月号。
  10. ^ a b c elan、2001年12月号。
  11. ^ 1996年出演の徹子の部屋
  12. ^ TBS
  13. ^ a b 毎日が発見 2010年6月号
  14. ^ a b 佐野史郎 (2006年9月27日). “丹波哲郎さん大霊界へ逝く”. 橘井堂. 2013年2月9日閲覧。
  15. ^ 「芸能人のおしどり夫婦がCMで出演」という流れの始まりだった。

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]