河村たかし

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日本の政治家
河村たかし
かわむら たかし
生年月日 1948年11月3日(60歳)
出生地 名古屋市東区
出身校 一橋大学
所属政党 日本新党(1993 - )
新進党(1994 - 1997)
自由党(1998)
無所属(1998)
民主党(1998 - 2009)
公式サイト 名古屋市長河村たかし

日本の旗 第21代名古屋市長
当選回数 1回
任期 2009年4月28日 -

選挙区 愛知県第1区
愛知県第1区 (中選挙区)
当選回数 5回
任期 1993年 - 2009年
退任理由 名古屋市長選挙出馬のため
  

河村 たかし(かわむら たかし、1948年11月3日 - 本名同じ)は、愛知県出身の日本政治家である。現在、第21代名古屋市長2009年4月28日 - )。

衆議院議員(5期)、元裁判官訴追委員会第二代理委員長。

目次

[編集] 人物

[編集] 生い立ち

[編集] 大学卒業後、家業に従事

  • 名古屋市立桜丘中学校を経て、1967年愛知県立旭丘高等学校卒業。1年間の浪人を経て、1968年一橋大学商学部入学、1972年同卒業。
  • 大学卒業後は家業の古紙回収業・卸売業の河村商事株式会社に入社(家業からは2002年に退き長男が継ぐ)。河村商事株式会社は、河村入社当時従業員5名、2009年現在従業員50名の中小企業である[3]
  • 河村商事では、トラックの運転手や、ちり紙交換業者に頭を下げて回る営業等を行っていたが、その中で次第に業者のギルド的体質への反発を持つようになり反骨心が生じるようになったという[4]
  • 妻は河村商事株式会社取締役(国立音楽大学卒業)、長男は河村商事株式会社代表取締役社長(一橋大学経済学部卒業)をそれぞれ務める[5]

[編集] 司法試験で挫折

  • 大学時代に知合った妻と1975年に結婚。その後、1977年ころから検事を志すようになる。そこで昼間は家族を養うため家業に従事しつつ、商学部出身であり法律の勉強をしたことがなかったため、仕事後の夜学に通って解釈学及び行政学を10年間勉強し、旧司法試験を9回受験、当時合格率が10%から15%程度だった[6]第二次試験短答式試験には4回合格するも[7]、その後の第二次試験論文式試験でいずれも不合格となり断念[8]。後に民社党委員長春日一幸の秘書となったが、民社党を離党し除名となった。

[編集] 政界入り

[編集] 政界の渡り鳥

[編集] 人物

  • 名古屋ことば丸出し(ただし、わざと大袈裟に使っているという意見もある)で、自ら「名古屋から総理を狙う男」と公言してはばからない。選挙期間中は街宣車を極力使わず徒歩や自転車による街宣活動(本人曰く「自転車での街宣活動は自分が最初」と発言)を行い、庶民型政治家をアピールした[10]
  • 方言について「地方の言葉を○○弁と呼ぶのは地方差別で間違っている。東京語標準語ではなく共通語。名古屋弁は名古屋ことばと言うべし」と発言した。かつて逓信委員会で河村がNHK会長に指摘し、その後NHKは○○弁をやめ○○ことばと改めた。
  • 長年中小企業に従事していた経験からリアリストを自認する。石川知裕衆議院議員は選挙の鉄則として河村から、若いウグイス嬢を使うと中年女性の反感を買うので若いウグイス嬢は使ってはならないこと、顔を売るために街宣車の100メートル後ろを自転車で走るといいこと、取れない票は割り切って捨てるべきであることなどという現実的・実践的アドバイスを受けたという[11]
  • 河村の親友である西村眞悟があるテレビ番組で語ったところによると、河村は春日一幸の秘書時代に、春日自身から夫と死別した愛娘と結婚する様に勧められたという。既に妻子があった河村が固辞したところ、春日は「そんなことは関係ない!」と語ったとされる。
  • 平沢勝栄田中康夫とも親しい。
  • テレビに出演した際の最初の挨拶は、必ず「ご厄介になります。」と言った。これはどの番組に出演した際も同じであった。
  • クイズ$ミリオネア「現役政治家大会」に出演し、総理になる身として1千万円獲得は当たり前と豪語したが、ライフラインを中盤で使い切ってしまい、あえなく脱落した。
  • ビートたけしのTVタックルたけし・逸見の平成教育委員会日本を救うのは私だ!大改革!!法案ファイト!スーパーモーニングたかじんのそこまで言って委員会みのもんたの朝ズバッ!などの政治討論番組の他にもクイズ$ミリオネアなどのクイズ番組などメディアへの出演が多く見られ、知名度が高い。
  • 燃えよドラゴンズ!」を「名古屋の国歌」とまで言い切るほどのお気に入り。自身の選挙活動の際には必ず流れる曲でもある。ちなみに、好きな曲は森進一の「おふくろさん」。
  • 前述の「おふくろさん」を十八番(好きな曲)にし、かつファンクラブ会員であるほどの森進一好き。

[編集] 政策、政治活動

[編集] 民主党代表選

  • 2005年9月民主党代表選挙に名乗りを上げたが、推薦人20人を確保できず立候補を断念した。
  • 2006年3月31日 - 前原執行部の総辞職を受けて民主党代表選挙に立候補を表明し、朝からテレビに出演し政策をアピールし、推薦人確保に奔走したが締切りである4月7日10時までに20人に達せず断念(18名まで確保)。
  • 小沢代表の続投が規定路線だった2006年9月12日の民主党代表選挙に出馬意欲表明。8月29日、小沢代表が初めて出馬表明した翌日に記者会見。この時点での確保推薦人数は5人ぐらい(本人談)であった。
  • 民主党代表選挙に出馬すると明言しながらいつも推薦人20人を確保できないことから、ビートたけしのTVタックルでは浜田幸一に「代表選に出ると言っておきながら推薦人20人確保できないのはお前だけだ」と苦言を呈された。
  • 民主党代表選挙に出馬したい意欲は極めて本物であり、小沢一郎の無投票3選の根回しが民主党内で進んでいた動きに抵抗するかのように、2008年8月19日、『庶民革命[13]』なる政権構想を自身のHPで発表した。しかし、下馬評にさえ満足に取り上げてもらえないほど、民主党の国会議員たちには受けが悪かった。
  • 民主党代表選挙で毎回推薦人20人を確保できないことについて、ムーブ!にゲスト出演した時、「永遠の総理候補」と慰めとも皮肉とも励ましとも取れることを言われた。

[編集] 名古屋市長選

  • 民主党愛知県連(代表:伴野豊衆議院議員)は、2009年4月27日に任期満了を迎える名古屋市長選(2009年4月26日投開票)に、過去3回のような主要政党相乗り候補ではなく独自候補を擁立することを早くから目指し、名古屋市教育委員会の山田哲郎教育次長に白羽の矢を立てていた。しかし、2009年1月3日までに山田哲郎教育次長から固辞されたため、民主党愛知県連の候補者選びは白紙の状態に戻った[14]
  • 2009年1月25日、河村は、名古屋市内で民主党愛知県連代表の伴野豊衆議院議員と面談し、民主党の推薦を得て名古屋市長選に出馬したい旨および「不退転の決意」である旨、申し出る。この際、「36年間の政治生活を経て、名古屋の皆さんに恩返ししたい」と述べたと伝えられる[9]
  • 2009年1月26日夜、民主党愛知県連の幹事会にて、河村は住民税の10%減税や議員のボランティア化など自らの基本政策を説明したが、積極的支持を得られず、幹事会は、周知先行していた元愛知県弁護士会副会長の伊藤邦彦(「邦」は、正しくは「邦」の変字。以下同様)弁護士(55)を名古屋市長選の民主党愛知県連推薦候補とすることを全会一致で了承した。このため、河村は、党除名覚悟で出馬するかどうか、という瀬戸際に追い込まれることになった[15]
  • 2009年1月27日午前、民主党本部の常任幹事会にて、愛知県選出国会議員団長の佐藤泰介参議院議員が、名古屋市長候補者として民主党愛知県連が元愛知県弁護士会副会長の伊藤邦彦弁護士(55)を全会一致で推薦候補としたことを報告し、党本部の最終判断を仰いだが、党本部常任幹事会は河村の出馬による民主支持層の分裂を懸念し、最終判断を見送った。記者団に対し、常任幹事会に出席していた輿石東参院議員会長は「県連でもっとまとめてほしい」、民主党愛知県連幹部は「正規の手続きを経て、党本部に上申した結果が覆されることはない」、河村は「不退転の決意は全く変わらない」と述べる状態であった[16]
  • 2009年1月29日午後、河村は、代表質問が行われている衆院本会議場を退席して同じく退席している小沢一郎民主党代表と会い、「(市長選を)ぜひともやりたい。(党推薦を)お願いしたい」と直談判したが、「県連の関係者に一度お願いして回って来い」と突き返された。この日、民主党名古屋市議団は議員総会を開いて元愛知県弁護士会副会長の伊藤邦彦弁護士(55)の推薦を再確認するなどしており、全国的に著名な河村といえども地元民主党議員たちの支持を得られる状況にはなかった[17]
  • 2009年2月6日、民主党幹事長の鳩山由紀夫が記者会見で名古屋市長選の候補者推薦について「時間がかかってもしっかりと落着させることが大事だ」と言明したことにより、前月26日の愛知県連全会一致での伊藤邦彦に対する推薦決定にもかかわらず、党本部の最終判断は更に大幅に先送りされることとなった[18]
  • 2009年3月20日、河村は、名古屋市長候補として民主党名古屋市議団の議員総会に出席し、マニフェスト案を提示して市議団側からおおむね了承された。このため、これを民主党愛知県連が民主党本部に報告すれば河村たかしが正式に名古屋市長選の民主党推薦候補となる見通しとなった[19]
  • 2009年3月24日午前、民主党本部は常任幹事会を開き、名古屋市長選に河村を推薦することを全会一致で正式決定した。河村は、この常任幹事会の冒頭で「何とか当選して(党に)ご恩返ししたい。庶民の政党・民主党の応援団になれればと思っています。しっかりやります」と挨拶し、記者には「本当にありがたい話で、庶民革命を実現させたい」と抱負を語った[20]
  • 2009年3月25日午後、河村は、名古屋市内で記者会見し、名古屋市長選に無所属・民主党推薦で立候補することを正式表明した。同時に、それまでに名古屋市議団との政策交渉で了承を得ていたマニフェストの基本方針「庶民革命[21]」「市民税10%減税」「ボランティア委員会地域委員会Neighbourhood council)」「ナゴヤを日本一税金の安い街にする」等を発表した。席上、河村は、「楽市楽座で庶民にも商売できるようにした織田信長のような『庶民革命』をやりたい」「世の中の人は税金を払うのにどえらい苦労をしている。税金で食っている人が極楽というのは正さにゃいかん」「議員とか役人とかはパブリックサーバント、公僕だ。そういう政治の原点を訴えたい」と熱く訴えかけた[22][23]
  • 河村たかし候補(60)は、名古屋市長選において民主党名古屋市議団から民主党本部までの推薦を得ていたものの、2009年4月1日、民主党を支持するはずの「自治労名古屋市労働組合」が河村を推薦せず、自主投票とすることを決定した。また、連合愛知も同様に、結局、最後まで河村を推薦しなかった。これらは河村の「人件費の総額10%削減」という公約に対する組合員の警戒心が大変強かったためであり、「税金を払う方(市民)が地獄なのに税金で食っている方(市職員や議員)は極楽」などと繰り返す河村たかし候補に対して「自分たちを家来としか見ず給料を下げると豪語している。河村氏を推すなら組合を辞める」という声すら出ていたためである[24][25]
  • 2009年4月3日、河村は、名古屋市長選の告示日2009年4月12日に衆議院議員を自動失職する予定であったが、少しでも選挙準備の時間を多く確保するため、急遽前倒しして議員辞職願を河野洋平衆議院議長に提出した。そして、約2000万円の議員年金については、受け取らない考えを明らかにした。また、河村の選挙母体となる政治団体「元祖けったの会」がこの日までに愛知県選挙管理委員会に届けられた(「けった」は名古屋の言葉で自転車を意味する)[26]
  • 2009年4月4日夜、河村は、名古屋市役所で記者会見し、市民税10%減税、ボランティアによる地域委員会(仮称)の創設、経済対策の3つを柱とするマニフェスト『河村たかしの名古屋政策』を発表した[27]。同日、自身のHPでも解説資料『河村たかしの名古屋政策』[28]を発表した。
    • 日本一 税金の安い街 ナゴヤ、その手始めの市民税10%減税の財源は行財政改革であり、「役人支配を脱し、市役所に根付いた『しがらみ』を一掃、隠し事のない政治を実現する」と強調されている。具体的行財政改革として以下のようなものが挙げられている。
      • 市長との約束に基づく役所内の分権
      • 予算を節約すれば当該部署が報奨される制度の導入
      • 職員の総人件費10%削減
    • 日本一 福祉、医療、住民自治が行き渡った街 ナゴヤ、その中核となるボランティアによる地域委員会は、市民が一定の予算内で福祉や防犯、街づくりなど生活に密着した事業を決めるための仕組みであり、その設置手順は、以下のように示されている。
      1. 希望する地域(中学校区や小学校区など)を募る
      2. 十分な準備を経たうえで、公選に準ずる手続きで委員を選定、モデル実施する
      3. 対象を増やし、予算も拡大する
    • 日本一 早く経済復興する街 ナゴヤのための経済対策では、国直轄事業負担金の削減で生じた財源を以下のようなものに活用するとされている。
      • 中小企業支援
      • 名古屋高速道路の料金の750円から650円への引き下げ
  • 2009年4月6日、名古屋市長選出馬予定の3氏、河村たかし(60、民主党推薦)、細川昌彦(54、自民党・公明党の県組織支持)、太田義郎(65、共産党などの推薦)が初めて一堂に会して公開討論会を戦った[29]
  • 2009年4月7日、同月3日に河野洋平衆議院議長に提出されていた河村の議員辞職願が衆議院本会議で受理された[30]
  • 2009年4月26日夜、「庶民革命」を訴えながら1日35キロを自転車で走破するという「庶民派」選挙戦を展開した河村が他の3候補を圧倒的に引き離して次期名古屋市長に当選した[31]。河村への得票数は、1977年に本山政雄が獲得した46万余票を超える過去最高の51万4514票となり、次点の細川昌彦候補をも23万票も引き離すという圧勝であった。また得票率も、過去2番目に低かった前回の27.50%を23.04ポイントも上回って50.54%であった[32][25][33]

[編集] 名古屋市長として

  • 2009年4月26日夜、名古屋市長当確後の記者会見で、「お偉いさんの市長ではない、市民の友達の市長でいたい」と語った。サポート役となる副市長については、「(市政の)営業マンとして頭を下げることができて、公僕である人」「「市民に『いらっしゃいませ』と言える人」1人を民間から登用する考えであることを明らかにした[34][35]。また、「市長の戦略チーム」として選挙戦でもブレーンであった後房雄名古屋大学教授(政治学)ら専門家らによる市長直属の諮問会議を市組織とは別に設置し、かつて「経済財政諮問会議」を活用した小泉純一郎首相と同様にトップ主導で政策を進める予定であることを明らかにした[35]
  • 2009年4月27日、河村は、市長選公約の最大の目玉である市民税10%減税について、名古屋市議会が抵抗した場合、名古屋市議会の解散を名古屋市民に呼びかける覚悟であることを明らかにした。これは、当初から予想されたことではあるが、現状の名古屋市議会では河村を支えるはずの民主系は少数与党に過ぎず、市長にとっては重要議案が否決されるなど苦難が十分予想されるためである[32]。地方自治法によれば名古屋市の場合、議会解散には36万人以上の署名が必要となる。河村自身、「(必要な)250億円は(市の歳入合計)2兆6000億円のわずか1%。削減は可能だ」とした上で、得票した51万票を背景に「地方自治法の制度で署名が集められれば議会解散もできる」と指摘した。関連条例案の提出時期については、6月議会を目指す予定であるが、柔軟に対応する考えもあるとした[36]。同日、先の記者会見で、やはり市長選公約の目玉である人件費10%削減の進め方について、河村たかしは、「雇用は絶対守る。順番からいうと、まず退職不補充。年収500万円以下の庶民公務員には手をつけない。いろんな手当、退職金、ボーナスから削る」として、多くの「庶民公務員」を安心させた[36]
  • 2009年4月28日、市営バスで初登庁して名古屋市長に正式就任し、松原武久前市長から引継ぎを受けて河村市政をスタート[37]。市職員への就任挨拶で「名古屋を愛する気持ちは皆さんと同じ。東京、大阪をノックアウトして日本一の街にしましょう」「選挙中の『税金で食っとる方が極楽』発言で気分悪くした人もおるだろうが、事実。公僕という原点を忘れずに仕事してもらいたい」と呼び掛けるとともに[37]、日本減税発祥の地ナゴヤ」「日本民主主義発祥の地ナゴヤ」と書かれた2本の垂れ幕(縦10メートル、横1.2メートル)を、本庁舎正面玄関入り口に掲げた[37]
  • 2009年5月1日、名古屋市の新型インフルエンザ)対策本部長として初めての会議を開き、前月26日から開設している電話相談窓口を「新型インフルエンザに関する発熱相談センター」と命名して、症状が疑われてもすぐ病院に行くのではなく各保健所の電話相談窓口に連絡して指示を受けてほしい旨の広報を市健康増進課に徹底させた[38]。また、この日の午前中にインフルエンザの簡易鑑定で陽性反応が出ていた米国帰りのトヨタ自動車の男性社員(33)の詳細検査の結果が出るとの報告を受けた河村は同日夜に市長同席の記者会見を行ない、これに伴って翌日以降の北海道の民主党国会議員への応援演説をキャンセルした[39][40]
  • 2009年5月13日、この年に指定都市に移行した岡山市で開催された「指定都市市長会議 in 岡山」にて、初参加した河村市長は「日本一税金が安い街・名古屋に、皆さんの街から、会社や人が名古屋に集まってきたらご了承願いたい」と、他の市長に対し挑発的ともとれる発言をした。

[編集] 弾劾裁判(司法作用)における活動

長年衆議院法務委員会委員を務めており、同委員会野党筆頭理事も務めた。

2008年には裁判官訴追委員会第二代理委員長として、下山芳晴裁判官罷免のための弾劾裁判(司法作用[41])に関わり、臼井日出男委員長および荒木清寛調査小委員とともに、3名で、下村裁判官へ事情聴取を甲府刑務所で行った[42]。事情聴取の際の印象として「なかなか誠実な人柄で訴追は忍びなかったが、罪は罪」などと述べた[43]。また裁判官弾劾裁判所において罷免判決が宣告され閉廷した後、他の委員が下山元裁判官の前を無言で通り過ぎて退廷していく中、一人声をかけ激励し、これに対し下山元裁判官もうなずいて応える一幕があった。

[編集] 所属議員連盟

[編集] 文献

[編集] 著書

[編集] 脚注

  1. ^ 歴史好き河村市長の先祖は書物奉行 今も蔵書四千冊公開 - CHUNICHI Web 中日新聞 2009年6月22日
  2. ^ 『国史大事典』第7巻(吉川弘文館、1986年)
  3. ^ http://www.kawamurashoji.jp/profile/gaiyo.html 会社概要]河村商事株式会社。
  4. ^ AERA2009年6月29日
  5. ^ 『日本紳士録』交詢社
  6. ^ 年度別旧司法試験第二次試験出願者数及び短答式試験合格者数調法務省。
  7. ^ 平成19年3月20日衆議院法務委員会議事録
  8. ^ 河村たかし氏(昭和47年商・衆議院議員「欧米に女性議員が多い理由(わけ)~議員非職業化と党議拘束撤廃~」一橋大学ジェンダー社会科学研究センター。
  9. ^ a b 名古屋市長選:河村衆院議員が出馬決意 民主県連に伝える - 毎日jp 毎日新聞 2009年1月26日 01時38分
  10. ^ ただし 本人の後ろに街宣車が併走している
  11. ^ AERA2009年6月29日
  12. ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会
  13. ^ 「庶民革命」なる河村の同名ビジョンは、大型政令指定都市の首長選挙である名古屋市長選(2009年4月12日告示、同月26日投開票)においても、そのまま踏襲された。庶民革命(PDF)もしくは庶民革命(PDF)を参照のこと。
  14. ^ 名古屋市長選:山田氏が出馬固辞 民主党、候補選び白紙に - 毎日jp 毎日新聞 2009年1月4日 2時08分
  15. ^ 名古屋市長選:民主県連、伊藤氏推薦 河村氏の動向焦点に - 毎日jp 毎日新聞 2009年1月27日 02時23分
  16. ^ 名古屋市長選:民主、候補者推薦の判断先送り - 毎日jp 毎日新聞 2009年1月27日 14時19分(最終更新 1月27日 14時35分)
  17. ^ 名古屋市長選:河村氏出馬願い 小沢代表「県連了承得よ」 - 毎日jp 毎日新聞 2009年1月30日 02時10分(最終更新 1月30日 2時12分)
  18. ^ [1] - 毎日jp 毎日新聞 2009年2月7日 02時02分
  19. ^ 名古屋市長選:河村氏の推薦決定へ 民主市議団大筋で了承 - 毎日jp 毎日新聞 2009年3月21日 02時02分
  20. ^ 名古屋市長選:民主党、河村たかし氏の推薦決定 - 毎日jp 毎日新聞 2009年3月24日 14時57分
  21. ^ 「庶民革命」なる河村の同名ビジョンは、2008年8月19日、民主党代表選に備えて既に発表されていたが、名古屋市長選でのこの「庶民革命」は、その地方拡大版である。庶民革命(PDF)もしくは庶民革命(PDF)を参照のこと。
  22. ^ ’09名古屋市長選:正式出馬表明の河村氏、「庶民革命」減税訴え - 毎日jp 毎日新聞 2009年3月26日 中部朝刊
  23. ^ 名古屋市長選:民主党の河村衆院議員が出馬表明 - 毎日jp 毎日新聞 2009年3月25日 19時12分(最終更新 3月25日 19時18分)
  24. ^ ’09名古屋市長選:家来としか見ず「給料削減」豪語 自治労、河村氏を自主投票に - 毎日jp 毎日新聞 2009年4月1日 中部朝刊
  25. ^ a b 河村氏が初当選 名古屋市長選 (1/2ページ) - MSN 産経新聞 2009.4.26 21:05
  26. ^ ’09名古屋市長選:議員辞職願を提出 河村氏、衆院議長に - 毎日jp 毎日新聞 2009年4月4日 中部朝刊
  27. ^ ’09名古屋市長選:市民税10%減 河村氏公約「1期目で実現 - 毎日jp 毎日新聞 2009年4月5日 中部朝刊
  28. ^ 河村たかしの名古屋政策(PDF)あるいは河村たかしの名古屋政策(PDF)を参照のこと。
  29. ^ ’09名古屋市長選:立候補予定3氏一堂に、「改革」巡って激論--公開討論会 - 毎日jp 毎日新聞 2009年4月7日 中部朝刊
  30. ^ 河村たかし氏:名古屋市長選立候補で衆院議員辞職 - 毎日jp 毎日新聞 2009年4月8日 0時20分(最終更新 4月8日 02時40分)
  31. ^ ひと:河村たかしさん 名古屋市長選に初当選 - 毎日jp 毎日新聞 2009年4月27日 0時28分
  32. ^ a b 【名古屋市長選】河村氏が初当選 細川氏に23万票差 - CHUNICHI Web 中日新聞 2009年4月27日
  33. ^ 河村氏が初当選 名古屋市長選 (2/2ページ) - MSN 産経新聞 2009.4.26 21:05
  34. ^ 名古屋市長選:初当選の河村さん「副市長1人は民間から」 - 毎日jp 毎日新聞 2009年4月27日 02時23分(最終更新 4月27日 03時30分)
  35. ^ a b 【名古屋市長選】副市長に民間人 直属の諮問会議も設置 - CHUNICHI Web 中日新聞 2009年4月27日
  36. ^ a b ’09名古屋の変:河村新市長「減税」拒否なら解散も 6月にも議案--毎日新聞会見 - 毎日jp 毎日新聞 2009年4月28日 中部朝刊
  37. ^ a b c 河村たかし氏:市営バスで初登庁、職員に「日本一の街に」 - 毎日jp 毎日新聞 2009年4月28日 14時26分(最終更新 4月28日 15時48分)
  38. ^ 新型インフルエンザ:「まず、保健所に電話相談して」 名古屋市が対策会議 /愛知 - 毎日jp 毎日新聞 2009年5月1日 地方版
  39. ^ 【新型インフル】トヨタ社員はA香港型 名古屋市が確認 - MSN 産経新聞 2009.5.1 23:47
  40. ^ 新型インフルエンザ:情報公開も河村流 名古屋市長、判明前に会見設定 - 毎日jp 毎日新聞 2009年5月3日 中部朝刊
  41. ^ 清宮四郎『憲法Ⅰ〔第3版〕』(有斐閣1979年)337頁、芦部信喜『憲法〔新版補訂版〕』(有斐閣1999年)305頁等参照。
  42. ^ 下山判事、事実認める=裁判官訴追委が聴取時事通信。
  43. ^ 毎日新聞2008年9月9日。

[編集] 関連項目

先代:
松原武久
第21代名古屋市長
2009年 -
次代:
---

[編集] 外部リンク

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