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市川 大祐 |
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| 名前 |
| 愛称 |
イチ |
| カタカナ |
イチカワ ダイスケ |
| ラテン文字 |
ICHIKAWA Daisuke |
| 基本情報 |
| 国籍 |
日本 |
| 生年月日 |
1980年5月14日(31歳) |
| 出身地 |
静岡県清水市 |
| 身長 |
181cm |
| 体重 |
74kg |
| 選手情報 |
| 在籍チーム |
水戸ホーリーホック |
| ポジション |
DF (RSB)/MF (RWB) |
| 背番号 |
25 |
| 利き足 |
右足 |
| クラブチーム1 |
|
|
| 代表歴 |
| 1998-2002 |
日本 |
10 (0) |
|
1. 国内リーグ戦に限る。2011年1月6日現在。
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市川 大祐(いちかわ だいすけ、1980年5月14日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。日本代表にも選出され2002年ワールドカップに出場した。
[編集] 来歴
清水エスパルスユースに所属し、ユースの各年代の日本代表として国際試合を多数経験した。Jリーグデビューはまだ静岡県立清水工業高等学校2年から3年進級する頃17歳で1998年3月21日のコンサドーレ札幌戦、同年11月14日のジェフ市原戦で初ゴールを決めた。
国際Aマッチデビューは1998年4月1日の韓国戦で、17歳322日での出場は現在でも史上最年少記録である。同年に開催されたFIFAワールドカップ・フランス大会ではカズや北澤豪らとともに直前で代表から漏れるが、チームには帯同している。
1999年のエスパルスのセカンドステージ優勝、2000年のアジアカップウィナーズカップ優勝に貢献。2001年度の天皇杯優勝時は負傷中であったため、右サイドはユースで同期の平松康平が務めた。当時、エスパルスの両翼は右に市川、左に三都主アレサンドロを擁し、強力なサイド攻撃を構成した。
フィリップ・トルシエ監督が三つの年代を指揮した日本代表チームでは、就任当初から高い信頼と評価を受ける。だが、オーバートレーニング症候群を発症し長期間代表から離脱。シドニーオリンピックも本戦には出場できなかった。後にフル代表に復帰すると2002年FIFAワールドカップ・日韓大会にも出場。チュニジア戦では鮮やかなクロスボールで中田英寿の得点をアシストするなど活躍。サイドにそれを本職とする選手を配置することが少ないトルシエのシステムにあって、2002年W杯の日本代表で唯一本職の右サイドのプレーヤーとして選出されていた。トルコ戦で敗れベスト16が決定した際に涙を流し、トルシエに健闘を称えられた。その後はオーバートレーニング症候群やケガなどで安定したコンディションを維持できない事が多く、ジーコ体制以降は代表から遠ざかった。
2003年12月に同じ年齢の女性と結婚。2004年のシーズンは怪我により出場機会が減り活躍が出来なかった2003年より出場機会が増え、2006年にはリーグ戦で4年ぶりのゴールを決めるなど復調。特にサイドハーフの兵働昭弘と連動したサイドアタックはチームの主要な攻撃パターンの一つになっている。2007年にはフェルナンジーニョの加入によりダイヤモンド型の中盤に変更されサイドバックの前方に大きなスペースを作ったため、トップ下フェルナンジーニョのドリブルキープから市川のミドルシュートという攻撃パターンが確立された。
2009年シーズン序盤は不調により高木純平にポジションを奪われたが、第14節の山形戦以降はスタメンの座を取り戻した。敵陣中央でのパス交換から右サイドをオーバーラップした市川に渡り、ニアサイドに飛び込んでくる岡崎慎司、枝村匠馬にクロスで合わせるというパターンが確立し、14試合で9アシスト1得点を決めた[1]。
2010年11月、ユースより所属していた清水より戦力外通告を受けたが、2011年よりJ1に昇格し戦力補強を望んでいたヴァンフォーレ甲府より、同じく戦力外となったチームメイト伊東輝悦と共にオファーがあり移籍。引き続きJ1でプレーをすることとなったが、同年限りで甲府を退団。
2012年からは水戸ホーリーホックでプレーする。
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| 日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 1997 |
清水 |
24 |
J |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
| 1998 |
25 |
20 |
1 |
0 |
0 |
3 |
0 |
23 |
1 |
| 1999 |
J1 |
22 |
0 |
4 |
0 |
3 |
1 |
29 |
1 |
| 2000 |
26 |
2 |
6 |
1 |
4 |
0 |
36 |
3 |
| 2001 |
30 |
2 |
2 |
0 |
1 |
0 |
33 |
2 |
| 2002 |
30 |
1 |
2 |
0 |
3 |
0 |
35 |
1 |
| 2003 |
23 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
27 |
0 |
| 2004 |
3 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0 |
| 2005 |
34 |
0 |
7 |
0 |
3 |
1 |
44 |
1 |
| 2006 |
31 |
1 |
5 |
0 |
3 |
0 |
39 |
1 |
| 2007 |
33 |
4 |
6 |
1 |
3 |
1 |
42 |
6 |
| 2008 |
27 |
0 |
5 |
0 |
2 |
0 |
34 |
0 |
| 2009 |
25 |
1 |
5 |
0 |
5 |
0 |
35 |
1 |
| 2010 |
21 |
0 |
4 |
0 |
3 |
0 |
28 |
0 |
| 2011 |
甲府 |
22 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
23 |
0 |
| 2012 |
水戸 |
J2 |
|
|
- |
|
|
|
|
| 通算 |
日本 |
J1 |
347 |
12 |
52 |
2 |
34 |
3 |
433 |
17 |
| 日本 |
J2 |
|
|
- |
|
|
|
|
| 総通算 |
347 |
12 |
52 |
2 |
34 |
3 |
433 |
17 |
その他の公式戦
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 10試合 0得点(1998-2002)
| 日本代表 |
国際Aマッチ |
| 年 |
出場 |
得点 |
| 1998 |
1 |
0 |
| 1999 |
0 |
0 |
| 2000 |
0 |
0 |
| 2001 |
0 |
0 |
| 2002 |
9 |
0 |
| 通算 |
10 |
0 |
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク