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| 市川 大祐 |
| 名前 |
| 愛称 |
イチ |
| カタカナ |
イチカワ ダイスケ |
| ラテン文字 |
ICHIKAWA Daisuke |
| 基本情報 |
| 国籍 |
日本 |
| 生年月日 |
1980年5月14日(29歳) |
| 出身地 |
静岡県清水市 |
| 身長 |
181cm |
| 体重 |
74kg |
| 血液型 |
B型 |
| 選手情報 |
| 在籍チーム |
清水エスパルス |
| ポジション |
MF/DF |
| 背番号 |
25 |
| 利き足 |
右足 |
| クラブチーム1 |
| 年 |
クラブ |
App (G) |
| 1998-現 在 |
清水エスパルス |
279 (11) |
| 代表歴 |
| 1998-2002 |
日本 |
10 (0) |
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。
■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
市川 大祐(いちかわ だいすけ、1980年5月14日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。日本代表にも選出され2002年ワールドカップに出場した。清水エスパルス所属。身長181cm、体重74kg。血液型B型。
[編集] プレースタイル
ポジションの登録はディフェンダーであり4バックでは右サイドバックに入るが、3バックでは中盤の右サイドを務める事が多い。
[編集] 略歴
清水エスパルスユースに所属し、ユースの各年代の日本代表として国際試合を多数経験した。Jリーグデビューはまだ高校生だった1998年3月21日のコンサドーレ札幌戦、同年11月14日のジェフ市原戦で初ゴールを決めた。
国際Aマッチデビューは1998年4月1日の韓国戦で、17歳322日での出場は最年少記録である。同年おこなわれたワールドカップフランス大会ではカズや北澤豪らとともに直前で代表から漏れるが、チームには帯同している。 市川はこの件について、自らスタッフとして本大会への帯同を希望したこと、合宿中は絶不調であったこと、大会終了後は調子を取り戻したことを告白しており、代表としてのプレッシャーの凄まじさをうかがい知る事ができる。
1999年のエスパルスのセカンドステージ優勝、2000年アジアカップウイナーズカップ優勝に貢献。2001年天皇杯優勝時は負傷中でったため、右サイドはユースで同期の平松康平が務めた。当時、エスパルスの両翼は右に市川、左に三都主アレサンドロを擁し、この二人を中心に組み立てられたサイドからの攻撃は対戦チームにとっては脅威であった。
フィリップ・トルシエ監督が三つの年代を指揮した日本代表チームでは、就任当初から高い信頼と評価を受ける。オーバートレーニング症候群を発症し長期間代表から離脱したが、後に代表に復帰すると2002年ワールドカップ日韓共催大会にも出場した。チュニジア戦では鮮やかなクロスボールで中田英寿の得点をアシストするなど活躍。ウイングに純粋なサイドの選手を配置することが少ないトルシエのシステムにあって、2002年W杯の日本代表で唯一純粋な右サイドのプレーヤーとして選出されていた。
2003年12月に同じ齢の女性と結婚。2003年、2004年のシーズンは怪我により出場機会が減り活躍が出来ず、日本代表にも招集されなかった。しかし2005年からは出場機会が増えて、2006年にはリーグ戦で4年ぶりのゴールを決めるなどチームに貢献している。特にサイドハーフの兵働昭弘と連動したサイドアタックはチームの主要な攻撃パターンの一つになっている。2007年にはフェルナンジーニョの加入によりダイヤモンド型の中盤に変更されサイドバックの前方に大きなスペースを作ったため、トップ下フェルナンジーニョのドリブルキープから市川のミドルシュートという攻撃パターンが確立された。
[編集] エピソード
- 初めて観戦したプロ野球の試合が千葉ロッテマリーンズの試合で、それ以来のロッテファンでもある。
- 2006年には4シーズンぶりとなるゴールを記録したが、それは逆サイドからのショートパスワークで回ってきたボールを、DFラインからトップスピードでオーバーラップしてきた市川がダイレクトシュートで約30mの位置からファーサイドに突き刺すスーパーゴールであった。
- 2007年にはミドルシュートを3発決めている。どちらもサイドを駆け上がりエリア外の右45度から決めた得点であり、サイドバックの選手としては異例の武器を備えている。エスパルスファンの間では「イチゾーン」と呼ばれることも。
- 仲間からのパス、こぼれ球などのボールを右サイドから駆け上がりその勢いでシュートを放つというサッカーをよくする。市川の得点のほとんどがそのシュートで、サポーターから市川レーザーと言われている。リンクのタイトル
- Jリーグ選手としては珍しい、工業高校卒である(エスパルスユースに所属していたため、学校のサッカー部には所属していない)。工業高校出身のプロサッカー選手は、他に戸塚哲也、土屋征夫、福西崇史、伊藤宏樹、土橋宏由樹、佐藤大、馬場憂太、岡本英也などがいる。
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| 日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 1997 |
清水 |
24 |
J |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
| 1998 |
清水 |
25 |
J |
20 |
1 |
0 |
0 |
3 |
0 |
23 |
1 |
| 1999 |
清水 |
25 |
J1 |
22 |
0 |
4 |
0 |
3 |
1 |
29 |
1 |
| 2000 |
清水 |
25 |
J1 |
26 |
2 |
6 |
1 |
4 |
0 |
36 |
3 |
| 2001 |
清水 |
25 |
J1 |
30 |
2 |
2 |
0 |
1 |
0 |
33 |
2 |
| 2002 |
清水 |
25 |
J1 |
30 |
1 |
2 |
0 |
3 |
0 |
35 |
1 |
| 2003 |
清水 |
25 |
J1 |
23 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
27 |
0 |
| 2004 |
清水 |
25 |
J1 |
3 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0 |
| 2005 |
清水 |
25 |
J1 |
34 |
0 |
5 |
0 |
3 |
1 |
42 |
1 |
| 2006 |
清水 |
25 |
J1 |
31 |
1 |
5 |
0 |
3 |
0 |
39 |
1 |
| 2007 |
清水 |
25 |
J1 |
33 |
4 |
6 |
1 |
3 |
1 |
42 |
6 |
| 2008 |
清水 |
25 |
J1 |
27 |
0 |
5 |
0 |
2 |
0 |
34 |
0 |
| 2009 |
清水 |
25 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
| 通算 |
日本 |
J1 |
279 |
11 |
40 |
2 |
26 |
3 |
345 |
16 |
| 総通算 |
279 |
11 |
40 |
2 |
26 |
3 |
345 |
16 |
| 国際大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
出場 |
得点 |
| AFC |
ACL |
| 2002-03 |
清水 |
25 |
2 |
0 |
| 通算 |
AFC |
2 |
0 |
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 10試合 0得点(1998-2002)
| 日本代表 |
国際Aマッチ |
| 年 |
出場 |
得点 |
| 1998 |
1 |
0 |
| 1999 |
0 |
0 |
| 2000 |
0 |
0 |
| 2001 |
0 |
0 |
| 2002 |
9 |
0 |
| 通算 |
10 |
0 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク