西部洋平
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| 西部 洋平 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ヨウヘイ、ニシ | |
| カタカナ | ニシベ ヨウヘイ | |
| ラテン文字 | NISHIBE Yohei | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1980年12月1日(28歳) | |
| 出身地 | 兵庫県神戸市 | |
| 身長 | 187cm | |
| 体重 | 77kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 清水エスパルス | |
| ポジション | GK | |
| 背番号 | 21 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1999-2003途 2003 2004-現 在 |
浦和レッズ 鹿島アントラーズ 清水エスパルス |
33 (0) 0 (0) 144 (0) |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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西部 洋平(にしべ ようへい、1980年12月1日 - )は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。Jリーグディビィジョン1(J1)・清水エスパルス所属。ポジションはゴールキーパー。
目次 |
[編集] プレースタイル
身体能力の高さ、瞬発力を生かし、チームを決定的とも思えるピンチから救う。特に至近距離からのシュートへのセービングに長けている。一方で、クロスボールやDFラインの裏へ出されたロングボールへの飛び出しを誤るなど致命的なミスを犯すこともある。
[編集] 経歴
本格的にサッカーを始めたのは高校生からという、現代プロサッカー選手としては珍しいスタートだった選手。それゆえに、彼の身体能力の高さが伺える。それまでは剣道、野球、バスケットボールなど様々なスポーツを経験していた。中学からスポーツ推薦で帝京第三高等学校へ進学。ゴールキーパーとしてのテストで「運動神経があるから育ててみれば面白いんじゃないか」と言うのが合格理由だった。本人も「キーパーテストは全然ダメだった」というほど、テストは褒められた物では無かった。しかし持前の運動能力を発揮し、2年生になるとレギュラーの座を勝ち取った。サッカー経験がほぼ皆無だったがゆえの経験不足から来るミスも多々あったが、それ以上に西部に救われた試合の方が多かった。3年生の県大会決勝では、ペナルティエリアの外に飛び出した所を交わされ、それが決勝点となり「西部に始まり、西部で終わった3年間だったな」と監督から言われたとのこと。
1999年に浦和レッドダイヤモンズに入団。当時の触れ込みは、「楢崎正剛より潜在能力は高い。だから西部を獲得した事で楢崎は必要ない」とのこと。浦和がJ2へ降格した2000年の終盤、総監督に就任した横山謙三に抜擢され正ゴールキーパーの座を掴み、J1復帰に貢献。しかし、2002年にハンス・オフトが監督に就任すると出場機会が激減、2003年には鹿島アントラーズに期限付き移籍、2004年からは清水エスパルスに期限付き移籍した。清水ではそれまで正GKだった黒河貴矢を押しのける形で開幕からスタメンで出場。身体能力の高さの一方で、安定感の希薄さも伺えるそのスタイルに対して、当時の清水サポーターからは西部が出場している試合で『黒河』コールを起こされるなど、正GK変更に難色を示されたこともあった。しかし、持ち前の瞬発力・身体能力の高さを試合の中で披露し続け、徐々に清水サポーターの信頼を勝ち取った。以降、清水の守護神としてゴールマウスに君臨している。2006年、清水に完全移籍となった。
2007年には日本代表候補合宿選手に選出され、アジアカップの予選の際には予備登録として日本代表にも選出されたが、まだ正式な日本代表としてのメンバー入りは果たしていない。自身も今季の目標として掲げる「代表入り」に向けての期待は高まっている。
ピースカップ2007年大会のオリンピック・リヨン戦ではミラン・バロシュのPKをセーブするなどファインセーブを連発し、フランス人の実況アナウンサーは「NISHIBE!NISHIBE!(ニシビー!ニシビー!」と興奮気味に連呼した。
2008年シーズン中盤以降、チームの下位低迷と自身の不調から、後輩である北京オリンピック代表の山本海人にポジションを奪われた形となったが、2009年シーズンは開幕からスタメン出場を果たし、レギュラー奪還を果たした。今後も二人の正GK争いは注目である。
[編集] エピソード
清水エスパルスの「最もワルい」グループの長として彼らを束ねている面もあるが、 一方では、自宅で愛犬を飼っていたり、目上の人間や恩義の有る方に対し義理堅い一面を持つ。
[編集] 所属クラブ
- 帝京三高
- 1999年 - 2003年6月 浦和レッドダイヤモンズ
- 2003年6月 - 12月 鹿島アントラーズ
- 2004年 - 現 在 清水エスパルス
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1999 | 浦和 | 32 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 2000 | 浦和 | 16 | J2 | 7 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 10 | 0 |
| 2001 | 浦和 | 16 | J1 | 21 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 27 | 0 |
| 2002 | 浦和 | 1 | J1 | 5 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 11 | 0 |
| 2003 | 浦和 | 16 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |
| 鹿島 | 32 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| 2004 | 清水 | 16 | J1 | 27 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 33 | 0 |
| 2005 | 清水 | 21 | J1 | 29 | 0 | 7 | 0 | 5 | 0 | 41 | 0 |
| 2006 | 清水 | 21 | J1 | 34 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 41 | 0 |
| 2007 | 清水 | 21 | J1 | 33 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 39 | 0 |
| 2008 | 清水 | 21 | J1 | 21 | 0 | 8 | 0 | 2 | 0 | 31 | 0 |
| 2009 | 清水 | 21 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 170 | 0 | 37 | 0 | 16 | 0 | 223 | 0 | |
| 日本 | J2 | 7 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 10 | 0 | ||
| 総通算 | 177 | 0 | 38 | 0 | 18 | 0 | 233 | 0 | |||
[編集] 代表歴
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