ベガルタ仙台

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ベガルタ仙台
原語表記 ベガルタ仙台
愛称 ベガルタ
クラブカラー ゴールド、ブルー、レッド
創設年 1988年
所属リーグ Jリーグ
所属ディビジョン J2
ホームタウン 宮城県仙台市
ホームスタジアム ユアテックスタジアム仙台
収容人数 19,694
運営法人 株式会社ベガルタ仙台
代表者 白幡洋一
監督 手倉森誠
公式サイト 公式サイト
   サッカークラブPJ

ベガルタ仙台(ベガルタせんだい、Vegalta Sendai)は、日本宮城県仙台市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。

目次

[編集] クラブの概要・歴史

ホームタウン宮城県仙台市。ホームスタジアムはユアテックスタジアム仙台(2006年に"仙台スタジアム"から改称)。練習場は泉サッカー場および泉パークタウンスポーツガーデン・サッカー場。チーム名の「ベガルタ」は、仙台七夕に因んで七夕の「織り姫」と「彦星」とされるの名前、「ベガ(Vega)」と「アルタイル(Altair)」を合わせた造語マスコットは「ベガッ太」。ホームゲームでは、J2においてなお常に1万人以上が応援に掛け付け、J2中1位、Jリーグ全体中12位の集客力を誇る人気チーム。

前身は1988年に創設された東北電力サッカー部。

1994年、Jリーグ参入を目指すため、運営法人「株式会社 東北ハンドレッド」を設立し、東北電力サッカー部をクラブチーム化。クラブ名を「ブランメル仙台」(後述)に改める。

1995年1月に開かれた地域リーグ決勝大会でFW平聡を中心に優勝(準優勝は福島FC)し、JFL昇格を果たす。 JFL昇格当初は特にヴェルディ川崎の選手を補強しチーム編成したものの、成績は振るわなかった。 また、当時のホームスタジアムだった宮城県サッカー場利府町)、宮城野原公園総合運動場・陸上競技場(仙台市。2009年に「仙台市陸上競技場」に改称)にはナイター設備がなく、平日でもデーゲームで開催せざるを得なかった。そのため、ファン確保の面でも苦戦を強いられた。

1996年Jリーグ準会員承認。

1997年、ナイター設備も完備された仙台スタジアム(現・ユアテックスタジアム仙台)が完成。同スタジアムを新しいホームスタジアムとする。

1998年健康食品メーカー「ジャパンヘルスサミット」とユニフォーム(胸部分)スポンサー契約を締結。同社の商品名「カニトップ」がユニフォームの胸部分に付くようになった。

1999年、Jリーグが2部制となり、J2(Jリーグ2部)入り。クラブ名をベガルタ仙台に改称(「ブランメル」(英:Brummell, 伊達男)という名称が他社の商標であったため)。チームカラーもこれまでの緑から「ベガルタゴールド」と呼ばれる黄色に変更される。

2001年、J2リーグ第2位となり、東北のクラブとして初のJ1昇格を決める。

2002年は年間総合13位でJ1残留を果たすも、翌2003年は同15位に終わり、わずか2年でJ2逆戻り(当時のJ1リーグは年間15・16位チームがJ2降格)。また、2003年シーズン終了を以ってジャパンヘルスサミットがスポンサーから撤退。ユニフォームから「カニトップ」の名が消える。

J2逆戻り1年目の2004年、家庭用品メーカー「アイリスオーヤマ」とユニフォーム(胸部分)スポンサー契約を締結(2000年に背中部分のスポンサーとして契約し、前年まで背番号上部にロゴを入れていたが、「ジャパンヘルスサミット」のスポンサー撤退に伴い、胸部分のスポンサーに"昇格"する形となった)。また、「アイリスオーヤマ」に替わる背中部分の新スポンサーとして大手出版社「廣済堂」と契約。背中部分に同社が発行する求人情報誌「Workin」のロゴが入るようになる。
リーグ戦の方は12チーム中6位に終わり、1年でのJ1復帰は果たせず。

2005年は終盤に猛烈な追い上げを見せるも、最終順位は4位。自動昇格はおろか、入れ替え戦出場も逃した。

2006年は序盤こそ好スタートを見せるも、中盤以降失速。最終順位は全13チーム中5位。またしてもJ1復帰はならず。また、シーズン終了後、廣済堂がスポンサーから撤退。ユニフォームから「Workin」のロゴがなくなった。

2007年、廣済堂に替わるユニフォーム(背中部分)の新スポンサーが決まらず、"空白"のまま開幕を迎えるが、8月に電子部品メーカー「NECトーキン」とスポンサー契約を締結(ちなみに、同社はサッカー部も保有し、東北社会人サッカーリーグ1部に属していた)。9月から同社のロゴが背番号上部に入れられた。
リーグ戦の方は、第1クールは開幕から11戦無敗(6勝5分)の好スタート。その後、10月までは3〜4位前後に踏み留まり、昇格争いに絡んだものの、11月に失速し最終順位は4位。

2008年、クラブを運営する「株式会社 東北ハンドレッド」が6月1日付で「株式会社 ベガルタ仙台」に改称。
リーグ戦ではシーズンを通じて連敗が1度もなく、通算敗戦数は優勝したサンフレッチェ広島に次いで少ない8であった(広島は4敗)。しかし、引き分け数が16と2番目に多く(1番多かったのは横浜FCで17)、最終順位は3位。入れ替え戦に回ったものの、その入れ替え戦でジュビロ磐田に敗れ、J1復帰ならず。シーズン終了後、NECトーキンがスポンサーから撤退(ちなみに、同社サッカー部も本業の業績不振に伴い、同年11月を以って休部に追い込まれている)。

2009年、NECトーキンに替わる背中部分のスポンサーとして地元・仙台に本社を構える酒類量販店「やまや」と契約。さらに、昨年は契約が無かったパンツ部分のスポンサーに阿部蒲鉾店が契約した。
リーグ戦ではシーズンを通して好調を維持。第1クールに2連敗が1度あっただけで、以降は連敗なし。J2初優勝という形で、7シーズンぶりのJ1復帰を決めた。

クラブは熱狂的なサポーターが多いことで知られ、観戦環境がいいユアテックスタジアム仙台を擁し、地元メディアの露出度や観客動員力など地域密着度の高さはJリーグトップクラスである。 それを物語る最近の一例として、「週刊TVガイド」2007年4月6日号(3月28日発売)の宮城版にて、観戦ガイドが綴じ込み付録としてつけられたことがある(同例は他に、アルビレックス新潟の観戦ガイドがつけられた新潟版のみ。またこれらの付録案内は全国各地の同号の目次に記載)。

なお、東北電力サッカー部と、クラブチーム・ブランメル仙台に移行した初期のアマチュア選手が中心となって「電力ノスタルジア」という同好会チームを結成している。

[編集] 年度毎の概要

1994年、「株式会社 東北ハンドレッド」(2008年6月、「株式会社 ベガルタ仙台」に改称)設立。同年の東北社会人サッカーリーグを優勝した東北電力サッカー部をクラブチーム化。「ブランメル仙台」としてチーム発足。チームカラーは緑。

[編集] 1995年〜1998年(旧・JFL)

[編集] 1995年

1月に行われた全国地域リーグ決勝大会で優勝。同年からJFL参入を果たす。
JFLリーグ戦は16チームによる2回戦総当たり形式で行われ、仙台は勝点27の15位。最下位を免れるのがやっとであった。

[編集] 1996年

Jリーグ準会員として承認され、「JFLリーグ戦2位以内でJリーグ昇格」の資格を得るが、リーグ戦は勝点56の6位に終わる。

[編集] 1997年

6月泉区七北田公園内に仙台スタジアム開業。新しいホームスタジアムとして使用するようになる。
JFLリーグ戦は勝点40の8位と奮わなかった。
また、この年はJリーグ・ナビスコ杯に初参加。Jリーグ勢3チームとグループリーグ戦を戦うも、1分5敗の最下位に終わる。

[編集] 1998年

Jリーグ2部制開始を翌年に控える関係で、JFLリーグ戦はこの年を以って終了。2位以内に入れば、J1参入決定戦への出場権を得ることになっていたが、最終的には勝点43の7位。参入決定戦に回ることなく、翌年からはJリーグ2部(J2)に参戦することとなった。
また、前年同様、Jリーグ・ナビスコ杯にも参加したが、こちらはグループリーグ4戦全敗で呆気なく敗退。

[編集] 1999年〜2001年(J2)

[編集] 1999年

Jリーグ2部制開始のこの年からJ2に加入。また、チーム名をこれまでの「ブランメル仙台」から「ベガルタ仙台」に改称(「ブランメル」が他社の登録商標となっており、その商標権を侵害する恐れがあったため)。チームカラーも「ベガルタゴールド」と呼ばれる黄色に変更。
10チームによる4回戦総当たり形式で行われたリーグ戦では、開幕当初から苦戦を強いられ、前期(第2クール)終了時点で最下位。成績不振の責任を取り、前期終了を以って壱岐洋治総監督と鈴木武一監督が揃って辞任。後任として清水秀彦が監督に就任した。清水新監督は就任時、「3年計画でJ1昇格」を目指すことを明言。
清水監督が指揮した後期(第3クール以降)は多少巻き返したものの、結局、この年は9位に終わった。

[編集] 2000年

チームスローガンは「あなたとJ1

J2加入2年目。この年は水戸ホーリーホックがJ2に新加入し、11チームで争われた。
開幕からいきなり5連敗という最悪のスタートを切ってしまうも、その後は徐々に巻き返す。最終順位は前年より4つ上がり5位。「3年計画でのJ1昇格」へ向けて確かな手応えを掴んだシーズンとなった。

[編集] 2001年

チームスローガンは前年と同じ「あなたとJ1

J2開始3年目のこの年は横浜FCがJ2に新加入。12チームで争われた。
この年はFWマルコス、元日本代表MF岩本輝雄等が新加入。
前々年・前年と違い、この年は絶好の開幕ダッシュに成功し、第1クールを8勝1分2敗で終える。続く第2・3クールはいずれも6勝ずつ、第4クールでも6勝を挙げ、勝点80の3位で最終節(第44節)を迎える。
最終節では前節に1位でのJ1昇格(1シーズンでの返り咲き)を決めた京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)とアウェー(西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)で対戦。一方、仙台と勝点同点ながら得失点差で上回り2位となっているモンテディオ山形はホーム(山形県総合運動公園陸上競技場=現:NDソフトスタジアム山形)で川崎フロンターレと対戦。2試合とも同日同時刻の試合開始であった。
仙台は0-0で迎えた後半44分、MF財前宣之のシュートが決まり、待望の先制点。結局、この先制点がそのまま決勝点となり、仙台が勝利。最終勝点を「83」とする。一方、山形は0-0のまま後半を終了し、延長戦突入決定(当時のJ2リーグ戦は後半終了時点で同点の場合はVゴール方式の延長戦を行い、それでも決着しない場合は引き分け。延長勝ちの場合は勝点2を得るというルールであった)。この瞬間、仙台の2位が確定し、悲願のJ1初昇格が決定した(東北のクラブとして初のJ1昇格)。ちなみに、山形はその後、延長前半開始直後にVゴールを許し、敗戦。最終勝点は「80」のまま変わらず、3位に終わった。(「2001年J2最終節」参照)

[編集] 2002年〜2003年(J1)

[編集] 2002年

この年のチームスローガンはなし。

前年のJ2リーグ戦で第2位となり、悲願のJ1昇格。この年はFW山下芳輝、MFシルビーニョ、MF森保一、DF小村徳男らが新加入。
第1ステージは2年連続J1年間王者の鹿島アントラーズをアウェーで降す等、開幕からいきなり5連勝。特に、山下は7試合で5得点を挙げ、J1得点ランキング2位タイという活躍で日本代表候補にも選出された。しかし、日韓共催W杯開催によるリーグ戦中断後、チームは急激に失速。連戦連敗を重ねるようになる。第1ステージこそ序盤の貯金が利いて8位に終わるも、続く第2ステージではわずか4勝(1分10敗)しか挙げられず、15位。しかし、年間総合順位は全16チーム中13位。辛くもJ1残留を果たした。

[編集] 2003年

チームスローガンは「もっと、高く・強く

GK高桑大二朗、FW佐藤寿人、DF根本裕一らが新加入。開幕当初こそ3連勝を挙げるものの、その後はマルコスの怪我もあり一気に失速。19試合連続勝ち星なしという不名誉なJリーグ記録(当時)を樹立。第2ステージ開催中の9月、1999年シーズン途中から指揮を執ってきた清水秀彦監督を解任。スロベニア出身のズデンコ・ベルデニックジェフユナイテッド市原名古屋グランパスエイトで監督を歴任)を後任監督に迎え、立て直しを図るものの、結果が出ず。そして、最後は第2ステージ最終節で大分トリニータに1-1で引き分け。年間総合15位(全16チーム中)に終わり、J2降格決定。わずか2シーズンでJ2逆戻りとなった。

[編集] 2004年〜2009年(J2)

[編集] 2004年

チームスローガンは「Be Creative & Run 考えよ、疾走せよ

J2逆戻り1年目のこの年はズデンコ・ベルデニック監督が引き続き指揮を執ることになった。1年でのJ1復帰を目標に掲げ開幕を迎えたが、いきなり開幕から3連敗。4戦目でようやく初勝利を挙げるも、その後また3連敗とつまづく。しかし、その後はチームを修正しつつ、若手選手の台頭で盛り返し、J1昇格争いに絡んだ。しかし、第4クールで再び失速し、早い段階で昇格争いから脱落。結局、全12チーム中6位に終わった。シーズン終了後、ベルデニック監督は解任され、エースストライカー佐藤寿人は更なる活躍の場を求め、サンフレッチェ広島へ移籍した。

[編集] 2005年

チームスローガンは「熱く 楽しく そしてひとつに

1年でのJ1復帰を果たせず、J2逆戻り2年目を迎えたこの年、都並敏史を新監督に迎えた。
第1クールは思うように勝ち星を挙げられず、一時は全12チーム中11位にまで後退。第2クール以降は持ち直し、徐々にではあるが順位も浮上していく。そして、第4クールでは(2分をはさむ)6連勝を挙げ、一時は入れ替え戦出場となる3位にまで浮上した。しかし、第43節で京都パープルサンガに0-1で敗れると、続く最終節のアビスパ福岡戦は1-1で引き分け。最後はヴァンフォーレ甲府に勝ち点で追い抜かれ、4位。入れ替え戦出場を逃した。
シーズン終了後、小長谷喜久男常務(のちにシニアディレクターに就任)の判断により田中孝司GM、都並監督は解任(田中については小長谷が湘南の社長の時に田中が湘南の監督しており、このときも湘南の監督を解任しており二度目の解任になる)。また、チームの攻撃の要だった財前宣之をはじめ7選手が戦力外となり、ゲームメーカーのシルビーニョアルビレックス新潟へ移籍した。

[編集] 2006年

チームスローガンは「勝利or勝利 〜絆を力に変えて〜

ブラジルからジョエル・サンタナを新監督に招聘し、J2逆戻り3年目のシーズンを迎える。この年、ホーム・仙台スタジアム命名権導入に伴い、「ユアテックスタジアム仙台」に改称。
序盤は4バック3ボランチの日本人8人で守って、ブラジル人トリオの3トップでカウンター、という戦術が当たり、開幕ダッシュに成功。第1クール終了時は自動昇格圏の2位につけていた(1位との勝ち点差は"1")。
続く第2クールも好調を維持。リーグ戦前半は入れ替え戦出場となる3位(2位との勝ち点差は"1")で折り返し、このまま波に乗るかと思われた。
ところが、DF白井博幸が怪我のため長期離脱したころからそれまでの戦術が機能しなくなり始めた。サンタナの8人で守って3人で攻める古風な攻守完全分断戦術は組織的な崩しがなく、攻撃手段が極端に偏っていた。そのため前線の3人を徹底マーク等の対策を取られると、攻撃は手詰まり感が漂うようになった。しかし、サンタナはブラジルでこの戦術で成功した自信があったのか(ブラジルでは、4つのチームを優勝に導いているが、すべてこの戦術で成功している。)、戦術変更は全く行うことはなく、若手選手起用など選手起用変更にも消極的で、何の対策もしなかった。
その結果、リーグ戦後半となる第3クールでは、下位チームには勝てても上位チームには勝てなくなり、同クール終了時には昇格圏外の4位に後退。3位との勝ち点差も"7"に広がってしまう。
その後、チームの攻撃の起点というべき存在だったMFチアゴ・ネーヴィスの負傷による戦線離脱も重なり、最終・第4クールでも浮上のきっかけを掴むことが出来ず、早い段階で昇格争いから脱落。最終節ではサガン鳥栖にも勝点で追い抜かれ、最終順位は5位。
指揮を執ったサンタナはシーズン終了を以って退団。選手もこの年の前半まで正GKを務めていた高桑、ベテランFW大柴克友等4選手が戦力外となった。戦力外4選手の他、リーグ戦26ゴールを挙げ、J2得点王となったFWボルジェスは本人の希望もあり、母国ブラジルのサンパウロFCへ期限付き移籍(その後、2008年に完全移籍に移行)。期限付き移籍でプレーしていたチアゴ・ネーヴィスは移籍期間を延長せず。その一方で、MFロペスは期限付き移籍期間を延長し、チームに残留。

毎年外国人助っ人に依存する部分が多い仙台のサッカーだったが、今季はこれを大いに反省する結果となり、来期以降掲げることとなる中長期的ヴィジョンにつながった。

[編集] 2007年

チームスローガンは「新仙走破 〜そして進化。〜

J2逆戻り4年目を迎えたこの年は、前年ジョエル・サンタナ監督の下でヘッドコーチを務めた望月達也が監督に昇格。前年の望月はヘッドコーチの傍ら、サテライトチームの監督も務め、好成績を残した。また、サンタナ監督が体調不良で欠場した際、1試合のみだがトップチームの監督代行を務め、勝利を収める。試合内容も良く、選手やサポーターからも高い評価を得ていた。
選手補強面ではモンテディオ山形からベテランMF永井篤志、サガン鳥栖からGKシュナイダー潤之介等といったライバルクラブの主力選手の獲得に成功。
中盤と前線の連動による細かいショートパスで相手を翻弄するスタイルが効力を発揮。第1クールでは開幕から11戦無敗(6勝5分)の好スタート。続く第2クールでは一時は負けが込んだものの、程なくして復調。3位でリーグ戦前半を折り返す。
チームは当初シーズン途中の補強をしない方針を表明していたが、開幕からセットプレーが振るわず、さらに第3クールに入って失点が増えたことなどから補強を実行。
7月に元アルビレックス新潟のMFファビーニョを、続く8月には柏レイソルからDF岡山一成をいずれも期限付き移籍で獲得。
また、第3クール終盤で戦術を若干修正。これまでは攻撃にかける人数が多かったためカウンターの対処に難があった。またSBが積極的に攻撃参加するため、その裏を突かれることも多かった。そのため攻撃の手数を減らし、SBの攻撃参加を限定的にすることで守備の安定化を図った。これが功を奏し、第3クール終盤以降は失点が減少。また補強選手、特に岡山が効き、セットプレーでの得点が増え、失点も減った。失いかけていた勢いを再び取り戻し、昇格争いに生き残りこのまま続くのかと思えた。
しかし、そのころから得点力が急激に減少、この時期1試合平均で1得点しか取れない時期があったため、一部のサポーターから「1点病」と言われることがあった。その後第4クール序盤〜中盤では昇格を争うライバルチームとの直接対決に勝利する等、相応の粘りを見せたが、11月に入りまた失速。10日の第49節東京ヴェルディ1969戦で引き分けると、続く18日の第50節湘南ベルマーレ戦と25日の第51節京都サンガF.C.戦で連敗。これにより、3位の可能性も消滅し、5シーズンぶりのJ1昇格が潰えた。12月1日の最終節徳島ヴォルティス戦では快勝し、最終順位は4位。
GK小針清允、DF白井博幸等7選手が戦力外となり、シーズン終了を以って退団。また、ジョニウソンロペス、ファビーニョのブラジル人3選手全員もチームを去った。さらに、チーム最多得点を挙げたFW萬代宏樹ジュビロ磐田へ完全移籍。そして、指揮を執った望月もJ1昇格を逃した責任を取り監督を辞任。東京Vのラモス監督にJ2最強とまで言わしめた組織的サッカーを以ってしても昇格できず、さらには支持の声が多かった望月監督の辞任、小長谷喜久男シニアディレクターの辞任、少数ではあるが主力の流出など、痛みだけが残るシーズンとなった。

[編集] 2008年

チームスローガンは「感動一体 絆は次なるステージへ

クラブスタッフとしてフロント入りした望月達也前監督の指名を受けた手倉森誠が監督に就任。手倉森は前年、ヘッドコーチとして望月をサポート。また、手倉森新監督の双子の弟・がヘッドコーチ就任。J2降格5年目を迎えたこの年の仙台は手倉森兄弟の手に委ねられる形となった。
チームコンセプトとして、手倉森が考案した「SENDAI」というキーワードが発表された。Speed、Energy、Never give up、Dynamic、Aggressive、Intelligenceのそれぞれの頭文字をとったものとなっている。
前年、外国籍選手不在で臨んだ試合の方が連動性があり、ボールも人もよく動いた。高給な外国籍選手が戦術に思うようにフィットしなかったことをふまえ、日本人選手で経験豊富なベテランと若手の有望な選手を複数補強し、シーズン前の外国籍選手補強をしない“純国産”で臨む方針を打ち出した(ただし状況によってはシーズン途中の外国人選手補強もあり得るとしており、それが後記のFWナジソン獲得につながった)。
このオフは明治大からGK関憲太郎筑波大からMF三澤純一が新加入。他クラブからの移籍組としては、ヴィッセル神戸から元日本代表FW平瀬智行柏レイソルからMF佐藤由紀彦鹿島アントラーズからFW田中康平川崎フロンターレからMF飛弾暁をそれぞれ完全移籍、東京ヴェルディ1969からDF一柳夢吾大分トリニータから宮沢正史、川崎フロンターレから西山貴永をそれぞれ期限付き移籍で獲得。昨季まで期限付き移籍中の身であったFW中島裕希とDF岡山一成が完全移籍に移行。前年途中にコンサドーレ札幌から期限付き移籍で加入したGK林卓人も移籍期間を延長し、チームに留まった。
宮崎県延岡市でのキャンプで始動。キャンプ開始から間もない2月6日、若手4選手(金子慎二富田晋伍一柳夢吾細川淳矢)が同市の飲食店で行われた選手会主催の食事会終了後に、会場近くの駐車場に止めてあった軽ワゴン車の屋根に乗り、損傷させる騒動を起こした。詳細は#不祥事参照。
3月にリーグ戦開幕(この年からJ2リーグ戦は3回戦総当たりに変更)。純国産での始動と先述の不祥事が懸念されながらも、第1クール終了時で7勝5分け2敗の3位と、まずまずの滑り出しを見せる。なお、2006年2007年シーズンの第15節終了時と勝敗数および順位が全く同じである。
第2クール以降では決定力不足が目立つようになった。前年の試合内容から、開幕前は純国産を支持するサポーターも多かったが、次第に外国籍選手不在を危惧する声が多くなった。その後純国産の方針を撤回。韓国Kリーグで外国人初の年間MVPを獲得した経験を持つブラジル人FWナジソンを獲得。また千葉・永井の両ボランチが精彩を欠くことが多くなったため、京都からMF斉藤大介を期限付き移籍で獲得。
第3クールでは、先ずモンテディオ山形に敗れ、東北ダービーのシーズン負け越し。その後、1試合引き分けた後4連勝するも、今度はこれまでJFL以来敗れたことがなかった水戸ホーリーホックからJ初の黒星を喫する。その後は第2クールまでいずれも1分1敗と苦しめられた愛媛FC、セレッソ大阪に連勝。しかし、11月に入り失速。9日サンフレッチェ広島戦、22日横浜FC戦を続けて引き分けた後、30日サガン鳥栖戦で敗れ、ここで自動昇格は消滅。だが、最後は12月6日の最終節でザスパ草津に勝利し、シーズン3位を確保。J1・J2入れ替え戦出場を果たす。入れ替え戦ではJ1第16位のジュビロ磐田と対戦したが、ホームでの第1戦を引き分けると、続くアウェーでの第2戦は敗戦。通算1分1敗に終わり、6シーズンぶりのJ1復帰は惜しくもならなかった。しかし、シーズン途中まで外国籍選手に頼ることなく昇格争いに絡み、入れ替え戦に出場できたことはチームにとって大きな成長と言える。
シーズン終了後、8選手がチームを去った。DF岡山、GKシュナイダー潤之介等6選手は戦力外。FWナジソンは古巣でもある母国のクラブチームECヴィトーリア大分トリニータから期限付き移籍中だったMF宮沢正史は大分へ戻った。クラブスタッフの望月達也前監督も退団。その一方で、手倉森監督は2009年も引き続き指揮を執ることになった。ちなみに、仙台にとって監督交代のないシーズンオフは5年ぶり。
ベガルタが犯すファウル数は、2004年〜2006年はリーグワースト1、2007年もワースト5と多かったが、本シーズンは第1クール終了時点でベスト2と少なかった。これは、失点に繋がる危険を未然に防いでいるため、ファウルを犯す必要が少ないからとみられ、リーグ序盤の好調の理由の1つと見られている[1]。結局シーズン終了時、イエロー2枚および一発レッドによる退場者は一人もなく、仙台のファウル数はリーグベスト1の少なさとなった。ただしこれについては岩本が仙台放送スポルたん!LIVE」にて「カードをもらわないのはいいことだが、逆に言えば厳しいプレスに行っていないからだ」という逆に厳しい内容のコメントも残している。
勝敗については、シーズンを通して連敗が一度もなく、通算敗戦数は8。優勝した広島の4敗に次いで少なかったものの、引き分けの数が16と、17分けの横浜FCに次いで多く、勝ちきれない時期が続いたことがあった。一方、勝利数は3位争いを繰り広げたC大阪、湘南、鳥栖に比べて少なかった。引き分けでの「勝点1」を積み重ね、辛くも3位を確保した格好となった。

[編集] 2009年

チームスローガンは「闘志躍動 思いを胸に…」。スローガンとは別に掲げられていた目標は優勝を意味する「完全昇格

手倉森誠監督就任2年目のこの年は先ずJ1チームへの移籍が噂されていたMF梁勇基関口訓充、DF菅井直樹がいずれもチーム残留。また、コンサドーレ札幌から期限付き移籍中の身であるGK林卓人も本人の強い希望により移籍期間を再延長してチームに残留。前年まで期限付き移籍の身であったDF一柳夢吾、MF斉藤大介西山貴永が完全移籍に移行。その他の主力選手も戦力外となった者を除いてはほぼ全員が残留。前年の補強の命題となった純国産メンバーで挑むことは一旦撤回し、この年はアジア枠、在日枠と合わせて最多5人の外国籍選手を揃えることを発表。他クラブからの移籍加入選手であるが、先ずモンテディオ山形からは前年まで2年間、ヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍していたGK桜井繁横浜FCからはDFエリゼウヴィッセル神戸からMF曽我部慶太韓国からは水原三星でプレーしていた元同国代表DF朴柱成をそれぞれ完全移籍で、ブラジルからはポンチ・プレッタでプレーしていたマルセロ・ソアレス12月31日までの期限付き移籍で獲得。

なお、ホーム・ユアテックスタジアム仙台でグラウンドの芝の全面張り替え工事を行う関係で、6月までは同スタジアムを使用できず。その間のホームゲームは宮城スタジアム宮城郡利府町)で11試合、福島県営あづま陸上競技場福島県福島市)で1試合[2]を開催した。約2万人収容のユアスタに対して宮城スタジアムは約5万人収容であるが、アクセス問題があるためユアスタでの開催よりも観客数は低迷し[3]3月25日(第4節)の甲府戦でホームゲームとしては8年ぶりの観衆1万人割れ(7154人。平日ナイトゲームの上、雪も降る悪天候だった)。その後、4月18日(第9節)の栃木SC戦、6月3日(第19節)のファジアーノ岡山戦でも観衆1万人を割ってしまった(栃木戦は9678人、岡山戦は8506人。なお、岡山戦は平日ナイトゲーム開催だった)。なお、7月にユアスタ仙台での試合を再開してからは、1万人割れはない。

リーグ戦は、開幕直後こそ引き分けを挟んだ2連勝を挙げるが、その後は前年同様得点力不足を露呈。第6節まで流れの中での得点がないなど、苦戦を強いられる。内容で圧倒しながらフィニッシュの差で勝ち点3を逃す試合が目立ったが監督の結果重視宣言後、復調。5月10日の第14節・対カターレ富山戦(富山県総合運動公園陸上競技場)でJリーグ入り以来初の7連勝を果たした。第1クールは11勝2分け4敗、続く第2クールは9勝4分4敗。同クール終了時点の通算成績は20勝6分8敗(勝ち点66)の2位(首位はセレッソ大阪で、勝ち点差は2)。第3クールはFWソアレスの復調、FW中原の台頭もあって、第38節終了時には首位を奪取。終盤はC大阪、湘南ベルマーレ、甲府と共に激しいJ1昇格及びJ2優勝争いを展開していたが、11月8日・第48節の水戸ホーリーホック戦(ケーズデンキスタジアム水戸)で3位以内が確定し、7シーズンぶりのJ1復帰が決まる(この年から入れ替え戦は行われず、上位3チームが自動昇格)。続く第49節では首位・C大阪との直接対決に勝利し、入れ替わりで首位に浮上。また、この試合でJリーグ通算200勝目を達成した。首位で迎えた最終節(第51節)では愛媛FCと引き分けたものの、勝ち点差1で後を追う2位・C大阪がサガン鳥栖に敗れたためJ2初優勝を果たし、J1復帰に華を添えた。


[編集] チーム名の略号表示について

  • 1998年(ブランメル仙台時代)、同じ宮城県多賀城市を本拠とする社会人チーム・ソニー仙台JFLに昇格し、事実上仙台を拠点とするチームが2チーム参加する形となった。その為新聞や雑誌などの記事で掲載するチーム略号を区別するため「B仙台」(Bはブランメルの略)としたものもあったが、ソニー仙台が実業団チームであることで「ソニー」と表記した新聞社もあり、その場合は従前の「仙台」の地名だけの表示もあった。

[編集] チーム成績・歴代監督

  • 1998年および1999年には総監督が置かれ、壱岐洋治が務めた。
年度 所属 試合 勝点 勝利 敗戦 引分 順位 入場者数
合計
(1試合平均)
監督
1989年 宮城県社会人 優勝
1990年 優勝
鈴木武一
1991年 東北社会人 14 20 9 3 2 2位
1992年 14 19 8 3 3 2位
1993年 14 24 11 1 2 2位
1994年 14 27 13 0 1 優勝
1995年 旧JFL 30 27 9 21 - 15位
1996年 30 56 18 12 - 5位
佐藤長栄
1997年 30 40 15 15 - 8位
ブランコ・エルスナー
ミロシュ・ルス
三浦俊也
1998年 30 43 18 12 - 7位
鈴木武一
1999年 J2 36 31 10 22 4 9位 134,462人
(7,470人)
鈴木武一
清水秀彦
2000年 40 55 19 19 2 5位 177,697人
(8,885人)
清水秀彦
2001年 44 83 27 12 5 2位 308,243人
(14,011人)
2002年 J1・1st 15 20 7 8 0 9位 327,925人
(21,862人)
J1・2nd 15 12 4 10 1 15位
2003年 J1・1st 15 12 3 9 3 15位 325,621人
(21,708人)
J1・2nd 15 12 2 7 6 15位 清水秀彦
石井肇
ズデンコ・ベルデニック
2004年 J2 44 59 15 15 14 6位 356,359人
(16,198人)
ズデンコ・ベルデニック
2005年 44 68 19 14 11 4位 350,544人
(15,934人)
都並敏史
2006年 48 77 21 13 14 5位 346,868人
(14,453人)
ジョエル・サンタナ
2007年 48 83 24 13 11 4位 352,432人
(14,685人)
望月達也
2008年 42 70 18 8 16 3位 295,679人
(14,080人)
手倉森誠
2009年 51 106 32 9 10 優勝 336,719人
(12,951人)

[編集] リーグ戦通算対戦成績(2009年シーズン終了時)

リーグ J1 J2 JFL 合計
対戦チーム 勝利 引分 敗北 勝利 引分 敗北 勝利 引分 敗北 勝利 引分 敗北
コンサドーレ札幌(←東芝) 2 0 0 6 8 13 0 0 6 8 8 19
モンテディオ山形(←NEC山形) - 12 13 6 4 0 4 16 13 10
鹿島アントラーズ 1 1 2 - - 1 1 2
水戸ホーリーホック - 22 7 1 3 0 1 25 7 2
栃木SC - 3 0 0 - 3 0 0
ザスパ草津 - 12 6 0 - 12 6 0
浦和レッドダイヤモンズ 0 0 4 0 1 3 - 0 1 7
大宮アルディージャ(←NTT関東) - 4 3 9 5 0 3 9 3 12
ジェフユナイテッド市原・千葉(←ジェフユナイテッド市原) 0 0 4 - - 0 0 4
柏レイソル 1 0 3 1 0 3 - 2 0 6
FC東京(←東京ガス) 1 1 2 1 0 3 1 0 7 3 1 12
東京ヴェルディ1969 1 2 1 3 4 4 - 4 6 5
川崎フロンターレ(←富士通川崎←富士通) - 2 2 8 2 0 6 4 2 14
横浜F・マリノス 1 1 2 - - 1 1 2
横浜FC - 9 8 5 - 9 8 5
湘南ベルマーレ - 17 5 8 - 17 5 8
ヴァンフォーレ甲府 - 12 5 9 5 0 3 17 5 12 
アルビレックス新潟 - 8 0 4 1 0 1 9 0 5
カターレ富山 - 3 0 0 - 3 0 0
清水エスパルス 2 1 1 - - 2 1 1
ジュビロ磐田 0 1 3 - - 0 1 3
名古屋グランパスエイト 0 0 4 - - 0 0 4
FC岐阜 - 5 1 0 - 5 1 0
京都サンガF.C.(←京都パープルサンガ) 1 0 3 6 1 9 0 0 2 7 1 14
ガンバ大阪 1 0 3 - - 1 0 3
セレッソ大阪 0 0 2 5 2 3 - 5 2 5
ヴィッセル神戸 2 2 0 2 1 1 2 0 2 6 3 3
ファジアーノ岡山FC - 2 1 0 - 2 1 0
サンフレッチェ広島 2 0 0 1 2 0 - 3 2 0
徳島ヴォルティス(←大塚FCヴォルティス徳島) - 9 7 2 4 0 4 13 7 6
愛媛FC - 7 3 4 - 7 3 4
アビスパ福岡(←福岡ブルックス) - 8 3 7 0 0 2 8 3 9
サガン鳥栖 - 18 2 14 2 0 2 20 2 16
ロアッソ熊本 - 4 2 0 - 4 2 0
大分トリニータ(←大分トリニティ) 1 1 0 3 0 9 5 0 1 9 1 10
本田技研(現-HONDA FC) - - 2 0 6 2 0 6
ソニー仙台 - - 2 0 0 2 0 0
デンソー(現-FC刈谷) - - 5 0 1 5 0 1
国士舘大学 - - 2 0 0 2 0 0
鳥栖フューチャーズ - - 2 0 2 2 0 2
コスモ石油四日市 - - 1 0 3 1 0 3
福島FC - - 3 0 3 3 0 3
西濃運輸 - - 5 0 1 5 0 1
ジャトコ - - 4 0 0 4 0 0
合計 16 10 34 153 77 116 60 0 60 229 87 210

[編集] リーグ戦の主な記録

[編集] チーム記録

[編集] 最多得点試合
H & A スコア 試合日 対戦相手
J1 ホーム 5-2 2002年1st第3節(3月16日) 柏レイソル
アウェー 2-0 2002年1st第5節(4月6日) 鹿島アントラーズ
2-1 2002年2nd第7節(10月5日) サンフレッチェ広島
2-1 2003年1st第4節(4月19日) ヴィッセル神戸
J2 ホーム 5-1 2006年J2第17節(5月20日) ザスパ草津
5-2 2006年J2第43節(9月30日) ザスパ草津
5-2 2007年J2第9節(4月14日) サガン鳥栖
アウェー 5-1 2000年J2第30節(8月27日) 水戸ホーリーホック
5-1 2006年J2第18節(5月28日) サガン鳥栖
5-0 2009年J2第18節(5月30日) 水戸ホーリーホック
JFL ホーム 6-1 1998年JFL第15節(8月9日) ジャトコ
アウェー 4-0 1995年JFL第3節(5月18日) 福島FC
4-3 1996年JFL第8節(6月2日) NTT関東
4-1 1996年JFL第19節(9月1日) 西濃運輸
4-2 1998年JFL第14節(8月2日) デンソー
[編集] 最多失点試合
H & A スコア 試合日 対戦相手
J1 ホーム 0-6 2002年2nd第8節(10月12日) ガンバ大阪
1-6 2003年2nd第8節(9月27日) 浦和レッドダイヤモンズ
アウェー 1-5 2003年1st第12節(7月12日) ジェフユナイテッド市原
J2 ホーム 2-6 2000年J2第31節(9月3日) 湘南ベルマーレ
アウェー 1-5 1999年J2第17節(7月11日) 川崎フロンターレ
0-5 2000年J2第28節(8月12日) 大分トリニータ
1-5 2007年J2第22節(6月16日) 京都サンガF.C.
JFL ホーム 1-5 1995年JFL第2節(5月14日) 福岡ブルックス
0-5 1995年JFL第7節(6月11日) NEC山形
0-5 1995年JFL第13節(7月13日) 東京ガス
1-5 1995年JFL第15節(7月23日) 京都パープルサンガ
アウェー 1-7 1995年JFL第27節(10月15日) 東京ガス
[編集] 最多連勝
連勝試合数 期間 備考
J1 5連勝 2002年1st第1節(3月3日)〜第5節(4月6日) 昇格チームの開幕5連勝はJリーグ記録
J2 7連勝 2009年J2第8節(4月15日)〜第14節(5月10日)
JFL 9連勝 1998年JFL第22節(9月20日)〜第30節(11月8日)
[編集] 最多連敗
連敗試合数 期間 備考
J1 6連敗 2003年1st第7節(5月5日)〜第12節(7月12日)
J2 12連敗 1999年J2第9節(5月2日)〜第20節(8月7日)
JFL 7連敗 1997年JFL第5節(5月15日)〜第11節(6月21日)

[編集] 個人記録

[編集] 通算最多試合出場
試合数 氏名 備考
J1 59試合 山下芳輝
J2 337試合 千葉直樹 継続中
JFL 66試合 本明利樹
[編集] 通算最多得点
得点数 氏名 備考
J1 21得点 マルコス
J2 47得点 梁勇基 継続中
JFL 25得点 阿部良則
[編集] シーズン最多得点
得点数 氏名 達成年度
J1 18得点 マルコス 2002年
J2 34得点 マルコス 2001年
JFL 14得点 エジマール 1995年
[編集] ハットトリック
得点数 氏名 達成日 対戦相手
J1
達成者なし

J2 3得点 マルコス 2001年4月28日(J2第8節) 京都パープルサンガ
ボルジェス 2006年5月20日(J2第17節) ザスパ草津
2006年9月30日(J2第43節) ザスパ草津
萬代宏樹 2007年4月14日(J2第9節) サガン鳥栖
JFL 3得点 阿部良則 1995年5月18日(JFL第3節) 福島FC
1998年8月9日(JFL第15節) ジャトコ
オッツェ 1996年8月29日(JFL第18節) デンソー
平 聡 1998年11月1日(JFL第30節) サガン鳥栖
[編集] 最多観客動員試合
H & A 観客動員 試合日 対戦相手 スタジアム
J1 ホーム 43,092人 2002年2nd第9節(10月20日) ジュビロ磐田 宮城スタジアム
19,491人 2002年1st第12節(8月3日) サンフレッチェ広島 仙台スタジアム
アウェー 32,983人 2002年2nd第2節(9月8日) 浦和レッドダイヤモンズ 埼玉スタジアム2002
J2 ホーム 19,412人 2001年J2第43節(11月11日) サガン鳥栖 仙台スタジアム
23,745人 2008年J2第42節(11月9日) サンフレッチェ広島 宮城スタジアム
アウェー 25,807人 2001年J2第27節(8月18日) アルビレックス新潟 新潟スタジアム
JFL ホーム 14,145人 1997年JFL第8節(6月1日) 本田技研 仙台スタジアム
アウェー 15,318人 1997年JFL第19節(8月31日) コンサドーレ札幌 札幌厚別公園競技場
[編集] 最少観客動員試合
H & A 観客動員 試合日 対戦相手 スタジアム
J1 ホーム 32,478人 2003年1st第10節(5月24日) 鹿島アントラーズ 宮城スタジアム
17,308人 2002年1st第3節(3月16日) 柏レイソル 仙台スタジアム
アウェー 3,287人 2002年2nd第4節(9月18日) ジェフユナイテッド市原 市原臨海競技場
J2 ホーム 2,568人 1999年J2第7節(4月25日) 大分トリニータ 仙台スタジアム
7,154人 2009年J2第4節(3月25日) ヴァンフォーレ甲府 宮城スタジアム
アウェー 951人 2000年J2第4節(3月30日) ヴァンフォーレ甲府 山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場
JFL ホーム 1,293人 1995年JFL第28節(10月19日) 大塚FCヴォルティス徳島 宮城陸上競技場
2,845人 1998年JFL第27節(10月15日) 大宮アルディージャ 仙台スタジアム
アウェー 270人 1998年JFL第26節(10月12日) 国士舘大学 駒沢陸上競技場

[編集] 獲得タイトル

フェアプレー賞 J2
  • 2008年
  • 2009年 ※2年連続受賞を称えられ、チェアマン特別賞も。
J2リーグ優勝

[編集] 個人別タイトル

フェアプレー個人賞
J2得点王

[編集] ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) ゴールド
FP(2nd) シルバー シルバー シルバー
GK(1st) ピンク ピンク
GK(2nd) 水色 水色
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 2nd

[編集] チームカラー

  • チームカラーは「ベガルタゴールド」と呼ばれる黄色に近い金色。

[編集] アラカルト

  • 首元とソックスならびにパンツの後ろには、織姫と彦星を意味する緑と黄色の星がアクセントとして刺繍されている。
  • 2009年10月のリーグ戦ホームゲームでは、クラブ創設15周年を記念して黒をベースに右袖などにはベージュに近い金色を配した特別ユニフォームを着用(GKは、10月7日のみフィールドプレーヤー用1stユニフォームを着用)。

[編集] ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
アイリスオーヤマ IRIS OHYAMA 2004年- 2000年-2003年までは背中
背中 やまや やまや 2009年-
七十七銀行 七十七銀行 1998年-
パンツ 阿部蒲鉾店 阿部かま 2009年-

[編集] ユニフォームサプライの遍歴

[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1998年 カニトップ 七十七銀行 TOPPER
1999年 カニトップ 七十七銀行 asics
2000年 カニトップ 七十七銀行 アイリスオーヤマ asics
2001年 カニトップ 七十七銀行 アイリスオーヤマ asics
2002年 カニトップ 七十七銀行 アイリスオーヤマ PIZZA STRAWBERRYCONES asics
2003年 カニトップ 七十七銀行 アイリスオーヤマ PIZZA STRAWBERRYCONES asics
2004年 IRIS OHYAMA 七十七銀行 Workin 仙台進学プラザ asics
2005年 IRIS OHYAMA 七十七銀行 Workin 仙台進学プラザ asics
2006年 IRIS OHYAMA 七十七銀行 Workin 仙台進学プラザ asics
2007年 IRIS OHYAMA 七十七銀行 –/NEC/TOKIN(9月-) 仙台進学プラザ asics
2008年 IRIS OHYAMA 七十七銀行 NEC/TOKIN asics
2009年 IRIS OHYAMA 七十七銀行 やまや –/阿部かま(4月-) asics

[編集] 運営規模

ベガルタ仙台 (企業)」も参照

運営規模売上高に県・市からの助成金を加えた総収入)は、ジャパンフットボールリーグ時代の96年度-98年度は約5億円、J2に昇格した99年度から毎年上昇し、本気でJ1入りを目指した01年度には約10億円になった。J1元年の02年度には更に倍の21億5400万円へと規模が拡大し、03年度に22億円を越えた。しかし、J2に降格した04年度は約20億円に規模縮小し、05年度は約19億円、06年度は約18億円と、J2降格後の運営規模は縮小傾向になっている。

J1とJ2で大きな差が出るのは、グッズの商標料などを含むJリーグの分配金である。分配金は決算の翌年度に供されるので、1年遅れでチームの収入になる。そのため、J1昇格初年度は、他のJ1チームよりも不利な状況で戦わなくてはならない。ベガルタの場合、昇格初年度の02年度はJ2基準の分配金で戦ったが残留を決めた。しかし、J1基準となった03年度は、約3億円(J2なら約6000万円)の分配金をもらいながらも降格決定。分配金システムには激変緩和策があり、1年でJ1に復帰するとJ1基準が続くが、昇格できないままJ2の2年目を迎えるとJ1基準の半額になり、3年目にはJ2基準に戻る仕組みになっている。そのため、J2降格初年度の04年度は、運営上もなんとしても1年でJ1復帰したいところだったがJ2で6位となり昇格ならず(04年度はJ1基準の3億6300万円の分配金をもらってJ2の中では有利であったはずだが)。05年度の分配金は、J1基準の半額である1億3800万円だったが、結局で4位と昇格出来ず、J2にいる限りジリ貧状態が続いている。

スポンサーからの広告収入も低迷している。J1最後の年となった03年のスポンサーは128件、07年は140件と数は増えているが、その金額については6億4500万円から4億円に減少。チームの不振に伴いスポンサーの“小口化”が進んでいる。また、同じく仙台に本拠地を持つプロスポーツチーム、東北楽天ゴールデンイーグルス仙台89ERSとスポンサーの奪い合いになっている面もあり、仙台進学プラザのようにさえない成績に見切りをつけて“鞍替え”する企業も現れている。チームの成績を向上させるか、あるいは成績が悪くともスポンサーが逃げないようにするか、いずれにせよ早急な対策が求められている。

なお、2007年度のホームゲームの1試合平均観客数は14,685人で、J2平均の6,521人と比べると2.25倍。J2全13チームの合計観客数2,034,543人の17.3%を、ベガルタのホームゲームの観客が占める。

[編集] チーム名変遷

  • 1988年 - 1994年10月 東北電力サッカー部
  • 1994年11月 - 1998年 ブランメル仙台
  • 1999年 - 現在 ベガルタ仙台

[編集] マスコット

[編集] スタジアムDJ

[編集] 過去のスタジアムDJ

[編集] 応援スタイル

ユアテックスタジアム仙台で行われるリーグ戦では、(メインスタンドから見て)左側のゴール裏スタンドからバックスタンドの一部に渡る部分が「サポーター自由席」と称されており、ここをメインに応援が行われている。特に、ゲート入り口から最前列までのスタンド部分に、熱心なサポーターが集まって熱狂的な応援を行っている。なお、この席ではチームカラーである黄色(「ベガルタゴールド」と呼ばれる)の服(ユニフォームのレプリカ、パーカー、Tシャツ等)を着用するのが「暗黙のルール」とされている。

コールリーダーは、サポーター自由席のバックスタンド側に位置し、戦況によって的確な応援指示を行う。

コールリーダーのいる位置には、サポーター有志によって設置されたマイクがあり、ゴール裏スタンド中央部に設置されているスピーカーに音声が出るようになっている。これによって音声のずれが生じることなくサポーター自由席での一体感のある応援を行うことが可能となる。

ユアテックスタジアム仙台は観客席全てに屋根がかかっている構造になっており、声が屋根に反響する効果がある。メガホンなどの鳴り物グッズを使ってしまうと屋根によって声援がかき消されてしまうため、応援時のメガホン使用が禁止されている。また、ベガルタ仙台のグッズのラインナップにもメガホンが用意されていない。(J2初期の頃は、メガホンも販売されていたが上記の理由からサポーターが運営会社に販売中止を申し入れている。)

フェアプレーフラッグ&選手入場時はカントリーロードを歌う。

試合中は、戦況に応じて応援歌を使い分ける。これによって、選手とサポーターが一体となって戦っているという効果を生み出している。

試合に勝利したときは、最後に「AURA」を歌う。

[編集] サポーターソング

チームに対してのものと現役選手に対してのものに関しては、河北新報社が運営する「ベガルタ☆モバイル」にて着信メロディとして用意されている。ダウンロードは月に3曲のみ可能。ただし、一部の曲は含まれない。

[編集] 選手入場曲

[編集] チームに対してのもの

  • カントリーロード(原曲はジョン・デンバーの「Take Me Home, Country Roads」。フェアプレーフラッグ&選手入場時に歌われる。タオルマフラーを使う)
  • C'mon(原曲はLAUGHIN' NOSEの「C'mon Everybody C'mon」。サポーター側に向かって攻めている時に歌われる。尚、LAUGHIN' NOSEのVo.CHARMYは宮城県気仙沼出身である。)
  • COBRA(原曲はCOBRAの「やっちまえ!POPSTAR」)
  • FORZA(振り付けあり)
  • KISS(原曲はKISSの「ラヴィン・ユー・ベイビー」)
  • シャンゼリゼ(原曲は越路吹雪の「オー・シャンゼリゼ」。得点した時と勝利して試合が終了した直後に歌われる。タオルマフラーを使う。ただし、個人応援歌を持つ選手が得点した場合はそれぞれの個人応援歌が優先される。)
  • AURA(原曲はAURAの「愛・オーランド」。勝利した時のみ試合後に歌われる)
  • ベガルタオーレ(主に試合前のアップ時に行われる。左右への激しい揺れを伴うため非常に危険。慣れていない人は負傷の恐れあり。また、眼鏡をかけている人は破損・紛失の恐れあり。)
  • TWISTED(原曲はTwisted Sisterの「We're Not Gonna Take It」 )
  • 電光石火(原曲はTHE BLUE HEARTSの「電光石火」)
  • Flash Dance(原曲はアイリーン・キャラの「Flashdance... What a Feeling」。振り付けあり。2パターン存在する)
  • 仙台レッツゴー!(原曲はラモーンズの「BLITZKRIEG BOP」。攻め込んでいる時にコールされる。相手にボールが渡った時点でコールが終了される)
  • スィンギン仙台(原曲は氣志團の「スウィンギン・ニッポン」)
  • SA(原曲はSAの「NAUGHTY BOYS」)

この他にも、太鼓のリズムのみのものもある。

[編集] 選手に対してのもの

[編集] 現役選手

[編集] 退団選手

  • 平聡野猿・叫び
  • 越後和男・瀬川誠:蒲田行進曲
  • 阿部良則・藤吉信次・大柴克友:恋のメキシカンロック
  • 小林康剛・財前宣之・佐藤由紀彦:ビューティフル・ネーム
  • 山田隆裕:Dreamin'
  • マルコス・萬代宏樹:Saturday Night
  • 岩本輝雄:Shy Boy
  • 中村伸:Livin'On A Prayer
  • 福永泰:ゴーゴーヘドロマン
  • 山下芳輝:PRISONER(野獣を野に放て)
  • 阿部敏之:ゆかいな牧場
  • ボルジェス:1000のバイオリン
入団当初の応援歌はGOING STEADY愛しておくれだった。
  • チアゴ・ネーヴィス:たらこ・たらこ・たらこ
  • 熊林親吾:スウィンギン・ニッポン
  • ロペス:アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士(振り付けあり)
入団当初の応援歌は爆風スランプの涙2〜ラブ・バージョンだった。
  • ジョニウソン:ジョニウソン本人の応援歌(以前所属していたクラブで実際に使われていたもの)
  • 岡山一成:360°モンキーズ(元阪神バース選手の応援歌、おもちゃのバットを使う)

[編集] 地上波テレビ中継

宮城の地上波5局の中継スタイル

仙台でのホーム戦を中継しているが、2007年ではアウェーの対湘南戦と対東京V戦を中継したことがある。2008年はホーム開幕となる福岡戦と5月(ホーム)と6月(アウェー)に行われる東北ダービーを中継した。

解説はブランメル時代から2007年シーズンまでは松原悟(東北学院大サッカー部監督)が務めており他には鈴木正治岩本輝雄も担当。2008年のリーグ最終戦はTBSが主な活動の場としている金田喜稔が務めた、2009年からはベガルタ初代監督の鈴木武一が登場、実況は佐藤修石黒新平圭三プロニッポン放送RFラジオ日本契約アナ)、小林徹夫(現KBC)、大井健郎(現・報道記者)。2007年からは守屋周が、2008年途中から飯野雅人松尾武が担当。また、2007年からはスカパー!においてホームゲーム中継を制作しており、2007年は元仙台放送の下田恒幸が実況していたが2008年は前述の守屋・飯野・松尾が2009年は主に松尾が担当している。※2008年3月の草津戦は下田が担当した(この日はプロ野球・楽天イーグルスのホーム開幕戦をテレビ・ラジオで中継したための人員不足と思われる)。なお、J1時代には仙台で行われた鹿島戦を全国ネットした経験があり(TBS主導)横浜で行われた横浜FM戦はTBSが製作する映像を見ながら応援実況の形式で放送されたこともある。2008年は4月に放送された鳥栖戦は編成の関係上、深夜の放送となりスカパー!と同じスタッフで放送されたため解説の鈴木武一とリポーター担当でフリーの村林いづみが同局テレビ中継初登場となった、中継スタイルとしてはハーフタイムにCMを多くいれるケースが目立ち放送席の顔出しが全くない。

解説は単発契約なのか固定されていない。実況はブランメル時代に1試合だけ浅見博幸が担当、以降2005年まで下田恒幸フリー)が務めていたのは有名。試合開始前には必ず下田恒幸が心を込めてお伝えしますというフレーズがあった。下田退社後は金澤聡が担当している。そのためか、「スポルたん!LIVE Special」というタイトルがつけられて放送されており、試合直後のユアテックスタジアム内で「スポルたん!LIVE」の中継をしたこともある下田退社後の中継では在仙局としては珍しくダブル解説で行うことが多い。なお2007年シーズンSKY PerfecTV!山形のホームゲーム中継を制作していた。(2008年からは山形テレビが担当)

2000年ごろからセルジオ越後が解説を勤めていたが、仙台放送と同じく単発契約で固定されていない。実況はブランメルのJFL昇格決定試合(愛知県刈谷市で行われ系列の中京テレビが技術協力した)を竹鼻純が務め、ブランメル時代から2006年まで三雲茂晴が担当していたが実況スタイルに賛否両論である(詳しくは三雲茂晴の項に)2007年は柳瀬洋平が実況を務めていたが2008年より夕方のニュースキャスター就任に伴い再び三雲が担当することになった、しかし2009年からは外賀幸一が担当する。なおJ1昇格を決めた京都戦(西京極)は同局で放送され岩瀬裕子がリポーターで乗り込みKBS京都の製作で放送された、因みにテロップはミヤギテレビ独自のものを使った。2002年はアウェーの東京ヴェルディ戦を日本テレビの製作で生中継され(日テレは深夜録画放送)こちらも岩瀬がリポーターとして登場した。2008年途中から字幕テロップが日テレとほぼ同形となった。(当局初お目見えは9月の仙台カップ国際ユース大会)因みにリポーターは相手地域に放送されるされないに関わらず相手チームにも配するケースが多い

解説は宮本征勝原博実が務めていたが現在はベガルタをJ1に導いた清水秀彦が担当、実況はブランメル1年目のみ熊谷博之が務めた後、現在まで加川潤が実況を担当している。

[編集] ラジオ中継

[編集] 不祥事

2008年2月6日夜、キャンプ地延岡市内にて選手4人が酒に酔って車を傷つける事件が起こった。

関わったのはMF金子慎二、MF富田晋伍、DF細川淳矢、DF一柳夢吾。4人はオフ前日の6日、草津との練習試合を終えた夜、同市の飲食店で行われた選手会主催の食事会に参加した後、別の飲食店で飲食。その際気分が悪くなり、外の駐車場で嘔吐していたMF金子を他の3選手がふざけて近くに止めてあった軽自動車の屋根に押し上げた。さらに3人も屋根に上って騒ぎ、車の屋根をへこませた。

車は4人が飲食した飲食店とは別の店の店主所有のもので、4人は直後に謝罪。連絡を受けた手倉森監督も謝罪し、その場で示談が成立したため、被害届は提出されなかった(刑事事件にはならなかった)。

発覚したのは6日後の12日、インターネット掲示板への書き込みが発端だった。つまり、6日間事実を公表しなかった(発生直後、手倉森はフロントに報告しなかった)。13日、謝罪会見が行われ、処分の内容が明らかになった。問題を現場だけで処理しようとした手倉森と10日に現地入りして事情を知らされながら放置した丹治強化部長には50万円の制裁金、関与した4選手には3ヶ月の減俸20%、名川社長に管理責任として50万円の制裁金、全選手のキャンプ中の外出禁止を持って処分とした。

[編集] 脚注

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  1. ^ J2仙台、好調呼ぶフェアプレー(2008年5月20日 河北新報
  2. ^ 宮城県外でベガルタ主管試合が行われるのはJリーグ加盟後は初めて。JFL時代に岩手県で開催したことはある。
  3. ^ アクセス難で客足低迷 ベガルタ仙台ホーム戦(河北新報 2009年5月5日)

[編集] 関連項目

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