ベガルタ仙台

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ベガルタ仙台
原語表記 ベガルタ仙台
愛称 仙台
クラブカラー ゴールド、ブルー、レッド
創設年 1988年
所属リーグ Jリーグ
所属ディビジョン ディビジョン2
ホームタウン 仙台市
ホームスタジアム ユアテックスタジアム仙台
収容人数 19,694
代表者 名川良隆
監督 手倉森誠
公式サイト 公式サイト

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ベガルタ仙台(ベガルタせんだい、Vegalta Sendai)は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

[編集] クラブの概要・歴史

ホームタウン宮城県仙台市。ホームスタジアムはユアテックスタジアム仙台(2006年に"仙台スタジアム"から改称)。練習会場は泉パークタウン、泉総合運動場が使われている。 Jリーグ屈指の人気チーム、ホーム試合は常に1万人が応援に掛け付ける。 チーム名の「ベガルタ」は仙台七夕にちなみ七夕の「織り姫」と「彦星」とされる星の名前、「ベガ(Vega)」と「アルタイル(Altair)」を合わせた造語。

前身は1988年に創設された東北電力サッカー部。 1994年、Jリーグ参戦を目指すため運営法人東北ハンドレッドを設立し、クラブチーム化。 クラブ名を"ブランメル仙台"(後述)に改める。 1995年1月に開かれた地域リーグ決勝大会でFW平聡を中心に優勝(準優勝は福島FC)し、JFLに昇格を果たす。 JFL昇格当初は特にヴェルディ川崎の選手を補強しチーム編成したものの、成績は振るわなかった。 また当時のホームスタジアムだった宮城県サッカー場利府町)、宮城陸上競技場(仙台市)にナイター設備がないため、平日でもデーゲームを開催せざるを得ず、ファン確保の面でも苦戦を強いられた。

1996年Jリーグ準会員承認。

1997年、ナイター設備も完備された仙台スタジアムが完成。

1998年健康食品メーカー「ジャパンヘルスサミット」がメインスポンサーとなり、同社の商品名「カニトップ」がユニフォーム胸部分に付くようにになった。

1999年、Jリーグが2部制となり、J2(Jリーグ2部)入り。クラブ名をベガルタ仙台に改称(「ブランメル」(英:Brummell, 伊達男)という名称が他社の商標であったため)。

J2入り3年目の2001年シーズンで2位となり、東北チーム初のJ1昇格を果たす。

2003年シーズンで全16チーム中15位に終わり、J2に降格。同年シーズン終了を以って、「ジャパンヘルスサミット」がスポンサーから撤退。ユニフォームから「カニトップ」の名が消える。代わって、これまで準メインスポンサーとしてユニフォームの背中に広告を入れていた家庭用品メーカー「アイリスオーヤマ」がメインスポンサーに昇格。ユニフォームの胸部分に同社のロゴが記されるようになる。

J2降格1年目の2004年は全12チーム中6位。

都並敏史を監督に迎えた2005年は最後までJ1昇格争いに絡んだものの、最終戦でアビスパ福岡と引き分け、入替戦出場を逃した。

ジョエル・サンタナを監督に迎えた2006年は13チーム中5位の成績。なお、サンタナ監督はシーズン終了を以って退団。クラブは3年連続で監督が交代することになった。また、これまで3年間ユニフォームの背中部分に"Workin"の広告を出してきた廣済堂がシーズン終了を以ってスポンサーから撤退。

2007年、これまでチームのヘッドコーチを務めてきた望月達也が監督に就任。第1クールは開幕から11戦無敗(6勝5分)のスタート。8月NECトーキンとユニフォーム(背中部分)スポンサー契約を締結(2008年まで)。9月から同社のロゴが背番号上方部分に入れられた。その後、10月までは3~4位前後に踏み留まり、昇格争いに絡んだものの、11月に入り失速(3試合で勝点1)。この失速が響き、最終的には4位。

2008年は前年チームのヘッドコーチを務めていた手倉森誠が監督に昇格。

クラブは熱狂的なサポーターが多いことで知られ、観戦環境がいいユアテックスタジアム仙台を擁し、地元メディアの露出度や観客動員力など地域密着度の高さはJリーグトップクラスである。 それを物語る最近の一例として、「週刊TVガイド」2007年4月6日号(3月28日発売)の宮城版にて、観戦ガイドが綴じ込み付録としてつけられたことがある(同例は他に、アルビレックス新潟の観戦ガイドがつけられた新潟版のみ。またこれらの付録案内は全国各地の同号の目次に記載)。

なお、東北電力サッカー部と、クラブチーム・ブランメル仙台に移行した初期のアマチュア選手が中心となって「電力ノスタルジア」という同好会チームを結成している。

[編集] チーム名の略号表示について

  • 1998年(ブランメル仙台時代)、同じ宮城県多賀城市を本拠とする社会人チーム・ソニー仙台がジャパンフットボールリーグに昇格し、事実上仙台を拠点とするチームが2チーム参加する形となった。その為新聞や雑誌などの記事で掲載するチーム略号を区別するため「B仙台」(Bはブランメルの略)としたものもあったが、ソニー仙台が実業団チームであることで「ソニー」と表記した新聞社もあり、その場合は従前の「仙台」の地名だけの表示もあった。

[編集] チーム成績・歴代監督

  • 1998年および1999年には総監督が置かれ、壱岐洋治が務めた。
年度 所属 試合 勝点 勝利 敗戦 引分 順位 入場者数
合計
(1試合平均)
監督
1995年 旧JFL 30 27 9 21 - 15位
鈴木武一
1996年 30 56 18 12 - 5位
佐藤長栄
1997年 30 40 15 15 - 8位
ブランコ・エルスナー
ミロシュ・ルス
三浦俊也
1998年 30 43 18 12 - 7位
鈴木武一
1999年 J2 36 31 10 22 4 9位 134,462人
(7,470人)
鈴木武一
清水秀彦
2000年 40 55 19 19 2 5位 177,697人
(8,885人)
清水秀彦
2001年 44 83 27 12 5 2位 308,243人
(14,011人)
2002年 J1・1st 15 20 7 8 0 9位 327,925人
(21,862人)
J1・2nd 15 12 4 10 1 15位
2003年 J1・1st 15 12 3 9 3 15位 325,621人
(21,708人)
J1・2nd 15 12 2 7 6 15位 清水秀彦
石井肇
ズデンコ・ベルデニック
2004年 J2 44 59 15 15 14 6位 356,359人
(16,198人)
ズデンコ・ベルデニック
2005年 44 68 19 14 11 4位 350,544人
(15,934人)
都並敏史
2006年 48 77 21 13 14 5位 346,868人
(14,453人)
ジョエル・サンタナ
2007年 48 83 24 13 11 4位 352,432人
(14,685人)
望月達也

[編集] リーグ戦通算対戦成績(2007年シーズン終了時)

リーグ J1 J2 JFL 合計
対戦チーム 勝利 引分 敗北 勝利 引分 敗北 勝利 引分 敗北 勝利 引分 敗北
コンサドーレ札幌(←東芝) 2 0 0 4 7 13 0 0 6 6 7 19
モンテディオ山形(←NEC山形) - 11 13 4 4 0 4 15 13 8
水戸ホーリーホック - 18 6 0 3 0 1 21 6 1
ザスパ草津 - 8 4 0 - 8 4 0
東京ヴェルディ1969 1 2 1 1 3 4 - 2 5 5
湘南ベルマーレ - 15 3 6 - 15 3 6
京都サンガF.C.(←京都パープルサンガ) 1 0 3 6 1 9 0 0 2 7 1 14
セレッソ大阪 0 0 2 3 0 1 - 3 0 3
徳島ヴォルティス(←大塚FCヴォルティス徳島) - 6 4 2 4 0 4 10 4 6
愛媛FC - 5 1 2 - 5 1 2
アビスパ福岡(←福岡ブルックス) - 5 3 4 0 0 2 5 3 6
サガン鳥栖 - 15 1 12 2 0 2 17 1 14
鹿島アントラーズ 1 1 2 - - 1 1 2
浦和レッドダイヤモンズ 0 0 4 0 1 3 - 0 1 7
大宮アルディージャ(←NTT関東) - 4 3 9 5 0 3 9 3 12
ジェフユナイテッド市原・千葉(←ジェフユナイテッド市原) 0 0 4 - - 0 0 4
柏レイソル 1 0 3 1 0 3 - 2 0 6
FC東京(←東京ガス) 1 1 2 1 0 3 1 0 7 3 1 12
川崎フロンターレ(←富士通川崎←富士通) - 2 2 8 2 0 6 4 2 14
横浜F・マリノス 1 1 2 - - 1 1 2
横浜FC - 6 6 4 - 6 6 4
ヴァンフォーレ甲府 - 11 2 7 5 0 3 16 2 10
アルビレックス新潟 - 8 0 4 1 0 1 9 0 5
清水エスパルス 2 1 1 - - 2 1 1
ジュビロ磐田 0 1 3 - - 0 1 3
名古屋グランパスエイト 0 0 4 - - 0 0 4
ガンバ大阪 1 0 3 - - 1 0 3
ヴィッセル神戸 2 2 0 2 1 1 2 0 2 6 3 3
サンフレッチェ広島 2 0 0 - - 2 0 0
大分トリニータ(←大分トリニティ) 1 1 0 3 0 9 5 0 1 9 1 10
本田技研(現-HONDA FC) - - 2 0 6 2 0 6
ソニー仙台 - - 2 0 0 2 0 0
デンソー(現-FC刈谷) - - 5 0 1 5 0 1
国士舘大学 - - 2 0 0 2 0 0
鳥栖フューチャーズ - - 2 0 2 2 0 2
コスモ石油四日市 - - 1 0 3 1 0 3
福島FC - - 3 0 3 3 0 3
西濃運輸 - - 5 0 1 5 0 1
ジャトコ - - 4 0 0 4 0 0
合計 16 10 34 111 50 95 60 0 60 187 60 189

[編集] リーグ戦の主な記録

[編集] チーム記録

[編集] 最多得点試合

J1

J2

  • ホーム
    • 5-1(2006年J2第17節(5月20日)・対ザスパ草津
    • 5-2(2006年J2第43節(9月30日)・対ザスパ草津)
    • 5-2(2007年J2第9節(4月14日)・対サガン鳥栖

JFL

  • ホーム
    • 6-1(1998年JFL第15節(8月9日)・対ジャトコ)
  • アウェー
    • 4-0(1995年JFL第3節(5月18日)・対福島FC
    • 4-3(1996年JFL第8節(6月2日)・対NTT関東
    • 4-1(1996年JFL第19節(9月1日)・対西濃運輸)
    • 4-2(1998年JFL第14節(8月2日)・対デンソー

[編集] 最多失点試合

J1

J2

JFL

  • アウェー
    • 1-7(1995年JFL第27節(10月15日)・対東京ガス)

[編集] 最多連勝

J1

  • 5連勝(2002年1st第1節(3月3日)から第5節(4月6日))(昇格チームの開幕5連勝はJリーグ記録)

J2

  • 4連勝(2000年J2第20節(6月21日)から第23節(7月8日))、2001年J2第18節(7月7日)から第21節(7月21日))、2007年J2第36節(8月25日)から第40節(9月15日)(第38節は試合なし))

JFL

  • 9連勝(1998年JFL第22節(9月20日)から第30節(11月8日))

[編集] 最多連敗

J1

  • 6連敗(2003年1st第7節(5月5日)から第12節(7月12日))

J2

  • 12連敗(1999年J2第9節(5月2日)から第20節(8月7日))

JFL

  • 7連敗(1997年JFL第5節(5月15日)から第11節(6月21日))

[編集] 個人記録

[編集] 通算最多試合出場

J1

J2

JFL

[編集] 通算最多得点

J1

J2

  • 34得点 - マルコス

JFL

[編集] シーズン最多得点

J1

  • 18得点 - マルコス(2002年)

J2

  • 34得点 - マルコス(2001年)

JFL

[編集] ハットトリック

J1

  • 達成者なし

J2

  • 3得点
    • マルコス(2001年J2第8節(4月28日)・対京都パープルサンガ)
    • ボルジェス(2006年J2第17節(5月20日)・対ザスパ草津、2006年J2第43節(9月30日)・対ザスパ草津)
    • 萬代宏樹(2007年J2第9節(4月14日)・対サガン鳥栖)

JFL

  • 3得点
    • 阿部良則(1995年JFL第3節(5月18日)・対福島FC、1998年JFL第15節(8月9日)・対ジャトコ
    • オッツェ(1996年JFL第18節(8月29日)・対デンソー)
    • 平聡(1998年JFL第30節(11月1日)・対サガン鳥栖)

[編集] 最多観客動員試合

J1

J2

JFL

[編集] 最少観客動員試合

J1

  • ホーム
    • 32,478人(2003年1st第10節(5月24日)・対鹿島アントラーズ、宮城スタジアム)
    • 17,308人(2002年1st第3節(3月16日)・対柏レイソル、仙台スタジアム)
  • アウェー
    • 3,287人(2002年2nd第4節(9月18日)・対ジェフユナイテッド市原、市原臨海競技場

J2

JFL

[編集] 年度毎の概要

[編集] 1999年

J2発足とともにJリーグ加盟。同年は9位。シーズン途中、清水秀彦が監督就任。 清水監督は就任時に「3年計画でJ1昇格」を目指すことを明言。

[編集] 2000年

5位。翌シーズンの基礎ができあがる。

[編集] 2001年

新しくFWマルコス、MF岩本輝雄らが加わって、MF財前宣之、MF山田隆裕、GK高橋範夫らと共に活躍しJ2で2位となりJ1昇格。

[編集] 2002年

J1昇格の功労者マルコス、岩本、髙橋らに加え、新加入のFW山下芳輝、MFシルビーニョ、MF森保一、DF小村徳男らの活躍で開幕5連勝を含め、6勝1敗という開幕ダッシュに成功。山下が7戦5ゴールのJ1得点ランキング2位タイという活躍で日本代表候補に選出され、FIFAワールドカップ™開催に合わせたJリーグ中断に入った。しかし、リーグ戦再開後は急激に失速し、連戦連敗。しかし、序盤の貯金が効いて、年間総合順位は全16チーム中13位。どうにかJ1残留を果たした。

[編集] 2003年

キャッチフレーズは「もっと、高く・強く

GK高桑大二朗、FW佐藤寿人、DF根本裕一らが新加入。開幕当初こそ3連勝を挙げるものの、その後はマルコスの怪我もあり一気に失速。19試合連続勝ち星なしという不名誉なJリーグ記録(当時)を樹立。シーズン途中、1999年途中から指揮を執ってきた清水秀彦監督を解任。スロベニア出身のズデンコ・ベルデニックを新監督に迎え、立て直しを図るものの、結果が出ず。そして、最後は第2ステージ最終節で大分トリニータに1-1で引き分け。年間総合15位(全16チーム中)に終わり、J2降格決定。わずか2年でJ2逆戻りとなった。

[編集] 2004年

キャッチフレーズは「Be Creative & Run ~考えよ、疾走せよ~

J2逆戻り1年目。開幕から7試合で1勝6敗とはじめは低迷したが、その後はチームを修正しつつ、若手選手の台頭で盛り返し、J1昇格争いに絡んだ。しかし、第4クールで失速。早い段階で昇格争いから脱落。結局、全12チーム中6位に終わった。シーズン終了後、ベルデニック監督は解任となり、エースストライカー佐藤は更なる活躍の場を求め、サンフレッチェ広島へ移籍した。

[編集] 2005年

キャッチフレーズは「熱く楽しくそしてひとつに

都並敏史を新監督に迎えた。 第1クールは思うように勝ち星を挙げられず、一時は全12チーム中11位にまで後退。 第2クール以降になると持ち直し、順位も次第に上昇。 第4クールでは6連勝を挙げ、一時は入替戦出場となる3位にまで浮上した。 しかし、第43節で京都パープルサンガに0-1で敗れると、続く最終節のアビスパ福岡戦は1-1で引き分け。 最後はヴァンフォーレ甲府に勝ち点で追い抜かれ、4位。 入替戦出場を逃した。

シーズン終了後、都並監督は解任。 また、財前等7選手が戦力外となり、攻守の要シルビーニョアルビレックス新潟へ移籍した。

[編集] 2006年

キャッチフレーズは「勝利or勝利 ~絆を力に変えて~

ブラジルからジョエル・サンタナを新監督に招聘し、J2逆戻り3年目のシーズンを迎える。 序盤は、4バック3ボランチの日本人8人で守って守ってブラジル人トリオの3トップでカウンター、という戦術が当たり、開幕ダッシュに見事成功。 第1クール終了時は自動昇格圏の2位につけていた(1位との勝ち点差は"1")。

続く第2クールも好調を維持。

リーグ戦前半は入れ替え戦出場となる3位(2位との勝ち点差は"1")で折り返し、このまま波に乗るのかと思っていた。ところが、DF白井が怪我のため長期離脱すると、それまでの戦術が機能しなくなり始めた。サンタナ監督の8人で守って3人で攻める攻守完全分業戦術は組織的な崩しがなく(サンタナ監督の練習方法も、シュート練習と紅白戦のみで後はブラジル人任せ。)、攻撃手段が極端に偏っていた。そのため前線の3人を徹底マークなど、対策を取られると攻撃は完全な手詰まりになった。ブラジルで成功した自信か戦術変更はまったく行わず、過酷なJ2の日程の中でもメンバーをまったく代えず、何の対策もしないままシーズンは進行していった。 その結果、リーグ戦後半となる第3クールでは、下位チームに勝てるが上位には勝てなくなり、同クール終了時には昇格圏外の4位に後退し、3位との勝ち点差も"7"に広がってしまう。 最終・第4クールでも浮上のきっかけを掴むことが出来ず、最後はサガン鳥栖にも追い抜かれ、最終順位は5位。 前年の都並監督に続き、サンタナ監督もシーズン終了を以って解任となり、1年でチームを去った。 選手の方もGK高桑、ベテランの大柴克友等4選手が戦力外になった。 チアゴ・ネーヴィス期限付き移籍期限満了に伴い退団。 26ゴールを挙げ、J2得点王となったボルジェスも母国ブラジルのサンパウロFCへ期限付き移籍した。

[編集] 2007年

キャッチフレーズは「新仙走破 そして進化。

前年サテライトリーグでチームを指揮し、好成績を残したヘッドコーチ、望月達也が監督に昇格。望月新監督の下、5シーズンぶりのJ1返り咲きを目指す。選手補強面ではモンテディオ山形から永井篤志、サガン鳥栖からシュナイダー潤之介というライバルクラブの主力の獲得に成功。

第1クールでは開幕から11戦無敗(6勝5分)の好スタート。続く第2クールでは一時は負けが込んだものの、程なくして復調。3位でリーグ戦前半を折り返す。

中盤と前線の連動による素早いショートパス主体の攻撃で序盤は勝ち点を積み重ねるものの、第3クールでは失点が増えたために攻守のバランスを重視した戦術に変更。

セットプレーの弱さを克服するため、7月に元アルビレックス新潟のMFファビーニョを、続く8月には柏レイソルからDF岡山一成をいずれも期限付き移籍で獲得。第3クール終盤(岡山が加入し始めた対徳島戦以降)では失いかけていた勢いを再び取り戻した。

第4クールでは戦術変更により守備が安定しものの、それと期を同じくして複数得点がなくなり、攻撃力不足が心配されたが、第45節(対サガン鳥栖)では実に10試合ぶりの複数得点(3点)を挙げるなど、リーグ終盤に近づくにつれ、攻撃力は改善されてきた。

第4クール序盤~中盤では(コンサドーレ札幌セレッソ大阪等)昇格を争うライバルチームとの直接対決に勝利する等、相応の粘りを見せたが、11月に入り失速。10日の第49節(対東京ヴェルディ1969)で引き分けると、続く18日の第50節(対湘南ベルマーレ)と25日の第51節(対京都サンガF.C.)で連敗。これにより、(入れ替え戦出場となる)3位の可能性も消滅し、5シーズンぶりのJ1昇格が潰えた。12月1日の最終節(対徳島ヴォルティス)では快勝し、最終順位は4位。

GK小針清允、DF白井博幸等7選手(期限付き移籍中の選手も含める)が戦力外通告を受け、シーズン終了を以って退団。また、MFのジョニウソンロペスが期限付き移籍期限満了で退団、その後MFファビーニョも退団。ブラジル人3人がチームを去った(なお、ロペスは横浜F・マリノスへの移籍が決定)。チーム最多得点を挙げたFW萬代宏樹ジュビロ磐田へ完全移籍。さらに、望月監督もJ1昇格を逃した責任を取り監督を辞任したが、物議を醸した。

[編集] 2008年

キャッチフレーズは「感動一体 絆は次なるステージへ-

前年、チームのヘッドコーチを務めていた手倉森誠が監督に就任。J2降格5年目のシーズンを迎える。またチームコンセプトとして、手倉森監督が考案した「SENDAI」というキーワードが発表された。Speed、Energy、Never give up、Dynamic、Aggressive、Intelligenceのそれぞれの頭文字をとったものとなっている。

先述のように2007年のチーム得点王であったロペスと萬代が移籍したものの、他主力選手の放出は免れた。

昨シーズン、外国籍選手不在で臨んだ試合の方が連動性があり、ボールも人もよく動いた。高給な外国籍選手が戦術に思うようにフィットしなかったことをふまえ、日本人選手で経験豊富なベテランと若手の有望な選手を複数補強し、シーズン前の外国籍選手補強をしない”純国産”で臨む方針を打ち出した。 ベテランとしてヴィッセル神戸から元日本代表のFW平瀬智行、柏レイソルからMF佐藤由紀彦、若手では鹿島アントラーズからFW田中康平などの選手を完全移籍で獲得。昨季まで期限付き移籍で加入していたFW中島裕希とDF岡山一成も今季から完全移籍となった。 その矢先の2月6日、金子慎二、富田晋伍、一柳夢吾、細川淳矢の4選手が食事会終了後に、会場近くの駐車場に止めてあった軽ワゴン車の屋根に乗るなどして損傷させた。詳細は不祥事項目にて。

[編集] 獲得タイトル

  • 2006年までなし

[編集] 個人別タイトル

フェアプレイ個人賞
J2得点王

[編集] ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st)
FP(2nd) シルバー シルバー シルバー
GK(1st) ピンク ピンク
GK(2nd) 水色 水色
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 2nd

[編集] チームカラー

  • チームカラーは

「ベガルタゴールド」と呼ばれる黄色に近い金色。

[編集] アラカルト

首元とソックスには、織姫と彦星を意味する緑と黄色の星がアクセントとして刺繍されている。

[編集] ユニフォームスポンサー

[編集] 過去のユニフォームスポンサー

[編集] ユニフォームサプライの遍歴

[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1998年 カニトップ 七十七銀行 TOPPER
1999年 カニトップ 七十七銀行 asics
2000年 カニトップ 七十七銀行 アイリスオーヤマ asics
2001年 カニトップ 七十七銀行 アイリスオーヤマ asics
2002年 カニトップ 七十七銀行 アイリスオーヤマ PIZZA STRAWBERRYCONES asics
2003年 カニトップ 七十七銀行 アイリスオーヤマ PIZZA STRAWBERRYCONES asics
2004年 IRIS OHYAMA 七十七銀行 Workin 仙台進学プラザ asics
2005年 IRIS OHYAMA 七十七銀行 Workin 仙台進学プラザ asics
2006年 IRIS OHYAMA 七十七銀行 Workin 仙台進学プラザ asics
2007年 IRIS OHYAMA 七十七銀行 NEC/TOKIN 仙台進学プラザ asics
2008年 IRIS OHYAMA 七十七銀行 NEC/TOKIN asics

[編集] 運営規模

東北ハンドレッドも参照。

運営規模売上高に県・市からの助成金を加えた総収入)は、ジャパンフットボールリーグ時代の96年度-98年度は約5億円、J2に昇格した99年度から毎年上昇し、本気でJ1入りを目指した01年度には約10億円になった。J1元年の02年度には更に倍の21億5400万円へと規模が拡大し、03年度に22億円を越えた。しかし、J2に降格した04年度は約20億円に規模縮小し、05年度は約19億円、06年度は約18億円と、J2降格後の運営規模は縮小傾向になっている。

J1とJ2で大きな差が出るのは、グッズの商標料などを含むJリーグの分配金である。分配金は決算の翌年度に供されるので、1年遅れでチームの収入になる。そのため、J1昇格初年度は、他のJ1チームよりも不利な状況で戦わなくてはならない。ベガルタの場合、昇格初年度の02年度はJ2基準の分配金で戦ったが残留を決めた。しかし、J1基準となった03年度は、約3億円(J2なら約6000万円)の分配金をもらいながらも降格決定。分配金システムには激変緩和策があり、1年でJ1に復帰するとJ1基準が続くが、昇格できないままJ2の2年目を迎えるとJ1基準の半額になり、3年目にはJ2基準に戻る仕組みになっている。そのため、J2降格初年度の04年度は、運営上もなんとしても1年でJ1復帰したいところだったがJ2で6位となり昇格ならず(04年度はJ1基準の3億6300万円の分配金をもらってJ2の中では有利であったはずだが)。05年度の分配金は、J1基準の半額である1億3800万円だったが、結局で4位と昇格出来ず、J2にいる限りジリ貧状態が続いている。

スポンサーからの広告収入も低迷している。J1最後の年となった03年のスポンサーは128件、07年は140件と数は増えているが、その金額については6億4500万円から4億円に減少。チームの不振に伴いスポンサーの“小口化”が進んでいる。また、同じく仙台に本拠地を持つプロスポーツチーム、東北楽天ゴールデンイーグルス仙台89ERSとスポンサーの奪い合いになっている面もあり、仙台進学プラザのようにさえない成績に見切りをつけて“鞍替え”する企業も現れている。チームの成績を向上させるか、あるいは成績が悪くともスポンサーが逃げないようにするか、いずれにせよ早急な対策が求められている。

なお、2007年度のホームゲームの1試合平均観客数は14,685人で、J2平均の6,521人と比べると2.25倍。J2全13チームの合計観客数2,034,543人の17.3%を、ベガルタのホームゲームの観客が占める。

[編集] チーム名変遷

  • 1988年- 東北電力サッカー部
  • 1994年- ブランメル仙台
  • 1999年- 東北ハンドレッド・ベガルタ仙台

[編集] マスコット

[編集] スタジアムDJ

[編集] 過去のスタジアムDJ

[編集] 応援スタイル

ユアテックスタジアム仙台で行われるリーグ戦の場合、ゴール裏スタンドからバックスタンドの一部に渡る部分が主に「サポーター自由席」として応援する場所となっている。特に、ゲート入り口から最前列までのスタンド部分に、熱心なサポーターが集まって熱狂的な応援を行っている。

コールリーダーは、サポーター自由席のバックスタンド側に位置し、戦況によって的確な応援指示を行う。

コールリーダーのいる位置には、サポーター有志によって設置されたマイクがあり、ゴール裏スタンド中央部に設置されているスピーカーに音声が出るようになっている。これによって音声のずれが生じることなくサポーター自由席での一体感のある応援を行うことが可能となる。

ユアテックスタジアム仙台は観客席全てに屋根がかかっている構造になっており、声が屋根に反響する効果がある。メガホンなどの鳴り物グッズを使ってしまうと屋根によって声援がかき消されてしまうため、応援時のメガホン使用が禁止されている。また、ベガルタ仙台のグッズのラインナップにもメガホンが用意されていない。(J2初期の頃は、メガホンも販売されていたが上記の理由からサポーターが運営会社に販売中止を申し入れている。)

フェアプレーフラッグ&選手入場時はカントリーロードを歌う。

試合中は、戦況に応じて応援歌を使い分ける。これによって、選手とサポーターが一体となって戦っているという効果を生み出している。

試合に勝利したときは、最後に「AURA」を歌う。

[編集] サポーターソング

チームに対してのものと現役選手に対してのものに関しては、河北新報社が運営する「ベガルタ☆モバイル」にて着信メロディとして用意されている。ダウンロードは月に3曲のみ可能。ただし、一部の曲は含まれない。

[編集] チームに対してのもの

  • カントリーロード(原曲はジョン・デンバーの「Take Me Home, Country Roads」。フェアプレーフラッグ&選手入場時に歌われる。タオルマフラーを使う)
  • C'mon(原曲はLAUGHIN' NOSEの「C'mon Everybody C'mon」。サポーター側に向かって攻めている時に歌われる)
  • COBRA(原曲はCOBRAの「やっちまえ!POPSTAR」)
  • FORZA(振り付けあり)
  • KISS(原曲はKISSの「ラヴィン・ユー・ベイビー」)
  • シャンゼリゼ(原曲は越路吹雪の「オー・シャンゼリゼ」。得点した時と勝利して試合が終了した直後に歌われる。タオルマフラーを使う。ただし、個人応援歌を持つ選手が得点した場合はそれぞれの個人応援歌が優先される。)
  • AURA(原曲はAURAの「愛・オーランド」。勝利した時のみ試合後に歌われる)
  • ベガルタオーレ(主に試合前のアップ時に行われる。左右への激しい揺れを伴うため非常に危険。慣れていない人は負傷の恐れあり。また、眼鏡をかけている人は紛失の恐れあり。)
  • TWISTED(原曲はTwisted Sisterの「We're Not Gonna Take It」 )
  • 電光石火(原曲はTHE BLUE HEARTSの「電光石火」)
  • Flash Dance(振り付けあり。2パターン存在する)
  • 仙台レッツゴー!(攻め込んでいる時にコールされる。相手にボールが渡った時点でコールが終了される)
  • スィンギン仙台(原曲は氣士團の「スィンギン・ニッポン」)

この他にも、太鼓のリズムのみのものもある。

[編集] 選手に対してのもの

[編集] 現役選手

[編集] 退団選手

  • 平聡野猿・叫び
  • 越後和男・瀬川誠:蒲田行進曲
  • 阿部良則・藤吉信次・大柴克友:恋のメキシカンロック
  • 小林康剛・財前宣之:ビューティフル・ネーム
  • 山田隆裕:Dreamin'
  • マルコス・萬代宏樹:Saturday Night
  • 岩本輝雄:Shy Boy
  • 中村伸:Livin'On A Prayer
  • 福永泰:ゴーゴーヘドロマン
  • 山下芳輝:PRISONER(野獣を野に放て)
  • 阿部敏之:ゆかいな牧場
  • ボルジェス:1000のバイオリン
入団当初の応援歌はGOING STEADY愛しておくれだった。
  • チアゴ・ネーヴィス:たらこ・たらこ・たらこ
  • 熊林親吾:スウィンギン・ニッポン
  • ロペス:アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士(振り付けあり)
入団当初の応援歌は爆風スランプの涙2~ラブ・バージョンだった。
  • ジョニウソン:ジョニウソン本人の応援歌(以前所属していたクラブで実際に使われていたもの)

[編集] 地上波テレビ中継

宮城の地上波5局の中継スタイル

仙台でのホーム戦を中継しているが、2007年ではアウェーの対湘南戦と対東京V戦を中継したことがある。2008年はホーム開幕となる福岡戦と5月(ホーム)と6月(アウェー)に行われる東北ダービーを中継

解説はブランメル時代から松原悟(東北学院大サッカー部監督)が務めているが過去には鈴木正治岩本輝雄が務めたときもあった。実況は佐藤修石黒新平圭三プロニッポン放送RFラジオ日本契約アナ)、小林徹夫(現KBC)、大井健郎。(現・TBC報道記者)2007年からは守屋周が担当し、年2、3試合中継する。また、2007年からはスカイパーフェクTV!においてホームゲーム中継を制作している。(2008年は前述の守屋が実況を担当する試合もある)J1時代に仙台で行われた鹿島戦を全国ネットした経験がある(TBS主導)2008年4月に放送された鳥栖戦は編成の関係上、深夜の放送となりスカパー!と同じスタッフで放送されたため解説の鈴木武一とリポーター担当の村林いづみ(フリー)が同局テレビ中継初登場となった。

解説は単発契約なのか固定されていない。実況はブランメル時代に1試合だけ浅見博幸が担当、以降2005年まで下田恒幸フリー)が務めていたのは有名。試合開始前には必ず実況は下田恒幸で心を込めてお伝えしますというフレーズがあった。下田退社後は金澤聡が担当している。そのためか、「スポルたん!LIVE Special」というタイトルがつけられて放送されており、試合直後のユアテックスタジアム内で「スポルたん!LIVE」の中継をしたこともあった。余談であるが、2007年シーズンSKY PerfecTV!において山形のホームゲーム中継を制作していた。(当局アナは勿論ノータッチ、2008年からは山形テレビが担当)2008年5月11日甲府戦を中継

2000年ごろからセルジオ越後が解説を勤めていたが、ここ数年仙台放送と同じく単発契約で固定されていない。実況はブランメルのJFL昇格決定試合を竹鼻純が務め、ブランメルJFL時代から2006年まで三雲茂晴が担当していたが実況スタイルに賛否両論である(詳しくは三雲茂晴の項に)2007年は柳瀬洋平が実況を務めていたが2008年より夕方のニュースキャスター就任に伴い再び三雲が担当することになった。なおJ1昇格を決めた京都戦(西京極)は同局で放送され岩瀬裕子がリポーターで乗り込みKBS京都の製作で放送された。

解説は宮本征勝原博実が務めていたがそれぞれの事情により降板、現在はベガルタをJ1に導いた清水秀彦が担当、実況はブランメル1年目のみ熊谷博之が務めた後、現在まで加川潤が実況を担当している。 2008年5月31日(土)湘南戦を中継

[編集] ラジオ中継

  • 主にラジオ3がアウェイ戦全試合の中継を宮城県内の