ベガルタ仙台
| ベガルタ仙台 | |
|---|---|
| 愛称 | ベガルタ |
| クラブカラー | ゴールド[1] ブルー[1] レッド[1] |
| 創設年 | 1988年 |
| 所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
| 所属ディビジョン | Jリーグ ディビジョン1 |
| クラブライセンス | J1・J2 |
| ホームタウン | 宮城県仙台市[1] |
| ホームスタジアム | ユアテックスタジアム仙台[1] |
| 収容人数 | 19,694 人 |
| 運営法人 | 株式会社ベガルタ仙台[1] |
| 代表者 | 白幡洋一[1] |
| 監督 | |
| 公式サイト | 公式サイト |
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ベガルタ仙台(ベガルタせんだい)は、日本の宮城県仙台市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。
目次 |
概要[編集]
1988年創部の東北電力サッカー部が前身であり[1]、1999年にJリーグへ加盟した[1]。ホームタウンは宮城県仙台市[1](地図)。ホームスタジアムはユアテックスタジアム仙台[1](地図)である(詳細は#ホームスタジアムを参照)。練習場は泉サッカー場[1](地図)および泉パークタウンスポーツガーデン・サッカー場(地図)である。
チーム名の「ベガルタ」は、仙台七夕にちなんで七夕の「織り姫」と「彦星」とされる星の名前、「ベガ (Vega) 」と「アルタイル (Altair) 」を合わせた造語[1]。マスコットは「ベガッ太」[1]。
なお、ベガルタの前身の東北電力サッカー部とブランメル仙台時代の選手が中心となって「電力ノスタルジア」という同好会チームを結成している。
歴史[編集]
Jリーグ加盟以前[編集]
詳細は「東北電力サッカー部」を参照
1988年創部の東北電力サッカー部が前身。1994年に東北社会人サッカーリーグ及び全国地域サッカーリーグ決勝大会で優勝。1995年よりジャパンフットボールリーグ(JFL)へ昇格[1]。また、1994年10月に運営法人として「株式会社東北ハンドレッド」(現在の「株式会社ベガルタ仙台」)を設立し、クラブ名を「ブランメル仙台」(後述)に改称した[1]。
1995年にJリーグ準会員となり、1999年からのJリーグの2部制開始とともにJリーグ ディビジョン2(J2)に参加した(J2オリジナル10)。なお、商標権の関係から、翌1999年1月よりクラブ名称を「ベガルタ仙台」に改称した[1]。また、チームカラーもゴールド(「ベガルタゴールド」)へ変更した。
1999年 - 2001年(J2)[編集]
1999年[編集]
J2リーグ戦は、前期(第2クール)終了時点で最下位となり、前期終了を以って壱岐洋治が総監督を、鈴木武一が監督を共に辞任。後任として清水秀彦が監督に就任。なお、最終順位は9位。ナビスコ杯は、1回戦で広島に敗退。
2000年[編集]
- チームスローガン:あなたとJ1
1チーム増の11チームで争われたリーグ戦は、開幕から5連敗を喫したがその後巻き返し、最終順位は5位。ナビスコ杯は1回戦でC大阪に敗退。
2001年[編集]
- チームスローガン:あなたとJ1
FWマルコス、元日本代表MF岩本輝雄等が新加入。 J2開始3年目は1チーム増の12チームで争われ、第1クールを8勝1分2敗で終えると、以降の3クールで6勝ずつ勝利を挙げ、勝点80の3位で最終節(第44節)を迎える。
最終節(11月18日)で、京都を破り、前節まで2位の山形が川崎にVゴール負けしたため、リーグ2位が決まり、東北地方のホームを置くクラブで初のJ1昇格が決定した。
詳細は「2001年J2最終節」を参照
2002年 - 2003年(J1)[編集]
2002年[編集]
この年のチームスローガンはなし。
初のJ1となったこの年はFW山下芳輝、MFシルビーニョ、MF森保一、DF小村徳男らが新加入。
第1ステージは2年連続J1年間王者の鹿島にアウェーで勝利するなど、開幕から5連勝。特に、山下は7試合で5得点を挙げ、J1得点ランキング2位タイの活躍で日本代表候補に選出された。しかし、2002 FIFAワールドカップ開催によるリーグ戦中断から再開後、第1ステージ残り8試合を1勝7敗。それでも序盤の貯金でこのステージは9位で終わるも、続く第2ステージではわずか4勝(1分10敗)で15位に終わった(年間総合順位は全16チーム中13位)。
ナビスコ杯は、グループリーグ3位で敗退。
2003年[編集]
- チームスローガン:もっと、高く・強く
開幕から4戦無敗(3勝1分)と好調なスタートを切ったが、その後は負けが込んで、第1ステージは3勝3分9敗の15位。第2ステージも低迷し、9月に清水秀彦を監督から解任。市原、名古屋で監督を歴任したスロベニア出身のズデンコ・ベルデニックが監督に就任したが、9月27日(第2ステージ・第8節)の浦和戦(宮城)で19試合連続未勝利を喫した(当時のJリーグ記録)。最終節(11月29日)の大分戦に引分け、年間総合15位(全16チーム中)となり、J2降格が決定した。
ナビスコ杯はグループリーグ3位で敗退。
シーズン終了をもってジャパンヘルスサミットがスポンサーから撤退。ユニフォームから「カニトップ」の名が消える。
2004年 - 2009年(J2)[編集]
2004年[編集]
- チームスローガン:Be Creative & Run 考えよ、疾走せよ
ベルデニック体制2年目。1年でのJ1復帰を目標に掲げたが、開幕から3連敗。4戦目でようやく初勝利を挙げるも、その後また3連敗とつまづく。しかし、その後はチームを修正しつつ、若手選手の台頭で盛り返し、J1昇格争いに絡んだ。しかし、第4クールで再び失速し、早い段階で昇格争いから脱落。結局、全12チーム中6位に終わった。シーズン終了後、ベルデニックが監督を退任、FW佐藤寿人が広島へ移籍した。
「アイリスオーヤマ」とユニフォーム(胸部分)スポンサー契約を締結(2000年に背中部分のスポンサーとして契約し、前年まで背番号上部にロゴを入れていたが、「ジャパンヘルスサミット」のスポンサー撤退に伴い、胸部分のスポンサーに"昇格"する形となった)。また、「アイリスオーヤマ」に替わる背中部分の新スポンサーとして大手出版社「廣済堂」と契約(同社で発行する求人情報誌「Workin」のロゴが入った)。
2005年[編集]
- チームスローガン:熱く 楽しく そしてひとつに
元日本代表の都並敏史が監督に就任。一時は全12チーム中11位にまで後退したが、第2クール以降は持ち直し、第4クールでは8戦負けなし(6勝2分)と調子を挙げ、一時は入れ替え戦出場となる3位にまで浮上したが、最終節(12月3日)で福岡に引き分けたことで、甲府に勝ち点で追い抜かれ、4位。入れ替え戦出場を逃した。
シーズン終了後、GMの田中孝司、監督の都並がそれぞれ退任。また、財前宣之ら7選手が退団し、ゲームメーカーのシルビーニョも新潟へ移籍した。
2006年[編集]
- チームスローガン:勝利or勝利 〜絆を力に変えて〜
ブラジル人のジョエル・サンタナが監督に就任。この年、仙台スタジアムが命名権導入に伴い、「ユアテックスタジアム仙台(略称:ユアスタ仙台)」に改称。
序盤は4バック3ボランチの日本人8人で守って、新加入のブラジル人トリオ(ロペス、チアゴ・ネーヴィス、ボルジェス)の3人でカウンター、という戦術が当たり、第1クール終了時は自動昇格圏の2位につけ、第2クールも好調を維持。入れ替え戦出場となる3位でリーグ戦前半を折り返す。
ところが、DF白井博幸がケガで長期離脱したころからそれまでの戦術が機能しなくなる。リーグ戦後半となる第3クールでは下位チームには勝てても上位チームには勝てなくなった。同クール終了時には3位との勝ち点差7の4位に後退。その後、MFチアゴ・ネーヴィスの負傷による戦線離脱も重なり、最終・第4クールでも浮上のきっかけを掴めず、昇格争いから脱落。5位に終わった。
シーズン終了後、サンタナが退任。また、GK高桑、ベテランFW大柴克友など4選手が契約期間満了により退団。また、J2得点王となったFWボルジェスがサンパウロFCへ期限付き移籍(その後、2008年に完全移籍)。期限付き移籍でプレーしていたチアゴ・ネーヴィスは移籍期間を延長せず。その一方で、MFロペスは期限付き移籍期間を延長した。
この他、ユニフォーム(背中部分)のスポンサーだった廣済堂が同年シーズン終了を以って撤退。
2007年[編集]
- チームスローガン:新仙走破 〜そして進化。〜
前年ヘッドコーチを務めた望月達也が監督に昇格。望月はヘッドコーチの傍ら、サテライトチームの監督を務めた。また、サンタナが体調不良で欠場した際、1試合のみだがトップチームの監督代行を務め、勝利を収めていた。
山形からMF永井篤志、鳥栖からGKシュナイダー潤之介等を獲得。第1クールは開幕から11戦無敗(6勝5分)、第2クールは一時負けが込んだが、3位でリーグ戦前半を折り返す。第3クールに入って失点が増えたことなどから、7月に元新潟のMFファビーニョを、続く8月には柏からDF岡山一成をいずれも期限付き移籍で獲得。
第3クール終盤で戦術を若干修正。攻撃の手駒を減らし、SBの攻撃参加を限定的にすることでカウンターへの対処と守備の安定化を図った。これが功を奏し、第3クール終盤以降は失点が減少。第4クール序盤〜中盤では昇格を争うライバルチームとの直接対決に勝利したが、18日(第50節)の湘南戦と25日(第51節)の京都戦をに連敗。最終順位は4位。
GK小針清允、DF白井博幸等7選手がシーズン終了をもって退団。また、ジョニウソン、ロペス、ファビーニョのブラジル人3選手全員もチームを退団。さらに、チーム最多得点を挙げたFW萬代宏樹も磐田へ完全移籍。望月も監督を退任した。
なお、廣済堂に替わるユニフォーム(背中部分)の新スポンサーが決まらず、開幕からしばらくの間は“空白”のままであったが、8月に「NECトーキン」とスポンサー契約を締結。9月から同社のロゴが背番号上部に入れられた。
2008年[編集]
- チームスローガン:感動一体 絆は次なるステージへ
前年、ヘッドコーチを務めた手倉森誠が監督に就任。また、手倉森の双子の弟・浩がヘッドコーチに就任。
明治大学からGK関憲太郎、筑波大学からMF三澤純一が新加入。神戸から元日本代表FW平瀬智行、柏からMF佐藤由紀彦、鹿島からFW田中康平、川崎からMF飛弾暁をそれぞれ完全移籍、東京VからDF一柳夢吾、大分から宮沢正史、川崎から西山貴永をそれぞれ期限付き移籍で獲得。昨季まで期限付き移籍中の身であったFW中島裕希とDF岡山一成が完全移籍に移行。前年途中に札幌から期限付き移籍で加入したGK林卓人も移籍期間を延長し、チームに留まった。
宮崎県延岡市でのキャンプ中に4選手が同市内の飲食店の近くの駐車場で騒動を起こした(詳細は#不祥事を参照)。
第1クール終了時で7勝5分け2敗の3位。第2クール以降は決定力不足が目立つようになり、韓国Kリーグで外国人初の年間MVPを獲得した経験を持つブラジル人FWナジソンを獲得。また、京都からMF斉藤大介を期限付き移籍で獲得。
第3クールは、山形に敗れ、9年ぶりとなるみちのくダービーシーズン負け越し。また、これまで無敗であった水戸に初黒星。その後は第2クールまでいずれも1分1敗と苦しめられた愛媛、C大阪に連勝。
30日に鳥栖に敗れ、自動昇格(=2位以内)が消滅したが、最終節で草津に勝利し、シーズン3位を確保して、入れ替え戦へ出場。入れ替え戦でJ1第16位の磐田と対戦したが、1分1敗に終わり、J1復帰はならなかった。
シーズン終了後、岡山、GKシュナイダー潤之介らが退団。ナジソンはECヴィトーリア、大分から期限付き移籍中だった宮沢も元のチームへ戻った。クラブスタッフの望月も退団した。その一方で、手倉森は翌年も引き続き指揮を執ることになった。仙台にとっては5年ぶりに監督交代のないシーズンオフとなった。
運営会社の「株式会社東北ハンドレッド」が6月1日付で「株式会社ベガルタ仙台」へ商号を変更。シーズン終了後、NECトーキンがスポンサーから撤退した。
2009年[編集]
- チームスローガン:闘志躍動 思いを胸に…
手倉森体制2年目。スローガンとは別に「完全昇格」を目標に掲げた。MF梁勇基、関口訓充、DF菅井直樹が残留。札幌から期限付き移籍中のGK林卓人も移籍期間を再延長して残留。前年まで期限付き移籍であったDF一柳夢吾、MF斉藤大介、西山貴永は完全移籍した。また、山形からGK桜井繁、横浜FCからDFエリゼウ、神戸からMF曽我部慶太、韓国の水原三星から元同国代表DF朴柱成をそれぞれ完全移籍で、ブラジルのポンチ・プレッタからマルセロ・ソアレスを期限付き移籍で獲得。
リーグ戦は第2クール終了時点で20勝6分8敗(勝ち点66)の2位。最終・第3クールは第39節(9月13日)で福岡に敗れた以外は無敗をキープ。11月8日(第48節)に水戸に勝利してJ1昇格条件の3位以内が確定。
続く第49節(11月22日)では首位C大阪との直接対決に勝利し、入れ替わりで首位に浮上。第51節(12月5日)は愛媛と引き分けたものの、2位のC大阪が鳥栖に敗れたため、J2初優勝を果たした(最終戦績は32勝10分9敗の勝ち点106。2004年に川崎が記録した「105」を上回り、J2歴代最多勝ち点を記録[注 1]。
守備が非常に安定し、総失点はリーグ最少の39、1試合あたりの平均失点は0.76点。3失点以上を喫した試合は一度もなかった。また前年に引き続きファウルの少なさも目立った。反則ポイントはフェアプレー賞の選考基準51ポイント以下に対して僅か17ポイントで、2位の湘南(86ポイント)を大きく引き離し、2年連続のJ2フェアプレー賞を獲得すると共に、チェアマン特別賞も受賞した。
天皇杯ではチーム初のベスト4へ進出(準決勝でG大阪に敗戦)。
このシーズンはホームゲームで19勝5分2敗。春先に宮城スタジアムで2敗を喫したものの、その後は安定した戦いを見せ、ホーム23戦無敗というJ2新記録を打ち立てた。同じく記録したホーム12連勝もJ2新記録。天皇杯も含め、ユアスタ仙台で無敗のままシーズンを終えた。
背中部分のスポンサーとして地元・仙台に本社を構える酒類量販店「やまや」、パンツ部分のスポンサーとして阿部蒲鉾店とそれぞれ契約した。
シーズン終了後、DF木谷公亮、6月に完全移籍で加入したFWサーレス、FWマルセロ・ソアレスらが退団した。
2010年 -(J1)[編集]
2010年[編集]
- チームスローガン:闘志躍動 より高みへの挑戦
手倉森体制3年目。札幌から期限付き移籍中だったGK林卓人が完全移籍に移行。柏からDF鎌田次郎、鳥栖からMF高橋義希、前年7月まで磐田に在籍していた太田吉彰、大分からフェルナンジーニョがそれぞれ完全移籍、ブラジル・クルゼイロからはFWレイナルドが期限付き移籍で新加入した。
リーグ戦は開幕2連勝を皮切りに、第5節ではJ1リーグ3連覇中の鹿島を降すなど好調なスタートを切った。しかし、続く第6節で清水に1-5の大敗を喫すると、第7節ではホーム・ユアスタ仙台で神戸に0-1で敗戦(この敗戦でJ2時代から続いていたリーグ戦におけるホーム不敗記録が25でストップ)。その後攻撃陣に怪我人が続出した影響もあり、鹿島戦以降未勝利のまま2010 FIFAワールドカップ開催に伴うリーグ戦中断期間を迎える。
W杯中断期間中、FWレイナルドが退団した一方で、Kリーグ・大田シチズンよりFW朴成鎬を期限付き移籍で獲得。また、リーグ戦再開後の8月にFC東京からFW赤嶺真吾を期限付き移籍で獲得。その後、第20節(8月22日・対大宮)でリーグ戦15試合ぶりの勝利を挙げると、第30節までの11試合を7勝1分3敗で乗り切り、最後は最終節でJ1残留を決めた。シーズン通算成績は10勝9分15敗(勝点39)の14位。
ナビスコ杯は、グループリーグA組を3勝3分けの2位で通過。初の決勝トーナメント(準々決勝)進出を果たした。準々決勝では磐田と対戦したが、1分1敗で敗退。天皇杯は初戦(2回戦)でソニー仙台FCに敗退。
代表関連では5月10日、MF梁勇基の南アフリカW杯・北朝鮮代表候補へ選出された。しかし、最終登録メンバーには選出されず、仙台所属選手として初のW杯出場は果たせなかった。9月30日にはMF関口訓充の日本代表メンバー選出が発表される。仙台所属選手の日本代表入りは2003年の山下芳輝以来3人目であるが、仙台でプロキャリアをスタートさせた生え抜き選手としては初の代表入りとなった。関口は10月8日のアルゼンチン戦で代表デビューを果たした。
5月15日の浦和戦後、仙台の外国籍選手(選手名は非公表)が浦和サポーターから人種差別的な発言を浴びせられたとして、Jリーグが調査を開始。差別発言をしたとされる人物は確認できなかったが、仙台に200万円、浦和に500万円の制裁金が課せられた。
シーズン終了後、MF千葉直樹とFW平瀬智行が引退。また、GK萩原達郎、DF一柳夢吾、MF三澤純一、永井篤志、FWフェルナンジーニョが契約期間満了、FW朴成鎬は期限付き移籍期間満了、DFエリゼウは徳島へ完全移籍のためそれぞれ退団した。
2011年[編集]
- チームスローガン:V Shift 杜が変わる、上がる、熱くなる。
手倉森体制4年目。前年引退した平瀬智行がチームの第2代アンバサダーに就任。初代アンバサダーの岩本輝雄は退任。
選手補強は京都から元日本代表FW柳沢敦とDF角田誠、鹿島からFWマルキーニョスをそれぞれ完全移籍、FC東京からMF松下年宏、鹿島からGK川俣慎一郎をともに期限付き移籍、新外国人選手として韓国Kリーグの城南一和からDF曺秉局を完全移籍、ブラジル・イパチンガFCからMFマックスを期限付き移籍でそれぞれ獲得。ソニー仙台へ期限付き移籍していたFW大久保剛志が4シーズンぶりにチームへ復帰し、FC東京から期限付き移籍中だったFW赤嶺真吾を完全移籍で獲得。
ホーム開幕を翌日に控えた3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)および福島第一原子力発電所事故が発生。これによりリーグ戦、ナビスコ杯が中断。チームも活動を停止。外国籍選手が一時帰国したほか、下部組織選手やMF関口訓充などが避難所生活を強いられることとなった。その間に行われた震災チャリティマッチ「日本代表vs.Jリーグ選抜(TEAM AS ONE)」に関口とMF梁勇基が出場。チームでは、練習時間外に監督・選手・スタッフでボランティア活動を行うなど、被災地のために動いた[2][3]。なお、中断期間中の4月9日にマルキーニョスが退団した。
4月23日のリーグ再開初戦の川崎戦で2-1と逆転で今シーズン初勝利を挙げる。続くホーム開幕戦で浦和を1-0で降し、公式戦での浦和戦初勝利を記録。以後、6月26日のアウェイ清水戦に0-1で敗れるまで、開幕から12試合を6勝6分の開幕12試合無敗(1シーズン制となった2005年以降のJ1記録)となる[4]。
その後、京都からディエゴをレンタル移籍で獲得。また、8月20日に名古屋戦に勝利し、公式戦での名古屋戦初勝利を記録。10月2日のC大阪戦での勝利でリーグ戦6試合を残しJ1残留が確定。最終成績は14勝14分6敗(勝点56)で、順位も過去最高の4位となった。なお、失点数は2位の名古屋を11下回る25失点でリーグトップ、先制した試合では無敗であった。
ナビスコ杯は2回戦で前回大会優勝の磐田に1分1敗で敗退。天皇杯は4回戦でC大阪にPK戦の末敗れた。
シーズン終了後、DF細川淳矢が契約満了、GK川俣慎一郎、MFマックス、FWディエゴがレンタル移籍期間満了につき退団、DF曺秉局が磐田へ、FW大久保剛志がJFLのソニー仙台へ完全移籍、MF高橋義希が鳥栖へ、DF島川俊郎が東京Vへ、FW中島裕希が山形へ期限付き移籍した。また、横浜FCへ期限付き移籍している関憲太郎の移籍期間も延長された。
10月14日、株式会社ベガルタ仙台が、休部していた東京電力女子サッカー部マリーゼの受け皿として、新たにベガルタ仙台レディースを発足させた。仙台Lは翌年からの日本女子サッカーリーグ2部(チャレンジリーグ)への参加が決まった。
2012年[編集]
- チームスローガン:V Shift 杜が進む、越える、輝く☆
手倉森体制5年目。甲府から内山俊彦、C大阪から上本大海、中国スーパーリーグ・陝西宝栄からFWウイルソン、ブラジル・パルメイラスからMFサッコーニを獲得。FC東京から期限付き移籍中だったMF松下年宏が完全移籍へ移行した。新人選手では盛岡商業高校からMF藤村慶太、仙台大学からMF奥埜博亮が加入。仙台ユースからMF越後雄太が昇格した。開幕直後には前年途中に横浜FMを退団していたGK阿部陽輔が加入した。
開幕から9試合負けなし(7勝2分)で早い段階から首位をキープし、第2節から第17節終了時まで首位をキープした。中盤まではウイルソンの加入で向上した攻撃力と昨年から引き継ぐ堅守のバランスも良く、広島と優勝争いを繰り広げたが、第18節で名古屋に引き分けたことで、同節勝利した広島に首位を明け渡し、後半戦は第20節、第24節各終了時にこそ首位に立ったもののいずれも直後の試合で敗れ再び首位に立った広島を追う展開となる。自慢の堅守が崩壊し、リードを奪いながらも終盤に失点し、勝ちきれない試合も増えるようになった。第29節終了時には、一旦首位の広島に勝ち点で並び得失点差で2位という状況まで追いすがったものの、その後最終5試合で3分2敗と1勝も出来ず優勝争いから脱落、第33節終了時に広島の優勝決定を許す形となった。それでも11月17日の第32節で3位以上が確定し、AFCチャンピオンズリーグ2013の出場権を獲得(初のACL出場権獲得)。最終成績は15勝12分7敗(勝点57)の2位となり、1度も3位以下に落ちることなくシーズンを終えた。総得点は59とリーグ3位であったが、反面総失点は43と昨年と比較して大幅に悪化した。Jリーグアウォーズでは、優勝の広島と並ぶ8名が優秀選手賞に選ばれ、その中からウイルソンがクラブ初のベストイレブンを獲得した。
ナビスコ杯はグループリーグA組を4勝2敗の2位で通過したが、準々決勝でFC東京に1分1敗で敗退。天皇杯は3回戦で熊本に延長戦の末敗れた。
シーズン終了後、DF朴柱成、内山俊彦、MFサッコーニが契約満了に伴い退団。この他、MF関口訓充が浦和、GK阿部陽輔が金沢へ完全移籍。DF原田圭輔が栃木へ期限付き移籍した。また、山形に期限付き移籍中だったFW中島裕希、鳥栖に期限付き移籍中だったMF高橋義希もそれぞれ完全移籍に移行となった。
2013年[編集]
- チームスローガン: Vision 継がれる力は、新しいステージへ
手倉森体制6年目。草津(途中C大阪にレンタル移籍)からMFヘベルチ、東京VからDF和田拓也、新潟からDF石川直樹、G大阪からMF佐々木勇人を完全移籍で、スポルチ・レシフェからMFジオゴをレンタル移籍で獲得。昨年途中に特別指定選手として登録された仙台大学のDF蜂須賀孝治が加入。また、東京V(のちに秋田)に期限付き移籍していたDF島川俊郎、横浜FCに期限付き移籍していたGK関憲太郎がそれぞれ復帰した。シーズン開幕後、GK石川慧がソニー仙台へ期限付き移籍した。
初出場したACLは、グループリーグを1勝3分2敗で敗退。
チーム名の略号表示について[編集]
ブランメル仙台時代の1998年、同じ宮城県・多賀城市を本拠とする社会人チーム・ソニー仙台FCがジャパンフットボールリーグに昇格し、事実上仙台を拠点とするチームが2チーム参加する形となった。そのため新聞や雑誌などの記事で掲載するチーム略号を区別するため「B仙台」(Bはブランメルの略)としたものもあったが、ソニー仙台FCが実業団チームであることで「ソニー」と表記した新聞社もあり、その場合は従前の「仙台」の地名だけの表示もあった。
成績[編集]
詳細は「ベガルタ仙台の年度別成績一覧」を参照
タイトル[編集]
リーグ戦[編集]
個人別[編集]
- ベストイレブン
- フェアプレー個人賞
- 優秀選手賞
- J2得点王
その他[編集]
- フェアプレー賞 J2
- 2008年、2009年
- チェアマン特別賞
- 2009年
リーグ戦の主な記録[編集]
チーム記録[編集]
最多得点試合[編集]
| H & A | スコア | 試合日 | 対戦相手 | |
|---|---|---|---|---|
| J1 | ホーム | 5-2 | 2002年1st第3節(3月16日) | 柏レイソル |
| アウェー | 3-0 | 2010年第20節(8月22日) | 大宮アルディージャ | |
| 3-1 | 2011年第27節(9月24日) | 横浜F・マリノス | ||
| 3-0 | 2011年第29節(10月15日) | アビスパ福岡 | ||
| J2 | ホーム | 5-1 | 2006年第17節(5月20日) | ザスパ草津 |
| 5-2 | 2006年第43節(9月30日) | |||
| 5-2 | 2007年第9節(4月14日) | サガン鳥栖 | ||
| アウェー | 5-1 | 2000年第30節(8月27日) | 水戸ホーリーホック | |
| 5-0 | 2009年第18節(5月30日) | |||
| 5-1 | 2006年第18節(5月28日) | サガン鳥栖 |
最多失点試合[編集]
| H & A | スコア | 試合日 | 対戦相手 | |
|---|---|---|---|---|
| J1 | ホーム | 0-6 | 2002年2nd第8節(10月12日) | ガンバ大阪 |
| 1-6 | 2003年2nd第8節(9月27日) | 浦和レッドダイヤモンズ | ||
| アウェー | 2-6 | 2012年第34節(12月1日) | FC東京 | |
| J2 | ホーム | 2-6 | 2000年第31節(9月3日) | 湘南ベルマーレ |
| アウェー | 1-5 | 1999年第17節(7月11日) | 川崎フロンターレ | |
| 0-5 | 2000年第28節(8月12日) | 大分トリニータ | ||
| 1-5 | 2007年第22節(6月16日) | 京都サンガF.C. |
最多連勝[編集]
| 連勝試合数 | 期間 | 備考 | |
|---|---|---|---|
| J1 | 6連勝 | 2011年第24節(8月27日)- 第29節(10月15日) | |
| J2 | 7連勝 | 2009年第8節(4月15日)- 第14節(5月10日) |
最多連敗[編集]
| 連敗試合数 | 期間 | 備考 | |
|---|---|---|---|
| J1 | 6連敗 | 2003年1st第7節(5月5日)- 第12節(7月12日) | |
| J2 | 12連敗 | 1999年第9節(5月2日)- 第20節(8月7日) |
個人記録[編集]
通算最多試合出場[編集]
| 試合数 | 氏名 | 備考 | |
|---|---|---|---|
| J1 | 102試合 | 林卓人 | 継続中 |
| J2 | 337試合 | 千葉直樹 |
通算最多得点[編集]
| 得点数 | 氏名 | 備考 | |
|---|---|---|---|
| J1 | 32得点 | 赤嶺真吾 | 継続中 |
| J2 | 47得点 | 梁勇基 |
シーズン最多得点[編集]
| 得点数 | 氏名 | 達成年度 | |
|---|---|---|---|
| J1 | 18得点 | マルコス | 2002年 |
| J2 | 34得点 | 2001年 |
ハットトリック[編集]
| 得点数 | 氏名 | 達成日 | 対戦相手 | |
|---|---|---|---|---|
| J1 | 達成者なし | |||
| J2 | 3得点 | マルコス | 2001年4月28日(第8節) | 京都パープルサンガ |
| ボルジェス | 2006年5月20日(第17節) | ザスパ草津 | ||
| 2006年9月30日(第43節) | ||||
| 萬代宏樹 | 2007年4月14日(第9節) | サガン鳥栖 |
最多観客動員試合[編集]
| H & A | 観客動員 | 試合日 | 対戦相手 | スタジアム | |
|---|---|---|---|---|---|
| J1 | ホーム | 43,092人 | 2002年2nd第9節(10月20日) | ジュビロ磐田 | 宮城スタジアム |
| 19,491人 | 2002年1st第12節(8月3日) | サンフレッチェ広島 | 仙台スタジアム | ||
| アウェー | 39,545人 | 2012年第15節(6月23日) | 浦和レッドダイヤモンズ | 埼玉スタジアム2002 | |
| J2 | ホーム | 19,412人 | 2001年第43節(11月11日) | サガン鳥栖 | 仙台スタジアム |
| 23,745人 | 2008年第42節(11月9日) | サンフレッチェ広島 | 宮城スタジアム | ||
| アウェー | 25,807人 | 2001年第27節(8月18日) | アルビレックス新潟 | 新潟スタジアム |
最少観客動員試合[編集]
| H & A | 観客動員 | 試合日 | 対戦相手 | スタジアム | |
|---|---|---|---|---|---|
| J1 | ホーム | 23,214人 | 2010年第5節(4月4日) | 鹿島アントラーズ | 宮城スタジアム |
| 11,356人 | 2011年第17節(6月22日) | ヴァンフォーレ甲府 | ユアテックスタジアム仙台 | ||
| アウェー | 3,287人 | 2002年2nd第4節(9月18日) | ジェフユナイテッド市原 | 市原臨海競技場 | |
| J2 | ホーム | 2,568人 | 1999年第7節(4月25日) | 大分トリニータ | 仙台スタジアム |
| 7,154人 | 2009年第4節(3月25日) | ヴァンフォーレ甲府 | 宮城スタジアム | ||
| アウェー | 951人 | 2000年第4節(3月30日) | ヴァンフォーレ甲府 | 山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場 |
ホームスタジアム[編集]
Jリーグ加盟以降はユアテックスタジアム仙台 (仙台市泉区。以下「ユアスタ仙台」)をホームスタジアムとしているが、宮城スタジアム(宮城郡利府町。地図。以下「宮スタ」)でも不定期にホームゲームを開催する。
2009年は1月~6月に掛けてユアスタ仙台で芝の全面張り替え工事が行われたため、その間のホームゲームを宮スタで11試合、福島県営あづま陸上競技場で1試合を開催した(宮城県外でホームゲーム開催はJリーグ加盟後初。なお、ブランメル仙台(JFL)時代に岩手県で開催経験が有る)。
また、2011年3月の東日本大震災に伴ってユアスタ仙台が大きな被害を受け、宮スタは救援拠点として使用されることになった。ユアスタ仙台の損傷は使用可能の範囲とされたため、当初宮スタで開催が予定されていた4月29日の浦和戦はユアスタ仙台に会場が変更された。
クラブ情報[編集]
運営会社[編集]
詳細は「ベガルタ仙台 (企業)」を参照
マスコット[編集]
スタジアムDJ[編集]
- 大坂ともお (ブランメル仙台時代の1998年より担当)
過去のスタジアムDJ[編集]
ユニフォーム[編集]
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チームカラー[編集]
- ゴールド[1]、 ブルー
デザイン・配色[編集]
- シャツの首下(2011年-2012年モデル以降は裾)とソックス(2011年-2012年モデル以降は廃止)ならびにパンツの後ろには、織姫と彦星を意味する緑と黄色の星がアクセントとして刺繍されている(これは1999年-2001年使用のベガルタ初代モデルから続いている)。
- 2007年から2010年までのフィールドプレーヤー用2ndユニフォームは、シャツ、パンツ、ストッキング共にシルバーを使用。
- ゴールキーパー用ユニフォームは、2002年-2003年モデルまでグレー(赤、緑と併用)も存在し、1stユニフォームは2007年から2010年まで薄いピンクだった。また水色ユニフォーム(2007年より使用)は2013年モデル発表当初は設定がなかった。
- 2009年10月のリーグ戦ホームゲームでは、クラブ創設15周年を記念して黒をベースに右袖などにはベージュに近い金色を配した特別ユニフォームを着用(GKは、10月7日のみフィールドプレーヤー用1stユニフォームを着用)。
- 2011年-2012年モデル以降はフィールドプレーヤー用1stユニフォームのストッキングが、青からゴールドに変更。なお対戦相手のユニフォームに合わせて青のストッキングも引き続き用意されている。
ユニフォームスポンサー[編集]
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 胸 | アイリスオーヤマ | IRIS OHYAMA | 2004年- | 2000年-2003年までは背中 |
| 背中 | やまや | やまや | 2009年- | |
| 袖 | 七十七銀行 | 七十七銀行 | 1998年- | |
| パンツ | 阿部蒲鉾店 | 阿部かま | 2009年- |
ユニフォームサプライの遍歴[編集]
歴代ユニフォームスポンサー年表[編集]
| 年度 | 胸 | 袖 | 背中 | パンツ | サプライヤー |
| 1998 | カニトップ | 七十七銀行 | – | - | TOPPER |
| 1999 | asics | ||||
| 2000 | アイリスオーヤマ | ||||
| 2001 | |||||
| 2002 | PIZZA STRAWBERRYCONES |
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| 2003 | |||||
| 2004 | IRIS OHYAMA |
Workin | 仙台進学プラザ | ||
| 2005 | |||||
| 2006 | |||||
| 2007 | –/NEC/TOKIN (2007年9月-) |
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| 2008 | NEC/TOKIN | – | |||
| 2009 | やまや | –/阿部かま(4月-) | |||
| 2010 | 阿部かま | ||||
| 2011 | |||||
| 2012 | |||||
| 2013 |
AFCチャンピオンズリーグでは規定によりユニフォームスポンサーが1社のみなので、胸スポンサーの「IRIS OHYAMA」(ロゴの大きさも規定により通常より小さく、「IRIS」「OHYAMA」は2段表記に)のみになる。
サポーターソング[編集]
チームに対してのものと現役選手に対してのものに関しては、河北新報社が運営する「ベガルタ☆モバイル」にて着信メロディとして用意されている。ダウンロードは月に3曲のみ可能。ただし、一部の曲は含まれない。
選手入場曲[編集]
- ファンファーレ 闘志躍動 (コラボレーション企画の一環として仙台フィルハーモニー管弦楽団から提供された。)
チームに対してのもの[編集]
- カントリーロード(原曲はジョン・デンバーの「Take Me Home, Country Roads」。フェアプレーフラッグ&選手入場時に歌われる。タオルマフラーを使う)[注 2]
- C'mon(原曲はLAUGHIN' NOSEの「C'mon Everybody C'mon」。サポーター側に向かって攻めている時に歌われる。尚、LAUGHIN' NOSEのVo.CHARMYは宮城県気仙沼出身である)
- COBRA(原曲はCOBRAの「やっちまえ!POPSTAR」)
- FORZA(振り付けあり)
- KISS(原曲はKISSの「ラヴィン・ユー・ベイビー」)
- シャンゼリゼ(原曲は越路吹雪の「オー・シャンゼリゼ」。得点した時と勝利して試合が終了した直後に歌われる。タオルマフラーを使う。ただし、個人応援歌を持つ選手が得点した場合はそれぞれの個人応援歌が優先される)
- AURA(原曲はAURAの「愛・オーランド」。勝利した時のみ試合後に歌われる)
- ベガルタオーレ(主に試合前のアップ時に行われ、左右への激しい揺れを伴う。)
- TWISTED(原曲はTwisted Sisterの「We're Not Gonna Take It」。TBCテレビ「ウォッチン!みやぎ」のスポーツコーナーで、ベガルタの話題を伝える時のBGMとしても使用されている。2008年11月22日に行われたJ2第43節・アウェイの横浜FC戦で同曲をサポーターが歌うYouTUBE動画は世界中で多く見られており、Twisted Sisterの公式サイトにも貼られているほどである)
- 電光石火(原曲はTHE BLUE HEARTSの「電光石火」)
- Flash Dance(原曲はアイリーン・キャラの「Flashdance... What a Feeling」。振り付けあり。2パターン存在する)
- 仙台レッツゴー!(原曲はラモーンズの「BLITZKRIEG BOP」。攻め込んでいる時にコールされる。相手にボールが渡った時点でコールが終了される)
- スィンギン仙台(原曲は氣志團の「スウィンギン・ニッポン」。熊林親吾のものを転用。2010年現在は「AURA」の前にプレ祝勝歌として歌われる。氣志團が「スタンディング仙台」として逆カバーし、2011年5月19日より無料配信された。2011年7月2日の名古屋戦では氣志團の強い希望により、ハーフタイムに生で氣志團により「スタンディング仙台」が披露された。[5])
- SA(原曲はSAの「NAUGHTY BOYS」)
- 仙台カモン(原曲はSTANCE PUNKSの「モニー・モニー・モニー」)
- 刃(原曲はTHE BACK HORNの「刃」)
この他にも、太鼓のリズムのみのものもある。
選手に対してのもの[編集]
現役選手[編集]
- 中原貴之:THE MODSの「PRISONER(野獣を野に放て)」(山下芳輝から流用、ただし歌詞が一部異なる。)
- 梁勇基:元ベルマーレ平塚のベッチーニョの応援歌(隣あった人と肩を組んで右へ左へ移動しながら歌う。シルビーニョから流用。)
- 菅井直樹:club Princeの「チューナイ!」(2007年の終盤の1試合に使用されたのみでそれ以降使用されていなかった) 2012年5月の川崎戦よりTHE BOLDIESの「Killer-Oh」を使用している。
- 赤嶺真吾:THE BLUE HEARTSの1000のバイオリン(ボルジェスから流用)
- 角田誠:ゆかいな牧場(阿部敏之・永井篤志から流用)
- 松下年宏:ゴーゴーヘドロマン(福永泰から流用)
- ウイルソン:The OffspringのHit That及びSaturday Night(マルコス・萬代宏樹から流用)
- 柳沢敦:ザ・クロマニヨンズの「ひらきっぱなし」
- 林卓人:炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜
退団選手[編集]
- 平聡:野猿・叫び
- 越後和男・瀬川誠:蒲田行進曲
- 阿部良則・藤吉信次・大柴克友・フェルナンジーニョ:恋のメキシカンロック
- 小林康剛・財前宣之・佐藤由紀彦:ビューティフル・ネーム
- 山田隆裕:Dreamin'
- マルコス・萬代宏樹:Saturday Night
- 岩本輝雄:Shy Boy
- 中村伸:Livin'On A Prayer
- 福永泰:ゴーゴーヘドロマン
- 山下芳輝:PRISONER(野獣を野に放て)
- 阿部敏之・永井篤志:ゆかいな牧場
- ボルジェス:1000のバイオリン
- 入団当初の応援歌はGOING STEADYの「愛しておくれ」だった。
- チアゴ・ネーヴィス:たらこ・たらこ・たらこ
- 熊林親吾:スウィンギン・ニッポン
- ロペス:アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士(振り付けあり)
- 入団当初の応援歌は爆風スランプの涙2〜ラブ・バージョンだった。
- ジョニウソン:ジョニウソン本人の応援歌(以前所属していたクラブで実際に使われていたもの)
- 岡山一成:360°モンキーズ(元阪神・バース選手の応援歌、おもちゃのバットを使う)
- マルセロ・ソアレス:えびの「保険人生おくれ」
- 平瀬智行:SAの「GET UP! WARRIORS」
- 2008年はロート製薬のオープニングキャッチの曲
- 関口訓充:ザ・クロマニヨンズの「ギリギリガガンガン」
- 中島裕希:JUN SKY WALKER(S)の「歩いてゆこう」
地上波テレビ中継[編集]
宮城の地上波5局の中継スタイル
- NHK仙台放送局
- 仙台でのホーム戦を中継しているが、2007年はアウェーの対湘南戦と対東京V戦、2008年は6月(アウェー)のみちのくダービーを中継した。
- 東北放送
- 解説はブランメル時代から2007年シーズンまでは松原悟(東北学院大サッカー部監督)が務めており他には鈴木正治や岩本輝雄も担当、2008年と2009年のリーグ最終戦はTBSが主な活動の場としている金田喜稔が務めた。2009年6月にベガルタ初代監督の鈴木武一が登場、実況は佐藤修・石黒新平(圭三プロ→ニッポン放送→RFラジオ日本契約アナ→広島ホームテレビ)・小林徹夫(現KBC)・大井健郎(現・報道記者)。2007年からは守屋周が2008年途中から飯野雅人と松尾武が担当、また2007年からはスカパー!においてホームゲーム中継を制作しており2007年は元仙台放送の下田恒幸が実況。2008年は前述の守屋・飯野・松尾が2009年は主に松尾、2010年からは松尾と守屋が交互で担当している。※2008年3月の草津戦は下田が担当した(この日はプロ野球・楽天イーグルスのホーム開幕戦をテレビ・ラジオで中継したための人員不足と思われる)、第1期J1時代に仙台で行われた鹿島戦を全国ネットした経験がある(TBS主導)横浜で行われた横浜FM戦はTBSが製作する映像を見ながら応援実況の形式で放送されたこともある。2008年は4月に放送された鳥栖戦が編成の関係上、深夜の放送となりスカパー!と同じスタッフで放送されたため解説の鈴木武一とリポーター担当でフリーの村林いづみが同局テレビ中継初登場となった、中継スタイルとしてはハーフタイムにCMを多くいれるケースが目立ち放送席の顔出しが全くない。なお2010年以降、地上波での中継は行っていない。
- 仙台放送
- 解説は単発契約なのか固定されていない、実況はブランメル時代に1試合だけ浅見博幸が担当。以降2005年まで下田恒幸(現フリー)が務めていたのは有名、試合開始前には必ず「下田恒幸が心を込めてお伝えします」のフレーズがあった。下田退社後は金澤聡が担当している、そのためか金澤がキャスターを務める番組名を冠して「スポルたん!LIVE Special」のタイトルで放送されており試合直後のユアスタ内で「スポルたん!LIVE」の中継をしたこともある。下田退社後の中継では在仙局としては珍しくダブル解説で行うことが多い、ベガルタがJ1に復帰した2010年シーズンはフジテレビワンツーネクストで放送されるヤマザキナビスコカップにて仙台放送中継の全国進出(2003年シーズンに経験あり)が期待されたが予選リーグ唯一のホームゲーム中継だったFC東京戦では技術協力に留まった。が、10月の決勝トーナメント磐田戦は解説:清水秀彦・実況:金澤聡・リポーター:広瀬修一の体制でフジテレビワンツーネクストと仙台放送に中継された。2007年シーズンのSKY PerfecTV!山形ホームゲーム中継を制作していた(2008年からは山形テレビが担当)。
- ミヤギテレビ
- 2000年ごろからセルジオ越後が解説を務めていたが、仙台放送と同じく単発契約で固定されていない。実況はブランメルのジャパンフットボールリーグ(JFL)昇格決定試合(愛知県刈谷市で行われ系列の中京テレビが技術協力した)を竹鼻純が、ブランメル時代から2006年まで三雲茂晴が担当していた。2007年は柳瀬洋平が実況を務めていたが、2008年より夕方のニュースキャスター就任に伴い再び三雲が担当。しかし2009年は外賀幸一が担当した。(2010年シーズンからは中継なし)2001年J1昇格を決めた京都戦(西京極)は同局で放送され岩瀬裕子がリポーターで乗り込みKBS京都の製作で放送された、なおテロップはミヤギテレビ独自のものを使用。2002年はアウェーの東京V戦を日本テレビの製作で生中継、(日テレは深夜録画放送)こちらも岩瀬がリポーターとして登場した。2008年途中から字幕テロップが日テレとほぼ同形となった(当局初お目見えは9月の仙台カップ国際ユース大会)。因みにリポーターは相手地域に放送されるされないに関わらず相手チームにも配するケースが多い。
- 東日本放送
- 解説はかつて宮本征勝・原博実・清水秀彦が務め、2010年より高桑大二朗が担当。実況はブランメル1年目のみ熊谷博之が務めた後、現在まで加川潤が実況を担当している。
ラジオ中継[編集]
- 主にラジオ3がアウェイ戦全試合の中継を宮城県内のコミュニティ放送局(FMいずみ、BAY WAVE(塩竈市)、FMいわぬま、ラジオ石巻)にネット配信している(なお、FMたいはくとH@!FMは参加していない。)。実況解説はロジャー大葉が担当している(2005年~2011年途中まではベガルタを取材していたスポーツライターが担当していたが、2011年夏に不祥事を起こし降板したため、2004年まで担当していたロジャー大葉が再び実況担当することとなった。)。2010年シーズンよりホーム戦も実況中継をすることになった(ただし放送はラジオ3とFMいずみの2局ネット)。ラジオ3ホームページからのインターネット上でも中継を聞くことができる。
- その他、東北放送(TBC)は年1回ほど、2007年までホームゲームの中継をしていた(最近はみちのくダービーの中継のみ)2008年以降のリーグ戦は全く中継しなかったが2008年12月10日のホームで行なわれた磐田との入れ替え戦を中継した。2010年は7月にホームで行われたプレシーズンマッチ浦項戦とアウェーで行われた山形戦を実況中継した(山形戦はYBCラジオが製作したものを放送、TBCからは松尾武アナウンサーがリポーターとして派遣された)。2011年は中継は行わず、2012年は9月に首位攻防戦のアウェー広島戦を(RCCラジオが制作したものを放送)、11月にはホーム新潟戦を放送した。原則的にプロ野球シーズン中は楽天戦中継(TBCパワフルベースボール)が優先されるため、ベガルタ戦のTBCラジオ製作での中継は不可能と思われる。
- またNHK仙台放送局も不定期に中継を行っている。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
関連項目[編集]
- ベガルタ仙台の選手一覧
- ベガルタ仙台レディース
- みちのくダービー
- 仙台ダービー
- V☆PRESS(ホームゲーム時に発行されるマッチデープログラム)
- 2001年J2最終節
- 2009年J2最終節
- 仙台のスポーツ
- four four two
- ユアスタ・ラストスパート・プロジェクト
- AURA(ベガルタ仙台の応援歌「オーラ(愛・オーランド)」を作ったバンド)
- 戦術君
外部リンク[編集]
- 公式ホームページ
- vegaltachannel - 公式YouTubeチャンネル
- ベガルタチアリーダーズ
- 燃えろベガルタ - 河北新報
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