平松康平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平松 康平
名前
愛称 コウヘイ
カタカナ ヒラマツ コウヘイ
ラテン文字 HIRAMATSU Kohei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-04-19) 1980年4月19日(44歳)
出身地 静岡県静岡市清水区
身長 170cm
体重 65kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

平松 康平(ひらまつ こうへい、1980年4月19日 - )は、静岡県静岡市清水区興津出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF常葉学園橘高校出身。現在は障がい福祉事業所と障がい児、障がい者専門のスポーツクラブを経営。[1]

経歴[編集]

1999年清水エスパルスユースよりトップチームに昇格。ミスター・エスパルスこと澤登正朗の後継者としてサポーターや澤登本人から期待され続け、2001年には、当時の日本代表監督であったフィリップ・トルシエにより日本代表候補合宿にも招集された。チームが残留争いに巻き込まれた時期には、救世主的働きで幾度と無くスタジアムを沸かせている。しかしながら、怪我の影響もあり安定したパフォーマンスを発揮できずに苦しむことが多かった。 独特の風貌や型破りな発言、人柄、天性のものを感じさせる華麗なプレイ、地元出身ということなどが相まってサポーターからの愛憎を一身に受け続けていたが、2007年限りで清水エスパルスを本人の意思で退団した[2]

移籍リスト掲載後、J2チームからのオファーはあったが本人がJ1にこだわった結果、所属先が決まらないまま2008年シーズン開幕を迎えた。同年4月24日JFLFC琉球へ加入[3]。持って生まれたサッカーセンスとJリーガーとしての経験をチームにもたらすプレーヤーとして総監督のフィリップ・トルシエからも期待を受けた。2009年1月をもってFC琉球との契約が満了。

2010年5月、藤枝MYFCに入団したが、11月に同チームを退団。

2014年から2018年まで、福祉事業所に現場職員として働き、経験を積み介護福祉士の国家資格を取得する。

2018年から障がい福祉事業所と障がい児、障がい者専門のスポーツクラブを経営。

現在も福祉の世界で活躍している。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 清水 26 J 5 0 3 0 4 1 12 1
1999 19 J1 1 0 2 0 1 0 4 0
2000 13 20 2 5 1 3 0 28 3
2001 30 4 2 0 5 1 37 5
2002 27 2 8 1 2 0 37 3
2003 14 1 1 0 4 1 19 2
2004 27 2 7 0 1 0 35 2
2005 8 8 0 2 1 4 0 14 1
2006 6 0 2 0 2 0 10 0
2007 0 0 3 0 0 0 3 0
2008 琉球 10 JFL 11 1 - - 11 1
2009 静岡 東海1部 - -
2010 藤枝 14 4 0 - - 4 0
通算 日本 J1 138 11 35 3 26 3 199 17
日本 JFL 11 1 - 0 0 11 1
日本 東海1部 -
総通算 149 12 35 3 26 3 210 17
  • 1998年はユース所属

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2002-03 清水 13 6 0
通算 AFC 6 0

代表歴[編集]

  • 1995年 U-15 日本代表
  • 1996年 U-16 日本代表
  • 1999年 U-19日本代表
  • 2001年  日本代表候補

脚注[編集]

  1. ^ たどり着いた「福祉」の道 元エスパルス選手・平松さん奮闘”. 静岡新聞SBS (2017年12月30日). 2017年12月30日閲覧。
  2. ^ 平松康平選手の契約について』(プレスリリース)清水エスパルス、2007年12月27日https://www.s-pulse.co.jp/news/detail/9142018年10月5日閲覧 
  3. ^ a b c d 平松康平選手 FC琉球(JFL)へ完全移籍決定のお知らせ』(プレスリリース)清水エスパルス、2008年4月24日https://www.s-pulse.co.jp/news/detail/11152018年10月5日閲覧 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]