週刊サッカーマガジン
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『週刊サッカーマガジン』(しゅうかんサッカーマガジン)は、ベースボール・マガジン社が発行するサッカー週刊誌である。現存する日本のサッカー雑誌としては最古参。
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[編集] 概要
1966年2月17日、創刊準備号として前身となる『スポーツマガジン サッカー特集号』を発行。その3ヵ月後の5月に月刊誌として『サッカーマガジン』を創刊。その後、いくつかの紆余曲折を経て1993年にはJリーグ開幕に合わせて週刊化となり、現行の『週刊サッカーマガジン』に改称した。現在、Jリーグと日本代表関連を中心に国内外のサッカー記事をくまなく取り上げている。
[編集] 歴史
- 1966年: 2月に前身の『スポーツマガジン サッカー特集号』を発行、その3ヵ月後に『サッカーマガジン』として創刊。ちなみに、当時の刊行ペースは月刊。
- 1975年: 隔週刊化。
- 1981年: 再月刊化。
- 1992年: 再隔週刊化。
- 1993年: Jリーグ開幕に合わせて週刊化。
- 2002年: ワールドカップ日韓大会開催時のみ週2回刊。
[編集] 特徴
- 同誌では、選手個人の希望によるものか、編集部の思い入れによるものか、Jリーグの登録とは異なる表記をされている日本人選手(帰化選手も含む)が何人かいる。三浦知良は「カズ」。三都主アレサンドロは日本国籍取得・登録名変更後も「アレックス」(三都主が帰化した折、「これからもアレックスと呼んで欲しいと発言している)。田中マルクス闘莉王は日本人選手がフルネーム表記されているページでも「闘莉王」。ディビッドソン純マーカスは日本人選手が姓だけ表記されているページで本来なら姓の「ディビッドソン」と表記されるところ「純マーカス」、長谷川アーリアジャスールもディビッドソンと同様の例で「アーリアジャスール」と表記されている。競合誌の『週刊サッカーダイジェスト』(サカダイ)では韓国・朝鮮系選手がカタカナ表記となっている以外、そのような現象は見られない。
- 『サカダイ』とは長年にわたりライバルとされているが、現場レベルでは、サカダイ関係者との関係は険悪なものではなく、両誌の熱心な読者同士がとりわけライバル関係を意識しているとの声もある[要出典]。
- 読者から毎週一つのお題を募集し、投稿されたネタを披露する「サッカーの素」というコーナーがある。その他の連載では、藤島大の「無限大のボール」、ジャックティベールの「フットボールを謳う」などがあるが、エンターテインメント性を全面に出した他誌に比べ、(2006年11月の誌面リニューアル後は特に)硬派なページが多い傾向がある。ただ、かつては「もし、サッカー選手でなかったら」や「明石家さんまの爆笑キックオフ」などの連載もあった。
- 2008年3/25号から村山文夫による4コマ漫画「うるとらスーパーさぶっ!!」の連載が始まった。『サカダイ』で連載されていた「スーパーさぶっ!!劇場」の移籍とも取れる。
- 2008年、月2回発行されていた『ワールドサッカーマガジン』の廃刊に伴い、同誌に掲載されていた「ティティのバルサ発見記(バルセロナ移籍後のアンリの、スペインでの体験談)」・「俺のブルーズを聞け!(チェルシーに所属するドログバのコラム)」らのコラムが移ることとなり、事実上『ワールドサッカーマガジン』を吸収する形となった。
[編集] エピソード
- 同誌が創刊された当時、サッカーはまだ日本ではマイナー競技であった為、初代編集長の関谷は写真一枚を選ぶにしても、出来るだけ貧相な写真は載せない様にしていたという。
- 編集部に読者の母親らしい人物から「息子が家出しました。持って出たのは、サッカー用具と、ためていたサッカーマガジンだけです。何かあったらお願いします。」という電話がかかって来た事があった。
- 1981年6月に6年ぶりの月刊誌に戻すのを機に、それまでは外国物の記事中心だった当時のライバル誌『イレブン』に対抗する形で70年代前半から外国人選手ばかりだった表紙を日本人選手中心に方針変換した。
- 1982年、日本で初めてNHKがFIFAワールドカップを放映したのを機に、ブラジル代表の「黄金の4人」が日本中を熱狂させた。その時に、ブラジルコーヒー院の提供でブラジル代表のTシャツプレゼントを誌上応募した際、あっという間に1万通を超える応募が編集部に来たので、この反響の大きさには編集部一同驚いた。
- 1989年、FIFAワールドカップ・1990年イタリア大会の南米予選において、チリ代表のゴールキーパーが負傷を自作自演したこと(ロハス事件)を世界で最初にスクープした。事件とは全く関係のないはずの日本の雑誌が真相を明らかにしたことが話題となった[1]。
[編集] 記録
- 『サッカーマガジン』史上、現時点で最も多く売り上げたのは発売日当日に完売したというジョホールバルの歓喜を報じた1997年12月3日号(634号)である。なお、編集部ではこの号を「幻の一冊」と呼んでいる。
- サッカーマガジン史上、現時点で最も多く誌上プレゼントの応募が来た号はダンボール3箱分の応募ハガキが来たという「ギド・ブッフバルトのサイン入り引退試合記念ユニフォーム」の読者プレゼントを募集した1997年11月12日号(631号)である。
- これまで最も多く同誌の表紙を飾ったのは中田英寿(79回)。続くのはカズ(36回)、中村俊輔(29回)である。
[編集] 節目の号に表紙を飾った人物
- 1号 杉山隆一(三菱) 1966年6月号
- 100号 パウロ・セザール・リマ(ブラジル代表) 1973年9月号
- 200号 パウル・ブライトナー(バイエルン・ミュンヘン) 1978年10月10日号
- 300号 木村和司(日産) 大榎克己(早稲田大学) 1984年10月号
- 400号 クラウディオ・カニーヒア(アルゼンチン代表) 1992年8月号
- 500号 カズ(ジェノア) 1995年4月12日号
- 600号 日本代表 1997年4月9日号
- 700号 柳沢敦(鹿島アントラーズ) 1999年3月3日号
- 800号 ASIMO(本田技研工業) 2001年2月14日号
- 900号 小野伸二(フェイエノールト) 2002年12月11日号
- 1000号 岡田武史(横浜F・マリノス監督) ジーコ(日本代表監督) 2004年11月23日号
[編集] 主な歴代編集長
- 関谷勇(初代)
- 堀内征一(1973年-1975年)
- 大住良之(1978年-1982年)
- 千野圭一(1982年-1998年)
- 伊東武彦(1998年-2004年)
- 平澤大輔
- 北條聡(2009~)
[編集] クリスタル・アウォード
「クリスタル・アウォード」は『週刊サッカーマガジン』が選定する年間最優秀日本人選手に贈られる賞である。週刊サッカーマガジンに寄稿しているライターなどで有識者で構成された選考委員により受賞者が決まる。受賞者は原則1人だが、2002年は特例で2人が受賞した。
| 年 | 受賞者 | 所属クラブ(当時) |
|---|---|---|
| 2000 | 森島寛晃 | セレッソ大阪 |
| 2001 | 服部年宏 | ジュビロ磐田 |
| 2002 | 稲本潤一 | フルハム |
| 高原直泰 | ジュビロ磐田 | |
| 2003 | 中澤佑二 | 横浜F・マリノス |
| 2004 | 中澤佑二 | 横浜F・マリノス |
| 2005 | 中村俊輔 | セルティック |
| 2006 | 闘莉王 | 浦和レッズ |
| 2007 | 鈴木啓太 | 浦和レッズ |
| 2008 | 遠藤保仁 | ガンバ大阪 |
| 2009 | 岡崎慎司 | 清水エスパルス |
[編集] 関連雑誌
- サッカークリニック - 1994年創刊。選手や指導者向けの技術、戦術専門誌。
- ワールドサッカーマガジン - (1999年-2008年)。主に欧州などを中心とした日本国外のサッカー記事を扱っていた。
[編集] ライバル誌
[編集] 参考文献
- 『週刊サッカ-マガジン 2004年11月16日号(999号)』 ベースボールマガジン社
- 『週刊サッカーマガジン 2004年11月23日号(1000号)』 ベースボールマガジン社
[編集] 脚注
- ^ 1989年11月1日号