セレッソ大阪

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セレッソ大阪
原語表記 セレッソ大阪
呼称 セレッソ、桜
クラブカラー      ピンク[1]
創設年 1957年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン1
クラブライセンス J1
ホームタウン 大阪府大阪市[1]堺市[1]
ホームスタジアム
Kinchostadium1008081.JPG
キンチョウスタジアム[1]
Nagai stadium20040717.jpg
ヤンマースタジアム長居[1]
収容人数 金鳥スタ:20,500[1]
ヤンマー:47,000[1]
運営法人 大阪サッカークラブ株式会社[1]
代表者 岡野雅夫[1]
監督 日本の旗 大熊裕司
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
大阪サッカークラブ株式会社[1]
Osaka Football Club Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
546-0034[1]
大阪市東住吉区長居公園1-1 キンチョウスタジアム内[1]
設立 1994年2月1日[2]
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営他
代表者 岡野雅夫[1]
資本金 3億1,500万円[2][3]
売上高 26億1,800万円 (2013年1月期)[3]
営業利益 7,200万円 (2013年1月期)[3]
経常利益 6,900万円 (2013年1月期)[3]
純利益 6,300万円 (2013年1月期)[3]
純資産 1億7,900万円 (2013年1月期)[3]
総資産 7億2,200万円 (2013年1月期)[3]
決算期 1月期
主要株主 ヤンマー[2]
日本ハム[2]
主要子会社 セレッソ大阪スポーツクラブ
外部リンク http://www.cerezo.co.jp
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セレッソ大阪(セレッソおおさか、Cerezo Osaka)は、日本大阪府大阪市堺市をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

概要[編集]

1957年創部のヤンマーディーゼルサッカー部が前身となり[1]1995年にJリーグへ加盟した[1]。ホームスタジアムはキンチョウスタジアム[1] およびヤンマースタジアム長居(2014年3月1日より[注 1]、命名権の採用により「長居スタジアム(長居陸上競技場)」より改称)[1] である(詳細は#スタジアム他を参照)。チーム名の「セレッソ(Cerezo)」はスペイン語で「」の意味[1]。桜は大阪の「市花」であり、大阪市を、そして日本を代表するチームになるよう願いが込められている[1]。加盟当時のホームタウンは大阪市のみであったが、2014年堺市を新たにホームタウンに追加した[4]

マスコットの「ノブレ・バリエンテ・アッチェ・ロビート・デ・セレッソ」(愛称ロビー。"高貴で勇敢な、由緒あるセレッソ家のオオカミの息子"という意味)。2008年より、ロビーの母親として、「大阪のオカン」をモチーフにした「エレガンテ・エスプレンディーダ・マダマ・ロビーナ・デ・セレッソ」(愛称マダム・ロビーナ、「優雅で華麗な、由緒あるセレッソ家の“オオカミの令夫人”」という意味)が新たに加わっている。なお、北摂4市を本拠とするガンバ大阪と区別するため、「セ大阪」「C大阪」(CはCerezoの頭文字)などと略記される。

近年では育成面において評価されることが増えている。C大阪に所属した香川真司乾貴士清武弘嗣らがヨーロッパのクラブへと移籍し、アカデミー出身の柿谷曜一朗山口螢扇原貴宏らが日本代表に選ばれた。また、2007年に発足した「ハナサカクラブ」(後述)にも注目が向けられている[5]東京スポーツなどの一部のマスコミからは「ヨーロッパで最も有名なJクラブ」と評されている[6]

歴史[編集]

前身[編集]

前身は1957年創部のヤンマーディーゼルサッカー部[1]日本サッカーリーグ(JSL)で4回、JSLカップで2回、天皇杯で3回それぞれ優勝した。

1993年 - 1994年(JFL)[編集]

1995年 - 2001年(J1)[編集]

2002年(J2)[編集]

2003年 - 2006年(J1)[編集]

  • 2003年 - 1stステージは5位。2ndステージに入ると白星が遠く、2001年にJ2降格が決まってから指揮を執っていた西村がシーズン途中で解任。ここから監督交替が繰り返されることになる。また天皇杯は3度目の決勝進出を果たすが、磐田に敗れ、準優勝。
  • 2004年 -1stステージは最下位。 2ndステージからは大分元監督の小林伸二が監督に就任。2ndステージは12位で、年間順位でも最終節でを逆転し15位でJ1残留に成功。シーズン終了後、大久保がスペインのマヨルカにレンタル移籍。
  • 2005年 - GKにG大阪から吉田宗弘を完全移籍で獲得、DFには2003年のユニバーシアード大邱大会優勝メンバーの江添建次郎を7クラブに及ぶ争奪戦の末に獲得に成功、テスト生出身の前田和哉も入団した。京都からFW黒部光昭、東京VからMF廣山望をいずれもレンタル移籍で獲得。外国人選手も数年続いた東欧路線から一変して、ブルーノ・クアドロスファビーニョゼ・カルロスを獲得。
    • 当初9位を目標に掲げ、開幕は3連敗と出遅れたが、新加入の吉田、ブルーノ・クアドロス、江添が開幕からスタメンに定着、江添が第3節の大宮戦で右ひざじん帯断裂の重傷を負ったが、その穴を前田が埋め、ボランチのファビーニョや下村東美とともに守備の建て直しに成功、森島寛晃・西澤明訓・古橋達弥・黒部光昭といった当時のJ1屈指の攻撃陣と攻守の歯車がかみ合いだし、第4節の名古屋戦で初勝利を挙げると第11節の清水戦まで8試合負けなし、前半戦を6勝5分6敗で折り返した。後半戦はG大阪や鹿島、浦和などの上位チームがもたつく間に順位を上げ、第33節でG大阪を抜いて首位に立った。
    • 勝てば優勝決定、敗戦・ドローで自力優勝が消えるという状況で迎えた最終節・FC東京戦で1点リードしたまま終盤を迎え、ロスタイムを乗り切れれば優勝が決まるという状況で相手コーナーキックでの競り合いのこぼれ球を今野泰幸に決められ、またも目前にした優勝を逃してしまった。翌朝の朝日新聞には「長居の悲劇」との見出しが掲載された。最終順位は5位だったが、後半戦(第18節~最終節)に限れば10勝6分1敗、当時のJリーグ無敗最長記録となる16試合無敗という絶好調をキープし、天皇杯も含めれば準決勝で清水に敗れるまで20試合負けなし。また、この年の平均観客動員数は過去最高の1試合当り17,648人。
    • シーズン終了後、ファビーニョが家庭の事情により退団。他にも布部陽功久藤清一を放出(ともに福岡に移籍)し、黒部と廣山のレンタル移籍契約を更新しない(黒部は浦和へ再度レンタル移籍、廣山は東京Vに復帰)など、世代交代を図る為にベテラン選手に対して大なたを振るった。
    • 吉田と古橋がベストイレブンに選ばれ、前田が優秀新人賞を獲得した。
  • 2006年- 東京Vから山田卓也を完全移籍で、河村崇大磐田からレンタル移籍で獲得。新外国人選手ではピンゴが入団。即戦力では中盤中心の補強を行い、新加入選手では強化指定選手となっていた森島康仁が入団したのをはじめ、大学選抜で活躍した小松塁や、高校生ながら素質を見込まれてプロ契約を結んだ香川真司が入団するなど、将来を見越した有望な若手の獲得を進めた。ところが、開幕からの4節をすべて3失点以上で負けるなどしてつまづき、8節終了時で1勝1分6敗と波に乗り切れない状況を見たクラブ側は小林を成績不振を理由に4月18日付で解任、後任監督に塚田雄二が就任し巻き返しを図った。
    • 4月22日広島戦(アウェイ)では、かつてC大阪に在籍していたFW佐藤寿人にJ新記録となる試合開始から僅か8秒でゴールを決められる(Jリーグ最速得点・失点記録)など、改善の兆しを見ることは出来なかった。
    • 6月15日マヨルカにレンタル移籍していた大久保がチームに復帰するも勝ち星に恵まれず。
    • 8月13日、磐田で出場機会を失っていた元日本代表MF名波浩レンタル移籍で獲得。以後チーム状況が多少上向き、勝ち点を重ねるようになった。
    • 11月26日、大宮戦で期待の若手、柿谷曜一朗が16歳10ヵ月で公式戦デビュー。チーム最年少出場記録を更新。一時は入れ替え戦進出となる16位をキープしていたが、12月2日の最終節で川崎に敗れ、年間17位となり5シーズンぶりのJ2降格が決定。塚田は降格の責任を取り監督辞任。後任に東京Vヘッドコーチの都並敏史を招聘したが、J2降格を受け、大久保嘉人(神戸へ)、西澤明訓(清水へ)、名波浩(磐田復帰後、東京Vへ)、下村東美(千葉へ)、ブルーノ・クアドロス(退団後、札幌へ)と、攻守の軸となっていた選手達が次々と移籍した。

2007年 - 2009年(J2)[編集]

  • 2007年-ヤンマーサッカー部発足から創設50周年を迎えた。完全移籍で柳沢将之(東京V)を、レンタル移籍で羽田憲司(鹿島)、丹羽竜平(神戸)を獲得。逆にレンタルさせていた濱田武鳥栖)と千葉貴仁(札幌)、小松塁(V・ファーレン長崎)を復帰させ、新人では立命館大学から阪田章裕、外国人選手ではブラジルからアレーと韓国ユニバーシアード代表の金信泳を獲得。しかし、開幕3連敗と出遅れ、第4節の京都戦でようやく初勝利を挙げ、第12節の草津戦では柿谷がJ2最年少記録となるゴール(17歳3ヶ月)を決めるが、森島寛晃が原因不明の首痛に悩まされるようになり戦列を離脱した事や、一気に若返った選手の適性を見極める為、戦力を使い回す試行錯誤をしていて勝ち点が延びず、第14節終了時点で4勝3分6敗でJ2の9位という成績であった。5月7日付で都並監督、藤川孝幸コーチ、西村昭宏GMを解任し、後任として1997年に指揮を執ったレヴィー・クルピを監督に復帰させた。就任当初は1勝3敗と負けが先行したが、第19節の試合なし期間を活用した淡路島ミニキャンプで戦術を浸透させ、メンバーも小松塁をFWのスタメンに抜擢、香川真司をサイドに、ゼ・カルロスと柳沢将之を左右のSBに固定するなど、それまでの使い回しから一変した選手起用を実施。これが功を奏して第20節からは4連勝。第2クール終了後には、比較的戦力に余裕のあったFW陣から金信泳を鳥栖へレンタル移籍させ、空きができた外国人枠を活用して、ボランチを強化するためにクルピの肝いりでジェルマーノを獲得した。その後第3クールでは9勝3敗のリーグ1位の成績を残したが、第1クールでの出遅れと、京都(2勝2分)以外のJ1昇格争いを繰り広げた上位チームに大きく負け越した(札幌と仙台には1勝3敗、東京Vと湘南には1分3敗)事が響き、J2・5位に終わった。
    • 昇格を逃したものの、FWに抜擢されて12ゴールを挙げた小松をはじめ、香川・森島康・柿谷が世代別代表に選出されて国際大会で活躍。しかし、その森島康や柿谷でもレギュラーではなく、彼らより先にU-23代表にも選出され、当初スタメンで出場していた苔口卓也に至っては、クルピ就任以後ベンチ入りする機会すら限られるなど、チーム内競争は激しさを増し、戦力の底上げがなされた。
  • 2008年-主力では吉田宗弘が福岡に完全移籍、苔口卓也が千葉にレンタル移籍したものの、香川・森島康・柿谷らの若手をはじめ、古橋達弥も残留した。補強はGKに川崎から相澤貴志をレンタル移籍で獲得、退団したゼ・カルロスの後任となる左SBに湘南から尾亦弘友希を完全移籍で獲得、FWにカレカをレンタル移籍で獲得。新キャプテンに前田和哉を任命、若手の香川・小松らが更に成長し、中堅・主力と共に巻き返しを図る。開幕は水戸に勝利し、久々の開幕戦勝利を収める。最初のうちは波に乗り切れずにいた。
    • 5月は前月末の愛媛戦から数えて、負けなしの7連勝を飾り2位に浮上。
    • 6月は怪我人と出場停止選手が続出。1勝1分4敗の成績。
    • 7月も1勝1分2敗と勝ち点を伸ばせないまま終わる。
    • 8月は2勝1分2敗と浮上の兆しが見えてきたに思われたが、本間勇輔がスタジアムマスターに就任し、新たなアンセムを作曲した9月も低迷のまま終わり、10月、上位争いをした3位の仙台との直接対決に敗れた時点で勝ち点8差がつけられていた。
    • 11月に入りC大阪が3連勝した一方、仙台は2分1敗と不振に陥った為、勝ち点差を1にまで縮めて最終節を迎えた。C大阪は愛媛に勝利を挙げたが、仙台も勝利したために逆転ならず、4位となりJ1昇格はならなかった。
    • 香川が日本五輪代表に選ばれ3月のアンゴラA代表との試合の際に見せたプレーが日本代表監督である岡田武史の目に止まり、香川は平成生まれとして初の日本代表に招集された。C大阪からは大久保嘉人以来4年ぶりの代表選出。香川はキリンカップコートジボワール代表戦でデビューし、ワールドカップ3次予選の2試合に出場。香川は8月に行われる北京オリンピック日本代表にも選ばれた。
    • シーズン途中に、名古屋から青山隼、横浜FMから乾貴士、新人の白谷建人を含めて世代別の日本代表の経験がある選手を多く獲得。これはクルピの方針で『C大阪に移籍して、さらに成長する可能性のある選手』を獲得する傾向にある。一方でチームにフィットしなかったカレカを解雇し、出場機会が激減した森島康をレンタル(シーズン終了後に完全)移籍で大分に放出した。
    • この年を最後に森島寛晃が現役を引退。
  • 2009年-ジェルマーノ、古橋達弥山本浩正、柳沢将之などが完全移籍で去り、相澤貴志、丹羽竜平、青山隼がレンタル終了、レンタル移籍中の森島康仁や宮本卓也も完全移籍する。しかし、レンタル移籍で加入していた乾貴士、羽田憲司、平島崇が完全移籍に移行し、小松塁、香川真司などの主力が残留した。また、レンタルで石神直哉を獲得し、西澤明訓清水エスパルスから復帰した。外国人選手では前年途中加入し、フィットしていたカイオが残留、パルメイラスからマルチネスクルゼイロからチアゴとクラブの主力だった2選手と2007年U-20W杯韓国代表のキム・ジンヒョンを「アジア枠」で獲得。中でも新加入のマルチネスの評価は高く、「J1でもトップクラスのボランチ」とも評された。マルチネス自身、二部のクラブでプレーした経験がなく、移籍に当初は抵抗も感じたが、セレッソが本気でJ1昇格を目指しているチームであることを知り、そうした抵抗感はなくなったと語っている[7]
    • 開幕戦となったサガン鳥栖戦は4-1で勝利。以降、3月から4月は、4月19日のコンサドーレ札幌戦で一敗を喫したのみであった。
    • その後も勝ち点を積み重ねるが、6月にカターレ富山とサガン鳥栖に連敗する。
    • 7月9日、鹿島から船山祐二を獲得。船山は加入直後こそ出場機会に恵まれなかったが、終盤戦にレギュラーを獲得。マルチネス故障の穴を埋め、チームの快進撃に大きく貢献した。
    • 8月中旬から3戦連続で勝ちなしと不振に陥る。
    • 8月30日の熊本戦からは10勝3分と勝ち点を積み重ね、11月8日に草津に5-0で勝利をおさめ、J1昇格が決定。同時に勝ち点100越えを達成した。J2で勝ち点100以上を達成したチームは川崎、広島に次いで3チーム目(ただし川崎は44試合、広島は42試合)。シーズンを通じて昇格圏外に落ちることはなかった。
    • 11月8日のサガン鳥栖戦の後、今季3シーズンぶりにチームに復帰した西澤明訓が引退を発表。西澤は当初、右足首のコンディションが悪く、すでに清水で引退するつもりであったが、前年に引退した森島から「戻って何とかJ1に上げてほしい」と言われたこともあり、「自分の中で、J2に落としたというのは汚点だったから・・・せめて、J1に上げるためにちょっとでも力になれれば」という思いで復帰を決めた。5月20日のロアッソ熊本戦で復帰後初ゴール。決して万全の状態ではなかったが、クルピ監督は西澤がチームに与えるポジティブな影響を期待し、常にベンチに置き続けた。11月8日の引退発表は、セレモニーを開催するような形を好まなかったため「あの場のノリです(笑)」と語っているが、「できれば避けたかった」という引退セレモニーはホーム最終節のFC岐阜戦(11月28日)の後に開催されている[8]。なお、引退後は代理人になることを目指しているが、2010年2月にはセレッソ大阪アンバサダーに就任した。
    • その後はJ2優勝を目指すが、11月22日の仙台戦(0-1)、1試合置いて12月5日の鳥栖戦(1-2)と、いずれもアウェイで後半ロスタイムに失点して敗北。シーズン2位となった(2009年J2最終節)。

2010年 -(J1)[編集]

  • 2011年-シーズンオフに家長昭博のスペイン・リーガエスパニョーラのマヨルカへの移籍を皮切りに、2009年度キャプテンの羽田憲司(神戸)、石神直哉湘南)、山下達也札幌)、多田大介鳥取)が移籍。アドリアーノ(アトレチコPR)はレンタル期間満了の上、G大阪に完全移籍。一方、大分からキム・ボギョンが復帰した他、神戸から高橋祐太郎(DF高橋大輔の実弟)を完全移籍で獲得。千葉から中後雅喜を、G大阪から倉田秋(千葉へのレンタル期間満了)を、またCRヴァスコ・ダ・ガマからホドリゴ・ピンパォンを、それぞれ期限付き移籍で獲得した。
    • 開幕戦のG大阪との大阪ダービーは1-2で敗戦。
    • 2011の布陣は1トップがピンパォンで、キム・倉田・乾の3シャドーが流動的に動く4-2-3-1に近いシステムを使う。
    • AFCチャンピオンズリーグ2011では初出場ながらグループリーグをグループGの2位で突破。5月24日のラウンド16では、G大阪とのACL史上初の大阪ダービーを1-0で制し、Jリーグ勢唯一の決勝トーナメント進出を果たす。しかし、準々決勝で全北現代に2戦合計5-9(第1戦 4-3、第2戦 1-6)で敗れ、ベスト8で敗退。
    • 8月に乾貴士がドイツ2部のVfLボーフムへ完全移籍、ピンパォンが契約満了による退団(後に大宮に入団)。これを受け、ファビオ・ロペスFC東京よりMF大竹洋平をそれぞれ期限付き移籍にて獲得。
    • 8月20日の清水エスパルス戦・9月11日のサンフレッチェ広島戦にて播戸竜二が途中出場でのハットトリックを達成。
    • シーズン終了後、「2007年から5シーズン指揮を執ってきましたが、J2からJ1へ昇格、さらにACL出場、そしてその中から数多くの選手がフル代表・五輪代表に選出され、欧州へ飛び立っていったことを考えると、セレッソにとっては一つのサイクルが終わり、節目の時がきたのではないかと思います。その間、単身で日本にいましたが、はるか遠くのブラジルにいる家族のもとへ帰る時が来たのではないか、という結論に至りました」として、監督のレヴィー・クルピが退任[9]
  • 2013年-ガンバ大阪とヴィッセル神戸がJ2に降格したことにより、関西で唯一のJ1チームとして戦う。監督は引き続きレヴィー・クルピが務め、新戦力として武田洋平清水)、ク・ソンユン(在鉉高校)、新井場徹鹿島)、椋原健太東京、期限付き)、楠神順平川崎)、ブランコ山形からレンタルバック、旧登録名ブランキーニョ)、エジノUANLティグレス)が加わり、ユースからは秋山大地岡田武瑠小暮大器南野拓実の4名が昇格した。後藤寛太高橋大輔が契約満了、舩津徹也ヘベルチが期限付き移籍期間満了で退団し、荻野賢次郎アルビレックス新潟シンガポール児玉新大分松井謙弥徳島(期限付き)へ移籍した。昨季ともに大分へと期限付きで移籍していた夛田凌輔J2群馬に、野口直人JFLびわこに、再び期限付きで加入した。また、2012年9月からAリーグパース・グローリーFCに期限付き移籍していた永井龍は、移籍期間を2013年4月30日まで延長。2013年シーズンのキャプテンは昨年に引き続き藤本康太が務める。
    • 開幕戦は、この年から新たに背番号8を受け継ぐこととなった柿谷曜一朗のゴールで、アルビレックス新潟相手に1-0で勝利。J1での開幕戦勝利は1999年以来、実に14年ぶりのことであった[12]。また、酒本憲幸がこの試合でJ1リーグ通算100試合出場を達成した。
    • 契約を更新せず、海外挑戦が囁かれていた村田和哉について、3月30日、正式に2013年度の契約を両者合意の上で結ばないことが発表された[13]。その後、村田は清水に加入。同じく去就が発表されていなかったキム・チャンフン蔚山現代尾浦造船トルゴレFCへの期限付き移籍が発表された[14]
    • 4月9日、武田洋平が右ひざ内側側副じん帯損傷で全治5週間と診断されたと発表された。第3GKだったク・ソンユンがベンチに入ることで、外国人枠の関係でブラジル人選手が3名中2名しかメンバー入りできない事態に陥り、4月11日、昨季岐阜でプレーしていた多田大介を緊急補強[15]。多田にとっては2009年以来、4シーズンぶりの復帰となった。
    • 6月10日、契約期間が6月30日までとなっていたシンプリシオの契約延長が発表された。契約期間は2013年7月1日から2014年1月1日まで[16]
    • 7月1日に井上翔太のギラヴァンツ北九州への[17]、12日に永井龍のパース・グローリーFCへの[18]、そして26日には播戸竜二のサガン鳥栖への期限付き移籍が発表された[19]。いずれも期間は2014年1月31日まで。
    • 7月15日、ユース出身者としてははじめて、柿谷曜一朗、山口螢、扇原貴宏の3選手が日本代表に選出された。そのうち、山口と扇原はハナサカクラブ出身者として初の選出となる。日本代表は、7月18日から29日まで韓国で開催された東アジアカップ2013を戦い、優勝。柿谷は大会得点王(3得点)、山口は大会MVPに輝いた。柿谷と山口の2名は、続いて、8月14日に行われたウルグアイ代表との試合にも招集され、柿谷は先発出場、山口も途中交代で出場した。また、8月27日にはキム・ジンヒョンが1年ぶりに韓国代表に選ばれた[20]
    • 膝の手術のため昨季いっぱいで退団していた高橋大輔が現役引退を決断し、7月24日、クラブの公式ホームページでも発表された[21]
    • 7月26日、「マンチェスター・ユナイテッドツアー2013 PRESENTED BY AON ヤンマープレミアムカップ」として、セレッソ大阪とマンチェスター・ユナイテッドのフレンドリーマッチが長居スタジアムで開催された。マンチェスター・ユナイテッドの一員としてピッチに立った香川真司にとって凱旋試合となったこの一戦は、セレッソが終了間際に失点したことにより、2-2の引き分けに終わった。試合後、香川は「成長した姿を見せられてよかった」「サッカー人生のひとつの歴史になったというか、誇りに思います」などの言葉を残している[22]
    • 10月ごろから「来季からクラブのフィロソフィーを変えるプランもある」(岡野社長)などとして監督・コーチ陣および強化部長を総入れ替えするとの報道が流れはじめ[23]、かつてセレッソにも在籍した名波浩らの名前が監督候補として取り沙汰される中で、11月25日、クルピ監督、マテルヘッドコーチ、ホドウホフィジカルコーチ、梶野智強化部長の退任(契約満了)が正式に発表された。退任の発表にあたり、クルピ監督は「セレッソで過ごした年月を振り返ると、心あたたまる思い出ばかりです。これから先も、いつまでも私はセレッソを応援し続けます」などとするコメントを発表した[24]。結局シーズンは最後までAFCチャンピオンズリーグ2014出場権争いに絡み、第33節終了時には一旦6位に下がるも、最終節に勝利し、前節3位、4位だったが最終節で敗れた鹿島、浦和を抜いて4位でリーグ戦を終了、3位以内での出場権獲得は逃したが、天皇杯の結果次第での出場の可能性を残した。
    • 今季は、柿谷らの活躍もあり、夏ごろから人気が上昇。練習グラウンドにも若い女性が詰めかけるようになり、メディアも「セレ女」などと報じるようになった[25]。その結果、2013年シーズンは観客動員が増加し[26]、また次シーズンの年間シートの売り上げも、過去最高だった今季レベルにまで年内のうちに到達した[27]
    • 第93回天皇杯全日本サッカー選手権では4回戦でサガン鳥栖に敗れたが、天皇杯を2013年J1で2位だった横浜FMが制した為、4位のセレッソがに出場することが確定した[28]

成績[編集]

ダービーマッチ[編集]

大阪ダービー[編集]

関西ダービー[編集]

余談[編集]

柏レイソルとの対戦は、桜餅柏餅への連想から「餅ダービー」と呼ばれる事がある。

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

表彰[編集]

Jリーグ
アジアサッカー連盟(AFC)
その他

スタジアム他[編集]

ヤンマーフィールド長居
南津守グラウンドのクラブハウス
南津守グラウンド

ホームスタジアム[編集]

ホームスタジアムはキンチョウスタジアム(金鳥スタ)およびヤンマースタジアム長居(ヤンマースタ)を使用している。

Jリーグ加盟当初は長居が1997年なみはや国体開催に伴う長期の全面改修工事を行なった為、長居第2陸上競技場(2014年3月1日より命名権採用により「ヤンマーフィールド長居(ヤンマーフィー)」に改称)を使用した。

1999年5月8日、長居ス・長居第2ともに「IAAFグランプリ大阪大会」開催の為に使用できず、名古屋戦は近鉄花園ラグビー場で開催された。

2007年の8月末から9月初めにかけての2007年世界陸上競技選手権大会の開催とその準備期間に伴い、(長居スで行われた6月の一部を除いて)7月末の第31節まで長居第2を本拠地にしていた他、世界陸上開催前後はその長居第2も使用できず、テクノポート福井スタジアム兵庫県立三木総合防災公園陸上競技場で開催した。

2009年11月、クラブが費用を負担して長居球技場を改修し[注 2]、2010年8月から本拠地として使用すると発表した。ネーミングライツにて「キンチョウスタジアム」とされ、2010年8月8日の川崎フロンターレ戦で杮落としされた。

金鳥スタ(球技場)への本拠移転の理由として、日本においてサッカー専用スタジアムの文化が浸透していることや、長居スは1試合平均入場者が15000人程度と、満席になる試合が少ないことも影響していた[34]が、2013年度の1試合平均動員が18819人を集め、2014年度も年間パスポートが完売状態だったことを受け、より多くの観客動員が見込めるヤンマースタの試合数を増やすことを決めた[35]

練習場・クラブハウス[編集]

トップチームのトレーニングは2013年から舞洲スポーツアイランドのセレッソ大阪グラウンドを使用しており、練習試合やサテライトリーグも行われる。この練習場は既存の舞洲球技場を大阪市から賃貸し、天然芝化やクラブハウスの新設などしたもので、[36] 天然芝2面・新設の人工芝1面があり、下部組織チームも使用している[37]

2012年まではグッズショップ等が併設されている南津守さくら公園スポーツ広場を使用していたが、前述の舞洲が整備されて以降はレディースを含む下部組織チームの使用にシフトしている。また2010年以降は毎年9月中旬から約1ヶ月間行う天然芝の養生期間に限りJ-GREEN堺を使用することもある。以前は舞洲島内北部にあった旧・舞洲グラウンド(現在の施設とは別の場所・2010年4月閉鎖)や尼崎市のヤンマーグラウンド(現在は下部組織チームが使用)も使用していた。

年度別・スタジアム別のホームゲーム試合数[編集]

(セレッソホームページにデータが記載されている1995年以後。天皇杯は除く。長居スは1995年は改修工事のため、長居球は2009年まで人工芝競技場のため使用せず)

※参考 リーグ戦ホームゲーム数
(J1)1995年 26試合、1996年・1999年-2001年・2003-2004年 15試合、1997年 16試合、1998年・2005年-2006年・2010年以後 17試合
(J2)2002年 24試合、2007年 26試合、2008年・2009年 22試合
年度 リーグ戦 ナ杯 ACL 備考
長居
(ヤンマースタ)
長居球
(金鳥スタ)
長居第2
(ヤンマーフィー)
その他
1995年 - - 24 西京極1
神戸ユ1
非開催 不参加 長居改修のため長居第2を本拠地として使用
1996年 6 - 6 神戸ユ2
愛媛陸1
長居2
長居二4
札幌厚別1
この年長居完成に伴い8月より移転
1997年 13 - 0 福井1
鳥取1
大分市陸1
長居3
1998年 16 - 0 福井1 長居2
1999年 13 - 1 花園1 長居2 長居第2はリーグ最終戦で使用[注 3]
2000年 14 - 1 なし 長居1
長居二1
長居第2はリーグ最終戦で使用[注 3]
2001年 15 - 0 なし 長居1
2002年 11 - 13 皇子山2 不参加 長居はW杯会場指定のため試合数制限[注 4]
2003年 15 - 0 なし 長居2
2004年 15 - 0 なし 長居3
2005年 17 - 0 なし 長居3
2006年 12 - 5 なし 長居3 長居は世界陸上会場指定に伴う準備のため試合数制限[注 5]
2007年 11 - 13 福井1
三木陸1
不参加 長居スは世界陸上会場指定のため試合数制限[注 6]
2008年 22 - 0 なし
2009年 22 - 0 なし
2010年 11 8 0 なし 長居3 この年より長居、金鳥スタ本拠併用開始
2011年 6 11 0 なし 長居1[注 7] 長居4[注 8] ACLは長居のみで開催
2012年 6 11 0 なし 長居1[注 7]
金鳥スタ3
不参加
2013年 8 9 0 なし 長居1
金鳥スタ2
その他主催試合の開催場(いずれも1994年のJFLで使用)

スローガン[編集]

年度 スローガン
1994 Jump To J!
1995 To Be Professional
真のプロフェッショナルをめざして
2002 Passion to the Top
2003 PASSION SOUL 情熱魂
2004 Be ONE!
2005 日々進化
2006 さらなる挑戦
2007 猛進
2008 YOU ARE MY HEART
2009 ユアマイハート
2010 攻めきる。~最後の笛が鳴るまで~
2011 攻めきるMAXかかげよ桜冠
2012 追球 THE CEREZO
2013 冒険 ココロ躍れ
2014 史上最攻 ~時は、来た。~

ユニフォーム[編集]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) ピンク[1] [1] [1]
FP(2nd) [1] [1] [1]
GK(1st)
GK(2nd) オレンジ オレンジ オレンジ
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

チームカラー[編集]

  •     ピンク[1]    ネイビー

ユニフォームデザイン[編集]

1994年から1996年まで使用したフィールドプレーヤー用の1stユニフォームは、シャツおよびストッキングがピンク、パンツが空色であった。1997年以降の胸デザインはピンク×紺の縦縞であるが、2006年以降は縦縞がさほど強調されなくなっている(2006年-2007年モデルは右胸が紺で左胸がピンクの2ブロック。2008年-2009年モデルは前年までの配色が反転したようなデザイン、2010年-2011年モデルはピンク地に3本の太い縦縞の3ブロック)。

2012年モデルは、胸から上がピンク地で下はピンク×紺の縦縞と、ピンクの割合が多くなった。2013年モデルは右胸部と左腰部に紺の太い斜め縞が入っていた。2014年モデルは紺の縞模様がなくなりピンクの色味も変わった。2005年のフィールドプレーヤー用の2ndユニフォームは、シャツ・パンツ・ストッキングに薄手のグレーを採用していた。

なお2010年8月8日のキンチョウスタジアムのオープニングゲームでは、専用デザイン(ピンクが真ん中に1ブロック)のメモリアルユニフォームを着用した。以後、夏季のホームゲームは期間限定ユニフォームの着用が恒例となっている。

ユニフォームスポンサー[編集]

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
ヤンマー YANMAR 2006年 - 1995年 - 1996年までは袖、
1997年 - 2005年までは背中
背中 日本ハム ニッポンハム 1994年後半、
2006年 -
1994年前半、1995年 - 2005年までは胸
2009年まではローマ字の「Nippon Ham」
大日本除虫菊 KINCHO 2010年7月 -
パンツ サンユー都市開発 SANYU 2010年7月 -

ユニフォームサプライ[編集]

歴代ユニフォームスポンサー年表[編集]

年度 背中 パンツ サプライヤー
1994 CAPCOM
/Nippon Ham
Nippon Ham
/CAPCOM
ヤンマー - Mizuno
1995 Nippon Ham CAPCOM
1996
1997 Yanmar 2008大阪オリンピック
招致委員会
1998
1999 -
2000 タマノイ酢
2001
2002 大装ハウス
2003 大装
2004 SPORTS
DEPO
2005
2006 YANMAR Nippon Ham SUPER H2O
2007 OSAKA
PiTaPa
2008
2009 -
2010 KINCHO SANYU
2011
2012
2013
2014

スポンサー[編集]

下部組織[編集]

育成に力を入れており、近年は各年代別日本代表にも多くの選手を輩出している。下部組織は高校生世代のU-18、中学生世代のU-15・西U-15・和歌山U-15、小学生世代のU-12で構成される。2009年にはレディースU-15(セレッソ大阪レディース)が設立され、2013年よりなでしこリーグ2部相当の「なでしこチャレンジリーグ」参入を果たすなど、女子選手の育成にも力を入れている。セレッソの特徴的な取り組みとして、育成サポートクラブの「ハナサカクラブ」が挙げられる。これにより、会費を募りその資金を活用して、育成組織の合宿や遠征、練習試合、食事などの費用補助といった活動全般のサポートができる体制が整備されている。

2012年より、ユースを含めた全ての育成チームを一般社団法人セレッソ大阪スポーツクラブが運営することになった。これまでもJリーグ加盟の数チームが育成機関を別組織(社団法人か特定非営利活動法人側)で行う事例は数例あるが、殆どユースはトップチームと同じ株式会社側が運営しているが、Jクラブでユースチームも株式会社から別法人に移譲してで営むのは準加盟を含め初めての例である。[注 9]

出身選手[編集]

主な成績[編集]

U-18[編集]

優勝2回 : 1996年、2009年
準優勝1回 : 1994年
準優勝2回 : 2008年、2011年
優勝2回 : 2008年、2010年

U-15[編集]

優勝1回 : 2014年

西U-15[編集]

  • 高円宮杯U-15サッカーリーグ関西 サンライズリーグ
優勝1回 : 2009年

U-12[編集]

優勝1回 : 2014年
準優勝1回 : 2012年

BGM[編集]

選手紹介[編集]

年度 曲名 アーティスト名 DJ
2006 Dark Chest of Wonders ナイトウィッシュ 西川大介
2007
2008

選手入場[編集]

年度 曲名 アーティスト名
2008 saturate ケミカル・ブラザーズ
2009 セレッソ大阪アンセム 本間勇輔

エピソード[編集]

FM NAGAI[編集]

2008年の5月18日の湘南戦から、「超セレッソ寄りのラジオ局」をキャッチコピーとした、FM NAGAI(エフエムナガイ)がC大阪の試合限定で開局した。内容は試合に出場していないC大阪の選手、またはC大阪のスクールコーチがスタジアムDJの西川大介、アンバサダーの森島寛晃とともに、試合内容、現役時代のエピソードなどを語っていくものである。ファンクラブ限定サイトでは、過去の放送内容を聞くことも可能である。また、スタジアムにゲストが訪れた時は、そのゲストが出演することもあり、元阪神タイガース亀山つとむや、大阪プロレスの選手が出演したことがある。2009年には木村和司水沼貴史といった他クラブ出身の解説者(ともに横浜FM)が登場した。

周波数は放送開始当初は77.3MHzであったが、78.5MHzとなっている。

スタジアムマスター本間勇輔の招聘[編集]

2008年の夏に、テレビドラマ「古畑任三郎」BGMなどの楽曲を作曲した本間勇輔がスタジアムマスターに就任した。最初に手がけたのはセレッソ大阪の入場アンセム及び、練習開始の時に流れる音楽を作詞作曲し、C大阪のサポーター200人以上が歌ったものがアンセムとなっている。2009年からは「古畑任三郎」風に選手を紹介するムービーがスタジアムで流れているほか、チームが勝利した場合のみ流される曲であるCerezo(さくら)満開の作曲を手掛けた。

本間は2012年6月をもって退任しているが、現在も、本間の作曲したアンセムなどが使用されている。

他競技との連携[編集]

C大阪は2006年から、Jリーグ100年構想に基づいた他競技との連携を行っている。

2006年から行われている「エンジョイスポーツアカデミー」は、大阪を本拠地とするバレーボール堺ブレイザーズバスケットボール大阪エヴェッサと合同でクリニックを行っている。2007年からはフットサルシュライカー大阪が、2009年からバドミントン三洋電機を加えた5チームで毎年開催している。

2009年からは「フットボールアカデミー」も開催する予定で、ラグビー近鉄ライナーズと合同でクリニックを行っている。

2011年、一般社団法人セレッソ大阪スポーツクラブ」を発足し、さらに異競技交流と市民のスポーツレクリエーション参加活動を進めていく(前述のとおり、2012年からはユース・ジュニアユース・ジュニアの以上少年育成チームの事業を株式会社側から社団法人側に委譲)。

プロ対小学生100人[編集]

これまで2回セレッソ大阪対小学生100人のサッカー対決を行っている。

1回目は2010年2月23日放送の関西テレビ「冒険チュートリアル」で、対戦相手は関西の名門サッカースクールの小学生100人であった。場所は長居球技場(改修工事前の人工芝時代)で開催され、試合は3-2でセレッソ大阪の勝利。

2回目は2011年1月26日放送の毎日放送制作・TBS系「くらべるくらべらー」で、対戦相手はセレッソ大阪サッカースクールの生徒100人であった。場所は堺市立サッカー・ナショナルトレーニングセンターで開催され、試合は5-4でセレッソ大阪の勝利。なお、小学校3年生の男子児童一人が転倒し、他の児童に左腕を踏まれ、左肘骨折で全治3ヶ月の重傷を負う事故もあったが、ケガをした男子児童側から放送の許可を得られたことなどもあり、予定通り放送された。

商標登録問題[編集]

2012年9月に発売された「アイドリング!!!」のオフィシャルグッズである「アイドリング!!!ナンバリングマフラータオル」が、セレッソのエンブレムに酷似したデザインが使用していたことから、販売中止、回収となった。原因は、株式会社デコレーションズのデザイン制作上の確認ミスによるものであった。

しかし、セレッソはこの騒動を逆手に取り、2012年10月20日のFC東京戦では「アイドリング!!!」メンバー4人をキンチョウスタジアムに招待し、ミニライブを開催している。

その他[編集]

マスコットのロビーは、フジテレビ系「めちゃ×2イケてるッ!」の企画、めちゃイケ新メンバー全国4大都市オーディションにエントリー、1次審査を通過して2次審査の面接(面接官は矢部浩之光浦靖子)で落選した。

新体制発表会見では、監督、新加入選手に加えてキャプテンも出席し、新加入選手のうち1名は2ndユニフォームを着用して会見に臨むのが恒例となっている。

ファンからは、優勝争いを演じた翌年に降格するという事が2度あったことから「ジェットコースタークラブ」、また、両チーム大量得点などの荒れた試合を演じる事が多いため、守備を捨てて攻撃しているという意味で「ザルッソ」(ザルのような守備、の意)や、ドラゴンクエストシリーズの全体攻撃武器中最強の武器と最弱の盾である「『はかいのてっきゅう』と『おなべのふた』」等と評される事がある。

脚注[編集]

注釈
  1. ^ Jリーグでの命名権正式使用は同年4月12日より
  2. ^ 計画では人工芝のピッチを天然芝に変更、ゴール裏に新たなスタンドを増設し、収容人員は20,500人となる[33]
  3. ^ a b 全日本大学女子駅伝の開催準備の都合上
  4. ^ 7月の一時期を除き9月まで長居2を暫定本拠地とした
  5. ^ 10月以後の主管試合はすべて長居第2で行った
  6. ^ 6月の一時期を除き8月まで長居第2で開催。
  7. ^ a b 準々決勝
  8. ^ 決勝トーナメント1含む
  9. ^ このほかに類似の例として松本山雅FCがあるが、こちらは当初はトップチームを含めNPO法人が運営していたが、2010年Jリーグ準加盟に際して、トップチームの運営のみを株式会社に移譲している
出典
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad クラブガイド:セレッソ大阪”. 日本プロサッカーリーグ. 2014年2月21日閲覧。
  2. ^ a b c d 会社概要”. セレッソ大阪. 2014年2月21日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 2012年度Jクラブ情報開示 資料 (PDF) Jリーグ公式サイト
  4. ^ セレッソ大阪ホームタウン追加について(Jリーグ公式サイト 2014年2月9日)
  5. ^ たとえば、「C大阪のアカデミー出身の柿谷、山口、扇原が東アジア杯制覇に貢献・・・クラブ関係者が明かす日本代表選出の舞台裏」 SOCCER KING、2013年7月29日
  6. ^ 「C大阪は欧州で最も有名なJクラブ」 東京スポーツ、2013年8月2日
  7. ^ EL GOLAZO 2009年6月24日号。
  8. ^ Twelfth 2010年2月号。
  9. ^ 「レヴィー・クルピ監督との契約について」 セレッソ大阪公式サイト、2011年11月16日
  10. ^ 「監督交代のお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2012年8月26日
  11. ^ 「レヴィー・クルピ監督 契約更新のお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2012年11月15日
  12. ^ 「【C大阪】柿谷V弾!背番「8」が決めた!14年ぶり開幕飾る」 スポーツ報知、2013年3月3日
  13. ^ 「村田和哉選手の契約についてのお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2013年3月31日
  14. ^ 「キム チャンフン選手期限付き移籍のお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2013年3月30日
  15. ^ 「多田大介選手 加入のお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2013年4月11日
  16. ^ 「シンプリシオ選手 契約更新のお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2013年6月10日
  17. ^ 【13/07/01】井上翔太選手 ギラヴァンツ北九州に期限付き移籍のお知らせ”. セレッソ大阪 (2013年7月1日). 2013年7月12日閲覧。
  18. ^ 【13/07/12】永井 龍選手 パース・グローリーFC期限付き移籍期間延長のお知らせ”. セレッソ大阪 (2013年7月12日). 2013年7月12日閲覧。
  19. ^ 「播戸竜二選手 サガン鳥栖に期限付き移籍のお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2013年7月26日
  20. ^ 「キム ジンヒョン選手 韓国代表メンバー選出のお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2013年8月27日
  21. ^ 「高橋大輔選手の現役引退について」 セレッソ大阪公式サイト、2013年7月24日
  22. ^ 「マンチェスター・ユナイテッド モイーズ監督、香川選手コメント」 セレッソ大阪公式サイト、2013年7月27日
  23. ^ 「セレッソ大改造!クルピ監督今季限りで退任、コーチ陣総入れ替え」 スポーツニッポン、2013年10月10日
  24. ^ 「レヴィー・クルピ監督との契約について」 セレッソ大阪公式サイト、2013年11月25日
  25. ^ たとえば、「サッカー業界で話題。“セレ女”って何?」 フットボールチャンネル、2013年11月27日
  26. ^ 1試合あたりの平均観客動員数で見ると、J1全体が昨季より約3%落とす中、セレッソは約11%増となった。「『セレッソ女子』急増中 イケメン効果?観客数1割増」 朝日新聞、2013年12月4日
  27. ^ 「C大阪 柿谷&山口人気で来季の年間シート売り上げ絶好調」 スポーツニッポン、2013年12月27日
  28. ^ 西川好守で広島がPK戦制し決勝へ C大阪がACL出場決定 Goal.com 2013年12月29日閲覧
  29. ^ “ディエゴ フォルラン選手と合意のお知らせ”. セレッソ大阪公式サイト. (2014年1月28日). http://www.cerezo.co.jp/news_detail.asp?c_idx=10012194&contents_code=100100&date_s=&iPage=2 2014年2月9日閲覧。 
  30. ^ 「ゴイコ カチャル選手 移籍加入のお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト 2014.2.26付ニュースリリース
  31. ^ 大熊裕司監督就任のお知らせ セレッソ大阪公式サイト 2014年9月8日閲覧
  32. ^ C大阪、新監督に大熊裕司氏 日刊スポーツ 2014年9月8日閲覧
  33. ^ 「長居球技場のホームスタジアム化について」 セレッソ大阪公式サイト、2009年11月6日
  34. ^ 週刊サッカーダイジェスト 2010年4月6日号
  35. ^ フォルラン効果や!長居開催8→12(デイリースポーツ2014年2月1日 即日閲覧)
  36. ^ 舞洲球技場及び球技場関連施設用地の入札結果について”. 大阪市. 2013年6月13日閲覧。
  37. ^ セレッソ大阪ブログ2013年1月19日より

関連項目[編集]

外部リンク[編集]