淡路島

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淡路島

ランドサット7号 (Landsat 7) 撮影
淡路島の位置(日本内)
淡路島
淡路島
淡路島の位置
座標 北緯34度09分 - 34度36分
東経134度39分 - 135度01分
面積 592.26[1] km²
海岸線長 203 km
最高標高 608[2] m
最高峰 諭鶴羽山
所在海域 瀬戸内海
所属国・地域 日本の旗 日本
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地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
市町村 淡路市洲本市南あわじ市
総人口 143,025人(2010年10月1日)[3]

淡路島(あわじしま)は、瀬戸内海東部に位置し、瀬戸内海では最大のである。令制国名は淡路国近畿地方兵庫県に属し、現在は北から淡路市洲本市南あわじ市の3市で区分される。

概要[編集]

北東から南西へかけて細長く伸びる淡路島は南北約53km、東西約22km、周囲約203kmで、北部では幅5kmから8kmと細く南部で幅が拡がっている[4]シンガポール島とほぼ同じ面積を有し、日本国内では主要4島、択捉島国後島沖縄本島佐渡島奄美大島対馬についで第11位の面積を持つ[5]大阪湾播磨灘紀伊水道に四周を囲まれ、北端の松帆崎明石海峡に、南東端の生石鼻紀淡海峡に、南西端の門崎(とさき)で鳴門海峡にのぞみ、本州四国連絡道路の神戸・鳴門ルートで本州四国と繋がっている。

北部と南部の淡路山地と中南部の淡路平野に分けられ、北東部と南部の山地急斜面は海岸まで迫る。また周囲の主な属島には紀淡海峡の成ヶ島、紀伊水道の沼島がある。

気候[編集]

全島が瀬戸内海式気候(年間平均気温約16℃、年間降水量約1300mm)の区分に属するが、諭鶴羽山地以南では南海型太平洋側気候の特徴も少し混じる。このため多くの農業用ため池があり、兵庫県内にある43,000のため池の半数を超える23,000が島内にある[6] [7]。 近代以降もダム建設が行われてきたが、1999年平成11年)12月に明石海峡大橋に架設された口径450mmの2条の水道管による本土導水が開始された[8]

地理[編集]

地形と植生[編集]

以下の分類は『土地分類図(地形分類図)経済企画庁総合開発局 昭和49年(1974年)発行』による[9]

淡路山地
淡路島北部と南部に分かれる地塁山地砂岩礫岩頁岩で形成される。諭鶴羽山・柏原山・先山の3峰は「淡路三山」と呼ばれる。
森林面積は島の総面積の51.7%を占め、北淡山地と諭鶴羽山地にスギヒノキの人工林があるがその比率は8.6%にすぎず、ウバメガシシイヤマモモなどの照葉樹林が広がる[7]。また諭鶴羽山には県内一のアカガシ極相林が見られる。
津名山地
島の北部、明石海峡から淡路平野までの山地。多くの活断層撓曲が見られ南部より北部のほうが起伏が大きい。白亜紀花崗岩の上に大阪層群が覆う[4]。平地が少ないため中部東側の海岸には淡路市の市街地が南北に伸び、埋立地が造成され、西側海岸には棚田が見られる。
北淡山地
標高522m の妙見山を主峰とする津名山地北部。北東の六甲山へ伸びて六甲・淡路断層帯を形成している。
千山山地
標高448mの先山(淡路富士)を主峰とする起伏の小さな津名山地南部。東側に先山断層が通る。
津名丘陵
千山山地の西側、播磨灘に面した丘陵。志筑断層で北淡山地と分けられる。
諭鶴羽山地
諭鶴羽山地
島の中南部、淡路平野から紀伊水道までの起伏の大きな山地。白亜紀の花崗岩の上に和泉層群が覆う。東部に標高569mの柏原山、中部に標高525mの兜布丸山(かぶとやま)、西部に標高608mで淡路島最高峰の諭鶴羽山がある。兜布丸山は洲本川の、諭鶴羽山は三原川の水源である。諭鶴羽山地の南側は中央構造線の断層崖のため急斜面になっていて[4]、みかん・ビワが栽培されるほか、水仙の自生地がある。
西淡山地
三原平野の西部、鳴門海峡との間にある海抜200m級の山地。標高265mの南辺山など[4]
淡路平野
島の中南部、大阪湾へ注ぐ洲本川河口から播磨灘へ注ぐ三原川河口へかけて島を南北に分かつ沖積平野[4]
洲本平野
洲本川が流れ、河口洲に洲本市の人口密集地が広がる。
三原平野
三原川が流れ、水稲やタマネギ・レタスなど路地野菜の栽培地が広がる。
諭鶴羽北麓台地
三原平野南部から諭鶴羽山地北部へかけての砂礫質の台地。
吹上低地
吹上浜で紀伊水道、鳴門海峡にのぞむ。
明石海峡大橋
鳴門の渦潮

海峡[編集]

明石海峡
北端の松帆崎と、本州の兵庫県明石市の間にある海峡。峡間は3.6km。潮流が早く、古くから海の難所である。全長3,911mの世界最長の吊り橋明石海峡大橋」が架けられているほか、高速船「淡路ジェノバライン」が運航されている。
紀淡海峡(友ヶ島水道)
南東端の生石鼻と、本州の和歌山県和歌山市の間にある海峡。峡間は約11km。海峡内に4つの島があり、最も広い淡路島 - 友ヶ島間でも4.7kmである。航路などはない。費用対効果の面から今後も往来実現の可能性は低い。
鳴門海峡
南西端の門崎と、四国の徳島県大毛島北東部の孫崎の間にある海峡。峡間は約1.4km。激しい潮流のため海の難所である。全長1,629mの吊り橋「大鳴門橋」が架けられている。架橋にともない航路は廃止された。名勝に指定されている鳴門[10]では、瀬戸内海と外海(太平洋側)の潮位差により起こる「鳴門の渦潮」が著名。淡路島からは観潮船「うずしおクルーズ咸臨丸・日本丸」が毎日運航されていて、間近で渦潮を体感することができる。なお、大鳴門橋には渦潮見物のための遊歩道「渦の道」が併設されているが、入口が四国側のみであるため淡路島側からは利用できない。

歴史[編集]

記紀の日本列島の国産みの神話では、淡路島は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が日本列島中、最初に創造した島であるという。『古事記』では淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)と書かれ、『日本書紀』では、淡路洲と書かれる。

阿波への道」が語源と言われることが多いが『古事記』・『日本書紀』の記述を絶対視するならば、最初にできた国が淡路島とあり矛盾することになる。淡という漢字は淡海(近江)、淡河、淡谷など自然を表す字と組み合わされることが多い。「路」や「道」は現代で言うところの「地」であったと考えられ、最初に国として完成することができた尊い土地という意味で「淡路(淡道)」と名づけられたものと思われる。

古代から平安時代まで御食国(みけつくに)として皇室朝廷(にえ)を貢いだとされる。『延喜式』によると、淡路国は旬料・節料として「雑魚」を贄として納めることが記載されている。

江戸時代には徳島藩の知行地となった。天明2年(1782年)には島内最大の百姓一揆強訴)である「縄騒動」が起こっている。広田宮村の才蔵らが先導。騒動は暴力事件に至らず役人の罷免で収束したが、首謀者は強訴の責任を取らされて処刑された[11]

明治維新期の廃藩置県によって徳島藩は名東県に改組されたが、庚午事変(稲田騒動)が遠因となって1876年明治9年)8月21日に名東県が分割されると、淡路島は兵庫県に編入された。以来、近畿地方の一角として発展している。

行政[編集]

兵庫県は地方自治法に基づく支庁として、淡路島全域を管轄する淡路県民局を洲本市に設置している。

1965年昭和40年)以降、洲本市津名郡三原郡の1市10町体制が続いていたが、市町村合併によって、2005年平成17年)1月11日には三原郡4町(緑町三原町西淡町南淡町)が南あわじ市に、同4月1日には津名郡五色町を除く津名郡5町(淡路町北淡町東浦町一宮町津名町)が淡路市となった。残る五色町は2006年(平成18年)2月11日に洲本市と合併し、新たに洲本市となった。これらの合併により現在の淡路島は、北から淡路市・洲本市・南あわじ市の3市体制となっている。淡路島全体で一つの市となる構想や動きもあったが、実現しなかった[12][13][14][15]

地域[編集]

淡路島の南北に神戸淡路鳴門自動車道が縦断する。島北東部の大阪湾に面する海岸線に沿って国道28号が走り、津名港がある。このうち、南東部の洲本市周辺の洲本平野から南西部の南あわじ市(旧南淡町)へ通じる部分を四国街道と呼ぶ。

島北西部の播磨灘に面する海岸線に沿って、南あわじ市で三原平野西部を縦断する兵庫県道31号福良江井岩屋線が走っている。かつて島内には1922年大正11年)から1966年昭和41年)にかけて洲本と福良をむすぶ淡路交通鉄道線が存在したが、以降は路線バスに置き換えられており、鉄道路線はなくなった。

市外局番島内全域0799であるが、淡路市(津名MA)と洲本市・南あわじ市(洲本MA)との相互通話には市外局番が必要である。MA(単位料金区域)の統合は現在実施されていない(2009年現在、全島でMA統合が実施されたのは2005年6月の佐渡島のみである)。

自動車のナンバープレートは「神戸ナンバー」(神戸運輸監理部兵庫陸運部魚崎庁舎)である。

ケーブルテレビは島内全域に提供しており、淡路市はeo光テレビ、洲本市は淡路島テレビジョン、南あわじ市はケーブルネットワーク淡路となっている。

文化[編集]

島内には伝統芸能や農業から生まれた民間信仰、独特の習俗などが多く残っている。ここではその内の一部をリストアップする[16]

伝統芸能[編集]

  • 淡路人形浄瑠璃 - 室町時代末期に南あわじ市市三條で始まったとされる。三条八幡神社に発祥の地の碑がある。現在残っている人形座は淡路人形浄瑠璃資料館の市村六之丞座と人形浄瑠璃館(大鳴門橋記念館)の淡路人形座の二つ。また島内の小中高校の各郷土芸能部や淡路人形浄瑠璃青年研究会などが後継団体となって保存している。1976年(昭和51年)国の重要無形民俗文化財に指定。
  • だんじり - 淡路のだんじりは赤い布団を5枚重ねた「布団だんじり」が特徴である。他にも「つかいだんじり」、「投げだんじり」や「舟だんじり」などがあり、他府県からの見物客も多い。
  • 五尺踊り - 縄騒動で処刑された才蔵らの命日、3月23日に南あわじ市の広田八幡宮・大宮寺の「天明志士の碑」の前で奉納される。
  • 阿万の風流大踊小踊 - 南あわじ市阿万上町の亀岡八幡神社に伝わる。大踊は室町時代末期から、小踊は江戸時代中頃から。

民俗信仰[編集]

  • 粥占祭 - 洲本市の厳島神社、淡路市一宮多賀の伊弉諾神宮
  • 御田植神事 - 洲本市の栢野森住吉神社、淡路市一宮多賀の伊弉諾神宮。
  • 庚申講 - 島内全域。
  • 社日ッツァン - 民間信仰。淡路市(旧北淡町)。
  • ヤマドッサン - 田の神・山の神・年神である尉と姥をヤマドッサンと呼び、正月9日にお迎えして豊作を祈る。淡路市舟木地区。
  • 団子ころがし - 死者の五七日忌(35日)に団子を山上から谷に向かって投げる供養行事。先山や妙見山、地蔵山、開鏡山、愛宕山など。
  • 芝右衛門狸 - 芝右衛門狸、柴右衛門狸(しばえもんたぬき、しばえもんだぬき)、日本三名狸に数えられている。

経済[編集]

総生産額は4,426億円。就業割合は1次産業が6.0%、2次産業が27.4%、3次産業が66.6%で、1次産業の割合が県平均 (0.6%) を大きく上回っている(2003年)[7]

製造業[編集]

パナソニック(三洋電機)洲本事業所

淡路島の中心地である洲本市は、かつて鐘淵紡績洲本工場カネボウ)の企業城下町であった。鐘淵紡績(カネボウ)は1900年(明治33年)に淡路紡績を買収し、関西の拠点として洲本工場を開設した。1950年(昭和25年)には従業員数4200人を超えるまでに成長したが、その後の経済構造の変化により洲本工場は縮小の道を辿り1985年(昭和60年)に綿紡事業に終止符をうち、新たに発足したカネボウ電子へ移管され、そして1986年(昭和61年)に紡績操業を停止するに至った。カネボウの歴史の中で洲本工場は、綿紡織事業を手掛けてきた工場として最長(87年)の歴史をもつ。

現在跡地は洲本市新都心ゾーンとしてイオン洲本ショッピングセンターエディオン(ミドリ電化洲本店)、兵庫県立淡路医療センター兵庫県立淡路病院を移転)、洲本市文化体育館洲本健康福祉館みなと銀行洲本支店等が立地し、洲本市民広場として整備されたエリアに点在する洲本市立図書館洲本アルチザンスクエア淡路ごちそう館「御食国」等は、鐘淵紡績洲本工場の近代建築を再生した施設として注目されている。

地場産業[編集]

農業[編集]

農家戸数は8,775戸。生産額は369億円。昭和40年代から三毛作が行われており、水稲 - レタス - レタスの作付けの割合が42.6%で最も多く、次いで水稲 - レタス - タマネギが25.7%となっている(2005年)[7]

作付面積

  • 水稲 - 4,380haキヌヒカリが74%を占める)
  • タマネギ - 1,946ha(全国シェア9.3%、淡路島たまねぎ[18]
  • レタス - 1,220ha
  • 果樹 - 367ha(みかん・ビワなど)

農畜産品の県内出荷額比率の大きいもの(2004年度)

水産業[編集]

5t未満の小型船と養殖漁業が中心で、生産額は153億円、漁獲量は18,378t(2004年)

観光業[編集]

年間の観光客数は1,062万人(2004年)。淡路花博のあった2000年(平成12年)から減少傾向にある[7]が、豊かな自然や食の宝庫であるなど、観光資源は豊富である。(古くから淡路国は食の宝庫として知られ、御食国として皇室・朝廷に御食料を貢いだとされる)

主な金融機関[編集]

教育[編集]

大学院[編集]

大学[編集]

専修学校[編集]

  • 関西総合リハビリテーション専門学校
  • 兵庫県立淡路看護専門学校

高等学校[編集]

特別支援学校[編集]

外部との交通[編集]

2010年(平成22年)11月現在、自転車を除く軽車両・原付・小型自動二輪・ミニカーが自走で淡路島へ出入りする手段は存在しない。徒歩で橋を渡って出入りすることはできないため、歩行者はバスまたはタクシーを利用する必要がある。

道路[編集]

本州と四国を結ぶ神戸淡路鳴門自動車道が淡路島を縦断しており、北は明石海峡大橋本州に、南は大鳴門橋四国に連絡している。本州(特に京阪神)と四国を結ぶ高速バスも多数設定されている。淡路島北端部にある淡路SAおよび隣接する淡路ハイウェイオアシス観覧車や展望台が併設された大規模な休憩施設であり、淡路島の新たな観光スポットとなっている。明石海峡大橋と大鳴門橋はいずれも自動車専用道路であるため、徒歩・軽車両・原付・小型自動二輪・ミニカーいずれも通行できない。

タクシーを利用する場合は降車時タクシーメーターに表示された料金の他に神戸淡路鳴門自動車道の通行料を往復分支払う必要がある。

淡路ジェノバライン(岩屋港 2006年)

航路[編集]

2010年11月15日を最後に明石淡路フェリー(たこフェリー)が休止したことにより、淡路島と外部を結ぶ航路は明石港 - 岩屋港間の高速船「淡路ジェノバライン」のみとなった。淡路ジェノバラインに載せることができる車両は自転車のみであるため、自転車を除く軽車両・原付・小型自動二輪車・ミニカーが自走で淡路島へ出入りする手段はない。

鉄道[編集]

かつて明石海峡大橋と大鳴門橋を経由して淡路島に四国新幹線を走らせる計画があったが、費用に比べて経済効果が低いため頓挫している。大鳴門橋は鉄道道路併用橋として建設されているが、明石海峡大橋は道路専用橋であり、今後とも淡路島に鉄道が通る可能性はほとんど無い。また岩屋〜志筑〜洲本や志筑〜江井を結ぶ淡路快速交通などの計画が存在したが実現したのは淡路鉄道のみである。

路線は淡路島を東西に横断する形で敷設された。日本の北海道本州九州四国の主要な四島をのぞいたにおける鉄道路線は、(中州など四島から直通するものをのぞいて)第二次世界大戦後はこの淡路島のみであった[19](洲本駅の駅舎がバスターミナルとして利用されるなど、今尚当時の面影が残る)。

出身人物[編集]

淡路市[編集]

洲本市[編集]

南あわじ市[編集]

ゆかりの人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 国土地理院 日本の主な島の面積 - 2009年10月1日現在。
  2. ^ 日本の主な山岳標高 - 国土地理院
  3. ^ 国勢調査による。淡路市46,465人、洲本市47,271人、南あわじ市49,289人(ただし沼島の人口564人を差し引いた。)
  4. ^ a b c d e 兵庫県南部地震に伴う淡路島北部地域の地形変化”. 国土地理院 (1995年). 2010年12月7日閲覧。
  5. ^ 国立天文台(編) 平成19年 理科年表 p.565 ISBN 4621077635 - ただし本土4島を除く。
  6. ^ 洲本川水系河川整備計画(案)”. 兵庫県 (2008年11月). 2010年12月9日閲覧。 (PDF, 3.42MiB)
  7. ^ a b c d e f 淡路地域農林水産ビジョン”. 兵庫県淡路県民局 (2006年3月). 2010年12月9日閲覧。 (PDF, 7.28MiB)
  8. ^ 事業について”. 淡路広域水道企業団 (2005年). 2010年12月17日閲覧。 (PDF, 454KiB)
  9. ^ 20万分の1土地分類基本調査及び土地保全基本調査 > 兵庫県 地形分類図”. 国土交通省 土地・水資源局 国土調査課. 2010年12月12日閲覧。
  10. ^ 国指定文化財等データベース:主情報詳細
  11. ^ 兵庫県南あわじ市市勢要覧”. 南あわじ市総務部情報課 (2006年8月). 2010年12月14日閲覧。 (PDF, 4.66MiB)
  12. ^ 拝啓 淡路島合併論にご関心の皆さんへ
  13. ^ 淡路島一市フォーラム~淡路は一つ 未来の淡路島のために~
  14. ^ 洲本市議会議員、広田恵三の「洲本市」を考えるブログ
  15. ^ 淡路市長 門康彦ブログ「淡路島一市について。」
  16. ^ 淡路の伝統芸能と文化”. 兵庫県淡路県民局・兵庫県立淡路文化会館 (2004年3月). 2010年12月14日閲覧。 (PDF, 4.28MiB)
  17. ^ 淡路島の特産品”. 淡路島観光協会. 2010年12月8日閲覧。
  18. ^ 地域団体商標登録済み
  19. ^ 第二次世界大戦終結まではこのほかに沖縄県沖縄本島など。また南大東島のものは戦後も1983年(昭和58年)まで運行。→沖縄県の鉄道を参照)、そして外地と呼ばれた太平洋戦争前の日本領である台湾樺太がある。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]