時代祭の行進に参加中の山田啓二(右側の人物。2009年10月22日撮影)
山田 啓二(やまだ けいじ、1954年4月5日 - )は日本の政治家(京都府知事、全国知事会会長)兵庫県洲本市出身、のち兵庫県伊丹市、東京都杉並区と移住。
[編集] 経歴
[編集] 主な役職
[編集] 京都府知事としての業績
2002年4月7日、自民党、民主党、公明党、自由党、社民党、保守党の推薦を受け、弁護士の森川明(共産党推薦、新社会党支持)、前八木町長の中川泰宏、元会社員の今田浩を制し初当選。当時48歳で、全国で2番目に若い知事の誕生だった。勇退した荒巻禎一の路線を継承しつつ、地方分権時代にふさわしい京都府政の改革を標榜。48万票余りを獲得。「職員の意識改革」などを掲げ、副知事に前商工部長の麻生純、出納長に前企画環境部長の竹内賢樹を登用したうえ、秋には初めての女性副知事として、前総務省大臣官房参事官の佐村知子を起用、新体制を整えた。きょうと青年政治大学校講師を知事就任直後から数回務めた。
2004年2月、京都府船井郡丹波町(現京丹波町)で発生した高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)の感染において、自らを本部長とする高病原性鳥インフルエンザ京都府対策本部を設置。発生農場から30km以内の養鶏農家等に対する鶏、鶏卵等の移動制限を発動。約5km離れた別の養鶏場に飛び火し、世界で初めてカラスへの感染が判明するなど、事態は拡大したが、自衛隊(福知山駐屯地)の出動を要請するなど、徹底した防疫措置を講じた。
2006年4月9日、自民党、民主党、公明党、社民党の推薦を受け、51万票余りを獲得し2度目の当選を果たす。なお、投票率は過去最低の38.44%だった。2010年4月11日、形式的には各政党の推薦を受けず、日本共産党を除く、与野党各党の支援で53万票弱獲得し3度目の当選を果たす。結局、「共産」対「非共産」(民主・自民・公明)という対決構図となった。マニフェストには雇用確保に向けて人材育成策や中小企業支援も盛り込んだ。なお、投票率は前回よりは上昇したが、過去2番目に低い41.09%だった。
2007年4月、当時岩手県知事だった増田寛也(のち総務大臣)の後を引き継いで、全国知事会地方分権推進特別委員長に就任。
2008年3月、前三重県知事の北川正恭が立ち上げた地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合において、神奈川県知事松沢成文、当時宮崎県知事だった東国原英夫らと共に発起人を務めている。
[編集] 家族
妻、2女
[編集] その他
- 2004年に高知県財政課長時代の1989年~91年までの2年間の年金保険料が未納であると社会保険庁から通告されたが、後に自身の給与記録を証拠に差し出し訂正させた[1]。
- 2010年の府知事選の際、マニフェストに「日本で一番厳しい「児童ポルノ規制条例」をつくります。」と掲げた。東京都青少年健全育成条例改正問題があった矢先ということもあり、表現規制や単純所持規制につながるのではないかと物議を醸した[2]。
- ロックバンド・くるりのアルバム『僕の住んでいた街』のブックレットの写真にポスターが写っている。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 43 - 46代:
- 荒巻禎一
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京都府知事
- 47 ‐ 49代:2002.4.16 - (現職)
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- 50代:
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