北垣国道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
北垣国道
Kitagaki Kunimichi.jpg
生年月日 1836年9月17日天保7年8月7日
出生地 但馬国養父郡能座村
没年月日 1916年大正5年)1月16日
死没地 京都府
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
男爵

高知県の旗 第4代 高知県令
任期 1879年 - 1881年

徳島県の旗 第7-8代 徳島県令
任期 1879年 - 1880年

任期 1881年 - 1892年

任期 1892年 - 1896年

任期 1899年 - 1912年

その他の職歴
日本の旗 枢密顧問官
1912年 - )
テンプレートを表示

北垣 国道(きたがき くにみち、1836年9月17日天保7年8月7日) - 1916年大正5年)1月16日)は、幕末期の志士明治時代の官僚政治家幼名捨蔵通称晋太郎静屋

高知県令(第4代)、徳島県令(第7・8代)、京都府知事(第3代)、北海道庁長官(第4代)、貴族院議員勅選)、枢密顧問官を歴任した。

略歴[編集]

功績と評価[編集]

琵琶湖疏水[編集]

北垣国道像。京都市左京区聖護院琵琶湖疏水のほとり

北垣が京都府知事に着任した頃の京都の街は、東京遷都などにより東京大阪などへの人口流出、産業衰退により、都市としての活力が失われつつあった。北垣は、京都の勧業政策として琵琶湖から京都までの疏水建設によって、灌漑上水道水運水車の動力を目的とした琵琶湖疏水を計画した。

疏水の設計は工部大学校(後の東京大学工学部)を卒業した京都府技師田辺朔郎が進め、4年8ヶ月の大工事で完成させた。工期途中で視察のためアメリカ合衆国を訪れた田辺は、当初の計画になかった水力発電を取り入れ、日本初の営業用水力発電所となる蹴上発電所を建設し、1895年には京都・伏見間で日本初となる路面電車京都電気鉄道)の営業運転が始まることとなった。

琵琶湖疏水建設は、国や京都府の財政支出のみならず、市債寄付金などのほか、市民に対しての目的税をも財源とし、府民と一体となって取り組んだ。さらに、京都商工会議所などの創設などに尽力し、近代産業都市としての京都建設に大いに貢献した。

田辺と二人三脚で挑んだ琵琶湖疏水工事の物語が大阪書籍小学校社会科教科書に掲載されていた。現在の京都の政財界において、歴代京都府知事の中で北垣を高く評価する人々が多い。

第三高等中学校関連[編集]

当時大阪市にあった第三高等中学校が京都市内の吉田山に移ったが、その際の新しい校舎の開校式に京都府知事として出席した[4]。この学校は、1894年第三高等学校と改称した[4]第三高等学校は、現在の京都大学[要出典]

剣術の振興[編集]

大日本帝国剣道形制定時の写真(1912年)。前列左から5人目北垣国道

前任の京都府知事槇村正直府令をもって剣術を禁止したが、北垣は知事に就任するや椹木町に「体育場」と称する大道場を設立して剣術を奨励した。1895年(明治28年)、京都に大日本武徳会が設立され、北垣は大日本武徳会の役員を務めた。

高野佐三郎は北垣国道の剣術について、「北垣(国道)男爵は山岡流であるが、実に柔らかでした。あれが本当の山岡流です。一般のゴチゝしたのが山岡流とは言えません」と称えている。

北海道庁長官時代[編集]

  • 1892年(明治25年)、もともと港湾部が浅かった上に土砂の堆積が重なって大型船の接岸が不可能になっていた函館港の改修についての要望書『函館港湾浚渫修築并ニ船渠設置意見上申書』の提出を受け、港内の浚渫砂防堤防波堤灯台の設置、埋立てによる埠頭の建設などの改良工事を指示した。1898年(明治31年)竣工。
  • 北海道庁長官時代の1894年(明治27年)3月、北海道の拓殖と防備を兼ねて北海道官設鉄道を計画。女婿となっていた田辺を招聘し、建設のための調査を依頼した。田辺は上川線(現函館本線の一部)の空知太(現滝川市)〜旭川市間を手始めに、のちの宗谷本線根室本線の一部となる区間の調査と建設指揮にあたった。

文献[編集]

  • 北垣は1881年(明治14年)から1901年(明治34年)にいたるまでの日記「塵海」を残しており、塵海研究会編『北垣国道日記「塵海」』(思文閣出版、2010年、ISBN 978-4-7842-1499-0)として活字化された。北垣の身辺のみならず明治期の政局や地方経営、近代京都の歴史を理解するうえで貴重な一次史料となっている。

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第4837号、明治32年8月15日。
  2. ^ 『官報』第4844号、明治32年8月23日。
  3. ^ 『官報』第8670号、明治45年5月16日。
  4. ^ a b 大学と旧制高校の立地で考える近代京都の地理 (PDF)”. 立命館大学. 2014年3月12日閲覧。


公職
先代:
白根専一
日本の旗 内務次官
第3代:1892 - 1892
次代:
渡辺千秋