松田道之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
松田道之

松田 道之(まつだ みちゆき、天保10年5月12日1839年6月22日) - 明治15年(1882年7月6日)は、日本の内務官僚・政治家。大津県令、滋賀県令(ともに初代)、東京府知事(第7代)などを務めた。琉球処分において中心的な役割を果たしたことで知られる。

来歴[編集]

鳥取藩家老鵜殿氏の家臣久保居明の次子として生まれ藩医木下主計にはじめ養われのち松田市太夫の嗣子となる。藩校尚徳館と咸宜園に学ぶ。幕末は尊皇攘夷運動に傾倒し、明治維新後に内務官僚となる。明治2年(1869年)京都府大参事、明治4年(1871年)大津県令、翌年滋賀県令に就任し、明治8年(1875年)、内務大丞に転任。同年、琉球処分官として沖縄を視察。以後明治12年(1879年)まで琉球処分官として琉球・沖縄を三度訪問し、1879年の琉球処分断行に尽力した。同年、東京府知事に就任。明治15年(1882年)、若くして死亡した。

京都府大参事時代の教師として、京都府顧問山本覚馬の記載がある。[1]山本は家では講座を開いて政治や経済に関する講義をされた。これに習った知名の士を挙げると、官員では、槙村正直・松田道之・藤村紫朗らである。松田も藤村も槇村の下の官員で、のち、松田は滋賀県知事・東京府知事、藤村も大阪府知事に栄転した。なかでも松田はもっとも山本と親交があった。


関連項目[編集]

主な著書[編集]

  • 「琉球処分」1879

参考文献[編集]

  • 木山竹治著 『松田道之』鳥取県教育会 1925年
  • 『鳥取藩史』第一巻 鳥取県立図書館 1969年
  • 青山霞村原著 住谷悦治校訂、田村敬男編集 『山本覚馬伝』 宮帯出版社 2013年 ISBN 978-4-86366-873-7

脚注[編集]

  1. ^ 青山[2013:163]


公職
先代:
松田道之
(大津県より改称)
滋賀県の旗 滋賀県令
初代:1872-1875
次代:
籠手田安定
先代:
(創設)
大津県令
初代:1871-1872
次代:
松田道之
(滋賀県に改称)