出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
この項目では、内務官僚について記述しています。法務官僚の同名の人物については「酒井明 (法務官僚)」をご覧ください。
|
|
政治家の「酒井暊」とは別人です。
|
| この記事には 参考文献や 外部リンクの一覧が含まれていますが、 脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2020年5月) |
| この記事で示されている出典について、該当する記述が 具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 ご存知の方は加筆をお願いします。(2020年5月) |
酒井 明(さかい めい / あきら、1851年(嘉永4年) - 1907年(明治40年)3月10日)は、日本の内務官僚、実業家。尾張国(現愛知県)出身。
尾張藩士・酒井宮橘の息子として生まれる。明治元年(1868年)に明倫堂の訓導に就任。明治5年(1872年)、滋賀県十五等出仕となる。その後、内務権参事などを経て、1880年(明治13年)3月、徳島県大書記官に発令され、同年12月、徳島県令に就任。1886年(明治19年)7月に徳島県知事に就任し1889年(明治22年)12月まで務めた。1892年(明治25年)12月25日、非職満期となり退官した[1]。
退官後は第四十銀行副頭取や日本鉄道会社理事などを歴任した他、旧藩主である尾張徳川家の相談役を務めた。
栄典・授章・授賞[編集]
- 位階
- 勲章等
- ^ 『官報』第2852号、明治25年12月28日。
- ^ 『官報』第1019号「叙任」1886年11月20日。
- ^ 『官報』第2898号「叙任及辞令」1893年3月1日。
- ^ 『官報』第749号「叙任及辞令」1885年12月28日。
- ^ 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。
参考文献[編集]
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
|
---|
官選 |
第一次徳島県 (-1876) |
|
---|
高知県令 | |
---|
第二次徳島県 (1880-) |
|
---|
|
---|
公選 | |
---|
カテゴリ |