長野 士郎(ながの しろう、1917年10月2日 - 2006年12月5日)は、官僚。岡山県知事(6期)。元全国知事会会長。自治事務次官。岡山県総社市出身。東京帝国大学法学部卒業。正三位勲一等旭日大綬章。
[編集] 人物
自治官僚時代の功績としては、地方自治法を解説した『逐条地方自治法』の著者として広く知られ、「地方自治の神様」との異名があった。
岡山県知事就任後は、自治官僚としての経験を活かし、地方振興局(現在の県民局)の設置や吉備高原都市構想を打ち出すなど、先見性に富んだ県政の推進に尽力し、知事を6期24年の長きにわたり務めた。
しかしながらその一方で、在任中の相次ぐ強引な大規模公共事業の展開により、県財政に約8000億円に上る累積債務という負の遺産を残した事を批判する声もある。その意味では岡山県における箱物行政に伴う累積赤字および財政破綻寸前状態を導き出した最大の元凶とも言われる事のある存在でもある。特に前述の吉備高原都市構想や倉敷チボリ公園の誘致、また、それらの運営における甘い見通しや誘致効果の疑問視があいまって、その評価は県内でも真っ二つに分かれる。[1]
自治省内部ではタカ派として知られていた。このため、内務省の後輩に当たる保守系の現職知事への対抗馬として革新統一候補として立候補、当選して知事に就任した時には「長野が革新なら、自治省には保守はいない」と自治官僚達は愉快そうに笑ったという。[2]
[編集] 略歴
- 1917年10月:岡山県総社市生まれ。旧制第六高等学校を経て
- 東京帝国大学法学部を卒業。高等文官試験行政科に合格。
- 1942年4月:内務省入省。
- 1963年9月:自治省選挙局長。
- 1966年7月:自治省行政局長。
- 1969年10月:自治省財政局長。
- 1971年9月:自治事務次官。翌年6月依願退官。
- 1972年10月:岡山県知事選挙に立候補。知事の加藤武徳を破り、初当選。
- 以後6期連続当選。
- 1995年5月:全国知事会会長(1996年11月まで)
- 1996年10月:知事選に出馬せず引退。
- 1999年11月:勲一等旭日大綬章受章。
- 2006年12月:膵臓癌のため死去。享年89。死後、正七位から正三位に昇叙された。
[編集] 著書
- 『逐条地方自治法』
- (森脇博と共著)『地方自治と条例』(港出版合作社)
- 『改正地方自治法逐条解説:第13国会改正部分』(港出版合作社)
- 『逐条地方自治法:解釈とその運用』(学陽書房)
- 『別冊・逐条地方自治法:第四十及び第四十一国会改正点の解説』(学陽書房)
- (宮澤弘と共著)『あすの地方自治を考える:知事対談』(ぎょうせい)
- 『私の海外ノート』(ぎょうせい)
- 『桃の咲くころ』(日本文教出版)
[編集] 脚注
- ^ その後、吉備高原都市は長野の後任である石井正弘によって全事業計画を事実上、完全凍結させられている。さらに倉敷チボリ公園に至っては県側負担が圧倒的に増加した上に2007年に至ってフランチャイズ元であるチボリ・インターナショナルとの契約の継続を断念。さらに2008年にはチボリ・ジャパンの解散と倉敷チボリ公園の年内12月31日付けの閉園が決定され、結局これら事業は計画当初から囁かれていた通り、事実上の失敗に終わっている。
- ^ 神一行『自治官僚』講談社文庫
[編集] 関連項目