倉敷チボリ公園

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チボリ・ジャパン株式会社
Tivoli Japan Co., Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
〒710-0813
岡山県倉敷市寿町12番1号
設立 1990年平成2年)2月20日
業種 サービス業
事業内容 遊園地の経営及び設計並びに運営のコンサルティング
代表者 代表清算人:坂口正行
資本金 160億9000万円
発行済株式総数 32万1800株
特記事項:2009年平成21年)1月1日解散、2009年平成21年)8月26日清算終了。
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倉敷チボリ公園(2008年平成20年)7月倉敷駅北口より)
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倉敷チボリ公園(くらしきチボリこうえん)は、岡山県倉敷市寿町(JR倉敷駅北口前)にあった公園、都市型テーマパーク

目次

[編集] 概要

1997年平成9年)、旧倉敷紡績倉敷工場跡地に開園。デンマークコペンハーゲンにある世界最古のテーマパークで、数々の童話を世に送り出したハンス・クリスチャン・アンデルセンが頻繁に訪れた事でも知られる「チボリ公園」をモデルとしており、園内にはデンマークやアンデルセンをイメージしたアトラクションや庭園、ショップ、レストラン、劇場などが点在していた。

敷地面積は約12ヘクタール。2008年平成20年)11月の時点では、園内には20のアトラクション、13の土産物店、14のレストランがあった。

運営は、岡山県などが出資する第三セクターチボリ・ジャパン株式会社が行っていた。経営難のため、2008年平成20年)12月31日の営業終了(正確には2009年平成21年)1月1日の午前1時)をもって閉園し、11年の歴史に幕を下ろした。

[編集] 園内

シンボルは中央の「プレーネン広場」に接した「チボリタワー」と観覧車「チボリバルーン」。また「アンデルセンホール」や「カルケバルン劇場」などのホールがあり、アンデルセンホール前に「チボリ湖」と称する池が存在していた。アトラクションとしてはロイヤルコペンハーゲンのティーカップをイメージした「ロイヤルティーカップ」、北欧神話主神オーディンから名付けられたジェットコースター「オーディンエクスプレス」などがあった。開園当時は企業の後援を得たレストランも複数存在したが、利用者の低下に伴い末期には僅かとなっていた。なお、自前の駐車場はなく、車での来園者は北側隣接地の「倉敷駅北駐車場」(岡山県開発公社所有・運営)[1]または周辺の民間時間貸駐車場を利用していた。

[編集] 沿革

[編集] 誘致から開園まで

岡山市が市制施行100周年(1989年平成元年))の目玉事業として1986年昭和61年)、岡山市北長瀬、北長瀬表町、野田にまたがる国鉄岡山操車場(当時休止中)用地にチボリ公園を誘致する構想を発表した。1990年平成2年)2月には岡山県と岡山市が出資する第3セクター、チボリ・ジャパン社が設立され、1990年平成2年)8月には岡山操車場およびJR貨物西岡山駅旧駅跡地の国鉄清算事業団用地(面積15.4ヘクタール、現・岡山操車場跡地公園)を特殊公園の「岡山チボリ公園」とし、その東側を駐車場用地とする都市計画決定が行われた。

しかし同じ月にチボリ・ジャパン社のずさんな経営が発覚し、地元から公園誘致に対する反対の声が強まったため、推進派だった岡山市長の松本一は1991年平成3年)1月に辞職し市長選に再出馬したが、松本はチボリ計画見直しを掲げる対立候補の安宅敬祐に敗れ、新市長の安宅は当選後、計画からの撤退を決めた。一方岡山県知事の長野士郎は岡山市の計画撤退表明後、倉敷駅北側のクラボウ倉敷工場(旧万寿工場、面積12.0ヘクタール)が閉鎖されることが明らかになったのを受け、1991年平成3年)9月、倉敷市長の渡邊行雄に対してチボリ公園の受け入れを要請した。

土地所有者のクラボウは1993年平成5年)6月、倉敷工場跡地へのチボリ受け入れを決め、9月には倉敷市議会もチボリ誘致を決定したものの、事業そのものについては倉敷市が建設費用助成として100億円を負担するにとどまり、ともに公園事業への直接参加にはいたらなかった。さらに1994年平成6年)4月には計画の中核企業だった阪急が撤退したため、チボリ公園は岡山県の単独事業となった。1995年平成7年)5月に岡山県はクラボウと工場跡地の賃貸借契約を締結してチボリ・ジャパン社に転貸。公園施設の工事は1995年平成7年)9月に始まり、2年後の1997年平成9年)7月18日に開園した。 

[編集] 開園後

年度別 倉敷チボリ公園入園者数
年度 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008
入園者数(人) 2,986,471 2,941,021 2,380,300 1,819,548 1,340,072 1,162,175 1,091,068 1,105,065 910,196 819,603 752,538 798,795

(注)1997年平成9年)は7月から3月までの9箇月間の、2008年平成20年)度は4月から12月末までの9箇月間の入場者数。

開園直後のお盆期間には東京ディズニーランドに次いで多い入場者数を記録し、開園後の数年間は200万人台の入園者数を誇っていたものの、年々利用者数は減少した。2001年平成13年)4月には、経営の立て直しを期待して民間から起用された髙谷茂男が社長に就任し、業務の見直しによる経費の大幅な圧縮・削減や、より庶民的なイベント企画などが取り組まれた結果、入園者の激減には歯止めがかかり、年間110万人前後で横ばいとなった。しかし、2005年平成17年)9月に髙谷が退任(10月に岡山市長に当選)する前後から状況は再び暗転し、2005年平成17年)度からはついに100万人以下に割り込む状況となった。

この状態を立て直すために、2007年平成19年)4月に入場料金などの料金改定を行うなどの再建計画を行って来たが、同月にチボリ・ジャパン社はデンマークのチボリ・インターナショナル社との運営契約の更新を断念した。これにより、「チボリ」の名称が2009年平成21年)1月1日をもって使用出来なくなることとなった。

岡山県はその後、2009年平成21年)以降は県民ないし倉敷市民の公園として活用する方向で検討し、チボリ・ジャパン社長の坂口正行は公園面積を3分の1に縮小し残りの土地を三井不動産開発主導でアウトレットモールを誘致する考えを示した。また、5月にはチボリ・ジャパン副会長の伊原木一衛天満屋会長)が取締役会の席でデンマークのチボリ社と再契約の上で完全民営化する提案を出す[2]など、さまざまな提案がなされた。

しかし、こういった計画はどれも具体的なものにはならず、2008年平成20年)5月に新倉敷市長となった伊東香織も、具体案は打ち出さず、むしろ撤退を推進した。

[編集] 終焉

2008年平成20年)8月6日、チボリ・ジャパン社取締役会において、坂口社長が前述した自らの提案は県や市の支援を得られず実現出来ないと表明。2008年平成20年)12月31日付での事業廃止ならびに同社解散を全会一致で可決した。これにより同日のカウントダウンをもって閉園することが決まり[3]2008年平成20年)8月26日の株主総会で87%の賛成(反対12%、棄権1%)を得て正式に決定した。最終年度となった2008年平成20年)度は、閉園間際の駆け込み需要のため、開業以来初めて黒字となった[4]2009年平成21年)1月に清算会社に移行したチボリ・ジャパン社は2009年平成21年)8月26日に清算が終了した。

[編集] 閉園後の動向

岡山県がクラボウから賃借していた公園用地は遊具などの施設の解体が進められ、2010年平成22年)2月に県から所有者のクラボウに返還された。クラボウは返還後の用地の再開発についてイトーヨーカ堂を事業主体に選んだ[5]

倉敷市は跡地の再開発を行い、2011年(平成23年)11月23日、倉敷みらい公園がオープンした。

イトーヨーカ堂は三井不動産と共同で再開発にあたり、イトーヨーカ堂の「アリオ倉敷」が2011年平成23年)11月24日三井不動産の「三井アウトレットパーク 倉敷」が2011年平成23年)12月1日にオープンした。[6]

[編集] 成人式

開園後2000年平成12年)より恒例となっていた当園での倉敷市の成人式2008年平成20年)12月の閉園により中止、2009年平成21年)成人式は倉敷マスカットスタジアムで行われることが決定した[7][8]。市は1999年平成11年)成人式まで行われていた倉敷、玉島、児島地区の3地区分散開催をも検討していたが2000年平成12年)以降実施していたチボリ公園での一括の成人式の参加率が軒並み7割を超えるものだったことから一か所での式開催に踏み切ったものと思われる。

[編集] その他

当園近くの山陽マルナカの店舗は「チボリ店」と名乗っている[9]。閉園後も変更されなかったこの店舗名は、かつてチボリ公園があったことを今なお偲ばせている。

[編集] 画像

[編集] 脚註

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

座標: 北緯34度36分12.2秒 東経133度45分51.7秒

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