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元岐阜県知事 梶原 拓
| 生年月日 |
1933年(昭和8年)11月14日 |
| 出身地 |
岐阜県岐阜市本郷町 |
| 最終学歴 |
京都大学法学部卒業 |
| 学位 |
法学士 |
| 前職 |
岐阜県副知事 |
| 世襲の有無 |
無 |
| 在任期間 |
1989年(平成元年)2月6日
‐ 2005年(平成17年)2月5日 |
| 当選回数 |
4回 |
梶原 拓(かじわら ひろむ、1933年(昭和8年)11月14日 - )は、岐阜県岐阜市出身の政治家。岐阜県立岐阜高等学校、京都大学法学部卒。前岐阜県知事、旭日大綬章受章者。氏名の読みは一般にはかじわら たくとして知られる。
[編集] 概要
県立岐阜高校、京都大学を卒業後、旧建設省に入省し、都市局局長等を歴任。1985年に当時の上松陽助知事のもと、副知事となる。その後、1989年(平成元年)に夢おこし県政を掲げ岐阜県知事に初当選。以降4期16年岐阜県の知事を務め、全国知事会長も歴任した。ソフトピアジャパン、徳山ダムなどのハコモノ行政を行い県財政を悪化させた。
1997年、国から東京都に配分される道路財源について、「整備が進んでいる東京は道路特定財源を飲んだり食ったりしていいが、我々はそうはいかない」と発言。さらに、「日本の政治は一部の東京の有識者と称する人に振り回されている。彼らは東京というタコツボに住んでいて地方のことを全然知らない、東京タコツボに住んでおる東京タコ」と東京中心主義を痛烈に批判し、地方からの共感を呼んだ。
2006年(平成18年)10月2日市民団体が梶原元岐阜県知事の個人秘書・諸経費・公費負担問題で監査委員に住民監査請求を行なわれた[1]が、棄却されている[2]。
現在は、日本再生研究会(再生日本)代表。
[編集] 略歴
- 1956年:建設省入省
- 1985年:岐阜県副知事に就任。
- 1989年:岐阜県知事に初当選。
- 2003年1月:前立腺がんであることを公表
- 2003年6月:治療入院
- 2003年9月:全国知事会会長就任
- 2005年2月:健康上の問題を理由に岐阜県知事を退任。同時に全国知事会の会長職から退く。
- 2006年5月:旭日大綬章受章
- 2006年:岐阜県庁の職員による裏金工作が発覚→岐阜県庁裏金問題。
[編集] 文献
[編集] 著書
- 『都市情報学』ぎょうせい、1985年4月
- 『道路情報学』ぎょうせい、1985年1月
- 『THE地域活性化大学』実業之日本社、1989年7月
- 『長良の川風 - 21世紀の前触れを探る』ぎょうせい、2000年
[編集] 共著
- 『ブレイクスルー』日比野省三著、講談社 、1993年11月
- 『明日の都市づくり - ヒューマン・イノベーション・シティの創造』日本計画行政学会著、学陽書房、1989年2月
[編集] 編書
- 『情報社会を生き抜く - 「情場」理論と実践』岐阜新聞社出版局、1998年6月
- 『国土情報学』ぎょうせい、2000年3月1日
- 『自治体職員のための地域情報学』ニューメディア、2002年8月15日
[編集] 脚注
- ^ 市民団体 岐阜県民ネットワーク
- ^ 岐阜県 監査結果
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 先代:
- 土屋義彦
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- 全国知事会会長
- 2003 - 2005
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- 次代:
- 麻生渡
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