奄美大島
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奄美大島(あまみおおしま)とは、九州南方海上にある奄美諸島の主要島。単に大島ともいう。面積712.35km2であり、本州など4島を除くと佐渡島に次ぎ面積5位の島[1]。(大きな方から順番に、択捉島-国後島-沖縄本島-佐渡島-奄美大島)
目次 |
[編集] 行政
鹿児島県に属し、以下の市町村からなる。
奄美市以外の町村は全て大島郡に属する。
[編集] 都市圏
金本良嗣・徳岡一幸によって提案された都市圏。細かい定義等は都市雇用圏に則する。一般的な都市圏の定義については都市圏を参照のこと。
| 自治体 ('80) |
1980年 | 1990年 | 1995年 | 2000年 | 自治体 (現在) |
|---|---|---|---|---|---|
| 住用村 | - | - | - | 名瀬都市圏 5万9676人 |
奄美市 |
| 笠利町 | - | - | - | ||
| 名瀬市 | 名瀬都市圏 4万9021人 |
名瀬都市圏 5万4524人 |
名瀬都市圏 5万2324人 |
||
| 龍郷町 | - | 龍郷町 | |||
| 大和村 | - | 大和村 | |||
| 宇検村 | - | - | - | - | 宇検村 |
| 瀬戸内町 | - | - | - | - | 瀬戸内町 |
- ※10%通勤圏に入っていない自治体は、各統計年の欄で灰色かつ「-」で示す。
[編集] 産業
- 農業は米、サトウキビ、サツマイモの生産が主である。
- 米は二期作が行われている。
- 漁業
- 奄美諸島(大島税務署の管轄区域)でしか認められていない黒糖焼酎の製造が行われている。
- 伝統工芸の大島紬は和服用の生地として極めて評価が高いが、和服を着る習慣の衰退のほか、島内業者による韓国での生産指導・奨励もあって、韓国産や中国産の輸入紬に押され気味であり、一時期は業界で300億円以上もあった売り上げが、いまでは1/10程度まで落ち込んでいる。
- 観光業
[編集] 交通
[編集] 空路
- 奄美大島空港 - 奄美市
- 日本エアコミューター(JAC)
※かつては与論空港へも就航していたが現在は休止しており、沖永良部空港経由での利用で直行と同額の割引運賃が設定されている。
- 琉球エアーコミューター(RAC)
- - 那覇空港
[編集] 航路
- 名瀬港(名瀬新港・旧港) - 奄美市
- マリックスライン・マルエーフェリー(2社で毎日運航)
- マルエーフェリー
- 奄美海運(マルエーフェリー系列)
- 鹿児島港(本港) - 喜界島(湾港) - 奄美大島(名瀬新港) - 奄美大島(古仁屋港) - 徳之島(平土野港) - 沖永良部島(知名港)
- 十島村 - 「フェリーとしま」
- 古仁屋港 - 瀬戸内町
- 奄美海運(マルエーフェリー系列)
- 鹿児島港(本港) - 喜界島(湾港) - 奄美大島(名瀬新港) - 奄美大島(古仁屋港) - 徳之島(平土野港) - 沖永良部島(知名港)
- 瀬戸内町 - 「フェリーかけろま」
- 古仁屋港 - 加計呂麻島(瀬相・生間)
- 瀬戸内町 - 「せとなみ」
- 古仁屋港 - 請島(請阿室・池地) - 与路島
[編集] バス路線
[編集] 一般路線バス
[編集] 道路
[編集] 一般国道
[編集] 主要地方道
[編集] 植物相
ガジュマル、アダン、ビロウ、ヘゴ、ソテツなどの樹木やバナナ、パパイヤ、マンゴー、パイナップルなどの熱帯果実が実る。
[編集] 文化
日本の歴史に登場するのは7世紀で、遣隋使や遣唐使以前から交易の中継地点として、また西郷隆盛や俊寛(僧)らの流刑場所として、中国、大和、琉球文化の影響を受けてきた(島を代表する生産品である黒砂糖や大島紬も中国から伝わり、主な輸出品とされていた)。九州島以北の文化の影響よりも沖縄本島を中心とした文化の影響の方が若干強く、奄美方言は琉球方言の一部として扱われている。ただ、奄美の人々は自らの文化と沖縄文化を完全には同一視しておらず、南は徳之島まで、北は奄美大島・喜界島までを奄美文化圏として認識している。
1185年の壇ノ浦の戦いで敗れ落ち延びてきた平家たちが奄美を平定し、平安文化と島独自の文化が融合して、重要無形民俗文化財の諸鈍芝居(諸鈍シバヤ)、島唄などの独自文化が生まれたとも言われている。1609年の薩摩藩による琉球王国への侵攻以降は、奄美諸島は琉球王国と分離され直接支配を受け、苦渋の生活を強いられた。薩摩藩は奄美の支配よって砂糖による莫大な利益を享受し、また当初からの目的であった琉球王国を窓口とした中国との貿易による利益と相まって、明治維新まで藩財政を支え続けた。
- 唄者出身の歌手である元ちとせ、中孝介、里アンナらの活躍で注目される奄美民謡は「シマ唄」と呼ばれる。シマ唄の歌い手は「唄者」と呼ばれる。注意すべきなのは、奄美民謡でいう「シマ」とは個々の集落のことであって、島全体のことではないという点である。すなわち、集落ごとの唄がシマ唄なのである(但し、奄美民謡全体を指して「島唄」という言い方をする場合もある)。
- 「島唄」という語は本来、奄美民謡を指すものだが、THE BOOM(日本のロックバンド)により歌われヒットした「島唄」が沖縄民謡のイメージを前面に押し出して作られた曲である為、この語がむしろ沖縄民謡を指して使用されるようになったという説もある(但し、THE BOOMが「島唄」を初めて収録したアルバム「思春期」を発売した1992年1月以前から、沖縄民謡を指して「島唄」と呼んだ事例もあるので、判断は難しい)。
- 沖縄民謡が琉球音階(ドミファソシ)を用いているのに対し、奄美民謡は、律音階(ミシ抜き)独自の音階(ドレファソラ)を用いる。シマ唄は大きく見て、北部の民謡(カサン)と南部の民謡(ヒギャ)で歌い方が若干異なっている。唱法は男女ともファルセットが基本であり、これは元ちとせら唄者出身のポップ歌手の特徴ともなっている。なお、奄美の外では通信販売を除いて殆ど流通していないが、奄美市名瀬のレコード店が1962年頃から独自にシマ唄のレコーディングを行い、カセットやCDとして販売を続けている。
- 三味線
- 奄美のシマ唄も沖縄民謡と同じように三線を使用するが、両者で大きく異なるのはバチである。沖縄の三線奏者は指先に嵌めて使うツメを用いるが、奄美の奏者は細くしなやかな竹串状のバチを用いる。沖縄のツメではダウンピッキングが中心となるが、奄美のバチはしなやかなのでオルタネイトピッキングが容易であり、奄美の三味線奏者は特にアップピッキングを利用して独特のリズムを生み出す。また弦も沖縄より細い物を使いキーも高い。基本的には座った状態で三線を構えるのが奄美流であるが、戦前には「道弾き三味線」と呼ばれる、立って三線を構える奏法も存在した。その後このような奏法は廃れていたが、1977年に坪山豊が琉球放送の番組収録の為に沖縄島を訪れた際、知名定男にストラップを使用して立って弾く奏法を教えられ、それを奄美に持ち帰った坪山の影響でストラップを用いた奏法が広まったとされる。
- 宗教
- 島内には、各集落ごとに複数の神社が見られ、仏教寺院は少ない。現在の墓形式は本土と同じであり、沖縄の亀甲墓は見られない。但し「城間トフル墓群」と呼ばれる亀甲墓の前時代形式の墓所が存在し(南西諸島の墓制の北限と言われる)、隆起した砂丘に十数基の横穴墓がある。400年以上前に構築されて以来そのすべてがほぼ完全な形で残り、内九基が今も墓として使われている。また、奄美にはノロと呼ばれる巫女が存在しており、ノロを中心とした民俗信仰が残存している。
- 伝統的船舶
- 奄美の伝統的な船舶は、板付き舟(イタツケ)と呼ばれる構造船である。これはサトウキビの運搬などに適した安定性重視の舟であり、極めて安定性に乏しいがその分、剽悍な運動性と速度を特徴とする沖縄のサバニとは異なっている。現在でも板付き舟は競争競技や学校教育に利用されている。また、イタツケより大型の八尋船と呼ばれる帆漕船も存在していた。明治維新後に糸満の漁民がサバニに乗って奄美周辺での操業を開始すると、奄美の漁民もこれへの対抗上、より漁業に向いた船舶を必要とした為、サバニと板付き舟の折衷形であるアイノコが考案された。ただ、現在ではアイノコを建造出来るのは奄美市名瀬の船大工2名のみとなっている。
- 人物
- 田中一村
- 栃木県出身の日本画家。
- 後半生を奄美大島で過ごし、日本画の技法で亜熱帯の文物を描いた数々の名作を残した。一村は生前は不遇のままであったが、死後にマスメディアが「日本のゴーギャン」などのキャッチフレーズで称揚し、一躍大人気となった。空港に近い「奄美パーク」内には田中一村記念美術館が建設された。
- 渡久地政信
- 沖縄、奄美のビート感を本土歌謡曲へ取り入れ、その音色を全国に轟かせた重要な作曲家。
- 1916年(大正5年)10月26日、沖縄県恩納村に生まれ、少年期を奄美大島(龍郷町)で過ごす。日本大学芸術科卒業後、1943年(昭和18年)に歌手デビューしたが、名声を得られず1951年(昭和26年)に作曲家へ転向。デビュー作は「夢のユイササ」。「上海帰りのリル」「お富さん」「島のブルース」「夜霧に消えたチャコ」など数多くのヒット曲を生んだ。1959年(昭和34年)、第1回日本レコード大賞作曲編曲賞を受賞。戦後米軍に統治されていた沖縄・奄美諸島の人々に夢を与えた。1988年(昭和63年)、日本レコード大賞功労賞を受賞。1998年(平成10年)9月13日、肺炎のため死去(享年81)。現在龍郷町に記念碑がある。
- 親族には我那覇美奈(がなは みな - 歌手)、緑義人(みどり よしひと - サーフィン)など。
[編集] 観光
前述の田中一村美術館の他、中部の山岳地帯にある金作原原生林のトレッキング、南部の奄美市住用町のマングローブ林、同じく南部の瀬戸内町の珊瑚礁などが有名である。瀬戸内町内の大島海峡ではシーカヤックも盛んであり、毎年夏には「奄美シーカヤックマラソンin加計呂麻」が開催されている。
[編集] 天然記念物
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 国立天文台(編) 平成19年 理科年表 p.565 ISBN 4621077635

