新城島

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上地島
Kamiji island 01.jpg
座標 北緯24度14分02秒
東経123度56分40秒
面積 1.76[1] km²
海岸線長 6.2[2] km
最高標高 13.1 m
所在海域 太平洋
所属諸島 八重山諸島
所属国・地域 日本の旗 日本・沖縄県八重山郡竹富町
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下地島
Shimoji island 01.jpg
座標 北緯24度12分56秒
東経123度55分46秒
面積 1.58 km²
海岸線長 4.8 km
最高標高 20.4 m
所在海域 太平洋
所属諸島 八重山諸島
所属国・地域 日本の旗 日本・沖縄県八重山郡竹富町
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新城島の航空写真
沖縄本島と八重山列島の位置図

新城島(あらぐすくじま)は、沖縄県八重山郡竹富町にあるで、上地島(かみぢじま)及び下地島(しもぢじま、沖縄県宮古島市に属する下地島とは異なる)の2つ島の総称である。八重山諸島に属している。離れた2つの島からなることから、現地の方言で「離れ」を意味するパナリまたはパナリ島とも呼ばれる。全島が西表石垣国立公園に含まれる。

概要[編集]

集落は、上地島の西海岸中部、及び、下地島の北部にそれぞれ位置する。

上地島の大部分は森で覆われている。上地島では、新城島民宿が営業しており(2009年9月現在)、また、パナリ島観光が石垣島からのツアー受け入れと島内観光を営業している。金融機関郵便局郵便ポストはある。上地島に1箇所)、商店・公衆電話・公衆便所・警察署・駐在所・消防署・診療所・信号は無い。上地島にはかつて小学校もあった。小学校跡地は川上社団(代表社員川上浩)の所有地となっており、パナリ島観光の休憩所として使用されている。上水道(西表島より送水)・電気・NTT回線は通じている(2009年9月現在)。上地港周辺には無人の家が数軒とヤマハリゾート跡の廃墟がある。ヘリポート(ヘリポートによる急患移送 2006年1人 2007人0人 2008年0人[3] )や防波堤も整備されており、防波堤には6億5千万円の費用がかけられた。2010年3月現在、南風対策として上地港防波堤(西)工事(1工区)延長70m、上地港防波堤(西)工事(2工区)延長100mが施工中である。の時期には島の出身者が戻り賑わいをみせる。

下地島では牧畜業が営まれ、外周部の森と海岸以外は全体がパナリ牧場と呼ばれる肉用牛の牧場になっている。

上地島と下地島の間は約420mあるが、東側はリーフで繋がっており、干潮時には一部水面上に表れて、歩いて渡ることができる。 上地島・下地島とも、各社携帯電話の基地局はないので一部海岸沿い以外では携帯電話は通じない。

島周辺は、かつての南西諸島におけるジュゴンの最大の生息地の一つであったとされ、人頭税の件もあり過去の捕獲数も非常に多かったが、沖縄本島以外では絶滅したと考えられる現在ではその姿を見ることはできないとされる (平成22年に西表島との間の海峡で目撃情報が報告されている[4])。

人口[編集]

住民基本台帳による。いずれも3月31日現在

  • 平成17年:上地島5人 下地島2人
  • 平成18年:上地島6人 下地島2人
  • 平成19年:上地島9人 下地島2人
  • 平成20年:上地島8人 下地島2人
  • 平成21年:上地島10人 下地島3人

観光客数[編集]

  • 入域観光客数(月別)2010年1月77人 2月121人 3月196人[5]
  • 入域観光客数(年別)2007年1,874人 2008年1,931人[5]

歴史[編集]

成宗8年(1477年)に朝鮮済州島の漂流民3人が与那国島の島民に救助された際、波照間島の次に「勃乃伊島」に護送されたとあり、これが新城島の事とみられる。漂流民らによると波照間島からは一昼夜で着き、島は平坦で2日ほどで一周できた。民家は40戸余で、男女ともに青い玉を腕輪や足輪としていた。また、キビアワが栽培されていたが、米は西表島で入手していたという[6]

近世初頭には、琉球王国の2島・6間切のうち黒島に属した。水田がないため、島民は西表島の南風見村にで通って耕作を行った。1893年明治26年)に八重山列島を訪れた笹森儀助は、南風見村の東の海岸に新城島や黒島の農民の小屋が数軒あり、数十人がいると記録している[7]。なお、南風見村は1920年(大正9年)に廃村となったが[8]1938年昭和13年)から入植が始まり、大原集落が形成された。第二次世界大戦沖縄戦では新城島民は大原集落への疎開を命じられたが、同地でマラリアにかかる者が多発し、1945年(昭和20年)には島の人口255名中、24名が死亡している[9]

1955年(昭和30年)頃から西表島や石垣島への転出が増加し、下地島は1963年(昭和38年)に無人島となった。1975年(昭和50年)には、長年望まれていた西表島からの海底送水が実現したが、過疎化のため上地小学校は廃校となった。

名所・旧跡・自然その他・祭事・催事[編集]

タカニク
中森(波照間ムリ)

旧跡[編集]

新城島には古琉球から近世にかけての遺跡が多数ある。

  • 先島諸島火番盛(国の史跡
    • タカニク(上地島):かつてはニシヌブシヌヤー(北の武士の居館)があったとされる。八重山式土器や輸入陶磁器が発掘されている。
    • 中森(波照間ムリ)(下地島)
  • その他の上地島の遺跡
    • ブシヌヤー遺跡:「武士の居館」という意味の遺跡。
    • ポーンヤマ遺跡:パイヌブシヌヤー(南の武士の居館)と呼ばれ、砂浜に突き出た岩の上に石垣が築かれている。一辺3mほどの方形の石積墓が6基あり、やはり土器や陶磁器が見つかっている。
    • ウブドゥムル遺跡:ウブドゥ村の跡といわれ、屋敷囲いがある。
  • その他の下地島の遺跡
    • ナーシキ貝塚:八重山式土器やパナリ焼などが発掘された。
    • 伝・ウィスク村跡遺跡:大量の土器と輸入陶磁器が発掘されている。
    • 伝・ナーメ村跡遺跡
    • 伝・フザトゥ村跡
    • 伝・マヒヤン村跡遺跡
    • 伝・アラスク村跡遺跡
    • 伝・フカバレー村跡遺跡

御嶽[編集]

  • 東(あーりい)御嶽(上地島):人魚神社とも呼ばれ、ジュゴンを祀る。かつてはジュゴンの肉を食用としていた。鳥居の横に「島の住民以外立ち入り禁止および写真撮影禁止」と書かれている。
  • 西(いーりい)御嶽(上地島):鳥居のところに、「これより先は立ち入らないで下さい 新城公民館長」と書かれた立て札がある。
  • 上地美御嶽(上地島):集落から離れたところにある。
  • 下地島(1箇所):島の南西部にある。最近関係者により整備された。島の西側を通り港からこの御嶽へ通じる道も整備された(2009年9月現在)。

上地島港には「来島者へお願い 1.無断でお宮に入ったり、勝手に願い事をしてはならない 新城島公民館長」と書かれた看板が掲示されている(2004年7月)。御嶽信仰では御嶽は聖域であり祭司以外は住人でも立ち入らせずとくに男子禁制である。願懸けの対象とさせないことも伝統とされる。

海岸・海[編集]

下地島南の海岸
下地島南西端の海岸
新城島沖のサンゴ
  • 南ビーチ(上地島):浜崎海岸
  • 桟橋近くの小さな海岸(上地島): 恋路ヶ浜
  • 難破船の海岸(下地島南西端):木造の難破船が海岸に打ち上げられている。西表島からのシーカヤックツアーは通常ここに上陸する。早朝、牧場の牛がここへ来て塩分を摂るため砂をなめている。
  • 上地島・下地島の間の海:多くのクマノミを見ることができる。シュノーケルポイントになっている。
  • 新城島マイビシ海中公園:西表石垣国立公園の海中公園のひとつ。面積48.2ha。昭和52年7月1日指定。
    • 竜宮の根(下地島西方):新城島マイビシ海中公園にあるダイビングポイント。イソバナとそれに群がる小魚が美しい。

その他[編集]

  • 物見台 クイヌバナ(上地島 竹富町史跡 昭和47年8月30日指定)
  • 展望所(下地島桟橋横):木製のテラスがある。上地島南端の浜崎海岸が望める。
  • ヤマハリゾートの廃墟(上地島)
  • パナリ牧場(下地島):総面積96.3ha、牧草地面積58.4ha、採草地面積37.9ha。総飼育頭数424頭、放牧頭数203頭、成雌頭数220頭、生産頭数213頭(平成19年12月末)[10]。生産された子牛は石垣島へ運ばれ八重山家畜市場で競りにかけられる。

祭事[編集]

  • 豊年祭(上地島):旧6月。アカマタ・クロマタ・獅子舞。秘祭として有名であるが、現在では島の出身者およびその関係者400人以上が参加見学する祭りとなっている。[要出典]。豊年祭が開催される時期(前後の準備期間を含む)は、祭関係者以外の上地島への入島・桟橋への接近接岸・海岸への接近・接岸は、住民に拒否されている。従って石垣島・黒島等から開催されているツアーでも上地島への上陸はできない。また、島唯一の宿泊施設である新城島民宿も観光客に対しては休業する(2009年7月実績および当時の上地島公民館長の話による)。
  • 結願(上地島):旧8月。ミルク練行列、舞踊。
  • 節(上地島):旧7月~8月。巻踊り。

上地島港には「祭事における注意事項 カメラ等の撮影禁止 祭詞・歌の録音禁止 スケッチ等の禁止夜間部落外への行動及び単独行動禁止 以上4項目を固く禁ずる」と書かれた看板が掲げられている(2004年7月)。

竹富町指定無形民俗文化財[編集]

  • 民謡の部:越の頂節、サーサー節、パナリヤーマーぬ前の海、越後節
  • 舞踊・狂言の部:越の頂節、サーサー節、パナリヤーマーぬ前の海、クイヌウベ狂言、節祭の巻踊
新城島両島の空中写真。この写真は上方が北西方角である。1977年撮影の7枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

交通[編集]

空港はない。上地島の集落近くには上地港、下地島北端には下地港があるが、定期航路はない。安栄観光では、5名以上での希望があれば、石垣島から西表島行きの船を新城島(上地島)に臨時寄港させている。また、石垣島・西表島・黒島のマリンサービス各社では、船によるツアーや、西表島からシーカヤックでのツアーを開催している(2010年4月現在)。

なお、2005年3月に、西表島からのシーカヤックツアーの帰路でガイドを含め3人が死亡する事故が発生している[11][12]

その他[編集]

  • 1989年に放送されたテレビドラマ『空と海をこえて』で、主人公達のワークキャンプの舞台に使用された。

脚注[編集]

  1. ^ 沖縄の島面積
  2. ^ 石垣港離島ターミナル 八重山諸島データ
  3. ^ 沖縄県八重山支庁総務・観光振興課
  4. ^ {{|date=2011年}}荒井修亮 ジュゴン Dugong dugong -沖縄におけるジュゴンの生態に関する文献等調査-(PDF)京都大学大学院情報学研究科、2013年12月20日閲覧
  5. ^ a b 竹富町統計資料
  6. ^ 『李朝実録』
  7. ^ 『南嶋探験』
  8. ^ 『八重山歴史』
  9. ^ 『新八重山』
  10. ^ 八重山家畜保健衛生所
  11. ^ 新城島付近シーカヤックの3人不明 観光客親子とガイド 八重山毎日新聞、2005年3月24日
  12. ^ 母娘ら3人の捜索打ち切る 石垣海上保安部 八重山毎日新聞、2005年4月3日

参考文献[編集]

  • 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館 (『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)

外部リンク[編集]