沖永良部島

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沖永良部島
Amami okinoerabu.jpg
座標 北緯27度22分08秒
東経128度34分00秒
座標: 北緯27度22分08秒 東経128度34分00秒
面積 93.65 km²
海岸線長 50 km
最高標高 240 m
最高峰 大山(おおやま)
所在海域 太平洋東シナ海
所属諸島 奄美群島
所属国・地域 日本の旗 日本鹿児島県
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沖永良部島の位置
(図中、左下。赤丸内)

沖永良部島(おきのえらぶじま、おきえらぶじま)は奄美群島の南西部に位置する鹿児島県大島郡に属し、九州本島から南へ536km、沖縄本島から北へ約60km、北緯27度東経128度付近に位置する。和泊町知名町の2町からなり平成24年1月1日現在の和泊町人口(男3495)(女3601)計7096人、知名町人口(男3366)(女3305)、計6671人両町の合計人口13767人(2012年)。

島の名前の読みについては、1973年(昭和48年)に当時の和泊町長が町議会で「おきのえらぶじま」が正式であると答弁している。和泊町議会において「おきえらぶじま」と「の」を抜いた形での呼称統一を決議したものの、町側は区長会や観光協会、地女連など町内5団体と意見交換した結果、いずれも「変更の必要なし」との結果になった。これらを踏まえ、同町はどちらも正しいとして「変更の必要はない」と結論付けた[1]。会話の上では単に「えらぶ」と呼ぶ場合が多い。

西郷隆盛の流刑地だったため、東京都上野公園鹿児島市鹿児島市立美術館霧島市西郷公園同様、西郷隆盛像がある。

地理[編集]

田皆岬の石灰岩の絶壁

東西に細長いオカリナないしはひしゃくの形をしており、西側は大山を中心としてほぼ円形状である(同じ奄美群島の喜界島と形はよく似ている)。東西約20km・西辺の南北が約10km、面積93.65km²。南北に伸びる琉球海溝の西側に連なる南西諸島に属する。ちなみに面積は東京都伊豆大島よりも大きい。

隆起サンゴ礁の島で、全島ほとんどが裾礁型のサンゴ礁起源石灰岩第四紀層の琉球石灰岩)で被われている。島の西部に最高地点の大山(標高240m)がある。大山を中心とした知名町側の地域には、幾段かの段丘地形を呈して石灰岩の広い分布が見られる。大山山頂部や越山などにわずかに古生層や新第三紀の花崗閃緑岩からなる基盤岩の露出が見られるが、石灰岩の溶食量を考えると、かつては全島が海面下に沈んでいたらしい。

同じ奄美群島において大部分が古生層からなる奄美大島や、古生層地域が多い徳之島などと比べると地学的な多様性は少ない。しかし全島が隆起サンゴ礁の島である与論島喜界島などに比べると、比較的多様性のある自然環境を呈し、特に大山山頂部とその周辺には、土地利用に伴う人為的な改変が少ないある程度のまとまった面積の亜熱帯性の森林とカルスト地形が残っている。

和泊町側は全体に標高が低いということもあって、土地利用が進み自然林はほとんど残っていない。カルストの地表地形も改変が著しいが、地下地形としてのカルスト水系の発達は知名町側に劣らず、長大な洞窟系が幾つか発見されている。

カルスト地形の発達は、亜熱帯性の気候や第四紀の多孔質な石灰岩という岩石的性質の違いもあって、ドリーネや鍾乳洞、地下水系の発達の度合いが著しく高く、山口県秋吉台福岡県平尾台など、いわゆる日本三大カルストにも劣らない。とくに大山の周辺部、標高100-200mにかけて無数のドリーネが発達したカルスト地形を呈している[2]。沿岸部のほぼ全域に、幅50-100mほどにいわゆる海岸カルストが見られる。無数のピナクルカッレン、ソリューションパン(溶食性の皿状小凹地)が発達した裸出カルストをつくっている。

田皆岬(矢護仁屋岬)では、東北東系の断層による変位を受けた平らな石灰岩の台地があり、断崖の基部には基盤岩の古生層が露出している。

鍾乳洞群[編集]

地下には多数の鍾乳洞が存在する。一般公開されている昇竜洞は規模が大きく、山口県秋芳洞などに比べても洞窟の広さや鍾乳石の美しさにおいて引けを取らない。近年、全長が10kmを越す国内2番目(現時点では)の規模を誇る鍾乳洞が発見され、大山水鏡洞と名付けられた。

日本では総延長1kmを超える規模の洞窟は一般に長大な洞窟としてランクされるが、本島には大山水鏡洞を始め、小池の穴、銀水洞、鳳雛洞、昇竜洞上洞(石華洞-桃源洞-華垂洞-悠景洞)、白鳳洞、インガマゴー、昇竜洞下洞(夢幻洞-白蛇洞)、和の穴、半崎大鍾乳洞、水蓮洞などが上位100洞中に入っている。

昇竜洞私有地(代表的には新納家)でもあって、その洞内で江戸時代第二次世界大戦前まで黒糖焼酎泡盛を製造・保管していた説もある(現在は町が管理をしている)。

サンゴ礁[編集]

屋子母(やこも)海岸

島の周辺はサンゴ礁となっている。ウジジ浜や屋子母(やこも)海岸には真っ白な砂浜があるが、約70万年前[3]以降、島が隆起を続けているので、大規模な砂浜は少なくサンゴ礁の磯や断崖が多い。

和泊町の北海岸にある、石灰岩の断崖が波浪の侵食を受けてできたフーチャ(海食洞)は、北風の強い波の荒い時には洞窟から波飛沫を高く吹き上げる。そのしぶきはかつては島の南海岸まで達し、ひろく農作物へ被害を及ぼしていた。フーチャは以前は四つあったが、しぶきによる塩害を防ぐために昭和40年代に一つを残して破壊された。

自然[編集]

気候[編集]

温暖な亜熱帯性気候で年間平均気温は22℃であり、奄美群島の中では冬の気温が比較的温暖で沖縄本島とほぼ同じである。年間降水量は約2000mmと本土と比べると多めだが、これは梅雨台風の影響が大きいためであり実際には晴天の日が多く、南西諸島の中では降水量が少ない方である。

生物[編集]

沖永良部島(鹿児島県)の「日本一のガジュマル」

ガジュマルアダンといった南国風の樹木が茂る。和泊町の国頭小学校には根回り8mに達する日本一のガジュマルの木がある。サンゴの美しい海岸にはアダンが多く、とがった葉と曲がりくねった幹にパイナップルに似たオレンジ色の実が映えていかにも南国らしい。

なお奄美群島や沖縄諸島で恐れられているハブやその他の陸生の毒蛇は生息していないが、これは言い換えれば南西諸島独自の生物(固有種・固有亜種など)も少ないことを意味する。ただし一方で辛うじて分布している「沖永良部島ならではの生物」には、他所にはない特徴が表れやすい傾向がみられる。またこの沖永良部島ならではの生物は(「奄美系」ではなく)「沖縄系」のものが多くなってくる。

沖永良部島で有名な昆虫の一つにコノハチョウがあり、現在のところ定着の北限とされている。しかしながらこのチョウは森林性であり移動性がないと考えられているが、1980年頃から急に見られるようになったために、元々分布していたかについては疑問視されている。ただし徳之島でも2005年から数年にわたり偶然的に本種が見つかり、2008年には幼虫も確認された(尤も個体数は非常に少なく、安定して生息しているかは検討の余地がある)ため、放蝶が原因で見られるようになった、とは決めつけられない。

サンゴ礁の海岸の岩場に住むエラブウミヘビは、ハブの10倍と言われるほど強い毒を持つヘビ。体長約1mで青い地色に褐色の太い横帯がある。性質がおとなしく被害が出たことはほとんどない。沖縄や沖永良部島では『イラブー』と呼んでいる。

歴史[編集]

  • 原始から8~9世紀頃までを「奄美世」と呼び、階級社会以前の部落共同体の時代。続いて按司という首長たちの支配割拠する「按司世」と呼ぶ階級社会の時代。
  • 1266年(文永3年)、琉球北山王国に属し、以後340余年間「那覇世」の時代となる。本島に伝承されている文化・言語・風俗などは、この当時に多くが起因している。
  • 1470年(文明2年)頃、禅王寺(禅宗)が建立される。
  • 1609年(慶長14年)、薩摩藩の侵攻により薩摩の直轄領となり「大和世」の時代となる。
  • 1616年(元和2年)、徳之島に代官所が置かれ、沖永良部島と与論島を巡回して統治。
  • 1690年(元禄3年)、徳之島代官の行政を離れ、沖永良部島に代官所が設置される。
  • 薩摩藩の直轄領時代は、主に政治犯的な囚人の流刑地。
    江戸時代末期(1862年(文久2年)-1864年(元治元年))、島津久光に疎まれた西郷隆盛が流されて1年7か月滞在した。
  • 1869年(明治2年)、代官所を在藩所と改める。
  • 1871年(明治4年)、廃藩置県により鹿児島県の沖永良部島支庁となる。
  • 1903年(明治36年)、社倉法などを教示した西郷南洲翁を慕う島民たちによって和泊に南洲神社が建立される。
  • 1908年(明治41年)、島嶼町村制が施行。和泊村と知名村(現在の和泊町と知名町)に区分される。
  • 1920年(大正9年)、普通町村制が施行。各村長は住民の公選となる。
  • 1946年(昭和21年)、第二次世界大戦後、連合軍総司令部の昭和21年2.2宣言により周辺の奄美群島と共に同年3月から祖国日本から行政分離されアメリカの軍政下に入る。
  • 1953年(昭和28年)12月25日、沖永良部島含む奄美群島が日本に復帰クリスマスであったことから、米国は「日本へのクリスマスプレゼント」とした。
  • 1977年(昭和52年)、台風9号(沖永良部台風)が直撃。日本の陸上における最低気圧907.3ヘクトパスカルを記録した。
  • 2011年(平成23年)、地域活性化を目的に日本一のガジュマルをモチーフに沖永良部島キャラクターと題しガジュ丸くんが誕生した。

文化[編集]

奄美群島では概ね奄美大島から与論島方面に南下するに従って琉球文化の色彩が濃くなるが、沖永良部島の文化は沖縄本島に近く、島に伝わる民謡は沖縄と同様の琉球音階であり、カチャーシーが踊られる北限であり、同じ奄美群島に属している徳之島とは、伝統的な文化に違いがある。(徳之島以北では民謡は本土と同じヨナ抜き音階、カチャーシーの代わりに六調が踊られる。)

言語・方言[編集]

方言は琉球語(琉球方言)の内、国頭方言(沖永良部与論沖縄北部諸方言ともいう)を使う。言語学的な分類とは別に、奄美群島では統一的に奄美方言と表現することがある。

食文化[編集]

ソテツの幹を毒抜きのため発酵させたヤラブケ(ソテツ粥)・ジャガイモ・ヘチマ・パパイヤ・豚肉・山羊肉を使った家庭料理、地豆(ピーナッツ)に黒砂糖をからめたガジャ豆、サタアンダギー・フクリグァシなどの菓子類、シークリブ(酸っぱいみかん)、島バナナなどの果物類、鮮魚店ではアハジン・イラブチ等カラフルな魚類も多い。1メートル程度の小さなウツボをウナギ、それより巨大な物をトンカと称し食用とする。歴史的経緯から沖縄料理薩摩料理との共通点も多いが、島独自の料理もいくつかある。アルコール類は黒糖焼酎を飲むのが一般的である。

伝説・逸話[編集]

桃太郎物語[編集]

沖永良部島では、一般に知られている鬼が島ではなく、桃太郎は「ニラの島」へ行ったという。龍宮であるニラの島で島民はみな鬼に食われていたが、唯一の生存者の老人の家に羽釜があり、その蓋の裏に鬼の島への道しるべが書かれており、その道しるべどおり地下の鬼の島へ行き、鬼退治に行く筋書きである[4]

ヒザマ[編集]

ヒザマは、沖永良部島に伝わる伝説上の魔鳥で、家に憑いて火事を引き起こすといわれる。姿はニワトリに似ており、胡麻塩色の羽根を持ち、頬が赤い。家に憑く際は空の瓶や桶に宿るといい、これを防ぐためにはこうした器を伏せておくか、常に水で満たしておくという。ヒザマが家に憑いた際にはすぐユタ(シャーマン)を呼んで追い出しの儀式を行なったという。

沖永良部島では邪神として最も恐れられており、人々の間ではこのヒザマに似た外見上の特徴を持つニワトリを飼うことを忌み嫌う風習があった。

また、民俗学研究家・恵原義盛の著書『奄美大島の妖怪』ではヒザマに火玉という字が当てられており、鳥ではなく読んで字の如く火の玉であり、やはり火事を引き起こすものとされている。

市町村合併[編集]

平成の大合併では、隣の与論島にある与論町と三町での合併の枠組みが検討されたが、2003年の与論町での住民投票によって九割近くが合併に反対し、合併協議会を離脱。与論町は単独での生き残りを模索する事となった。その後、2004年3月より沖永良部島内の和泊町と知名町との間で合併協議会が行われたが、最終的に知名町が拒否して2010年3月31日をもって沖永良部島合併協議会を解散。

産業[編集]

温暖な気候と適度な降雨は農業に適している。島には赤土の畑が広がっており、ジャガイモやサトウキビの他、特産のテッポウユリ(エラブユリ)やフリージアなどの球根栽培、グラジオラスなどの花卉栽培などが盛んで3月~4月に島を訪れると、真っ白に咲いたエラブユリの畑や黄色いフリージアの花畑から芳香が漂ってくる。エラブ牛を飼育する畜産業も盛んである。これらの産業がしっかりしているので観光客の誘致にはそれほど熱心ではなく、隣の与論島に比べて知名度が低いという。

島特産のサトウキビを絞って作った黒糖から黒糖焼酎が造られて名産品となっている。ネット販売が一般化した近年は、日本全国から黒糖焼酎ファンが酒造見学に訪れるなど新たな観光スポットとして注目されている。

酒造会社[編集]

  • 沖永良部酒造 - 「はなとり」」「花恋慕」「稲乃露」等
  • 沖酒造 - 「白ゆり」「えらぶ」
  • 神崎産業- 「幸福」
  • 竿田酒造 - 「えらぶ」
  • 徳田酒造 - 「はなとり」
  • 町田酒造 -  「里の曙」
  • 新納酒造 - 「天下一」「水連洞」等
  • 原田酒造 -  「昇龍」「満月」等

沖洲会[編集]

沖洲会(ちゅうしゅうかい)とは、沖永良部出身者ならびに、その縁故者をもって組織された会。港町を中心に支部を置く。 全国沖洲会一覧

  • 神戸沖洲会 - 唯一、沖洲会館を保有する。
  • 千葉沖洲会
  • 東京沖洲会
  • 愛知沖洲会
  • 大阪沖洲会
  • 尼崎沖洲会
  • 岡山沖洲会
  • 鹿児島沖洲会
  • 名瀬沖洲会
  • 沖縄沖洲会 

交通[編集]

空路[編集]

島の東部に沖永良部空港があり、プロペラ機(2010年4月現在:SAAB/Dash8)が鹿児島奄美大島与論島へ飛んでいる。ちなみに、2006年9月30日に国産旅客機YS-11のラストフライトは沖永良部-鹿児島間だった。

沖永良部空港
和泊港
奄美海運「フェリーきかい」

航路[編集]

和泊港 - 和泊町
伊延港 - 和泊町
  • 天候上の理由により、フェリーが和泊港へ寄港が困難な場合に、代替として利用される。
知名港 - 知名町
  • 奄美海運(マルエーフェリー系列)
    • 鹿児島港(本港) - 喜界島(湾港) - 奄美大島(名瀬新港) - 奄美大島(古仁屋港) - 徳之島(平土野港) - 沖永良部島(知名港)

放送[編集]

テレビラジオ共に鹿児島・沖縄両方の放送局の受信が可能。ラジオは沖縄の放送局のほうがややクリアに受信ができる。

テレビ[編集]

  • 島内には基幹局である知名中継局のほか3ヶ所の中継局がある。なお2006年に開始された地上デジタル放送については、NHK、民放各局がすでに放送を開始している。また沖縄県の放送局については今帰仁テレビ・FM中継局から受信している。
所在地 出力 総合 教育 MBC KTS KKB KYT
知名 V100W/U300W 3 4 1 47 49 43
知名田皆 すべて1W 48 50 52 54
知名正名 すべて100mW 41 37 39 45 35 33
和泊 すべて500mW 53 51 45 55

和泊町では、町が運営する有線放送「サンサンテレビ」が開局し、沖縄[5] と鹿児島の2県の番組が再送信されているほか、サンサンテレビ独自の番組や和泊町周辺の天気予報も放送されている。しかし、放送設備である送信ケーブルが台風などの強風に弱く、台風接近時にケーブルが被害を受けると気象情報を見ることが出来なくなる場合があった。2011年のアナログ放送終了に伴い町内全戸に光ファイバーを敷設し(FTTH)地上デジタル放送を再送信するためのサンサンテレビの設備更新が決定し併せて高速インターネット網を整備することになった。2009年より伝送路ならびにスタジオ設備更新工事がはじまる。光ファイバー網は既存ケーブルより台風などの自然災害に耐久性があり停波事故は少なくなると期待される。

ラジオ[編集]

AM放送
FM放送

NHK鹿児島FMが島内に知名中継局があり(84.0MHz)、与論島もカバーしている。なおFM鹿児島薩南諸島に中継局がないため受信不可。また沖縄の放送局はNHK沖縄FM、FM沖縄ともに那覇本局または今帰仁中継局から受信可能。

ロケ地[編集]

  • 深呼吸の必要』- 宮古島で映画撮影を行なっていたが、サトウキビを収穫する収録時、天候が悪化したためハブなどいないという条件で沖永良部での撮影がされた。
  • 東京島』- 沖永良部島で本格的なロケが行われた映画作品。23名の人が無人島に流れ着いたという話。

出身者・ゆかりがある人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ おきえらぶじま? おき「の」えらぶじま?―島の呼称論争再び” (2012年6月23日). 2012年6月23日閲覧。
  2. ^ 大阪教育大地理学報, no.11, 1967
  3. ^ 日本の地形7 九州・南西諸島, 2001. p.241-243. 東京大学出版会
  4. ^ 『鬼むかし 昔話の世界』、216頁。
  5. ^ NHK沖縄放送局(総合テレビのみ)、琉球放送琉球朝日放送沖縄テレビを再送信。鹿児島県のケーブルテレビ局では唯一の区域外再放送である。

外部リンク[編集]