答志島
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| 答志島 | |
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答志島・和具港。観光旅館が立ち並ぶ。右上に見えるのは菅島。 |
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| 面積 | 6.98 km² |
| 海岸線長 | 26.3 km |
| 最高標高 | 167.2 m |
| 所在海域 | 伊勢湾 |
| 所属国・地域 | |
東西約6キロメートル、南北約1.5キロメートル。面積約7平方キロメートルで、鳥羽湾および三重県内では最大。鳥羽市の無形民俗文化財に指定されている寝屋子制度が残る。
目次 |
地理 [編集]
- 岬:築上岬・観音崎・テンマ崎・平手崎・島ヶ崎・ブト崎・大崎
- 湾:刈谷湾
歴史 [編集]
古くは『万葉集』にて、持統天皇の伊勢行幸にあたって都に残った柿本人麻呂により、
- 釧着く答志(手節)の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ(巻一・41)
とよまれた地である。平城京跡から発見された和銅5年(712年)木簡にも『志摩国志摩郡手節里』、養老7年(723年)木簡に『志摩国答志郡和具』の文字がみえる。『和名抄』でも、答志郷・和具郷との名もみられる。
答志には志摩国の国衙があったとされ、その跡と思われる大畑遺跡が発見されている。
沿革 [編集]
- 1889年(明治22年)4月1日- 町村制施行に伴い、答志郡答志村が成立。
- 1896年(明治29年)3月29日 - 答志郡と英虞郡の合併により所属郡が志摩郡に変更。
- 1897年(明治30年)5月31日 - 答志村から桃取村と菅島村が分離。
- 1954年(昭和29年)11月1日 - 昭和の大合併により、桃取村、菅島村とともに鳥羽市の一部となる。
集落 [編集]
- 島の北東部に答志(とうし)、南東部に和具(わぐ)、北西部に桃取(ももとり)がある。
- 住所表記上は答志と和具が答志町(郵便番号:〒517-0002)、桃取が桃取町(郵便番号:〒517-0003)になる。
交通 [編集]
鳥羽港の佐田浜桟橋から、鳥羽市営定期船で北東部の答志集落まで約30分、和具まで25分。桃取まで約15分。
運賃は2006年10月現在、それぞれ答志・和具が530円と桃取まで430円。
- 島内交通
- 三重県道759号答志桃取線(答志島スカイライン)
主な産業 [編集]
九鬼水軍 [編集]
詳細は「九鬼嘉隆」を参照
嘉隆は、信長、秀吉に仕えて志摩地方一円に名をはせる。しかし関ヶ原の合戦では情勢の見きわめに悩み、家名存続のため嘉隆が大阪の豊臣方に、子の守隆は家康の東軍について戦うことになる。敗れた嘉隆はこの地にのがれ、ついに自刃する。嘉隆の遺言により、自ら築城した鳥羽城を望む岬の頂きに首塚、その麓に胴塚が残されている。
教育 [編集]
島内には以下の学校がある。
答志島を舞台とした作品 [編集]
脚注 [編集]
- ^ “倉科カナが三重・答志島から全国へ元気を届ける! - ニュースウォーカー”. 角川マガジンズ (2012年9月28日). 2012年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月24日閲覧。
- ^ “鳥羽・答志島が舞台の地域発ドラマ「ヤアになる日」-NHK BSで放送へ”. 伊勢志摩経済新聞 (2012年9月6日). 2012年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月24日閲覧。
参考文献 [編集]
- 『日本の神々 第6巻 伊勢・志摩・伊賀・紀伊≪新装復刊≫』(2000年7月5日発行、編者:谷川健一、発行:白水社)ISBN 4560025061
- 国土地理院発行2万5千分の1地形図「二見」(平成19年更新、平成19年8月1日発行)
- 国土地理院発行2万5千分の1地形図「答志」(平成16年更新、平成17年6月1日発行)