江の島

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江の島(えのしま、 江ノ島)は神奈川県藤沢市にある周囲4km標高60mほどの陸繋島である。このあたりの丘陵地と同様に凝灰砂岩の上に関東ローム層が乗る地質である。古来は引き潮の時のみ洲鼻(すばな)という砂嘴(さし)が現れて対岸の湘南海岸と地続きとなって歩いて渡ることができた。関東地震で島全体が隆起して以降は地続き傾向にある。対岸の片瀬川河口付近の形状が時代とともに変遷し、満潮のときのみ冠水した時期、常時陸続きとなった時期とあり、砂嘴の位置も移動している。湘南のシンボルでもある。神奈川県指定史跡・名勝日本百景

江の島
江の島

目次

[編集] 歴史

全島の航空写真。国土画像情報(カラー空中写真)(国土交通省)を元に作成。
全島の航空写真。国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省)を元に作成。

[編集] 施設

[編集] 交通

江の島弁天橋(左)と江の島大橋
江の島弁天橋(左)と江の島大橋
  • 1216年:干潮時に徒歩で江の島に行けるようになる。
  • 1897年:村営(当時は川口村)で、初めて橋が架けられる。往復3銭徴収。
  • 1930年:橋が県営になる。往復2徴収。
  • 1949年3月:橋桁がコンクリート製、上部が木製の橋に改築し、一般公募により「江の島弁天橋」と命名。往復大人5、子供3円徴収。
  • 1958年:鉄筋コンクリート製(全長389m、幅4m)の現在の江の島弁天橋が架けられる。
  • 1962年:自動車専用の江の島大橋(神奈川県道305号江の島線)が架けられ、江の島弁天橋は人道橋となり、料金徴収を廃止する。

[編集] 鉄道

最寄り駅
利用目的によっては有用な駅。

[編集] バス路線

[編集] 道路

国道134号より、江の島弁天橋(歩行者、自転車専用)と自動車専用道路神奈川県道305号江の島線(江の島大橋)がある。

[編集] 江の島の地域猫

地域猫の避妊費用を募る募金箱。(普段は募金箱の周囲に猫がたむろしているため、「危険だから(猫に)触れないように」と注意書きがされている)
地域猫の避妊費用を募る募金箱。(普段は募金箱の周囲に猫がたむろしているため、「危険だから(猫に)触れないように」と注意書きがされている)
観光客の前で無防備な姿を見せる猫。なお写真には写っていないが、お堂の脇に餌場がある(聖天島付近にて撮影)
観光客の前で無防備な姿を見せる猫。なお写真には写っていないが、お堂の脇に餌場がある(聖天島付近にて撮影)

80年代頃から江の島では捨てが急増し、現在では至る所で多数の野良猫を見かけるようになった。なお猫好きな観光客や釣り人がエサを与えるなどしたため、ほとんどの猫は人を恐れない。島内の至る所で猫が無防備な姿でいるため、猫好きの人間もよく訪れる。

一部でこれらの野良猫を観光資源ととらえて新たな江の島名物とする動きがある。餌場をつくり猫に餌を与えたりする一方で、野良猫に避妊手術を行うための募金活動を行ったり、全島に犬・猫を捨てないよう訴える看板を掲示するなど、これ以上野良猫が増えないような対策も並行的に進められている。いわば島民一体になって野良猫の地域猫化を進めていると言えよう。

[編集] 地名表記

しばしば表記が揺れる「江ノ島」と「江の島」だが、1966年10月の藤沢市が行った住居表示の改訂(この前後に行われた改訂で藤沢市内の地名の送りがなは全てひらがなに統一された)により正式な地名としているのは「江の島」である。これは時代によってその表記が「江乃島」「江之島」「江ノ島」「江の島」などと変わっていることにも起因している。 なお、江ノ島電鉄小田急江ノ島線の駅名はそれぞれ「江ノ島駅」「片瀬江ノ島駅」であるが、湘南モノレールの駅名は「湘南江の島駅」となっている。一方、神社名は江島神社で「えのしまじんじゃ」と読ませる。また、「柄島」「絵島」という表記も見られた。

[編集] 文化

[編集] 音楽

  • 『江ノ島の曲』- 山田流箏曲1777年安永6年) 山田検校作曲。江戸で活躍した盲人音楽家、山田検校(1757年宝暦7年)- 1814年文化14年))の処女作品。この曲において浄瑠璃を取り入れた当時では新しいスタイルの箏曲を確立、山田流を創始した。初夏の江ノ島の風景をうたい、貝の名を連ねた「貝づくし」や竜の口の伝説などを織り交ぜつつ弁財天の神徳を讃えた曲。
  • 『春の江ノ島』- 箏曲、1935年昭和10年) 富崎春昇(とみさき しゅんしょう) 作曲、笹川臨風作詞。江島神社亥歳大祭に奉納するため作曲された。江ノ島、湘南ののどかな春景色と弁財天の神徳を詠っている。手事物形式で手事は二段あり互いに合奏できるほか、雅楽を模した「楽の手」が特徴的。作曲者により胡弓の手も付けられている。
  • 『七里ヶ浜の哀歌』(真白き富士の嶺(根)) 作詞:三角錫子 作曲:ジェレマイア・インガルス。1910年(明治43年) 1月23日に起こった逗子開成中学のボート転覆事故の追悼大法会のために、系列校である鎌倉女学校 (現 鎌倉女学院) の数学教師だった三角錫子がインガルス曲の讃美歌に作詞し、鎌倉女学校生徒らにより、鎮魂歌としてこの歌が初演された。後にレコード化され、楽譜も出版されたため、演歌師らにより大流行し、多くの国民に「江の島」の存在を印象づけることとなった。
  • 『竜恋譜』(グランド・オペラ) 原作:渡辺俊 作:堂本正樹 作曲:三枝成彰1979年3月、藤沢市民オペラの第4回公演(藤沢市民会館開館10周年記念公演)で福永陽一郎指揮により初演された。市民創作オペラと銘打ち、「江嶋縁起」から題材を得て市民の渡辺俊が応募した作品を堂本正樹三枝成彰の手でグランド・オペラに仕上げたもの。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^ 昭和9年、文部省告示第312号
  2. ^ 昭和35年6月29日、文化財保護委員会告示第33号