シモーヌ・ド・ボーヴォワール
1960年、チェ・ゲバラと会談するサルトルとボーヴォワール
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| フルネーム | シモーヌ・ド・ボーヴォワール |
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| 生誕 | 1908年1月9日 |
| 死没 | 1986年4月14日(満78歳没) |
| 時代 | 20世紀哲学 |
| 地域 | 西洋哲学 |
| 学派 | 実存主義 フェミニズム |
| 研究分野 | 政治、フェミニズム、倫理学 |
| 主な概念 | 曖昧さの倫理、フェミニズムの倫理学、実存主義的フェミニズム |
シモーヌ・リュシ=エルネスティーヌ=マリ=ベルトラン・ド・ボーヴォワール(Simone Lucie-Ernestine-Marie-Bertrand de Beauvoir, 1908年1月9日 - 1986年4月14日)はフランスの作家、哲学者。フランスのパリに生まれる。サルトルの事実上の妻。サルトルの実存主義に加担するとともに、フェミニズムの立場から女性の解放を求めて闘った。
パリ大学に学び、1929年に生涯を通じて公私ともに影響を与えることになるサルトルと知り合う。その年のアグレガシオン(1級教員資格)(哲学)に2人とも合格(サルトルが1位、ボーヴォワールが2位)し、その後、いわゆる「契約結婚」を結んだ。このときのアグレガシオンの試験を一緒に合格した仲間にサルトルの友人ポール・ニザン(1905-1940)がいる。また、レヴィ=ストロース、メルロー=ポンティともこの頃に出会っていた。
代表作『第二の性』第2部「体験篇」の冒頭において「On ne naît pas femme:on le devient.人は女に生まれるのではない、女になるのだ」とし、女性らしさが社会的に作られた約束事に過ぎないことを主張。ジェンダー論の基礎を作る。自伝的小説『レ・マンダラン』は、サルトルほか若い頃からの友人たちをモデルにした作品で、ジュリア・クリステヴァの『サムライたち』のモデルともなった。
アリス・シュヴァルツァーによるインタビュー集『ボーヴォワールは語る-「第二の性」その後』が出版され、その中で「子供を持たなかった事を後悔していないか?」という質問を受けて、ボーヴォワールは「全然!私の知っている親子関係、ことに母娘関係ときたら、それはそれは凄まじいですよ。私はその逆で、そんな関係を持たずに済んで、本当にありがたいわ。」と答えており、その人間らしい率直な人柄が伝えられている。 1986年、パリで没。サルトルと並んで、遺体はパリのモンパルナス墓地に埋葬されている。墓石には、上段にサルトル(1905-1980)、下段にボーヴォワール(1908-1986)の名が 刻まれている。
1954年にゴンクール賞、1975年にエルサレム賞、1978年にオーストリア・ヨーロッパ文学賞を受賞。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- (百科事典)「Simone de Beauvoir」 - スタンフォード哲学百科事典にある「シモーヌ・ド・ボーヴォワール」についての項目。(英語)
- (百科事典)「Simone de Beauvoir」 - インターネット哲学百科事典にある「シモーヌ・ド・ボーヴォワール」についての項目。(英語)