神奈川中央交通

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神奈川中央交通株式会社
Kanagawa Chuo Kotsu Co., Ltd.
グランドホテル神奈中平塚(画像の左棟手前側が神奈川中央交通本社)
種類 株式会社
市場情報
東証1部 9081
略称 神奈中、かなちゅう
本社所在地 日本の旗 日本
〒254-0811
神奈川県平塚市八重咲町6番18号
設立 1921年大正10年)6月5日
業種 陸運業
事業内容 旅客自動車運送事業、不動産業他
代表者 三澤憲一(取締役社長
資本金 31億6千万円
売上高 単体527億円、連結1,047億円
(2010年3月期)
純資産 単体169億円、連結270億円
(2010年3月)
総資産 単体1,006億円、連結1,409億円
(2010年3月)
決算期 3月31日
主要株主 小田急電鉄 44.23%
主要子会社 横浜神奈交バス
藤沢神奈交バス
湘南神奈交バス
相模神奈交バス
津久井神奈交バス
神奈中観光(以上、バス)
グランドホテル神奈中
神奈中ハイヤー
相模中央交通
外部リンク http://www.kanachu.co.jp/
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神奈川中央交通株式会社(かながわちゅうおうこうつう)は、三浦や足柄を除く神奈川県の大部分の地域と町田市多摩市などの東京都多摩南西部を中心に路線バス貸切バスの運行を行っている小田急グループバス会社。通称神奈中バス(かなちゅうバス)。

神奈川県バス協会東京バス協会の双方に加盟しており、神奈川県内及び東京都南多摩地域の路線バスの他にも、東京駅・新宿駅からの深夜急行バスや、東京国際空港成田国際空港への空港連絡バスを運行する。かつては横浜・町田・本厚木などから近畿地方各地や盛岡駅への高速バス路線があった[注釈 1]

2011年(平成23年)3月31日現在での車両規模は2,091台[1][注釈 2]で、バス専業の事業者としては日本一の規模を有する[2]。1989年時点では全営業収入の79.4%が乗合自動車業による収入であったことなど[3]、バス事業の収入比率が極めて高いことが特徴とされていた[3]時期もある。

目次

[編集] 歴史

[編集] 創業期

神奈川中央交通の直接的な起源は、1921年大正10年)6月5日横浜市大岡町を拠点として設立された相武自動車だが、その前身は、現在の横浜市栄区本郷石橋の有志により、弘明寺と鎌倉を結ぶバス会社であった。 2009年現在の神奈川中央交通が主な営業エリアとしている神奈川県中央部に乗合自動車が走り始めたのは、それ以前の1919年(大正8年)に本田綱次が設立した合資会社による、厚木市平塚市を結ぶ路線の開設に端を発する。これに続くように、1920年(大正9年)には伊勢原自働車運輸が平塚と伊勢原市を結ぶ路線で運行を開始[2]、さらに1921年(大正10年)には秦野自動車が秦野市と平塚を結ぶ路線の運行を開始した[2]。同年には大谷仁三郎により橋本と田名村(当時)を結ぶ路線などの運行が開始されている[2]ほか、厚木と横浜を結ぶ路線が厚木町(当時)の有力者により開設されている。厚木 - 横浜線は1923年(大正12年)に設立された中央相武自動車に営業譲渡されている[2]。この他にも、厚木と藤沢を結ぶ片瀬自動車商会、厚木と戸塚を結ぶ鶴屋自動車商会の路線が開業するなど、1930年昭和5年)までに10数社のバス事業者が設立されている[2]東海道本線の鉄道駅と大山道の宿場町を結んで開設された路線が目立った。一方、東京府(当時)でのバス営業は1934年(昭和9年)に原町田乗合自動車が原町田と鶴川・淵野辺と小野路を結ぶ路線を開業させたのが端緒である[4]

しかし、こうした小規模なバス事業者の乱立は、結果的に競合による疲弊を招く事となった。そうした中、資本力のある事業者が小規模事業者を買収し合併する事で、事業規模を拡大すると共に無益な競合を解消する気運が現れ始めた[4]

1928年(昭和3年)には、伊勢原自働車運輸が同じく伊勢原を拠点としていたサンエキ自動車と合併し伊勢原サンエキ自動車と改称[4]1932年(昭和7年)には伊勢原自動車へ社名変更を行った[4]1931年(昭和6年)には、江之島自動車、片瀬自動車商会、鵠沼自動車を合併して藤沢自動車が設立された[4]。この藤沢自動車は藤沢近辺にとどまらず、厚木・津久井方面まで沿線事業者と合併の上規模を拡大した[4]結果、1937年には営業キロが約300kmに達し、車両数約60台を有する大手事業者となった[4]。同年、京王電気軌道(現在の京王電鉄)の傘下に入っている[4]。一方、1936年(昭和11年)には原町田乗合自動車が関東乗合自動車に合併されている[4]ほか、相武自動車が鶴屋商会と戸塚自動車商会を合併した上で翌年に相武鶴屋自動車と改称した[4]1938年(昭和13年)に東京横浜電鉄(現・東京急行電鉄)の傘下に入り、1939年(昭和14年)には先に東横傘下に入っていた中央相武自動車を合併の上東海道乗合自動車と改称し、主に東海道本線沿線への路線展開を行った[4]1941年(昭和16年)にはやはり東横系となっていた関東乗合自動車の町田営業所を継承して東京都内に進出[4]1942年(昭和17年)には同じく東横系となっていた秦野自動車を合併した[4]

こうした自主的な統合という方向性は、1931年(昭和6年)に公布された自動車交通事業法の目的である「交通企業の合理化と交通事業の統制」にも叶うものであった[4]

その一方、藤沢自動車と競合する相模鉄道では自社の相模線(現・JR相模線)を擁護するため[4]、1935年(昭和10年)に大谷仁三郎の個人経営だった橋本・渕野辺から田名にいたる路線を譲り受けた[4]上、1936年には愛高自動車商会の厚木と上溝を結ぶ路線を買収し、沿線を自社バス路線の営業エリアとした[4]

[編集] 戦時統合

戦時体制に入ると、陸上交通事業調整法の公布により、バス事業者は極力統合する方向となった[4]1942年(昭和17年)に東京横浜電鉄は京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)と小田急電鉄(現・小田急電鉄京王井の頭線)を統合して東京急行電鉄(東急)となっていたが、神奈川県内においては1943年(昭和18年)に藤沢自動車と伊勢原自動車を傘下に収めた[4]

一方、1942年(昭和17年)には鉄道省通牒により強制統合が進められる事となったが、この時に神奈川県では横浜市・相模・地区外という3ブロックに分けられる事となった[5]。この時、町田地区は東京の調整区域から外されて相模ブロックに編入される事になった[5]。相模ブロックの統合主体は東海道乗合自動車が選定され、1944年(昭和19年)6月16日に藤沢自動車と伊勢原自動車を合併、神奈川中央乗合自動車が成立した[5]。この時点では相模鉄道のバス部門はそのままであった[5]が、既に相模鉄道自身も東急の傘下にあった上に鉄道線が国鉄に買収された事[5]、神中線も東急に経営委託(事実上の統合)していたために鉄道業における実体がなくなっていた事[5]から、同社バス部門は1944年(昭和19年)11月28日に神奈川中央乗合自動車に譲渡される事になった[5]

[編集] 戦後の復興

戦後の石油不足の際に走った薪バス「三太号」(2007年10月)

神奈川県中央部は、横浜・川崎と比較すると戦災による路線の被害は少なかった[5]が、戦後の輸送量増加においては車両不足が顕在化した。このため、1946年(昭和21年)に神中自動車工業秦野工場を買収し、自社で車両再生を行った[5]。同工場で再生された車両は、自製のボンネット周りに外観上の特徴があった[6]。この工場は1953年(昭和28年)に閉鎖されたが、戦後の車両復興に大きく貢献した。

1948年(昭和23年)、戦時統合により巨大な鉄道事業者となっていた東急から、小田急・京急・京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)が分離したが、元来小田急の路線であった井の頭線は京王の所属となり、その代わりとして箱根登山鉄道とともに神奈川中央乗合自動車が小田急の傘下に入る事になった[7]。同年にはディーゼルバスの導入を開始[7]、戦時中は休止していた貸切バス事業も再開している[7]。この時期、江ノ島電気鉄道(現在の江ノ島電鉄)では自社鉄道線の擁護を目的として、かつて江ノ電が経営していたバス路線の買収を図った。交渉の難航はあったものの、1949年(昭和24年)6月に藤沢・鎌倉・大船・弘明寺地区の路線の一部が江ノ電に譲渡された[7]1951年6月には社名を神奈川中央交通に変更した。

沿線住民や利用者からは、この時期から「神奈中」という通称で呼ばれる様になった[7]。本項でも、以下神奈川中央交通を「神奈中」と表記する。

[編集] 高度成長期

[編集] 1960年代・団地輸送の増強と拡大

1950年代後半に入ると、人口増加地域である神奈中エリアの通勤需要は増加の一途を辿る[7]。特に東海道線沿線の鉄道フィーダー輸送の必要性が高くなっていた[7]事から、1953年(昭和28年)に藤沢駅横浜駅を結ぶ路線を15分ヘッドで運行し、急行便も新設した[7]。その後、国府津駅までの鉄道と並行する路線も同様に運行便数の充実を図り、さらに鉄道駅から住宅地への路線を新設し、鉄道との連携輸送を行った。同様に人口が増加していた小田急沿線からの路線も拡充し、町田地区では道路改良と共に次々と路線新設を行った結果、1956年(昭和31年)までの3年間に導入した車両数は126台となり、約90系統が新設されている[7]1958年(昭和33年)には京王との相互乗り入れという形態で東京都内にも路線拡大を展開し、調布市関戸へも乗り入れた[7]。一方、横浜市内では横浜市交通局相模鉄道との路線免許申請の競合が多くなった[7]が、1960年(昭和35年)頃からは各社で申請前に協議する事になり[7]1962年(昭和37年)には3社で運輸協定を結んだ[7]ため、以後競願による認可の遅れという事態は回避される事になった[8]

これらの路線規模の拡大と共に営業拠点の新設も行われ、1957年(昭和32年)からの5年間で233台もの車両増備が行われた[8]1963年(昭和38年)以降は、町田・横浜地区並びに小田急沿線での大規模団地造成と共に大幅な輸送力増強を迫られた[8]。これに対応するべく車両の増備が急速に進められ、1970年(昭和45年)に路線バスの保有台数は1,000台を超えた[8]他、営業所を郊外へ移転すると同時に敷地面積も拡大するという手法がとられた[8]

この時期、神奈中では関連事業の拡大にも着手している。1959年(昭和34年)4月には湘南平レストハウスを建設、1962年(昭和37年)からはスーパーマーケット「神奈中ストア」を開業し、沿線各地への店舗展開を行った[注釈 3]。また、1964年(昭和39年)7月にはボウリング場の建設を進め、最盛期には沿線に11店舗にまで拡大していたが、ボウリング場の乱立による競争の激化で経営が悪化、1974年(昭和49年)5月までに一部の店舗を除いて撤退する事になった[9]1967年(昭和42年)から不動産業にも進出、鎌倉市二宮町などで宅地分譲を行った。

[編集] 整理券方式ワンマンバス

この様に輸送力増強に追われる中、要員不足が顕在化する事となった[8]。特に車掌の採用難が厳しくなった[8]事から、当時都市部の一部路線で行われていたワンマン化を進める事になった[8]。しかし、ワンマン化自体は1951年(昭和26年)に大阪市交通局で実施されていたが、それまでワンマン化されていた路線は均一運賃体系の路線が主で、神奈中の大多数の路線の様に乗車距離によって運賃が異なる多区間運賃制へのワンマン化事例は当時存在しなかった。特に神奈中においては運賃区間が多区間[注釈 4]となるため、これまでのシステムによるワンマン化は困難であった。

そこで、乗車停留所を明確にするために、乗車時に乗車整理券を取り、乗客は降車時に整理券と照合して運賃を支払うという「整理券方式」のワンマンバスを導入する事になり、1962年(昭和37年)11月1日より試験的に運賃区界数2区間の路線でワンマン化が開始された。この時の整理券はボール紙[注釈 5][10]、前扉付近に整理券ホルダーを設置した。以後、神奈中の乗車方法は前乗り前降りが基本となる。その後も機器の開発を進め、1964年(昭和39年)4月には運賃区界数5区間の路線でもワンマン化が行われた[10]が、この時には色分けされたプラスチック板の整理券を乗車時にボタンを押して受け取る方法[10]となり、さらに同年10月には運賃区界数8区間の路線にも導入された[10]。それを受けて、1965年(昭和40年)2月1日より伊勢原と茅ヶ崎の2営業所で本格的なワンマン化を開始した。1966年(昭和41年)にはロール紙に1枚ずつ番号を印刷してカットする機構が開発され[10]、運賃区界数にかかわらずワンマンバスの運行が可能になった事から一気にワンマン化を促進し、同年10月1日には山間部の一部路線を除いてほぼ全路線がワンマン化された。

日本では多区間運賃制路線でのワンマン化は神奈中が初[8]であり、会社の規模としては急速かつ広範囲にワンマン化が進められたが、監督官庁から安全性を危惧する意見があり、狭隘な道路では待避所やカーブミラーの設置を進めると共に[11]、見通しの悪い踏切などでは自社で交通整理要員を配置して対処した[12]。また、当時はワンマン化に反対するバス事業者が多く、他社の労働組合からワンマンバス導入展開にクレームもあり[10]、労使共に説得したこともあるという[10]。しかし、ワンマン化は時代の趨勢であり、以後整理券方式のワンマンバスは日本全国に拡大され、乗降ドアの違いなどはあるものの、日本のバスにおいて標準的な運賃支払い方式となった。神奈中においては、1974年(昭和49年)5月の大秦野駅ヤビツ峠を結ぶ路線を最後に、完全ワンマン化を達成している[8]

[編集] 1970年代・さらなる輸送力増強

1970年代になると、既に開発の進んだ鉄道沿線から離れた外縁部へも宅地化が進む事になった[13]1971年(昭和46年)に入居を開始した多摩ニュータウンでは、ニュータウン鉄道の開通まではバスに通勤輸送が委ねられる事となり[13]、神奈中と京王が輸送を担当した。さらに都心から離れた厚木・伊勢原・秦野・平塚においても住宅地の造成が進み[13]、路線と車両増強を繰り返した結果、小田急線・東海道本線沿線各駅のバス路線の集積度はきわめて高くなった[13]

また、自家用バスによる送迎が行われている企業や学校での車両代替に着目し[8]1975年(昭和50年)以降は特定バス事業にも着手した[8]。運行や車両整備はバス事業者が行うが、運行形態やバスのカラーリングなどは顧客側で決定するというもので、積極的にセールスを行った事もあり、特定輸送の運行規模はその後大幅に拡大され、その後の神奈中のバス事業の基幹の1つに位置付けられている[13]1976年(昭和51年)には山間部の路線において停留所以外でも乗降が可能な自由乗降方式の採用も開始した[14]

不動産業では沿線外の宅地分譲も行う事となり、1974年(昭和49年)から1985年(昭和60年)までに兵庫県三木市愛知県名古屋市岐阜県岐阜市秋田県秋田市での宅地分譲を行っている。この他、1977年(昭和52年)からはラーメン屋「くるまやラーメン」の営業も開始している。

[編集] 深夜バス
神奈中の深夜バス路線の例(本厚木駅24時35分発鳶尾団地行き)

ベッドタウンの外延化と共に、利用者からは路線バスをもっと遅くまで走らせる事に対する要望が強くなっていた。神奈中においても例外ではなく、1970年(昭和45年)5月には入居が開始されてから間もない鶴川団地の住民より、最終バスを延長する様に申し入れがあった[15]。神奈中ではこの要望への回答として、7月27日より鶴川駅→鶴川団地行きのバスについて23時10分と23時30分の深夜便を設定した[15]が、このバスは通常の路線バスと異なるサービスを提供するという観点から道路運送法24条の2「貸切自動車運送事業による乗合許可」を適用させた貸切扱いとし、運賃を通常の3倍に設定[15]、定期券は利用不可とした[15]。これが日本初の深夜バスである[14]。当日の第1便は8名の利用者よりも報道陣が目立った状態[6]で、運賃設定などに反発した一部の住民が、会員制の「自主バス」を運行したり[15]、運賃制度について大学教授・利用者代表と会社役員がNHK番組で論戦を行う[16]などの動きもあったが、路線拡充や深夜バス運賃の据え置き[注釈 6]や引き下げ[注釈 7]により深夜バスに移行した[15]ため、1980年(昭和55年)までに「自主バス」は廃止となった[15]

運輸省でもバスの終車延長には積極姿勢を見せ、1970年(昭和45年)12月には「大都市周辺部の深夜バス運行について」という通達を出した[15]。しかし、深夜バスは、不規則労働となる乗務員に手当てを支払った上で採算性が確保できるかどうかの判断が、事業者によって分かれる[15]。このため、関東地方に限っても深夜バスを運行する事業者が大幅に増加するのは深夜の交通機関の確保について運輸省が再度勧告を出した1986年(昭和61年)以降である。深夜バスの採算性を認めた神奈中においては、深夜バスの運行系統は年毎に増加し、東京都内の全事業者を合わせた深夜バスの系統数が約50系統となった1987年(昭和62年)の時点で、神奈川県内では既に神奈中だけで50系統以上の深夜バスが運行されていた[15]

[編集] 1980年代・さらに続く拡大傾向

1980年代に入ると、日本のバス事業全体の傾向としてモータリゼーションと道路渋滞による走行環境の悪化と利用者減少に見舞われるが、神奈中の営業エリアは人口増加が続き、バス利用者も増加した。人口増加や企業・学校の郊外移転などで、鉄道からのフィーダー輸送の役割が求められたためである[14]

1980年代以降は沿線に大学の新設や移転などが続いたため、通学輸送の増強も行われる事になった[14]。既に1971年(昭和46年)には相模原市に北里大学が移転したが、1980年代初頭には相模原地区における輸送の要となっていた[14]。これらの輸送力拡大に対応するため、道路環境が整備されているとは限らなかったにもかかわらず、高度成長期から1990年平成2年)までの神奈中で導入される車両の大半は11m級の長尺車であった[17]。車両数も別表に見られる様に増加の一途を辿り、特に厚木営業所では1985年度に所属台数が200台を超えている[注釈 8]

初の冷房車となった三菱ふそうMP117N(さ102)。ドアが通常と逆の客室側に開くのは、当時の「神奈中仕様」の一つだった。

1981年(昭和56年)に会社創立60周年を迎えたが、この時に先人達の苦労を伝えるという意味で[17]薪バス「三太号」を復元した[17]。薪バスは沿線各地で展示なども行われた[17]。同年、平塚市の本社の改築が終了したが、それまで本格的なレストランがないという声が地元からあった<[18]ため、本社に併設された平塚グランドホテルの地下にレストランもオープンさせた。

また、1982年(昭和57年)にはデジタル式運賃表示器を、1985年(昭和60年)には大型方向幕を導入するなど、路線車両のサービス改善にも積極的に取り組んだ。特に1987年(昭和62年)4月には一挙に300台もの新車導入が行われ[19]、同年6月には全車両の冷房化を達成した[17]1988年(昭和63年)にはそれまですべてを人手に頼っていたバスダイヤの作成を自動化すべく、バスダイヤ自動作成システム「AIDIA」も稼動開始し、日本のバス業界の注目を集めた[17]

関連事業については、前述の様にボウリング場を次々と閉鎖していったが、用途のなくなった建物の有効活用としてスイミングスクールの運営を同年10月から開始した。1984年(昭和59年)からは遊技場(パチンコ店)経営にも着手したほか、1990年(平成2年)10月24日には伊豆半島にゴルフ場「中伊豆グリーンクラブ」をオープンさせている。

[編集] 神奈中バスカード

神奈中では、多区間運賃制に対応して金種別に19種類もの回数乗車券を発売していた[20]が、すべての利用者に満足できるものではなく[21]、また後方業務も複雑になっていた[22]。これを解消するため、神奈中はプリペイドカード式回数乗車券(バスカード)の導入を決定した[23]

当時、バスカードは一部の均一運賃制路線での導入例はあったが、多区間運賃制の路線に対応したシステムは存在しなかったため、システムを新規に構築する必要があった。1985年(昭和60年)に三陽電機製作所と共同でシステム開発を行い、1987年(昭和62年)10月20日より伊勢原の路線バス15台にて実用化を前提とした試験を開始[17]、この結果を受けて1988年(昭和63年)5月9日より「神奈中バスカード」の運用を開始した。これは多区間運賃制路線では日本初のバスカード導入事例であり[17]、1990年(平成2年)3月26日には全車両での導入を達成している[注釈 9]

折りしも同時期には奈良交通長崎自動車でもバスカードシステムが導入されており[24]、この後バスカードシステムを導入するバス事業者は増加してゆく事になる。また、神奈中バスカードはその後バス共通カードへ発展解消していく事になる[注釈 10]が、一方でカードの割引率などは神奈中バスカードにおいて設定されたものがそのまま採用されており、PASMOの「バス利用特典サービス」の特典バスチケットにもその金額は引き継がれている。

[編集] 新しいバスサービスの展開

一方、高速バス「ノクターン号」の成功をきっかけとして、日本ではブームの如く夜行高速バス路線が開設されることになった。神奈中ではターミナルとして横浜と町田に着目し[17]1989年(平成元年)2月28日から奈良交通との共同運行により、夜行高速バスの運行を開始した[注釈 11]。その後も順次路線を拡大し、1990年(平成2年)7月5日に運行開始となった盛岡線で6路線となった。1989年(平成元年)末からは深夜急行バスの運行も開始している。

[編集] バス復権に向けて

しかし、ここまで順調に規模を拡大してきた神奈中も、バブル経済崩壊後の不況の波から逃れる事はできなかった。1991年(平成3年)に年間輸送人員が3億2百万人に達したのをピークに、1992年(平成4年)以降はバス利用者数は減少傾向となった。神奈中沿線に製造業が多い事もあり、消費低迷は製造業での業務縮小を招いた[25]。さらに少子化による通学需要の減少も作用し、路線バス利用者は年毎に減少してゆく。

これに対応するべく、1995年(平成7年)の路線バス車両はすべて中型車での導入となり、同年には貸切バス部門の大半を神奈中ハイヤーに移管した。その後、2000年(平成12年)に神奈川県観光(当時)の経営悪化に伴い同社の株式を取得の上子会社化し、2002年(平成14年)には神奈中ハイヤーから貸切バス部門を神奈川県観光に移管した上で神奈中観光に改称した。

関連事業においては、それまで「くるまやラーメン」のフランチャイズとして展開していたものを2000年(平成12年)に提携解消し、「らーめん花楽」として独自の店舗展開を行う事になった。

その一方で、これまでの神奈中にはなかった施策もいくつか行われている。

[編集] ミニバス展開

神奈中は元々大型車が中心で、狭隘路線など限定された範囲で中型車が導入されていた状態であった。これは、幅2m程度の小型車ではワンマン運行に適した車両が少なかった事による。しかし、住民からの路線開設が多い路線については、リアエンジンの小型バスが販売開始となった事を機に、1992年(平成4年)10月から3路線で小型バスによる路線の運行を開始した。

一方、藤沢市の藤が岡団地では、駅からの途中に急坂がある上に住民の高齢化が進んでおり、路線バス運行の要望が高くなっていた。神奈中では路線開設に向けて検討した結果、小型バスを使用すれば運営が可能と結論づけ[26]1997年(平成9年)5月より団地循環の路線を開設した。団地内では約100m毎に停留所を設置、バス車内には住民が自由に使用できるコミュニティボードを設置する[26]など、コミュニティバスと同様の設定ではあるが、自治体からの補助は得ていない[26]。使用する車両には「湘南ロコ号」と愛称が付けられた。以後、同様のミニバス路線がいくつか開設されている。

[編集] 地域分社化

一方で、1996年(平成8年)に箱根登山鉄道バスが秦野地区から撤退する事になり、その受け皿として湘南神奈交バスが設立された。これを母体として、1997年(平成9年)からは相模原地区において同社への移管を行ったのを皮切りに、新たに地域毎に分離子会社の設立と管理委託などを進め、運行コストの低減を図った。また、移管された路線の大半では不採算路線の増収策として車内で物品販売も行われ[27]、マスコミにも「車内売店のあるバス」として話題を提供した。販売品目にが加わった際には売店の設置された各車両を米穀小売販売業者の店舗として神奈川県知事に登録していた[注釈 12]

これと並行して不採算路線の整理も進められる事になり、2002年(平成14年)までに極端に乗車率の低い路線は廃止された。

[編集] 環境定期券とスヌーピーバス

スヌーピーバス スヌーピーバス
スヌーピーバス

この頃、環境問題がクローズアップされていた折、神奈中でも環境問題に取り組む事になった。基本的にはマイカー通勤からバス通勤への移行を呼びかけるものであるが、ただ呼びかけるだけではバス会社の都合と受け止められる可能性を考慮し[28]、バス会社側でも新しい運賃制度を導入する事が必要と考えられた。

検討の結果、ドイツにおいて導入されている環境定期券制度の導入を行う事になったが、制度の導入だけではなく、広告塔に相当するものが必要と考えられた。そこで、知名度が高く他社が使用していないキャラクターを選定する事になり[29]、アメリカで環境問題について使用されているスヌーピーが選ばれた。版権を持つ法人にも「環境保全が目的」と認められ、格段の配慮があったという[28]

こうして、1997年(平成9年)9月20日日本で初となる環境定期券制度導入と同時に「スヌーピーバス」が運行開始された。スヌーピーバスは2年間で40台が導入され、2002年(平成14年)まで運行された他、一時期は江ノ電バスでも運行されている。

[編集] 潜在的需要の発掘

1997年(平成9年)夏には、これからバスを利用する世代となるであろう児童層に着目し、路線バスの利用方法を覚えてもらうという趣旨[30]で「ちびっこ50円キャンペーン」を開始した。現金払いの場合は一般路線の全路線で小児運賃50円となるというもので、当初は長期休暇とゴールデンウィークのみの実施であったが、多い時には1日1万3千人もの利用がある[30]など一定の効果が認められた事から、後年すべての土曜・休日に適用を拡大している。

また、高齢者向けの施策としては、1996年(平成8年)より敬老の日に65歳以上の運賃を100円とするサービスを行った後、2001年(平成13年)6月より「かなちゃん手形」の発売を開始した。これは、初めに購入するパスを安価に設定[注釈 13]、パスを提示した場合は乗車1回につき運賃を区間にかかわらず100円とするもので、1回毎の運賃を安価に設定する事で乗車回数を増やす事を目的とした施策である[31]。1日1万2千人の利用があるという[31]。当初は車内でも発売していた。

[編集] 21世紀に向けた新展開

自転車ラックを装備したバス(ち87)

1999年(平成11年)、神奈中では田村車庫・本厚木駅から羽田空港へ向かう空港連絡バスの運行を開始、好調となった[32]ため、以後町田・相模大野・港南台・辻堂・藤沢の各駅から羽田空港・成田空港を結ぶ路線も運行を開始した。一方、夜行高速バスでは乗車率が高いにも拘らずコスト割れする路線もあり[33]、生活路線でない赤字路線の運行を続ける理由はないとの見地から[34]、広島・和歌山・奈良への路線は廃止され、盛岡への路線は岩手県交通の単独運行となった[32]。その他の路線は子会社の運行コストであれば存続可能と判断され[34]湘南神奈交バスに移管された。後に横浜神奈交バスに再移管されている。

2009年(平成21年)3月26日からは、茅ヶ崎・辻堂駅発着の一部路線で自転車をバスに搭載するサービスが開始された[35]。自転車を搭載可能な路線バスは前例がある[35]が、バスの前面に自転車ラックを設置し、自転車をバスの前面に積載する方式は日本初の導入例である[35]

2011年10月1日より、舞岡操車所の路線バス50台の運転席後方にモニターを設置し、ニュース・天気予報・広告などを放映する「かなch.」というサービスを開始した[36]

関連事業においては、スーパーマーケット「神奈中ストア」は2007年度末までに全店舗撤退、同時期にバス車内における物品販売も終了となっている。

[編集] 連節バスと新たな公共交通の模索

ツインライナー (ち201)

通勤・通学路線においては、新しいタイプの公共交通の模索も進められた。

湘南台駅慶應義塾大学藤沢キャンパスを結ぶ路線は、朝のバス待ち行列が250人近く並ぶ有様で、通常のバスでは捌ききれない状況であった。また、駅前広場の状況も警察により一般車の乗り入れ規制や交通指導員の配置なども行われていたが、通常のバスによるこれ以上の増発は困難な状況であった。このため、2003年(平成15年)には藤沢市が中心となって新たな公共交通システムを導入するための検討委員会が設立され[37]、道路交通の遠隔化やバリアフリー化、さらに交通不便地域でのミニバスによるフィーダー路線運行によるマイカー抑制や環境保全などを目標としていた[37]。その前提として、1台あたりの定員の多い連節バスを基幹路線に導入することになった[37]

日本において連節バスを製造していた富士重工業は当時既にバス車体製造から撤退しており[38]交通バリアフリー法が制定されていたため床面地上高を550mm以下に抑える必要もあった事から、輸入車を導入する事になり、大阪府中央交通が日本総代理店となるネオプランセントロライナーを導入する事になった[38]。これは日本の道路運送車両法により定められた連節バスの構造要件には合致しない車両[38][注釈 14]であったが、自治体及び警察の協力も得られた事から特別に認可され[38]2005年(平成17年)3月14日より「ツインライナー」と命名された、日本では初めての導入となるノンステップ連節バスが運行を開始した[37]。本路線を基幹路線とし、慶應義塾大学で「ツインライナー」に接続し、ミニバスで周辺地区を循環する支線バスによる交通網の拡大も行われた[37]

[編集] 規制緩和への行動力

これに続き、厚木市は朝方通勤時のバス利用者が多い厚木アクストへの通勤路線に連節バスの導入を検討し、2006年(平成18年)には独自の補助金制度を定めた[39]。しかし、この時には藤沢市で導入されていたセントロライナーが日本向け車両の供給を中止しており[40]、車種選定を改めて行う事になった。

神奈中では三菱ふそうトラック・バスに対して、日本での連節バス製造の可能性について打診した[40]が、三菱ふそうは日本での製造は困難と回答し、代わりにダイムラーグループのエボバスが製造するメルセデス・ベンツ・シターロの導入支援を行うことになった[40]。受注にあたり、欧州規格のままの車体幅2.55mで非常口扉を設置しないという日本の道路運送車両法による保安基準をさらに超える仕様[注釈 15]での製造という条件があった[40]が、神奈中では藤沢市での連節バス運行実績を基に独自で基準緩和を働きかけ[41]2008年(平成20年)2月4日より厚木市内でも連節バスの運行が開始された。日本国内で欧州規格そのままの路線バス車両導入は初めての事例である。

これらの基準緩和に対する神奈中の行動力には、三菱ふそう関係者も大いに刺激を受けたという[41]。また、これに関連して、連節バス導入を検討する自治体が増加しているとも報道された[42]。神奈中では、日本全国でも連節バスの導入が広まる事を期待しているという[43]

[編集] 年表

当時の横浜市大岡地区では乗合自動車を始める者が乱立し、競争が繰り広げられていた。この無益な競争に終止符を打つべく、関係者が同社を設立し整理統合を行った。
  • 1921年10月29日 - 金沢自動車運輸より路線承継(滝頭~杉田~瀬戸~逗子間)。
  • 1928年7月 - 梁瀬長太郎ヤナセ創業者)が社長に就任。
  • 1931年11月 - 鶴屋商会(1919年5月創業、戸塚厚木間の乗合自動車を運営)の大木敏行が買収。杉田~逗子間を湘南乗合自動車へ譲渡(現在の横浜京急バスのルーツ)。
  • 1936年12月 - 鶴屋商会及び戸塚自動車商会(戸塚~岡津間)を合併。
  • 1937年1月12日 - 相武鶴屋自動車株式会社に商号を変更。
  • 1938年5月 - 東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)に買収され、同社の傘下に入る。
  • 1939年6月16日 - 中央相武自動車を合併、東海道乗合自動車株式会社に商号変更。
中央相武自動車1923年3月設立。横浜~厚木間の乗合自動車を運営。玉川電気鉄道(玉電)の傘下会社である目黒自動車運輸が買収したが、1936年10月に東横が玉電を傘下に収めた事に伴い、1937年8月に同社も東横の傘下に入った。
関東乗合自動車:1931年12月設立。新宿~小滝橋間を運行していたが、1936年12月に原町田乗合(同年4月に設立され、1921年9月より野渡太助が運行し、後に平井実造が経営していた原町田~図師間、原町田~鶴間間、原町田~小野路間、原町田~瀬谷間などの路線を承継)を合併。一時現在の町田市内にも営業基盤を持っていた。東海道乗合自動車へはこの原町田営業所を譲渡した。現在の関東バス
江ノ島電気鉄道:1931年7月11日、競合関係にあった鎌倉江ノ島乗合自動車商会(1929年6月2日開業)より江ノ島鎌倉間の営業権を譲受して営業再開(これより先、1927年から1929年まで辻堂地区で乗合自動車業を行っていたが、廃業していた)。1934年9月1日、藤沢自動車より片瀬~藤沢間譲受。1935年5月26日、岩崎清一及び平田忠心より茅ヶ崎市内及び平塚市内の路線を譲受。東海道乗合自動車へは、まずこの茅ヶ崎・平塚線を譲渡した。
  • 1942年2月 - 秦野自動車(1921年8月設立、秦野~平塚間、秦野~二宮間他)を合併。
  • 1943年4月 - 東京急行電鉄、神奈川県下の陸上交通統制の趣旨に基づき、伊勢原自動車及び藤沢自動車を買収。
伊勢原自動車1920年3月に伊勢原自動車運輸として設立。1928年2月サンエキ自動車(1926年設立)と合併し、伊勢原サンエキ自動車と改称。1932年9月伊勢原自動車と商号を変更。周辺事業者を悉く統合。1938年3月には秦野自動車より平塚~二宮間と平塚~須賀間を譲受していた。
藤沢自動車:1931年に江之島自動車・片瀬自動車商会・鵠沼自動車が統合して設立。以来、県央地区(高座郡愛甲郡津久井郡)の事業者を悉く買収・併合して統合。1937年6月、京王電気軌道(現在の京王線の母体)に買収され、同社傘下となる。1940年9月、八王子中央自動車(1925年11月開業。川尻村(現・相模原市城山町)久保沢向原~八王子市旭町間)の合併で、南は藤沢~平塚から厚木・相模原を経て北は八王子~上野原までに至る神奈川県を縦断する路線網を築き上げた。
  • 1944年5月31日 - 東海道乗合自動車は伊勢原自動車及び藤沢自動車を合併。
  • 1944年6月16日 - 神奈川中央乗合自動車株式会社に商号を変更。
  • 1944年11月28日 - 相模鉄道及び江ノ島電気鉄道の乗合自動車事業を譲受(3月に譲渡契約を締結。江ノ電バスはこれで消滅)。
相模鉄道:1935年12月24日、大谷仁三郎経営の淵野辺上溝~田名間と田名~橋本間の乗合自動車業を承継して開業。1936年6月9日、愛甲自動車商会より上溝~厚木間の路線を譲受。1941年6月30日、東京横浜電鉄の傘下に入り、1943年4月1日、神中鉄道(現在の相鉄本線の母体)を吸収合併するが、1944年6月1日、本来の鉄道路線である茅ヶ崎橋本間が国家買収される(現在のJR相模線)。従って同社は現在の相鉄と同一企業であるが、この時神奈中に編入されたバス路線と現在の相鉄バス(1949年6月20日横浜市内で改めて開業)は全くの無関係である。
  • 1945年11月 - ハイヤータクシー事業を相模中央交通に譲渡。
  • 1948年6月1日 - 東京急行電鉄の再編成に伴い、同社より分離・新発足した小田急電鉄の傘下会社になる。
  • 1949年5月 - 東京証券取引所に上場。
  • 1949年6月20日 - 江ノ島電気鉄道に一部路線を譲渡(江ノ電バスの復活)。
藤沢駅~七里ヶ浜~鎌倉駅間、藤沢駅~本鵠沼駅~辻堂駅間(旧来の江ノ電路線)
藤沢駅~深沢~鎌倉駅間、鎌倉駅~大船駅~日野~弘明寺間、大船駅~飯島~戸塚駅裏口間
  • 1950年5月31日 - 相模中央交通を合併してハイヤー・タクシー事業を再び兼業する。
  • 1951年6月29日 - 神奈川中央交通株式会社に商号を変更。
  • 1965年2月1日 - 伊勢原営業所・茅ヶ崎営業所の管内全路線でワンマン運行を開始。多区間運賃路線での整理券方式によるワンマン化は日本では初めて。
  • 1970年7月27日 - 鶴川駅~鶴川団地線に日本初の深夜バスを運行開始。当時は運賃は3倍、定期券は利用不可であった。
  • 1973年4月 - ハイヤー・タクシー事業を神奈中ハイヤーに譲渡。
  • 1974年5月 - ヤビツ峠線のワンマン化に伴い、全路線のワンマン化が終了。
  • 1976年5月1日 - 藤野町(現・相模原市)の路線で自由乗降区間を初めて設定。以後順次導入路線を拡大。
  • 1978年9月26日 - 路線バス車両にデジタル式運賃表示器の導入開始。
  • 1979年5月21日 - 路線バス車両に冷房車の導入を開始。
  • 1980年9月9日 - 路線バス車両に大型方向幕の導入を開始。
  • 1981年 - 開業60周年を記念し、薪バス「三太号」を復元。
  • 1986年4月1日 - 全系統に系統番号を附番。横浜市内の均一運賃区間において、共通回数券を導入。
  • 1987年3月 - 一般路線バスの塗装を変更。但し、在来車の塗り変えは行われなかった。塗り変えるより車両置き換えの方が早く終了するためとされている。
  • 1987年4月 - ギャラリーバスの運行開始。全社で26台導入し、すべての営業所に配置された。一般公募により、同年7月に「カナちゃん号」と命名された。
  • 1987年6月 - 路線バス全車両が冷房車となった。
  • 1988年5月9日 - 多区間運賃制の路線バスでは日本初となるバスカードシステムを平塚・伊勢原・秦野の各営業所で導入開始。
  • 1989年2月 - 夜行高速バス運行開始。
  • 1989年12月 - 深夜急行バス運行開始。
  • 1990年3月26日 - 横浜・舞岡・戸塚の各営業所での導入を最後に全路線へのバスカードシステム導入完了。
  • 1992年9月 - 極東開発工業と共同で、従来のツーステップバスをペースに前扉のステップにリフト機器を取り付けた新ステップ車の試作車が5台運行開始。1993年3月にも10台の試作車が投入された。1994年から量産車を投入し、2000年までの大型車と中型車全車に取り付けた。但し、日野中型車を除くU-車は全車改造扱いで平成6年排出ガス規制適合(KC-)車に移行された1997年以降のいすゞ(富士架装車)、日産ディーゼル(現・UDトラックス)車も改造扱いとなる。
  • 1995年 - 観光バス並びに事業を神奈中ハイヤーに譲渡(現在の神奈中観光)。
  • 1996年4月 - 一部路線並びに事業を湘南神奈交バスに譲渡。
  • 1997年9月20日 - 環境保護キャンペーンの一環として「スヌーピーバス」の運行を開始。同時に日本初の環境定期券制度を導入。
  • 1999年6月 - 相模原所属のさ154を最後に旧塗装車が全廃[注釈 16]
  • 1999年11月 - 一部路線・事業を津久井神奈交バスに譲渡。
  • 2000年10月 - 一部路線・事業を横浜神奈交バスに譲渡。
  • 2001年4月 - 一部路線・事業を相模神奈交バス並びに藤沢神奈交バスに譲渡。
  • 2001年12月 - 横浜担当の全線が前乗り・運賃先払いとなったため、整理券発行機が撤去された[注釈 17]
  • 2001年12月8日 - 2代目となるギャラリーバスが運行を開始。各営業所に1台ずつ配置。愛称は「かなちゃん号」を踏襲。初代はこの日限りで引退。
  • 2003年4月1日 - 藤野台団地 - 相模湖線の廃止で、一般路線は山梨県から撤退。
  • 2003年8月 - 「スヌーピーバス」の運行終了。車両はそのまま貸切兼用として運用。
  • 2005年2月1日 - 厚木市内全路線(厚木営業所は全路線)でGPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。
  • 2005年3月14日 - 湘南台駅 - 慶應義塾大学で「ツインライナー」運行開始。同時にGPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。
  • 2005年7月4日 - 横浜市交通局横浜市営バス)から一部路線の移譲開始。
  • 2005年9月25日 - 横浜営業所の支払い方式を両替式から釣銭方式に変更。
  • 2005年9月27日 - 舞岡営業所の支払い方式を両替式から釣銭方式に変更。
  • 2005年11月28日 - 横浜市営バスから一部路線を移譲される。
  • 2006年1月30日 - 横浜市営バスから一部路線を完全移譲される(同年3月27日にも実施)。
  • 2006年5月1日 - 上大岡駅発着路線でGPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。
  • 2006年11月17日 - 昼行高速バス「新横浜駅線」の運行を開始。
  • 2007年3月11日 - 藤野町の相模原市合併に伴い、藤野町営バス路線を子会社の津久井神奈交バスが譲受。これにより神奈中撤退区間が復活。
  • 2007年3月16日 - 相模原・多摩・町田の各営業所管内及び大和営業所の町田市内乗入路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始[44]
  • 2007年3月18日 - 戸塚営業所の全路線とツインライナーにてPASMO運用開始。
  • 2007年3月22日 - 京成バスと共管の成田空港連絡バス、辻堂駅藤沢駅戸塚バスセンター~成田空港を運行開始。
  • 2007年4月1日 - 横浜市営バスから一部路線を移譲される。
  • 2007年12月 - 茅ヶ崎・綾瀬の各営業所の全路線と藤沢神奈交バス(藤沢)にてPASMO運用開始。
  • 2008年1月 - 多摩・町田の各営業所の全路線にてPASMO運用開始。
  • 2008年2月4日 - 厚木バスセンター - 厚木アクスト線にツインライナー導入。同時に同路線にてPASMOの運用開始。
  • 2008年2月12日 - 横浜市営バスから一部路線を移譲される。
  • 2008年2月17日 - 大和営業所と藤沢神奈交バス(大和)の全路線にてPASMO運用開始。
  • 2008年3月1日 - 昼行高速バス「新横浜駅線」を廃止。
  • 2008年8月12日 - 新潟市のオムニバスタウン事業の一環として、新潟市でツインライナーの試乗会が開催された。
  • 2008年8月16日 - 相模鉄道から同社バス細谷戸線を委譲される。
  • 2008年10月13日 - 相模原営業所と相模神奈交バス(相模原)・津久井神奈交バスの全路線にてPASMO運用開始。
  • 2008年11月3日 - 横浜・舞岡各営業所及び横浜神奈交バスの全路線にてPASMO運用開始。
  • 2008年11月24日 - 平塚営業所と湘南神奈交バス(平塚)の全路線にてPASMO運用開始。
  • 2008年12月21日 - 厚木営業所の全路線にてPASMO運用開始。
  • 2009年3月15日 - 伊勢原営業所と湘南神奈交バス(秦野)の全路線にてPASMO運用開始。これにより、夜間高速バス、成田空港線、羽田空港線を除いた全営業所の一般路線にてPASMOの利用可能となった。
  • 2009年3月26日 - 茅ヶ崎営業所の一部路線にて自転車ラックバスの実証実験を開始(~8月31日)。
  • 2009年12月16日 - 秦野市内および座間市内への乗入路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始[45]
  • 2010年3月1日 - 横浜市内全路線および藤沢市内の一部路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始[46]
  • 2010年7月31日 - バス共通カードの取り扱いを終了。
  • 2010年12月16日 - 藤沢・綾瀬・茅ヶ崎・平塚・伊勢原営業所管内の路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始[47]
  • 2011年4月1日 - 相模神奈交バスが川崎市交通局より川崎市バス菅生営業所の運行管理を受託。自社子会社が神奈川中央交通本体以外の運行管理を受託するのは初となる[48]

[編集] 営業所・操車所

営業所名後ろの括弧内の平仮名及び英字は営業所を略記する際の記号。個別の路線については各営業所及び操車所の項目を参照のこと。

[編集] 受託事業所

[編集] 廃止された営業所・操車所

なお、上記のうち藤沢営業所(現・茅ヶ崎営業所藤沢操車所)及び津久井営業所・城山操車所(現・相模原営業所三ヶ木操車所・城山操車所)は、2005年4月16日よりそれぞれ藤沢神奈交バス藤沢営業所及び津久井神奈交バス津久井営業所に、秦野営業所(現・伊勢原営業所秦野操車所)は2008年5月16日より湘南神奈交バス秦野営業所に、舞岡営業所(現・横浜営業所舞岡操車所)は2011年10月16日より横浜神奈交バス舞岡営業所に完全委託された。これにより、神奈川中央交通本体としての営業所機能は廃止された。営業所と操車所の違いについては以下を参照のこと。

[編集] 営業所と操車所の違いについて

神奈川中央交通の車庫には、乗車券類の取り扱いなどの業務内容や各神奈交バスへの委託状況などにより、営業所・操車所の名称が使い分けられる。基本的に、神奈川中央交通が乗車券類の販売業務を行っている場合は営業所、各神奈交バスが乗車券類の販売業務を行っている(神奈交バスの営業所に業務を全面委託している)場合、もしくは一切の乗車券類などの販売業務を行っていない場合は、操車所であると考えてよい。但し、「営業所」であっても車庫が複数存在する場合は、それぞれの車庫自体の別称として操車所が使用される場合もある(厚木営業所の例:松蓮寺操車所・下荻野操車所・上荻野操車所)。

なお、バス停の名称などに使用される事が多い“車庫の名称”は、周辺の地名からとられる場合もあり、営業所や操車所の名称と違う場合が多い(例: 町田営業所は「野津田車庫」、藤沢操車所は「高山車庫」、秦野操車所は「高砂車庫」など)。

[編集] 神奈交バス・神奈中観光

[編集] 高速路線

[編集] 他社運行路線

以下の他社運行の路線は、かつて同社→グループ会社を経て運行してきた。路線自体は存続しているが、同社では予約・発券業務のみを担当している。

[編集] 本厚木・横浜 - 盛岡線

神奈川中央交通の運行開始当初の車両(三菱ふそう・エアロクィーンM)

岩手県交通が運行する、鉄道では直行できない岩手県と神奈川県を結ぶ路線である。運行開始当初は神奈中との共同運行を行っていた。また、神奈中の夜行高速バスでは初めて本厚木駅発着となった路線で、その後他の夜行高速バスも本厚木を停車地に追加した。

検討段階から交通ジャーナリストの鈴木文彦が市場調査などで直接的に関わっており[49]、盛岡での開業初日のテープカットでは鈴木も招待されていた[49]。当初、岩手県側では岩手県交通とジェイアールバス東北の2社が参入を希望したが、その後両社間の調整で別路線への参入を条件にジェイアールバス東北は本路線への参入を見送る事になった[50]

運行開始当初、神奈中では独立3列シート便所付きのスーパーハイデッカーである三菱エアロクィーンMが使用されていた。神奈中は他の路線と異なり厚木営業所が担当していたが、車両更新時には三菱エアロクィーンIに代替されると同時に横浜営業所に移管された(岩手県交通の車両は引き続き神奈中厚木営業所に入庫)。後に神奈中より湘南神奈交バスに運行を移管されたが、2005年平成17年)11月30日限りで岩手県交通の単独運行となり、車両も岩手県交通に譲渡された。その後は予約・発券業務のみ受託している。

[編集] やまと号

[編集] ハーバーライト号・横浜昼特急大阪号

[編集] 廃止・撤退路線

[編集] 車両

[編集] 概説

一般路線用は三菱ふそう製が約80%、いすゞ自動車製が約15%を占める。日野自動車製はコミュニティバスやそれに準ずる路線ではリエッセレインボーが主力となっているものの、大型車は舞岡配備のハイブリッド車を除けば伊勢原に集中配備となっている。さらに日産ディーゼル(当時、現「UDトラックス」)製は厚木、秦野、平塚の3営業所にごくわずかが配備されているに過ぎず、ここ数年の新規導入は厚木・秦野のみである。系列会社籍の高速・観光バスはいすゞ製が若干存在するものの、三菱ふそう製にほぼ限定されていると言ってもよい状態である。

この様に、巨大事業者でありながらいびつな構成になっているのは、1980年代半ばに神奈川三菱ふそう自動車販売が傘下となったためで、従来は4社のバランスをとって新車を導入していたものが、1984年昭和59年)頃を境に、いすゞの拠点である藤沢市周辺地域を除くと三菱ふそう車が集中投入される下地となった。その結果、町田営業所や横浜営業所の様に三菱ふそう車でほぼ統一されている営業所も存在する(詳細については各営業所毎の解説を参照されたい)。なお、2004年(平成16年)以降は日産形低公害車の実証実験を厚木営業所が担当する事となり、尿素SCRステーションを設置した関係から日産ディーゼル車が継続的に配備され、2009年(平成21年)2月28日現在で41台在籍、稼動車の30%程度にまで比率が上がっている。

ボディはいすゞ製を除けば各社純正ボディ車(三菱ふそうは伝統的に呉羽製[注釈 18])を採用していたが、いすゞについては純正の川崎重工の他、富士重工北村製作所を並行して採用していた。特にいすゞ+富士重工の組み合わせは富士重工のバス車体製造撤退時まで取引を続けており、これらは茅ヶ崎に集中的に配備された他、藤沢・綾瀬を除く営業所では新製配置のいすゞ車は原則として富士重工ボディであった[注釈 19]。日産ディーゼル車についても富士重工および西日本車体工業製で導入されていたが、2010年(平成22年)後半より三菱ふそうからのOEM車種であるスペースランナーAの導入が開始された。

この他、連節バス(ネオプラン・セントロライナーメルセデス・ベンツ・シターロ)が「ツインライナー」と命名されて、湘南台駅慶應義塾大学間と厚木バスセンター厚木アクスト間で各4台ずつ運用されているほか、コミュニティバス向けに小型ノンステップバス(オムニノーバ・マルチライダー日野・ポンチョ)が導入されている。

ノンステップバスの導入は1998年(平成10年)より積極的に推進している[51]。サイズは全長10.5mから10.9mの車(以下「標準尺車」と表記)と全長9mの車(以下「短尺車」と表記)を導入している。当初はノンステップバスには専用のカラーリング(後述するブルーイエロー色)を採用していたが、2001年(平成13年)以降は一般車と同じデザインに変更されている。三菱車においてはエアロスターを増備してきたが、2008年(平成20年)から2009年(平成21年)前半までは一部を除いて日産ディーゼルからのOEM車種であるエアロスター-S(AA系)を導入していた。

2002年(平成14年)5月以降、方向幕のLED化が進んでおり、現在は一部の小型車両に幕式の車両が見られるのみとなっている。なお、ごく一部を除き英語表記は行われていない。なお、回送は英語表記された表示をしており、表記内容は「OUT OF SERVICE」である。

2003年(平成15年)の新車より小田急グループマテリアルズ仕様で導入されている。これは同社を通じて購入する事によりコストを抑えながら短期間で大量の更新が行える様になっている。このため、床面処理・ドア配置や空調装備品などは小田急グループのバス事業者共通の仕様となっている。

神奈中では1985年(昭和60年)製の車両までは6年から8年程度(長くても10年程度)で廃車されるケースが多かった。そのため、昭和54年排出ガス規制適合車も1992年(平成4年)までに全廃されている。

[編集] 特徴的な仕様

バス専業としては日本最大の事業者だけに1年あたりの導入車両数が多く、その結果「神奈中仕様」とも言える特注仕様が存在する。その中でも代表的なものが車両前面の向かって右側の窓下[注釈 20]に設置された「運賃支払い方法表示窓」(運賃収受が前払いか後払いかを表示するためのもので、一部車を除き幕式になっている。)である[52][注釈 21]。また、かつて三菱にホイルベース5.8mで全長が11m級の車両(P-MP218P改・以下、全長11m級の車両は「長尺車」と表記)を特注し、これをMP218-Nとしてメーカーに追加で形式認定させた程の力を持つ[注釈 22]。この特注の長尺車は厚木・藤沢・綾瀬・横浜・戸塚・舞岡の各営業所に多く配置されていたが[注釈 23]1990年(平成2年)以降は標準尺車をメインに導入されている[51]。また、1995年(平成7年)以降は全長9m級の中型車両もまとまった台数を導入している。

1994年(平成6年)から2000年(平成12年)にかけて導入された車両は全て前扉に極東開発工業製の可動式ステップを設置した「新ステップ車」となっている[53]。これは神奈中では様々な事情からワンステップバスの導入が実現できなかったため、その代替として位置付けられていた。この「新ステップ」はほかの業者などに波及している。また、2000年導入車までは前後のバンパーは大型の仕様が標準となっていた[52]が、これはバンパーをフロントガラスの清掃の際に使用するステップと兼用させるためであった[54]

[編集] 廃車車両の譲渡

神奈中は京阪バス西武バスと共に、日本の地方事業者に廃車車両を供給しており[55]、「廃車車両の譲渡先数が日本一」と評されたこともある[55]。特に6~8年程度で廃車にしていた[53]1990年前後は多くの車両が地方バス事業者へ転出し、これらの車両は地方バスの冷房化率向上にも貢献している。

また、ミャンマーフィリピンニュージーランドインドネシアなど、海外へも大量に輸出されている。

2000年(平成12年)以降は上記のほか、これまで神奈中中古とは無縁だった事業者(北海道中央バスグループ・羽後交通秋北バス平成エンタープライズ桜交通茨城交通越後交通グループ・富山地方鉄道加越能鉄道北陸鉄道グループ・サンデン交通中国バス中国ジェイアールバスおのみちバス西肥自動車佐世保市交通局大分交通西表島交通など)への譲渡も増加している。

[編集] 車両塗装

名称は一般的に呼ばれているものであり、正式なものではない。一部にラッピングのものも含まれる。

標準色

黄色(に近いクリーム色)+下部赤色+赤色と橙色の帯。なお、1987年(昭和62年)中の短期間、現行の塗り分けに決まるまで車体前面上部に赤色が掛かるなど細部に変遷が見られた。

波線カラー(旧塗装)

現在の標準色になる前のもので、下部の赤色が波線になっている。前面などにも差異がある。

神奈交色

白色の車体に、各神奈交指定色が前方~中央車体下部及び後方全体に塗られている。また大きくKANAKO BUSのロゴが入る。

  • 新車として神奈交バスが購入した車両のみに施される塗装なので、数は非常に少ない。
  • 各社の色は、湘南が黄橙、横浜が濃い青、藤沢が淡い青、相模が明るい青緑、津久井が深緑で、海や川、山など、各地をイメージした色になっているものと思われる。
ブルーイエロー(B&Y色)

水色、青色などの車体に白と紺の波線、車体中央部にカモメをイメージした黄色のマークが3連あり、橙色でKanagawa Chuoとロゴが入る。元々は夜行高速バス用の塗装である。

  • 初期に導入されたノンステップ車、ワンロマ車に多い。
  • 多摩営業所のCNGノンステップは、黄色のカモメが省略されているため、下記のカラーに近い。
青色 (ワンロマ色)

青色または紺色に白の波線、橙色でKanagawa Chuoとロゴが入る。

  • 基本的に上記のカラーと似ているが、異なる箇所が多い。なお、車体色が薄い青の車は「ポカリスエット」のデザインに酷似している。
  • ワンロマ車に多いが、これは元々環境保護キャンペーンで運行した「スヌーピーバス」の契約期間が切れたため、キャラクターのラッピングをはがし、白い帯を入れたものである。なお、「スヌーピーバス」の時から白い帯が入っていた車両もあったため、帯はそれらの車両に合わせたものとなっている。
茶色(「YAMATE LINER」色)

茶色の濃淡にロゴが入る。

  • 2007年(平成19年)4月に横浜市交通局より移管された舞岡営業所11系統用に'YAMATE LINER'とロゴが入ったものが登場。後に11系統にはノンステップ車を運用する事になり、それまで11系統で使用していたワンステップ車は3台を除き11系統の運用を外れ、それらの車両は塗色はそのままでロゴのみが'KANACHU-BUS'に書き換えられたものとなっている。
ツインライナー色

ピーチピンク1色に窓周りは黒で、ロゴが入る。

特定色

白色+下部赤色+青色の帯

  • 標準色の色違いのようなものだが、細部が異なる。主に特定車で使用されている。かつての観光用車の塗装に準じたものである。
スヌーピーバス

江ノ電バスと共同の環境保護キャンペーンの一環で、当時導入したワンロマ車を青く塗装し、スヌーピー達をラッピングしたもの。数種類が存在していた。

  • 契約終了後全車が上記の「青色」となったが、白帯や神奈中ロゴが入らずに完全な青一色で運行された期間もあった。
  • 江ノ電では在来車を塗装変更した緑色のスヌーピーバスを運行したが、契約終了後は緑色に白帯のバスとなった。3台が存在したが、既に廃車済みである。
空港リムジン色

グレーに上半分が水色。窓の下と屋根に"Kanagawa Chuo(横浜神奈交車はYokohama Kanako Bus) AIR EXPRESS SALOON"ロゴが入る。

自転車ラックバス

前面がオレンジ、側面がオレンジと白のツートンカラー。「BICYCLE CARRIER」のロゴも施されている。

この他、初代カナちゃん号、2代目かなちゃん号・リフト車色・リフト車色(町田)・湘南めぐみが丘色・まちっこ色・その他ふじみ号・かわせみ号など各コミュニティーバス専用色などがある。

[編集] 社番

車体外部の社番表示

[編集] 附番法則

所属車両に付けられている社番は、神奈中直管の営業所に所属する場合は「平仮名一文字」+「4桁以内の数字」で構成され、平仮名部分は上記営業所一覧に記載の通り所属営業所を表す[52]。数字部分については多少例外はあるものの、基本的には以下のルールで附番されている。

  • 1~299:路線車[52]
    ミニバス・コミュニティバスなどの特殊な車両は、営業所によっては201、202…などのきりの良い番号から附番される場合もある。
  • 301~399:特定車(学校・企業・病院などの契約輸送用)[52]
  • 501~599:貸切車(特定車と同様に契約輸送用)[52]
  • 601~699:神奈中観光
  • 701~799:都市間高速車[52]
  • 801~848:深夜急行用[52]
  • 851~899:空港路線用[52]
  • 数字の頭に0(ま02など):各神奈交バスへの管理委託車(車籍は神奈中本体のまま)[52]

なお、42・49が付く番号及び400・900番台は忌番とされ、附番される事はない。

[編集] バスロケーションシステムにおける社番表示

バスロケーションシステム導入車両の車内に貼付されている社番の表示 携帯バスロケでは車両番号で当該車両の到着予想時刻が参照できる
バスロケーションシステム導入車両の車内に貼付されている社番の表示
携帯バスロケでは車両番号で当該車両の到着予想時刻が参照できる

バスロケーションシステムのモバイル版では、現在乗車しているバスにおいて社番を入力する事で、その先の各停留所の到着予想時刻を参照したり、電子メールで送信する事が可能である。このため、バスロケーションシステム導入車両の車内には社番がステッカーで車内の数か所に貼付されている。通常、バスの社番は関係者やバスファンが用いる程度であるが、神奈中のバスロケーションシステム導入路線においては、利用者全般に提供される情報となっている。

なお、システム上では神奈中・神奈交委託車の区別はされておらず、神奈交委託車の頭の0番(や05等)は入力しなくても表示され(例えば神奈交委託のま0128は、ま128でも同じ表示がされるし、神奈中本体のあ86は、あ086でも同じ表示がされる)。

[編集] 車両その他

各運転士は、自らが所属する営業所長から乗務車両を任命され、その車両の専属乗務や簡単な車両管理などを行う担当車制を採用している。そのためか、“自分のクルマ”に愛着がある運転士も多く、運転士によっては車両を良く磨いたり清掃を行っていたりするため、廃車間際の車両であっても新車のような美しい外見を保っていることもある。なお、勤続年数(年功)の若い運転士や嘱託運転士を中心とする一部の運転士は担当車のないフリー運転士とされ、フリー運転士は担当運転士の休暇などで開いている車両に乗務する。

また、車両の新車は勤続年数の長い(年功の古い)運転士や班長・副班長運転士など乗務成績の良い運転士から割り当てられる事が多い。その中で、1987年(昭和62年)4月から運行されたギャラリーバス「カナちゃん号」については、車体外装全面の下地色を白で統一し、可愛らしいキャラクターをあしらう斬新な塗装であった他、小規模な営業所(当時の津久井営業所など)には1台しか配置されなかった事から、導入当初カナちゃん号に乗務する事になった乗務員の中には「恥ずかしいので運転したくない」と思っていた人が少なからずいたとの話がある。

[編集] 運賃の支払い方法

均一路線や多区間運賃区間などを抱えるため、幾つかの運賃支払い方法が存在する。

同一の路線でも往路と復路、ラッシュ時間帯とその他などで支払い方法が異なる場合もある。

前払い均一運賃
  • 前扉から乗車して運賃を支払い、中扉から降車する。通常、運賃支払いは両替方式(横浜・舞岡・大和営業所の場合はつり銭方式)。
前払い多区間運賃
  • 前扉から乗車して、降車停留所を申告し運賃を支払い、中扉から降車する。通常、運賃支払いは両替方式(横浜・舞岡・大和営業所の場合はつり銭方式)。
    ほとんどの乗客が終点まで乗り通す系統での朝ラッシュ時にしばしば用いられている。また、均一路線周辺及び均一路線と周辺を跨ぐ路線でも用いられている。
後払い均一運賃
  • 中扉から乗車し、降車時に運賃を支払い、前扉から降車する。運賃支払いは両替方式。
後払い多区間運賃
  • 前扉から乗車し整理券を取り、降車時に運賃を支払い、前扉から降車する。通常、運賃支払いは両替方式。
  • ICカードの場合は、乗車時にカードを前扉横のカードリーダーにタッチする。この際に整理券番号の情報が記録される。その後降車時に再びカードを運賃箱のカードリーダーにタッチする。
後払い多区間運賃(伊勢原営業所の場合)
  • 中扉から乗車し、中扉に設置された整理券発行機から整理券を取る。降車は上記と同一。
  • ICカードの場合も中扉に設置されたカードリーダーにタッチする。この際に整理券番号の情報が記録される。降車は上記と同一。

後払いで起点から1運賃区間(整理券なし)の停留所で乗車の場合は、整理券を取る必要がない(カードに整理券番号の情報を記録する必要がない)ため、

整理券発行機・カードリーダーのない車両でも『しめきり』と表示してある中扉から乗車する事が少なくない[注釈 24]

このため、後払い路線において途中停留所からICカードをタッチせずに乗車し降車時にそのままカードをタッチしたり、
乗車の際運賃箱のカードリーダーにタッチした場合には、起点からICカードをタッチした停留所までの運賃が引かれてしまう。

停留所ポールの下部にある「ワンマンバス利用上のお願い」には乗り降り方法と運賃支払い方法が表で示されており、そこでも確認できる。

それぞれ「全線1区の区間」(上記の前払い均一料金)、「2区以上の区間」(上記の後払い多区間運賃)の利用方法を掲出している。

2区以上の区間の場合、乗り降り方法が「前扉から乗車して前扉から降車して下さい。」と掲出されているが、実際には中扉から乗車する事があるのは上記の通りである。

[編集] 例外

例外として町71系統(町田バスセンター中山駅北口)は、町田バスセンターから青葉台駅まで後払い(上記後払い多区間運賃の伊勢原営業所以外)、

青葉台駅から中山駅北口まで先払い(上記前払い均一運賃大和営業所の場合)で、町田~青葉台・青葉台~中山相互間を乗り通す場合、

乗車時と降車時で運賃支払い方法が異なってしまう。

これは青葉台駅~中山駅間が横浜市営バス東急バスとの共同運行区間であるためである。

なお、この系統の乗車方法は以下の通り。

町田~青葉台→青葉台~中山方面 (乗車時は後払い→降車時は前払い)
  • 前扉から乗車し整理券を取り(最初の一区は中扉から無券乗車)、青葉台駅到着時に乗車全区間の運賃を支払う。降車時は中扉からそのまま降車。
中山~青葉台→青葉台~町田方面 (乗車時・降車時ともに前払い)
  • 上記の前払い多区間運賃制度の場合と同じで、前扉から乗車する際に降車停留所を乗務員に伝えてから運賃を支払う。降車の際は中扉からそのまま降車。

なお、これは神奈川中央交通により公式に発表されているものではなく、大和営業所や乗務員による一般的な取扱例である。

実際に乗車する際には、乗務員に確認を取ってから運賃を支払うのが望ましい。

しかし、同系統の運行回数が少ない事や青葉台駅で乗客のほとんどが入れ替わるなどの理由により、上記例外に遭遇する事は稀である。

また、他の例外として、平塚駅南口発着の循環線に始発乗車は後払い、途中乗車は先払いという混在した支払方法も存在する。

[編集] 付記

  • 収支改善のための努力として、ほぼ全車での販売を実施している他、横浜地区を除き中型車(基本的には各神奈交バス・委託車)に売店スペースを設置したり、い25・、い65号車に飲料自動販売機を試験的にではあるが設置していた事など、車販をするバス会社としても有名であった。なお、傘など一部を除く車内物販については2008年(平成20年)3月31日をもって廃止となった。
  • 停留所の時刻表は、1990年(平成2年)頃からダイヤ作成システムでの印刷出力様式となったが、経由・行先共6文字に制限されていたため、長い行先や経由地の場合は妙な省略がされる事が多かった。例えば、「相武台グリーンパーク行」→「グリンパーク行」、「山崎団地センター」→「山団センター」などはまだ正式名称が想像できるが、「京急ニュータウン行」→「京急行」、「ヨーカドー・中沢橋経由」→「ヨ・中沢橋経由」など、地元利用者でなければ理解が困難な表記もあった。また、経由欄には必ず「経由」という文字列が、行先欄には「行」の文字が入ったため、「直通経由」「急行経由」「北循環行」という表記もあった。しかし、2000年(平成12年)頃のシステム更新によりこれらの妙な省略表記は解消された。但し、「山団センター」の表記はダイヤ作成システム稼動以前から車両の方向幕やLEDでも用いられており、定着しているとみなされて現在でも使用されている。なお、「愛川ふれあいの村野外センター前」は、業務上の表示等で「野外センター前」と略記されているが、なぜか時刻表サイトではこの略記でないと検索できない。
神奈川中央交通で主に使用される「しらゆり型」バス停ポール 一部で使用されるバス停ポール
神奈川中央交通で主に使用される「しらゆり型」バス停ポール
一部で使用されるバス停ポール
  • 一部停留所などで掲載している時刻表に、「基本様式」と違う独自様式のものを用いている事がある。独自様式は厚木営業所管内で多く見られる。また、同じ「基本様式」でもサイズや色が違う場合もあり、中でも町田バスセンターの町田営業所担当の乗り場に掲出されている時刻表はそのポールにより様々な色が使用されている。なお、独自様式であっても「基本仕様」の時刻表に似せて作成されている事が多い。他にも、掲出する時刻表の多さやスペースの都合により、非常に小さく印刷された時刻表が使用される場合があり、町田営業所管内などで多く見られる。町田市の「市民ホール前」停留所や稲城市にある「於部屋」停留所など、時刻表の高さがA6判程度の大きさより小さくなってしまう場合もある。
  • 各乗務員は、基本的に発車時に「左よし、下よし、右よし」という指差呼称を行っている。これは他社ではあまりされていなかった発車時の指差呼称を行うことによって事故などを防ごうというものである。他の事故対策などで乗客に見る事ができるものは「安全鉄則 先ず止まれ」と書かれたプレートが運転席近くに設置されている事や、『回送時もスピードをおさえる』のスピードメーターの上に張られているピンクに黒字で印刷されたテープが挙げられる。なお、「下よし」の呼称はかつて下方不注意による死亡事故が発生し、その教訓から成された呼称である。なお、営業所や乗務員によっては「左よし、下よし、前方よし、右よし」の四方確認や、右後方確認などの呼称を行う事がある。
  • 方向幕はごく一部を除いてLED表示器であり、方向幕の車両も2004年(平成16年)頃の改造開始から3年程度でLED表示器に載せ変えた。これは、路線開設や廃止などによる幕交換や、ほこりなどで汚れた幕の清掃を省略するためで、また音声合成放送放置の導入も予定されていたことから、それに先駆けて行われた。なお、通常は方向幕に終バス灯などを点灯させない。
  • 車内放送は長らく8トラテープを使用していたが、2005年(平成17年)10月よりクラリオン製の音声合成装置が導入され、2008年(平成20年)3月までに設置が完了した。ただし、高速路線車やコミュニティバスなどではそれ以前より音声合成化されていた。
  • 1日数本から週1本など、本数の少ない路線や、大型・中型車で運行される狭隘路線も多く存在する。
  • 昭和30年代に平塚駅から伊勢原市大山までトロリーバスの運行を計画した事があったが、道路事情の悪さから道路を管理する神奈川県が難色を示し、中止となった。
「かなch.」のモニター

[編集] 関連会社

[編集] 連結子会社

[編集] バス

[編集] その他

[編集] 持分法適用関連会社

[編集] データ

[編集] 大株主の状況(2007年9月30日現在)

※神奈川中央交通は、小田急電鉄の持分法適用関連会社である。

[編集] 営業所別所属台数推移

特定車・高速車を含み、貸切車は含まない。

営業所名 1981年12月[56] 1986年3月[57] 1991年3月[58] 2001年3月[59] 2005年10月[60] 備考
厚木 163 205 237 202 191  
伊勢原 79 86 97 96 100  
舞岡 132 137 154 146 179  
相模原 160 174 192 233 162  
綾瀬     105 120 131 1989年3月時点では91
多摩       81 95  
茅ヶ崎 84 84 89 88 92  
津久井 67 70 77 65 55  
戸塚 170 179 188 166 196  
秦野 99 112 123 120 121  
平塚 127 137 153 169 188  
藤沢 129 160 91 96 103 1988年3月時点で165
町田 144 185 204 163 182  
大和 98 114 127 124 139  
横浜 112 121 138 126 108  
合計 1564 1663 1975 1995 2042 備考

[編集] 脚注

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[編集] 注釈

  1. ^ 廃止前は子会社の横浜神奈交バスが運行していた。現在も路線自体は現地のバス会社により運行されている。
  2. ^ 乗合1,925台、特定他166台。神奈交車・神奈中観光など子会社の台数は含まず。
  3. ^ 2007年に撤退。
  4. ^ 路線によっては20区間近く。
  5. ^ 鉄道の「硬券」と同様のもの。
  6. ^ 通常運賃を20円から30円に改定する際に通常運賃の2倍に変更したため、深夜運賃は60円のままとなった。
  7. ^ 定期券の場合は通常運賃の支払いで利用可能に変更された。
  8. ^ 『神奈川中央交通七十年史』 p.106によると、1985年3月31日の時点で199台、1986年3月31日の時点で205台となっていた。
  9. ^ システム開発と導入にあたっては運輸省よりバス活性化に対する補助を受けているが、バスカード導入で補助対象になったのも日本で初めてである(『バス・ジャパン』通巻9号)。
  10. ^ 当初は神奈中のバスカードに採用されていたシステムとバス共通カードを導入していたバス事業者のバスカードのシステムが異なっていたため、1998年(平成10年)1月18日まではバス共通カードを使用できない車両が存在し、逆に他社のバス共通カード取扱車においては神奈中バスカードを利用する事はできなかった。
  11. ^ これは神奈川県では初の夜行高速バス路線となった。
  12. ^ 2004年(平成16年)までは食糧管理制度により登録が義務付けられており、米の販売には必ず県知事への登録が必要だったため、車内の売店をスーパーマーケット「神奈中ストア」の店舗扱いとする事で対応し、車内にも登録証が掲示されていた。
  13. ^ 3か月券は3,000円、6か月券は5,000円、1年券は9,000円。
  14. ^ 例えば、1999年(平成11年)に制定された構造用件では第1軸と第3軸が同一の軌跡を辿る事とされたが、セントロライナーでは第3軸にはステアリング機構がないため、必然的に第1軸と第3軸の軌跡は異なる。
  15. ^ 日本の道路運送車両の保安基準第二条において最大車体幅は2.5mと定められている他、第二十六条では定員30名以上の車両には非常口扉の設置が義務付けられている。
  16. ^ ただし、一部の営業所では早くに引退となった営業所もある。
  17. ^ 後に再度取り付けられ、現在はカバーで覆われている。
  18. ^ ただし、高速路線車および貸切車(一部を除く)では三菱ふそうバス製造に一本化されるまでは当時の三菱自動車工業名古屋製作所大江工場製で導入していた。
  19. ^ ただし、中型車では1999年(平成11年)導入のエルガミオ以降は純正ボディで導入されている。
  20. ^ エアロスターではセイフティウィンドーが標準装備されている部分。
  21. ^ ただし、1987年に26台が導入されたギャラリーバス「カナちゃん号」に限っては設置されていなかった。
  22. ^ その後、北陸鉄道京浜急行バスなどでも導入例が見られたが、ニューエアロスターでは設定されなくなった。
  23. ^ これらの営業所では、ギャラリーバス「カナちゃん号(初代)」も長尺車だった事で、長尺車がその営業所の標準であった事がうかがえる。
  24. ^ 伊勢原営業所の車両以外は整理券発行機・カードリーダーが中扉に設置されていない。

[編集] 出典

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[編集] 参考文献

[編集] 書籍

[編集] 雑誌記事

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  • 「走り出した国内初のノンステップ連節バス 神奈川中央交通の"ツインライナー"」、『バスラマ・インターナショナル』第89号、ぽると出版、2005年3月、 21-25頁。
  • 「神奈川中央交通のツインライナー第2弾が運行開始」、『バスラマ・インターナショナル』第106号、ぽると出版、2008年2月。
  • 「評価も上々、運行開始から1か月 神奈中のツインライナー第2弾」、『バスラマ・インターナショナル』第107号、ぽると出版、2008年4月。

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