菅原都々子
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| 菅原 都々子 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 別名 | 菅原ツヅ子 古賀久子 |
| 出生 | 1927年8月15日(85歳) |
| 出身地 | |
| ジャンル | 歌謡曲 |
| 活動期間 | 1937年 - 2006年 |
| レーベル | テイチク |
菅原 都々子(すがわら つづこ、1927年(昭和2年)8月5日 - )は歌手。本名は永松 都々子(ながまつ つづこ)。旧姓は菅原。通称「エレジー(悲歌)の女王」。非常に個性的なビブラート唱法が特徴。「NHK紅白歌合戦」の記念すべき歌唱者第1号(最初に歌った歌手)として広く知られる(詳細は下記参照)。特定非営利活動法人 名曲慰問団 名誉顧問として老人福祉施設にボランティア活動を行っている。
目次 |
生い立ち [編集]
- 青森県上北郡三本木町(現・十和田市)に生まれる。父は浅草オペラ歌手の河合丸目郎(まるめろう)で、後に作曲家となる陸奥明。ただ、当時の陸奥は故郷に帰って新聞記者をしていた。
- 9歳の時にオーディションのために1人で上京させられて、その際に古賀政男に認められたことから「古賀久子」の名をもらい養女となる。
- 1937年(昭和12年) - テイチクエンタテインメントで養父・古賀が作曲した『お父さんの歌時計』でデビュー、同時に実父の陸奥も作曲家として上京。
- 1940年(昭和15年) - 養子縁組は解消。父・陸奥のもとにもどって「菅原都々子」として再デビュー、
- 1945年(昭和20年)3月 - 父の母校である東洋音楽学校を卒業。戦後は田端義夫の前座を務めながら独特のビブラートの高音で少しずつ人気を得ていく。
- 1946年(昭和21年)10月 - 『片割れ月』
- 1948年(昭和23年)10月 - 『踊りつかれて』
- 1950年(昭和25年)2月 - 『憧れの住む町』
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)
- 10月 - 『佐渡ヶ島悲歌(エレジー)』
- 1955年(昭和30年)
- 4月 - 『月がとっても青いから』
- これはエレジーものが飽きられ始めたため、父・陸奥がイメージチェンジを賭けて売り出した曲。現在の市場規模の30分の1の時代、100万枚を超える[2]大ヒットとなり、この曲で歌手としての地位を不動のものとする。
- 7月 - 『木浦の涙』
- 4月 - 『月がとっても青いから』
- もともと物静かな性格だったためノイローゼにかかったことから第一線から退いて、テレビ番組やリサイタルを厳選して歌うようになる。
- 1961年(昭和36年)6月 - 『北上夜曲』
- 1968年(昭和43年)10月 - 『なみだ月』
- 1973年(昭和48年)2月 - ベルリンオリンピックボクシング日本代表で、明治大学教授(当時)の永松英吉と結婚。
- 1979年(昭和54年)11月 - シングル『風の又三郎』発売
- 1988年(昭和63年) - 歌手生活50周年記念リサイタル開催。
- 1992年(平成4年)11月18日 - 夫・永松英吉が急性心筋梗塞のため急死(79歳没)。
- 1996年(平成8年)
- 歌手生活60周年記念リサイタル開催。
- 9月 - 歌手生活60周年記念シングル『あなたが好き』
- 2001年(平成13年) - 歌手生活65周年記念出版の半生記「月がとっても青いから」(恵志泰成著)発売
- 歌手生活65周年記念曲『リンゴの花が咲く頃は』リリース
- 歌手生活65周年記念絵手紙展を大崎ウェストギャラリーにて開く
- 歌手生活65周年記念リサイタルをヤクルトホールにて開催
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)1月7日 - NHK-FM「日曜喫茶室」に出演。
- 2008年(平成20年)5月12日 - 相模原市民会館前庭に、『月がとっても青いから』の歌碑が建てられる。
- 2009年(平成21年)8月22日 - NHK「第41回思い出のメロディー」に出演。特に、という要望に応え番組内の第1回紅白再現コーナーにおいて第1回紅白歌唱曲『憧れの住む町』を歌唱。
- 2010年(平成22年)10月28日 - ゆうぽうとで開催された「第37回日本歌手協会歌謡祭」に特別出演した。
- 2011年(平成23年)
- 6月18日 - 古賀政男音楽博物館けやきホールで開催の「第4回 合田道人のこのひと、歌暦」に出演。
- 8月16日 - 二葉あき子が亡くなったため、第1回NHK紅白歌合戦に出場した歌手としては最後の存命者となった。
- 11月11日 - ゆうぽうとで開催された「第38回日本歌手協会歌謡祭」に出演。
- 2012年(平成24年)
- 10月12日 - ゆうぽうとで開催された「秋の歌謡フェスティバル」に出演(司会は女優の倍賞千恵子)。
- 11月6日 - 「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京)に出演。
主なヒット曲 [編集]
- 片割れ月(1945年(昭和20年))
- 憧れの住む町(1950年(昭和25年))
- アリラン(1950年(昭和25年))
- トラジ(1950年(昭和25年))
- 江の島悲歌(1951年(昭和26年))
- 連絡船の唄(1951年(昭和26年))
- 母千鳥の唄(1951年(昭和26年))共演:真木不二夫
- 憧れは馬車に乗って(1951年(昭和26年))
- 琵琶湖の宿で恋をして(1951年(昭和26年))
- 佐渡ヶ島悲歌(1952年(昭和27年))
- 恋のこけし人形(1952年(昭和27年))
- 夢去りし丘(1952年(昭和27年))
- 江の島夜曲(1953年(昭和28年))
- 上海エレジー(1953年(昭和28年))
- 悲恋椿(1953年(昭和28年))
- 博多エレジー(1953年(昭和28年))
- 胸に哀しい灯がともる(1953年(昭和28年))
- 江の島月夜(1954年(昭和29年))
- 海峡エレジー(1954年(昭和29年))
- 月がとっても青いから(1955年(昭和30年))
- 木浦の涙(1955年(昭和30年))
- セトナ愛しや(1956年(昭和31年))
- 島を出てゆく片帆船(1957年(昭和32年))
NHK紅白歌合戦出場歴 [編集]
- 第1回 (1951年1月3日、NHK東京放送会館第一スタジオ) 『憧れの住む町』
- 第2回 (1952年1月3日、NHK東京放送会館第一スタジオ) 『江の島悲歌』
- 第4回 (1953年12月31日、日本劇場(日劇)) 『佐渡ヶ島悲歌』
- 第7回 (1956年12月31日、東京宝塚劇場) 『連絡船の唄』
- このうち、第7回は菅原の歌のラジオ中継の音声が現存する。
テレビ番組 [編集]
脚注 [編集]
- ^ 当時の紅白は正月に開催されていた。
- ^ 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、86-87頁。ISBN 4390116495