東海汽船

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東海汽船株式会社
Tokai Kisen Co.,Ltd.
種類 株式会社
市場情報
東証2部 9173
本社所在地 〒105-6891
東京都港区海岸1丁目16番1号
電話番号 03-3436-1131
設立 1889年11月15日
業種 海運業
事業内容 海運関連事業
代表者 取締役社長 山崎潤一
資本金 11億円
売上高 連結120億39百万円(2008年12月期)
純資産 連結25億47百万円(2008年12月末日現在)
総資産 連結80億54百万円(2008年12月末日現在)
従業員数 連結281名(2008年12月末日現在)
決算期 12月末日
主要株主 藤田観光株式会社(20.05%)
外部リンク http://www.tokaikisen.co.jp/
  
神津島港停泊中の「かめりあ丸」

東海汽船株式会社(とうかいきせん)は、東京伊豆諸島の間などの航路を運航する海運会社である。

目次

[編集] 概要

グループ会社の伊豆諸島開発(伊豆諸島の各島間などのローカル航路)、神新汽船(下田から各島への航路)、伊豆七島海運(貨物航路)と一体になって航路運営を行っており、別途運営を行うグループ会社も含めると、伊豆諸島および小笠原諸島の海運をほぼ独占している。また、主力の海運業の他にも子会社などを通じて、路線バスの運行(伊豆大島)、ホテル経営(同上)および、各島へのセメントや燃料等の販売なども手がけている。

竹芝支店をのぞく島嶼(大島・三宅島・八丈島)各支店は代理店化されている(伊豆大島及び八丈島代理店は連結対象)。同様に熱海支店も代理店化され、富士急行に業務が委託されている。

ビジネスホテル運営大手の藤田観光が筆頭株主であるが、これは戦後の東海汽船の経営危機にあたり同社が支援をしたことに由来する。なお、戦前は東武グループや日産グループの支援を仰いだこともあった。

[編集] 沿革

[編集] 航路

大型客船(かめりあ丸・さるびあ丸)

「かめりあ丸」と「さるびあ丸」の配船は季節によって変更されることがある(「さるびあ丸」の方が大型で、収容人員や風波の影響の点で有利な為)。

小笠原海運の新船(TSL)導入にともないおがさわら丸が転配される計画があったが、父島航路高速化断念にともなう新船導入凍結により転配計画も消滅した[要出典]
  • 東京湾納涼船
夏期のみ季節運航。東京港・竹芝桟橋から東京湾を巡って竹芝桟橋に戻る。浴衣着用の場合は料金が割引になるほか、浴衣姿で踊る「ゆかたダンサーズ」が船内を盛り上げるなど浴衣にこだわっているのが特色。「さるびあ丸」が配船されている。
超高速ジェット船(セブンアイランド愛・セブンアイランド虹・セブンアイランド夢)
  • 東京~大島~神津島航路
    • 東京・久里浜・(館山)~伊豆大島~利島~新島~式根島~神津島
      • 各島に寄港する便(各島便)が基本だが、季節によって様々な経由パターンが存在する。一例として久里浜経由(ピーク期以外)、館山経由(冬季のみ)など。詳細は時刻表・公式サイトなどを参照。
超高速ジェット船の投入により、利島・式根島などにも日帰りで訪れることが可能になった。ただし、利島は気象条件によっては超高速ジェット船の接岸が難しく、就航率は低い[要出典]
  • 熱海~大島航路
  • 熱海~神津島航路
    • 熱海~神津島
      • ピーク期のみ運航。
  • 下田~大島~館山航路
    • 下田~伊豆大島~館山
      • 冬季に運航。

[編集] 船舶

東海汽船では伝統的に客船や貨客船に花の名前[1]を、高速船には鳥の名前[2]を付けてきた。現在の超高速ジェット船はこの慣例を破り、東海汽船の名誉船長である柳原良平が命名したものである。

貨客船
高速船
  • セブンアイランド愛
  • セブンアイランド夢
  • セブンアイランド虹

[編集] その他

  • 大島・新島・神津島・三宅島・八丈島の各島では、海況により寄港地が変更となる。なお、同日でも便によって寄港地が変更されることがある。
  • 東海汽船は「伊豆七島」「セブンアイランド」の表記を多用するが、同社が実際に就航している島は8つである(「伊豆七島」という用語については該当項目を参照)。
  • 東京~三宅島・御蔵島~八丈島航路は離島航路整備法における整備航路の指定を受けており、赤字補填の補助金を受けているため、運航経費が増大する航路高速化を行うことができない。このため、船舶の性能や航海資格上は就航可能な「超高速ジェット船」をこれらの航路に運航することは事実上不可能となっている。
  • かめりあ丸および還住丸(伊豆諸島開発、八丈島~青ヶ島航路)の代替計画が進行中。[要出典]
  • 1986年(昭和61年)11月に発生した三原山(伊豆大島)噴火のさいには、すべての便が運航を休止して伊豆大島へ向かい避難民を輸送した。
大島支店長の判断で稲取行きの高速船「シーホーク」の臨時便を用意し、まず観光客400人を避難させた。その後、社長の決断で(『うちは伊豆大島で稼がせてもらっている会社。その島が一大事の時に協力しないでどうする』)式根島行きの臨時便(さるびあ丸)を欠航させて伊豆大島に向かわせたほか、定期便(すとれちあ丸)も急遽、乗船していた旅客を下船させた上で救援に向かうなど、使用可能なすべての船を稼働させ、救出作戦に全面協力した。国土庁の対策本部がまともに機能しない状態で官邸に急きょできた対策本部から会社宛に避難船提供要請があった時、すでに一番船(さるびあ丸)は東京湾を出て伊豆大島に向かっていた。

[編集] 脚注

  1. ^ 戦前の名船「橘丸」などもこの慣例に従っている。
  2. ^ 甑島商船の高速船は歴代「シーホーク」を名乗っているが、初代は東海汽船から移籍した船であり、船名もそのまま引き継いだものであった。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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