明石海峡大橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
明石海峡大橋
明石海峡大橋
所在地 日本の旗 日本
淡路市-神戸市
明石海峡
長さ 3,911m
最大支間長 1,991m
高さ 298.3m(主塔)65m(航路高)
形式 3径間2ヒンジ補剛トラス吊橋[1]
素材
建設 1986-1998年
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示
国道28号標識
路線規格
路線名 国道28号神戸淡路鳴門自動車道
道路区分 第1種第2級
車線数 6車線(片側3車線)
設計速度 100km/h
舞子側より見る
大蔵海岸より見る

明石海峡大橋(あかしかいきょうおおはし)は、兵庫県神戸市垂水区東舞子町と淡路市岩屋とを結ぶ、明石海峡を横断して架けられた世界最長の吊り橋である。愛称はパールブリッジ[2]

概要[編集]

全長3,911m、中央支間1,991m世界最長の吊り橋である。開業以来、10年以上の長きにわたり「ギネス世界記録」に認定・掲載されている。明石海峡大橋の主塔の高さは海面上298.3mであり、国内では東京スカイツリー(634.0m)、東京タワー(332.6m)、あべのハルカス(300.0m)に次ぎ、横浜ランドマークタワー(296.3m、海抜は300mで同じ高さとなる)を超える高さの構造物である。1998年平成10年)4月5日に供用が開始された。建設費は約5,000億円。着工から竣工に至るまでの施工における事故死者はいなかった。

建設当初は全長3,910m、中央支間1,990mであったが、1995年(平成7年)1月17日兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)による地盤のずれが発生し、図らずも全長が1m伸張することとなってしまった[3]

当初、中央径間長1,780mの道路・鉄道併用橋とする計画であったが、建設費用や後述の地盤条件などの問題から1985年昭和60年)8月27日に道路単独橋とする方針に変更され、基礎の位置および上部構造の見直しが行われ、現在の中央支間長となった。

完成時に愛称を募集し、のちに「パールブリッジ」と定められたが、この名前で呼ぶ人は少なく、管理者であるJB本四高速(本州四国連絡高速道路株式会社)では使用していないが、観光協会[4][5]や本橋の写真(とくに夜景)を扱ったページなどでは「まさに愛称の「パールブリッジ」の名にふさわしく…」などと使用が見受けられる。省略して明石大橋と呼ばれることもあり、高速道路上の案内標識等でも同略称が使われていることがあるが(第二神明道路下り線等)、明石大橋明石市明石川国道2号が渡る橋として本橋よりも先に存在する。

淡路島内のみならず、本州四国を結ぶ3本の本州四国連絡橋(本四架橋)ルートの一つ「神戸淡路鳴門自動車道」として供用されており、交通量も本四架橋の橋の中では最も多く、四国と近畿、更には本州の各大都市間を結ぶ交通の要になっている。

垂水IC - 淡路IC間のキロ当たりの通行料金は普通車で約203.54円となっていて、これは通常の高速道路の約8倍の料率である(現在の通行料は、垂水 - 淡路間の普通車片道料金が2,300円)。

設計速度は100km/hだが、通常時の最高速度は80km/h、最低速度は50km/hに規制されている。

構造[編集]

ケーブル実物の部分展示
アンカレイジ
  • 構造形式 : 3径間2ヒンジ補合トラス吊橋
  • 着工 : 1988年(昭和63年)5月
  • 閉合 : 1996年(平成8年)9月
  • 供用 : 1998年(平成10年)4月5日
  • 中央径間:1,991m(世界最長)
  • 全長 : 3,911m
  • 床板 : 鋼床板。中央分離帯部分はグレーチング床板

ケーブル諸元[編集]

吊り橋の命であるメインケーブルは片側1本で計2本、1本につき290本のストランド(正6角形に束ねられたワイヤー)で構成されている。そのストランドは127本のワイヤー(高強度亜鉛めっき鋼製)で構成され、ケーブル1本の合計で36830本のワイヤーを使用していることになる。この橋のために、直径5.23mmで引張り強度は1mm2あたり180kgのワイヤーが新たに開発された。1本のケーブルの直径は112.2cmになり、約6万トンの荷重を支える。風雨から保護し、腐食(錆び)を防止するため、表面をゴムで覆い、さらに内部に脱塩、乾燥した空気を常時送風している。ケーブル架設の第一歩であるパイロットロープ(ポリアラミド繊維製)の渡海には、世界で初めてヘリコプターが使用された。メインケーブルを構成するワイヤー1本1本をつなぎ合わせた時の合計距離は約30万km(地球を7周半分に相当)にもおよぶ。

下部工[編集]

主塔(神戸側"2P"、淡路島側"3P"[6])の基礎は、海面下50m以上の大水深であることから、瀬戸大橋架設の際技術開発した設置ケーソン基礎工法とし、潮流が速いことから、形状は形とした。2Pの建設位置は岩盤が水面下90m以上の位置にしかないため、その上にある砂礫層の明石層上に基礎を置いている。基礎周りの洗掘(潮流が基礎に当たって発生するが海底をえぐる現象)対策として、基礎周囲に約1トン分の小石をネット製の袋に詰めた「フィルターユニット」と呼ばれるものと、1トン以上の石を10mの厚さで敷き詰めている。

アンカレイジ(神戸側"1A"、淡路島側"4A"[7])の基礎は、1Aが直径85m・深さ63.5mの地下連続壁工、4Aが直接基礎である。

当初の道路・鉄道併用橋の計画では、アンカレイジを海中に置かなければならなかったため、神戸側の地盤条件の悪さが問題だった(アンカレイジは橋脚に比べて強固な地盤上に建設する必要がある)。

沿革[編集]

橋上より見る
補剛桁の底面

架橋の構想は第二次世界大戦前からあったが、技術的な問題および軍事上の理由(大型軍艦が明石海峡を航行できなくなるため)から具体化には至らなかった。

  • 1945年昭和20年)12月9日 - 播淡聯絡汽船「せきれい丸」が明石海峡で沈没し、死者304名の惨事となる(せきれい丸沈没事故)。これ以降、地元で架橋運動が盛り上がった。
  • 1955年(昭和30年)4月 - 国鉄が本四淡路(Aルート)の調査を開始する。
  • 1955年(昭和30年)5月11日 - 瀬戸内海を航行する宇高連絡船紫雲丸」が沈没し、修学旅行中の児童など死者168名の惨事となる(紫雲丸事故)。この事故が本州四国連絡橋建設の機運を一気に高めた。
  • 1959年(昭和34年)4月 - 建設省道路部分の調査を開始する。
  • 1969年(昭和44年)5月 - 新全国総合開発計画が策定される。
  • 1970年(昭和45年)7月 - 本州四国連絡橋公団が設立される。
  • 1973年(昭和48年)10月 - 工事実施計画が認可される。
  • 1985年(昭和60年)8月 - 国土庁長官、運輸大臣、建設大臣により、明石海峡大橋を道路単独橋とする方針が合意される。
  • 1985年(昭和60年)12月 - 明石海峡大橋の事業化が決定する。
  • 1986年(昭和61年)4月 - 起工式が行われる。
  • 1988年(昭和63年)5月 - 現地工事に着手する。
  • 1989年平成元年)3月 - 2P鋼ケーソンを設置する。
  • 1989年(平成元年)6月 - 3Pケーソンを設置する。
  • 1990年(平成2年)1月 - 4A基礎工を開始する。
  • 1990年(平成2年)3月 - 1A基礎工を開始する。
  • 1992年(平成4年)4月 - 2P主塔の架設を開始する。
  • 1992年(平成4年)6月 - 3P主塔の架設を開始する。
  • 1992年(平成4年)9月 - 1A基礎工が完了する。
  • 1992年(平成4年)12月 - 4A基礎工が完了する。
  • 1993年(平成5年)1月 - 2P主塔の架設が完了する。
  • 1993年(平成5年)4月 - 3P主塔の架設が完了する。
  • 1993年(平成5年)11月 - パイロットロープを渡海。
  • 1994年(平成6年)6月 - ストランド架設を開始する。
  • 1994年(平成6年)11月 - ストランド架設が完了する。
  • 1995年(平成7年)1月17日 - 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生し、全長が約1m伸びる。
  • 1995年(平成7年)6月 - 補剛桁の架設を開始する。
  • 1996年(平成8年)9月 - 補剛桁が閉合される。
  • 1998年(平成10年)4月5日 - 供用を開始する。
  • 2009年(平成21年)7月5日 - 通行車両が1億台を突破する[8]

阪神・淡路大震災の影響[編集]

メインケーブルストランドの張り渡しが終わった段階だった1995年(平成7年)1月17日、橋のほぼ直下で兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)が発生した。この地震による橋梁構造物の損傷はなかったが、地盤が変位したことで中央径間が約0.8m、淡路島側の側径間が0.3mそれぞれ拡がった。このほか、神戸側橋台が0.13m上方へ、神戸側橋脚が0.09m上方へ、淡路島側橋脚が0.19m下方へ、淡路島側橋台が0.22m上方へ移動した。

ライトアップ[編集]

夜景(2003年4月撮影)

明石海峡大橋のケーブルには光の三原色イルミネーションランプが1084組取り付けられており、季節や日時に応じて彩りを変えている(照明デザイン担当は石井幹子)。ライトアップは平日が日没から23時まで、土・日・祝日が日没から24時までである。橋が日本標準時子午線近くにあることから、毎正時と毎半時にも各5分間、時報パターンの点灯を行っている。

ライトアップの彩色[9]
  • 平日:春季は緑、夏季は青、秋季は赤、冬季は黄。
  • 休日:緑と青。
  • 時報パターン(正時):虹色。
  • 時報パターン(毎30分):誕生石をイメージした色。
  • 地元や国民的行事のイベントに合わせた色でライトアップされることもある。
  • 阪神・淡路大震災発生日の1月17日は、鎮魂の願いを込めた白一色となる(時報はなし)。

付帯施設[編集]

塔頂より舞子を望む
橋上のプロムナードより海面を望む
水道管

神戸側の橋桁内に舞子海上プロムナードという遊歩道、展望台が設けられている。橋台(アンカーレイジ)内のエレベータで、上り海面からの高さ47mへ上がり、そこから海側約150mまで行ける。途中、床が透明になっている部分もあり、直接海面を望める。

同じく神戸側の陸上に橋の科学館が開設されており、明石海峡大橋を中心に橋についての技術的、歴史的展示を行なっている。頭上には風洞実験に用いた1/100サイズの模型も展示されている。また、土産として、ケーブルの素線の実物サンプルが販売されている。また、一般では通常入れない管理通路や主塔の頂上に登る、ブリッジワールドという行事も予約制(期間・人数限定)で行なわれている。

架橋の影響[編集]

明石海峡大橋開通で、本州・淡路または本州・四国間が陸続きになったことで、様々な利点が生じた。

たとえば、朝に採れた徳島県産の農水産物を「安定的」に関西方面へ出荷できるようになった(特に、徳島県の地鶏である阿波尾鶏の出荷量は、開通以前よりも倍増している)。徳島県を始め、四国産の農水産物は、関西の市場で大きなシェアを占めるようになった。

また、明石海峡大橋の桁の内部には大口径の水道管、高圧送電線、大容量の通信用ケーブルなどが収納されている。これまで、淡路島は慢性的な水不足に悩まされていたが、水道管が設けられ、水の安定供給が実現した。

交通への影響[編集]

明石海峡大橋開通以前は、神戸港 - 高松東港間には4社[10]・6隻のフェリーが就航していたが、撤退により、加藤汽船の2隻(りつりん2こんぴら2)が就航するのみになった。その加藤汽船も撤退し、第三セクタージャンボフェリーが引継ぎ運航しているが、低料金で対抗するなど、苦戦を強いられている。

一方で、京阪神と淡路島四国を結ぶ高速バスが次々と開設されている。瀬戸大橋とは異なり、並行する鉄道路線が無いため、現在に至るまで増便が繰り返されている。特に徳島 - 関西間については、鉄道利用だと大回りになる上、徳島 - 岡山間を直通する特急列車は少なく、2回乗り換えが必要なケースが多く、時間もかかる。また、高松松山高知 - 京阪神間も岡山駅での乗り換えが不可避で、その上、宇野線が単線のため増発ができず、混雑が激しくなっている。このため、時間面・運賃面双方で圧倒的優位に立つ高速バスが徳島・高松対阪神では主体となっている。また、遠く離れた松山・高知方面に関しても利用客を確実に増やしており、こちらも増便傾向にある。大阪・神戸都心からの利用客も多いが、淡路島方面の利用客を中心に、高速バスでの利用客も非常に多い。その中の本四海峡バスや、高松エクスプレス(フットバス)は、船舶失業者対策の側面をもって設立されたバス会社である。しかし、近年はETC大幅割引の影響で廃止・減便が出始めている[11][12][13]

南海電気鉄道グループの航路(南海フェリー南海淡路ライン)は、大橋開通による乗客シフトの影響を大きく受けており、泉佐野港(当初は深日港)と淡路島津名港(当初は炬口港)を結んでいた南海淡路ライン(旧大阪湾フェリー)は、乗客減少と燃料高騰の影響から、2007年(平成19年)1月に休止へと追い込まれている。また和歌山港 - 徳島港(当初は小松島港)の南海フェリーも苦戦を強いられ、高速艇は2002年(平成14年)に廃止され、残ったカーフェリーも減便傾向にある。また神戸・阪神地区発着の淡路島方面へのフェリー(大橋開通日をもって廃止となった淡路フェリーボート:須磨、ハーバーランド - 大磯、半年後に廃止となった甲子園フェリー:西宮 - 津名など)も断続的に廃止され、ETC大幅割引の影響もあり2010年(平成22年)11月15日で明石港 - 岩屋間の航路の明石淡路フェリー(愛称「たこフェリー」)が運航休止。これでフェリー航路は全てなくなり、現在では明石港 - 岩屋間の航路の淡路ジェノバライン(小型高速艇、人と自転車のみ乗船可)が残っているものの、同船舶に載せることができず橋を通行することもできない125cc以下のバイク等が海峡を横断できない状況となっており、対策が検討されている[14]

四国新幹線[編集]

概要の項で述べたとおり、建設費抑制を目的として、当初の道路・鉄道併用橋から、道路単独橋に設計変更して建設された。そのため、児島・坂出ルートの瀬戸大橋や神戸・鳴門ルートのもう一方の橋である大鳴門橋と異なり、明石海峡大橋に鉄道を通すことは不可能である。

展望[編集]

朝霧駅歩道橋からの遠望。中央に明石海峡大橋とモルツマーメイドII号、その右手が淡路島、左手が舞子(神戸市垂水区)である。写真左隅にあるのは明石花火大会歩道橋事故の慰霊碑。

脚注[編集]

(画像) フェリーから見た明石海峡大橋
[ヘルプ]
  1. ^ JB本四高速・技術情報・明石海峡大橋”. 本州四国連絡高速道路株式会社. 2010年11月10日閲覧。
  2. ^ 淡路島観光大全”. 財団法人淡路島くにうみ協会. 2011年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月10日閲覧。 “「パールブリッジ」と命名されたその理由の一つに、淡路地域における真珠核生産高が日本一であり、各地で知られていることから付けられた”
  3. ^ JB本四高速: - 本州四国連絡高速道路株式会社 - HP内:明石海峡大橋ブリッジワールド:世界最長の吊橋を体験しよう!
  4. ^ 神戸夜景:神戸公式観光サイト FeelKOBE - Official KOBE Tourism Website -
  5. ^ 淡路市観光、イベント情報サイト:淡路ドットコム
  6. ^ Pはピアー、橋脚の意。
  7. ^ Aはアンカレイジ、橋台の意。
  8. ^ 明石海峡大橋ご利用1億台突破記念イベント開催のお知らせ 本州四国連絡高速道路株式会社 2014年7月22日閲覧。
  9. ^ ライトアップパターン - 本州四国連絡高速道路
  10. ^ 加藤汽船、関西汽船四国フェリー日本海運
  11. ^ “鳴門 - 阪神線21日廃止 高速バス路線で初、「1000円」影響”. 徳島新聞Web (徳島新聞社). (2010年1月15日). http://www.topics.or.jp/localNews/news/2010/01/2010_126352033565.html [リンク切れ]
  12. ^ “高速バス廃止相次ぐ 「上限千円」が影響”. asahi.com (朝日新聞社). (2010年1月16日). http://mytown.asahi.com/tokushima/news.php?k_id=37000001001160003 [リンク切れ]
  13. ^ “鳴門 - 阪神線が廃止 高速バス、他社も路線削減の動き”. 徳島新聞Web (徳島新聞社). (2010年1月22日). オリジナル2010年1月26日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20100126095138/http://www.topics.or.jp/localNews/news/2010/01/2010_126412346131.html 
  14. ^ “明石海峡大橋の歩行者通行を検討へ 兵庫県予算案”. 神戸新聞NEWS (神戸新聞社). (2011年2月15日). http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003804949.shtml [リンク切れ]

参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]