東京タワー

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東京タワー
TaroTokyo20110213-TokyoTower-01min.jpg
2011年2月
情報
用途 電波塔、展望台、科学館
設計者 内藤多仲日建設計
施工 竹中工務店
建築主 日本電波塔
構造形式 SおよびRC造
敷地面積 15,577.143m2
建築面積 4,470.34m2
延床面積 24,874.87m2
階数 地上16階、地下2階
高さ 332.6m[1](海抜高351m)
着工 1957年6月29日
竣工 1958年10月14日
所在地 105-0011
東京都港区芝公園四丁目2-8
位置 北緯35度39分31秒
東経139度44分44秒
座標: 北緯35度39分31秒 東経139度44分44秒
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東京タワー(とうきょうタワー、: Tokyo Tower)は、東京都港区芝公園にある集約電波塔である。1958年10月14日竣工、同年12月23日に完工式が開かれた。東京のシンボル観光名所として知られる。正式名称は日本電波塔(にっぽんでんぱとう)。

目次

概要[編集]

高さは333mと広報されており(より正確には332.6m、海抜351m)、塔脚の間隔は88.0m[注釈 1]。総工費約30億円、1年半(1,974,015時間/543日間)と延べ219,335人の人員を要して完成した。地上125m(海抜約150m)と223.55m(海抜約250m)に展望台を有したトラス構造の電波塔である[2]

昼間障害標識として、頂点より黄赤色(インターナショナルオレンジ)と白色を交互に配した塗装となっている。テレビおよびFMラジオのアンテナとして放送電波を送出(#送信周波数・出力を参照)、また東日本旅客鉄道(JR東日本)の防護無線用アンテナとして緊急信号を発信する他、東京都環境局の各種測定器なども設置されている。

長らく高さが日本一であったというイメージが強いが、実際に日本一高かったのは1968年6月26日に小笠原諸島が日本に返還され南鳥島ロランタワー硫黄島ロランタワーに抜かれるまでの約9年半と、対馬(長崎県)のオメガタワーが解体されてから東京スカイツリーに抜かれるまでの約11年間である。ただし、自立式鉄塔としては東京スカイツリーに抜かれるまでの約51年半は日本一の高さであった。現在はスカイツリーに次ぐ日本で2番目に高い建造物である。

運営会社[編集]

日本電波塔株式会社
NIPPON TELEVISION CITY CORPORATION
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 105-0011
東京都港区芝公園4丁目2-8
設立 1957年5月8日
業種 情報・通信業
事業内容 総合電波塔の設置経営、観光施設の経営、不動産賃貸業
代表者 代表取締役 前田伸
資本金 12億円
従業員数 162人
決算期 3月31日
主要株主 東映 13.48%
マザー牧場 11.25%
(2007年3月31日現在)
主要子会社 東京タワースタジオ
東京タワーパーキングセンター
外部リンク http://www.tokyotower.co.jp/
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東京タワーの建主であり、管理ならびに運営は日本電波塔株式会社(にっぽんでんぱとう)が行っている。

1957年5月、「大阪の新聞王」と呼ばれ当時は産業経済新聞社関西テレビ放送大阪放送(ラジオ大阪)各社の社長を務めていた前田久吉により設立。久吉はタワーの完成とほぼ同時の1958年、産経新聞社を国策パルプ工業(現・日本製紙)社長水野成夫に譲渡してその経営から手を引いたが、東京タワーとラジオ大阪の経営には引き続き携わった。この結果、日本電波塔は当時の産経新聞グループはもちろん、その後のフジサンケイグループからも完全に切り離されて前田家主導の同族企業となった。なおラジオ大阪も2005年にフジサンケイグループ入りするまで、前田家主導で独自の経営をしていた。

久吉はタワーの建設候補地として千葉県富津市鹿野山に山林を取得していたが、これを有効活用するため1962年にマザー牧場を開設、グループ企業としている。この関係で、近隣のかずさアカデミアパーク(2010年に経営破綻)の再建スポンサーをマザー牧場と共に務めている。

1964年には敷地内に東京タワー放送センター(現・東京タワースタジオ)を建設し、同年開局した日本科学技術振興財団テレビ事業本部(東京12チャンネル)に賃貸した。この建物は、事業を承継したテレビ東京1985年まで本社として使用していた。テレビ東京天王洲スタジオ完成後の2000年より日本電波塔による自主運営となり2005年7月には子会社「東京タワー芝公園スタジオ」(現・東京タワースタジオ)に移管され、2012年に閉鎖されるまでテレビスタジオとして利用された。

また1960年代に東京タワーへのアクセスとして東京電波塔株式会社自ら浜松町~東京タワー間1.2kmにモノレールの敷設を計画したがこれは実現しなかった。[3]

日本電波塔は、エフエム東京(TOKYO FM)の大株主(学校法人東海大学に次ぐ第2位)でもある。Kiss-FM KOBE破綻による新会社・兵庫エフエム放送にTOKYO FMとともに19.2%を出資。またエフエム大阪の株式20%も2010年10月1日現在、日本電波塔名義となっている。

歴史[編集]

1961年ごろの外観
  • 1960年(昭和35年)
    • 1月17日 - ラジオ東京(現在のTBSテレビ)が赤坂の自社敷地から主送信所を移転する(送信は移転前からVHF6ch)。
    • 5月16日 - NHK教育テレビジョンの送信所を紀尾井町より移転(送信は移転前からVHF3ch)。
  • 1962年(昭和37年)
    • 3月29日 - 昭和天皇・皇后夫妻が東京タワーを見学される。天皇が訪れたのは、1958年の竣工以来はじめて。
  • 1963年(昭和38年) - 返還前の東京都小笠原村南鳥島に、高さ411.48mの南鳥島旧ロランタワーが竣工する。
  • 1964年(昭和39年)
    • 返還前の東京都小笠原村硫黄島に、高さ411.48mの硫黄島ロランタワーが竣工する。
    • 4月12日 - 日本科学技術振興財団テレビ事業本部(現在のテレビ東京)がVHF12chで本放送開始。
  • 1965年(昭和40年)12月24日 - イルミネーションが連夜の点灯となる。
  • 1966年(昭和41年)1月2日 - 来塔者数が3000万人となる。
  • 1967年(昭和42年)7月28日 - 特別展望台オープン。
  • 1968年(昭和43年)6月26日 - 小笠原諸島が返還され南鳥島と硫黄島のロランタワー(411.48m)が日本一高い建造物となり、東京タワーは日本で3番目に高い建造物となる。
  • 1970年(昭和45年)
    • 3月20日 - 東京タワー蝋人形館が3階にオープン。
    • 3月23日 - 蝋人形館経営者のジョージ・ドラッカーとヴィッキー・クロフォードが、特別展望台で和装にて結婚式を行う[注釈 3]
    • 4月26日 - FM東海から事業を譲り受けたエフエム東京が80.0Mc(現在はMHz)で本放送開始。
    • 10月3日 - NHK-FM放送の送信所を紀尾井町より移転(送信は移転前から82.5Mc)。
    • 11月10日 - 日本テレビ放送網が麹町の自社敷地から主送信所を移転する(送信は移転前からVHF4ch)。これにより東京都のテレビ局の送信所が一本化される。
  • 1971年(昭和46年)8月18日 - 来塔者数が5000万人となる。該当者は都内の23歳の男子学生で自分が5000万人目になれないかと思って来塔し、記念品として冷蔵庫・カラーテレビ・ギフト旅行券・オートバイなどの記念品を贈られた。
  • 1973年(昭和48年)
  • 1975年(昭和50年) - 長崎県上県郡上対馬町大増(現・対馬市上対馬町大増)に高さ454.830mのオメガタワーができ、日本で4番目に高い建造物となる。
  • 1977年(昭和52年)
    • 6月1日 - 電波の日のこの日に「電波塔の維持運営を通じて放送の普及と重要無線通信の疎通に多大の貢献」をしたとして当時の郵政大臣、小宮山重四郎より表彰される。
    • 7月11日 - タワー大神宮創建(23区内で最も高い場所にある神社)。
  • 1978年(昭和53年)4月28日 - 東京タワー水族館オープン(世界初の観賞魚水族館)。
  • 1984年(昭和59年)11月1日 - 放送大学が大学開学に向けてテレビ放送をUHF16chで、同時期にFMラジオ放送を77.1MHzで試験放送開始(翌1985年(昭和60年)4月1日に本放送開始)[4]
  • 1986年(昭和61年)
    • 航空法改正により黄赤色と白色の塗り分けを11等分から7等分へ変更し、黄赤色の赤みを強くした。
    • 南鳥島旧ロランタワーが解体され、日本で3番目に高い建造物に返り咲く。
  • 1988年(昭和63年)
    • ロゴマークを変更。
    • 10月1日 - エフエムジャパン(現在のJ-WAVE)が81.3MHzで本放送を開始。
  • 1989年(昭和64年/平成元年)
  • 1991年(平成3年)
    • 3月3日 - 「平成3年3月3日」で3が重なることを記念して記念展望券の発売、バッジや絵はがきのプレゼント、エッフェル塔へ招待するクイズなど数々のイベントが行われる。
  • 1994年(平成6年)
    • 4月 - 「東京タワートリックアートギャラリー」がタワービル4階に登場する。
    • 10月 - 硫黄島ロランタワーが運用停止、解体され日本で2番目に高い建造物に返り咲く。
  • 1995年(平成7年)
    • 1月 - 来塔者数が1億2000万人となり、日本の総人口に相当する人数が来塔したことを記念してキャンペーンを行う。
    • 11月1日 - 東京メトロポリタンテレビジョン(東京MXテレビ、TOKYO MX)が東京都初の都域民間放送テレビ局としてUHF14chで本放送開始。
  • 1996年(平成8年)
  • 1998年(平成10年)
    • 12月 - 大展望台外壁を黄赤色から白色へ変更。
    • 12月23日 - ノッポン誕生。
  • 1999年(平成11年)
    • オメガ塔(対馬オメガ局)が解体され、日本一高い建造物に返り咲く。
  • 2002年(平成14年)
    • 3月19日 - 特別展望台・大展望台をリニューアルオープン。営業時間を年間を通して22時までに延長。
  • 2003年(平成15年)
  • 2005年(平成17年)
  • 2006年(平成18年)
    • 9月29日 - 来塔者数が1億5000万人となる。
    • 12月1日 - 放送大学が地上デジタルテレビ放送をUHF帯域で開始[4]
  • 2009年(平成21年)
    • 5月8日 - ロゴマークの変更[注釈 4]
    • 10月16日 - 来塔者数が1億6000万人となる[5]
    • 12月31日 - 開業以来営業してきた、タワー大食堂(タワーレストラン)が営業終了。
  • 2010年(平成22年)
    • 3月29日 - 建設中の東京スカイツリーが高さ338mに到達したため、日本で2番目に高い建造物となる。
東北地方太平洋沖地震の揺れにより曲がった先端のアンテナ部分(2011年3月11日
  • 2011年(平成23年)
    • 3月11日 - 東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の影響で、タワー先端部の地上アナログ放送用アンテナが東に2度曲がる[6]被害を受ける(強震により激しく振られた)[7]。展望台にいた観客は階段で下りて避難し、けが人は出なかった。タワーの営業は同月18日まで中止となる[8][注釈 5]
    • 3月31日 - 地上デジタル音声放送の実用化試験放送終了に伴い送信終了。
    • 7月24日 - 地上アナログテレビ放送がこの日の正午で終了し、24時で地上アナログテレビ放送の送信が停止された。
  • 2012年(平成24年)
    • 2月1日 - 一部を除くアナログ送信アンテナの撤去を開始。また、前の地震で曲がった先端部の交換ならびに耐震補強も同時に行う。工事終了は2014年12月を予定している[9]。特別展望台行きエレベーターの改修工事に伴い、同月29日まで特別展望台の営業を休止[10]
    • 4月22日 - この日を以ってJ-WAVEとNHK東京FMのFMラジオ放送の送信を終了。翌日にそれぞれ送信所が東京スカイツリーに移転。移転後もNHK東京FMは予備送信所として存続。
    • 7月10日 - 先端のSTアンテナの撤去を夜から開始[11]。長さ約25m、直径約37cmの空洞の支柱を17分割に輪切りにして下から順に取り除く[12]際に、地上306mの支柱底部から軟式野球用ボールが発見される[13]
    • 8月3日 - 7月10日より行われていた先端のアンテナ支柱の交換作業を午前中に完了し、一時315mだったタワーが元の高さに戻る。円柱だった支柱は四角柱となり、耐震性が向上する[12]
    • 10月1日 - TOKYO MXの地上デジタルテレビ放送の物理チャンネル切り替えのため、東京スカイツリーとのサイマル放送を開始[14]
    • 11月12日 - TOKYO MXの東京タワーからの電波の1回目の減力を実施[15]。以後、2013年1月14日、2月4日、2月25日、3月18日に分けて段階的に減力を実施する[16][17][18][19]
  • 2013年(平成25年)
    • 2月11日 - TOKYO FMの送信用アンテナをアナログテレビ放送終了で空いた333メートルの頂上部に新設・移転し供用を開始[20]
    • 5月12日 - この日の正午、TOKYO MXの物理チャンネル切り替えによるサイマル放送終了に伴い東京タワーからの送信を停止[21]。翌13日18時に東京タワーからの送信を終了。
    • 5月31日 - この日の9時、放送大学を除く地上デジタルテレビ放送7局の送信所が東京スカイツリーに移転した[22][23]。当初は1月に移転予定だったが電波障害対策が必要となったため、その対策を講じてからの移転となった。送信の移転後はNHKと民放キー局5社については東京タワーを予備電波塔として使用することとなっている。
    • 6月21日 - 国の登録有形文化財に登録[24]

構想[編集]

東京タワーの建設前、放送事業者は個々に高さ153 - 177mの電波塔を建設して自局の塔から放送を行っていた。しかしこの高さだと放送電波は半径70km程度しか届かず、100km[注釈 6]離れた銚子水戸では満足に電波を受信することができなかった。また受信アンテナには指向性があるため、チャンネルを変える毎にアンテナの向きを各電波塔の方向に変えなければいけないという不便が生じた。

さらに鉄塔の乱立は都市景観においても好ましい状況ではなく、当時郵政省の電波管理局長であった浜田成徳を初めとする関係者の中で電波塔を一本化する総合電波塔を求める機運が高まっているところ放送事業の将来性に着目した前田久吉と鹿内信隆[注釈 7]の各々によって計画され、まもなく両者の計画は一元化された。

他の計画案もあったが高さ300mを超える案は東京タワーのみで、次に高いものは200m級であり放送事業者の既存の限られた土地を利用するため展望台のないスリムなものであった。浜田はエッフェル塔を超える世界最大の塔を造り、そこに展望台を設けて集客すれば建設費は10年で元が取れると考えていた。

建設場所[編集]

建設地は安定した電波を供給するために巨大な電波塔の建設が可能な広さと強固な地盤を有していること、魅力ある展望台のために工場などの煙が景観を妨げないことなど厳しい条件が求められた。

当初は上野公園付近への建設も検討されたが海抜18mの高台にある港区芝公園地区は基礎を打ち込むための東京礫層地盤もより浅いところにあり、国の中枢機関や各放送事業者との距離が近いなど報道と観光の両面に恵まれた立地であった。

増上寺の境内は25区画に分割された公園に指定されており日本電波塔株式会社は「紅葉山」と呼ばれる、以前紅葉館という高級料亭のあった区画を購入した。土地の買収は増上寺の檀家総代に前田が日本工業新聞の社長時代から親交があった池貝庄太郎がおり、増上寺との間を取り持って用地買収を成功させるよう働きかけた。また芝公園4丁目地区の周辺一帯は建物倒壊危険度、火災危険度、避難危険度を示す地域の危険度特性評価(東京都 2002年実施)において「相対的に危険度の低い町」を示すAAAの評価を得ており、防災面でも電波塔の立地に適していることが後に判明した。

タワーより西側の住民は飛行機の衝突、交通渋滞ゴミの増加、環境が悪くなり子どもに悪影響があるのではないかとタワー建築に反対の姿勢であった。側は、当時の国鉄浜松町駅からタワーへ向かう客により潤されることを期待した。

設計[編集]

この塔の建設に先立ち「日本電波塔株式会社」が設立され、建築設計の構造学を専門とする学者の内藤多仲と日建設計株式会社が共同で塔の設計を行った。内藤は当時話題を提供していたドイツシュトゥットガルトテレビ塔(216.6m)を参考に鉄筋コンクリートの塔を想定した検討を行うが、特に基礎に関して敷地の関係などかなりの困難が伴うとの判断から鉄塔で計算を進める方針となった[25]

前田久吉は「建設するからには世界一高い塔でなければ意味がない。千三百余年も前に既に高さ五十七メートル余もある立派な塔(五重塔)が日本人の手でできたのである。ましてや科学技術が進展した今なら必ずできる」と高さの意義を強く主張し、設計の条件としてアンテナを含めた塔の高さが380メートル。高所に展望台を設置する。塔の下に5階建ての科学館をつくることを挙げた。本来東京全域に電波を送るには380mの高さが必要とされていたが風の影響でアンテナが揺れ画像が乱れる可能性があったため、影響を受けず且つ関東地方全部を守備範囲にできるぎりぎりの寸法として全高333mと偶然「3」が続く語呂合わせのような高さになった。この高さはフランスパリエッフェル塔の312m(2000年現在は324m[26])より21m高く、当時の自立式鉄塔としては世界最高だった。

当初は最上部で風速90m、下部で風速60mの強風と大地震(同タワーの耐震設計で考慮された水平震度は0.99Gで関東大震災時に小田原付近で推定された加速度の約2倍に相当)に遭遇しても安全な様に、軽量化に有利な電気溶接ではなく、重量がかさむが当時では確実な技術としてリベットによる接合での構造設計がなされた。風力係数は当時の建設省建築研究所の亀井勇教授に依頼し、風洞実験を行った。地震力はまだ静的解析の時代であり、鉄塔では風圧力の方が支配的であったこともあり建築基準法の地震力算定法通りk=0.16+h/400を水平震度として適用した。解析、計算は全て手計算でトラスの解法として一般的であったクレモナ図解法とカスティリアーノの定理が使用された。

構造計算書の最終チェックは自身の設計事務所の田中彌壽雄、日建設計の鏡才吉とともに熱海にある早稲田大学保養所双柿舎」に3日間缶詰状態で行われた。設計を終えた内藤は「どうかね、こんなに素晴らしい眺めはない」と言った[27]。後に立体骨組モデル応力解析ソフトウェア“FRAN”で耐力を検証しているが、かなりの精度で一致していた[28]。また加藤勉(東京大学名誉教授・(財)溶接研究所理事長)による「東京タワーの構造安全性について」(2007年)によって、東京タワーの構造の信頼性は高いという第三者評価を受けている[29]。当時の建築基準法では建築物の高さは最大100(約31m)以下と決められていたが、タワーは工作物と見なされ建築が可能となった。当初、地上約66m付近にビアレストランを設置する計画だったが結局、実現されることはなかった。これは、レストランにすると建築基準法に抵触したためと考えられている。

建設後、電波塔集約で不満をもつ読売グループ(読売新聞、日本テレビなど)などから「エッフェル塔の猿まね」とあらぬ批判をされたが、内藤は「ある人はエッフェル塔そっくりだという。これは人が人に似ているというようなもので、一理ある見方ともいえよう。私としては端然とした姿である。この塔が好ましいと思っている」と答えている。構造美については「タワーの美しさについて別に作為はしませんでした。無駄のない安定したものを追求していった結果できたものです。いわば数字のつくった美しさとでも言えましょう」と答え、批判に対して反論するような不毛な議論は一切しなかった。

建設[編集]

1957年5月から6月末までの約45日間でボーリング調査を行った時点で設計は未完成であったが、短期間に完成させなければならないため6月29日に増上寺の墓地を一部取り壊して既に設計の決まっていた基礎部の工事が開始された。7月15日に最終的な設計図が完成し、9月21日には鉄骨の組み立てが始まった。

施工ゼネコンの竹中工務店。塔体加工は新三菱重工(現・三菱重工業)、松尾橋梁。鉄塔建築は宮地建設工業(現・宮地エンジニアリング)が請け負った。現場指揮官は直前にNHK松山放送局電波塔を担当していた同社の竹山正明(当時31歳)[30]。現場でのヘルメットの色は白:監督管理関係、黄:竹中工務店の社員、緑:鉄塔建方関係、灰:設備関係で色分けされた。

基礎は海抜0mの砂利層まで掘り下げてコンクリートを打ち込み直径が2m、長さ15mで底の直径が3.5mのコンクリート製の円柱を1脚に8本打った(後のデジタルアンテナ増設時に2本ずつ増設)。塔脚にはカールソン型応力計を埋めておき、脚を支えるための支柱をオイルジャッキで持ち上げて脚の傾きを調節する際など、各塔脚に加わる重量の計測に利用している。タワーは脚を広げた形をしているため重みで脚が外へ広がろうとする力が加わるが、直径5cmの鋼棒20本を各脚に地中で対角線上に結んで防いでいる[31]

高さ40mのアーチライン最上部までは長さ63mのガイデリックを使用し、次に80mまで組み立てるためガイデリックを地上53mのマンモス梁までせり上げ鉄骨を組み立てていった。80mからの組み立てはエレクターを用いて、鉄骨はエレベーターシャフト内を持ち上げていった[32]

塔脚4本が地上40mでアーチ形に組まれたのは1957年12月だがアーチ中央部が加工の段階で設計より15mm沈んでおり、梁の結合ができずに1週間原因究明に時間を費やした。しかしこの問題は、鉄骨に開けられていたリベットを差し込む穴を15mmずらすことで解決した。

高所までの移動は、80mの足場まで4分で昇る2m四方のゴンドラ3台で対処した。

高さ141.1m(H.14)地点まではリベットで組み立て、それ以上は防さびのため部材に亜鉛メッキを行ったことでボルト接合になっている。ボルトは締めた後に溶接して固めるが夏場の鉄塔は40 - 50度まで上昇し、とび職達を苦しめた。リベットは168,000本、本締めボルトは亜鉛メッキ部材の現地接合に45,000本使用している[33]

アンテナの設置は当初、名古屋テレビ塔や東京スカイツリーのように塔体内を吊り上げる予定であったがアンテナ工事は台風の多い9月に開始されたため工事が遅れてしまいアンテナを上げる前にエレベータ設置工事を始めないと工期に間に合わなくなってしまった。そのためにアンテナは塔本体の上に30mの仮設鉄塔を組んで仮設鉄塔の一面を開けておき、8つに分かれたアンテナ部材(最大14トン)を下の部材から順に塔の外側から吊り上げていった。塔体内では吊り上げた部材に順次ボルト接合を施して組み立てていき1958年10月14日15時47分、アンテナが塔頂部に据え付けられた。

現場鳶職人は初期に20人。仕事が増えるにつれ常時60人、タワー上部では6 - 7人で組み立てを行っていた。若頭は当時25歳の桐生五郎[注釈 8]。桐生はタワー完成翌日に、建設中に見合いをした女性と結婚式を挙げた[30]。建設には渡り職人も参加している。当時の鳶の平均日給は500円、タワーでは750円だった。高さを増す毎に強風に苦しめられたが、納期があるために風速15m/sまでは作業を実施した。しかし建設中の1958年6月30日午前10時[30]に、昇っていた鳶職1人が強風に煽られて高さ61mから転落死し、麓にある増上寺で葬儀を行っている。

着工から1年3か月後(543日間)の1958年12月23日、延人員219,335人にて完成し、鉄塔本体の最上部に建設に携わった96人の技術屋たちの名前が刻まれた金属製の銘板[注釈 9]が据えられた[34]。総工費は当時の金額で30億円であった。

合計約4,000トン[33]の鋼材(鉄塔本体:SS41(旧JIS。現JISではSS400。降伏強度は240N(ニュートン)/mm2[35])、アンテナ支持台:SHT52相当品[33] 降伏強度 325N/mm2[36])が使用されたが、その中でも特別展望台から上の部分に使用されている鉄材の原料には朝鮮戦争後にスクラップされたアメリカ軍の戦車が使われている。これは当時の日本では良質の鋼材に恵まれず、またアメリカにとっても旧式戦車を売却して新型戦車を製造した方がメリットが大きかったためである[注釈 10]

地上0メートル地点[編集]

タワーの高さは標高18.000mを地盤面(G.L・Ground Line)としているため、東京湾中等潮位(T.P・TOKYO Peil)からの値を使用している[2]。タワーは丘陵地に建っており、正面は1階が出入り口で駐車場出入り口は2階に位置している。そのため地上333mと言われてもどの部分を基準としているのかがわかりにくく、タワーを訪れても基準となる目印は特に見あたらない。一方、タワーの立面図[37]を見ると地盤面はフットタウン1階の床と同一に見える。

名称[編集]

「東京タワー」の名称は完成直前に開かれた審査会で決定した。事前に名称を公募し、最終的には86,269通の応募が寄せられた。一番多かった名称は「昭和塔」(1,832通)で、続いて「日本塔」「平和塔」だった。他には当時アメリカソ連人工衛星の打ち上げ競争をしていたことから「宇宙塔」、皇太子明仁親王今上天皇)の成婚(1959年)が近いということで「プリンス塔」という応募名称もあった。しかし名称の査会に参加した徳川夢声が「ピタリと表しているのは『東京タワー』を置いて他にありませんな」と推挙し、その結果10月9日に「東京タワー」に決定した。「東京タワー」での応募は223通(全体の0.26%、13位[38])であり、抽選で神奈川県の小学校5年生女子児童に賞金10万円が贈られた。

電波塔集約[編集]

東京タワーの完成に先行して開局していたNHK総合テレビジョン・日本テレビ放送網(NTV、以下「日本テレビ」と表記)・ラジオ東京テレビ(1960年に東京放送(TBS)に改称。以下「TBSテレビ」と表記)は、それぞれ自局の敷地に電波鉄塔を建設してテレビ放送を行っていた。

そのため、当初は1959年に新たに開局したNHK教育テレビジョン(1月開局。当時1ch)・日本教育テレビ(NET、現在のテレビ朝日。2月開局)・フジテレビジョン(CX、3月開局。以下「フジテレビ」と表記)が利用していた(NHKは同年4月に総合テレビと教育テレビのチャンネルを交換)。翌1960年に赤坂のTBSテレビ(1月)と紀尾井町からの送信に変わっていたNHK教育テレビ(5月)も合流した。

当初はNHKと民放6局のアンテナを東京タワーに一本化するはずだったが、調整の段階で日本テレビが「採算が合わない」「アンテナの配分が不満だ」という理由で不参加になった。しかし、実際は(テレビ業界の覇権を競う産経新聞創設者の)前田久吉と(読売新聞中興の祖であり、日本テレビ創設者でもある)正力松太郎との対立といわれる。東京タワーの完成後も日本テレビは麹町の自社敷地内のアンテナから電波を発信し続けていたが、他局に比べて放送エリアが劣るのは否めなかった。そこで同局は自社の所有地である新宿(現在の東京メトロ副都心線都営地下鉄大江戸線東新宿駅付近。新宿六丁目の日本テレビゴルフガーデン跡地)に東京タワーの2倍もの高さを持つ電波塔「正力タワー」の建設を計画して1968年5月10日に発表。ボーリング調査や東京都に建築申請書を提出している。さらにNHKも「NHKが民放に恒久施設を借りた例がない。そんなことをしては聴視者に責任がもてない」と1969年7月2日、渋谷のNHK放送センター敷地内に高さ600mの電波塔を建てる計画を発表する。これを受けて放送事業の監督官庁であった当時の郵政省は、利害関係者である日本電波塔(東京タワーの会社)を交えて話し合うことを指示するが、日本テレビは「あくまでも実行する」と発表[39]。しかし正力没後の翌1970年に、メインアンテナを麹町の本社から東京タワーへ移転することになった[注釈 11]。その際、TBSが自社の予備スペースを日本テレビに譲ることでメインアンテナのスペースを確保している[注釈 12]。これにより全放送局が東京タワーに集約された。

塗装[編集]

第8回塗替塗装中のタワー。2002年7月撮影
第9回塗替塗装中のクリスマスイルミネーション。2007年12月撮影

建設時の塗装は地上からH.14(地上141.1m)までは鋼材を工場にてサンドブラストしてから下塗りまで塗装し、現地搬入時に2回目の下塗りをした。接合部のリベット頭・部材エッジ部は予め下塗り塗装による増し塗りが行われ中塗り、上塗りにはフタル酸樹脂系塗料を用いて6行程行われた。H.14からH.27(地上252.65m)までは工場にて鋼材を酸洗いしてから溶融亜鉛メッキを施し現地搬入、建方、本締めボルト接合後にジンククロメート系さび止めペイントを塗装した。中塗り、上塗りは鉄鋼材と同様である[33]。また建築当時はインターナショナルオレンジがさび止めの鉛丹と間違えられ、完成した後も最終的にはどのような色になるのかまだペインティングの途中だと思っている人がいた。

東京湾からの潮風による腐食の防止とインターナショナルオレンジの白化現象が目立ち美観を保つ上でほぼ5年に1度の周期で約1年かけて外観塗装を補修しており、1回目(1965年)は磯部塗装が担当し2回目(1970年)以降は平岩塗装が一貫して請け負っている。平岩塗装の平岩高夫会長は前田久吉から会うたびに「鉄はサビさせてはあかんからな。大事に守ってくれ」と言われている[40]

鉄塔本体の塗装工区は大展望台を境に2つに分け上部は秋に、下部は翌年の春に施工している。作業時間は日の出から営業を開始する9時までに限定されていたが現在は7時を過ぎると通勤者が増えるため、2時から7時までの5時間で作業を行う。

最上部のアンテナを除くH.27の塔体の上から順に木製の丸太で足場を組み、まずケレン落としと呼ばれる下作業をして下塗り、中塗り、上塗りと3工程が行われるがこれは全てハケを使い人の手によって塗られる。上部のアンテナは電波を送信するため足場を組むわけにはいかず、放送電波が停止した時間に職人がアンテナをよじ上って作業をした。総塗装面積94,000m2に使うペンキの量は34,000リットルとなり、延べ約4200人が作業に当たる。使用する塗料は一斗缶に置き換えて縦に積み重ねると、東京タワーの2倍の高さになる[41]。金属ではなく木製の丸太を使用するのは近隣への防音対策と電波への影響を避けるためであり、丸太の総数は1万本以上となる。以前にグラスファイバーのパイプを使用しようとしたことがあったがジョイント部分のクランプの使い勝手が悪く、木製の丸太に落ち着いている。また塗装期間中のライトアップは右写真のようにタワーに影ができる。

塗装工事の最終日には、タワーのマークと職人一人ひとりの名前が刻まれた五百円玉大の記念メダルが職人に手渡された。

全面塗替は第1回が1965年、第2回が1970年、第3回が1976年、第4回が1980年、第5回が1986年、第6回が1991年、第7回が1996年、第8回が2001年、第9回が2007年に行われているがその都度塗り足しをしているため、9回の作業で完成時より約1mm塗装が厚くなっている[42]

航空法によりストロボのような白色航空障害灯を常時点滅させれば現在のペイントを変更することは可能だが周囲には住宅や高速道路があり、住民への迷惑、運転者への安全を考えるとペインティングの変更は考えにくい。2008年現在は7等分の塗り分けだが、建設当時から1986年までは11等分に塗り分けていた。また大展望台の外壁は現在は白色だが、1996年まではインターナショナルオレンジだった。

なお塗装作業の一部にビートたけしの父である北野菊次郎が携わっていた。

航空障害灯[編集]

1958年3月、国際航空運送協会太平洋・アジア地区技術会議にて離陸直後にエンジンが一つ故障した場合、コースがずれて塔にぶつかる恐れがあるため高さを70メートル低くするか航空障害灯などの設備を完全にするようにと要求があった。この時代に航空障害灯を設置する規則はなかった。

航空障害灯は空の明るさが500ルクス以下になると自動で点滅するようになっており、日中でも急に曇ったり濃霧になった場合には点滅する。障害灯は21灯あり上から塔頂部、アンテナゲイン部、塔本体最上部(H.27/252.65m)、H.22/216m、H.17/171.7m、大展望台上部(H.13/130m)、H.7/88mに見ることができる。最上部の500W電球の交換は年に1回。NHKのSTアンテナを点検する際に、古河C&Bの社員が行っていた。アンテナは精密機械であり保守点検をとび職に任せられないため、アンテナ部門の社員が登っていた。登る時間帯は日中では強力な電波が出ており高周波焼けをしてしまう点と地平線の彼方まで見えてしまい恐怖心から動けなくなってしまう社員がいることから、放送が終了する深夜に登る。作業は5 - 6人のチームで行う。上がるのに1時間ほどかかり、交換作業は30分。恐怖で降りられなくなった場合はすぐ真下に別の社員がついて、一緒に一段ずつ降りる。

避雷針[編集]

東京タワーの避雷針は塔頂部に設置されており、以前の避雷針の1本の長さは160cm。タワーには2002年時点で、年平均13回の落雷がある[43]。以前は避雷針を有している構造物の45度の範囲は落雷被害が低減する保護範囲があると言われていたが2003年に改訂されて、高さ20メートルをこえる建物に旧JIS規格で設置された避雷針では建物側面への落雷を防ぎきれず雷害につながる可能性があるとされた[44]。落雷時に展望台室内にいても気づかないことの方が多く[43]事故も報告されていないため金網で囲まれている外階段や施設屋内は落雷に対して安全性が高いと言えるが、雷は必ず避雷針に落ちる訳ではなくタワーの側面などに落ちることもあり得るため施設屋外にいる場合には速やかに避難する方がよい。

観光施設としての東京タワー[編集]

東京タワー入り口。
展望台への入場チケットなどを購入できる。
大展望台1階には一部にガラス張りの床(ルックダウンウィンドウ)があり、足下を眺めることができる。
下から見るルックダウンウィンドウ
Club333
大展望台のフロアマップ
ランドマーク点字ガイド

この塔の売り上げは観光による収入が5割を超えている。東京近辺を目的地とする修学旅行などにおける定番の行き先として定着している。開業翌年の1959年に当時上野動物園が持つ年間入場者記録360万人を大幅に抜き、来塔者513万人(1 - 12月)を記録[29]。一時落ち込みはあったが、現在は年間300万人が来塔している。

タワーは地方海外からの観光客が多く利用し、地元の東京都民は「東京タワーは『おのぼりさん』が行くところ」と登ったことがないという人もいる。そのため日本電波塔株式会社では社員の意識改革を行い若手デザイナーを起用し、イルミネーションなどを企画して来塔者数を増やした[45]

2008年12月23日の開業50周年に併せ、以下の事業を行った。

  • 2007年12月から2008年8月にかけて、フットタウンと大展望台を結ぶエレベーターを順次改修した。3基それぞれにテーマがあり最初に行った3号機は「光のルービック・キューブ」、2号機は「UNIVERSE」、1号機は「UFO」というテーマとなっており天井には移動時に色が変わる仕組みが施されている。また運行速度を少し速め、所要時間を1分から45秒に短縮した。
  • フットタウン1階にあり、来塔者の休憩所や食事スペースとして使用していたタワーホールを「東京タワーホール」に改称すると共に全スペースを多目的ホールに改装した。
  • 2008年8月5日よりフットタウン3階の一部を改装して「タワーギャラリー3・3・3」としてオープンし、展示スペース・ショップ・カフェの3施設を併設した。

展望台[編集]

  • 大展望台(Main Observatory)
大展望台は地上120mより上に2階構造で位置しており[注釈 13]、フットタウン1階からの昇りエレベーターは大展望台2階に到着して客を降ろす。帰る際は大展望台1階から下りエレベータに乗り込むことになる。53メートルと88メートルに避難歩廊があり、エレベータが停止した場合には低速運転で歩廊まで移動し避難することができる。フットタウンと大展望台を結ぶ階段(590段)は土曜・休日・祝日に一般開放されており段の途中に段数の表記の他、一休みの看板も設置している。途中で階段は無理だと諦めてもエレベータに乗り込むことはできず、階段昇り口付近には「体調の悪い方は階段のご利用をご遠慮ください」と注意書きがある。階段を昇り切ると、シリアルナンバー入りのノッポン公認昇り階段認定証が手渡される。下り階段は平日も解放されている。なお大展望台と特別展望台を結ぶ階段は非常用であり、一般客は利用できない。以前は展望台に有料の望遠鏡が設置されていたが現在は撤去され、双眼鏡の貸し出しを始めた。また以前はガラス窓の下に小さな穴があり、そこから紙飛行機を飛ばす客もいたが現在その穴は存在しない。その他、大展望台は2002年4月のリニューアルまで眺望地点の看板の下部に広告を入れていた。大展望台までの車いす利用は可能であり、AEDは大展望台1階に設置されている。展望台レイアウトの点字表記の他、眺望の点字表記もある。
  • ルックダウンウィンドウ(1階)
160cm×60cmの強化ガラスでできている真下が見える床。タワー正面側に2箇所ある。以前からある50cm四方のものは、浜松町駅側(東側)と赤羽橋駅側(南側)に存在する。イルミネーションの電球を交換する作業員はここを歩き、高所での作業ができるか確認を行うことがある。
  • Club333 特設ステージ(1階)
毎週水、木、金曜日に開催されるコンサートやリクエストプログラムでホームページよりリクエストができる。
  • カフェ ラ・トゥール(CAFE la TOUR)(1階)
展望カフェで、展望台の床より60cm高い床となっている。展望台では火が扱えないため、食品は電気で温めている。コーヒーミルクビールケーキブリオッシュ、タワーの焼き印が入ったどら焼きなどが販売されている。
  • グッズショップ(2階)
  • レンタルスコープ(2階)
ビクセンの倍率10倍の双眼鏡を500円で貸し出している。
東京23区の中で、最も高い位置に存在する神社。日本電波塔株式会社の創立20周年創立記念に、事業の隆昌繁栄と来塔者の安全を祈願し1977年7月11日に奉鎮した。祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)。
  • 特別展望台(Special Observatory)
特別展望台は地上223.55mに位置しており[注釈 14]、当初設置されていた作業台がそのまま残されたものである。開業から10年間程、放送設備や機材の倉庫として使われ、オープンは1967年7月になってからである。特別展望台からは都心を始め都内の街並みを一望でき、天候が良ければ神奈川埼玉千葉の各県の街並みや富士山などの山々も見ることができるが、天候その他の理由により営業を中止することがある。入場料は大展望台の入場料に加算して支払う必要がある。入場チケットには番号が振られており、大展望台2階の天井に備え付けられている液晶ディスプレイに「リザーブチケット番号 0333 までの方ご案内中です。これからチケットを購入すると35分」などと表示され入場制限を行っている。エレベーターは三菱製のエレペット人荷用11人乗りの1基のみで、途中「ガタン」というロープの振れ止めの音がする旨がアナウンスされる。音がするのは白く塗装されているH.18付近。特別展望台のトイレは洋式で男性用、女性用が用意されている。公衆電話はあるが売店、自動販売機はない。ゴミ入れはあるが穴が缶くらいの大きさのため、基本的にゴミは持ち帰りである。大展望台2階からは「風と光のプロローグ」というテーマで装飾された階段とエスカレーターを使って特別展望台行きエレベーターホールまで行くため、車いすは利用できない。また、AEDは設置されていない。

営業時間と入場料については東京タワー TOKYO TOWER 料金表-営業時間を参照のこと。ただし大晦日の大展望台の営業時間は2時(券売終了は1時15分)まで延長され、元日は6時より営業となる。特別展望台は大晦日は通常通りの営業で、元日は4時頃から入場整理券が配布され、入場制限が行われる。また展望台で結婚式を行いたいという問い合わせがあるが、展望台で結婚式はできない。展望台は全面禁煙である。

フットタウン[編集]

タワーの下にある5階建ての観光・娯楽施設で、以前は「タワービル」と呼び科学館でもあった。タワーのおもりとして設計されている。過去にはTEPCOタワーランドやフジテレビタワープラザといった東京電力やフジテレビのショールームも入居していた。

現行施設[編集]

  • 屋上
大展望台への直通階段やチケット売り場が設けられている。晴天時には大展望台から降りてきたエレベータは屋上で客を降ろす。
  • 屋上遊園地
  • ガラスの広場 - 屋外イベント広場
  • 5階
テレビ・ラジオの送信所。部外者は立ち入り禁止。
  • 4階
2013年8月現在は「藤子・F・不二雄展」の会場として利用
  • 3階
  • TOWER GALLERY 333
  • 展示スペース
  • 直営売店(タワーショップ)
  • マザー牧場カフェ
  • 懐かしの東京タワー
  • LOVE SPO TOKYO(ランニングサロン)
  • 2階
駐車場直通の出入り口と、マクドナルド側に西出入口がある。
  • 各種土産物屋
  • 飲食店
  • 似顔絵コーナー - 以前は大展望台にあったが、フットタウンに移動している。
  • 1階
正面入り口があり、チケット売り場は外にある。
  • 東京タワー水族館 - 飼育している魚類を販売している。
  • タワーホール
  • 各種土産物屋
  • 地下
管理事務所。部外者立ち入り禁止。地下2階は職員食堂。医務室には看護師が常時し、週に2回慈恵医大医師が来る。

過去施設[編集]

ライトアップ[編集]

イルミネーションは1958年12月21日に実験的に灯され、開業から20日間毎晩点灯された。その後は日曜、祝日の前夜に点灯し1964年の東京オリンピック中は連夜点灯。これが好評であったために1965年のクリスマスイブから連夜の点灯となった。電球は鉄塔の四隅に5m間隔で250灯配置していたが随時増えてゆき、1976年には696灯(塔体384灯、アンテナ88灯、特別展望台96灯、大展望台128灯)となった。電球が切れた場合はその都度交換しに行くのは手間がかかるため、ある程度切れたら交換していたが所々光が途切れている部分は目立ち、ある芸能人から「地方から東京に帰ってきてタワーを見ると、電球が切れていて気になる」と指摘を受けている[47]

  • ランドマークライト
タワーに直接光を当てることで塔体を浮かび上がらせる方式を採用したライトアップで、1989年元日より実施している。時間は日没から深夜0時までの間。開業30周年記念により照明デザイナーの石井幹子に依頼し、昼よりも夜の方がキレイだと言われるライティングを目指してデザインされた。また余計な重量をかけず、エッフェル塔の半分の電気容量を目標とした。照明はデジタルアンテナ部分12灯、特別展望台上部16灯、特別展望台から大展望台まで40灯、大展望台下部16灯、大展望台からタワービル屋上まで84灯、塔脚部12灯の計180灯で構成[48]され以前は1日あたりの電気料金は2万4000 - 2万5000円程であった。季節に合わせてライトの色も変化させており春・秋・冬(10月2日の夜 - )は暖光色の高圧ナトリウムランプのライトアップ、夏(2010年は7月17日 - [49])は涼しげな白色のメタルハライドランプの照明になる。また、イベントなどで違う色にライトアップする場合もある。照明の電球交換は当時・幸陽電気が担当していたが1998年に解散。その後カサキ電気工事を立ち上げ、関電工の請負としてメンテナンスをしている。電球交換は8時半から始め16時半に終了し、切れているところはないか確認してから解散となる。取り替えた電球は次のシーズンに使っている。
ダイヤモンドヴェール(2012年1月)
  • ダイヤモンドヴェール
2008年12月1日より実施している新たなライトアップで、50周年プロジェクトの一貫。ランドマークライト同様石井幹子によるデザイン。17段ある光の階層それぞれが7色に発色することができるLEDを使用し、各色にはメッセージが込められている。20時 - 22時までの2時間限定のライトアップであり、ライトアップスケジュールはホームページにて確認できる。日没からはランドマークライトが点灯して20時に消灯。ゆっくりダイヤモンドヴェールがライトアップされて22時に消灯。再度ランドマークライトが点灯される。このライトアップをテーマにしたラジオ番組がエフエム東京で制作・放送されている(「東京タワー・プレゼンツ・ダイヤモンドヴェール」)。

電気料金は2008年12月時点では投光器の精度がアップしたことと中間部照明器具に消費電力の少ないLEDを使用していることにより、約1万8520円と約25%の省電力となっている[50]

過去に「乳がん撲滅キャンペーン(ピンクリボンデー)」で桃色、映画マトリックス・リローデッド』のプロモーションアイルランドと日本の外交関係50周年の記念として緑色、地上デジタル放送のプロモーションや世界糖尿病デーで青色のライトアップになったこともある。

2000年から年末年始(クリスマス終了から1月中旬まで)に大展望台の窓ガラスの外側に西暦の数字を装飾している。時間は16時30分 - 翌朝8時まで。ただし、大晦日は西暦表示の切り替え作業のため、0時から8時までの点灯となる。

2005年12月の地上デジタル放送のプロモーションで「地デジ」の文字や、2016年東京オリンピック招致オリンピックの色を使った「Tokyo」「2016」の文字を装飾していた時期があった。クリスマスには大展望台にピンクのハートが点灯される。

2007年の第58回NHK紅白歌合戦では総合優勝を決めるにあたり従来のそれぞれの審査カテゴリー別の得票最多チームをボールで数える「玉入れ方式」を行わず、東京タワーのライトアップに拠って最終成績を決めるという試みを行った。

2008年クリスマスの期間中(2010年は12月1日 - 26日)、毎日19時半に一旦ランドマークライトアップが消灯し大展望台にピンクのハートマークや大展望台から地上へ繋がるフラッシュライトがクリスマスソングに合わせて光のショー「東京タワークリスマス・ライトダウンストーリー」を展開する。

2009年にはワールド・ベースボール・クラシック侍JAPANが連覇を決めた時、並びにサッカー日本代表FIFAワールドカップ南アフリカ大会出場を決定した時に祝賀のライトアップを行った。

2011年には石井の提案により東日本大震災によって落ち込んだ日本を応援するべく、大展望台に8400個のLEDで「GANBARO NIPPON」の文字装飾を4月11日から16日まで行った[51]。電力は太陽光発電でまかなわれ、その後ハートマークの装飾も実施した。また、6月20日には世界難民デーにあわせ国際連合の旗 国際連合カラーにライトアップされた。

2013年7月18日から7月21日までの4日間は、同月19日から10月6日まで開催の「藤子・F・不二雄展」に合わせ、青・赤・黄を基調としたドラえもんカラー(青で体色、赤で首輪、黄で鈴を示す)にライトアップされた[52]。また、9月3日のドラえもんの誕生日に合わせ、同年9月2日から9月4日までの3日間にも再び同色にライトアップされた[53]

ライトダウン[編集]

設備の点検・工事などの夜間作業が行われる場合を除きライトアップの照明は0時に消灯されていたが「東京タワーのライトアップが消える瞬間を一緒に見つめたカップルは永遠の幸せを手に入れる」との噂が広まり、0時前になるとライトダウンの瞬間を見ようとする多くのカップルが集まるようになった[54]。これは漫画『部長島耕作』で恋人の誕生日にケーキに立てるろうそくの数を1本少なく間違えた主人公・島耕作がタワーの灯を巨大なろうそくに見立てて0時の消灯と同時に吹き消して見せるシーンがあり、これが伝説の由来となっている可能性が高い[55]

ライトダウンは施設管理部電気課の職員がスイッチを操作するがアンテナの設備点検や工事があるために0時以降もライトダウンしないと「なぜ今日は消えないのか」と毎回問い合わせがあるため、現在は0時[注釈 16]に消灯して再度0時半頃に点灯することになっている。スイッチは回転式で、大展望台の上と下を別々に操作することができる。ランドマークライトからダイアモンドヴェールに切り替わる際にもライトダウンを見ることができる。

また2011年3月12日以降、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)のため自主的なライトダウン[56]を同年5月10日まで終日行った[57]5月11日から13日の3日間は白色のダイヤモンドヴェール(追悼の光)を実施し、その後は自然エネルギーを取り入れるなどさらなる省エネに努めライトアップを再開している。

写真撮影[編集]

身をかがめて撮影をする人々
東京タワーから約1.2kmの距離にある世界貿易センタービル40階の展望室から焦点距離45mmレンズにて撮影。左手前に増上寺、左奥に六本木ヒルズが見える。

東京都心部にある観光地であり、地上300mを超える光の塔となるタワーには写真撮影をする人が跡を絶たない。人とタワーを一緒に撮影する場合、敷地内ではタワーが近すぎ、また巨大であるために身をかがめて撮影する人々が見受けられる。子供を撮影するに至っては寝転がって撮影する人もいる。そのために東京タワーには正面入り口左側に記念撮影用の立て看板が設置されている。この写真は順光となる2階出入り口側の2号塔脚付近で撮影されており、団体客の集合写真も2階出入り口付近で撮影される。

正面入り口側からの日中の撮影では、逆光で顔が黒くつぶれるためにフラッシュが必要となる。ただしその場合、タワーは暗く写るので注意が必要だが最近のカメラは自動で逆光補正を行う機種もあるためHDRやオートで撮影するのも手である。

地上デジタル放送[編集]

地上デジタル放送開始[編集]

地上デジタル放送用の送信アンテナをどこに設置するかについては多摩地区、上野地区、秋葉原地区などから誘致提案が出された。しかしサービスエリア航空路との関係などの面でいずれも決定的ではなく、2003年12月1日からの関東地区での地上デジタル放送開始に対応する仮の措置として従来アナログテレビ放送を行って来た東京タワーの施設を拡張する形で設置されることになった。このため大展望台の直下、135 - 145mの高さに送信設備室を増築し特別展望台の上の塔体最上部に直径13m、高さ11mの筒型のアンテナを設置した。

地上デジタル放送移行に伴う問題[編集]

デジタルテレビ電波はアナログテレビ電波に比べて送信所に近い地域(強電界地域)では受信電波障害の範囲が狭くなるが、送信所から遠い地域(中、弱電界地域)ではアナログテレビ電波同様に障害が発生する[58]

2012年現在、東京タワーでは地上デジタル放送波の送信を行っているがこれは暫定的な措置であり2011年7月24日の地上デジタル放送全面移行後、今後さらに高層ビルが建設されることも踏まえ東京タワーの高さでは受信電波障害の問題を解決できず(2009年の時点では)首都圏域すべて(アナログテレビの放送区域)をカバーし切れないと言われていた(首都圏において放送受信障害がどの程度出るかについては、電波行政を管轄する総務省でも正確には把握できていない[要出典])。

東京スカイツリーの建設[編集]

この問題は2000年代初頭から既に想定されていたが2003年12月1日の地上デジタル放送開始には間に合わなかった。しかしその頃から東京タワーに代わる新しい電波塔の建設が検討され始め、同年12月17日に東京タワーの電波障害を解消するためにNHKと民放キー局で構成する「在京6社新タワー推進プロジェクト」が発足。候補地については東京23区および近隣の数都市が名乗りを挙げて協議を重ねた結果、2006年に新塔の建設予定地が墨田区押上にある東武鉄道の貨物操車場跡地に決まりここに新塔「東京スカイツリー」(以前は仮に「第2東京タワー」や「新東京タワー」「すみだタワー」などと呼んでいた)を建設することとなった。2008年7月14日に着工し地上デジタル放送への全面移行後の2012年2月29日に完成、同年5月22日に開業した。高さは634mで電波塔としては世界一を更新し地上350m地点に展望デッキ(第1展望台・フロア340-350)、450m地点に展望回廊(第2展望台・フロア445-450・最高地点451.2m)を設置[59]する。建設費400億円。総事業費は約650億円[60]。本放送は2013年5月31日9時に開始された(東京タワーからの送信所切替)。

東京タワーの処遇について[編集]

一方、東京タワーを管理する日本電波塔は2007年9月21日、放送局各局のデジタルテレビ完全移行後に塔頂部にある現在のアナログテレビ用スーパーターンスタイルアンテナを撤去し、その場所へデジタルテレビ用アンテナを設置することでアンテナ位置を80 - 100m上方に移動する方針を主軸とした東京スカイツリーへの対抗案(東京タワーイノベーション計画)を打ち出し各テレビ局に打診した。80m改修案の場合、タワーの高さは変わらず費用は約40億円で済むと言われ、各局の放送設備もそのまま流用できるなど東京スカイツリーの建設に比べると圧倒的にコストを低く抑えられた。なお材質に軽量の炭素繊維などを用いた場合、大掛かりな補強工事の費用は必要なく改装費用はさらに減額することが可能であった[61][29]

テレビ局が現・東京タワーから放送施設の殆どを撤去した場合、FMラジオ波など東京スカイツリーに移行しなくても電波を送信できるものについては引き続き東京タワーから送信を続ける方針であり、一部放送施設はこれからも恒久的に存続する。また放送大学はテレビ放送も東京スカイツリーに移設せず、引き続き東京タワーから送信を行う。しかし、NHKと民放キー局送信所がスカイツリーに移転することで放送施設としての主な役目は終わる。京都タワーのように下層部分にホテル施設を新設するなどの案もあがったが観光施設として残す場合には老朽化や耐震問題を考慮し、補強や構成材の交換なども継続していかなければならないため日本電波塔は「放送局の電波料収入が途絶えた場合、観光収入だけでは経営は難しく取り壊しもあり得る」と発言した。[要出典]

2010年9月27日、日本電波塔はNHKおよび民放テレビキー局5社との間でテレビ送信(NHKはFMも含む)の東京スカイツリーへの移行後、災害時などで東京スカイツリーから電波が送れない場合の予備電波塔として東京タワーを利用する契約を結んだ[62]

放送施設としての東京タワー[編集]

日本電波塔
Tokyo Tower and around Skyscrapers.jpg
送信所名 東京タワー
局名 東京放送局
送信波 地上デジタルテレビ放送
FMラジオ放送
地上アナログテレビ放送(廃止)
地上デジタル音声放送(実用化試験局、廃止)
送信塔 1塔
空中線形式
凡例

3素子2L5段15面 2系統
UD-D
NHK-DG・NHK-DE・EX-D・CX-D・TBS-D・NTV-D・TX-D【予備送信所】
2L2段4面(北方向のみ1段)
TOKYO FM
SG8段4面
NHK-FM【予備送信所】
2L1段4面
InterFM
2L4段4面
UD-FM

送信放送局 【メイン送信所】
放送大学(テレビ・FM、UD)
InterFM
TOKYO FM(TFM)
【予備送信所】
NHK東京(テレビ・FM)
日本テレビ(NTV)
TBSテレビ
フジテレビ(CX)
テレビ朝日(EX)
テレビ東京(TX)
空中線電力 デジタル:10kW、5kW(UD)、3kW(MX)
アナログ:映像50kW(テレビ各局)、10kW(MX)
FMラジオ:10kW
デジタルラジオ:2.4kW
指向性 無し
放送区域 関東平野一帯
受信世帯 約14,000,000世帯
約6,900,000世帯(MX)
開局 1959年1月10日
設置場所 105-0011 東京都港区芝公園4-2-8
特記事項:
地上デジタル音声放送は2011年3月31日、地上アナログテレビ放送は2011年7月24日に運用終了
テンプレートを表示
アンテナ配置
デジタル放送用アンテナと特別展望台

放送区域[編集]

発信される電波は関東エリアの半径100km圏を範疇とする。

  • テレビ・FMとも基本的には関東平野一帯。それ以外の地域は近隣中継局やケーブルテレビなどで受信する。TOKYO MX(東京スカイツリーへ移転)は受信できる範囲が限られていた。
  • そのほかは受信感度が劣るものの、山梨県長野県新潟県宮城県福島県静岡県中東部のそれぞれ一部地域でも受信ができる。
  • 災害などによって東京スカイツリーから放送電波を送信できない場合に備えて東京タワーを災害時の予備の電波塔をとしてバックアップする契約が2010年9月27日に日本電波塔株式会社とNHKや在京キー局5社との間で結ばれた[63]。なお、NHKは地上デジタルテレビのほかFM放送も含まれている。

施設[編集]

建設当初からのアナログテレビ放送送信所(送信機室)はタワービルの5階にある。ただし5階は各放送局の送信設備などが置かれた機械室となっているため関係者以外は立入禁止であり、保安上や安全上(感電事故等防止)の面からも一般人の見学はできない。

なお、2008年9月にフジテレビONE(当時・フジテレビ739)で放送された『ばら・す』ではフジテレビのアナログテレビ送信設備の一部が放送されたほか、2011年3月にNHK総合NHK BS2で放送された『ブラタモリ』(第2シリーズ)ではNHK教育テレビのアナログテレビ送信設備の一部が放送されている。また、2011年7月25日未明にテレビ朝日で放送された『ANN NEWS&SPORTS』や同日朝にNHK総合で放送された『NHKニュースおはよう日本』でも技術職員によるアナログ放送の完全停波作業のニュースが伝えられた際、それぞれのアナログテレビ送信設備の一部が放送されている(NHKは総合テレビの設備)。また、2013年5月31日9時に行われた地上デジタル放送の東京スカイツリーへの送信所完全移転の際には、関東ローカルニュースにて、東京タワーからの電波を止める瞬間の模様を放送した際に各局のデジタル送信所の一部が放送された。

地上デジタル放送用送信機[編集]

送信機は2層を使って設置されており上階にNHKのテレビジョン放送2波分、放送大学と地上デジタル音声放送の実用化試験放送用(後1者は廃局済)、下階に民放テレビジョン放送5局分、それぞれの送信機を設置。なおTOKYO MXは単独設置(アナログ送信機と共用)であった(移転済)。送信機は共通仕様に基づき設計された固体化水冷式で最大出力10kWが得られる。

地上デジタル放送送信設備室はフットタウンと大展望台を結ぶ階段からでないと入ることができない。なお、前述のとおり放送大学以外の局については2013年5月31日9時以降、予備送信所となっている。

地上デジタル放送用アンテナ[編集]

特別展望台とアナログ放送用アンテナ部分の中間、高さ260 - 280mのところに直径13m・高さ12mの円筒形のアンテナを設置した。これは「3素子型2L双ループアンテナ5段15面4系統」といわれるもので、ループ型アンテナを構成するエレメントを10段30面に配置している。そして赤に塗装された上5段分から3波、白に塗られた下5段分から4波が送信される。このアンテナは前述の通り、当初は親局として使用されていたが放送大学以外の局に関しては2013年5月31日9時以降は東京スカイツリーからの送信が不可能になったときの予備アンテナとなっている。

地上デジタル音声放送用のアンテナは特別展望台の直下、高さ約245mのところにプレートパラボラアンテナが設置されている(2011年3月31日の全局廃局に伴い、同年6月にアンテナ撤去)。これらの設備追加により塔は420tも重量が増加したとの案内が行われていた。2001年、タワーへのアンテナおよび送信機室の設置に伴って構造安全性が再検討され2003年から2005年春にかけて塔の構造材に鋼板による補強[64]と塔脚一本につきコンクリート杭(アースドリル工法・直径3m、深さ約18.5mの基礎杭)が2本ずつ増設[65]された。

2003年の運用開始当初はアナログテレビの混信を避けるため出力の抑制・指向性が掛けられていたが、アナアナ変換による対策がこの地域で完了した2005年までに無指向性・所定の出力となった。

地上アナログ放送用アンテナ[編集]

アナログ放送のアンテナは塔頂部からNHK総合と教育(STアンテナ6段にて二重給電)、テレビ朝日、フジテレビ、TBSと日本テレビ(併設)、テレビ東京と放送大学(併設。ただし、放送大学のUHF送信アンテナはスキュー配列[注釈 17])(以上広域放送、NHK教育のみ全国放送)の順で塔頂部からH.27(地上27番目の鉄骨の水平材、桁)までのゲイン塔に設置されていた。ただし、TOKYO MXは開設が放送大学より後なのと県域放送(東京都のみでの放送)のため一段低い場所にあった。保守、管理をしていたのは電気興業。設計は同社の鈴田豊次(当時25歳)ら新米ばかりの若いチームだった。アンテナは送信波長の関係から太くできないため、直径17cmのステンレス丸棒を溶接したものを使用していた。ここから送信された電波は160km離れた栃木県那須湯本まで届いた[66]

地上アナログテレビジョン放送の終了に伴い2011年7月25日0時に送信を終了し、地上アナログ放送用アンテナは2012年7月までに撤去され、現在は設置されていない。

FM放送用アンテナ[編集]

これらの放送局のアンテナは頂上部のTOKYO FM、特別展望台直下のNHK-FM(予備送信所)、放送大学、InterFMの順に設置されている。

特別展望台直下のアンテナはNHK-FM・TOKYO FM・J-WAVEの3局が1つのアンテナを共用していたがNHK-FMとJ-WAVEについては東京スカイツリーに送信設備を移転、TOKYO FMも後述の通り頂上部に移している。NHK-FMは引き続き予備送信所として残るが、J-WAVEは本社のある六本木ヒルズ森タワーの予備送信所を継続利用するため使用されていない。

InterFMでは開局時期が遅いこともあり地上150mの大展望台の直上という低い位置、ラジオNIKKEIの中継アンテナと同じ場所にある。また、以前は大展望台の直下にAMラジオのニッポン放送の中継アンテナがあった。

2013年2月11日より、TOKYO FMのアンテナがNHKのアナログテレビのあったタワー頂上部に新設された[20]。当初の計画では2012年1月に従来のNHKアナログテレビのアンテナを利用して送信する予定だったが、前述の東日本大震災によるアンテナ破損があったため旧アンテナを撤去して新設することとなった[67]

テレビ中継回線設備[編集]

一般視聴者向けの放送アンテナ以外に、テレビ局は素材を遠方の取材先から演奏所に送るためのマイクロ波による中継システムを持つ。この塔には、送られて来たマイクロ波を受信するアンテナが、FM用送信アンテナ群の直下から大展望台にかけて設置され、遠隔操作で取材地方向に向けることができる。また、タワー自体による死角ができるので、対向する2個所1組で運用。これらのアンテナで受信した電波は、映像専用回線を通じて各放送局の演奏所に送られる。

またキー局が共同取材で素材を融通し合う場合があるが、アナログ放送時代は「タワー分岐」と呼ばれる作業により、ここで各局に分配できるようになっていた。ただしデジタル放送におけるハイビジョン映像には、タワー分岐は使われない。これはデジタル放送において、在京キー局各社がネクシオンの提供する映像伝送サービス「ネクシオンHD分岐」を、素材交換を含めて共同利用しているためである。

なお、光ファイバーによる大容量の伝送回線網が日本全国をカバーしたため、放送局相互用マイクロ波回線(NTT中継回線)は廃止された。

送信周波数・出力[編集]

地上デジタルテレビジョン放送[編集]

常用[編集]

リモコン
キーID
放送局名 コールサイン 物理
チャンネル
空中線電力 ERP 放送対象地域 放送区域
内世帯数
12 放送大学 JOUD-DTV[68] 28ch 5kW[68] 19kW[68] 関東広域圏
(授業実施予定地域[69][70]
1319万6862世帯
  • コールサインは、主放送に対するもののみ。
  • 2006年12月1日に本放送開始[4]

予備用[編集]

  • アナログVHFから移行した以下の7局は2003年12月1日から本放送を行ってきたが、2013年5月31日9時を以って東京スカイツリーに主送信所を移転したことに伴い東京スカイツリーから送信できなくなった場合の予備送信所に移行した。
リモコン
キーID
放送局名 コールサイン 物理
チャンネル
空中線電力 ERP 放送対象地域 放送区域
内世帯数
1 NHK東京総合 JOAK-DTV[71] 27ch 10kW[71][72][73][74][75][76][77] 48kW[71][72] 関東広域圏
茨城県栃木県及び群馬県を含まない)[69][70]
約1400万世帯
2 NHK東京教育 JOAB-DTV[72] 26ch 全国放送
4 NTV日本テレビ JOAX-DTV[73] 25ch 49kW[73] 関東広域圏
5 EXテレビ朝日 JOEX-DTV[74] 24ch 48kW[74][75][76][77]
6 TBSテレビ JORX-DTV[75] 22ch
7 TXテレビ東京 JOTX-DTV[76] 23ch
8 CXフジテレビ JOCX-DTV[77] 21ch
  • コールサインは、主放送に対するもののみ。
  • NHK東京総合の空中線電力は2003年の開始当初は300Wで、その後400W→820W→2.5kW→5kWと段階的に出力を上げて2005年10月に所定の10kWとなった。
  • NHK東京Eテレおよび広域民放5局の空中線電力は2003年の開始当初は15.5Wで、その後700W→1.2kW(広域民放5局のみ)→2.5kW→5kWと段階的に出力を上げて2005年10月に所定の10kWとなった。
  • 予備送信所移行後も技術諸元は移行前と変わらず。

FMラジオ放送[編集]

常用[編集]

周波数
MHz
放送局名 コールサイン 空中線電力 ERP 放送対象地域 放送区域
内世帯数
運用開始日
76.1 InterFM JODW-FM[78] 音声10kW[78][79][80] 音声11.5kW[78] 東京都の特別区の存する区域を中心として
同一の放送番組の放送を同時に受信できることが
相当と認められる区域として総務大臣が別に定める区域[69][70]
約-世帯 1996年4月1日
77.1 放送大学 JOUD-FM[79] 音声38kW[79] 関東広域圏
(授業実施予定地域)[69][70]
1984年11月1日[4]
80.0 TOKYO FM JOAU-FM[80] 音声125kW[80] 東京都 1970年4月26日

予備用[編集]

  • 2012年4月23日の放送開始から主送信所を東京スカイツリーに移したため、東京スカイツリーから送信できなくなった場合の予備送信所に移行した[81]
周波数
(MHz)
放送局名 コールサイン 空中線電力 ERP 放送対象地域 放送区域
内世帯数
運用開始日
82.5 NHK東京FM JOAK-FM[81] 音声5kW[81] 音声11kW[81] 東京都 約-世帯 1969年3月1日
  • 局名は、略称・愛称で表記。
  • コールサインは、主放送に対するもののみ。
  • NHK-FM放送の開始日は、全国一斉本放送の開始日。実験局・実用化試験局の運用開始日は不明。

廃止された放送局[編集]

地上デジタルテレビジョン放送[編集]

廃止日:2013年5月12日正午(東京スカイツリーへの移転のため)

リモコンキーID 放送局名 コールサイン 物理チャンネル 空中線電力 ERP 放送対象地域 放送区域内世帯数 運用開始日
9 TOKYO MX JOMX-DTV 20ch[82] 3kW[82] 5kW 東京都 約690万世帯 2003年12月1日
  • コールサインは主放送に対するもののみ。
  • TOKYO MXの空中線電力は2003年の開始当初は29Wで、その後700Wに出力を上げて2005年8月に所定の3kWとなった。
  • TOKYO MXは東京スカイツリーへの送信所移転に伴う周波数変更をスムーズに行うため、2012年11月12日から東京タワーからの放送波を段階的に減力し、2013年5月12日正午に東京タワーからの送信を終了した[注釈 18][21]

地上アナログテレビジョン放送[編集]

廃止日:2011年7月25日0時(放送法による一斉免許失効のため)

チャンネル 放送局名 コールサイン 空中線電力
(映像/音声)
ERP
(映像/音声)
放送対象地域 放送区域内世帯数 運用開始日
1 NHK東京総合 JOAK-TV 50kW[82]/12.5kW 240kW/60kW 関東広域圏[82][83] 不明 1959年4月6日
3 NHK東京Eテレ JOAB-TV 270kW/69kW 全国放送[82][83] 1959年1月10日
4 NTV日本テレビ JOAX-TV 370kW/94kW 関東広域圏[82][83] 1970年11月10日
6 TBSテレビ JOKR-TV→
JORX-TV
380kW/95kW 1960年1月17日
8 CXフジテレビ JOCX-TV 370kW/92kW 1959年3月1日
10 EXテレビ朝日 JOEX-TV 370kW/91kW 1959年2月1日
12 TXテレビ東京 JOTX-TV 370kW/93kW 1964年4月12日
14 TOKYO MX JOMX-TV 10kW[82]/2.5kW 17kW/4.2kW 東京都[82] 1995年11月1日
16 放送大学 JOUD-TV 50kW[82]/12.5kW 330kW/81kW 関東広域圏
(授業実施予定地域[82][83]
1984年11月1日[4]
  • コールサインは主放送に対するもののみ。
  • NHKは当初教育テレビ(Eテレ)が1chで開局。その数か月後紀尾井坂送信所から放送していた総合テレビとチャンネルを入れ替え、一旦タワーからの教育テレビ送出を終了。翌年TBSの送信所移設に合わせて再度タワーからの放送を開始。
  • 日本テレビ(初代)は麹町二番町に当時あった本社から送信所を移した日付。アナログ放送終了の翌年10月1日、放送持株会社に移行した。
  • TBSテレビは1955年4月1日に「ラジオ東京テレビ」として開局。1960年11月29日に「東京放送」と改称。段階的に進めてきた分社化・持株会社制移行に伴い2001年10月1日にコールサインを変更。持株会社制移行時に「TBSテレビ」が持株会社化した「東京放送ホールディングス」から免許を承継。
  • テレビ朝日は当初「日本教育テレビ(NET)」として開局。1977年4月1日、「全国朝日放送(ANB)」に社名を変え「テレビ朝日」の通称使用を開始。旧本社を含む六本木ヒルズ再開発落成による原点の地再復帰に際し通称を正式社名とする。
  • テレビ東京は当初「日本科学技術振興財団テレビ局」として開局し、「東京12チャンネル」を通称として使用。経営再建、教育局解除により1973年11月1日に新民放「東京12チャンネル」として再出発し1981年10月1日に今の社名となった。
  • 放送大学は放送局の開局日で、大学の授業開始日ではない。また、免許は大学ではなく大学を経営する法人に与えられていた。これは運用中のデジタルテレビ・FM局も同様。

地上デジタルラジオ放送実用化試験[編集]

[要文献特定詳細情報] 廃止日:2011年3月31日

周波数
(MHz)
免許人 コールサイン 空中線電力 ERP 放送区域 放送区域内世帯数 運用開始日
190.214286[注釈 19] 社団法人
デジタルラジオ推進協会
JOAZ-FM 2.4kW 3kW 南関東の一部 約490万世帯 2003年10月10日
  • コールサインの「JOAZ」は1967年10月31日までNHK旭川第2放送名寄中継局に、その後空白期間を経て1982年11月1日から10年前後はNHK佐世保第2放送に割り当てられた。現在は試験局・臨時局用に確保されており、何度も再利用されている。

FMラジオ放送送信設備[編集]

廃止日:2012年4月23日(東京スカイツリーへの移転のため)

周波数
(MHz)
放送局名 コールサイン 空中線電力 ERP 放送対象地域 放送区域内世帯数 運用開始日
81.3 J-WAVE JOAV-FM 10kW 44kW 東京都 不明 1988年10月1日
  • 局名は略称・愛称で表記。
  • コールサインは主放送に対するもののみ。

比較[編集]

日本国外の建造物については東京タワーの高さを超える主要建造物のみ掲載。

ギャラリー[編集]

東京タワー周辺[編集]

夜景・ライトアップ[編集]

1988年当時の東京タワー[編集]

「東京タワー」の名称を使用した企業[編集]

1963年4月15日に東京タワーを使用した社名として「東京タワー観光バス」が設立された。同社は1969年10月2日に国際興業に買収され、1972年4月1日に合併された。

関連会社
  • 株式会社東京タワースタジオ
  • 株式会社東京タワーパーキングセンター

東京タワーを扱った作品[編集]

東京タワーはその時代や東京という地理的背景を説明する為のシンボルとして、建設以来実に様々な小説や映像作品の中に登場している。本項では、数多の作品の中からその一部を紹介する。

テレビドラマ・映画・小説[編集]

漫画・アニメ・特撮[編集]

怪獣もの[編集]

怪獣と東京タワーは縁が深い。最初に東京を襲った大怪獣はゴジラであり、実際には東京タワーを破壊していない(第1作の公開は1954年であり、竣工すらしていない)[注釈 20]。しかしその後東京タワーを倒す怪獣が数多くなり、特にテレビで怪獣ものが流れるようになってからは頻繁に倒されるようになった。

なお日本の怪獣映画のスターであり、最初の怪獣映画でもある初代ゴジラが東京タワーを倒したとの印象が広く浸透している。たとえば、下記の小松左京の小説にも「型通りに」東京タワーを壊したと書かれてある。同様の例として、清原なつのの少女漫画作品である『ゴジラサンド日和』ではリバイバルのゴジラを見に行ったかつてのカップルを描写したシーンでゴジラが「うりゃっ」というかけ声とともに東京タワーを叩き折っているシーンが出てくる。これらは少なくとも「怪獣は東京タワーを破壊するもの」とのイメージが実在したことを示すものである。

  • モスラ - モスラ幼虫が成虫になるため繭を作った。怪獣によって東京タワーが破壊された最初の例。ただ、東京タワーが破壊された直接の原因を「モスラを狙った自衛隊の砲撃」と解釈する向きもある。劇中場面で見る限り確かにタワー自体の倒れる方向が若干不自然だが、種々の書籍資料では「モスラの重量に耐えきれず倒壊」または「モスラが破壊した」ということになっている。
  • キングコングの逆襲 - 日米合作による怪獣映画。キングコングとメカニコングが互いに東京タワーに登りながら闘った。この闘いにより展望台の一部と頂上部のアンテナの一部が破壊された。
  • 大怪獣ガメラ - 東京を蹂躙するガメラが根元から破壊した。なお、このシーンは続編『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』にも登場する。
  • ガメラ 大怪獣空中決戦 - 怪獣ギャオスを狙って発射された自衛隊81式短距離地対空誘導弾が誤爆して破壊され、そこにギャオスが巣を作る。このシーンを平成の怪獣映画中でもっとも美しいシーンであるとゆうきまさみは取り上げている。なおこのシリーズにおいては東京タワーは再建されず、次作『ガメラ2 レギオン襲来』では折れたままの姿が1シーンのみ描かれる。
  • ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS - ゴジラシリーズの中で唯一ゴジラによって東京タワーが破壊された作品。モスラを狙って発射されたゴジラの熱線が回避され、その後ろにあったタワーを直撃した。
  • ウルトラQ - 円谷プロダクション。1966年製作の空想特撮シリーズ第1弾。第19話「2020年の挑戦」において巨大化した誘拐怪人ケムール人に神田博士の発明した「Kミニオード」から発せられる「Xチャンネル光波」を東京タワーより照射して倒した。これは東京タワーによって怪獣が倒された唯一の例といわれる。また、第16話の「ガラモンの逆襲」ではガラモンに倒されている。なお、東京タワーは他のウルトラシリーズ作品でも多く登場している。
  • 地球になった男 - 小松左京の短編小説。どんなものにも変身できる能力を持った男が、気晴らしにゴジラに変身して破壊した。

その他にも『三大怪獣 地球最大の決戦』『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』『ゴジラ FINAL WARS』『巨神兵東京に現わる』など多くの怪獣映画で東京タワーが登場し、かつ破壊されている。

音楽[編集]

関連商品[編集]

大展望台カフェ・ラ・トゥールにある東京タワー2007

東京タワーは開業当初から観光施設としての性質を持ちミニチュア(タワー模型)やプラモデルペナント、絵葉書などのおみやげ品が用意されていたが近年上記の『Tokyo Tower』や『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』、『ALWAYS 三丁目の夕日』などで別の意味で注目されるようになり一般の店舗での関連商品が登場した。

  • 重厚長大・昭和のビッグプロジェクトシリーズ 偉大なる建設 東京タワーの建設記録(DVD) - 2007年7月25日、ジェネオン エンタテインメントから発売された竹中工務店の記録映像。基礎を作り上げてゆくところから観ることができる。33分。オールカラー。
  • 東京タワー2007 - 2007年6月に発売されたセガトイズの東京タワー1/500模型で高さ66.6cm、LEDによりライトアップを再現する機構を持つが航空障害灯やエレベータの明かりは再現されていない。定価1万3330円。同年11月には限定クリスタルバージョンを発売。設計は同社社員の加藤武彦。実物は想像以上にとがった形のため、地上からタワーを見上げる場合の見え方とはズレがあり、すそを広げた形に設計し直している。製品をタワー建設に携わった職人の桐生五郎に見せたところ、目を細めて「姿の美しいものは良いものだ」とため息を漏らした[85]
  • 東京タワー物語 - 2008年4月にタカラトミーから発売された1/2000のクローズドボックスフィギュアで、1958年建設時など様々な東京タワーの形態を再現。レアアイテムにはLED内蔵の発光機構を備えたものもある。

交通アクセス[編集]

鉄道[編集]

赤羽橋駅前のタワー表記
JR浜松町駅看板。東京タワーと増上寺があしらわれている

路線バス[編集]

道路沿いのバス停

[編集]

  • 東京タワーパーキングセンター(50台、最初の60分580円、以後30分200円)
ほか近辺駐車場に計100台以上駐車可

歴代イメージガール[編集]

歴代東京タワーアンバサダー[編集]

2011年度までの「イメージガール」に代わる新しいキャンペーンキャラクターとして2012年度より「東京タワーアンバサダー」を制定。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 塔脚の中心を基準とした場合の長さ。
  2. ^ 財団法人日本動物愛護協会は「二度とこのような事件が起きて欲しくない」という思いから「動物愛護」のシンボルとして、当時開業したばかりで話題の場所だった東京タワーに記念像を造った。
  3. ^ タワーでの結婚式はこの一度きりであり、その後、他にも申し入れがあったがタワーでの結婚式サービスは行われていない。
  4. ^ 弧を描くように「TOKYO TOWER」の文字が配置しており、東京タワーがある小高い丘(芝公園)や地球をイメージしている。中央のTだけオレンジ色で大きく、東京タワーを思わすデザイン。文字の上に並んだ緑色の丸は、地球環境への貢献や自然との共存をイメージしている。デザインは尾村匡昭、竹鶴孝太郎。当日は来塔者のうち先着1000人に、新ロゴをデザインしたクリアフォルダがプレゼントされた。
  5. ^ 2012年2月2日にNHKで放送された『ブラタモリ』第2シリーズ「東京タワー・芝」(本放送:2011年3月10日)の再放送では、本放送翌日に発生した「東日本大震災」で折れ曲がったアンテナの先端部が番組冒頭に流された。
  6. ^ 渋谷のNHK放送センターから銚子市役所まで102km 水戸市役所まで104km。
  7. ^ ニッポン放送の事実上の創業者。後のニッポン放送、フジテレビジョン、産業経済新聞社の社長、フジサンケイグループ初代議長。ただし、この当時は前田が経営していた産経新聞との関わりはなかった。
  8. ^ 鳶職の頭であった桐生五郎は2012年に死去。
  9. ^ TBSの情報番組『そこが知りたい』でTBSの男性アナウンサー8ミリビデオカメラと共に塔体最上部に向かうが、強烈な電波によってビデオカメラが停止。再度8ミリフィルムカメラを持って上り銘板の撮影を行ったものが放送された。
  10. ^ 『東京今昔探偵』(中公新書ラクレ ISBN4-12-150012-1)「東京タワー〜米軍戦車をつぶして鉄骨に」の項や『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』でもとり上げられた。
    スクラップは政治的利権である。それは、ロッキード事件#明らかになっていく「工作」に登場するシグ片山が、ベトナム戦争のスクラップ払い下げを受けていることから分かる。
  11. ^ 麹町の自社敷地内の送信所そのものは東京タワーに移設したあとも予備送信所として新宿センタービルに移転するまで試験電波発射を中心に運用を続けた。
  12. ^ 『TBS 50年史』にも記載されている。
  13. ^ 公式HPでは大展望台1階が145m、2階が150mとしているが海抜表記である。
  14. ^ 公式HPでは特別展望台は250mとしているが海抜表記である。
  15. ^ 2011年10月8日〜2012年5月31日まで「◆不思議アート展 〜トリックアーティストコレクション〜◆」として再登場。
  16. ^ 頭頂部の改修工事のため、2012年5月8日~2014年9月12日の間は22時に消灯していた。
  17. ^ 放送大学はUHFのため1波長が鉄塔幅よりも小さくなってしまい、VHF同様に4面にアンテナを設置しても指向性を円形にすることが難しいのと既にテレビ東京のアンテナが設置していたためにスキュー配列となった。
  18. ^ 当初は2013年3月31日に東京タワーからの送信を終了し4月1日から送信所をスカイツリーに一本化する予定だったが、2012年東京都知事選挙及び第46回衆議院議員総選挙の実施に伴い選挙報道や政見放送の公平性を確保する必要があったことから当初予定していた東京タワーの減力ができなかったため、移行予定にも遅れが生じた。
  19. ^ VHFテレビ7chに相当する周波数帯。
  20. ^ 実況アナウンサー(橘正晃)がいるNHK千代田放送所の電波塔を襲う場面はある。

出典[編集]

  1. ^ 日建建設タワーの歴史
  2. ^ a b 竹中工務店東京支店 池田末造東京タワーの施工について 建築雑誌 74(869) 13-18 1959年4月20日
  3. ^ http://www.city.himeji.lg.jp/kouhou/kouhoushi/backpdf/s30/pdf_s39/19640215339.pdf#page=02
  4. ^ a b c d e 放送大学学園要覧2014(4ページ)2014年6月7日閲覧 (PDF)
  5. ^ 東京タワー来塔者1億6千万人達成 - 産経ニュース(2009年11月1日閲覧)
  6. ^ 震災で曲がったアンテナ部分を交換 東京タワー改修”. 日本経済新聞 (2012年4月7日). 2012年11月28日閲覧。
  7. ^ 東京タワー アンテナ傾く”. 東京新聞 (2011年3月12日). 2011年3月12日閲覧。
  8. ^ 東京タワーは19日から営業再開 日経ウーマンオンライン 2011年3月18日
  9. ^ 東京タワー、アナログ放送アンテナの撤去始まる”. 日本経済新聞 (2012年2月2日). 2012年2月2日閲覧。
  10. ^ 東京タワー 特別展望台(250m)営業一時休止のご案内
  11. ^ 東京タワー、ちょっと低く アンテナ交換で315Mに”. 朝日新聞 (2012年7月19日). 2012年11月29日閲覧。
  12. ^ a b 東京タワーが復活 “太め”の333メートル”. 産経新聞 (2012年8月3日). 2012年11月28日閲覧。
  13. ^ 東京タワーの謎…「頂上」から古い軟球”. サンケイスポーツ (2012年8月4日). 2012年11月28日閲覧。
  14. ^ TOKYO MX * 「東京スカイツリーから電波発射」
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]