東映アニメーション

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東映アニメーション株式会社
TOEI ANIMATION CO., LTD.
TOEI ANIMATION Oizumi Studio.JPG
大泉スタジオ(東映アニメーションギャラリー
※現在は全面建替中。(写真は建替前の建物)
種類 株式会社
市場情報
東証JQ 4816 2000年12月8日上場
本社所在地 日本の旗 日本
164-000
東京都中野区中野二丁目10番5号
中野セントラルパーク イースト5階
設立 1948年昭和23年)1月23日
(日本動画株式会社として設立)
業種 情報・通信業
事業内容 アニメーションの企画・制作、版権事業
代表者 代表取締役社長 高木 勝裕
資本金 2867百万円
発行済株式総数 1,400万株
売上高 連結: 31,027,827千円
(2014年3月期)
営業利益 連結: 3,602,038千円
(2014年3月期)
経常利益 連結: 3,940,261千円
(2014年3月期)
純利益 連結: 2,333,684千円
(2014年3月期)
純資産 連結: 38,510,678千円
(2014年3月31日現在)
総資産 連結: 45,816,775千円
(2014年3月31日現在)
従業員数 連結: 548名 単体: 325名
(2014年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 東映(株) 33.6%
大株主を参照)
主要子会社 (株)タバック 100%
東映アニメーション音楽出版(株) 100%
TOEI ANIMATION PHILS., INC. 100%
関係する人物 関連人物を参照
外部リンク http://www.toei-anim.co.jp/
特記事項:1952年昭和27年)8月に日本動画株式会社から日動映画株式会社へ商号変更。
1956年昭和31年)7月に日動映画株式会社から東映動画株式会社へ商号変更。
1998年平成10年)10月に東映動画株式会社から東映アニメーション株式会社へ商号変更。
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本社が入居する中野セントラルパークイースト

東映アニメーション株式会社(とうえいアニメーション、: TOEI ANIMATION CO., LTD.)は、アニメーション制作を主体とした、映像製作・販売を主な事業内容とする日本企業日本動画協会正会員、練馬アニメーション協議会幹事。

沿革[編集]

1950 - 1960年代[編集]

1948年(昭和23年)1月、政岡憲三山本善次郎らにより日本動画株式会社設立[1]。設立当初は成城高校の空き教室約100坪を使って制作が行われた。1952年(昭和27年)8月、日動映画株式会社に商号変更した[1]

1956年(昭和31年)7月、東映が日動映画を買収。森康二藪下泰司らを擁する東映動画株式会社が発足した[1]1950年代、当時の東映社長、大川博は日本においても大きな興行収益を上げていたディズニー映画のような、劇場用長編アニメーション作品の制作を日本で独自に行うことを構想しており、もとは香港からの持ち込み企画であった『白蛇伝』の制作をスタートさせた。当時、日本国内にアニメーション制作会社はごく少なく、長編制作の経験もほとんどなかった中で、東映は日動映画を買収することによりアニメーション制作のノウハウを得ようとしたのである。

1956年(昭和31年)、東京都練馬区の東映東京撮影所内にスタジオが完成。東映動画は1957年(昭和32年)1月9日、この新スタジオに移転した[1]。スタジオ完成とともに新たに採用された東映動画第一期生の中には大塚康生楠部大吉郎らがいた。また手塚治虫が嘱託として制作に携わっている。この時のノウハウが旧虫プロダクションで活かされることとなる。

新スタジオでは『白蛇伝』制作のためのスタッフ急増とCMフィルムの需要の増加に対応して同年末に第1次増設工事に着工。同年4月10日に竣工し2年後の1959年(昭和34年)6月15日には第2次増設工事竣工。さらに『狼少年ケン』などのテレビアニメの制作に対応するため1964年(昭和39年)6月2日には第3次増設工事が竣工し現在のスタジオに成長した。

スタジオの完成によって長編アニメーション制作の体制が整い、手慣らしとして旧日動映画スタッフ指導の下、1957年(昭和32年)5月に初の短編作品『こねこのらくがき』を制作。続いて1958年(昭和33年)10月に『白蛇伝』が完成。その後、『わんぱく王子の大蛇退治』、宮崎駿などの『白蛇伝』に影響を受けたスタッフらも制作に参加した『太陽の王子 ホルスの大冒険』、『長靴をはいた猫』などの長編作品を発表し、1960年代における東映長編時代が築かれた。

東映アニメーションのマスコットキャラクターは、『長靴をはいた猫』『ながぐつ三銃士』『長靴をはいた猫 80日間世界一周』の主人公ペロである。

1970年代[編集]

1970年代に入ると、人気・制作本数ともに拡大し始めたテレビシリーズの制作におされ、長編作品の制作は縮小されていくようになる。大手制作会社というイメージが、安心して仕事を任せられるという印象を放送局や広告代理店、出版社などに与えたこともあり、東映動画には週刊少年漫画誌原作のテレビアニメ制作の依頼が多く舞い込むようになった。制作の中心はテレビシリーズへと移り劇場作品は漫画原作の「東映まんがまつり」が中心となって東映長編時代は終焉を迎える。制作本数の増加と労働争議の激化により1973年(昭和48年)からは韓国への制作委託を開始。国外発注の強化とともに、自社のスタジオ周辺に下請けプロダクションを増やして制作の下請け・外注化を進めた。結果として自社で抱えていたクリエーターの多くがこれらの合理化で他のプロダクションなどへと移るなどして東映動画を去った。

1976年(昭和51年)から『マジンガーZ』(1972年(昭和47年)制作)を始めとした自社制作作品の日本国外への売り込みを積極的に行う。特に『UFOロボ グレンダイザー』(1975年(昭和50年)制作)、『キャンディ・キャンディ』(1976年(昭和51年)制作)は世界各国で放送され、日本のアニメーション輸出に弾みをつけた。

1990年代[編集]

1992年(平成4年)、フィリピンに地元企業EEIとの合弁でEEI-TOEI ANIMATION CORPORATION(1999年よりTOEI ANIMATION PHILS., INC. 略称:TAP、Toei Phils.)を設立[1]。これによりコスト的に日本国内とほぼ変わらなくなった韓国に代わりフィリピンへの制作委託体制が確立した。1996年(平成8年)、東映グループにおける大人事改革の影響でそれまで継続していたテレビアニメ作品の全てを一旦終了。
1998年(平成10年)、東映アニメーション株式会社に商号変更した[1]

1995年(平成7年)、人材育成を目的として東映アニメーション研究所を開設[1]。ディレクター・アニメーター・美術デザイナー・CGクリエーターの研究生募集を開始(現在は閉所)。1997年(平成9年)、『ゲゲゲの鬼太郎 4作目』の途中より仕上(着彩)・撮影工程をデジタル化した(デジタル彩色デジタル撮影)。

2000年代以降[編集]

2000年(平成12年)、ペンタブレットによる作画工程のデジタル化システムを導入。同年、フィリピンおよび日本国内の制作プロダクションを光ファイバー通信で結ぶ「東映アニメ製作ネットワークシステム」(略称:PRO2NET、プロツーネット)の運用を開始[1][2]。これにより素材の輸送にかかる時間を大幅に短縮。生産性を大幅に向上させることに成功し、テレビシリーズ・劇場作品をあわせ現在に至るまで業界最多クラスの制作本数を維持している。

2003年(平成15年)に大泉スタジオ内に東映アニメーションギャラリーを開館。歴代作品がパネルで展示されているほか、時期により特定の作品にクローズアップした企画展が行われている。入場料は無料。当時は社屋内に立ち入ることになる関係上、入館の際は守衛に申し込んで手続きする必要があった。

2006年(平成18年)には幻冬舎と共同でアニメや映画とは異なる映像カテゴリー「画ニメ(がにめ)」レーベルを立ち上げる[注釈 1][3]

2013年(平成25年)7月16日、営業・管理部門及び子会社である東映アニメーション音楽出版のオフィスを神楽坂新宿区横寺町)から中野セントラルパークイースト中野区中野)に移転した[4]。2014年には株主総会での承認を得た上で登記上の本店を実質的な本社機能のある中野オフィスに移した[5]ほか、同年9月より老朽化した大泉スタジオの建て替えを含めた敷地内の全面リニューアルを行うため、大泉スタジオの機能を2017年頃まで約3年間、練馬区光が丘に一時移転している[6](大泉スタジオ内にある東映アニメーションギャラリーについても同年9月23日より長期休館中)[7]

特徴[編集]

実写映画の制作スタイルを踏襲し、劇場作品を「長編」、テレビシリーズを劇場作品の短編と捉えて「短編」と呼ぶ。短編作品では各話の担当演出が事実上の監督であるとの考えからシリーズ全体での監督職の表記はなく、シリーズ全体の統括職として他社制作アニメの監督よりも権限の弱い「シリーズディレクター」及び「チーフディレクター」の役職を設けている。絵コンテ、音響演出に関しても基本的に各話の担当演出が担う。他社に比べ担当演出の負担は重くなるが、そのための役職として演出助手が担当演出を補佐する。演出助手が制作進行(東映では「製作進行」と表記)を兼任する場合は「演助進行」と呼ばれる。制作進行の担当は作画までで、仕上、美術の各工程それぞれに進行担当者が置かれる。背景美術についても美術担当が各話ごとに置かれる。他にスクリプターが設けられているなど映画会社母体の特徴が見られる。プロデューサーに転向した演出家もおり、作品によってはプロデューサーが演出に携わるケースもある。

過去に制作した作品のリメイクを盛んに行うのも東映アニメーションの特徴であり、1980年代は『ゲゲゲの鬼太郎』(第3作)、『ひみつのアッコちゃん』(第2作)、『魔法使いサリー』(第2作)、1990年代は『ゲゲゲの鬼太郎』(第4作)、『キューティーハニーF』、『ひみつのアッコちゃん』(第3作)、『ドクタースランプ』、2000年代は『ガイキング LEGEND OF DAIKU-MARYU』、『祝!(ハピ☆ラキ)ビックリマン』、『ゲゲゲの鬼太郎』(第5作)をそれぞれ制作した。また、リメイクではないが『ドラゴンボールZ』を再編集した『ドラゴンボール改』を制作している。(2009年 [平成21年] - 2011年 [平成23年]に第1期、2014年 [平成26年]より第2期)

各作品のエンディングのクレジットに「協力:青二プロダクション」とあるように同社との関係が深く、かつては青二プロの所属声優を独占的に多く起用した作品も多かったが、1990年代後半以降は東映アカデミーがキャスティング協力を行う作品もある。東映アカデミーの解散後は、東映東京撮影所マネージメント部(クレジット上は東映東京撮影所)がキャスティングマネージメントを引き継いでいる。

長期に渡って放送されている一部作品では、ストーリーの展開や設定を刷新し、番組終了後もタイトルを変更する形で次週以降も放送を継続したものが多い(例『ドラゴンボール』→『ドラゴンボールZ』など)。そのため、番組タイトルを変更せず10年以上継続して放送しているアニメは現在に至って『ONE PIECE』のみとなっている。

TV放送に関しては同社作品のレギュラー放送枠を複数持っており、テレビシリーズの作品の大半は東映レギュラー枠で放送される。但し、資本関係を有するテレビ朝日・フジテレビとの制作作品は、一時全国同時スポンサードネット番組としての放映が途絶えていた時期があった[注釈 2][注釈 3][注釈 4]

1986年から1993年まではゲームソフトの販売を行っていたことがあり、東映系の作品以外にも『バルトロン』や『ファイティングロード』といったオリジナル作品も携わっていた。その後、2010年の『こえであそぼう! ハートキャッチプリキュア』で17年ぶりにゲームソフトを販売。2014年にはスマートフォン向けのオリジナル作品ゲーム『円環のパンデミカ』を自社内で企画し、同年内にサービスを開始予定。

2014年以降から撮影監督がエンディングで表記されることが多くなった。

大株主[編集]

2014年(平成26年)3月31日現在

名称 所有株式割合(%)
東映株式会社 33.57
株式会社テレビ朝日 15.07
株式会社フジ・メディア・ホールディングス 10.07
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) 8.99
東映ビデオ株式会社 3.25
東映ラボ・テック株式会社 2.50
株式会社バンダイナムコホールディングス 2.00
CGML PB CLIENT ACCOUNT/COLLATERAL 1.99
株式会社ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント 1.86
みずほ信託銀行株式会社退職給付信託ソニー株003口再信託受託者 資産管理サービス信託銀行株式会社 1.86

※ 東映の連結子会社、テレビ朝日の親会社であるテレビ朝日ホールディングス持分法適用会社である。

関連人物[編集]

作品履歴[編集]

テレビアニメ[編集]

1960年代[編集]

1970年代[編集]

1980年代[編集]

1990年代[編集]

2000年代[編集]

2010年代[編集]

Webアニメ[編集]

劇場アニメ[編集]

1950年代(劇場アニメ)[編集]

1960年代(劇場アニメ)[編集]

1970年代(劇場アニメ)[編集]

1980年代(劇場アニメ)[編集]

1990年代(劇場アニメ)[編集]

2000年代(劇場アニメ)[編集]

2010年代(劇場アニメ)[編集]

OVA[編集]

実写映画参加作品[編集]

コンピュータゲーム[編集]

レーザーディスクゲーム[編集]

ミュージカル[編集]

CM[編集]

  • スズキ・ハスラー (2014年、アニメーション制作)[8]
    • 『Dr.スランプ アラレちゃん』篇
    • 『クリスマス アラレちゃん』篇

その他[編集]

参考文献[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 当時はイラストなどに音楽やナレーションなどを加えて、画の持つ魅力やメッセージ性を強調していく表現手法として、また少人数、低予算で製作でき、作者のカラーを出しやすくなることも特徴」と説明された。(なお、同レーベルは数年後にほぼ終息した)
  2. ^ テレビ朝日がシンエイ動画(元々東京ムービーの協力企業だったAプロダクションが発祥で、当時は東京ムービーを通じて在阪局の朝日放送毎日放送読売テレビと親密な関係だった)とも提携・資本関係を強化したことや、アニメ枠が減少したことも影響した。
  3. ^ その間テレビ朝日系では、東映アニメーションとは直接の資本関係を有しない(東映本社とは2000年代以降資本関係を有している)在阪準キー局朝日放送との作品で全国同時ネット放送を維持していた。上述の経緯から、放送枠上では1970~80年代初期と2000年代で在京局(EX)・在阪局(ABC)と制作会社(シンエイ/東映アニメ)との関係が実質逆転状態となっていた。
  4. ^ フジテレビ系では2013年現在も全国同時ネットは途絶えているが、『ONE PEICE』は個別スポンサードネット・番組販売扱いを組み合わせる形で遅れネットも含め全国で放送している(系列局所在地でも大分県のみ、編成上の都合で同地域の系列外局に放映権を移譲)。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 東映アニメーション株式会社 企業情報 沿革”. 東映アニメーション. 2014年10月19日閲覧。
  2. ^ 「東映アニメ製作ネットワークシステム」の運用開始について”. 東映アニメーション,東日本電信電話,セルシス (2000年5月9日). 2014年10月19日閲覧。
  3. ^ “静止画が動く“画ニメ”に、天野喜孝氏などが参加――アートなゲキメーション?”. ASCII.jp. (2006年5月30日). http://ascii.jp/elem/000/000/353/353605/ 2013年10月12日閲覧。 
  4. ^ 東映アニメーション株式会社及び東映アニメーション音楽出版株式会社 オフィス移転について”. 東映 (2013年8月12日). 2013年10月13日閲覧。
  5. ^ 定款一部変更に関するお知らせ”. 東映アニメーション (2014年5月26日). 2014年6月9日閲覧。
  6. ^ 大泉スタジオ仮移転のお知らせ”. 東映アニメーション (2014年6月2日). 2014年6月9日閲覧。
  7. ^ 「東映アニメーションギャラリー」 スタジオ仮移転に伴う長期休館のお知らせ”. 東映アニメーション (2014年7月17日). 2014年9月15日閲覧。
  8. ^ スズキ CMコンセント・裏話

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

- 「東映アニメBBプレミアム」(東映アニメーション制作によるアニメ配信サイト)・「アニメジャン」(東映アニメーションが制作したジャンプ系アニメに特化した配信サイト)その他のアニメ(「ゲスト作品」と呼称)を集約したポータルページ。