日立市

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ひたちし
日立市
Kaminezoo.jpg
Flag of Hitachi, Ibaraki.svg
日立市旗
Hitachi Ibaraki chapter.JPG
日立市章
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 茨城県
団体コード 08202-3
面積 225.55km²
総人口 185,107
推計人口、2014年11月1日)
人口密度 821人/km²
隣接自治体 高萩市常陸太田市那珂市
那珂郡東海村
市の木 ケヤキ
市の花 サクラ
市の鳥、魚 ウミウ
サクラダコ
日立市役所
所在地 317-8601
茨城県日立市助川町1丁目1番1号
北緯36度35分56.9秒東経140度39分5.4秒
Hitachi City Hall.jpg
外部リンク 日立市役所

日立市位置図

― 市 / ― 町・村

特記事項 NTT市外局番:0294(市内全域)
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日立市(ひたちし)は、茨城県の北東部にある。市域の大半は旧多賀郡で一部は久慈郡である。総合電機メーカー・日立製作所の創業の地として知られる。

概要[編集]

日立鉱山から発展した鉱工業都市である。1905年、江戸時代から採掘されていた日立村の赤沢銅山を久原房之助が買収し日立鉱山に改名、久原鉱業所(現在のJX日鉱日石金属)を創業して以来の企業城下町として、後年はその機械部門が分離・独立した日立製作所日立グループの企業城下町となるが、現在は両社とも本社を東京に移転している。他に、日立市と同様に鉱山町から企業城下町になった地域としては、新居浜市別子銅山住友グループ)が代表的である。

元来、7世紀国造の時代から、現日立市の中心部は助川(すけがわ)という地名だったが、1939年9月1日助川町が日立鉱山を擁する日立町新設合併して市制を敷く際に日立市となった。1939年以後、都市名と企業名の混同を避けるために、日立市民は都市名を『日立(ひたち)』と呼び、日立製作所を『日製(にっせい)』と呼んで区別している[1](日製の略称はかつての日製商事=現在の日立ハイテクノロジーズなど、日立グループでも用いられる)。

戦後の一時期、人口は県庁所在地の水戸市を上回っていたことがある。しかし、近年は日立グループの再編などによって人口が減少し、十王町の編入にも拘らずかつて21万人を数えていた人口も20万人を割った。現在はつくば市に抜かれ、県内3位となっている。

地理[編集]

関東平野久慈川(日立市と東海村の境)で北端となるため、東側の太平洋と西側の多賀山地に挟まれ、南北に細長く可住地が伸びている。可住地の多くは、日立製作所及びその関連企業の施設が占めているため、山間地を切り開いて造成した住宅地が多い。

1980年(昭和55年)撮影の日立市中心部海岸線沿い一帯の空中写真。この画像は左側が南方角、右側が北方角である。
1980年撮影の9枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
玉簾の滝
平和通りのサクラ並木

可住地は大半が海岸段丘扇状地であるため、水の便が悪い所が多い。河口付近までになっているものが多い。昔は、の上流からかけどいと呼ばれる水道橋を作って用水を確保していた地域もある。また、扇状地の末端部分では泉が森のように地下水が湧き出しとなっているところもある。

南北に大きく伸びた海岸線を持つことから、市内には6箇所の海水浴場を持つ。名勝として、玉簾の滝(たまだれのたき)や諏訪梅林(すわばいりん)などがある。市内各地にの木が多く見られ、「日本さくら名所100選」にも選ばれている(かみね公園・平和通り)。

市北西部の日立鉱山には1914年に煙害対策として当時世界一の高さ155.7mの大煙突(だいえんとつ)が建てられ、鉱工業都市日立のシンボルとして長く親しまれた。これをモデルにした小説として、新田次郎の「ある街の高い煙突」がある。大煙突は、1993年2月19日、この日に吹いた強風と老朽化の影響で倒壊し、現在は高さ54mとなっている。

太平洋阿武隈高地に挟まれているため、茨城県では北に位置しているにも関わらず気候は比較的温暖であり、同じ茨城県内の大洗鹿嶋よりも、福島県浜通り南部の小名浜広野に近似する気候である。1月の平均気温は4.4℃と、茨城県中部の水戸や南部の土浦千葉県北西部の我孫子よりも高い。また、夏もさほど気温が高くならない。

総じて、常磐線の駅を目安に各地区が形成されており、大甕(おおみか)・多賀(たが)・助川(すけがわ)・小木津(おぎつ)・十王(じゅうおう)の国道6号沿線と、中里(なかざと)の国道349号沿線に分けられる。中里地区は、同じ国道349号沿線の常陸太田市との交流が多い。

なお,多賀山地の各所に露出する日立変成岩は5億年以上前のカンブリア紀のもので,日本最古の地層とされる。このことからこの地域が,昔ゴンドワナ大陸の東にあった火山島で,日本列島の始まりの地ではないかとも考えられている。[2]

隣接する自治体[編集]

日立市かみね公園から見た市中心部

歴史[編集]

鹿野場遺跡六ツヶ塚遺跡などから約3万年前の石器が出土しており、この地域には当時から人が定住していたと考えられている。

古代[編集]

7世紀前半の国造の時代には、現在の日立市は、道口岐閉国造の本拠地で、多珂国の南端であった。この多珂国は、現在の日立市から福島第一原発付近(大熊)まで跨がる広大な沿岸国であり、『常陸国風土記』では大熊が「苦麻」「道後 (道の尻)」と呼ばれたのに対して、日立市は「助川」「道前 (道の口)」と呼ばれていた。そして、7世紀後半に律令制が浸透すると、この多珂国は常陸国に編入された。

戦国時代から戊辰戦争終結まで[編集]

戊辰戦争終結から第二次大戦終結まで[編集]

第二次大戦後[編集]

  1. ^ 脱原発なんて言えない 日立製作所「城下町」の茨城5区”. 東京新聞 (2012年12月11日). 2014年9月7日閲覧。
  2. ^ 小木津不動滝”. 日立地域ブランド推進協議会. 2012年2月16日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]