浜通り

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浜通りのデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
面積 2,969.11 km²
国勢調査 538,136
(2010年10月1日)
推計人口 517,529
(2012年2月1日)

浜通り(はまどおり)とは、福島県の東部を指す。西を阿武隈高地の尾根線で画し、東で太平洋に面する沿岸地域である。西部の会津、中部の中通りとともに、福島県を構成する。

目次

[編集] 概要

古代には、当時の日本の中心地だった畿内から陸奥国に通じる道として「海道」が当地を貫き、これが律令制以後に東海道と呼ばれた。「海道」がその道沿いにある地方名としても用いられたのに対し、東海道は多賀城までの道の名前としては使われたが、地方名としては常陸国を北限とし、当地は東山道に含まれた。中世にはとりわけ当地のみを指して海道と呼ぶ例も見られる[要出典]。現在では、これらの古代からの道と似た経路で、東京を始点として国道6号常磐線常磐自動車道が、幹線として南北を縦断している。なお、中通りとの連絡線として、いわき市から磐越東線国道49号磐越自動車道が通る。

浜通りの中心地は大熊町富岡町の間であるが、高速道路の常磐自動車道は常磐富岡ICまでしか開通しておらず、旧相馬藩領の市町村に比べて、いわき市のが東京に近く人口・流通も多いため発展している。南の「いわき市」と北の「旧相馬藩領の市町村・双葉郡の町村」を分ける場合がある。この場合のエリア名は、南部をいわき、北部を相双と呼ばれている。

福島第一原子力発電所大熊)など、原子力発電所が多く立地するため、「原発銀座」とも呼ばれている。広野には、サッカーのナショナルトレーニングセンターであるJヴィレッジがある。

[編集] 地理

日本海からの季節風も奥羽山脈阿武隈高地などに遮られるので、太平洋側気候に属し、冬でもは少なく、温暖な気候を呈している。特に小名浜は「東北の湘南」と呼ばれることもある。阿武隈高地が西に連なっており、狭く細長い平野が縦断している。

[編集] 歴史

[編集] 古代

古代の浜通りは、石城国造の領土だったと言われている。しかし、律令制中央集権国家が形成されると、現在の平潟トンネル付近に勿来関が設置された。浜通りには石城国が設置されるも、数年で陸奥国に編入された。

[編集] 平安開府から明治維新まで

平安時代後期になると、平泉に縁を持つ岩城氏が、飯野平を本拠地として、白水阿弥陀堂を建てて浜通り南部を領土に収めた。

鎌倉時代になると、現在の千葉県流山から、相馬氏が浜通り北部に転入し、旧石城国宇多郡行方郡標葉郡を領土に収めた。

戦国時代になると、南には現在の茨城県北部(本拠地:常陸太田水戸)を地盤とする佐竹氏が、北には現在の福島県中通り北部・山形県南部・宮城県(本拠地:伊達米沢岩出山仙台)を地盤とする伊達氏が、それぞれ勢力を伸ばし、浜通りは佐竹と伊達の両勢力の緩衝地帯となった。

関ヶ原の戦いで西軍に就いた岩城氏は、飯野平から追放され、由利本荘に飛ばされた。代わって、浜通り南部は磐城平藩の領土となったが、鳥居氏安藤氏など藩主は何度か入れ替わった。一方の浜通り北部は、相馬氏と伊達氏との折衝の結果、相馬氏は領土の安堵を許され、引き続き相馬氏が治める相馬藩の領地となった。大堀相馬焼などの特産品は、この江戸時代に始まったものである。

[編集] 明治維新以後

明治維新に伴う廃藩置県よって、磐城平藩と相馬藩と棚倉藩の領地が合併させられ、磐城国に改編された。そして、廃藩置県によって、浜通りは磐前県に改編された。しかし、1876年8月21日には、磐前県は、福島県中通り)や若松県会津地方)と合併させられ、福島県の一部とされた。

殖産興業期から高度経済成長期までは、茨城県北部から浜通り南部までの一帯は、日立市を本拠地とする久原房之助が創業した、常磐炭田の炭鉱町が点在した。また、高度経済成長期には、小名浜臨海工業地域が形成された。

高度経済成長を契機に常磐炭田が閉鎖された後は、現在は原子力発電所火力発電所が多く立地し、電源地域として存在感を見せている。また、Jヴィレッジスパリゾートハワイアンズに代表されるように、発電所の特例財源や、温暖な気候を背景にして、地域の活性化が進められている。

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(最大震度7)では、浜通りの大部分の地域で震度6強を観測し、沿岸は大津波に襲われ、大震動によるインフラや建造物の倒壊も相次いだ。この地震に伴って、福島第一原子力発電所事故が発生した。

[編集] 地域

[編集] 南北間の違い

浜通りの歴史的風土は、夜ノ森を境にして異なる。「夜ノ森」の地名の由来は、岩城氏相馬氏が領有権を争って「余(=我)の森」を主張し、その境界線となったことに由来すると言われている。

夜ノ森以南(勿来から富岡まで)
  • 平安時代中葉から戦国時代までは岩城氏の領土で、江戸時代には磐城平藩の領土であった。
  • 南の中心地は岩城氏の本拠地であった。磐城平藩の藩主は岩城氏から変わったが、いずれもを本拠地としていた。岩城氏の時代から平であるため、現在もひとつの地方公共団体を形成し、行政を行っている。
  • 岩城氏との縁に由来する寺院として、平郊外に白水阿弥陀堂がある。
  • 殖産興業期から高度経済成長期まで、常磐炭田が存在した。
夜ノ森以北(大熊から相馬まで)

[編集] 交流圏

浜通りは太平洋阿武隈高地に挟まれている為、同じ海沿いに当たる常磐線沿いの市町村との交流が多く、平以南は水戸との、原町以北は仙台との繋がりも深い。このため、福島市(県庁所在地)や郡山(交通的・経済的中枢)を抱える中通りからは半ば独立した地域圏を形成している。特に平以南は、東北の他の地域よりも、水戸などの茨城県北部との関係が極めて深い。

この様相は、観光や物産の宣伝からも窺える。広野町や相馬市などは、浜通りの市町村に重点を置いて宣伝を行っているのに対して、いわき市は、浜通りの市町村に加えて、水戸を初めとする茨城県北部に対しても宣伝を行っている。実際に、中郷SA日立駅などでは、いわき市の物産が販売されている。道の駅そうまの駐車場のスピーカーからは、エフエム仙台 (Date FM)BGMの代わりに流されている。タウン情報誌でも、「タウンマガジンいわき」は、浜通り一帯と茨城県北部を取材エリアに納めている(ただし、2011年3月の福島第一原発事故以後、退避区域では取材不能になっている)。

他にも、浜通り北部では宮城県の民放テレビ局を、浜通り南部のいわき市では関東地方の民放テレビ局を受信している世帯も多い。

(参考)水戸 - 仙台間の距離
Jヴィレッジは、水戸と仙台からほぼ等距離の地点に位置している。

[編集] 広域行政圏

福島県の地域区分図
相双地方振興局管内
人口:195,938人(2010年国勢調査[1]
いわき地方振興局管内
人口:342,198人(2010年国勢調査)[1]

[編集] 都市圏

一般的な都市圏の定義については「都市圏」を参照
都市雇用圏(10% 通勤圏)の変遷
自治体
('80)
1980年 1990年 1995年 2000年 自治体
(現在)
広域圏
相馬市 - - - - 相馬市 相馬
広域行政圏
原町市 原町 都市圏
7 4,296人
原町 都市圏
7 7,162人
原町 都市圏
7 7,860人
原町 都市圏
7 5,020人
南相馬市
鹿島町
小高町
新地町 - - - - 新地町
飯舘村 - - - - 飯舘村
楢葉町 - - - - 楢葉町 双葉
広域行政圏
富岡町 - - - - 富岡町
川内村 - - - - 川内村
大熊町 - - - - 大熊町
双葉町 - - - - 双葉町
浪江町 - - - - 浪江町
葛尾村 - - - - 葛尾村
広野町 いわき 都市圏
34 7,408人
いわき 都市圏
36 1,286人
いわき 都市圏
36 6,207人
いわき 都市圏
36 5,864人
広野町
いわき市 いわき市 -

[編集] 発電所

[編集] 原子力発電所

[編集] 火力発電所

[編集] 芸能

[編集] テレビ番組

TOKIOが出演する日本テレビの番組「ザ!鉄腕!DASH!!」は、浜通りとの関係が深い。浪江町山間部の「DASH村」を始め、いわき市四倉のフタバスズキリュウ化石跡も紹介された。また、浜通りの菓子メーカーも、DASH村に出向くことがある。

[編集] 歌謡

[編集] 郷土芸能(祭事)

[編集] 交通

[編集] 鉄道

[編集] 道路

[編集] 高速道路

[編集] 国道・主要県道

[編集] 道の駅

[編集] 海の駅

[編集] 港湾

[編集] メディア

[編集] 新聞

[編集] FMラジオ局

[編集] 脚注

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[編集] 関連項目


[編集] リンク

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