川俣町

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川俣町
かわまたまち
日章旗 日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
伊達郡
団体コード 07308-3
面積 127.66km²
総人口 15,904
推計人口、2009年5月1日)
人口密度 125人/km²
隣接自治体 福島市伊達市二本松市
飯舘村浪江町
町の木 かえで
町の花 山つつじ
他のシンボル うぐいす
川俣町役場
所在地 〒960-1492 福島県
伊達郡川俣町字五百田30番地
川俣町役場
電話番号 024-566-2111
外部リンク 川俣町

川俣町位置図(福島県)

:市 / :町・村
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川俣町(かわまたまち)は、福島県伊達郡にあるである。

目次

[編集] 概要

福島県伊達郡の最南東、阿武隈高地北部の丘陵地域に位置する。

平安時代から始まった養蚕業絹織物業により「絹の里」として知られ、養蚕を伝え広めたとされる小手姫伝説が残る。
近年は、絹織物業に替わって、自動車部品・電子部品製造などの工場が立地し、産業構造の変化が進んでいる。また、新たな特産物として川俣シャモが評判を呼んでおり、PR事業として始めた「世界一長い焼き鳥」の記録争いを、山口県長門市和歌山県日高川町と繰り広げている。

人口は1955年に約2万6千人だったが2007年平成19年)8月で1万6,491人となり、県内でも高い減少率である。

2004年に福島市、川俣町、飯野町の住民有志による直接請求が出され、これに基づき、同年9月に1市2町で法定合併協議会が設置され、合併の是非も含めた協議を進めていた。しかし、翌年になって川俣町では合併に反対する動きが活発化し、2006年平成18年)12月1日に合併協議会を離脱した。なお、福島市と飯野町は2008年平成20年)7月1日に合併した。

[編集] 地理

県庁所在地福島市の南東、阿武隈高地に位置し、町の最南端の日山(天王山)で、双葉郡田村市二本松市との境界である。町の中心部を広瀬川が流れ、東は花塚山、南に口太山、北西に女神山がある。町の中心部からすぐ南東付近で、国道114号国道349号のバイパスが交差し、西は福島市、北は伊達市、南は二本松市に接続する。国道114号を南東に進むと、阿武隈高地を越え、浪江町に接続し太平洋に抜ける。

[編集] 人口

川俣町と全国の年齢別人口分布図(比較) 川俣町の年齢・男女別人口分布図
紫色は川俣町
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 21,099人
1985年 20,864人
1990年 20,001人
1995年 19,043人
2000年 17,751人
2005年 17,034人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 歴史

[編集] 原始・近世

  • 縄文時代
    • 縄文時代早期(約9,000年前)の押型文土器が北ノ俣遺跡から出土するなど、103の縄文遺跡が確認され古くから人々が生活していたことが確認されている。
  • 古墳時代の遺跡は確認されておらず奈良時代後半から急速に開発されたと考えられる。
  • 12世紀 「小手保」(川俣周辺地域)を鎌倉幕府御家人の地頭職が支配。
  • 14世紀 南北朝時代、北党と南党が河股城をめぐって攻防を繰り返す。
  • 15世紀 国人領主の川俣飛騨入道による支配。
  • 16世紀 伊達氏の領地となる。
  • 1591年 伊達氏に替わって蒲生氏郷が封入。
  • 1598年 上杉景勝の領地となる。
  • 江戸時代 現在の川俣町の地域は、分割され複雑な支配変遷をたどる。
  • 1703年 川俣代官所が町小綱木村に置かれる。

[編集] 近代・現代

  • 1868年(明治元年) 地域10村で明治維新を迎え民生局に移管。
  • 1871年(明治4年) 廃藩置県により福島県に属する。
  • 1890年(明治23年) 郡制が敷かれ伊達郡となる。
  • 1955年昭和30年)3月1日 - 伊達郡川俣町、富田村、福田村、小島村、飯坂村、小綱木村、大綱木村、安達郡山木屋村が合併し、川俣町となる。

[編集] 産業経済

[編集] 工業

江戸時代から絹織物業・繊維産業が発達した歴史的経過から、山間の工業小都市の面影を残す。
繊維産業事業所数は昭和50年の235から平成15年に19に減少している。
代わって自動車部品製造業・電子部品製造業の工場が立地し雇用を増やしたが、2000年以降は事業の海外移転等に伴い縮小が続いている。

  • 主な事業所
    • (株)日ピス福島製造所(自動車部品)、川俣精機(株)(モーター)、アサヒ通信(株)(電子部品)

[編集] 農業

農家数は戦後減少を続けており、近年は第一種兼業農家の減少が著しい。(昭和55年650戸、平成12年131戸)
阿武隈高地に位置することから、中心部を流れる広瀬川流域では米作が行われているが、標高が高い周辺部では、葉タバコタラノメなどの畑作と、酪農が中心である。かつては盛んだった養蚕は数戸となっている。
近年食用鶏川俣シャモを地元ブランドの特産品として売り出している。

[編集] 商業

戦前に絹織物業と供に発展した商店街は、人口減少とモータリゼーションの進展に伴い、減少を続けている。 一方、近年、整備された国道114号線沿いに中規模DIYショップ等が次々と立地し、近隣町村からの消費者を呼び込んでいる。

[編集] 観光

[編集] コスキン・エン・ハポン

コスキン・エン・ハポン2006

1975年から続くフォルクローレの音楽祭、コスキン・エン・ハポン(COSQUIN EN JAPON)が、国内最大の中南米音楽祭となり、全国から多くの愛好家やプロの演奏家が川俣町を訪れる。例年10月初旬に3日間開かれ、中南米の衣装を身に着けたコスキン・パレードも行われる。

[編集] 史跡・名勝・観光・催事

[編集] その他

[編集] 教育

[編集] 小学校

  • 川俣町立川俣小学校
  • 川俣町立飯坂小学校
  • 川俣町立福田小学校
  • 川俣町立山木屋小学校
  • 川俣町立川俣南小学校
  • 川俣町立富田小学校

[編集] 中学校

  • 川俣町立山木屋中学校
  • 川俣町立川俣中学校

[編集] 高校

[編集] 交通

[編集] 鉄道

町内に鉄道路線はないが、昭和47年(1972年)までは、国鉄川俣線東北本線松川駅と岩代川俣駅との間、およそ12キロを結んでいた。

[編集] バス

[編集] 道路

[編集] 川俣町ゆかりの人物

  • 朝河貫一 - 世界的歴史学者。川俣高等小学校(現川俣町立川俣小学校)の蒲生義一に就いて英学を学ぶ。
  • 古関裕而 - 1928年(昭和3年)から2年間、伯父の経営する川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)に勤務した。町内に関係する作品として、川俣町立川俣中学校の校歌と川俣音頭を作曲した。

[編集] 関連項目

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