川俣線
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飯野町公民館脇に展示のC12 60
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| 路線総延長 | 12.2 km | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 軌間 | 1067 mm | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 停車場・施設・接続路線(廃止当時) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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川俣線(かわまたせん)は、かつて福島県福島市の松川駅から同県伊達郡川俣町の岩代川俣駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。
赤字83線廃止の取組みの一環として1972年に廃止され[1]、国鉄バスに切り替わったが、その後身であるJRバス東北の路線バスも2005年3月31日限りで廃止され、現在は自治体による代替運行が行われている。
目次 |
[編集] 路線データ(廃止時)
- 管轄:日本国有鉄道
- 区間(営業キロ):松川 - 岩代川俣 12.2km
- 軌間:1067mm
- 駅数:3駅(起点駅を含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
[編集] 歴史
- 1926年(大正15年)3月1日 松川 - 岩代川俣間 (12.2km) を開業。岩代飯野・岩代川俣の各駅を新設。
- 1934年(昭和9年)11月1日 岩代大久保駅を新設。
- 1941年(昭和16年)8月10日 岩代大久保駅を廃止。
- 1943年(昭和18年)9月1日 不要不急線として全線 (12.2km) を休止。岩代飯野・岩代川俣の各駅を休止。
- 1946年(昭和21年)4月20日 松川 - 岩代飯野間 (6.3km) を営業再開。岩代飯野駅の営業を再開。
- 1946年(昭和21年)7月1日 岩代飯野 - 岩代川俣間 (5.9km) を営業再開。岩代川俣駅の営業を再開。
- 1972年(昭和47年)5月14日 全線 (12.2km) を廃止[1]。
[編集] 駅一覧
岩代大久保駅は路線廃止前に廃止。
[編集] 廃線後の状況
岩代飯野駅の跡地は国鉄バスの自動車駅「飯野町駅」(1992年無人化)が設置され、福島交通の立子山・医大経由福島駅東口行きと(渡利バイパス経由)福島駅東口行き(ジェイアールバス東北船福線廃止代替)、川俣線の廃止代替バス(自治体バス、下記参照)が発着する。2005年に駅跡に建てられていた飯野町駅待合室は取り壊され、簡易な屋根付きベンチが設置されている。現在は、敷地に「いいの交流館」が建てられている。
飯野町公民館敷地脇には川俣線で使用されていたのと同形式の蒸気機関車C12形が静態保存されている。
岩城川俣駅の跡地は記念碑と元川俣駅資料館が建てられており、元川俣駅資料館の方は集会所となっている。
現在の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡は、ほとんどが未整備であり、阿武隈川に架かる鉄橋の解体などで歩行困難な箇所もある。岩代飯野駅 - 岩代川俣駅間は、全て2車線の道路に整備されている。川俣町内が一部町道である他、国道114号(川俣バイパス)、福島県道39号川俣安達線になっている。
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国鉄松川駅付近。鉄道廃止から3年経過しているが、線路跡を判別することが出来る。(昭和50年度国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。)
[編集] 廃止代替バス
廃止直後から国鉄バスによって代替運行が開始され、JRバス東北に引き継がれたが利用者の減少から廃止され、現在は福島市・川俣町の2市町の代替バス(カネハチタクシー)が運行されている。
[編集] 運行経路
松川駅 - 飯野町 - 川俣町 - 川俣高校前(JRバス川俣車庫前)
[編集] 沿革
- 1972年(昭和47年)5月14日 - 国鉄バス川俣線開業。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が継承。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 自動車事業分割によりJRバス東北に譲渡。
- 2005年(平成17年)4月1日 - JRバス川俣線が前日運行分をもって廃止。川俣町飯野町福島市自治体バス「川俣松川線」代替運行開始。
- 2006年(平成18年)10月1日 - 飯野町 - 川俣高校前間を増便(福島交通医大・立子山経由川俣線の短縮に伴う)。
- 2008年(平成20年)7月1日 - 飯野町と福島市の合併により、川俣町福島市自治体バスとなる。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 川俣線跡 - かつての路線跡の散策レポート
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