中通り

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中通りのデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
面積 5,392.95 km²
国勢調査 1,198,778
(2010年10月1日)
推計人口 1,154,357
(2014年7月1日)

中通り(なかどおり)は、福島県の中部に当たる地域である。奥羽山脈阿武隈山地の2つの尾根線を概ねの境界とした「会津」「中通り」「浜通り」の3つの地域西から列挙)のうち、2つの尾根に挟まれた中間の地域である。

位置[編集]

西に奥羽山脈、東に阿武隈高地に挟まれた南北に細長い地域で、そのほぼ中央を大小の盆地を貫きながら阿武隈川が北流する。そのため、阿武隈地方と呼ばれることもある。

「中通り」は中山道に因んだ名称で、関ヶ原以前の中山道は「東山道」という名称で、高崎から宇都宮を経て現在の中通りを経由するルートであった。この東山道と似て阿武隈川に沿う経路で、東京を起点に国道4号東北自動車道東北本線東北新幹線が当地を貫いている。

南の白河、中央の郡山、北の福島市の3都市が中心的な都市として鼎立しており、これら3都市に東北新幹線の駅が設置されている。近年では更に集約されて、県庁所在地の福島市を中心とした福島都市圏と、経済と交通の中心地である郡山市を中心とした郡山都市圏が、二大経済地域を形成している。

自然地理[編集]

那須火山帯山麓は豪雪地帯日本海側気候、それ以外の地域は太平洋側気候を呈している。農業面では、福島盆地がをはじめ、リンゴブドウサクランボ果物の産地として知られ、郡山盆地では稲作が盛んで、最近、安積米というブランド米が知られるようになった。

歴史[編集]

古代[編集]

古代には、当時のヤマト王権の中心地だった畿内から本州の内陸側を抜ける道が白河から阿武隈川沿いに信夫郡まで達し、この道は律令制以後に官道となって東山道と呼ばれた。各々の道の名前はその道沿いにあるを括る地方区分としても用いられ(五畿七道)、当地は東山道に属する陸奥国の一部をなした。

養老年間(717年 - 724年)の短期間であるが、当地の白河郡石背郡信夫郡安積郡会津郡の5郡が陸奥国から分立した石背国とされた。

中世[編集]

鎌倉幕府開府に先立つ文治5年(1189年)の奥州合戦では、源頼朝が差し向けた鎌倉軍を迎え撃つために藤原泰衡伊達郡平安時代中期に信夫郡から分立)に阿津賀志山防塁を築いて一大激戦地となり、奥州藤原氏の本拠だった平泉までの進撃路となった東山道は鎌倉時代鎌倉を起点とする奥大道(奥州大路)に改まった。

当地は陸奥国の他の地域と別して仙道六郡[1]とも呼ばれるようになった。具体的には白河郡(石川郡白川郡を分立させた後の)、岩瀬郡(石背郡が転じた)、信夫郡、伊達郡、安積郡(田村郡を含む?)、安達郡(安積郡の東北部が分立)を指した[2]

徳川藩政時代[編集]

戦国時代安土桃山時代)には、伊達郡を本貫とした伊達政宗をはじめとして名だたる武将が当地を行き交って合戦を行い領主が目まぐるしく変わった。上杉景勝家老直江兼続徳川家康による会津征伐軍を迎え撃つため、白河郡革籠原(かごはら、現白河市白坂石阿弥陀)[3]に長大な防塁を築いた。

徳川時代の中通りの官道は、江戸を起点とする奥州街道(仙台松前道)となって南北に貫き、幾つもの宿場町が置かれた。道沿いには白河藩[4]福島藩[5]二本松藩棚倉藩など、比較的中規模のが分立していた。

白河城下からは、会津道猪苗代湖より南の経路(現国道294号)で若松城下へ、そして、現在の下越地方新発田城下を経て日本海沿岸の港町新潟へと繋がり、福島城の北の桑折宿からは、羽州街道上山城下を経て内陸部を横手盆地まで下り、それから日本海沿岸の久保田城下へと繋がっていた。

戊辰戦争と廃藩置県[編集]

明治元年12月7日(1869年1月19日)に、安達、安積、岩瀬、信夫、伊達の5郡に、会津大沼河沼耶麻の4郡を合わせた9郡で岩代国が陸奥国から分立され[6]戊辰戦争後に同国の領域に存続した藩は二本松藩だけであった。

1871年8月29日(明治4年7月14日)の廃藩置県時には、岩代国で藩主藩知事から横滑りのまま県となったのは二本松県だけで、他の区域は福島県と若松県会津地方)の2県に再編されて、明治新政府が任命した(権)知事が治めた。また、磐城国に含められた棚倉県三春県は存続したものの白河県(西白河郡)は明治新政府直轄県となった。こうして、中通りには白河県二本松県福島県の3県が鼎立した。次いで1871年12月13日(明治4年11月2日)の第一次府県統合で二本松県と福島県と白河県が合併され、同11月14日(1871年12月25日)に二本松県は福島県に改称された。

福島県成立と安積疏水開発[編集]

1876年8月21日の第二次府県統合によって、福島県1876年以前(中通り)・若松県会津地方)、磐前県(いわさきけん。浜通り)の3県が合併され、現在の福島県が設置された。

明治初期の福島県内の都市人口順位は、第一位が若松町(会津若松市、旧若松県庁所在地、1899年市制)、第二位が福島町(福島市、旧福島県庁所在地、1907年市制)という順位であり(→東北地方#人口)、県庁所在地を決める際にこの2都市が対立した。一方、浜通りには、平町いわき市平地区、旧磐前県庁所在地、1937年市制)と中村町相馬市中村地区、旧中村県庁所在地、1954年市制)という2つの旧県庁所在地が並立していたが、蚊帳の外に置かれてしまった。

県庁が福島市に置かれた要因は:

だと見られている。

その後、明治政府によって安積疏水1881年完成)を初めとした郡山盆地の開発事業が行われ、郡山1924年市制)が商工都市として発展した。中通りを南北に貫く東北本線、東のへ至る磐越東線、西の会津若松新潟へ至る磐越西線、南東の棚倉水戸へ至る水郡線と、次々と建設された鉄道の結節点となった郡山駅を持つ郡山が、交通都市としても勃興し、1935年には福島県第一の人口を擁する都市となった(→郡山都市圏)。

一方、北の拠点である福島市は、南北軸である東北本線に加えて、東の中村、西の米沢坂町への交通拠点であるが、米沢や坂町へ至る鉄道路線(奥羽本線米坂線)は建設されたものの、中村への鉄道路線は建設されなかった。

交通拠点の時代[編集]

第二次大戦後、高度経済成長期(1960年代)までには国道4号の舗装が完了し、1970年代には東北自動車道も建設されたため、主に京浜工業地帯の企業が、安い土地と労働力を求めて、関東地方に比較的近い郡山周辺に進出した。これは、当時の福島県知事である木村守江が、「常磐郡山新産業都市」として中通り中部の開発を促したからである。中通りでは、中部の郡山近辺では内陸機械工業、北部の福島市近辺では公共事業関連業種が発展し、資本関係からも関東との繋がりが深い地域となった。この頃から、モータリゼーションと郊外住宅地の開発が中通りで始まった。

1982年6月23日には東北新幹線が開通し、各都市で第三次産業人口比率が更に大きくなった。中通りでは、商業集積度が高い郡山が商業の中心地、福島市が業務機能の中心地、白河が南の拠点(宇都宮と郡山の間)という棲み分けを確立していった。1990年代には、郡山出身の佐藤栄佐久知事の下で、中通り本宮以南と会津地方が重点的にインフラを整備された。この佐藤栄佐久知事下を象徴するインフラが、1993年須賀川付近に開設された福島空港と、1997年10月1日に全通した磐越自動車道である。この結果、郡山(中通り中部)や会津若松(会津地方)に、流通・工業地区が集約されるようになった。

1990年代後半からの地方不況期に入ってくると、中通り北部で商機能の低下が起き、宮城県仙台の広域商圏に入って仙台経済圏を形成するようになった。これを期に、郡山の支店経済都市としての相対的地位が向上し、情報集散地としても郡山が福島県の中心を成すようになった(FM福島の福島市から郡山への移転)。又、小泉構造改革以後は、南東北で陸上交通の再編が始まり、次第に郡山にも仙台の経済的影響力が及ぶようになった(→東北地方の経済史)。

中通りの放送局

地域[編集]

地域間関係[編集]

福島県の地域区分図

中通りの地域は大きく3つに分かれており、東北新幹線の駅のある福島市(行政の中心)、郡山(交通と経済の中心)、白河が、三大拠点として鼎立している。福島県庁地方振興局は、福島市周辺を県北、郡山市周辺を県中、白河市周辺を県南と呼んでいる。

中通りは盆地に位置しているため、同じ盆地同士である奥羽山脈以西の内陸部(会津地方山形県南部)との交流は深いが、阿武隈山地を越えた浜通りとの交流は浅い。

南北間関係も、概ね本宮または二本松を境にして異なっている。二本松以北は仙台米沢との、二本松以南は宇都宮会津地方との関係が深い。そのような地勢を考慮して、仙台寄りの地域を県北、宇都宮寄りの地域を県南とする南北二分割する例も見られる。

各地域での違い

福島県庁の地域区分[編集]

中通りの範囲には、県北・県中・県南の3つの地方振興局が置かれている。人口は2010年平成22年)国勢調査[7]

県北地方振興局管内[編集]

人口:496,823人

県中地方振興局管内[編集]

人口:551.827人

県南地方振興局管内[編集]

人口:150,128人

都市圏[編集]

都市圏都市雇用圏、10% 都市圏)は、北から福島都市圏二本松都市圏郡山都市圏白河都市圏の4つが認められる。郡山都市圏が最大で、福島県内でも最大、東北地方では仙台都市圏に次いで第2位である。

交通[編集]

南北軸として国道4号東北本線東北自動車道東北新幹線が整備され、南は宇都宮東京に繋がっており、北は仙台盛岡を経て青森へと繋がっている。又、郡山や須賀川からは、棚倉経由で水戸に至る路線も整備されている。

東西の連絡線としては:

と結ばれている。

鉄道[編集]

東日本旅客鉄道
福島交通
阿武隈急行


主な道路[編集]

南北軸
東西軸


道の駅[編集]

メディア[編集]

県庁所在地ではない都市にテレビ局が立地しているのも、中通りの特徴である。これは、行政の中心地(福島市)と経済・交通の中心地(郡山)が離れて分立しているためである。なお、福島市と郡山は45km離れている。

テレビ局
新聞(いずれも福島市)

脚注[編集]

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  1. ^ 井上通泰上代歴史地理新考 東山道』(三省堂、1943年)によれば、「仙道は山道の借字」であり、同書で井上は「中通り」ではなく「東山道」に因んだ「山道」と区分することを提案している。同じく「浜通り」についても「東海道」の延長として「海道」とも。
  2. ^ 葛西大崎一揆後の処分で伊達政宗が取上げられた「仙道六郡」の場合、刈田郡、安積郡から分立した田村郡、陸奥国から出羽国に編入されていた置賜郡に、信夫・伊達・安達の3郡を合わせた6郡を指す。
  3. ^ 「革籠」の地名は金売吉次兄弟を盗賊が襲って殺し、財宝を詰めた革籠を奪ったという故事に因む。
  4. ^ 陸奥国から江戸を含む関八州への侵攻路となる白河口親藩に警護させる配置
  5. ^ 上杉氏出羽米沢藩からの侵攻路を譜代に警護させる配置
  6. ^ 白河郡(西白河郡)は旧白河郡の白川郡・石川郡や田村郡とともに、同じく陸奥国から分立した磐城国に併合された。同時期に陸前国陸中国の2国も分立
  7. ^ 平成22年国勢調査速報-福島県の人口・世帯数-(福島県)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]