盛岡市

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もりおかし
盛岡市
Ishiwari Zakura.jpg
Flag of Morioka, Iwate.svg
盛岡市旗
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 岩手県
団体コード 03201-8
面積 886.47km²
総人口 299,713
推計人口、2012年1月1日)
人口密度 338人/km²
隣接自治体 花巻市八幡平市宮古市
岩手郡雫石町滝沢村岩手町葛巻町
紫波郡紫波町矢巾町
下閉伊郡岩泉町
市の木 カツラ
市の花 カキツバタ
セキレイ
盛岡市役所
所在地 〒020-8530
岩手県盛岡市内丸12番2号
盛岡市役所
外部リンク ウェブもりおか

盛岡市位置図(岩手県)

― 市 / ― 町 / ― 村
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盛岡市(もりおかし)は、岩手県の中部に位置するで、同県の県庁所在地である。中核市に指定されている。

目次

[編集] 概要

盛岡市の岩山から市街地を展望

平安時代桓武天皇の命により志波城が置かれ、律令制下となる。安土桃山時代に勢力を広げた南部氏盛岡城を築いて以後、この城下町として発達。明治以後は岩手県の県庁所在都市となり、第三次産業を主とする商業都市となる。とりわけ東北新幹線の整備により急速な都市化が進み、北東北での拠点機能が高まった。

日本の県庁所在地級の都市の中では、奈良市金沢市などとともに、戦災被害の少ない都市に数えられ、明治・大正期の建造物や町並みが多く現存する。近年、市としては人口が減少傾向にあるが、南北に隣接する矢巾町滝沢村の宅地化が進み、ベッドタウンとして人口が増加している。

都市雇用圏基準では、盛岡市を核として八幡平市紫波郡岩手郡に広がる盛岡都市圏が形成され、東北地方では仙台都市圏郡山都市圏に次ぐ都市圏を形成している。

近年、マンションを始めとした中高層ビルの建設が進み、2012年現在東北地方において市街中心部における中高層マンションは、宮城県仙台市に次ぐ規模で建設が進んでいる[要出典]

[編集] 名称とシンボル

  • 「幾春も華の恵みの露やこれ 宝の珠の山」

「盛岡」の名は、1691年に、時の藩主南部重信と、盛岡城鬼門鎮護の真言宗豊山派永福寺第42世・清珊法印との間で交わされた連歌に由来する瑞祥地名である。「盛り上がり栄える岡」の意味を持つとされ、のちに藩名も「南部」から「盛岡」へと改められた。版籍奉還直後は「盛岡県」が存在したが、旧郡にちなみ岩手県へ改められたと言われている(諸説あり)。現代では一般的呼称ではないが、中世には「盛府」とも記された。

盛岡市中心部は、かつての巖手郡仁王郷不来方に相当し、不来方と呼ばれており、今日ではこれが雅称として用いられる。盛岡を漢文調に読み雅号として杜陵(とりょう)とも称される。盛岡ゆかりの石川啄木は、その作品の中で「美しい追憶の都」、宮沢賢治エスペラント風に「モリーオ市」と記した。「杜と水の」「みちのく小京都」とも呼ばれる。

「盛岡」を連想させるものとして、市内のあらゆる地域から望まれる岩手山が多くの学校の校歌に謳われるほか、市の中心部で合流する中津川北上川雫石川の三大河川、国の史跡に指定されている盛岡城石垣、国の天然記念物に指定されている石割桜、国の重要美術品の上ノ橋擬宝珠、旧盛岡藩主南部氏の家紋「向鶴(双鶴)」「武田菱」が、盛岡を表す端的なモチーフとして用いられることが多い。

[編集] 人口

市勢
Demography03201.svg
盛岡市と全国の年齢別人口分布(2005年) 盛岡市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 盛岡市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
盛岡市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 226,868人
1975年 251,280人
1980年 272,814人
1985年 287,312人
1990年 292,632人
1995年 300,723人
2000年 302,857人
2005年 300,746人
2010年 298,572人
総務省統計局 / 国勢調査

[編集] 地理・気候

盛岡市内から望む岩手山
市内を流れる中津川

岩手県の内陸中心部に位置し、市内を北上川雫石川中津川などが流れる。北上盆地の中に位置するため、内陸性気候を呈しており、夏と冬、昼と夜とで温度差が大きい。特に冬は東北地方の中でも寒冷な部類に属し、厳冬期の最低気温は-10℃を下回ることも少なくない。の開花は東京に1か月程度遅れ、満開がゴールデンウィークに重なる傾向がある。

夏期は、真夏日となる日もみられるものの[1]やませの影響を強く受ける[2] 年があるほか、フェーン現象が発生することもあるため、年によって夏日は41 - 94日、真夏日も1 - 48日と変動する。熱帯夜となることは稀(1931年 - 2006年の76年間で1994年平成6年)8月11日[3]1999年平成11年)8月6日[4] の2夜のみ[5])。冬は、30年平均(1976年 - 2005年)で冬日が124.6日(97 - 147日)、真冬日が16.6日(1 - 40日)。この数年は全体的に暖冬の傾向が見られる。ただし冬季の日照時間が長いために、よく晴れた深夜・早朝に放射冷却現象が起き路面が凍結し、雪害以上の都市課題となっている。

市内でも標高差など地理条件により気温差が顕著であり、全般に都市化の進んだ盛岡市中心部はヒートアイランド現象により年々冷え込みが弱くなっている一方、玉山区など郊外は冷え込みが厳しい。 例えば、標高約700mの盆地内に位置する玉山区藪川地区では、厳冬期には放射冷却によって零下20℃を下回ることも珍しくない。現在のアメダス地点とは違う場所で、非公式(アメダス以前の気象観測所のため非公式扱いとされる)ながら1945年1月26日には零下35℃[6][7] という北海道内陸部並みの冷え込みを記録しており、岩手県宮古市区界、岐阜県高山市六厩長野県上田市菅平長野県南牧村野辺山 と並んで、本州で最も寒冷な土地の一つとされる。

市内からは岩手山(北西)、駒ケ岳(西)、早池峰山(東)、南昌山東根山(南)など、市外に所在する山々も仰ぐことができる。そのほか、市内には低い山々が入り組み、良好な緑地帯を形成するほか、総じて街のランドマークとなっている。

都市 降雪量累計 最深積雪 1月気温 都市 降雪量累計 最深積雪 1月気温
札幌 630 cm 101 cm -4.1°C 軽井沢 136 cm 32 cm -3.6°C
青森 774 cm 114 cm -1.4°C 富山 433 cm 69 cm 2.5°C
秋田 409 cm 41 cm -0.1°C 金沢 360 cm 52 cm 3.7°C
山形 491 cm 50 cm -0.5°C 東京 13 cm 7 cm 5.8°C
盛岡 351 cm 36 cm -2.1°C 名古屋 13 cm 7 cm 4.3°C
仙台 90 cm 17 cm 1.5°C 彦根 131 cm 29 cm 3.6°C
石巻 56 cm 17 cm 0.5°C 岐阜 52 cm 16 cm 4.3°C
福島 235 cm 26 cm 1.4°C 鳥取 263 cm 49 cm 3.9°C
いわき 14 cm 6 cm 3.6°C 松江 111 cm 24 cm 4.2°C
新潟 255 cm 39 cm 2.6°C 福岡 5 cm - cm 5.8°C
NYC 57 cm - cm -0.6°C シカゴ 97 cm - cm -5.6°C
降雪量累計気象庁の統計データ でいう「降雪の深さ合計」のこと。日ごとの降雪量を積算(平年値)
最深積雪:一度に降る最も多い積雪量(平年値)
1月気温:1月の平均気温(平年値)
(参考):アメリカ合衆国ニューヨーク市 (NYC) とシカゴ市を併記(数値は National Weather Service による)。
  • 盛岡圏の気候表(平年値)
盛岡(1981-2010)の気候資料
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 1.8
(35.2)
2.9
(37.2)
7.0
(44.6)
14.4
(57.9)
19.7
(67.5)
23.5
(74.3)
26.4
(79.5)
28.3
(82.9)
23.6
(74.5)
17.6
(63.7)
10.6
(51.1)
4.6
(40.3)
15.0
(59)
平均最低気温 °C (°F) -5.6
(21.9)
-5.2
(22.6)
-2.2
(28)
3.0
(37.4)
8.5
(47.3)
13.8
(56.8)
18.1
(64.6)
19.6
(67.3)
14.6
(58.3)
7.3
(45.1)
1.5
(34.7)
-2.4
(27.7)
5.9
(42.6)
降水量 mm (inches) 53.1
(2.091)
48.7
(1.917)
80.5
(3.169)
87.5
(3.445)
102.7
(4.043)
110.1
(4.335)
185.5
(7.303)
183.8  160.3  93.0
(3.661)
90.2  25.4
(1)
1,266.0
(49.843)
出典: 気象庁[8]
藪川 (1981-2010)の気候資料
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) -2.4
(27.7)
-1.7
(28.9)
2.0
(35.6)
10.0
(50)
16.0
(60.8)
19.8
(67.6)
22.8
(73)
24.4
(75.9)
19.8
(67.6)
13.8
(56.8)
6.9
(44.4)
0.6
(33.1)
11.0
(51.8)
平均最低気温 °C (°F) -13.7
(7.3)
-13.8
(7.2)
-9.1
(15.6)
-2.2
(28)
3.0
(37.4)
8.8
(47.8)
14.1
(57.4)
15.1
(59.2)
9.6
(49.3)
1.8
(35.2)
-3.8
(25.2)
-8.8
(16.2)
0.1
(32.2)
降水量 mm (inches) 62.3
(2.453)
48.9
(1.925)
83.9
(3.303)
95.2
(3.748)
113.0
(4.449)
109.1
(4.295)
199.7
(7.862)
184.6  165.7  110.7
(4.358)
114.3  87.8
(3.457)
1,366.6
(53.803)
出典: 気象庁[9]
好摩 (1981-2010)の気候資料
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 1.2
(34.2)
2.1
(35.8)
6.1
(43)
13.9
(57)
19.2
(66.6)
23.0
(73.4)
25.8
(78.4)
27.6
(81.7)
23.1
(73.6)
17.2
(63)
10.2
(50.4)
4.0
(39.2)
14.4
(57.9)
平均最低気温 °C (°F) -8.1
(17.4)
-7.8
(18)
-3.6
(25.5)
1.8
(35.2)
7.7
(45.9)
13.0
(55.4)
17.4
(63.3)
18.7
(65.7)
13.3
(55.9)
5.6
(42.1)
0.1
(32.2)
-4.1
(24.6)
4.5
(40.1)
降水量 mm (inches) 37.0
(1.457)
35.6
(1.402)
67.4
(2.654)
77.4
(3.047)
91.5
(3.602)
101.6
(4)
176.3
(6.941)
165.4  157.0  88.2
(3.472)
86.4  62.3
(2.453)
1,145.9
(45.114)
出典: 気象庁[10]

[編集] 歴史

岩手公園(国の史跡・盛岡城跡)

延暦年間、征夷大将軍坂上田村麻呂により志波城が築かれ、大和王権による陸奥国最北の治府となる。のちに豪族安倍氏により「厨川柵嫗戸柵」が置かれ事実上の自治を果たすが、安倍氏が源氏の侵攻を受けると、代わって出羽国から清原氏が進出した(前九年の役)。清原氏が内紛で滅亡すると(後三年の役)、現在の盛岡市(当時の岩手郡・斯波郡)は平泉を拠点とする藤原清衡ら(奥州藤原氏)の勢力圏となる。平泉源頼朝に攻略され再び源氏が統治(鎌倉幕府の成立)、「厨川城」を拠点に「奥州工藤氏」が治め、岩手郡は北条氏・斯波郡は足利氏の影響下に置かれる。南北朝時代には両統が割拠する中、甲斐源氏を祖とする南部氏が三戸からの南進を果たす。工藤氏らを配下として岩手郡を領有、南部氏家臣福士氏が「不来方城(慶善館・淡路館)」を置く。南部氏斯波氏を滅ぼし「斯波郡(紫波郡)」を領有すると不来方城を礎に盛岡城を築き、城下町を整備。これが盛岡の「現代に至る都市としての始まり」である。盛岡藩(旧南部藩)は盛岡県を経て岩手県となり、盛岡市はその県庁所在地となる。紫波・岩手両郡の中核となり、古代以来の統治拠点「志波城」「厨川城」「盛岡城」を包含する地域として、現在の盛岡市が形成される。

[編集] ギャラリー

中津川  
開運橋より岩手山を望む  
岩手銀行中の橋支店
(国の重要文化財)  
盛岡地方裁判所敷地内の石割桜  
盛岡城跡(岩手公園)  
盛岡中央公民館の日本庭園  
さんさ踊り  
さんさ踊り  

[編集] 行政

※ 歴代市長については「盛岡市長」を参照。
※ 盛岡市役所の行政組織については「盛岡市役所」を参照。
  • 盛岡市長 谷藤裕明(たにふじ ひろあき 第19代 当選2回)。
    • 副市長 川村裕(かわむら ひろし)
    • 副市長 細田敬一(ほそだ けいいち)
盛岡市章は、城下町盛岡を開いた南部氏の紋章「菱」を交差させたものに由来。「違菱(たがいびし)」と呼ばれる。一説には、後に南部氏の表紋となる「向鶴(むかいづる)」の鶴、折鶴を表現しているともいう。

[編集] 管轄警察署および消防署

[編集] 警察署

[編集] 消防署

[編集] おもな行政課題

財政再建
都市基盤の整備

耐震性に問題のある市庁舎の問題に加えて、火葬場や下水道改修問題(合流式下水道問題)など、高度経済成長期に整備した社会資本を更新する必要に迫られている。

渋滞問題

城下町である盛岡は、戦災を受けなかったこともあって、市中心部にまで細路地が残り、交通渋滞が慢性化している。市は、マイカー利用を抑える対策としてバス利用の促進を図る。国からオムニバスタウンに指定されている。

[編集] 都市外交

国際姉妹都市

[編集] 予算規模

[編集] 行政区域の変遷

[編集] 議会

選挙は統一地方選挙として実施。

会派名 議員数 備考
盛友会 17
改革・みらい 7
市民連合 6
新盛同志会 5
日本共産党盛岡市議会議員団 5 日本共産党
公明党 2 公明党
欠員 0
定数 42 地方自治法上の定数上限は46


[編集] 国政・県政

[編集] 国会議員

衆議院
衆議院議員総選挙では、紫波郡紫波町矢巾町とともに岩手1区を構成(ただし玉山区2区)。
参議院
参議院議員通常選挙では、岩手県全体で一つの選挙区。

[編集] 岩手県議会議員

盛岡市選挙区の議員定数は10名。

[編集] 経済

南部鉄器

[編集] 伝統産業

[編集] 業務・流通

第3次産業就業人口が81.4%の商業都市である。地域別の平均所得ランキングでは、当市は1人当たりの所得が332万円で、東北地方では仙台市に次ぐ[11]。また、年間商品販売額は約1兆3559億円(2004年)で、東北地方では仙台市、郡山市に次ぐ第3位であり、北東北3県では最大の規模である。

高度経済成長期には、仙台市広域中心都市として、盛岡市は県域中心都市としての地位を確立した。高度経済成長後は、他の地方で地方内のセカンドシティが確立していくが、東北新幹線開業(1982年)、東北自動車道全通(1987年)、八戸自動車道接続(1989年)など、1980年代に高速交通インフラが一気に整備された盛岡市は、業務・流通において北東北を管轄する東北地方のセカンドシティとなった。秋田新幹線開通や秋田新幹線による県間移動(2000年)に見られるように、秋田市と盛岡市との関わりは依然厚くないが、[12] 東北新幹線新青森駅延伸など高速交通インフラが更に拡充され、今後の動向が注目される。

[編集] 商業地

近年中心市街地における商店街歓楽街に変貌し、小売の多くが郊外型大規模小売店舗に代わる傾向が見られ[13]、中心市街地の路線価は、ピーク時1992年の3分の1以下まで下落した。中心商店街はシャッター街と迄はなっていないが、物販の郊外化と中心部の賃料の低廉化から、中心部の物販店は飲食店や娯楽店へと次々入れ替わっており、中心部における物販の衰退が進む。近年、盛岡市南西部に広がるかつての田園地帯に土地区画整理事業による新たな市街地を形成する盛岡南新都市の開発が進んでいる。物販機能はロードサイド店舗が集積する地区に分散し、同様に郊外である青山、みたけ、上堂、前潟、仙北、本宮、津志田等の地域が市内の物販を牽引している。人口の都心回帰が顕著であるが、物販の郊外化が進みつつある。

また、2004年平成16年)3月の時点で、高さ30m以上の高層ビルは177棟以上が建設されている。建設中のビルを含めると200棟近い[14]

[編集] 消費動向

総務省家計費調査によると、1人当たりの年間書籍購入額は、東北地方県庁所在地では第一位。なお、世帯あたりの豆腐の消費量が全国の県庁所在都市で第一位。[15]。物販の郊外化および流通の寡占化によって商品の多様性は以前と比べて低下したため、ファッション関連品目などの高級品を中心に多様性の維持・拡充が続く仙台東京への流出傾向がある。

[編集] 盛岡市に本社を置く主要企業

出先を盛岡市に置き北東北を統括する企業

業務・流通の欄にもある通り、高速交通網の整備以降、北東北を統括する支店が増加する傾向にある。

盛岡に主要工場・事業所のある企業
盛岡市の金融機関
本店を置くもの

支店を置くもの

[編集] 郵便

  • 盛岡中央郵便局(〒020-8799 郵便事業盛岡支店併設、岩手県統括支店。盛岡市内は〒020-00xx・020-02xx・020-03xx・020-08xx地域を管轄)
    • 集配特定局
      • 乙部郵便局(〒020-0499 郵便事業乙部集配センター併設。〒020-04xx地域を管轄)
      • 好摩郵便局(〒028-4199 郵便事業好摩集配センター併設。玉山区の一部→〒028-41xx地域を管轄)
      • 藪川郵便局(〒028-2799 郵便事業藪川集配センター併設。玉山区藪川地区→〒028-27xx地域を管轄)
  • 盛岡北郵便局(〒020-0199 郵便事業盛岡北支店併設。〒020-01xx地域を管轄→岩手郡滝沢村全域を含む)。ただし020-01xx地域のうち盛岡市緑が丘・高松地区には盛岡中央郵便局が回収担当となっている郵便ポストが一部存在する(ただしそちらへの郵便物配達はすべて盛岡北局の担当)。

[編集] 国の行政機関

[編集] 地域

[編集] 市内の各地域の特徴・町並み

昭文社発行の「都市地図シリーズ(1枚シートタイプ)」では盛岡市+紫波町・矢巾町・滝沢村を収録したタイプが「岩手県1」として発行されており、バリアフリー設備付き主要施設が書かれた「バリアフリー情報付き盛岡市中心部詳細マップ」付属(盛岡都心循環バス「でんでんむし」情報も掲載)。なおこのシリーズに雫石町と玉山区中心部(渋民・好摩地区)拡大図は非掲載である(「県別マップル3 岩手県道路地図」にも玉山区中心部と雫石町中心部の拡大図は非掲載。なお雫石町中心部&紫波町中心部拡大図は「スーパーマップル東北道路地図」に掲載されているが、玉山区中心部拡大図は非掲載)。

またゼンリン発行の盛岡市住宅地図は「盛岡市北部&滝沢村版」・「同・南部版」・「同・玉山区版」の3種類が発行されている。

[編集] 中心部

中津川の北にあるため「河北」とも呼ばれるこの地域は、かつて「仁王郷」(南岩手郡仁王村)と称した。現在も当地では中津川、北上川、雫石川の三大河川が交差するが、安土桃山時代までは湿地帯で河川の氾濫が見られた。後にそれを自然の要塞とし盛岡築城が進められ、現在の盛岡市要部となった。江戸時代に藩の重臣屋敷の立ち並んだ盛岡城内丸跡には、明治になって官庁街が形成され、岩手県庁をはじめ、多くの官公庁施設や金融機関の本支店、マスコミ、医療機関などが集中する。慶長年間の盛岡開府に際しては、南部氏の旧城下町三戸から住人の移転が図られ「三戸町」が開かれたほか、京都からの移住した豪商らによる「京町(本町)」、「花屋町」、「材木町」など職人街がある。大通・菜園地区は、城内の食膳に野菜を供するための「盛岡城御菜園」跡を、昭和に入って都市計画により市街化したものである。

[編集] 東部

「河南」と呼ばれるこの地域は、かつては「中野郷」とも呼ばれた。「中ノ橋」たもとに藩の「高札場」が置かれ、近世に到っても「小野組」「盛岡銀行」「盛岡貯蓄銀行」「第九十国立銀行」「岩手銀行」が置かれ、長らく経済交流の中心(金融街・商業街)として発達した。八幡町(盛岡八幡宮の門前町)、江戸時代には舟運による物流拠点「新山河岸(現・明治橋際)」と最寄の「新穀町惣門」などを中心に賑わう。鍛冶町一里塚や牛越場等の旧跡、「南昌荘」、「大清水多賀」などの近代の邸宅・料亭建築が残され、建築史を知る上で貴重なエリアである。盛岡天満宮門前の通り沿いには文教地区が形成され、良好な住宅地である。丘陵地帯には盛岡市動物公園盛岡競馬場岩山パークランドなどのある行楽地となり、東郊へは北上高地に至る丘陵地帯が広がる。

[編集] 北部

藩政時代に「上田通」に属したこの地域には、岩手県立博物館、盛岡市立図書館、岩手大学ほか教育施設が連なり、広範囲な文教地域を形成する。昭和に入り、松園ニュータウン等の大規模住宅開発が行なわれた。

かつては盛岡藩の宗教政策により、領内の重要寺院が集められ、北山寺院群が形発生。盛岡ドミニカン修道院、日本ハリストス正教会盛岡教会などの歴史あるキリスト教会も点在(上田・高松・山岸)する。奥州街道の面影を残す「一里塚」跡や、三陸海岸から城下へ塩を運ぶ「塩の道」と呼ばれる野田街道がある。

かつては競馬場があり、閑院宮載仁親王は、近隣の黄金清水に因んで「黄金競馬場」と命名。移転した現在の「盛岡競馬場」は、これに因んで「ORO PARK(黄金の公園)」を愛称とする。

[編集] 西部

藩政時代に「厨川通」に属したこの地域は、平安時代に安倍氏や鎌倉時代に奥州工藤氏が拠点とした地域で、安倍館遺跡、里館遺跡などが幅広く存在する。厨川柵嫗戸柵の擬定地となっているほか、大館町遺跡、大新町遺跡など、古代の埋蔵遺跡も多く見られる。

昭和初期まで「観武ヶ原練兵場」が知られ、陸軍予備士官学校が置かれたほか、近代化遺産として注目を集める煉瓦造の「覆馬場」など、往時の建造物が多く残されていたが、平成に入って急速に失われている。

戦後は「観武ヶ原開拓農協」が置かれ農地開拓が進んだが、1970年みちのく国体が開催された際、「岩手県営総合運動公園」が整備されたのを皮切りに碁盤状街区が整備され、県営体育館、県営スケート場、県営武道館などの各種スポーツ関連施設が集中的に整備され、後に飛躍的な宅地化へとつながった。 中心部と北上川を挟んで結ばれ、盛岡駅を核とする市街地が展開している。新幹線開通に伴う再開発と、ビジネスホテル等の進出により発展している。平成に入って、旧国鉄盛岡工場跡地の再開発をはじめとする「盛岡駅西口開発」が進み(マリオスアイーナなどの建設)、従前の市街地と盛岡南新都市とを結ぶ中継点の地区である。

[編集] 南部

藩政時代に「飯岡通」「向中野通」に属したこの地域は、盛岡開府に先立って開削された「鹿妻穴堰」の水利によって穀倉地帯として知られ、近年まで「太田米」というブランドが知られた。

平安時代には、坂上田村麻呂によって志波城大宮神社などが開かれ、中央政権によって早くから開拓が進められた地域で、台太郎遺跡に代表される竪穴式住居などの埋蔵文化財が多い。

「仙北町」は、江戸時代に秋田仙北地方から移住した人々によって生まれた町で、肥沃な土地を背景に「青物・種苗」を扱い、豪商が軒を連ねた。本宮地区には「平民宰相」で知られる「原敬」の生家がある。

都市再生機構などによって、都心を補完する盛岡南新都市(ゆいとぴあ盛南)の整備が進められ、雫石川以南に急速な開発が進行しており、岩手県立美術館や「盛岡市先人記念館」「盛岡市アイスアリーナ」など文化施設が集積する。昭和後期になって盛岡流通センター、盛岡貨物ターミナル駅が置かれた。

[編集] 玉山区

旧玉山村との合併に伴う地域自治区として、盛岡市の北部一帯に「玉山区」が設定されている(市町村の合併の特例等に関する法律第五条の五第1項を適用した「合併関係市町村の区域による地域自治区」、同法第五条の八の定める合併特例区ではない。設置期間は、2006年1月10日から2016年3月31日までの10年間[17])。石川啄木の生地「旧渋民村」を含む。1972年(昭和47年)には、岩洞湖畔が「北上京遷都」(早稲田大学21世紀の日本研究会)の候補地となり注目を集めた。なお、本州屈指の寒冷地であり、人口減少が進む地区である。

[編集] 土地利用

盛岡駅前・北上川にかかる開運橋

戦災を受けたのが盛岡駅周辺に限られたため、城下町開府以来の区画が残されているのが特徴である。中心部の道路は狭い所が多く、現在の市域の可住地に比して居住不可地域の比率が非常に高い。また、市街地東端の繁華街に位置する河川である中津川の上流地域などは水源保護の観点から都市開発がほとんど行われていない。。。

盛岡市は、盛岡城跡を中心に市街地南北に展開する。北上盆地平地が南北方向に開けているため、北部に隣接する滝沢村や南部に接する矢巾町公共施設高校大学等を設置することが多い。なお、新興住宅地郊外商業地といったベッドタウンとしての機能も、南北に隣接する町村へ展開する傾向にある。

盛岡市の事実上の中心部は、盛岡駅を中心とし、「現中心部」への道筋を一連の流れとする中津川・北上川・雫石川を跨ぐ「盛岡バスセンター - 内丸・大通・菜園 - 盛岡駅」の一帯であるが、中心市街地と規定されている範囲はこの実態よりも狭い。多くの都市を中心に開発が進むのと対照的に、盛岡市は盛岡城を中心としているのが特徴である。

盛岡駅周辺の開発は東北新幹線開通当初は活発であったが、一時期停滞が続いた。しかし、旧国鉄盛岡工場用地他の再開発「盛岡駅西口開発」が進展するのに伴い、平成に入って盛岡駅周辺の利用価値が向上。大手ビジネスホテル立体駐車場タワーマンションの進出が相次ぐ。さらに雫石川への架橋が進んで、かつて田園地帯であった盛岡駅南西部を、新たな市街地とする区画整理事業開発に着手し、現在も進行中である。

[編集] インフラの整備率

  • 下水道普及率 83.4%(2007年度)[18]

[編集] 市外局番

盛岡市の電話番号市外局番)は市内全域「019」である。かつては「0196」だったが、固定電話加入世帯の増加により番号不足が生じる恐れが出たため、桁ずらし(市外局番の末尾「6」を市内局番の最初に移す形)により旧「0196」地域(盛岡市・岩手郡雫石町&滝沢村紫波郡紫波町矢巾町)は1996年10月1日より現在の「019」に変更され(市内局番の頭に「6」が冠される形となってい)た。その後、桁ずれで使用可能となった60X~61X番台が枯渇したため、90X~92Xの市内局番が割り当てられ、現在に至る。

なお盛岡都市圏のうち八幡平市と岩手郡岩手町の市外局番は「0195」である(二戸地区と同じ市外局番だが交換局は別系統となっているため、八幡平市・岩手郡岩手町と葛巻町から二戸市二戸郡一戸町九戸郡軽米町九戸村の固定電話番号へは市内通話扱いとはならず「0195」を押さなければならない)。

電話帳は「岩手県中央版」としてタウンページハローページが別々に発行されており、県央版は盛岡都市圏の市町村(盛岡市・雫石町・滝沢村・紫波町・矢巾町・八幡平市・岩手町・葛巻町)を収録(以前は「岩手県北版」として二戸地域の自治体も収録されていたが、現在は二戸地区と分離発行)。「テレパル50」は盛岡市内全域版ではなく各地域毎(松園・玉山区・市内中心部等)に分けて発行されている。

[編集] 教育

[編集] 教育史

[編集] 大学

県立高校
市立高校
私立高校

[編集] 初等教育

国立
公立の小中学校
私立

[編集] 交通

市街地の渋滞緩和を図るため、路線バスの利用促進を図る。国からオムニバスタウンに指定されており、ゾーンバスシステムを軸に、路線バスの高度利用を進めている。

また盛岡市を中心とする盛岡都市圏北東北の広域交通網を束ねる役目を果たしており、盛岡駅や盛岡バスセンターからは北東北各地を結ぶ高速路線バスが多数発着している。

ターミナル駅盛岡駅

[編集] 市中心部まで

市内を通る鉄道は、JR線とIGRいわて銀河鉄道線。中心部にはターミナル駅の盛岡駅があり、東北新幹線はじめ各鉄道路線と接続されている。盛岡 - 東京間は、最寄のいわて花巻空港花巻市)に東京便がないこと、空港から盛岡市までのアクセスの問題から、東北新幹線が圧倒的に優位である。

[編集] 市内路線バス

市内の公共輸送は、路線バスが主力。運行地域は市内のほぼ全域。ゾーンバスシステムと称して、郊外の住宅地では綿密に「支線バス」を設定(前述#行政参照のこと)。一方で、郊外と市街地との間は「支線バス」と「基幹バス」をバスセンターなどを通じて連絡している。

市内を走る岩手県交通のバス
バス運行事業者

[編集] 高速バス・特急バス

盛岡市以北の都市との間の高速バスは、東北新幹線に接続する路線として発達したが、東北新幹線が新青森駅まで延伸(2010年平成22年)12月4日)したことで利用客が減少傾向にある。ただし「大館線」は大きな影響を受けていない。「仙台線」も東北新幹線と競合するが、新幹線の半額に運賃が設定されているため利用客は多い。

※2007年度の利用客数も付記 [1]

昼行便
夜行便

[編集] 鉄道

[編集] 道路

[編集] 高速道路

[編集] 地域高規格道路

[編集] 一般国道

[編集] 主要地方道

[編集] 一般県道

[編集] マスコミ

岩手県は、情報格差の解消が比較的遅れた地域で、在盛TV局のうち、フジテレビ系列岩手めんこいテレビテレビ朝日系列岩手朝日テレビ平成期の開局である[19]

[編集] 新聞社

全国紙・広域紙 地方紙

[編集] 放送局

[編集] 県域放送

[編集] コミュニティ放送

[編集] ケーブルテレビ

このほか、情報誌として アキュートタウン情報誌)、Vivitto(女性ファッション誌&生活情報誌)、てくり(ミニコミ誌)、月刊 ファウル(ナイトマガジン)。フリーペーパーとしてマ・シェリ情報紙 游悠などが発行されている。

[編集] 文化財

国の指定・登録等に係るものは、重要文化財が14件、重要美術品が5件、重要無形民俗文化財が1件、選択無形民俗文化財が1件、史跡が2件、天然記念物が3件(地域を定めず指定されたものを除く)、登録有形文化財が2箇所(9件)である。盛岡市教育委員会歴史文化課ウェブページ を参照(指定等の件数については数え方の違いがあり、必ずしも上述の件数と一致しない)。

[編集] 観光

城下町であることに由来して、市内には多くの城址、神社仏閣がある。また、火山である岩手山が近隣に所在することから、温泉が多い。また宮沢賢治石川啄木作家)、原敬斎藤実米内光政(首相)などが青春時代を過ごした町であり、先人に関する石碑や施設も多い。

[編集] 祭事・催事

[編集] 味覚

類が有名で、「麺都」と称されることがある。南部杜氏の本場であり、酒どころである。三陸海岸(陸中海岸)を後背地とするため、寿司の名店が多いことでも知られる。「べんじぇもの(弁財物)」と呼ばれるこの地域独特な餅菓子類が多く見られる。

以下、盛岡でよく食される特徴的な料理方法、食材、呼び方など。

郷土料理
  • ひっつみ:郷土料理としての「すいとん
  • わんこそば:椀を重ねて次々と盛る動作は、元来、客を満腹にしてもてなす意味合いがある。当地では、冠婚葬祭の膳で最後に蕎麦を供するのが慣わしである。
  • 盛岡じゃじゃ麺および鶏蛋湯(チータンタン):肉味噌・キュウリを和えて食するうどん状の麺、最後に湯をかけて作る卵スープ。
  • 盛岡冷麺:盛岡冷麺は他地域の冷麺と異なり、麺に蕎麦粉を加えず、小麦粉のみで練り上げた半透明の弾力ある仕上げが特徴。辛さを抑えるためにすいかや梨をいれる。
  • 芋の子汁:本来、盛岡の「津志田芋」を煮て作る。芋の子汁を味わう集いを「芋の子食い」という。
  • そばはっと(蕎麦法度)
菓子
  • 醤油だんごみたらし団子とは異なり、古い団子の製法によって作られ、醤油のみを仕様する串団子。全国的に見て、盛岡市近辺にのみ作られている。
  • ゆべし:北陸・九州で知られる「柚子釜ゆべし」と異なる。
  • きりせんしょ:ゆべしと同一視されることがある。関東以南で知られる「きりせんしょ」同様、山椒を加えることが稀にある。
  • お茶餅:「うちわもち」とも。胡桃味噌を塗して焼いた餅。
  • 鎌焼:「鎌」の歯に見立てた呼び名。胡桃餡や味噌餡などを包む。「味噌っぱさみ」とも。生地が白の場合、シソの葉で巻くことがある。
  • 花饅頭うるち米餅米をまぜ、ふかして作った菓子。桃の節句に食する。
  • 黄精飴:江戸時代に方長老が漢方薬として伝えたという「黄精(アマドコロ)」を使った菓子。
  • 葡萄飴山葡萄の甘味を生かした餅菓子。
  • 豆銀糖:江戸時代の豆銀に見立てた青豆菓子。
  • からめ餅:盛岡藩の「金山からめ節」に因んだとも、携行食ともいわれる。
  • 南部煎餅小麦をベースに胡麻胡桃落花生などをあしらった焼菓子。
  • ぶぢょほ団子:黒蜜を包んだ一口餅。噛むと黒蜜が飛び出すため一口で食べねばならず、「不調法(行儀が悪いこと)」に見えることからその名が着いた。
  • 豆しとぎ枝豆で製する蒸し菓子。
  • 雁月(がんづき):小麦粉と胡桃・胡麻を混ぜ蒸した菓子。まぶした胡桃が月を渡る雁に見えることから。
  • へっちょこ団子:一口大の白玉団子をへこませて茹で、汁粉に入れて食す。「へっちょこ」とは、臍のこと。
  • 小麦餅:小麦粉を練って焼いた自家製菓子。
  • 蕎麦餅:蕎麦粉を練って焼いた自家製菓子。
  • 干し餅:餅を薄く切って乾燥させたもの。揚げたり湯に浸し崩して食べる。
  • 薄焼き:主に祭礼の出店で売られる、小麦粉を伸ばして焼いたクレープ状の菓子。
  • 盛岡駄菓子:元来、保存食として生まれ、祭事に用いられ子どもの菓子として定着した。石衣(兎玉)、青柳、丹切、茶玉、肉桂玉、薄荷糖、生姜糖、焼酎糖、黄粉ねじり、ラッキョウ飴など。正月に限り、相撲力士を象った小麦菓子を売る習慣がある。
  • ロシアビスケット:ロシアから伝わった非常に硬い胡桃のビスケット。現在は盛岡市内正食普及会より販売。
食材の呼び方・食習慣
清酒銘柄
盛岡市内
盛岡市近郊
地ビール


[編集] スポーツチーム

[編集] 盛岡を舞台とした作品

漫画
音楽
映画
文学
ドラマ
児童書

[編集] 盛岡市出身者

[編集] 政財界・法曹界・学界

[編集] 作家・芸術家・漫画家

[編集] 俳優・芸能界・アナウンサー・スポーツ選手

[編集] 盛岡市にゆかりのある有名人

[編集] 文献

  • 佐藤優 『脈脈 盛岡の街づくり』(在研究所 1984)
  • 佐藤優 『「五感」性のある景観創造〜盛岡市の都市景観行政と地区計画〜』(北土社 1991)

[編集] 出典

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  1. ^ 30年平均(1976年 - 2005年)で夏日が68.6日、真夏日が17.7日ある。
  2. ^ http://www.reigai.affrc.go.jp/zusetu/inasaku/jittai/nogyo.html
  3. ^ 気象庁・過去の気象データ検索・盛岡 1994年平成6年)8月11日・1時間ごとの値
  4. ^ 気象庁・過去の気象データ検索・盛岡 1999年平成11年)8月6日・1時間ごとの値
  5. ^ 気象庁・過去の気象データ検索・盛岡 年ごとの値 各階級の日数(最低)・≧25℃の項目を参照
  6. ^ 基礎2: 気温・地温と局地循環「近藤純正ホームページ」
  7. ^ M29.放射冷却「近藤純正ホームページ」
  8. ^ 盛岡 19801-2010年”. 気象庁. 2011年10月18日閲覧。
  9. ^ 藪川  19801-2010年”. 気象庁. 2011年10月18日閲覧。
  10. ^ 好摩  19801-2010年”. 気象庁. 2011年10月18日閲覧。
  11. ^ 毎日新聞集計、2005年平成17年)7月1日時点、全国2375市区町村
  12. ^ 東北地方における不均衡発展 (PDF)(経済地理学会)
  13. ^ 中心市街地の活性化について 岩手県商工労働観光部
  14. ^ 『岩手日報』(2004年平成16年)10月8日
  15. ^ 平成18年度盛岡地区広域消費購買動向調査の結果【概要】 岩手県産業振興課 平成18年12月
  16. ^ 岩手県庁が登記上の本店で、実質的な本社は宮古駅宮古市)。
  17. ^ ウェブもりおか:市のしくみと施策:玉山区地域協議会
  18. ^ 盛岡市の下水道 盛岡市下水道部
  19. ^ 1996年10月1日のIAT開局を以て東北6県で(宮城・福島に次いで)3番目に民放TVが4局出揃った

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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