冷やし中華

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冷やし中華
ファミリーレストランガストの冷やし中華(オクラ使用)※現在は取り扱ってない

冷やし中華冷し中華(ひやしちゅうか)は、冷やした中華麺を使った日本の料理である[1]野菜ハム錦糸卵などの具材を細切りにして添え、冷たいかけ汁を掛けて食べるのが典型で、夏の麺料理として広く親しまれている。西日本では冷麺(れいめん)と呼ぶ地域もあるが、東日本で冷麺といえば朝鮮半島由来の冷製麺料理を指す。

目次

[編集] 概要

茹でてから冷水で冷やした中華麺を深めの皿に盛り、その上に細切りのハム叉焼錦糸卵キュウリトマトなどの具をそれぞれ互いに混ざることのないよう放射状に彩り良く盛り付け、醤油あるいは芝麻醤(ゴマだれ)をベースにした冷たいかけ汁をかけて食べる。細く裂いた蒸し鶏、キュウリにゴマだれをかけたバンバンジー様のものもある。練りからしを添えて食べるのが定番。細切り紅ショウガも相性が良い。マヨネーズを添える地方もある。夏バテなどを催させる日本の厳しい夏の間、そのさっぱりした食感や栄養価の高さから、家庭食・外食を問わず、特に好まれる料理であり、夏の風物詩であり季語にもなる。多くの中華料理店では、秋から春にかけてはメニューに置かず、夏の訪れと共にメニューに追加すると「冷し中華始めました」という貼紙を店に貼り告知する。コンビニエンスストアにとっては夏の主力商品となる(3月中旬頃から発売しているコンビニもある)。

[編集] 歴史

その発祥の解釈には諸説ある。

中国香港台湾などの中華圏においては、拌麺en:Lo mein)とは茹でた麺を様々な具材や調味料で和えた料理の総称であり、その中に冷麺/涼麺(リャンメェン)や冷拌麺/涼拌麺(リャンパンメェン)と呼ばれる麺料理が存在する。麺は日本の冷やし中華・冷麺ほど冷たくなく(冷水や氷を使って食品を直接冷やす慣習が無く、団扇や扇風機を使って茹でた麺を冷ますため)、花生醤(ピーナッツ・ペースト)や芝麻醤(すり胡麻)を用いた濃厚なタレがかかっており、例えば鶏絲涼麺(チースーリャンメン、茹で鶏と胡瓜の千切りのせ)はゴマだれの冷やし中華の源流となっている可能性もある。北中国の冷麺は日本における酢を使用した冷やし中華・冷麺とは異なる趣の料理であり、ご当地の中華系民族は酸味のある冷たい料理を食習慣から腐敗による酸味と捉えるため、日本の冷やし中華・冷麺や酢飯などを嫌う傾向があるが、南中国の冷麺、特に上海冷麺は酢を使用した。

1929年(昭和4年)に発刊された「料理相談」(安東鼎編、鈴木商店出版部)という本には冷蕎麦(ひやしそば)の一項があり、シナそばを茹で、酢、砂糖、氷をまぶし、その上に叉焼、キュウリ、ラッキョウ、タケノコを乗せ、冷スープ、醤油、酢、コショウをかけるとの記述がある。

1936年(昭和11年)に発行された雑誌『栄養と料理』には三絲涼麺(サンスーリャンメン)として鶏肉、焼豚、キュウリ等を細切りにして、水にさらした麺の上にのせ、酢、砂糖、醤油等のタレをかける料理が紹介されている[2]

仙台市錦町龍亭では、冷し中華・冷麺[3]が発売されたのは、1937年(昭和12年)のこととされる[4]。「仙台支那ソバ同業組合」(現・宮城県中華料理環境衛生同業組合)の会合で、中華料理店共通の問題である夏の売り上げ低下の解決法、及び、多数の観光客が集まる仙台七夕の際に売れる目玉商品の開発について話し合われた。そして当時の組合長だった龍亭店主を中心に、龍亭が閉店した後に集まってざるそばを元に新メニューの開発を行った。それは現代の冷やし中華とは異なり、湯がいたキャベツ・塩もみきゅうり・スライスしたにんじん・チャーシュー・トマトを上に乗せた物だった。戦中・戦後の食料難の間メニューからは消えたが、昭和20年代後半になり復活したし 1965年(昭和40年)まで当初のスタイルを踏襲していた。その後徐々にスタイルを変化させているはいるが、現在でも龍亭は錦町で営業を続けており、改良された冷し中華を看板メニューにしている。

他方、細切りの具を彩りよく盛った現代風の冷やし中華の原型は五色涼拌麺(五目冷やしそば)として東京都神保町揚子江菜館第二次世界大戦後または1933年(昭和8年)に創作されたとされている[5]。2代目オーナーの周子儀が、上海で食べられていたもやしと細切りの肉を冷した麺に乗せて食べる涼拌麺とざるそばから着想を得たとされる。様々な細切りの具を皿の中心から放射状に盛る独特の形式は富士山とそこに積もる雪をイメージして作られた。

また、京都の「中華のサカイ」は、創業時(1939年)より、ゴマだれを使った「冷麺」(関西および西日本での「冷し中華」の呼称)をメニューに載せており、関西では、関東以北の「冷し中華」とは、異なり、独自に発展したとする説もある。

戦後、寿がきや心太(ところてん)のつゆ(三杯酢)を冷やしたラーメンに掛けたのが今のスープによる冷やし中華・冷麺の発祥とする説もある。

昭和30年代には首都圏の中華料理店では「冷やしそば」の呼称がよく使われた。

1966年(昭和41年)、東洋水産が家庭向けに乾麺タイプの酸味の冷やし中華・冷麺を「冷やしラーメン」の商品名で発売し、全国的にヒットした。

1983年明星食品がゴマだれのインスタント乾麺、「中華三昧 上海風涼麺」を発売し、ゴマだれ風味が全国区となる。

[編集] 地方による特色

  • 盛岡では「冷風麺」と呼ぶ。中華料理店が、涼拌麺を日本人にわかりやすいようにもじって表記したことが始まりとされる。
  • 東北地方では、仙台の「冷し中華」の他に、山形の「冷やしラーメン」、盛岡の「盛岡冷麺」を加えて、「みちのく三大冷やし麺」 と言われる時がある。
  • 山形県福島県東海地区ではマヨネーズを添えることが多い。東海地区を中心にチェーン展開する寿がきやの影響と言われている(寿がきやの冷やし中華のTVCMでは、独自の歌と共にマヨネーズをかけることをアピールしている)。また東海地方のコンビニエンスストアで売られている冷やし中華にもマヨネーズが付いてくる。
  • 西日本ではこの調理方法の麺料理を「冷麺」と呼ぶ地域もあるが、近年西日本でも「冷やし中華」と呼ばれることが多くなった。いわゆる朝鮮半島式の「冷麺」と区別する必要があるときは中華風冷麺や「涼麺(リャンメン)」などと呼び、朝鮮半島由来の冷麺は「韓国(または朝鮮平壌、韓式、咸興式)冷麺」と呼ばれることが多い。
  • 広島県では平麺が一般的である。
  • 北海道では「冷やしラーメン」と呼ばれる。
  • 海外でこの調理方法での麺料理は 韓国では「中国(式)冷麺」、中国では「日式冷麺」と呼ばれ、日本料理店や日系コンビニエンスストアのファミリーマートなどの現地店舗で季節限定メニューで販売されている。

[編集] 全日本冷し中華愛好会

1975年にジャズピアニストの山下洋輔が冬に冷やし中華を食べられないことを憤慨し、SF作家筒井康隆中洲産業大学教授タモリ等と共に「全日本冷し中華愛好会」(全冷中)[6]という団体を立ち上げ、「冷し中華祭り」(1977年に第1回、1978年に第2回)[7]を開催した。山下洋輔の兄が醤油会社勤務であるため、スポンサーとの黒い癒着が疑われることになるが、全冷中は清いアマチュアの会であり、癒着は受け入れられないため、筒井康隆が2代目会長となった。第1回の「冷し中華祭り」の場で筒井康隆が2代目の会長となった。また会報「冷し中華」を発行。その内容は『空飛ぶ冷し中華』(住宅新報社 1977年4月)『空飛ぶ冷し中華 part2』(住宅新報社 1978年6月)という本にまとめられた。執筆者は、山下洋輔筒井康隆奥成達平岡正明坂田明日比野孝二河野典生上杉清文山口泰伊達政保舎人栄一岡崎英生瀬里なずな小山彰太池上比沙之堀晃黒鉄ヒロシ赤瀬川原平高信太郎長谷邦夫南伸坊末井昭長谷川法世タモリ吉峯英虎赤塚不二夫高平哲郎朝倉喬司

[編集] 脚注

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  1. ^ 『冷やし中華はやっぱり「日本料理」だった』澁川 祐子JapanBusinessPress2011.08.12配信
  2. ^ 「しゆうまいと支那そばの作り方」(昭和11年 第2巻第12号 p22山田政平)|http://eiyotoryori.jp/
  3. ^ 同店では涼拌麺(りゃんばんめん)と呼んでいる
  4. ^ 逸見英夫『仙台はじめて物語』24-34頁 ISBN 978-4915587122
  5. ^ 岡田哲編『世界たべもの起源事典』ISBN 4-490-10663-7
  6. ^ 全日本冷し中華愛好会(個人のサイト)
  7. ^ 全冷中「冷し中華祭り」秘話(個人のブログ。ヒゲタ醤油株式会社のサイトから転載)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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